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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
二年目
21/52

第一四話「紫野ゆかりの溜息」その2




「復縁を迫られている……わけですか?」


「別に付き合っていたわけじゃないんだけどね」


 巽の確認をゆかりは手を振って否定する。場所はシェアハウスの居間、巽を呼び出したゆかりが呼び出された巽と卓袱台を挟んで向かい合い、説明をしているところだった。


「短大のときのゼミの先生で、助教授だったかな? 『妻と上手くいっていないんだ』とか言って下心満載で飲みに誘ってくるから、毎回酔い潰していた」


「そ、そうですか」


 と巽は少し冷や汗を流している。


「卒業してから一回も会ってなかったんだけど、この前駅でばったり会ってね。『話があるんだ』って逃げようとしてもしつこく食い下がってくるのよ」


 とゆかりはため息をつき、巽は心配そうな様子である。


「そのときは『今は忙しいから』で何とかごまかしたんだけど、今日会う約束をする羽目になって……」


「俺はそれに付いていったらいいわけですね」


 ゆかりは「うん!」と満面の笑顔となり、つられて巽も笑みを見せ、


「それで、恋人のふりをしてくれたらいいから!」


 巽の笑顔が「え。」と硬直した。


「だってあの人奥さんともう離婚したって聞いたし、学費を酒代にしちゃって卒業できなくなりそうになったときもポンと立て替えてくれたし、『話がある』ってそーゆー話しか考えられないじゃない?」


 巽は「確かに」と頷きつつも、


「それだけお金を持っているなら案外良縁なんじゃ?」


「お金のことを言うならわたし達だって結構稼いでるじゃない。多分今はわたし達の方がお金持ちじゃないかな」


「自由に遣えるわけじゃないですけどね」


 冒険者となってしのぶは一年以上、ゆかりや美咲は一年未満だが、既に何千メルクという金貨を手にしている。円に換金すれば数千万にもなるが、この金貨の大部分は装備更新のために積み立てられている。残りの一部がポーションなどの消耗品補充に回され、生活費や遊興費に遣われるのはさらにその一部に過ぎなかった。


「お金はともかく、狩りは順調で毎週充実しているし上げ膳据え膳の食っちゃ寝飲んじゃ寝で暮らせるし、今のこの生活を捨てて家庭に入るつもりなんて毛頭ないのよ」


「少しは家事を分担しないと叩き出されますよ?」


 巽は「いっそ嫁に行った方がこの人のためなんじゃ」とか考えているが、


「ね、巽君。お願い!」


 と頼られ、両手を合わせて拝まれると無碍には断れない。巽はため息を一つついた。


「……はあ。しょうがないですね」


「やったー! ありがとー!」


 ゆかりは大喜びで巽に抱きつき、巽はゆかりを押し剥がした。


「それで、どういう人なんですか? 写真とかは」


 ゆかりは「えーっとね」とスマートフォンを操作し、「あ、あった」と一枚の画像を表示した。スマートフォンで自撮りしたその画像には、どこかのバーで飲んでいるゆかりとその男の姿が写っている。ゆかりはご機嫌な様子でグラスを手にし、その横で酔い潰された男が突っ伏している。画像で判るのはその男の、少し薄くなった後頭部だけである。


「名前は三条さんて言って、四〇代のおじさまだけどいつもおしゃれで学生からは結構人気だったかな」


「それで大学の助教授ですか……俺、高卒なんですけど」


 普段は学歴など気にしたことのない巽だが、この三条氏と「男」として比較されることになるわけで、収入や外見だけでなく学歴もまた比較の材料となるのは間違いなく、巽としては気後れを感じるのも当然だった。


「そんなこと気にしなくてもいいのに」


「それに俺、こんな悪人面で女の人ともろくに付き合いがないですし」


 ハーレム野郎がなんか言ってる、と思いながらもゆかりはとりあえずは黙って聞いていた。


「俺なんか連れていってもゆかりさんが恥をかくだけなんじゃ……俺よりむしろクマさんの方が」


「クマやんは『ない』」


 ゆかりの断言に巽は「あ、はい」としか言えなかった。


「確かに巽君は今時のリア充な若者、って感じじゃないけど――それなら『今時のリア充な若者』の真似をすればいいんじゃない?」


「真似?」


「固有スキルを使うようにさ。巽君、物真似は得意じゃない」


 ゆかりの提案に巽は腕を組んで「うーん」と考え込んだ。


「今時のリア充っぽいイケメン……諏訪さんとか?」


 諏訪開人とはもう九ヶ月も前に一、二回会っただけで、私的な付き合いも何もない。だが巽が直接知る範囲では最も高順位の冒険者であり、巽にとって未だ遙か高みにある目標だった。


「あと、服装ももうちょっとだけ気を使えば」


 とゆかりは革のジャケットやシルバーのアクセサリー、それにサングラスを用意。巽は普段のジーンズとシャツの上にそれを身に着け、姿見の鏡に我が身を映した。


「ふむ。ほう。なるほど」


 そこにいるのは垢抜けない、無骨な田舎者ではない。鏡に映っているのは一応「今時の若者」っぽい人物だ。調子に乗った巽は気取ったポーズを取ってみた。


「うんうん、いい感じいい感じ」


 とゆかりがおだて、巽も「そうですか?」と満更でもない様子だ。


「うん、これなら四〇代のバツイチのおっさんなんか目じゃないよ! それじゃ、ビシッと決めてきっちりお断りしてこよう!」


 巽の腕を取ったゆかりが巽を引っ張って歩き出す。外出した二人は腕を組んで駅へと向かって歩いていった。


 ……十数分後、巽とゆかりは駅前へとやってきている。


「あ、いた。ほら、あそこ」


「あの人ですか」


 ゆかりの視線の先には一人の男性の姿があった。巽と同じくらいの身長があり、高級そうなスーツを着こなしている。あごひげを生やしているが不潔な印象は微塵もなく、なかなかの伊達男ぶりだった。

 その男――三条氏の方もゆかりに気付いたようで、「紫野君」とゆかりの方へと歩いてくる。巽はゆかりをかばうように三条氏の前に立ちふさがった。


「何だ、君は。退いてくれないか」


 三条氏は巽を一瞥するだけだ。その巽は「俺は今諏訪さん諏訪さん諏訪さん……諏訪さんてどんな人だっけ」等とぶつぶつ呟き――サングラスの下で刮目し、


「マジすっかぁー? 超やべぇーんですけどぉー?」


 後ろでゆかりが膝から崩れ落ちそうになっているが巽はそれに気付く余裕もなく、テンパったまま本人が思うところの「今時のリア充っぽい若者」になりきっている。


「な……何なんだ、この子は」


 三条氏の問いにゆかりは「いえその」と冷や汗を流していた。演技に没頭する巽はチェーンをじゃらじゃらと鳴らしながら短い前髪を指で整えながら踊るように腰をクネクネと前後左右に振っている。

 三条氏は出鼻を挫かれながらも気を取り直してゆかりに向き直った。


「とにかく、話がある。できれば落ち着けるところで話したいんだが」


「その、先生のお気持ちは嬉しいんですがわたしにはもう付き合っている人がいまして」


 ゆかりは「超マジなんですけどぉー?」とか言っている巽を手で指し示した。


「……君が誰とどういう付き合いをしようと自由というものだが、相手は選んだ方がいいと思うぞ」


「いえその、普段はもっとまともな子なんです」


 会ったことないけど諏訪さんてこんな人なの?とゆかりは内心で首を傾げているがもちろんそんなわけはなく、もし本人に見られたら巽がカットラスで三枚に下ろされるのは必定だった。「諏訪さんの真似」をしようとしてろくに本人を知らないためにどうしていいか判らなくなり、追い詰められてとりあえずTVに出てくるようなチャラい男を演じているだけである。


「ともかくそういうことで、好きこのんでわたしみたいな女を選ばなくても先生にはこれから先もっと良い女性との出会いがあると思います」


「待て、君は何か勘違いしている」


「先生と飲み明かした眩しい青春の日々を、わたしの胃と舌が忘れることはありません」


 ゆかりは言いたいことだけ言って逃げ出そうとし、三条氏が腕を伸ばしてゆかりを捕まえようとする。だが三条氏が掴んだのはゆかりではなく巽の腕だった。


「マジすっかぁー?!」


 一際大声を出し、三条氏の身体に擦りつけるようにして腰を振る巽。得体の知れない恐怖を感じた三条氏が「ひぃっ」と逃げていったのも当然かもしれなかった。


「よし、今のうち」


 とゆかりも巽の手を引いて素早く立ち去っている。ほんの一分もしないうちに三条氏は元の場所に戻ってくるがそのときにはゆかりの姿はどこにもない。


「くそっ」


 と悪態をついた三条氏はスマートフォンを取り出し、どこかへと電話した。

 一方、


「どう? 尾行してる?」


「いえ、いないと思います……しのぶほどはっきり判るわけじゃないですけど」


 三条氏から逃げ出した二人は何回か曲がり角を曲がり、尾行者がいないかどうかを確認している。巽はしのぶのような熟練の斥候ではないが、それでも素人の尾行に気付かないほど迂闊ではなかった。

 三条氏から逃げ切ったことを確認し、ゆかりは「はあ」と大きなため息をついた。


「とりあえずこれで一安心かな」


「ま、役に立てたのならよかったです」


 と巽は笑い、ゆかりも「ありがとうね」と笑みを見せ、


「でもあの物真似は『ない』」


 だがそれを指摘するのは忘れない。巽は「そうですか?」とやや意外そうに首を捻っている。


「それじゃ家に帰りましょうか」


「あ、わたしクマやんに会う約束しているの。ちょっと頼み事していてね」


「そうですか。それじゃまた夜に」


 と巽は手を挙げて立ち去っていく。ゆかりは「ええ、また後で」と言って巽と別れ、阪急線の駅へと向かった。

 ……それから小一時間ほど後、場所は阪急線の某駅前。


「ごめん、遅くなって」


「いや、構わない。俺も今来たところだ」


 ゆかりはそこで熊野と落ち合っていた。











「復縁を迫られている……ということか?」


「別に付き合っていたわけじゃないんだけどね」


 熊野の問いに、ゆかりは軽く手を振って否定する。場所は駅前の喫茶店、熊野を呼び出したゆかりと呼び出された熊野がボックス席で向かい合い、話をしているところだった。


「学生の頃にその人が経営するバーをちょっとだけ手伝っていたことがあってね。『店のお酒は好きに飲んでいいよ』って下心満載で言うから、『じゃあ一緒に飲もう』って言って毎回酔い潰してた」


「そ、そうか」


 と熊野は冷や汗を流している。


「吉田さんて言うんだけど、その人と駅前でばったり会って『話がある』って強引に引っ張られそうになって、そのときは『今は忙しい』でごまかしたんたけど、改めて会う約束をする羽目になって……」


 憂鬱そうにため息をつくゆかりに対し、熊野は真剣な表情で頷いている。


「何の話があるのか知らんが、要するに俺はボディガードをすればいいわけだな」


 その確認にゆかりは満面の笑みで「うん!」と頷いた。


「それと、できれば相手をビビらせてもう二度と近付かないようにしてくれれば」


 その要請に熊野は腕を組んで難しい顔で「うーむ」と唸るが、


「そういうのはあまり得意じゃないんだが、できるだけのことはやってみよう」


 と座ったまま両腕に力瘤を作って見せる。筋肉お化けがなんか言ってる、とゆかりは思いながらも、


「うん、お願いね」


 と明るい笑みで頷いていた。


「それで、その人の写真とかはないか?」


「ええっとね、これ」


 ゆかりはスマートフォンに表示させた画像を熊野へと示した。そこに写っているのはどこかのバーで自撮りをしているゆかりの姿だ。グラスを手にし、華やかな笑みを湛えるゆかりの横では白いスーツの男が酔い潰れて突っ伏している。画像で判るのはその男の脱色した髪と後頭部だけである。


「バーの常連客にはヤクザ屋さんもいたりするから万一のことを考えると巽君達を巻き込むのはためらわれちゃって」


 熊野としてもヤクザがからむような揉め事は遠慮したいのだが、ゆかりに頼られている以上はやせ我慢を続ける他に道はない。熊野は「任せておけ」と頼もしげに胸を叩いて見せた。


「……あ、来た」


 不意にゆかりが硬い表情となる。熊野が後ろを振り返ると、喫茶店の入口から一人の男が入ってくるところだった。年齢は四〇の手前くらい、白いスーツの下に派手な柄のシャツを着た、チンピラ風の男である。


「ああ、いたいた。どうも、ゆかりちゃん」


 チンピラ風の男――吉田氏が馴れ馴れしい態度でゆかり達の席に近付いてくる。熊野は立ち上がって吉田氏を出迎えた。


「どうも、俺はゆかりさんの仲間――同僚だ。今日は一緒に話を聞かせてもらう」


 熊野は白い歯を剥き出しにした笑顔を吉田氏へと向け、吉田氏は数歩後退った。


「なななな、なんだあんたは。俺はゆかりちゃんと平和的な話し合いをするつもりで」


「それで済むなら俺は何をするつもりもないが」


 比較的小柄な吉田氏が震えながら熊野を見上げている。「もうちょっと脅せばそれでこの件は片付くかも」と考えた熊野は、


「ゆかりさんに指一本でも触れようものなら……」


 熊野はティーカップのスプーンを掌に握り込み、それを床に落とす。床に転がったスプーンは絡まった糸のようにくしゃくしゃに丸まっていた。

 吉田氏は震えながら息を飲み込み――スマートフォンを取り出して、


「もしもし、警察ですか? 今喫茶店で大男に脅されていて」


「済みませんそれだけは勘弁してください」


 熊野は即座に土下座して謝った。ゆかりは「クマやん……」と呆れ顔だが、


「相手から暴力を振るってきたのならともかくそうでないのならこっちが一方的に不利だろう。巽みたいに何ヶ月も狩り場から離れるのは俺はゴメンだぞ」


 熊野のその言い分にゆかりもそれ以上何も言えない。吉田氏も「問題は解決しました」と警察への通報を取り消した。


「やっぱり本当に冒険者になっていたんだな。それなら話は早い」


 吉田氏はそう前置きし、


「……はい?」


 吉田氏の用件――要求に熊野は目を丸くした。











「マジやべぇーんですけどぉー?」


「今宵の虎鉄は血に飢えています……いるぜ」


「し、しめたろか、こら」


 ゆかりがシェアハウスに戻ってきたとき、そこはカオスだった。

 時刻は夕方、場所はシェアハウスの玄関先。美咲としのぶがピンクの特攻服を着て木刀を振り回し、革ジャンにサングラスの巽は前髪を指でいじりながら踊るように腰をくねらせている。その三人の前には岩倉氏と三条氏がいて、座り込んだ二人は互いに抱き合い身を震わせていた。まるで怪しい儀式の生け贄にされそうになっているかのようだ。


「……何しているんだ? お前等」


 熊野が当惑しながら訊ね、「ストーカーを追い払っています」と答えるのは美咲である。


「ゆかりさんに付きまとっている人が二人揃ってやってきたので『これは徹底的に脅さないと』と」


「ぼ、僕達はストーカーなんかじゃない!」


 岩倉氏が声を震わせて反論するが、美咲達は聞く耳を持たなかった。


「ストーカーはみんなそう言うんです。『これはストーキングなんかじゃない、ただ愛する人を遠くから見守っているだけなんだ』って」


 そう言って「うんうん」と頷くしのぶに対してゆかりは突っ込みたくて仕方なかったが、とりあえずこの場では我慢した。


「あー、お前等。その人達はストーカーじゃないぞ。ゆかりさんとお前等の早とちりだ」


 そう言う熊野に訝る視線を向ける巽達。


「どういうことです?」


「まずはその二人の話を聞いてやれ」


 熊野にそう促され、巽達三人は正気を取り戻したように平静になる。それで岩倉氏と三条氏も立ち上がることができるようになり、態勢を立て直して巽達に相対した。


「僕達はゆかりさんとよりを戻そうとか、そんなことは全く考えていない。――ただ」


 そうして二人はようやく、ゆかりに対してそれを要求する機会を得た。











「ただ、借金を返してほしいだけなんだ!!」











 ……それからしばらくの後、場所はシェアハウスの居間。上座には岩倉氏・三条氏・吉田氏の三人が座布団に座っていて、その前では巽・美咲・しのぶ、それに熊野が畳の上で土下座していた。


「……それで、まず岩倉さんへの借金というのは」


「僕は紫野さんと同じ会社に就職したんですが、小さな会社だったので同期入社は僕と紫野さんだけでしゃべる機会も多かったんです。それでより親密になりたいと思って飲みに誘ったんですが……毎回酔い潰されてしまって」


 岩倉氏は頭痛を堪えるような顔でため息をついた。


「これは手に負えない、と思って誘うのを止めたんですが、紫野さんが毎晩強引に僕を連れて飲みに行って……支払うのは僕だけで給料はほとんどそれで飛んでいくし、毎日二日酔いで仕事が身に入らず失敗をくり返して、会社にいづらくなって結局辞めることになって……」


 岩倉氏が大きなため息をつき、美咲としのぶは身を縮めた。


「まあ、それはいいんです。もう再就職して、そこの待遇にも仕事の内容にもそこそこ満足していますから。ただ『引越をするからお金貸して、すぐ返すから』と言われてつい出してしまい、その後音信不通の行方不明になってしまって」


「踏み倒されたままだと」


 巽の確認に岩倉氏が「ええ」と頷き、巽達は刺すような視線をゆかりへと向けた。


「わ……わざとじゃないのよー。ただ忘れていただけで。携帯電話も前のやつが料金滞納で使えなくなって、新しい会社のやつを連絡し忘れていただけで」


 ゆかりは「それより、この体勢苦しいんだけど……」と身をよじる。ゆかりは後ろ手に手首と足首をひとまとめに縛られ、床に転がされていたが同情する者は一人もいない。


「それで、三条さんは」


 三条氏はまず肩をすくめて首を横に振った。


「私の方も似たような経緯だ。確かに最初に誘ったのは私の方だし下心があったのも否定しないが、毎回酔い潰されて支払いも全部こっち持ちじゃ、正直やっていられない。その上『学費立て替えといて! すぐ返すから!』とそれだけ言って請求書をこっちに回してきて、そのまま卒業してしまうとは」


「あれ、すぐ返すって言ったんだっけ……? 代わりに負担してくれたんじゃ」


違ーよ(ちげーよ)!!」


 三条氏はゆかりの言葉を力の限り否定した。せっかくのダンディぶりも台無しだがそんなことを気にする余裕もない。


「三桁万円の金を無償で出せるわけないだろうが! 助教授と言っても場末の短大で講師をやっている程度じゃ、正直言って普通のサラリーマンより生活は苦しいんだよ!!」


 肩で息をする三条氏を「その、落ち着いてください」と巽が宥めている。巽の視線を受けて、


「それで、吉田さんの方だが」


 と熊野が話を吉田氏の方へと振った。


「同じ話ばかりしてもしょうがないから手短に説明するが、要するに俺も下心があって最初は客だったゆかりちゃんに店を手伝ってもらったわけだ。『ツケが返せないなら店を手伝ってくれ』って言って。でもこの子、うわばみも真っ青なくらいに飲んで店の被害があまりに大きくなってね。手伝いはすぐに辞めてもらったんだが、客として店に来たときのツケがまだかなり残っていてな」


「残ってたっけ?」


 と首を傾げるゆかりに、


「残ってるよ! どんだけ飲んだと思ってるんだよ!」


 吉田氏が噛み付き、ゆかりは笑ってごまかした。


「卒業とか就職とかで音信不通になったのは俺も同じだ。だからもう回収は諦めていたんだが、この間偶然この子のことを見かけて、尾行して家を探し出したんだ。最初に判ったのは自宅の最寄り駅らしい場所だけだったけど、三人がかりで手分けして探して」


「酒屋を狙ったローラー作戦が功を奏しました」


 と三条氏。「確かにそれならすぐに見つけられるよな」と巽達は納得した。


「それで彼女が冒険者になったらしいと聞いて、それなら金を持っているはずだから返してもらおうと考えて」


「だが冒険者が仲間にいるんじゃ力尽くで返してもらうのは無理だ。少し前に石ころの冒険者がチンピラ一一人と乱闘して全員を病院送りにしたって話も聞いている」


「まあそれは話半分だとしても、怒らせると何をされるか判らない。だからできるだけゆかりちゃんだけと話をしたかったんだが……」


 吉田氏達三人がそう言い、巽達三人はこれ以上ないくらい身を縮めている。ゆかりに騙されていたとは言え脅迫まがいの真似をしたのは事実であり、言い訳の余地のない悪手だった。


「それでゆかりさん。この方達の言うことに間違いはないんですか」


 美咲が木刀を突き付けて詰問する。普段のハリセンではないことに危機感を覚えたゆかりは、


「いやその、言われてみればそうだったよーな」


 と大筋で容疑を認めた。美咲は頭を抱えるようにしてため息をつく。


「……ともかく。借金はすぐに返済させます。それぞれ金額はいくらになりますか?」


 ゆかりを抜きにして話が進んでいくが、それに異議を唱える者は皆無だった。


「こちらが学校の請求書です」


「これが引越業者の請求書」


「うちの店の帳簿だ」


 三人がそれぞれ借金の金額を提示し、ゆかりにそれを確認させ、書面に起こし、金額を確定させる。借金の金額は三人とも三桁万円に達していたが、逆に言えばその程度でしかなかった。


「明日、朝一で振込の手続きをします」


 巽達は平謝りに謝り、帰っていく吉田氏等三人を門前で見送った。そしてその翌日の朝一番、マジックゲート社大阪支部を訪れた一同は三百枚ものメルク金貨を円に換金、それを吉田氏等三人の口座へと振り込む。こうしてゆかりの借金騒動は一応の終結を見た。


「あー! これでやっと借金を全部清算し終わって、気持ち良く狩りに行けるわけね!」


 そう言って晴れやかで爽やかな笑顔を見せるゆかり。一方巽達四人はそんなゆかりに冷たい目を向けている。


「全然懲りてないですね、この人」


「このままじゃわたし達の知らないうちにまた大きい借金するかもしれません」


「確かにそうだな」


「何らかのペナルティが必要ですよね」


 巽達が鳩首し、相談する。ゆかりは「あのー……」と冷や汗を流していたが、それを気に留める者は誰もいない。少しばかりの時間を経て、


「それじゃ、当分の間ゆかりさんはメルクの換金禁止ってことで」


「そんなー!!」


 巽が通告した結論にゆかりが絶叫した。


「それじゃわたしはどうやって酒を買えばいいのよー!」


「飲まなければいいだけでしょう?」


「わたしに死ねって言うの?!」


「いっぺん死んだらどうですか?」


 ゆかりの抗議を美咲は氷の絶壁のようにはね返す。ゆかりは助けを求めるような瞳をしのぶや巽へと向けるが、


「お金が必要ならアルバイトでも何でもすればいいんじゃないでしょうか」


「換金禁止は今回の分の三〇〇メルクを一人で稼いで穴埋めするまでです。ゆかりさんならすぐに稼げますよ」


 生温かくそう言うだけで、とりつく島もない。ゆかりは絶望のあまりその場に崩れ落ちた。なお、オークの群れを掃討した先週の収入でも一人当たりでは三〇〇に届かない。だが平均程度に稼ぐのなら二週あれば三〇〇メルクくらいは余裕だった。


「そう……そうよね。要は三〇〇メルクを一人で稼げばいいだけじゃない」


 俯き、そう呟いていたゆかりは立ち上がり、決然と巽達へと告げる。


「見てなさい! 明日の狩りでは一人で三〇〇稼いで見せるから!」


 指を突き付け、そう言い残して一人足早に去っていくゆかり。巽達は唖然としたようにそれを見送った。

 ……そして翌日の火曜日。巽・美咲・しのぶ、そして熊野の四人はメルクリアへと狩りにやってきている。もちろんゆかりも狩りに出ているが、巽達とは別行動だった。今日一日で、一人で三〇〇メルクを稼ぐためゆかりはソロで狩りへと出ているのだ。


「ゆかりさん、大丈夫なんでしょうか。前衛ならともかく後衛のメイジがソロで狩りなんて」


「確かにちょっと心配ですね」


 としのぶや美咲は心配そうな様子である。


「やっぱり俺だけでも強引に付いていくべきだったかな」


 と熊野もゆかりを一人で行かせたことを悔やんでいた。


「普段はともかく、狩り場でゆかりさんが無茶をしたことは今まで一度もなかったはずだ。ゆかりさんを信じよう」


 巽は自分に言い聞かせるようにそう言う。美咲達にしても今他にできることは何もない。ゆかりを信じ、自分達は自分達で狩りをするだけである。

 そして夕方、メイジ不在のため苦労はしたが良好な成果を上げて巽達はヴェルゲランへと戻ってきた。


「今日はなかなかの稼ぎでしたね」


「ああ。ゆかりさんがいてくれたら一人三〇〇くらい行っていたかもしれないのに」


 と美咲や熊野はホクホク顔だ。しのぶが「そう言えば」と思い出したように言う。


「ゆかりさんは大丈夫なんでしょうか」


 その指摘に巽達は顔を見合わせた。


「そうだな。もう戻ってきてもおかしくはないだろうし、手分けして探そうか」


「そうですね」


 そう言って頷き合う巽達だが、探すまでもなかった。


「やっほー! みんなー!」


 と上機嫌のゆかりが四人の前へと現れたからだ。その姿に巽達は胸をなで下ろした。


「ああ、よかった。無事でしたか」


「ふっふっふ、当然でしょ! それにちゃんと三〇〇稼いできたよ!」


 ゆかりは笑顔で指を三本立ててそれを巽達へと突き付ける。巽達は目を丸くした。


「本当ですか? 一体どうやって……」


 そのとき「おい」と誰かが巽の肩に手をかける。巽が振り返るとそこにいたのは、


「……鞍馬口さん?」


 少し前に巽との間にちょっとしたトラブルのあった冒険者、鞍馬口天馬だ。彼が疲れ切ったような顔で、身体を支えるように巽の肩に手をかけている。


「あの人、お前んとこのメイジだったな。野放しにしてんじゃねーよ」


「あ、あの……ゆかりさんがどんな迷惑を」


 巽が冷や汗を流しながら問い、鞍馬口が説明した。


「ゴブリンの群れが湧いたから今日緊急討伐があったんだが、俺達のパーティはひよっこ共のお守りでそれに参加したんだ。で、あの人がそれに飛び入り参加を希望して。あの通りの爆乳美人で高順位のメイジだ、もちろんみんな諸手を挙げての大歓迎だった」


「それで?」


「高笑いしながら攻撃魔法を連発して、一人で群れの半分を焼き払った」


 頭痛を堪えたような顔の鞍馬口が深々とため息をつき、巽も全く同じ表情となった。


「それはやったらあかんやろ。力の差を見せつけられてやる気はなくすし、稼ぐ機会も横取りされて、ひよっこ共にとっちゃ散々だ」


「はい、まさしくその通りです」


 巽は土下座せんばかりの勢いでくり返し頭を下げている。その一方で、


「真面目に頑張って勤労して流す汗は気持ちいいわね! 今日の一杯は飛びきり美味しくなりそうだわ!」


 反省の欠片もなく満面の笑みを湛えるゆかりに対し、巽の頭痛は止まるところを知らなかった。……なお、メルク金貨の換金禁止継続を言い渡されたゆかりがゾンビ兵のように死んだ目となってため息をつくのは、これより一〇分後のことである。





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