表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
一年目
2/51

第一話「転がる石のように」




 日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。











 石ころばかりが転がる不毛の荒野で、たつみはモンスターと戦っていた。

 頭上から一メートルほどの高さを、耳障りな啼き声を立てながら何匹もの吸血コウモリが飛び交っている。飛膜を広げたその大きさはどれも一メートル弱。巽は頭の中で吸血コウモリに関するデータを検索した。


(吸血コウモリはアンデッド系のモンスターで、南米ではコロコロと呼ばれている。その名の通り血を吸うコウモリで、強い個体でもせいぜいレベル六か七。ルーキー向けの獲物だけど、注意すべきは毒を持っていることと、群れを成すこと)


 巽は獲物の数を確認した――全部で六体、巽は舌打ちする。


(パーティを組んでいれば手頃な獲物だろうけど、ソロじゃちょっときついかも)


 しかも足場は悪く、遮蔽物は何もない。次に巽は自分の装備を確認した。戦士職としての標準的な金属鎧と長剣、ベルトポーチには各種傷薬と毒消しのポーション。


「よし」


 巽はポーションがちゃんと残っていることを今一度確認し、じりじりと後退した。その巽を吸血コウモリの群れが包囲する。

 吸血コウモリの一匹が不用意に突っ込んでくる。巽は長剣を横薙ぎに振るい、その迂闊な敵を二枚に下ろした。その隙を突くかのように後方からもう一匹が向かってくるが、巽は振り向きざまに長剣を叩き付ける。剣と地面に挟まれ、無様に潰される吸血コウモリ。哀れなその死骸からは光の球体が湧き出、それは長剣の柄に吸い込まれた。


「よし、これで二匹」


 巽は元来た道を全力で走り出した。それを四匹の吸血コウモリが追跡する。回り込んで真正面から突っ込んできた一匹を唐竹割りにぶった斬る巽。それを囮とするように残りの三匹が左右と後方から突撃してくる。巽は左回りの旋風となり、まず左側の一匹を斬り捨て、そのまま後方の一匹も始末しようとする。だがそれは巽の剣をすり抜けて飛んでいった。そして右から突っ込んできた一匹に対して巽はグローブの裏拳を叩き付け――だが浅い。吸血コウモリは巽の手の甲に牙を突き立てた。グローブを突き抜け、牙の先端が皮膚に突き刺さる。


「くそが!」


 巽は吸血コウモリごと左拳を地面に叩き付け、さらに足で踏み潰す。吸血コウモリの死骸は光の球体を吐き出し、それは巽の長剣に回収された。

 残るは一匹だけ……だが長剣を持つ巽の手が震えている。大量の汗が額を濡らし、視界がどんどん狭くなる。

 巽はベルトポーチから毒消しのポーションを取り出し、握り締めた。それを飲もうとする巽だが、吸血コウモリが接近の気配を見せたのでそれを中断、剣を敵へと向ける。吸血コウモリは巽を嘲笑うかのように目と鼻の先で飛び回っている。


「こいつ……!」


 巽は歯軋りした。一秒でも早くポーションを飲みたいのに、吸血コウモリがその隙を狙っている。ポーションを飲むには三、四秒あれば何とかなるだろうが、その間はほぼ無防備となってしまう。それは吸血コウモリが巽にさらなる手傷を負わせるに充分以上な時間だった。

 睨み合いの時間が続くが、それも長くはなかった。巽が膝を屈し、吸血コウモリが歓喜のような啼き声を上げる。


(これ以上毒が回ったら本当に動けなくなる……!)


 巽は身体を丸め、片手で後頭部を守りながらもう片手でポーションを開封、一気にそれを飲み干そうとした。だが吸血コウモリがその隙を見逃すはずもない。巽の首筋を狙って吸血コウモリが急降下し――それが粉々に砕け散った。


「な」


 と巽が唖然とする。投擲された巨大なメイスが吸血コウモリに命中し、その身体を粉砕したのだ。一体誰が、と巽が後ろをふり返ると、そこにいたのは二人の少女だ。


「危なそうだったからつい手出ししたけど、余計なお世話だったかな」


「いや、助かった。ありがとう」


 巽はポーションを飲みながらその二人に礼を言う。どうやら双子のようで全く同じ顔立ちだが、一人はロングヘアにメイジ然とした黒いローブ。もう一人はショートヘアに戦士職らしい軽装鎧だ。二人とも小柄な方でかなり可愛らしい。冒険者である限りは一八歳以上なのは疑いないが、普通に見れば高校生がせいぜいだった。

 戦士職の少女がメイスを回収しているが、メイスの全長は小柄な少女の身長ほどもあった。吸血コウモリの死骸から吐き出された光の球体はそのメイスへと回収されている。


「まさかとは思うけど、この魔核を返せとか言い出したりは」


「言うかよ! 魔核はモンスターを倒した奴のもんだろう」


 戦士の少女の失礼な物言いに巽は憤然と反論する。メイジの少女は「ちょっと、はじめ!」と慌てた様子を見せた。


「ごめんなさい。この子が失礼なことを」


「いや、気にしなくていい」


 自分の姉妹が自分のことで謝っているのに「はじめ」と呼ばれた少女は知らん顔のままである。メイジの少女は困った顔をし、巽は小さく肩をすくめた。


「俺はこれで引き上げることにするけど、君達は?」


「わたし達はもう少し進んでみることにします」


「そう。気を付けて」


 ありがとうございます、と挨拶を交わして少女達は先へと進んでいく。


「もう、この子は……」


「気にすることないじゃん」


 小さくなっていくその背中を巽はしばらくの間見送っていた。

 ……小一時間ばかり後。巽はようやくベースキャンプへと戻ってきた。ベースキャンプは直径二、三十メートルの円形で、外周は木製の柵や土を盛り上げた壁によって囲まれている。その内側に建っているのは何軒かの丸太小屋で、十人弱があちこちにたむろしていた。巽と同じように金属鎧を身にした戦士、黒いローブのメイジ、革鎧の盗賊、侍……格好は様々だが、その全員が冒険者だ。

 巽は丸太小屋の一つへと向かう。小屋の中は、その床は石で舗装され、そこには魔法陣が描かれている。巽がその魔法陣に足を踏み入れると転移魔法が自動的に発動、巽の身体は別の場所へと瞬間移動した。

 中継地点を二つ、三つばかり挟み、巽はヴェルゲランという町に戻ってきた。その町はこの世界における地球人テランの活動拠点の一つである。狩りを終えるにはまだ少し早い時間のためか、人の姿はさほど多くなかった。

 巽は石造りの大きな建物へと向かう。町の中心部に建っているそれは、マジックゲート社のヴェルゲラン支部である。そこへと入った巽はまっすぐに受付へとやってきた。


「お疲れさまです。精算ですか?」


 職員の女性が笑顔で巽を出迎える。巽は職員に身分証明用のメダルを手渡しながら「はい、お願いします」と頷いた。


「それではそちらに」


 と職員が右手で水晶玉を指し示す。巽は長剣の柄頭をその水晶玉にそっと当てた。柄頭が輝きを放ち、それが球体となり、その光の球を水晶玉が吸い込んでいく。七個の光球が吸い込まれ、柄頭は輝きを失った。職員の女性は水晶玉を見つめ、何やら頷いている。


「退治したのは七体。それぞれレベル一、レベル一、レベル四、レベル五、レベル六、レベル四、レベル四――合計二五メルクとなります。よろしいですか?」


 巽が「はい」と頷き、最後に精算書にサインをしたため、精算は終了した。


「今日は大漁だったんじゃないんですか?」


「いやー、グローブは買い換えないといけないし、虎の子のポーションも使ってしまったんで」


 はっはっは、と虚ろに笑う巽。その出費を考えれば今日の狩りは赤字で終わるかもしれなかった。その一方職員の女性は心配そうな顔をしている。


「やっぱりソロでの狩りは危険ですよ。パーティを組むべきなんじゃないんですか?」


「俺だって別に何か信念があってソロでやってるわけじゃないですよ。入れてくれるところがあるなら喜んで……」


「誰かが声をかけてくれるのを待ってるんですか? そんなことあるわけがないでしょう、自分から入れてもらえるように動いていかないと!」


「はい、確かにその通りです」


 と巽は恐縮する。だが人付き合いの苦手な巽にとってそれはモンスターと一人で対峙するより難しいことだった。

 精算を終えた巽は次の部屋で防具装備一式を職員に預け、その次に転移施設へと向かった。渡り廊下を通って別棟の建物へ、その建物の中の廊下へ、廊下にいくつも並ぶ扉の一つへ、扉を開けてその部屋の中へ。薄暗いその部屋へと入っていくと、中には――棺桶が並んでいた。大きなその部屋を埋め尽くすように、等間隔に木製の棺桶がずらずらと並んでいる。その数は少なくても百以上、そのどれもが吸血鬼が寝床にしているような、シックなタイプの西洋風の棺桶だ。正確にはそれは棺桶ではないのだが、その姿形は棺桶以外の何物にも見えなかった。巽は空の棺桶の一つ、自分用のそれを探している。


「毎度のことだけど、いい気分はしないよな」


 巽は自分用の棺桶の蓋を開け、その中に身を横たえた。内側から蓋を閉めると、棺桶の中は完全な真っ暗闇だ。わずかの光も入らず、何一つ外の音が聞こえない。このまま息が詰まって死ぬのではないか、という本能的な不安を理性で静め、巽は目を瞑って心を無にする。そのまま眠るように……実際に転移の瞬間は眠っているのかもしれない。いつの間にか転移は終了し、棺桶の蓋が自動で開いた。外から光が入ってくる。

 蓋が完全に開くのを待ち、巽は上半身を起こす。いつものように周囲を見回すと、その状況は一変していた。

 同じく屋内ではあるが、壁は石を積み上げたものではなくコンクリート製。照明は魔法のランプではなく、LED。横たわっていたのは木製の棺桶ではなく、SF映画に出てきそうな強化プラスチック製の睡眠カプセル。巽が身にしているのは麻布の服ではなく、コットンのシャツとジーンズだった。

 棺桶部屋を出た巽は通路とエレベーターを通って外へと向かう。駅の自動改札のように設置されているゲートをカードをかざして通過し、それが何ヶ所かくり返され、巽はようやく外へと出た。時刻はもう夕方、巽は今まで自分がいた建物を振り仰ぐ。

 そこに建っているのは高さ二百メートルを超える、大阪有数の高層ビルだ。それはマジックゲート社大阪支部の建物であり、ここには全世界で七箇所しかない異世界への転移門が存在している。そして巽はこの大阪支部に所属する冒険者の一人だった。










 日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。

 冒険者は青銅・白銀・黄金の三クラスにランク分けされている。青銅クラスは一一〇〇人程度、白銀クラスは一〇〇人程度。黄金クラスは日本には四人、全世界で一二人しか存在していない。

 三クラスに入る冒険者は全体の一割。残りの九割はランク外の、「石ころ」と呼ばれる冒険者だ。冒険者歴三ヶ月、国内順位一万一四八一位――花園巽はなぞの・たつみは有象無象の、石ころ冒険者の一人である。










 朝六時。スマートフォンの目覚ましが鳴り、巽は目を覚ました。


「ふぁーっ」


 大あくびを一つし、巽は寝ぼけ眼で左右を見回す。……何もない部屋である。畳の上に敷かれた布団、卓袱台、プラスチックの衣装ケースが何箱か、段ボールが何箱か、ハンガーラックとそれに掛けられた何着かの服……。

 よし、と起き出した巽は顔を洗い、歯を磨き、自分で朝食を用意する。みそ汁を作る一方で卵を焼いて、ほんの三〇分足らずで朝食は完成した。


「それじゃ、いただきます」


 食卓に並んでいるのはご飯・みそ汁、卵焼き、煮豆、ほうれん草のおひたし等。手早く朝食を終え、食器を洗って後片付けをし、弁当の用意をし、時刻はもう七時だ。


「行ってきます」


 と巽は外へと出た。巽が住んでいるのは築三〇年を超える古い木造アパート、その二階の端の部屋だ。鉄の階段をリズム良く降り、駐輪場に駐めている自転車に乗る。自転車が風を切って走り出し、坂道を下った。そのアパートが建っているのは山手の、坂の上だ。巽の眼下には小さな町が広がり、JRの在来線や新幹線の高架が町を横切っている。

 自転車を漕いでやってきたのは町外れにある小さな工場で、そこが巽の職場だった。更衣室で作業服に着替えた巽は仕事に取りかかる。その町工場で作っているのは自動車部品の一つで、巽の今日の担当は仕掛品をケースに詰めて次の工程に運ぶことだった。

 その仕掛品は金属の固まりばかりで、非常に重い。ベルトコンベアー等の機械を使えばいいのに、と思わなくもない……というか、一秒ごとにそう思っているが、それだけの設備投資が厳しいのだろう。巽は「筋トレができて金までもらえるんだから」と自分に言い聞かせて黙々と単純作業をこなしていく。

 無限とも思えるような時間を経て、ようやく昼休みとなった。巽は食堂の片隅で一人弁当を食べている。


「花園君やったね? 冒険者やってはるんやって?」


 といきなり話しかけてきたのはパートのおばさん方だ。巽は内心で閉口しながら、


「ええ、まあ」


 と返答した。おばさん方は「いやー!」「まー!」等と奇声を上げている。


「えらいわねえ、冒険者やなんて!」


「冒険者ってもうかるんやろ? 億の年収があってようやく一人前ってTVで言うてはったわ!」


「でも危ないって聞いとるよ」


 とおばさん方はかすまびすしい。巽は辟易しながらも社会人として最低限の受け答えをするべく努力した。


「……えーっと、収入は確かにそれなりに大きいですけど出費はそれ以上ですから、全然儲かりません。下手すると赤字です」


 おばさん方は「そういうもんなん?」と首を傾げている。


「そいつはただの石ころだからな。フリーターと何も変わらねえよ」


 と口を挟んできたのは同僚の一人で……巽は彼の名前を思い出せなかった。金髪にピアスの軽い様子からとりあえずチャラ男と名付けておく。


「確かにそうですね」


 巽はチャラ男の言葉に何も反論しなかった。


「今の順位はどのくらいだ? 四桁台には入ったのか?」


「いや、まだまだ遠いです」


 チャラ男は「へっ」と唇を歪めた。


「才能ないんだろ? 辞めたらどうだ、冒険者なんか」


 それに対して巽が何か言う前に、


「お前が口を挟むことじゃないだろう」


 チャラ男をそうたしなめたのは部長さんと呼ばれる男――この工場の経営陣の一人だった。ヤクザとしか思えないような凶悪な面相をしていて、


「昔は手の付けられない暴れ者だったが今はかなり丸くなった」


 と言われるタイプの男である。半端者のチャラ男は部長さんに逆らうなど思いつきもせず、ただ愛想笑いを浮かべるばかりだ。


「いや、俺はちょっとした親切心で」


「そうか。ところでお前は冒険者になるのを諦めたのか。去年は毎回試験を受けていたのに」


 愛想笑いを凍り付かせたチャラ男は少しの間硬直していたが、やがて身を翻してその場から逃げ出していった。おばさん方は「あの子もねぇ」等と呆れたようなため息をついている。


「ありがとうございます」


 巽が部長さんに頭を下げるが、彼は「ふん」と顔を背けるだけだった。その彼に巽が付け加える。


「……俺は辞めません。諦めませんから」


 部長さんは「そうか」とだけ言って薄く笑う。その後、巽は部長さんと特に言葉を交わさなかった。











 巽がその町工場でアルバイトをするのは一週間のうち水曜日から日曜日までの五日間。土日も出勤できる巽は工場の人達に重宝されていた。月曜日は休養日で、火曜日が狩りに出る日だ。


「できれば毎日でも狩りに出たいところなんだけど」


 と愚痴っぽく呟く巽。ランク外の冒険者が狩りに行けるのは一週間に一度と、マジックゲート社が制限を課している。かつてはそんな制限はなく、それこそ毎日でも狩りに行くことができたのだが、疲労を溜め込んだ数多の冒険者が犠牲となったために今のこのような形となったのである。

 日曜日の夜、巽は布団にうつ伏せで寝転がりながらスマートフォンを操作している。接続先はマジックゲート社が運営する、冒険者限定のSNSだ。


「パーティメンバー募集……うーん」


 新規メンバーを募っているパーティは数え切れないくらいにある。が、需要と供給が必ずしもマッチングしないのは世の常であり、それは冒険者も例外ではなかった。例えばパーティメンバー募集板での各募集件数は以下のようになっている。


「とにかくメイジ!(505)

 求む斥候(69)

 前衛全般(20)

 集まれ新人!(116)

 来たれベテラン(49)」


 需要が大きく供給が少ないのはやはりメイジ、次いで斥候職。戦士職は需要に対して供給が過剰となっている。巽はため息をついた。


「やっぱり低順位の戦士職を入れてくれるパーティなんか……」


 ようやく戦士職の募集を見つめて一瞬色めき立った巽だが、


「経験半年以上、国内順位八〇〇〇番台以上……」


 応募前からお祈りメールが届けられたような有様で、巽はがっくりと肩を落とした。

 そのときスマートフォンが軽快な音を鳴らし、巽は顔を上げた。マジックゲート社からの告知である。


「『ナマジラ地方・第二〇九開拓地でゴブリンの群れが増殖中。手堅く稼ぎたい新人パーティは第二〇九開拓地へ!』……」


 ゴブリンと言えば雑魚の中の雑魚、キングオブ雑魚としてよく知られたモンスターだ。ただ未だひよっこで初心者マークもいいところの巽にとって、舐めてかかっていいモンスターなど何一つ存在しない。

 巽はリンクをたどってゴブリンに関するデータを表示、それを脳裏に刻みつけた。


「人型系モンスター。体長一メートル強、子供のような体格で、総じて戦闘力は低い。レベル一以下の個体が大多数である。だが知能は高く、人間から奪った武器や毒を自在に使いこなし、統制の取れた群れで行動する。また、人間系種族を好んで襲うため魔法の使えるレベルの高い個体も混じっていることがある。『所詮ゴブリン』と油断していると思わぬ不覚を取ることになる、『初心者殺し』の代表格――」


 そして翌日、月曜日。いつもより少し遅い時間に起き出した巽はJR線に乗って大阪梅田へと向かった。

 普通電車に揺られること半時間。JR大阪駅で下車した巽は人波をかき分けるようにして歩いていく。約一五分頃、ようやく巽はマジックゲート社大阪支部に到着した。IC内蔵の冒険者カードをかざし、いくつかのゲートをくぐり抜け、巽がやってきたのは通称「棺桶部屋」である。

 空調の効いた静かな室内には繭に似た形の睡眠カプセルがずらずらと並んでいる。それは正式には「シュレディンガーボックス」という名前らしいが、その名で呼ぶ人間を巽は見たことがない。巽はその自分用の「シュレディンガーボックス」に身を横たえた。モーターが小さく音を立てながらカプセルの蓋をゆっくりと閉じていく。少しの時間を経てカプセルは密閉され、その内部は完全無欠の静寂に包まれた。

 外殻に強化プラスチックと炭素繊維、内部に特殊発泡素材を使用した「シュレディンガーボックス」はまるで小型の宇宙船のようで、どのような形であれ外側から内側の様子を観測することは絶対に不可能である。カプセルの中で何が起ころうと――隣りの宇宙、別の次元、異なる世界につながろうと、外側からそれをうかがい知ることは決してできないのだ。

 そして、巽は内側から蓋を開ける。その部屋に無数に並んでいるのは強化プラスチックの睡眠カプセルではなく、木製のシックな棺桶だ。もうすでにそこは異世界。メルクリア大陸の町の一つヴェルゲラン、その中のマジックゲート社ヴェルゲラン支部である。

 預けていた防具装備を身につけ、支部の建物を出た巽は散策するような足取りで町を歩いた。中世ヨーロッパに近いがどこか違う異世界の町並み。道を行き来するのは異世界人の他、巽と同じくマジックゲート社に属する冒険者達だ。店の看板には現地語と共に、地球人のために英語が併記されている。

 しばらく歩いた巽は町の一角の露天商が並ぶ広場、通称青空市場へと到着した。青空市場はこの町で一番人間が集まっている場所である。巽と同じくマジックゲート社に属する冒険者の他、比率は小さいがエルフやドワーフの姿を見かけることもできる。そして、一番数が多いのがメルクリアンと呼ばれる鳥人間だった。

 メルクリアンは子供のように小柄で華奢な体格で、頭部には髪の毛の代わりに鳥の羽根のようなものが生えており、それが翼みたいな形となっている。目は白目の部分がほとんどなく、大きく丸い。彼等メルクリアンはこの世界、この大陸の支配種族であり、大陸の名前も彼等に因んでいる。マジックゲート社も彼等メルクリアンと契約を結んでこの世界に冒険者を派遣しているのだ。


「お客さん、どうですか? いい防具が入ってますよ」


「じゃあちょっと見せてもらいます」


 メルクリアンは商業種族であり、商売のために地球語――英語を習得している。巽達冒険者も彼等の言葉を学習しており、意思の疎通に不自由を感じることはなかった。

 巽は吸血コウモリに噛まれて破れたグローブの代わりを探している。メルクリアン商人に出してもらったのは中古だがナックルに鉄鋲が仕込まれていて、攻撃力もありそうなものだった。手に填めてみた感触も悪くない。


「良いグローブだな。いくらですか、これ」


「中古だから安くしておきますよ! 二〇メルクぽっきり!」


 笑顔で告げられたその値段に巽の顔面から脂汗が噴き出した。


「に、にじゅうめるく……! 今のレートだと二二万円、グローブ一つに二二万!」

 一メルクの交換レートは一〇〇米ドルと固定されており、円・ドルの今の相場から二〇メルクは二二万円弱となる。


「いえ、あの、厚手の良い革を使っていますし、下手な安物を買うよりは……」


 控えめに述べられた商人のその説明は巽の耳に入らないようだった。巽はグローブを握り締めたままハムレットのように懊悩する。


「工場の時給が千円だから二二〇時間分、八時間で割って約二七日、二〇日で割って約一・四ヶ月分……グローブ一つに一月半!」


「たかだかゴブリン二〇匹じゃない」


 不意にかけられた声にふり返ると、そこに立っているのは見覚えのある二人の少女だ。


「何でアルバイトで買う計算しているんだろうね。冒険者なのに」


 不思議そうにそう言うのは「はじめ」と呼ばれた戦士職の少女で、「ちょっ、はじめ!」と慌てているのはその姉妹のメイジの少女だ。


「君達はあのときの……」


「それで買うの? 買わないの?」


 はじめに詰問され、巽は沈黙する。だがそれも長い時間ではなかった。


「ああ、君のおかげで決心がついた」


 そう言った巽がメルクリアン商人へと向き直って手にしているグローブを差し出し――


「そっちの三メルクのやつください」


「買わないのかよ!」


 商人と二人の少女の声が今、一つとなった。

 結局三メルクの、一番の安物を購入した巽に対し、


「……いや、他人が口出しすることじゃないけど、新人のうちは借金をしてでも良い装備を揃えるのがセオリーなんじゃないの?」


「そうやって、借金して買ったのがこの鎧なんだ」


 と巽は自分の金属鎧を指し示した。その鎧は大きく破損した箇所を継ぎ当てて修繕していて、かなり不格好な代物だ。だがこんな中古のオンボロの鎧でも二五〇メルクもしたのである。


「ローンの返済で首が回らなくて、これ買ったら毒消しを買う金もなくなるんだよ」


 その説明に何も言えない彼女達に対し、巽は「でも」と続けた。


「君の言うことももっともだ。明日はゴブリンを狩りに行って、ポイントと金を稼ぐことにする」


「もしかして第二〇九開拓地ですか?」


 メイジの少女の問いに巽が「ああ」と頷き、


「わたし達も明日そこに行こうって話をしていたところなんです」


 メイジの少女が朗らかな笑顔でそう言う。彼女は一瞬の躊躇いを踏み越えて巽へと提案した。


「あの! 良かったら明日わたし達と一緒に狩りに」


「よろしくお願いします!!」


 即答だった。頭から食らいついて死んでも逃さないと言わんばかりの即答だった。巽の精一杯の笑顔にメイジの少女はドン引きとなっている。巽は決して不細工ではないが目つきが悪く、常に怒っているような仏頂面である。さらに身長が一八〇センチメートル近くあり、身体もよく鍛えられている。その顔つきもその体格も、小柄な少女達を威圧して余りあるものだった。


「……いや、まあ。そこそこ戦えていたのは見たけどさぁ」


 姉妹の軽率な勧誘にはじめは呆れ顔だが、頭ごなしに反対もしなかった。


「とりあえず冒険者メダルを見せてくれないかな。わたし達も見せるから」


「それもそうだな。どうぞ」


 はじめの提案に巽も頷き、冒険者メダルを交換する。冒険者メダルはマジックゲート社が発行する、この世界における冒険者の身分証である。石のメダルには氏名・職業・ランク・獲得ポイント・国内順位等が記載されていて、そのデータは週に一度更新されている。例えば現時点の巽のメダルは以下のような内容となる。


「花園巽/戦士/ランク外/二九九ポイント/一万一四七九位」


 一方、彼女達のメダルには、


一乗寺いちじょうじはじめ/戦士 /ランク外/三四三ポイント/一万一三四一位」


一乗寺いちじょうじひかり/メイジ/ランク外/三二五ポイント/一万一三九六位」


 巽は「こ、これは……!」と短くない時間身体と心を硬直させた。少女達は不思議そうに首を傾げている。


「五月試験の合格者だと……ようやく研修が終わったところじゃないか! 俺が合格したのは三月試験でこの子達より二ヶ月だけでも先輩なのに、もう国内順位で追い抜かれてるなんて……!」


「いえ、その、研修で受け持ってくれたのがかなりの高順位の人達で、ずっとその人達と一緒に狩りをしていたから……」


 メイジの少女――ひかりがそうフォローをする。我知らずのうちに内心が口からだだ漏れとなっていたことに巽はさらに動揺するが、ひとまず大きく深呼吸。無理矢理にでも心を落ち着かせた。


「いや、実力がなければ魔核もポイントも稼げない。この順位は君達の実力だよ」


 彼女達は曖昧な、ちょっと困ったような顔をする。巽は態度を切り替えて二人に向き直った。


「それでどうする? 俺は君達と狩りに行くことに異存はないけど」


「こちらもです、改めてよろしくお願いします!」


 ひかりが深々と頭を下げて挨拶をする一方、はじめは「つーん」とそっぽを向いている。だが不服があるわけでもないようだった。こうして巽は臨時でもパーティを組むこととなったが、これは研修を終えてから初めてのことだった。


「それじゃまた明日」


「はい、さようなら」


 他の買い物も済ませた三人はマジックゲート社の支部に戻ってきて、巽と一乗寺姉妹はそこで別れることとなった。今日はまっすぐ家に帰ってゆっくり英気を養い、明日はゴブリン狩りである。










 そして翌日。巽は早い時間からメルクリア大陸へとやってきていた。


「おはようございます、花園さん」


「おはよう、二人とも。今日は頑張ろう」


 ヴェルゲラン支部ではじめ・ひかりの一乗寺姉妹と合流。三人は転移魔法により開拓地へと向かった。ヴェルゲラン支部の転移の魔法陣を踏んで第一分岐施設へ。さらにそこから第二〇三開拓地へ、そして第六分岐施設へ。中継地点をいくつか挟み、三人は第二〇九開拓地へと、そのベースキャンプへと到着した。今、三人の前には人工物のほとんどのない、豊かな自然が地平線の果てまで広がっている。


「何十キロも離れた開拓地まで徒歩五分、魔法ってすごいですよね」


「地球だって負けてないと思うけどね」


 そのベースキャンプには巽達の他にも冒険者のパーティが集まっている。ゴブリンを狙いに来たところを見ると彼等は巽達と大差ないひよっこ冒険者のようだった。


「さあ、行こうか」


 とはじめが促し、巽とひかりが頷く。三人はベースキャンプを出て森の中へと、狩り場へと向かって出発した。

 ……ベースキャンプを出て約半時間、三人は静かに森の中を進んでいた。先頭を歩いているのははじめ、その後ろを巽とひかりが並んでいる。ひかりはずっと何か言いたげにしていて、結局それを言えないでいる。そんなひかりの様子に巽が気付くのに少しばかり時間が必要だった。


「どうした? 何か言い忘れていたことでもあるのか?」


「は、はい。確認し忘れていたんですけど」


 巽に促されたひかりが意を決してそれを告げる。


「その、回収した魔核は誰がどれだけ討伐していても、最後に三人均等で分配、でいきませんか?」


 全てのモンスターはレベルに応じた魔核を有しており、モンスターの身体を破壊してその魔核を手に入れることが狩りの全てである。冒険者が回収した魔核はレベルと数量に応じてマジックゲート社が買い取りをし、マジックゲート社は集めた魔核をメルクリアンとの取引に使うのだ。

 ひかりの提案に巽は「え?」と戸惑いの声を出した。


「俺は別に構わないけど、それだと君達の方が損をするんじゃないのか?」


「別に構わない。でもその代わりひかりの直衛をやってほしいんだ」


「もちろん花園さんにもちゃんと支援をしますから」


 その説明に巽は「ああ、そういう役割分担ポジショニングか」と納得する。


「判った、それで行こう」


 巽があっさりとそれを承諾し、ひかりは安堵の様子を見せた。実際、回収した魔核の分配を巡ってトラブルとなり、解散に至ったパーティの話は珍しくも何ともないものだった。


「――二人とも」


 先頭を歩いていたはじめが張り詰めた声を出す。巽もひかりも一瞬で意識を戦闘態勢に切り替えた。はじめは前方を、ずっと先を見つめている。巽もその真似をして前方を見つめたが標的の姿を見つけることができない――いや、すぐにそれが姿を現した。背の高い草を割って現れたのは醜い小鬼、ゴブリンだ。非常に粗末な、自作と見られる木の槍を持っているのが六匹ほど、冒険者から奪ったと思しき剣を持っているのが一匹。


「ひかりをお願い!」


「判ってる!」


 はじめがメイスを握り締めて走り出し、巽はひかりの盾となる場所へと移動する。はじめは自分の身長ほどもある大きなメイスを振り回し、それを投擲した。凶悪な質量を持ったメイスがロケットのような勢いで飛んでいき、一匹のゴブリンを粉砕、耳障りな悲鳴が響き渡った。

 仲間の一匹を失ったゴブリンだがモンスターがその程度で怯むことはない。彼等のうち二匹がひかりを標的と定めて突撃してきた。巽が「来たな!」と剣を構え、ひかりが高々と杖を掲げた。


加速ハイスピード!」


 急にゴブリンの動きが鈍くなる。まるで水の中で動いているかのような緩慢さであり、巽は一瞬訝った。だが次の瞬間には理解する、ゴブリンが遅くなったのではなく自分の思考速度が速くなったのだと。これが支援魔法の威力なのだと。

 巽の目の前までやってきたゴブリンは短い槍を振り回すが、その速度はあまりに遅い。巽はするりとその槍を躱し、長剣をゴブリンの頭部に叩き付けた。西瓜のようにゴブリンの頭部が砕け、完全に絶命する。吐き出された光球――魔核は無事に巽の長剣に回収された。

 さらに返す刀でもう一匹始末したところで支援魔法の効果が切れた。効果があるのはほんの一〇秒ほど、体感時間では二〇秒ほどだろう。だがその威力は絶大だった。

 支援魔法の代表格「加速」はそれを受ける側の思考速度を二倍・三倍に加速する。ただ筋肉の反応速度そのものは加速できないため二倍速・三倍速で動けるわけではないが、モンスターとの闘いでは一瞬の判断が生死を分けることもある。支援魔法の有無には天地ほどの差があった。


「そりゃ、こんな魔法を使ってもらえるなら順位なんて簡単に上がるだろう」


 そう思ってはじめの方を見てみると、メイスを投擲して無手となったはじめへと向かい、残りのゴブリンが突撃している。武器をなくしたはじめを与しやすい相手を見なしたのだろう。はじめを助けるべく巽は慌てて駆け出そうとし――その足が止まった。


「来い! 百手の巨人ヘカトンケイル!」


 はじめの声に応えて彼女のメイスが文字通り飛んでくる。その勢いでまずゴブリンの一匹の頭部を粉砕。メイスを掴んだはじめの身体が一回転し、メイスを振るう。横殴りにされた最後の二匹は血を撒き散らしながらすっ飛んでいった。


「……すごいな」


 複雑な内心を仏頂面で隠し、嫉妬や羨望や賞賛を煮詰めた一言をこぼす巽。だがはじめは不思議そうに首を傾げるだけである。


「ごめん、一匹逃した」


「いやそんなことより……もう固有スキルに目覚めているんだな」


 巽の確認にはじめは「まあね」と頷く。固有スキルとは冒険者にとっての必殺技のようなものであり、冒険者一人一人が他の誰とも違うそれを有していると言われている。


(手に触れずとも武器を自在に操る「百手の巨人」。俺にもそんな固有スキルがあれば……)


 未だ固有スキルに目覚めていない巽にとってはじめのそれは、喉から手が出るほどに渇望するものだった。


「もっと大きな群れがいるかもしれない。逃げた奴を追ってみよう」


 はじめが先頭に立って歩き出し、巽とひかりがその後に続いた。


(それにしても……)


 と巽は思わずにはいられない。


(この子の補助魔法もすごい威力だし……)


 巽がまじまじとひかりを見つめ、


「……あの、何か?」


 そのぶしつけな視線に居心地の悪い思いをしていたひかりが咎めるように問い、巽は「ああ、済まない」とまず謝った。


「メイジはド新人でも引く手数多だって話だけど、君達くらい力があるならどこのパーティでも歓迎されたんじゃ?」


 巽の疑問にひかりは「えーっと」と苦笑した。


「確かに同期の連中からは散々勧誘があったんだけど、あまりにしつこくて嫌になっちゃって」


 ひかりの代わりにはじめがそう答え、ひかりが補足した。


「研修を受け持ってくれた人のパーティに入れてくれるかな、って期待していたんですけど、ちょっと虫が良すぎたみたいです」


 ひかりは自分の図々しさを恥ずかしがり、それを笑ってごまかしている。なるほど、と巽が頷いた。


「それで二人で」


「うん。でもやっぱり肉壁が必要だなって話になって」


 身も蓋もない物言いにひかりが「はじめ!」と慌てている。


「その、わたしの直衛がないと色々と不都合がありまして」


「まあ、それが標準的スタンダードな編成だっていうのは判る」


 不快感を抱いていないわけでは、もちろんない。「しまいには泣かすぞ、このクソガキ……!」という罵倒の文句が巽の腑でわだかまっている。だがそれを抑えるだけの分別と計算が巽にはあった。


「自分の役割はちゃんと果たすさ。この狩りだけのパーティにするのはもったいないって思わせる程度には」


 巽が挑むようにそう宣言。ひかりは安堵と戸惑いを半々にし、はじめは興味なさげに「つーん」とそっぽを向いていた。

 ……時間はあっという間に流れ去り、日差しは傾きかけている。巽達三人は延々と森の中を歩き回り、全く獲物を見つけられないでいた。


「まいったな。三人もいるのに狩れたのがゴブリン六匹だけなんて」


「このままじゃ今日は不漁で終わりそうですね」


 途方に暮れたような巽と、暗い表情のひかり。一方はじめは、


「――二人とも、静かに」


 何かに気付いて警告を発する。巽の心は「獲物か」と喜びに沸き立った。

 三人の目の前には高さ一〇メートルに満たない丘がある。這うようにして、細心の注意を払ってそれを乗り越え、


「これ……」


 ひかりが声を引きつらせる。丘の向こうにいたのは待望のゴブリンの群れだったのだ。ただ、その数が多い。ざっと数えてゴブリンは五〇匹近くいるようだった。


「こんなところにいやがったのか」


「良かった、今日は骨折り損になるかと思っていた」


「でも、多くない? わたし達じゃ厳しいんじゃ……」


 好戦的な笑みを見せるはじめの一方、ひかりは不安を抱いている。ゴブリンに気付かれないよう三人は小声で相談を続けた。


「この程度なら何とかなる。これを見送ったら今日は一人二メルクだ、そんな稼ぎじゃ帰れないだろう?」


「確かにそうだ。この群れを潰せばまともなグローブも買えるようになる」


 はじめが掃討を強く主張し、巽も賛成に回る。ひかりの懸念を押し切る形で群れの掃討実行が決定された。

 とは言え、剣を掲げて群れに突っ込み、当たるを幸い斬って捨てて、と無双するわけではない。いくらゴブリンが相手でもそれをやるには巽達はあまりに力不足だった。三人は手早く作戦を立てて、それを実行に移す。


「……いきます! 炎爆フレイム・ボム!」


 まずひかりが攻撃魔法を群れのど真ん中に叩き込んだ。ゴブリンは大混乱となり、さらには巨大なメイスが飛んできて仲間を虫けらのように殺していく。ゴブリンは恐慌状態となるが、一部のゴブリンが攻撃者を発見した。


「Kikikikiki!!」


 ゴブリン達が丘の上を指差し、金属的な啼き声を出している。一〇を超えるゴブリンが丘を駆け上がってきた。ゴブリン達の狙いははじめとひかりだが、その彼等の前に巽が肉壁――もとい、鉄壁となって立ちはだかる。


「ここは通さねーよ!」


 高低差の優位を生かした巽は接近するゴブリンを次々と屠っていった。


「なぎ払え! 百手の巨人!」


 はじめは固有スキルでメイスを縦横に振るい、ゴブリンを一方的に殺戮する。ひかりが補助魔法でそれを支援し、


「グローブ代! ローンの返済! あと晩飯に何か肉!」


 巽も地味に頑張った。

 戦いと言うよりは駆除と言うべき、圧倒的な戦闘が続く。既に七割近くのゴブリンが死体となっていた。それでもゴブリンは潰走せず、その場に踏みとどまっている。


「くそ、さすがに疲れた……」


 固有スキルを使いすぎたはじめは疲労の色が濃くなり、ひかりも魔法の使い過ぎで魔力が底をつこうとしている。回復薬で魔力を補充しても気力体力まで回復するわけではないのだ。一方たった二ヶ月だが二人よりも経験が長く、日々の肉体労働で鍛えている巽にはまだまだ余裕があった。身体をふらつかせるはじめに対し、


「でも残り少しだ、ポジションを替わるか?」


「そうだね、お願いしようか」


 はじめが後退し、巽が群れに突撃して残りを片付けようとし、ひかりが魔力を振り絞って大規模な攻撃魔法でそれを支援しようとした、そのとき。


「なっ?! はじめ!! 花園さん!」


「Kikikikiki!!」


 ひかりが悲鳴を上げるのとゴブリンの雄叫びが響き渡ったのはほぼ同時だった。後方から轟く耳障りな啼き声に、


「――な」


 振り返った巽が絶句する。緩やかな坂を駆け上がってゴブリンが接近してくる! その数は少なくとも五〇匹以上、はじめやひかりは大いに狼狽えた。


「そんな馬鹿な! ゴブリンが挟み撃ちなんて?!」


「ど、どうしよう、どうするの!?」


 実際のところゴブリンの増援も挟み撃ちもただの偶然なのだが、彼女達にはそこまでは判らない。考えすぎの迷路に迷い込んで立ち尽くす二人に対し、巽は何も考えずに戦闘本能だけで行動を決した。


「あの増援の真ん中に魔法を!」


 巽の鋭い指示にひかりの身体が反射的に動き、「炎爆」の魔法が後方の群れの真ん中に叩き込まれる。ゴブリンの増援部隊は大きく混乱した。巽がひかりの手を引いて走り出し、その後にはじめが続く。三人は増援部隊の真ん中を突っ切って一気に走り抜けた。ゴブリンは悔しげな啼き声を上げ、群れを成して三人を追いかけてくる。巽達は止まることなく走り続け、逃げ続けた。

 だが、三人の必死の逃避行はそれほど長くは続かなかった。巽はともかくはじめとひかりは気力と体力がもう限界だったのだ。


「も、もうだめ……走れない」


「こんな森の真ん中で!」


 へたり込むはじめに対し、巽は罵声を上げてしまう。


「せめてそこの岩場まで走れ!」


 顔を上げて巽が指差す先を見つめ、はじめは残った気力を振り絞って立ち上がる。三人がその岩場に到着したのと同時に何十匹ものゴブリンが彼等を完全包囲した。巽達は大きな岩を背にしているため背後からの攻撃は気にする必要はない。だが逆に言えばもう袋の鼠で、敵から逃げようがなかった。


「花園さん、救難信号は上げました!」


「よし! あと救援が来るまで粘ればいいだけだ!」


 ひかりが救難信号用の狼煙玉に着火し、着色された狼煙がまっすぐに上空へと立ち昇っている。へたり込むはじめ達の前に巽が仁王立ちとなり、縦横に剣を振るって二人を守った。


「うおおおっっ!!」


 巽は雄叫びを上げて自分を奮い立たせる。足は鉛よりも重くなり、もう一歩だって歩きたくない。疲労という名の死神が全身にすがり付いていて、腕を振り上げるのも一苦労だった。心臓は破れそうで肺は潰れそうだが、それでも巽は剣を振り回して戦い続けた。


「ベースキャンプはすぐそこだ! 粘っていれば必ず救援は来る! こんなところで誰がくたばるか!」


 巽は自分に言い聞かせるようにそう言う。その声が届いたのか、ひかりが顔を上げて立ち上がろうとした。だが、


「は、花園さんあれ!」


 とひかりが群れの中を指差す。そこにいたのは弓に矢を番えた一匹のゴブリンだった。その矢はまっすぐに巽を狙っている。

 一瞬硬直する巽、まるでその隙を狙うようにゴブリンが矢を放った。次の瞬間には自分を取り戻した巽だが、矢はもうそこまで迫っていて――


「くそったれっ!」


 咄嗟に巽は手で矢を払う。せっかく買ったグローブは破れて血が飛び散ったが、矢は失速して地面に突き刺さった。


「ちっ、やっぱり鉄鋲のグローブを買えば良かったかな」


 と巽は苦笑する。巽は痛みに顔をしかめながら剣を握り直し――長剣が掌から滑り落ちた。突然支えがなくなかったかのように巽の膝がくずれ、その身体が横倒しとなる。


「花園さん?!」「花園さん!」


 二人の動揺した声がやけに遠くに聞こえた。


「これは……毒か」


 鏃に毒が塗ってあったのか、と巽は理解。ベルトポーチから毒消しのポーションを取り出し、震える手で何とかそれを飲み込む。その間にもゴブリンの包囲網は狭まっている。

 ひかりは涙を拭って立ち上がり、攻撃魔法の呪文を唱えた。だが護衛のいないメイジなどいい的でしかない。ゴブリンの放った矢はまっすぐにひかりの胸に突き刺さり、彼女は声も出さずに崩れ落ちた。


「ひかり!! ひかり!!」


 姉妹の姿にはじめは半狂乱となっている。巽の心が絶望で腐食しようとしていた。幸い毒消しは効いてきたようだがまだまともに戦える状態ではなく、ひかりは倒れ、はじめはただ泣き喚くだけだ。


「……これまでか」


 嘲笑するように牙を剥き出しにし、迫り来るゴブリンの群れに巽も自分の最期を覚悟し――その群れの半数が四方に吹き飛んだ。


「な――」


 攻撃魔法が叩き込まれたのだ、と巽が理解する前に何人もの冒険者がゴブリンの群れへと突貫する。


「ヒャッハー! メルク金貨が転がってるぜ!」


 巽達よりずっと順位が上で、経験も比べものにならない冒険者が何人もいるのだ。五〇やそこらのゴブリンなどただのキルスコアでしかない。見る間にゴブリンは掃討されてしまっていた。

 ……そして少しの時間を経て、ゴブリンの殲滅により狩りが終わり、


「ありがとうございます。助かりました」


 巽は救援に来てくれた冒険者の一人に頭を下げる。その冒険者は「てめーはな」と吐き捨てるように顔を背けた。


「ひよっこのくせに背伸びをして、無理をするからだ」


 と彼は憤った顔をする。その視線の先にははじめとひかりの、姉妹の姿があった。横たわるひかりをはじめが抱きかかえている。


「飲んでよ……お願い、飲んで。早く飲んで」


 嗚咽混じりにはじめが哀願し、ひかりに毒消しのポーションを飲ませようとする。だがひかりはそれを飲もうとしなかった――もう二度と。

 いつの間にか日差しは傾いている。時刻は日没に近付いていた。










「……ここは」


 転移門をくぐり抜け、元の世界、日本の大阪に戻ってきたことを巽は理解する。次の瞬間、巽はバネのように飛び起き、カプセルの蓋を無理矢理こじ開けて周囲を見回した。

 この部屋に目当ての人物がいないことを把握した巽は走り出し、この部屋を飛び出し、隣の部屋へと向かう。さらに隣の部屋へ、さらにさらにその隣の部屋へと見て回り、六つ目の部屋でようやく巽は目当ての人物を発見した。


「あああ……あああぁぁぁあああ!!!」


 一人の少女が完全に狂乱していて、それをマジックゲート社の職員が複数で取り押さえようとしている。巽は少女に近寄った。


「はじめ……ひかりは」


 声をかけられ、目を見開くはじめ。はじめはこの感情の行き所を発見したようだった。


「あんたが! あんたが……!!」


 はじめが巽に殴りかかり、巽は甘んじてそれを受けた。何発も殴られないうちに職員がはじめを制止。彼女は力尽きたように床に崩れ落ち、身も世もなく泣き喚いている。

 巽は睡眠カプセルに横になっているもう一人の少女へと視線を向けた。まるで眠るように静かに、穏やかな表情で横たわっているひかり――だが彼女の心臓はもう動いていない。彼女はもう呼吸をしていない。異世界のどんな魔法を使おうと、彼女を生き返らせることは絶対に不可能だった。

 向こうの世界でモンスターに殺されればこちらの世界でも死ぬ――それは冒険者となった者が最初に叩き込まれる常識であり、最期に直面するどうしようもない現実だった。

 巽はひかりの眠る「シュレディンガーボックス」を見つめる。それが「棺桶」としか呼ばれない理由を、巽はようやく骨身にしみるほどに実感していた。










 日本には現在、一万二千人の冒険者がいる。

 毎年新たに冒険者となるのは約一二〇〇人。それとほぼ同数が毎年冒険者を廃業している。

 廃業の理由は様々だ。世間で言われるほどに儲からないため失望した者。いくら頑張っても順位が上がらないため見切りを付けた者。狩りに失敗して心身に深い傷を負った者。そして、モンスターに殺された者。

 日本国内における死亡による廃業は、年間で二〇〇人程度である。




 第一話は大幅改訂しましたが二話以降は加筆訂正のみです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] キャスターに初撃あてさせて大量のヘイトを稼がせるなんて地雷にしかできない芸当ですね 主人公がパーティを組めない方が皆のためかも [気になる点] 何で異世界に出稼ぎに行ってるのかな しかも肉…
[良い点] 主人公が(というよりは初心者)の愚かさが出ていていい。 色々理由考えたけど、100%の勝率以外で行動するってのが死亡フラグなんだよなあ・・・ [一言] 折角なので最初から読み直して感想書い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ