第一一話「振り出しに戻って三ヶ月休み」
一二月二五日月曜日、午後二時。病院の病床で一晩を過ごした巽はようやく解放された。
「大変だったな。まあ、悪いことにはならないと思うから」
「ありがとうございます」
彼に同情する医者に礼を言い、巽は病院を後にする。その巽を、
「巽さん」
「巽先輩」
「巽君」
「少年」
「巽ちゃん」
「巽」
六人の人間が出迎えてくれた。これほどの人達が自分を気に懸けてくれたことを嬉しく思い、また心配させたことを申し訳なく思う。
「しのぶ、美咲、ゆかりさん、熊野さん、高辻さん……母さん。ありがとう、それに色々とごめん」
巽は彼等に深々と頭を下げた。その巽の前に美咲としのぶが進み出……少しの間言葉を詰まらせた。
「巽先輩が謝ることなんて……巽先輩一人にこんなことを押し付けて、わたしは」
美咲は目に涙を溜め、歯を軋ませた。しのぶも悔し涙を拭っている。
「二人のせいじゃない。おれが短気を起こしただけで」
「いえ、これはわたしの」
「いや、元を辿れば俺が」
と熊野も謝罪合戦に参戦してきて状況は混沌とするばかりだ。そのとき、
「はい、それまで!」
ゆかりが両掌を打ち鳴らす。一同の注目を集めたゆかりは一呼吸置き、暖かく笑った。
「やっちゃったものは仕方ない、魔法を使ったって時間はもう戻せないんだから。でも先に進めることはできるんだから、これからのことを考えよう?」
「そーだな。いつまでもここにいても病院の迷惑なだけだから、どこか落ち着ける場所に移動しようぜ?」
ゆかりと高辻の提案を受け、巽達七人は移動する。熊野と高辻の自家用車に分乗し、向かった先はゆかり達三人のシェアハウスだ。約三〇分後、巽・ゆかり・美咲・しのぶ・熊野・高辻・宮乃はシェアハウスの居間に集まっていた。巽の入れたお茶をそれぞれが飲み、ようやく人心地付いている。
「――それで、怪我は大丈夫なの? 後遺症は?」
宮乃が待ちきれなかったようにそれを問い……巽は思いがけないことを訊かれたように目を見開いた。
「こんなの怪我のうちに入らないだろ。治療薬を使えば――」
巽は自分の言葉に気まずい顔をする。彼はもうメルクリアに行くことも、魔法の治療薬を使うこともできないのだから。
「相手は一一人もいて、全員凶器を持っていて、滅多打ちにされたのに、大丈夫なわけないでしょう?!」
「いやでも、何人いようとゴブリン以下の雑魚なわけだし」
宮乃以外は巽の怪我についてはほとんど心配していない。冒険者とそうでない者の意識の乖離は、日本海溝よりも深くて広かった。
「まーまー、お嬢ちゃん落ち着いて。飴舐める?」
「わたしはあなたより年上です!」
高辻はキャンディを差し出し、宮乃が怒っている。でも結局キャンディを受け取り、宮乃は自棄になったようにそれにかじり付いていた。
「……で、巽ちゃんよ。一一人相手に喧嘩してどうだった? 何を考えていた?」
宮乃が静かになった隙を突くようにして高辻が質問。巽は少し考えてそれに答えた。
「手加減が大変でした。下手に本気を出したらすぐに死んじゃいそうだったんでできるだけセーブしたんですけど」
「でも相手は全員病院送り。力の差は歴然だったんだから、もっと上手くやれたんじゃないの?」
高辻のその疑問に、
「相手は一一人もいて、全員武器を持っていて、それを本気で使っていたんですよ?!」
「刃物を使った人もいました。いくら巽さんでも、冒険者でも、刺されたらただじゃ済まないです」
美咲としのぶが抗議の声を上げる。高辻は「判ってる判ってる」と手振りで二人を抑えた。
「……冒険者になる前、高校生のときも野球や自主トレでそれなりに鍛えているつもりだったけど、そのときは一一人相手にあんな喧嘩なんかできなかった」
巽が不意にそんなことを言う。
「相手が三人でも一方的にリンチされて、半殺しにされて終わりだったと思う。冒険者になってから俺は強くなった……常識では考えられないほどに」
「メルクリアってのはそういう場所だ。重い鎧を背負って一日中歩き回って、剣を振り回してモンスターと本気の殺し合いをして、それを毎週ずっとやっていれば誰だって強くなる。でもそれだけじゃない。メルクリアはより高い次元にある場所だとされている」
「次元?」
宮乃が胡散臭そうな顔をするが高辻は大真面目だ。
「霊魂と物質の二元論ってのがあるのはご存じでしょ? で、大体霊魂の方が上で物質は下って扱いなんだけど、こっち側・地球側は物質の影響が強い場所、より下にある場所だとされている。だから魔法も存在しない」
「ディモンやメルクリアはより上にあって、より霊魂の影響が強い場所だから魔法が使える?」
ゆかりの確認に高辻は「そういうこと」と頷いた。
「ディモンとメルクリアを比較すればメルクリアはより高い場所になるらしい。メルクリアで狩りを続ければ冒険者は身体が鍛えられて物理的に強くなる――でもそれだけじゃない。モンスターのカルマを得、それを自分のものとし、霊魂のあり方そのものを強くすることができる」
「そうなると、どうなるんですか?」
要領を得ない様子の宮乃に対し高辻が説明を重ねた。
「簡単に言うと『これくらいできて当然』と思うことが本当にできるようになる、ってことかな。向こうでは魔法があるから普通にできるけど、こちらではできない……ひよっこのうちはそう感じているんだけど、順位が上がれば『魔法がなくたってこのくらい普通にできるだろ』って思うようになる。そして本当にできるようになる」
「俺も刃物くらいははね返す自信があるぞ」
と熊野が己が筋肉を誇示。しのぶも、
「わたしも昨日の夜『隠形』を使いました」
二人の発言を引き受けて高辻が「例えばこんな感じにね」と説明をまとめる。宮乃もある程度は理解が及んだようだった。
「わたしはこっちで魔法が使える感じが全然しないんだけど?」
ゆかりの異議に高辻が補足する。
「魔法みたく、こっちに全くない現象を引き起こすのはハードルがかなり高いらしい。白銀クラスのメイジでもこっちで魔法を使ったって話は聞いたことがない。黄金クラスにまでなれば固有スキルをこっちでもかなり使えるって話を聞いたことがあるが、本当かどうかはさすがに知らん」
「俺みたいな戦士職がチンピラ相手に無双するのは常識や物理法則上あり得る範囲だからハードルが低かった、と」
巽の確認に高辻は「そういうことね」と頷いた。
「――巽ちゃんみたいな石ころの低順位でもこれだけの力を持てるようになるんだ。冒険者の力ってのは、その殺傷力は銃器とほとんど変わらない。銃器を持った人間が自制を求められるのは当然だし、どういう理由があってもそれで人を傷付けたなら銃器を没収されるのも仕方ないだろう?」
「だからって……!」
「冒険者登録を抹消するなんて……」
美咲としのぶが抗議しようとするがそれ以上何も言えないでいる。その二人を、
「いいんだ、二人とも」
そう言って慰めるのは巽だった。
「抵抗しないでいることもできたんだ。あの連中に何をやられたところでたかが知れているんだから。でも喧嘩を買うことを選んで相手に大怪我を負わせたのは俺の選択だ。登録を抹消されるかもしれない――それが判っていて、それでも選んだんだ」
「そりゃ誰だってそうする。俺だってそうする」
熊野が大きく頷き、高辻もまた「だよねぇ」と深々と頷いている。だが女性陣の賛同はあまり得られないようだった。
「少年の行動は間違っていたとは俺は思わん。正直に言えばチンピラ共が大怪我しようとただの自業自得だろう、少年が責任を負わされるような話じゃない。――ただ、マジックゲート社が少年の登録を抹消するのも常識的な判断、社会通念上当然の決定であって、それを覆すのも難しいとも思う」
「まあ、登録抹消は巽ちゃんを守るためでもあるんだ。『社会的制裁はもう充分に受けている、本人も深く反省している』ってことで、これならまず起訴される心配はない」
「そんなの当然でしょう」
と宮乃が改めて憤り、それをゆかり達が「まーまー」と宥めた。
「気持ちはよく判るけど、過剰防衛に問われないとも限らないしねぇ。念のために共済が腕利きの弁護士を派遣する手筈になっている」
マジックゲート社とは別に、冒険者の互助組織として「冒険者共済」なるものが存在する。障害を負って引退した冒険者への支援、冒険者の家族(遺族)への支援などが主たる業務だが、その他「冒険者が暴力事件に巻き込まれたときに弁護士を派遣する」のも業務の一つだった。冒険者がチンピラに喧嘩を売られることは決して稀な話ではないのである。
「何から何まで済みません」
と巽が頭を下げ、
「いいってことよ。おっちゃん共済の役員でもあるからねー」
と高辻が手を振る。なお、高辻から連絡を受けた東山迅八が即座に自分の顧問弁護士を送り込み、彼等は既に巽の弁護のために手段を選ばず動いているのだが、それは高辻すらも知らない話だった。
「まあ、冒険者が暴力事件を起こして登録を抹消されるのはそれほど珍しい話じゃない。そして大抵の場合、もう一度試験を受けて冒険者として一からやり直している」
熊野の指摘に顔を俯かせていた美咲としのぶが顔を上げ、輝かせた。
「確かにそうです」
「あの『隻眼の復讐者』だって今は白銀クラスなんですから」
――「隻眼の復讐者」と呼ばれるのは白銀クラスのある冒険者だ。中学生の頃に非常に悪質ないじめの標的となった彼は一八歳になるまで不登校・引きこもりを続けていた。一八歳となってすぐに冒険者となり、彼は一年もかけずに青銅まで駆け上がり――その彼に、かつての同級生が目をつけたのだ。
かつての同級生達は以前と同じように彼から金を搾り取ろうとし……結果としてできあがったのは死んでいないのが奇跡のような、人間と見られる複数の物体だった。
当然彼は逮捕され、起訴も免れなかった。だが、相手が暴行や恐喝の常習犯だったこと、保護観察中だったこと、複数人でナイフを含む凶器を用意していたこと……何より、片方の目を失明するほどのいじめをくわえた張本人だったこと。これらの理由により彼に下されたのは執行猶予付の判決だった。
その後彼は試験を受け直して再び冒険者となり、二年もかけずに白銀クラスまで駆け上がっている。メディアへの露出はほぼゼロだが、「隻眼の復讐者」の名前は一部の子供達、一部の中高生にとっては伝説の、英雄の名だった――
「それなら急がないと! 今週中に願書を提出しないと一月試験に間に合いません」
「今から大阪支部に行って願書をもらってきましょう。明日には提出して、一月試験を受けて」
「それなら二月からまた狩りに――」
そう言って美咲としのぶは二人で盛り上がり、今にも席を立とうとしている。だが、
「あー、お二人さんや」
と高辻が水を差した。
「悪いけど一月試験は見送ってもらうべきだろうなぁ」
美咲達は一瞬言葉を失い、「どうしてですか!」と即座に噛み付いた。
「検察はまだ起訴とも不起訴とも決めてないんだぜ? ここで試験の願書なんか出しに行ったら『本当に反省してるのか、お前?』って思われて下手したら起訴・裁判ってことにもなりかねない。それじゃ登録を抹消した意味がないだろう」
「そんな……」
美咲が浮かせていた腰を座布団へと落とす。しのぶもまた肩を落とし、ただでさえ小さい身体をさらに小さくした。
「一月を見送って、三月に試験を受けて……」
「狩りに行けるのは四月からか」
「まあ、そんなもんだろう」
と熊野と巽と高辻。その結論に美咲はまた「そんな……」と呟いている。
「ただでさえ一からやり直しなのに、三ヶ月も狩り場を離れるなんて……」
「気が遠くなりそうだな」
と巽は笑っている。もう笑うしかない状況だった。今さらながら後悔の念が募ってきて、「こんなことなら無抵抗でいるんだった」と思うようになっている。
「もうこうなっちゃった以上、泣いても喚いても仕方ないよ? 美咲ちゃん、しのぶちゃん」
ゆかりは厳しく、また暖かく二人にそう言う。
「三ヶ月待てば巽君は戻ってくる――それを信じて頑張るしかないじゃない」
ゆかりの言葉に美咲は「はい」と、しのぶは無言のまま頷いた。二人とも完全に、ではないがこの現実を受け入れたようである。
「……でも、巽先輩がいないとかなり厳しいですね」
「そうですね。わたしがゆかりさんの直衛に回って、でもそうなると前衛が美咲さん一人に」
そう頭を悩ます二人を横目にし、巽は熊野に頭を下げた。
「熊野さん、俺がいない間だけでも正式にパーティに入ってもらえませんか?」
「え? いやだが」
と熊野は躊躇した。
「少年がこんなことになったのも元を辿れば俺が……」
「いえ、熊野さんはちょっとしたきっかけを作っただけです。……もう、俺達は色々と不運だったんだと思うしかないです」
熊野が二人の勤め先に行かなかったら、熊野の仲間が二人を隠し撮りしなかったら、その写真をネットの仲間に見せなかったら、ネットの仲間がその写真を拡散しなかったら、二人が勤務シフトを変更しなかったら、チンピラ共があの時間に店に行かなかったら、美咲が注文を取りに行かなかったら、チンピラの中にチャラ男がいなかったら……
ドミノ倒しの最初のピースを倒したのは、確かに熊野だったのかもしれない。だが事態をエスカレーションさせるようなピースを挟んだのは巽自身でもあるのだ。
「チンピラの一人は俺がいる工場に以前勤めていた奴でした。確かあいつは、去年ずっと冒険者試験を受け続けて、ずっと不合格だったって話です」
「なるほどね。嫉妬が原因でこんな真似を」
高辻の確認に巽は「多分」と頷いた――ついでに言うなら「嫉妬」の中身には単に巽が冒険者として成功しているだけでなく、「超絶可愛い冒険者」を二人もパーティメンバーにして侍らせている、チャラ男からはそういう風に見えた、ということも含まれるが、巽にそこまでは判るはずもなかった。
「あのチンピラ共と俺が遭っていたら、結局高い確率でこうなっていたんです。熊野さんは俺とあいつ等が遭うきっかけを作っただけで、それにしたって『風が吹けば』ってやつで熊野さんが責任を感じることは……いえ、責任を感じるんだったらむしろ俺の代わりを務めることでそれを果たしてください」
「お前の?」
熊野がそう問い、巽が確と頷く。熊野は少し考え込んでいたが、それも長い時間ではなかった。
「……ゆかりさんや、二人が許してくれるなら俺が少年の代わりを果たそう。俺の生命に換えても三人を守ってみせる」
「うん、よろしくねー」
ゆかりは軽い態度でそう言い、
「守られるだけのつもりはありませんが」
と美咲やしのぶもまた頷き、熊野を受け入れる意志を示していた。
「よろしくお願いします」
「でも服は着てください」
確固たるその要求に熊野は怯みながらも「わ、判った」と頷く。和やかな笑いが響き、居間は暖かな空気に包まれた。
……夕方となり、高辻や熊野は帰っていく。夕食を終えて、巽も自分のアパートに帰ろうとしていた。なお宮乃は巽の狭いアパートではなく三人のシェアハウスに泊めてもらうことになっていて、巽を見送っているところだった。
「皆さんは試験を受け直してまた冒険者をやることを前提にしていたけど……このまま辞めるつもりはないのね」
「当然だろ」
〇・一秒で巽が即答し、宮乃は深々とため息をついた。
「全く、何だってよりによって冒険者なんか……他の仕事でもいいじゃないの」
巽は無言のまま歩き出し、
「正月には帰ってきなさいよ」
「判ってる」
背中越しにそんな会話をし、巽は冬の道を歩いていった。
「『よりによって冒険者を』……言われてみれば、俺はどうして冒険者になろうと思ったんだっけ」
白い息と共に吐き出されたその疑問は空気に解けて、消えていった。
一二月二九日にアルバイト先で仕事納めをした巽は翌三〇日に帰省した。お金はないが時間だけはいくらでもあるので、青春一八切符を使っての帰省である。早朝に出発し、それでも実家に到着したのは夕方の遅い時間だった。
巽の実家があるのは石川県能登地方の西側。全国的に有名な観光地などない、典型的な地方の小都市だ。駅に降り立った巽を宮乃が自動車で待っていた。
「ただいま」
「おかえり」
簡単な挨拶をし、巽は自動車に乗り込む。宮乃の運転する軽自動車が数分走り、巽の実家……のある団地へと到着した。階段を登って実家へと入り、周囲を見回し、
「良かった。思ったよりもきれいにしているな」
「そりゃ掃除くらいわね」
と宮乃。彼女はコートを脱いでジャージのスポーツウェアだけとなり、こたつに潜り込んだ。
「でも大掃除で力尽きたから、あとよろしくー」
宮乃はだらけきった調子でそう言い、巽は肩をすくめる。そして腕まくりをし、夕飯の準備に用意に取りかかった。
……それからしばらくし、夕飯の時間となる。メインディッシュは巽の作ったおでんである。宮乃は熱々のそれを火傷しそうになりながらも喜んで食べている。巽はその母親の姿を眺め――普通なら「母さん、小さくなったな」とか「母さん、老けたな」などと感慨を抱くところだが。
(母さんが小さいのは昔からだし、昔から全然老けないよなー。相変わらず小学校では教え子に同級生扱いされてるんだろうな)
「……どうかしたの、巽」
何か失礼なことを考えているのを感じ取ったのか、宮乃が巽を軽くにらむ。巽は「いや、何も」とごまかした。
夕食を終えた巽は「ちょっと身体を動かしてくる」と外に出る。手に持っているのはマスコットバットで、向かった先は団地の近くの神社だ。人気のないそこで素振りをするのが昔からの巽の日課だった。
「……九九、百。よし、ウォーミングアップ終わり」
ただ、普通の野球の素振りは準備運動代わりに少しやるだけだ。それ以降は対モンスター戦を意識した剣の素振りや、狩りのイメージトレーニングとなる。想像上のモンスターを虚空に描き、それに向かってバットを振るう――小学生のうちならあるいはそれは微笑ましい光景だったかもしれない。だが巽は中学になってもそれを止めず、高校を卒業するまで続けていたのだ。
「結局ただの冒険者ごっこだったけどな」
実際にモンスターとの戦闘を嫌と言うほどくり返した今なら判る。想像のそれと現実がどれだけかけ離れていたかが。だが、一〇年間毎日続けてきたそれが無意味だったとは巽は思わない。その積み重ねが今の巽を作っているのだから。
マスコットバットを正眼に構え、巽は目の前にモンスターの姿を想像する。姿を現したのはレベル四〇のオーク、手には長大なハルバードを有している。想像上のオークが巽へと襲いかかる。巽はその攻撃を紙一重で躱し、オークの懐へと潜り込んだ。
「月読の太刀!」
美咲の真似をした一撃がオークの腹に炸裂。オークの胴体は両断され、吐き出された魔核がマスコットバットへと……
「昔と一緒か。やってることは何も変わらない」
巽は苦笑した。想像上のモンスターを、どこかの冒険者の固有スキルを使ってぶっ倒す――向上したのはイメージの精度だけで、やっていることの本質は小学校の頃と何一つ変わっていない。
「じゃあ次は『疾風迅雷』を使ってみるか」
昔なら動きの手本はネットにアップされた動画等だが、今の巽の脳裏には何人もの冒険者の動きが刻み込まれている。巽はそれを本に、深夜近くまでイメージトレーニングを続けていた。
……翌日の大晦日はおせち料理を用意するのに一日を費やし、元日二日はそれを食べてTVを見、と典型的な寝正月を過ごしていた。もちろん夜のトレーニングは欠かしていない。
一月三日、高校の同窓会があるというので巽はそれに参加した。そこまで親しい友人はほとんどいないが、顔を合わせれば会話をするくらいは何とかなる。
「花園、お前冒険者になったんだろ?」
「儲かってるのか、冒険者って?」
「今順位はどのくらいだ?」
まず最初に話題の中心となったのは巽だが、「事情があって廃業した」と言うと大半の者は関心をなくしていた。巽の話を聞いているのは隣に座っている一人二人だけである。
「やっぱりそんなもんか。世の中そううまくはいかないよなー」
「ああ、全くだ」
名前も忘れた誰かがそんなことを言い、巽もそれに一応頷く。
「現実ってのはそんなもんだよ。貴船は小学校の頃『松井みたいなメジャーリーガーに俺はなる!』って言ってて今は建材の営業やってるし、二ノ瀬の夢はJリーガーだったか。今は京都の大学に行っていて、サッカーはもうやってないって。バンドやってた市原は『メジャーデビューするんじゃ!』って東京に出て行ったけど、結局やってることはフリーターだしな」
なるほど、と巽は相槌を打つが論評はしなかった。
「ほんの半年余りでも自分の夢を叶えたお前はすごいと思うよ」
ありがとう、と言う巽が内心で考えているのは別のことだった。
「この一〇年、冒険者は『子供が将来なりたい職業』の不動の一位だけど、別の夢を持ってる子供だって大勢いるんだよな」
同窓会自体は二時間もせずに終了する。大多数はそのまま二次会に参加するようだったが、巽は参加しない一部の方だった。巽は自動車の往来もほとんどない、夜の町をぶらぶらと歩いて帰路に就いている。
「メジャーリーガー、Jリーガー、ミュージシャン。それに俳優、漫画家、小説家、アニメーター。みんなは何でそれになろうと思ったんだろうな」
例えば巽は野球もやっていたので、郷土の英雄がアメリカで活躍する姿も知っている。貴船某はそれを見て「自分もそうなるのだ」と思い定め、巽はそうはならなかった。
例えば同じ一つの映画を見て、市原某は「自分もこんな音楽を書くのだ」と決心するのかもしれない。だが同じ映画を見、他の誰かは「自分もこんな映画に出るのだ」と俳優を志すかもしれないし、「自分もこんな話を書きたい」と小説を書き出す者もいるかもしれない。あるいは「自分もこんな映画を作りたい」と映画監督を目指すことだってあるだろう。
「何で俺は冒険者だったんだろう。他の職業でも良かったはずなのに」
ずっと考えているが、冒険者を志したきっかけはどうしても思い出せないでいる。多分、理由などないのだろう。気が付けば「冒険者になる」と思い定めていて、他のことなど考えもしなかった。
「これはもう『俺という人間がこうだから』としか言いようがないよな」
巽は一人そう苦笑するが、結局それが正解……と言うか、他に答えなどないのだろう。固有スキルが「魂の形」と言われるように、それが自分で選んだものではないのと同じように、巽もまた選ぶ前からもう「冒険者」だったのだ。
一つの答えを得たように思い、巽は喉の支えがとれたように感じている。巽は無人の道を一人歩いていくが、行く先は決まっているし、道も一つのようなものだった。
正月の三が日を過ぎ、巽は関西に戻ってきた。アルバイト先の工場に初出勤した巽は部長さんを捕まえ、自分の事情を説明した。
「……それで、今月から四月までは月火も仕事に入れますので」
ふと、巽の言葉が途切れる。部長さんは怒りを噛み殺し、不動明王もかくやという憤怒の形相となっていた。
「……あの馬鹿野郎がそんな真似を。済まん、俺がもっとちゃんと教育をしていれば」
「いえ、そんな。部長さんがそこまで責任を感じることは」
と巽はかえって恐縮する。部長さんはため息混じりに「済まん」と呟いた。
「あいつもなぁ……冒険者になるのは昔からの夢だったらしいが、何度試験を受けても落ちるばかりでな。自分がずっとなりたくてなれなかった冒険者が、お前が目の前にいて、劣等感を刺激され続けたんだろうな」
部長さんはチャラ男に同情的であり、巽はちょっと気まずい思いをした。
「冒険者は確かにすごいだろうが、それになれなくとも別に構わんだろうが。確かにこの会社は場末の町工場で、給料も安くて仕事もきついだろうが、社会に不可欠な仕事をしているんだぞ?」
巽は「そうですね」と相槌を打つがそこまで部長さんに賛同しているわけではなかった。
「ただのアルバイトでは大した時給も出せんが正社員になって資格も取ればそこそこの給料ももらえるようになる。世間様と比べてもそこまで悪いわけじゃない。この給料で家庭を持っている奴だって大勢いる」
「はあ」
「花園君よ。君も考えてみたらどうだ?」
部長さんに言われ、巽は目を見開いた。
「君は人付き合いは悪いが仕事ぶりは真面目だし、よくやってくれている。正社員になる気があるのなら歓迎するし、資格を取るのだって手伝ってやる。まずはアーク溶接……いや、自動車免許からか」
部長さんがそう言って笑い、巽もまた笑って「ありがとうございます」と応えた。
「……でも、やっぱり俺は冒険者ですから」
「そうか」
部長さんは残念そうだったが、巽の答えを予想していたようだった。
「さて、仕事に戻るか」
「はい」
巽と部長さんはそれぞれの持ち場へと戻っていく。代わり映えのしない、だが平和で安全な日々が始まろうとしていた。
……巽が冒険者ではなくなかったからと言って、美咲やしのぶ、ゆかりとの関係が変わるわけではない。巽は相変わらず三人のシェアハウスに入り浸り、おさんどんをやっていた。
「今日の狩りはどうだった?」
「悪くはなかったですね。タラスクがちょっと厄介でしたがクマさんに手伝ってもらって何とか」
「タラスクって……確かキメラ系モンスターか」
気を遣われるのも嫌な巽は自分から積極的に狩りの話題を振っていく。最初はぎこちなかった美咲達も、そのうち自然に巽も交えてメルクリアの話ができるようになっていた。
モンスターの脅威に震え、パーティメンバーの危機に手に汗を握り、会心の一撃に破顔する。美咲の暴走をたしなめ、ゆかりのわがままに眉をしかめ、しのぶの失敗に心配し、ときに脱ぎ出す熊野に苦笑いする。四人の仲間達は巽がいなくても大きな問題なく、上手くやっているように思われた。
「いいな……俺も早く戻りたい」
巽の羨望の呟きに、
「早く戻ってきてください」
「その日が待ち遠しいです」
「あと二ヶ月半、長いよねー」
巽を待っていることを三人がそれぞれの言葉で示してくれる。巽はそれを胸に秘め、それを支えにし、砂を噛むように単調で味気ない毎日を耐えるのだ。
食事を終えた巽は早々に三人のシェアハウスを退出するようになっていた。巽の向かう先は近所の神社だ。実家でそうしていたように、巽はここでも素振りをし、イメージトレーニングをするのが最近の日課だった。工場の仕事でどれだけ疲れていようと日々のトレーニングは欠かさない。
「くそっ……! くそっ……!」
自分一人だけが取り残されている、無駄な時間を過ごしている――その感覚が離れない。腑を焼くような焦りに巽は居ても立ってもいられなかった。工場ではできるだけきつい仕事を回してもらい、残った体力はこうしてトレーニングで使い果たす。そうしてようやく泥のように眠ることができるのだ。
「確かこうして……こう?」
もちろん単に体力を使い果たすだけがトレーニングの目的ではない。帰省を契機に巽は初心に返り、青銅や白銀の動画を見、イメージトレーニングではその真似もするようになっていた。
動画はマジックゲート社がメルクリアで撮影したもので、青銅や白銀の冒険者が固有スキルを使ってモンスターを倒す姿が写っている。エルフのメイジが魔法の水晶玉を使って撮影した動画を、「シュレディンガーボックス」を使ってこちら側のスクリーンに投影し、それをデジタルカメラで撮影し、それをネットにアップしているのだ。このため普通に撮影した映像と比較すれば解像度で大きく見劣りし、細部の動きも判然としなかった。
「やっぱり動画じゃよく判らないな。実物を目で見てみるのが一番だ」
だが、巽が実際に目の当たりにした固有スキルは数えるほどでしかない。巽はそれをくり返し反芻し、実際の動きに生かすべく試行錯誤を続けていた。
一方、四人のパーティは巽が話に聞いて感じていたほど順調だったわけではない。
「確かに悪くはないんだけどねー。良くもない」
場所は大阪市内のとあるバー。そのカウンター席で、ゆかりはある人物と二人で飲んでいるところだった。
「そうなの? その熊野さんという人に問題が?」
「んにゃ、クマやんは良くやってくれてるよ? 冒険者としての実力なら巽君よりもクマやんの方が大分上だろうねー。でもやっぱり『巽君がいなきゃ嫌だ』なんだろーね。しのぶちゃんだけじゃなく、美咲ちゃんも」
「ゆかりちゃんも?」
彼女がそう混ぜっ返すがゆかりはそれを否定しなかった。ゆかりは黙ってカクテルを口にする。
ゆかりの隣に座っているのは室町千夜子。ゆかりの同年代の、大阪の大学生だ。
「良くはないって、具体的にはどの辺が?」
「んー、頭打ちになっているところかな。前ならレベル一〇の次は二〇、その次は三〇って順調に獲物のレベルを上げていったのに、今は四〇の手前でずっと足踏みしてる……ちょうど巽君がいなくなったところでね」
「なるほど。わたしの研究テーマとも関係しそうね」
千夜子はそう言って頷いている。
――モンスターに恋人を殺され、冒険者を廃業した室町千夜子だが、冒険者との関わりは切れなかった。かつてパートナーだった男の研究テーマ、その一部を引き継ぎ、大学で研究活動を続けているのだ。その一環でしばらく前に巽に連絡を取って調査に協力を要請したことがあり、その調査を通じてゆかりとも親しくなり、今はこうして時折一緒に飲む仲となっている。ゆかりにとっては数少ない同世代の、大人の話ができる同性の友人だった。
「研究テーマって、『冒険者のパーティが上手くやっていく方法』だっけ」
「『上手くやっているパーティには何があるか』よ」
同じでしょ、違うじゃない、等と二人は言い合った。
「それで、何があるわけ?」
「結論を出すにはまだ早いんだけどね――モンスターを殺せば魔核だけでなくカルマを獲得できる。魔核はパーティ全体で均等配分とか、ルールを決めて分けることができる。じゃあ、カルマは?」
「……あれ?」
初めてその点に思い至ったように、ゆかりは首を傾げた。
「モンスターを殺した人が独占している? いえ、それならメイジのランクが上がるはずがない。支援のメイジにもカルマが配分されているの?」
「ええ、そのはずよ。ただ、魔核を配分するように明確な、明文化されたルールがあるわけじゃない。その場の空気とか気分とか、いろんなものに影響されるんだと思う。……前衛の戦士がモンスターを倒す、その全てを『自分の力だけでやったんだ』と思っていたら、カルマは後方に配分されることはないでしょうね。メイジの支援を受けたとして、『モンスターを倒せたのはメイジのおかげだ』と思ったなら、そのカルマの多くがメイジに配分される」
ゆかりが疑わしげに「本当に?」と問い、千夜子は気まずげに「……多分」と付け加えた。
「正直言って根拠は薄弱なんだけど、でもそうとでも考えないと説明できないでしょ。メイジがカルマを獲得して青銅に上がっていく理由が」
確かに、とゆかりは頷く。無条件で信じるわけにはいかないが、有力な仮説としてなら受け入れてもいいように思われた
「例えば、『メイジの支援なんてあってもなくても同じだ、モンスターを倒しているのは自分なんだから魔核は全部自分のものだ』って考えている、どうしようもない愚か者が前衛だったなら、カルマもその愚か者が独占することになる」
千夜子は自嘲してそう言う。
「支援のメイジは前衛に不満を持って、そのうちパーティは崩壊する。メイジはどこのパーティでも歓迎してくれるから、そうやっていくつものパーティを渡り歩いて、そのうちに本当に信頼できる仲間を見つけて……」
「パーティの一体感が強くて、『前衛も支援も関係なく一丸になってモンスターを狩っているんだ』って心から考えるなら、魔核と同じようにカルマも均等配分されて……」
「前衛と同じだけメイジもランクが上がっていく。そうしてメイジは青銅の壁、白銀の壁を突破するんでしょうね」
なーんかさぁ、とゆかりはちょっと呆れたような声を出した。
「パーティメンバー同士が信頼し合っていて一体感が強ければカルマが均等配分されて、つまりは上手くやっていける……それって当たり前というか、同義反復じゃないの?」
「学問はときとして陳腐に思えるものなのよ」
千夜子はすましてそう言い、ゆかりは小さく肩をすくめた。
「それじゃ、うちのパーティが今足踏みしているのは?」
「一つ言えるのは、カルマの獲得に問題が生じているってことね。原因までは何とも言えないけど……花園巽、彼が鍵になっているのは間違いない」
「確かに巽君がいなくなってから歯車が一つ抜けちゃったと言うか、空回りしてると言うか……」
頬杖をついていたゆかりの腕の支えがなくなり、ゆかりは首から上をカウンターに横たえた。
「あーもー、早く四月にならないかな。巽君さえ戻ってくれたら」
「戻る前と戻った後を比較参照したいわね」
半ば冗談、半ば本気で千夜子は言う。ゆかりはカウンターにべったりと付けた頬を膨らませるだけだった。
……二月上旬、巽は待ちかねたように冒険者試験の願書を取りに行った。マジックゲート社大阪支部まで願書をもらいに行き、すぐにアパートに戻って必要事項を記入。記入漏れや間違いがないか五回くらい見直し、シェアハウスに行って惰眠を貪るゆかりを叩き起こして四回くらい確認してもらい、郵便局に行って書留で発送し。
二月の後半、マジックゲート社から受験票が郵送されてきた。受験日は三月上旬、巽はその日を一日千秋の思いで待ち侘びる。
そして三月、冒険者試験日がやってくる。会場はマジックゲート社大阪支部、巽は勝手知ったるそのビルへ、冒険者としてではなく受験者としてやってきた。
「一年ぶりか」
と感慨に耽る巽。ちょうど一年前、高校卒業を目前とした巽は宮乃に内緒で願書を提出し、試験を受けにこの場所へとやってきたのだ。
案内板と一年前の記憶を辿り、やってきたのはビルの中の大ホール。会場には何百人という受験者が集まっている。試験の倍率は毎回二〇倍から三〇倍にもなるが、三月試験は時期の関係で倍率が一番高くなる。試験会場は大阪だけでなく東京にもあり、一日だけでなく何日かに渡って実施される。今ここにいる受験者は全体の中のごく一部に過ぎなかった。
女よりは男の方が多いが、そこまで極端な人数の差があるわけではない。年代的には、一年前の巽のようにこの三月に高校を卒業する者が大多数のようだった。もちろんその歳の人間だけでなく、二〇代の者もそれなりの割合で見受けられる。それ以上の人間もいるようだが、そこまで行けばほんの数えるほどの人数だった。
会場にはパイプ椅子が並び、受験者はそこに座っている。受験者の前には――「棺桶」が並んでいた。
いや、それを「棺桶」と呼ぶのはここでは巽一人だろう。それの正式名称は「シュレディンガーボックス」、異世界とつながる魔法の箱である。冒険者が普通使っているのは繭のようなカプセル状だが、今目の前にあるのは縦長の箱状だ。ある程度以上の年代であれば「電話ボックスのようだ」と思うかもしれない。あるいは「聴力検査の防音室のようだ」とも。
受験者の前に並んでいる「シュレディンガーボックス」は全部で五台。受験者は順番にその中へと入っていく。二、三分経ったら箱から出てくる――冗談みたいな話だが、それが試験内容の全てだった。箱の中で何かするわけではない。ただ「心を落ち着けて、平静でいるように」と言われるだけである。試験を終えた受験者は誰もが狐につままれたような、「何かの間違いではないか」といった顔をしている。
「A一〇一三、こちらへ」
巽の受験番号が読み上げられ、巽は前へと進み出た。試験官が受験票を確認し、巽を「シュレディンガーボックス」へと案内。扉を開けると箱の中には一脚の椅子がある。
「そこに座って、終わるまで静かにしているように。真っ暗闇になって音も何も聞こえなくなるが、ほんの二、三分のことだから」
巽は「はい」と頷き、椅子へと座った。試験官が扉を閉めて、箱の中は完璧な暗闇に閉ざされる。
「久しぶりだな、この感覚」
巽は沸き立つ心を抑えた。毎週そうしていたように目を閉じ、心をクリアにする。まるで眠るようにし、自分の魂を異世界へと飛ばし……メルクリア側ではエルフのメイジが水晶玉か何かを使って巽の魂を検分し、好き勝手なことを言っているのだろう。
「はい、これで終了です」
箱の扉が外側から開けられ、光が中へと差し込んでくる。巽は手をかざして目を庇った。
「ありがとうございます」
試験官に礼を言い、巽は試験会場を後にする。試験はこれでもう全て終わり、後は天命を待つだけである。
三月一五日、午前九時五八分。シェアハウスにはゆかり・しのぶ・美咲が揃い、巽や熊野もそこにいた。五人が集まる居間の卓袱台にはノートパソコンが置かれ、それは今マジックゲート社の冒険者試験サイトに接続している。
「……一分前です」
しのぶが時計を読み上げ、美咲がマウスを操作している。マウスを握る美咲の手は汗がにじんでいた。
「二〇秒前、一八、一七、一六……」
しのぶがカウントダウンし、美咲はマウスを握る手に力を込めた。すぐにカウントは一〇を切り、五を切り、
「三、二、一――一〇時です」
美咲がサイトを更新、すると画面には「三月試験合格者発表」の文字が。美咲は目が回るほどの速度で画面をスクロールした。
「受験番号は?!」
「A一〇一三です! あ、今A列が!」
「一〇一三、一〇一三……」
しのぶと美咲とゆかりが小さな液晶モニターに顔をくっつけるようにしていて、巽と熊野は遠慮して三人から少し離れている。そこに、巽のスマートフォンに着信があった。見ると高辻からの電話である。
「はい、花園です」
『こんぐらっちれーしょーん! おめでとー!』
巽が電話に出るとスピーカーからは能天気な高辻の声が聞こえてくる。三人が座ったまま座布団から数センチメートル跳ねたのはそれと同時だった。
「あった! ありました! A一〇一三!」
「あった、合格だよ巽君!」
「巽先輩、ありましたよ!」
三人が巽の服を掴んで前後左右に揺さぶる。さらに熊野が「やったな巽!」と背中を叩き、巽は倒れそうになった。
「あ……ありがとうございます。みんな、それに高辻さんも」
多分合格できるだろうと思ってはいても、こうして実際に合格の通知があればその喜びもまたひとしおだった。
「今日は合格パーティ! 倒れるまで飲むよ!」
「それはいつものことでしょう」
普段ならハリセンの突っ込みが入るところだが今日は美咲も笑っている。ゆかりだけでなくしのぶも美咲も、大いに喜び、はしゃいでいた。一方の巽は静かに喜びにひたり、それ以上に大きい安堵を噛み締めている。
『さて。一回経験していることだから細かい話しはしないけど、手続きが色々あるから書類が届いたらマジックゲート社に来てねー。四月まで事前講習が何回かあるからそれには出てもらう必要があるけど、四月の研修は特例で免除だから』
「本当ですか?」
つまり四月になればすぐ皆と一緒にまた狩りができるということで、冒険者への復帰が具体性を帯び、喜びにも実感が伴ってきた。
『あのねー、巽ちゃん。新人の研修を受け持つ冒険者って、そんなに高順位の連中じゃないんだぜぇ? 順位はともかく実力じゃ巽ちゃんに負けてる指導員の方が多いだろうし、やりにくくて仕方ないでしょ』
「そんなものなんですか?」
『そんなもんなの。今さら巽ちゃんに教えることなんか何もないし、おっちゃんの権限で免除ってことに今決めました』
ありがとうございます、と巽が礼を言い、その後二、三の連絡事項を受け、
『それじゃー巽ちゃん。メルクリアで待ってるぜぇ?』
高辻が気取って言い、巽も笑いながらそれに応えた。
「はい。次はメルクリアで会いましょう」
通話を終えた巽は我知らずのうちにスマートフォンを握り締めている。
「ようやく帰れるんだ……あの場所に」
そう呟く巽の目はここではない場所、ここではない世界へと向けられていた。
四月一日、大阪支部にまた一人の冒険者が登録される。冒険者歴〇年〇ヶ月、国内順位・順位外――花園巽の、石ころ冒険者としての再出発だった。




