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石ころ冒険者  作者: 亜蒼行
一年目
12/51

第九話「月はいつもそこにある」




 カレンダーが一枚めくられ、暦は一一月。巽達四人は今日もメルクリア大陸で狩りをしているところだった。


「見つけました、ギガントタランチュラです」


「例の個体ですか?」


「確証はないですけど、多分」


 偵察に戻ってきたしのぶの報告に巽と美咲は似たような表情で頷き合った。それぞれの瞳に宿っているのは覚悟、戦意、高揚と様々だが、その思いは同じだった……ゆかりを例外として。


「わたしも何となく感じます、多分例のやつだと」


「まだ狩られていなかったのは驚きだけど、俺達にとってはある意味好都合だ」


「はい――リベンジマッチです」


 昂ぶりを無理に抑えた美咲の言葉に巽も強く頷く。


「ああ。あれから俺達がどれだけ成長したか、あいつに思い知らせてやろう」


 美咲としのぶが無言のまま頷き、その意志を一つとした……ゆかりを例外として。


「……ゆかりさん。これからあのギガントタランチュラとやり合うんですよ? 判っているんですか?」


「あー、判ってる判ってる」


 ゆかりは死んだ魚のような腐った目で頷いていて、美咲はため息を禁じ得ないようだった。巽も一抹の不安を覚えるものの、二日酔いのゆかりがゾンビ兵みたいな状態になっているのはいつものことだし、その有様でも自分の役割を疎かにしたことは一度もない。


「あ、こっちに気が付いたみたいです」


 しのぶが警告し、巽が「それじゃ手筈通りに」と号令を発する。


「お願いしますよ、ゆかりさん」


「判ってる判ってる」


 巽が念押しし、ゆかりが所定の位置に向かって移動する。巽達三人もまた行動を開始した。

 森の奥からギガントタランチュラが接近する。その体長は六メートルに達しているかもしれず、ちょっとした戦車のようだ。それは低木を踏み潰し、木々をなぎ倒してまっすぐに巽と美咲のいる場所へと向かって進んでいる。一滴の冷や汗が巽の額を伝った。


「前より大きくなっているみたいだな」


「ええ、確かに。あれから何人かの冒険者が殺られているそうですから、あれも強くなっているのでしょう」


 パーティを組んで最初の狩りでギガントタランチュラに遭遇し、一目散で逃げ出した。その次の週に同じ個体に散々追いかけ回され、死ぬような思いをして逃げ回った。今目の前にいるのは、まさしくその個体である。その個体に何か特徴があるわけではなく、巽達には虫の区別を付けられるような技能もない。「ただ何となく」そう思っているだけなので断言はしていないが、三人とも内心では「あのときの個体だ」と確信していた。


「強くなっているのは俺達も同じだ」


 巽が静かにそう言って剣を構える。美咲もまた「はい」と日本刀を正眼に構えた。ギガントタランチュラが木をなぎ払い、巽と美咲の前に姿を現したところだった。

 ギガントタランチュラはまっすぐに進んでそのまま二人を何本もの節足に巻き込み、踏み潰さんとした。巽と美咲が刃を振るい、タランチュラの足の関節を切り裂く。ギガントタランチュラは金属を引き裂いたような不快な啼き声を出した。

 巽と美咲は左右に分かれ、ギガントタランチュラに対する嫌がらせを続けた。ギガントタランチュラが美咲を攻撃しようとしたなら巽がその剣を外殻の隙間を狙って突き刺す。怒ったそれが巽に牙を向けると今度は美咲が剣を振るってその足の関節を斬り裂くのだ。ギガントタランチュラは猛り狂い、一際大きな咆吼を上げた。その足がでたらめに振り回され、巽達は若干後退する。


「そろそろいいか」


「はい」


 二人は二手に分かれて逃げ出した。ギガントタランチュラはどちらを追うか迷ったようだが、与しやすい美咲の方が逃げ遅れている。それは美咲を追って動き出した。


「よし、計算通り!」


 巽が反転してギガントタランチュラを追う。逃げる美咲をギガントタランチュラが追い、巽は先回りをするべく灌木をかき分けて突き進んだ。美咲はそれからつかず離れずの距離を取って走り続けている。


「見えた、あそこ!」


 美咲が窪地になっている場所を何メートルもジャンプして飛び越え、ギガントタランチュラはそのまま突き進む。そして、それが擱座した。それの後ろ半分が穴に填っている。それが焦ったような啼き声を出している。


「よし!」


 作戦の前半が成功し、美咲は指を鳴らした。その穴は巽達が用意した落とし穴だ。以前この辺で狩りをしたどこかの冒険者が攻撃魔法で作った穴なのだろう。それを主に巽が拡張し、主にしのぶが偽装して隠したものだった。

 その落とし穴のすぐ横には大きな木があり、今巽がそれに登っている。事前にロープは用意してあるものの、金属鎧を着込んでの木登りはさすがに簡単ではなかった。その間にもギガントタランチュラが穴から這い出ようとしている。それを美咲としのぶが牽制し、押し止めている。だがしのぶでは攻撃力が足りず、ギガントタランチュラはもう半分以上身体を外に出していた。


「くそっ、やっぱりもっと深く掘れば良かった」


 巽がそう言って歯噛みしている。だが時間も体力も限られている中で精一杯のことをして万全を期したのである。何とか巽が上までたどり着くが、そのときにはもうギガントタランチュラはほとんど外に出ていて――


「Gyugyugyugyu……!」


 ギガントタランチュラが悲鳴のような啼き声を上げ、突然その力が弱まる。何が起こっているのか判らないまま美咲としのぶはそれを穴の中へと追い落とし、それの後ろ半分がまた落とし穴に填り込んだ。


「巽さん!」


「任せろ!」


 巽はあらかじめ木の上に用意していた鉄の槍を握り締めた。長さは二メートルを超え、重量は二〇キログラムを超える、それはひたすら頑丈で無骨な鉄の塊だった。それを握り締めた巽が木の上から跳躍する。巽の体重と金属鎧の重量、それに槍自体の重さが加わり、それが重力によって加速され、その全てが槍の先端に集中する。刹那の時間を経て槍がギガントタランチュラの頭部に突き刺さり――ひとたまりもなくそれを貫通した。


「Gyagyagyagya!」


 ギガントタランチュラが悲鳴を上げて暴れ回る。だが槍は大地に深く食い込んでいて容易なことでは外れそうにない。ギガントタランチュラは地面に縫い付けられた形となり、屈辱と憤怒でそれは一際激しく暴れ動いた。まるで地団駄を踏むような動きに槍も少しずつ地面から抜けつつあった。だが、もう準備は整っている。


「ゆかりさん!」


「まーかせて! ――『雷撃サンダーボルト』!」


 ゆかりが攻撃魔法「雷撃」を全力全開で撃ち放つ。「雷撃」は鉄の槍を伝ってギガントタランチュラの頭部に炸裂、それを根こそぎ打ち砕いた。


「Gyigyigyi……」


 だが、それはまだ死んでいなかった。頭部を失いながらも自由となったギガントタランチュラはずるずると穴から這い出て、そのまま逃げようとする。その前に巽と美咲が立ちはだかるが、頭部も複眼も失ったそれには見えていないようだった。


「引導を渡してあげましょう」


「もらうぞ、お前のカルマを」


 美咲と巽が剣を構え、一閃する。ようやくギガントタランチュラの生命は潰え、その魔核は巽の長剣に回収された。

 まず美咲は安堵のようなため息をつき、次いで爽やかな笑みを巽へと向けた。


「――勝てましたね。レベル三〇を超えるギガントタランチュラに」


「ああ」


 と答える巽も感無量だった。


「二ヶ月前はこいつから逃げ回るだけだったのに、今日は勝てた。わたし達は強くなっている」


 美咲は拳を握り締め、巽も大きく頷いた。今回の勝ちは落とし穴や槍を用意した作戦勝ちの側面が強いが、二ヶ月前ならどんな準備をしようと作戦を立てようと、これには手も足も出なかっただろう。


「ああ。次の目標は普通に戦ってこいつを狩ることだな」


「確かにそうです。わたし達はまだまだです――まだまだ強くなれる」


 そんな話をしている二人の下にしのぶとゆかりがやってきた。


「おつかれさまー、大丈夫だった?」


「ええ、こっちは。しのぶは?」


「わたしも何も」


 互いの無傷を確認し合い、四人は和やかに笑った。


「何とか勝てましたね。途中ちょっと危なかったですけど」


「そう言えば落とし穴から逃げられそうになったときに急にあれの力が弱まって……」


「ゆかりさん、あれに何かしたんですか?」


 巽の問いにゆかりが「んー?」と何の気なしに答える。


「何か新しい魔法が使えるような気がして、使ってみた」


 へえ、と巽達が感心し「どんな魔法ですか?」と訊く。


「うん。こんな魔法」


 とゆかりが言い――その瞬間、巽の身体がぐらついた。猛烈な吐き気と気持ち悪さに身体が倒れそうになり、しのぶと美咲はその場にしゃがみこんでる。


「ああ、ごめんね。まだ上手く制御できないみたい」


 吐き気と気持ち悪さは一瞬で嘘のように消え去った。巽達はまず顔を見合わせ、訝しげな目をゆかりへと向ける。


「ゆかりさん、これは一体……」


「ん? 『わたしの今の苦しみを貴様等も味わうがいいわっ』的な魔法」


「教本に載っていたのを覚えたわけでは……?」


 ゆかりは「そうじゃないけど、何か使えそうだったから」と無邪気に笑う。……巽達は何とも言い難い視線をゆかりに突き刺した。


「ゆかりさん、これ……固有スキルじゃ」


 巽の指摘にゆかりは少しの間首を傾げ、やがて、


「ああ、そうか!」


 と手を打った。美咲としのぶは疲れたようなため息をついている。

 ――全ての冒険者は固有スキルを持っている――少なくともその可能性はあるとされており、それはメイジも例外ではない。メイジの固有スキルは「他の人には使えない、その人だけのオリジナルの魔法が使える」という形で発現することが多く、それは「固有魔法」と呼ばれていた。


「しかし、ゆかりさんも固有スキルを使えるようになったのか……」


 巽が羨望の目でゆかりを見つめ、しのぶが「焦っても仕方ないですよ」と慰めた。


「でも、いかにもゆかりさんらしいですね。酔っぱらって他人に迷惑をかけるのをそのまま固有魔法にしたような」


 美咲が皮肉げに笑い、ゆかりが素知らぬ顔で固有魔法を行使。強烈な吐き気と気持ち悪さに美咲の膝が屈した。


「いきなり何をするんですかあなたは!」


「美咲ちゃんいつも殴ってくるんだもん、ちょっとしたお返しだよー!」


「殴られるようなことをするからでしょうが!」

 美咲がハリセンを振り回し、ゆかりがそれから逃げ回っている。放っておこうか、と思いつつも巽としのぶはパーティメンバーの義務として仲裁に入ろうとした。そのとき、


「いつもそんなことをしていると――美咲ちゃんの固有スキルが『ハリセン使い』になっちゃうんだから!」


 ゆかりの指弾に美咲は胸を穿たれたようになる。美咲は失意体前屈の姿勢となり、両掌で砂を握り締めた。


「た、確かにゆかりさんと組むようになってからは突っ込みばかりが上手くなって……このままでは本当に」


「いやいや、それはないから」


 巽の言葉も美咲の耳には入っていないようだった。


「こうしてはいられません。突っ込みがこれ以上上達する前に早く固有スキルを身につけなければ!」


 巽達が止める間もなく美咲は走り出し、一人で先行してしまう。巽はまずため息をつき、次いで美咲を追って歩き出す。それにしのぶとゆかりが続いた。


「鈎月剣!」


「暁月剣!」


 ……美咲は当たるを幸いモンスターを次々と狩っていく。巽はそれを止めるよりも美咲のフォローに徹した。魔核は順調にたまっていき討伐実績は景気良く積み重なるが、それと固有スキルに目覚めるかどうかはまた別の話である。美咲が使っているのも彼女が考えた必殺剣であって固有スキルではなかった。


「……結局固有スキルに目覚めませんでした」


 夕方、狩りを終えた巽達はベースキャンプへと向かっている。肩を落とす美咲を、巽は何とか励まそうと試みた。


「焦っても仕方ない。基礎を怠らず、力を蓄えていけば、いずれ使えるようになるさ」


 巽の言葉は自分に言い聞かせているかのようだった。美咲は「そうですね」と小さく笑う。


「でも、早く使えるようになりたいです」


「そうだな、本当に。『月読の太刀』……だったっけ、美咲の流派の奥義。それってどんな技なんだ?」


 巽の問いに美咲は首を横に振った。


「この奥義は流派の秘伝で、当主が認めた者以外には伝授はもちろん、技を見ることも許されていないのです。一度子供の頃に奥義を盗み見ようとしたところを見つかってしまって、折檻を受けたことが……」


 そのときのことを思い出した美咲が身震いする。「厳しい親だったんだな」と巽は同情した。


「それじゃどんな技なのかも判らないのか。何かヒントになるようなものは?」


 美咲は「いえ」とまた首を横に振る。


「流派の剣理を修めれば自然と奥義は見えてくるはず――父はそう言うだけで、ヒントは何も」


 そうか、と巽が嘆息する。


「それなら仕方ない。思いつくことを片っ端から試してみよう。俺も協力は惜しまないから」


「ありがとうございます――それでは早速今夜から」


 こうして美咲は奥義獲得、固有スキル覚醒のために修行をすることとなり、巽はそれに付き合う羽目になる。

 その日、メルクリアから元の日本に戻ってきた後、夕食前の一時。場所はシェアハウスの近所の神社、以前しのぶが隠れ住んでいたところだ。その境内で、美咲と巽は竹刀を持って向かい合っていた。ゆかりとしのぶが少し離れたところからそれを見物している。


「巽先輩、本当に防具は着けないんですか?」


「竹刀を使うのなら要らないだろ。俺だって素人じゃない、冒険者だぜ?」


 巽がそう言うので美咲もそれ以上は言わなかった。二人は防具なしのまま竹刀を正眼に構える。


「それじゃ、はじめ!」


 ゆかりが合図し、二人が打ち合い――勝負は一瞬だった。巽は脇腹を打たれて「ぐおおぉぉ……」と悶絶している。


「だ、大丈夫ですか?」


「ち、ちょっと油断した。大丈夫だ」


 巽は顔をしかめながら背筋を伸ばした。巽がまた竹刀を構えて美咲と対峙し、試合が再開される。


「……『試合形式じゃ勝負にならない』って、前に言っていたわね」


 とゆかりが呟く。ゆかりの言葉通り、以前巽自身が認めた通り、剣道の試合では巽は美咲の相手にならなかった。試合形式では巽の優位点である「腕力」や「タフネス」が充分に生かせず、一方で美咲の優位点である「速さ」や「剣技」は存分に使えるのだ。巽もこれまでの経験を生かして何とか立ち回っているが、それは敗北までの時間を引き延ばしているだけだった。

 約一時間後、二人の修行が終了する。美咲は汗に濡れ、大分疲れているようだがそれだけだ。一方の巽は集団リンチに遭ったかのようにズタボロだった。


「ありがとうございます、巽先輩」


「ど、どういたしまして……それで、何か掴めたのか?」


 巽の問いに美咲が「はい」と頷く。


「とりあえず、この方向で進んでもあまり意味がなさそうだと判りました。別の道を探すこととします」


「そ、そうか……」


 力尽きた巽が倒れ伏す。その姿はまるで魔核を回収された骸骨兵のようだったという……。











「自分一人の頭で考えても限界があります。ここはやはり先人の知恵を借りるべきでしょう」


 そう言って美咲が向かった先は「B○○K ○FF」であり、買ってきたのは何種類かの漫画だった。仕事帰りの巽が料理をしている間、居間では三人が寝転がってそれぞれ漫画を読んでいる。


「きゃあっ?! 薫さんが?!」


「いや、あんたが聖剣を集めようとしなきゃ良かったんじゃ……?」


 しのぶやゆかりも漫画を楽しんでいるようだったが美咲の入り込み方は尋常ではなく、完全に作中の人物になりきっていた。

 不意に美咲がゆかりの一升瓶を畳の上に置き、その前に両膝を突いて座った。美咲は顔の前に右腕を持っていき、それを左手で掴んでいる。弓に矢を番えるように、右腕に全身の力がたまっていき――それが解き放たれた。右手の人先指、その爪が一升瓶を撃ち抜き、


「痛い痛い痛い!」


 一升瓶はそれほど簡単に砕けるものではない。指を思い切り瓶にぶつけただけの結果となり、美咲は痛みに涙目になっている。


「何やってるんだよ」


 と巽は呆れ顔だ。普段はゆかりさんの影に隠れて目立たないけど、そう言えばこの子も結構あれな子だったなぁと、巽は思い返していた。


「それで、どうなんだ。何か得るものはあったのか?」


 準備が終わり、四人は卓袱台を囲んで食事をしている。今日のおかずは豚肉のはりはり鍋だ。巽は丼いっぱいのご飯をかき込みながら美咲に訊ねた。


「はい。これなんかが結構参考になるのではないかと」


 と美咲が示したのは、台詞回しや煽り文句がスタイリッシュな死神の漫画だった。「それがかよ」とて巽は真顔で突っ込んでしまう。


「はい。技もあっちでなら真似できそうな気がするんですがそれだけではなく、決め台詞を考えるのに使えそうだなと」


「それは必要なことなのか?」


 突っ込みを重ねる巽に対し、


「でも巽君も決め台詞使ってるじゃない」


「『もらうぞ、お前のカルマを!』――ずるいです、巽先輩だけ」


「でも格好良いです、あれ」


 ゆかりが指摘し、美咲が追撃し、しのぶがフォローする。巽は「いや、あれは」と焦ったように言い訳した。


「ああやって言葉にして『モンスターからカルマを奪い取るぞ』ってイメージを明確にして……そうすれば効率良くカルマを獲得できそうに思えるから」


「確かにイメージは大事ですね。固有スキルに絡めた決め台詞を使えば技が決まるイメージが固まって威力が増すでしょうし」


「結局、固有スキルが判らないと決め台詞も決められないってこと?」


 ゆかりの確認に美咲は「そうなりますね」と頷く。「そりゃそっちが優先だろう」という巽のもっともな突っ込みは美咲の耳には届いていないようだった。

 翌日の夜も美咲は巽を相手に竹刀を振るっている。だが今回美咲は巽を、相手を倒すことを主眼としていなかった。虚空に向かって剣を振るうよりも案山子でもあった方がまだイメージが掴みやすいだろうという判断だ。巽もそれを理解し、自分からはあまり攻撃せず、動く案山子として剣を受けることに専念した。


「違う、これはただの円月剣……」


「力任せに剣を振るったところで……」


「流水の動き……確かこうだったような」


 美咲は巽を相手に試行錯誤を重ねているが、望む場所に少しでも近付いているようには思えない。むしろ迷路に入り込んで遠ざかっているようにすら感じていた。


「……ありがとうございます。今日はここまでにしておきます」


「ああ、おつかれ」


 二本の竹刀を手に提げた美咲が肩を落として悄然と歩いていく。巽はその小さな背中を心配そうに見送った。

 そしてその翌日、金曜日。三人のシェアハウスにて、


「巽君、バイト先が潰れそうで暇なんでしょ?」


「ちょっと不景気なだけです」


 ゆかりが喧嘩を売るような物言いをし、巽はちょっといらっとした。美咲がこの場にいれば突っ込んでくれたのだろうが、今美咲は庭で木刀を一心に振るっている。


「土日休みなのよね?」


「土曜は午前だけ仕事がありますが……」


「みんなで温泉に行こう!」


 唐突なゆかりの提案に巽は首を捻っていた。話の見えない巽に対ししのぶが補足説明する。


「美咲さんが『何かヒントを掴むために一度実家に帰る』って言っているんです。それでみんなでお邪魔したらどうかという話になって……」


「ここから綾部まで、ドライブがてらのちょっとした小旅行! 温泉に浸かって日本海の海の幸を肴にして、夜はみんなで枕投げ!」


 巽は「中学生の修学旅行じゃないんだから」と苦笑した。


「でも、いいのか? 美咲の実家に迷惑をかけるんじゃ」


「いえ、構いませんよ」


 と口を挟んできたのは美咲である。美咲は素振りを終えて居間へと上がってきた。


「父にも兄にも、みんなを一度連れてくるよう言われていますから」


「でも、ゆかりさんも行くんだぞ?」


 その念を押した確認にゆかりは「どういう意味かな?」と小首を傾げている。


「大丈夫です。他人であろうと躾のなっていない相手には容赦しない人ですから、父も母も」


 美咲がそう言って薄く笑い、巽も「それならいいか」と頷いている。そしてゆかりは身を震わせていた。


「実家には代々の当主が残した手記もあります。奥義について、何か片鱗だけでも掴めれば……」


 美咲はそう呟き、拳を握り締めていた。

 そして土曜日の午後、仕事を終えた巽を拾い、レンタカーが綾部へと向かって出発する。だが巽達は肝心なことを忘れていた――レンタカーを運転するのは誰かということを。巽やしのぶは経済的、及び時間的余裕がなく、自動車免許を持っていない。二人とも持っているのは原付の免許だけだ。「そのうち取りに行こうと思っていて今まで忘れていた」と、美咲はそれすらも持っていない。……残った人間は一人しかいない。


「い、生きて帰ってきた……」


「生きているって素晴らしいです……」


「ここまで死を身近に感じたのはギガントタランチュラに追いかけ回されたとき以来だ」


 レンタカーが美咲の実家に到着したとき、三人はそれぞれに生きる喜びを実感し、今生命があることを神様か何かに感謝していた。


「しつれーしちゃうわねー」


 そう言いながらゆかりはレンタカーを駐車場に駐めようとし、コンクリートブロックに車の後部をぶつけている。三人の口からはため息しか出てこなかった。

 美咲の実家はJRの駅からさほど離れていない場所の、山際に位置していた。敷地はかなり広く、数百坪にもなるだろう。瓦葺きの白い土塀がずっと続き、その奥には武家屋敷が建っている。母屋に隣接しているのが道場で、そこからは竹刀を打ち鳴らす音が無数に重なって聞こえていた。

 すごいな、と感嘆する巽に美咲が「こちらです」と声をかける。美咲に案内されて巽達三人はその屋敷の敷地内へと足を踏み入れていった。


「あらあら、いらっしゃいませ。いつも美咲がお世話になっています」


「いえ、こちらこそいつも美咲さんには助けられていて……つまらないものですがどうぞ皆さんで食べてください」


「あらあらまあまあ、そんな」


 二〇代後半と思しき女性が巽達を出迎え、少しの間ゆかりと彼女の挨拶合戦がくり広げられる。その後ろで巽はしのぶにこっそり訊ねた。


「あの人は?」


「美咲さんのお兄さんのお嫁さんだそうです。この家を継いでいるのもお兄さんだって話です」


 巽達はまず客間に案内され、そこに荷物を置き、その後道場へと連れていかれる。


「あ、美咲さんだ!」


「美咲さん、今順位はどのくらい?」


「その人達がパーティメンバー?」


 美咲と親しい門下生、主に小学生が一斉に集まってきた。彼等は口々に美咲に質問をぶつけ、美咲はにこやかにそれに一つ一つ答えている。


「ねえ、いつ青銅になるの?」


「冒険者って儲かるの?」


 小学生は巽やしのぶにも不躾な質問をし、二人は対応に苦慮していた。そのうち調子に乗った何人かの小学生が巽を竹刀でポコポコ殴り出し、巽も一応それに反撃し……少しの時間を経て、巽パーティVS鷹峯流門下生の大乱闘が始まっていた。まあ、実際のところは小学生の冒険者ごっこに巽達が付き合ってあげただけなのだが。

 体力自慢の巽達にとっても小学生の集団の相手はなかなか難儀なようだった。そのうち稽古が再開され、子供達は再び竹刀を振るっているが巽達は母屋に移動。お茶を出してもらい、ようやく人心地付いている。


「済みません、稽古の邪魔をしてしまって」


「いえ、こちらこそお客さんに失礼ばかりで」


 巽達の前には六〇過ぎの和装の男性が座っていた。背は高いが細身で、武道家と言うよりは書道の先生といった風情の、穏やかな印象の人物だ。彼の名は鷹峯光悦、美咲の父である。


「それで、書庫を使いたいという話だったか」


 静かな光悦氏の問いに美咲が背筋を伸ばして「はい」と答える。漂う緊張感に、巽の背筋も自然と伸びていた。


「冒険者として、剣術家として今より先に進むために奥義を会得したいのです。そのための何かヒントを掴めればと」


「まあ、いいだろう」


 光悦氏はあっさりと許可を出した。


「秘伝書の類はあの書庫には置いていないが、それでも構わないのなら見るといい」


 ありがとうございます、と美咲が一礼し、早速書庫へと向かおうとした。


「それじゃ俺達も手伝おうか」


「そうですね」


 巽やしのぶも美咲に同行しようとするが、「ああ、花園君」と光悦氏に呼び止められた。


「君はちょっと残ってくれ」


「は、はい……」


 巽一人を置き去りにて美咲達が行ってしまい、その場には巽と光悦氏のみが残された。巽は座布団の上に正座し、身を固くしている。その様子に光悦氏は苦笑した。


「そんなに身構えないでくれ。ただ、あの子の様子を知りたくてね」


「はあ」


 と巽が曖昧な返事をする。


「奥義の会得、などと簡単に言うが、あの子はまだ一八だ。正直なところ、奥義など三〇年早いと一喝してやりたいところだが……」


「そうしないんですか?」


「あの子は冒険者だからな」


 そう言って光悦氏は深々と嘆息した。


「毎週の狩りが生命懸けで、力を得なければ上には行けない。修行が足りないのは事実だが今は目を瞑るべきだろう」


「美咲……さんはすごい有望な冒険者です。いわゆる天稟というやつです」


 「天稟」とは「天賦の才能の持ち主」という意味であり、巽もその意味で使っている。ただ冒険者の業界ではこの言葉は、


「青銅以上になれるだけの、優れた才能の持ち主」


 と限定的な意味で使用されていた。


「今はその……ゆかりさんが先に固有スキルを使えるようになったので、ちょっと焦っているのかもしれません」


「確かにそんな風に思えるな」


「焦っていて、色々努力はしていてもそれが空回りしているような……あの、美咲、さんに何かアドバイスはしてあげられないんですか?」


 巽の問いに光悦氏は首を横に振った。


「二〇にもならん若造が奥義を得ようというのだ。自力でそこにたどり着かなければ意味がない。たどり着けないのなら、あの子の天稟とやらもその程度だったということだ」


 光悦氏は静かにそう言うがその意志は巌のように固く、巽程度が何を言おうと小揺るぎもしないのは明白だった。

 ……光悦氏との会談を終え、巽は書庫へと案内された。四畳半ほどの狭い部屋の、壁三面ともが本棚となっていて、その全てが書物で満たされている。戦後間もなくに刊行された書籍は、この本棚の中では新参だ。戦前の書籍が何百冊と並び、さらに明治時代やそれ以前の和綴じ本が普通に棚に収まっている。

 美咲やしのぶ、ゆかりは何冊かの本を机の上に出してそれを広げている。巽はそれを横からのぞき込み「うぇ……」と顔をしかめた。おそらくは江戸時代の、当時の当主の手記なのだろうが、墨と筆で記されたその文字は草書である。


「何て書いてあるんだ?」


「さっぱり判りません」


「うん、お手上げ」


 しのぶが率直に答え、ゆかりが文字通り手を上げている。その中で美咲は一冊の書物を机の上に広げ、それを凝視していた。


「美咲、何か判ったのか?」


「この字……何て書いてあると思います?」


 美咲が指差す文字を一同が顔を寄せてのぞき込む。三人は似たような表情で眉を寄せ、首を捻った。


「こっちは『泉』じゃないですか?」


「うん、それっぽい。じゃあこっちは……『葵』?」


「『葵泉』? どういう意味?」


「いえ、『葵』ではなく」


 美咲がノートに鉛筆でその字を早書きする。かなり崩してはいるが読めないわけはなかった。そこに記されていたのは、


「そうか、『黄泉』か」


「でも、それがどうかしたの?」


 ゆかりの問いに、美咲は顎に手を当てて考え込んだ。


「いえ、もしかしたら『ツクヨミ』の『ヨミ』とはこれのことではないかと」


 巽は一瞬冗談だと思って笑おうとしたが、美咲はあくまで真剣だった。


「じゃあ『ツク』は『月』じゃなくって『突く』かもしれないわね」


 ゆかりは笑いながらそう言って、剣道の突きの動作を真似て見せる。だが美咲はそれすらも冗談とは受け止めなかった。


「あるいはそうなのかもしれません」


 美咲はあくまで大真面目で、ゆかりもそれ以上は混ぜっ返す気が起きないようだった。

 それから程なくして美咲と巽達は書庫を後にした。単なる駄洒落としか思えないようなその発見は美咲にとっては一筋の光明だったらしい。ただ、答えを完全に掴んだわけでなく、何かをずっと考え込んでいる。頭を抱え、腕を組み、庭をうろうろ歩き回り、でたらめに木刀を素振りし、


「うがーっ!」


 ときたま奇声を発し――届きそうで届かない答えに身悶えをしている。巽達はそれを見守ることしかできなかった。











 ……日が暮れて、夕食の時間となる。巽達は鷹峯一族の団欒にお邪魔して夕食を共にしていた。美咲の父母の、鷹峯夫妻。その息子夫婦、その子供。美咲にとって甥に当たるその男の子はまだ一歳半で、しのぶに遊んでもらってご機嫌な様子だ。


「遠慮せずに食べてくださいね」


「ゴチになります」


 巽は深々と頭を下げ、座卓に並べられた海の幸山の幸を一人で食い尽くす勢いで食べている。日本酒も出ていて、


「さあ、遠慮せずにどうぞ」


「あ、ありがとうございます……」


 ゆかりはお猪口で日本酒をちびちびと飲んでいた。まるで借りてきた猫のようで、いつもと比較すればほとんど別人だ。


「まあ、さすがにゆかりさんも大人しくしているか」


 美咲の甥っ子を除く鷹峯一族は全員竹刀、または木刀を用意していて、それを自分の席の横に、手を伸ばせばすぐ取れる範囲に置いている。それが対酔っぱらい用装備であることは説明されるまでもなかった。


「美咲さんは食べないのかしら」


「道場で素振りをしているようだ。今は好きにさせてやろう」


 と息子夫婦。美咲の兄は三〇の手前、スポーツマンの好青年といった印象の人物だった。


「剣術家として、冒険者として大成するにはああいう突き抜けた部分が必要なんだろう」


「お兄さんは美咲が冒険者になることに反対しなかったんですか?」


 巽の問いに彼は「しなかったと言うか、できなかった、かな」と笑った。


「僕も何年か前に冒険者試験を受けたことがあるんだよ。不合格で終わったけどね」


 ああ、と巽が納得の声を出す。


「父も一時期冒険者をやっていて、最高で四〇〇位まで行ったんだ」


「本当ですか?!」


 巽の驚きに光悦氏は無言のまま首肯した。


「冒険者を廃業したのは、何か理由が?」


「生命を懸けて剣を振るい、それを金にするのは確かに悪くない。だが妖物あやかし相手ばかりでは剣が荒れる」


 巽は「はあ」と判ったような判らないような顔をし、美咲の兄が補足説明する。


「鷹峯流の剣術はあくまで人を相手にするもの。剣術家同士の斬り合いで相手を制するもの。モンスターばかりを相手にしていてその本分を疎かにしてしまっては本末転倒……というところかな」


 なるほど、と巽は頷く。が、美咲の兄は苦笑して肩をすくめた。


「まあ、僕はこの道場のPRに父や美咲が冒険者だってことを最大限利用しているんだけどね。そうでもしなきゃこんな田舎であれだけの子供を集められない」


「きれい事ばかりでは道場も流派も維持できんのでね」


 と光悦氏はすまして言う。巽がコメントを差し控えたのは賢明だったのだろう。

 夕食を終えて、巽は美咲の姿を探した。美咲は庭にいて、寒空の中一心に木刀を振っている。一声かけようと思ったそのとき、


「花園君」


 背後から声をかけてきたのは光悦氏だ。彼は巽の横に並んで、窓の向こうの美咲の姿を見つめた。


「まだやっているのか、あの子は」


「はい。色々と煮詰まっているみたいで……『ツクヨミ』の『ツク』は『突く』かもしれないとか、『ヨミ』は『黄泉』かもしれないとか言い出したりして」


 美咲のことを心配する巽の横顔を、光悦氏は少しの間無言で見つめている。


「――ちょっと付き合ってくれ」


 そう声をかけて光悦氏は巽を伴って移動する。向かった先は道場で、光悦氏は巽に竹刀を手渡した。そして一対一で向かい合う。


「あの……一体何を」


 巽がわずかに冷や汗を流しながら問い、光悦氏が穏やかに答えた。


「奥義については、私からはあの子にヒントを与えることもできん。一人で足掻き、自力で掴まなければ意味がないのだから。だが、君があの子に手助けするのを私が止めることもない」


 そう言って光悦氏は竹刀を正眼に構える。彼の意図を理解した巽もまた竹刀を構えた。光悦氏が何かヒントを与えてくれるというのなら、それを間違えずに美咲に伝えられるように――巽の全神経が光悦氏の一挙手一投足に集中する。

 光悦氏の竹刀が動いた。構えが正眼から上段に以降、竹刀が円を描いて下段となり、


「え?」


 光悦氏がいつ動いたのか全く判らなかった。気が付けば光悦氏が一歩踏み込み、その剣先が巽の喉元に突き付けられている。


「い、今のは?」


「円の動きこそ剣術の基本にして奥義。それを究めたのがこの『月読の太刀』だ」


 巽は絶望的な気分となった。秘伝の奥義を見せてくれたのはどれだけ感謝してもし足りないくらいだが、何をされたのか全く判らない。どう動いていたのか全く理解できない。これでは美咲に何を伝えようもない。


「済みません! もう一度だけ――」


 巽の懇願に光悦氏は「ふむ」と頷き……次は全く違う構えだった。剣を水平にし、顔の高さで柄を握り込んでいる。戸惑う巽に対し、全身を発条ばねとした光悦氏が弾丸のような突きを放ち――巽は竹刀でそれを弾き、そのまま後ろに転んだ。


「やはり父のようにはいかんな」


 と光悦氏は苦笑している。首を傾げながら立ち上がる巽に対し、彼が説明した。


「私の父は『ツクヨミ』とは『突く・黄泉』――つまり黄泉に至る突きと解釈し、突きを極めることに生涯を懸けた。父の突きは木刀で石灯籠に穴を開けるほどのものだったよ」


「つまり……?」


「それが父にとっての『月読の太刀』だ」


 巽は困惑を極めたような顔となった。その巽に光悦氏が真実を伝える。


「『月読の太刀』はとっくの昔に失伝しているんだよ。本来のそれがどんなものだったのか、もう誰にも判らない」


「そ……そうなんですか?」


 理解しがたい様子の巽に光悦氏は説明を重ねた。


「だから歴代の当主は己が剣技に磨きをかけて、それを究めたものを『月読の太刀』の名で呼んだ。代々の『月読の太刀』の多くが、今は流派の技に取り入れられているよ」


「いいんですか? 秘伝の技のはずでしょう」


「どんな簡単な技であっても究めようと思えば生涯を懸けなければならないものだ。そうやって磨いた奥義こそが『必勝』『必殺』となる」


 巽は多少の時間をかけて光悦氏の言うことを咀嚼し、腑に落とし込んでいった。


「でも……どうしてそれを美咲に説明しないんですか? 俺にはここまで打ち明けておいて」


千束ちづか――息子の方だが、あいつは高校生のときにもう見抜いていたよ。『月読の太刀』は失伝していると」


 光悦氏は憂いのため息をついた。


「あいつには過去を受け継ぐことはできても新たなものを生み出すことはできん。悩み、迷い、苦しみ、その中で自分だけの奥義を見つけ、それを究め、それを『月読の太刀』と呼ぶ――五〇〇年の歴史に正面から向き合い、その奥義の名を冠して恥ずかしくないものを作り出し、『これが自分の「月読の太刀」だ、文句があるか』――胸を張ってそう言える。そうやって始めて奥義を会得したと言えるのだ」


「そうやって五〇〇年、ずっと続いてきたわけですか……」


 巽はその歴史に圧倒されていた。光悦氏は静かに断言する。


「ただ古いものを守っていただけでは五〇〇年も続かなかっただろう。鷹峯流が廃れることなく受け継がれてきたのも、歴代の当主が常に新しいことに挑戦し、新たに生み出したものを積み重ねてきたからだ。私はそう信じている」


 そして光悦氏は窓の外の美咲へと視線を向けた。その眼差しにはどこまでも深い慈愛が満ち溢れている。


「あの子もいずれは自分の『月読の太刀』を見つけ出し、鷹峯流に新たな歴史を重ねていくだろう。私はそう信じている」


 光悦氏との話を終えた巽は道場を出て庭へと向かった。庭では美咲が木刀を構え、そのまま微動だにしていない。夜風は身震いするほどの寒さだが、薄着の美咲の額には汗の粒が光っていた。


「美咲」


 巽が声をかけ、美咲は返事をしなかったが構えを解いた。美咲が疲れたような、小さなため息をつく。


「何か見つかったか?」


「いえ、何も」


 美咲が首を横に振る。巽は「そうか」と相槌を打ち、一呼吸置いて続けた。


「ところで、美咲は何を見つけようとしているんだ?」


 あまりに自明のことを訊ねられ、美咲は軽く目を見張った。


「もちろん奥義を、『月読の太刀』を……わたしは奥義の何たるかを知るために」


 不意に巽が人差し指を立て、それで夜空を指差した。美咲がその先を目で追うと、そこには三日月が。雲の切れ間から姿を覗かせる三日月が淡い光を放っている。


「今、美咲は何を見た?」


「空の三日月を……」


 訝りながらも素直に答える美咲に、巽が人差し指を立てた右手を左手で叩きながら言う。


「俺には美咲が、月じゃなくて指ばかり見ているようにしか思えなかったけどな」


 美咲が目を満月のように丸くした。巽が言っているのは喩えであり、何を何に喩えているのか美咲に判らないはずがない。そして美咲には思い当たる節が嫌と言うほどあり、反論の余地はわずかもなかった。


「あと一つ、アドバイスをするなら……」


 巽の言葉に美咲が伏せていた顔を上げる。巽は大真面目に、


「『考えるな、感じろ』。」


 そのとっておきの名言を口にし――美咲はずっこけそうになっている。


「すごく感銘できる助言をもらったと思っていたのに、台無しです!」


「別に冗談を言ったつもりはないんだが」


 と巽はちょっと心外そうだった。


「俺の見たところ美咲は考えすぎて迷路に入り込んでいるみたいだから。一旦考えるのを止めて、身体で感じてみた方がいいんじゃないかって思うんだ。答えはもう美咲の中に揃っている。それを頭で考えるんじゃなくて、心に感じて、身体に訊いてみるんだ」


 元々考えるの苦手だろ?と巽が失礼なことを言い、美咲が怒った素振りをする。そして美咲が微笑みながら吐息を漏らした。


「……確かに、考えすぎて思考が堂々めぐりをしていたように思えます。一旦頭を空っぽにした方がいいかもしれません」


 ふと、美咲が空を見上げた。星の海では雲の船に揺られるようにして三日月が浮かび、淡い光が二人を優しく包んでいる。


「月がきれいだな」

「ええ。久しくこうして、月を見ていなかったように思います」


 二人はそのまま長い時間、月を見上げて夜を過ごしていた。











 週が巡り、また火曜日がやってくる。この日、巽達は第二一七開拓地へとやってきていた。


「人型のモンスターと戦いたい」


 という美咲のリクエストに応えるためである。第二一七開拓地の狩り場はオークの巣窟として有名な場所だった。


「オークはレベル二〇から三〇と結構高い上に、群れを成して行動する。冒険者が結構殺られているって話だから、飛び抜けたレベルになっている奴もいるかもしれない」


 巽の再確認と注意喚起に全員が真剣に耳を傾ける。


「油断大敵、ってことですよね」


「ええ、もちろん安全第一で」


「うん、今日も『生命を大事に』ね!」


 しのぶの、美咲の、ゆかりの返答に巽は満足げに頷き、「それじゃ行こう」と号令をかける。巽に続いて三人が歩き出し、森の中へと足を踏み入れた。

 森を歩き出して一〇分足らず、「いきなり」と言ってもいい。三匹のオークが姿を現した。

 オークは二メートル近い巨体を有する、人型モンスターだ。首から上は豚のそれで、醜く太った体格。三匹のうち二匹は冒険者から奪ったと思しき剣や斧で武装し、もう一匹は自作かもしれない棍棒を持っていた。その棍棒のオークは人間用の鎧を無理矢理身にしている。着ている、と言うよりは単に引っかけているだけだったが。三匹のオークは巽達を見て「与しやすい、美味しそうな獲物」と判断したのだろう、嫌らしい顔で嗤っていた。

 しのぶが嫌悪に顔をしかめて、「行きます」と固有スキルを行使。しのぶの姿がその場からかき消えた。数秒後、オークの一匹が悲鳴を上げる。その両目には苦内が深々と刺さっていて、激痛と混乱に見舞われたそのオークは斧をでたらめに振り回した。


「支援頼む!」


「『加速』!」


 ゆかりから「加速」の支援を受けた巽がそのオークへと突貫。ゆっくりと動く斧をかい潜り、そのオークの心臓を一突きした。


「何っ?!」


 だが、ときに三〇に達するレベルは伊達ではない。心臓を完膚無きまでに破壊されてもオークは死ななかった。巽を握り潰さんとオークの両腕が迫ってくる。


「がああーーっっ!!」


 巽はオークを突き刺したままの剣を頭上まで振り上げた。オークの巨体が二メートルを超える高さまで持ち上がり――そのまま地面に叩き付けられる。脳天から地面に突っ込んだオークは首から上が完全に砕け散り、ようやくその身体が魔核を吐き出した。


「はあ」


 巽は安堵に気が抜けるが、それも一瞬のことだった。オークはまだ二匹残っていて、それをしのぶと美咲が引き受けている。一秒でも早く彼女達を手助けする必要があった。


「しのぶ! 美咲!」


 見ると、しのぶが「隠形」を駆使して二匹のオークを拘束しているところだった。オークの目の前まで行ってそこで「隠形」を使い、姿を消す。そして後方で姿を現して攻撃する。蝶のように舞うしのぶにオークは翻弄される一方だ……だが、しのぶには蜂のように刺す攻撃がない。攻撃を担うはずの美咲はじっと足を止めている。しのぶは綱渡りの連続を強いられ、急速に消耗していた。

 美咲はまるで抜刀術のように半身になっている。力を溜め、攻撃するタイミングを計っているようだった。美咲が一瞬目を閉じ、刮目する。


「しのぶ先輩!」


「お願いします!」


 しのぶが後退した。美咲の方へと一目散に逃げてきて、二匹のオークがそれを追っている。美咲の後方まで逃げたしのぶは美咲を盾にする位置となり、オークは美咲へと迫った。まずは美咲を始末するべく剣を、棍棒を振り上げる。


「……『月読の太刀』」


 美咲が呟くようにその名を呼び――


「え?」


 巽には何が起こったのか理解できなかった。美咲が剣を抜いて、一閃する。二匹のオークは臍の高さで上下に二分割され、四個の肉塊となって地面を転がった。二つの魔核が美咲の刀へと回収されていく。


「ふむ、こんなものでしょうか」


 美咲は懐紙で刀の脂を拭っている。その回りに巽やしのぶ、ゆかりが集まってきた。美咲は素知らぬ顔を保っているが、


「すごくない? すごくない? ほめてほめて!」


 と鼻高々な内心が一目瞭然だった。


「美咲さん、今のは……」


「固有スキルを使えるようになったの?」


 その確認に美咲は「ええ、まあ」と涼しい顔で頷く。


「にしても……一体何をしたらこんなことに」


 巽は上半身と下半身が泣き別れとなったオークの死骸に視線を落とした。


「美咲にとって『月読の太刀』ってどんな剣なんだ?」


「言うまでもありません――」


 と言いつつも美咲は高らかに返答した。


「何かもう、すごい剣です」


 美咲が爽やかな笑顔を見せる一方、巽はその場に崩れ落ちそうになっている。


「いや、その、どういう術理の剣だとかは……」


「よく判りません!」


 美咲が笑顔で断言し、巽は「ああ、そう……」とそれ以上問う気力をなくしていた。


「ですが我が鷹峯流の究極奥義なのですから、この程度のことはできて当然なのです」


 美咲がそう胸を張り、しのぶとゆかりは顔を見合わせた。


「……まあ、わたしもどうやってスキルを使っているのか説明を求められても困りますし」


「だよねー」


 二人の補足により巽もその固有スキルについて理解が及んだ……理解し難いものだということが理解できたように思えた。


「『考えるな、感じろ』――自分で言ったことだったな」


 巽は一人苦笑した。


「さて、こうして固有スキルも使えるようになったことですし」


 と美咲はハイテンションで張り切った様子を見せている。


「次は決め台詞を考えないと」


「忘れてなかったんだな、それ」


 巽の突っ込みを美咲は聞いていないようだった。美咲は主に巽に対し、


「こんな感じで考えているのですが」


 と試案を披露した。


「――遙かに遠き異界の空で、月の明かりが黄泉路を照らす。我が剣閃は黄泉路の灯明、黄泉路を辿りてあるべき場所へと還るがいい。我が剣は妖物を冥府へ送る調伏の剣――月読の太刀!」


「長えよ」


 巽は端的に異議を唱え、美咲はやや不満そうな顔をした。しのぶやゆかりも苦笑しつつ巽に賛成する。


「もうちょっと整理した方がいいんじゃないでしょうか」


「同じ単語が何度も出てるしね」


 その指摘に美咲は「むう」と考え込む。


「確かにその通りかもしれません……でもどこを削れば」


「大体、モンスターを前にしてそんな長口上やってる暇なんかないだろ」


 そのとき、茂みの向こうからモンスターが姿を現す。剣で武装した、二匹の豚人間――オークである。


「美咲、一匹任せた!」


「判りました!」


 巽と美咲が揃ってオークへと突貫する。巽がオークと斬り結ぶその横で、美咲はオークと対峙していた。


「わ――我が剣は黄泉路のと……」


 美咲は決め台詞を使おうとして早速詰まっている。棒立ちとなった美咲に対し、オークが剣を振り上げ、振り下ろし――


「と――とにかく死ねぇ!」


 美咲の奥義がオークの土手っ腹に炸裂。オークは派手に血飛沫を撒き散らし、腹部を空っぽにして絶命する。一方巽は脱力のあまりオークに殺られそうになり、しのぶに助けられていた。












 十数匹ものオークから魔核を回収し、その日の狩りはかなりの大漁で終わろうとしている。巽達は意気揚々とベースキャンプに向かっているところだった。


「あ、見てください。巽先輩」


 美咲が上を指し示し、巽が空を振り仰ぐ。太陽は没する寸前で、空は紫紺に染まっている。その空に半月が浮かんでいた。幾億の星々を従える女王のように、月が天空で輝いている。


「月か……当たり前かもしれないけど、こっちにも月があるんだな」


「そうですね。今まで月なんかゆっくり見たことがありませんでした」


 巽達四人は足を止め、しばしの間月を見上げている。彼等の疲れを癒すように、月は柔らかな金の光を放っていた。




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