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ルチアの観察日記

 しばらく経つと、霞がかっていた視界も見えるようになってきて、周りの状況がわかってくる。

 真っ赤な鱗に、力強く大きな身体をしているのが父親だろうか。

 かつて私は人として生きていたような記憶がうっすらとある。

 その前世のものらしき記憶が、その姿はいかにも西洋の伝説やファンタジーの世界に出てくるドラゴンそのものだと告げていた。

 母親の身体は父親よりも一回り小さく、水色の鱗をしていた。ほっそりとしていて、時折羽ばたく翼は水の膜が張ったように透き通っていて、とてもきれいだ。

 それに比べると父親の翼は少し黒色がかっていて、いかにも強そうに見える。

 かっこいい。

 昔読んだ本の中に出てきたドラゴンは、やはりこんな姿をしていた気がする。

 どう考えても、ここはやはりニホンではないらしい。

 かつて私が人として生きていた世界はニホンというところだった。

 あまりにも違いすぎる世界に、戸惑いは少しあるけれど、人として生きていたときの記憶は扉を一枚隔てたような向こう側にあって、あまりはっきりとはしていない。

 そんなことよりも、目の前の父や母の姿のほうがよほど気になっていた。

 とがった耳の形が父親と母親で違うように見えるので、ドラゴンの中でも種の違いがあるのかもしれない。

 けれど、その問いを口にしても飛び出すのは「ピギャー」という少々情けない泣き声だけだ。

「あらどうしたの、ルチア?」

 母が私の叫び声に、心配を声に滲ませて近づいてくる。

 ぺろりと頭や首筋を舐められる。

 ふと見下ろした私の鱗は真っ白だった。

 両親のどちらにも似ていない鱗の色に少しがっかりする。

 母親に身体を舐めてもらっていると、次第に気持ちも落ち着いてきて、うとうとと眠気に襲われる。

 ああ、まだ周りの状況を観察していたいのに……。

 赤ん坊ゆえに眠くなるのはしかたがないのかも知れない。

 私は大きなあくびをひとつして、目をつぶった。


 次に目が覚めたときには、私のおなかは空腹でグウグウと鳴っていた。

「ぴぎゃ、ピギャー」

 不快感に声を上げると、すぐに母親がすべるように優雅な動作で近づいてきた。

「ああ、おなかがすいたのね」

 そういって母親が差し出してきたのは、タマゴの殻だった。

 殻、ですか?

 赤ちゃんといえばミルクだと思い込んでいた私は、母がタマゴの殻を目の前に差し出してきた意味を図りかねていた。

「キュ?」

 首をかしげて、母親を見上げる。

「たくさん食べてね」

 母はタマゴの殻を少し割って口にくわえると、私の口元に押し付けてくる。

 え、食べるの? タマゴの殻だよ? じゃりじゃりするよね。食べ物じゃないと思うよ。

 口を開けようとしない私に業を煮やしたのか、母親は無理やり舌で私の口をこじ開けて、タマゴの殻を押し込んだ。

 うわ~ん(泣)

 ん? 意外と、おいしい?

 舌の上に乗せられた欠片は、甘く、シャリシャリとしていてりんごのような食感がする。

 私は夢中になってタマゴの殻をむさぼった。

 ぱりぱりと音がして口の中で殻が割れる音も面白い。

 やっぱりドラゴンになったので、味覚も変わってしまったのかもしれない。

 殻をすべて食べ終えると、おなかはいっぱいになった。

 白い鱗に覆われた小さなおなかが、ぽっこりとふくれている。

 いわゆる幼児体型というやつだろう。

「けぷっ」

 小さなげっぷがでて、また眠くなってくる。

 ああ、眠い……。

 私は再び眠りに引き込まれていった。



 食べては、眠り、出すものを出す生活が続いた。

 どうやらこの身体はかなり発達途中にあるらしい。

 与えられた食事を食べるだけで疲れ、眠くなってしまう。

 そんなわけで、今のところ小枝を敷き詰めた巣が私の知る世界の全てです。

 本当はここがどんな世界なのか探検したくて、うずうずしているんだけども、この身体ではなかなかむずかしい。

 ドラゴンがいるってことは、ほかにも幻想的な生き物がいる可能性が高いわけで……。私が読んだ本の中にドラゴンが出てくるような話の場合、剣と魔法の世界であることが多かったので、私としては大いに期待しているのです。

 けれど、今のわたしはなんと言っても赤ん坊。

 目が覚めると父親か母親がすぐそばにいて、食事を与えたり、巣を綺麗にしてくれたりと私の世話をしてくれる。

 父(仮)よ、あなたはお仕事をしていないのですか?

 あまりにも頻繁に現れる父親の姿に、何をして生計を立てているのか、赤ん坊ながらに心配になる。が、考えてもしかたがないので気にしないことにする。

 出される食事は基本的に果物でした。リンゴっぽい見た目で味が梨とか、どう見てもブドウなんだけど、味は桃とか、前世の記憶にある果物の形と味が一致しないものもあれば、いかにもまずそうな色合いのへんてこな形の果物が出てきたりする。

 美味しく頂きますけどね。

 あ、さすがにタマゴの殻は最初の食事以来食べていません。

 ドラゴンって草食だったんだね。まあ、血の(したた)る肉とかを出されたら、そっこーで倒れる自信があります。はい。

 あとは両親の名前がわかりました。

 父親がイーヴォで、母親はミレーナと言うらしい。

 ふたりは私の前でもお構いなしにいちゃついている。

「本当にルチアはかわいいな、ミレーナ」

「ええ本当に、イーヴォ」

 手を取り合って、うっとりとこちらを見つめてくるので気恥ずかしい。

「ぷひっ」

 ため息をついたら変な声が出てしまった。

 そんな私の様子を両親は瞳を潤ませ、でれでれと顔を緩めて見つめている。

 うわ~、恥ずかしいからあんまり見ないでほしい。

 前世のうっすらとした記憶をさぐっても、ここまで両親に愛された記憶はない。とても気恥ずかしくて、でもこの両親の元に生まれてよかったという気持ちになる。

 そんな風にしんみりしていても、目の前の果物を出されるとどうしてもそちらに意識が集中してしまう。

 あ、おいしい。

 今日はリンゴもどきですね。

 私が勝手にそう呼んでいるのは、見た目はリンゴで味が梨のような果物のことだ。

 ドラゴンらしくしゃりしゃりと果物を丸ごと噛み砕いて飲み込む。

 あー、本当においしい。

 なんとなく人として生きた前世の記憶はあるけれど、今はドラゴンの赤ん坊としての意識が強いようで、いまのところ生活に支障はない。前世の記憶があまりに遠すぎて、いまいち実感がわいていないということもある。

 なんとなくこんな風にのんびりしながら成長していくのかなあ、と思っていたときが私にもありました。

 いつものお昼寝から目を覚ました私は、目の前の大きく開かれた口にあわてて飛び起きた。

「ヒギャーァ!!」

 情けない鳴き声をあげながら、精一杯足を動かす。

 棘のいっぱいついた口が大きく開いて、私を飲み込もうとしている。

 それは蔦がうねうねと絡み合ったような形をしていて、前世でプレイしていたRPGゲームに出てくるモンスターにそっくりだった。

 剣と魔法の世界に違いないとは思っていたけれど、まさかモンスターまでいるなんて。

 恐怖と興奮に混乱しつつも、身体は本能に従ってそれから逃げようとする。

 けれどそこはなにぶん赤ん坊の身体。

 数歩も歩くことなく、ベシャリと巣から地面の上に転がった。

「ピギャっ!」

 痛い……、って思っている場合じゃない。でも、動けない。羽を動かしても、小さな風が起こるだけで飛べやしない。

 そうしている間にも、モンスターはうねうねと蔦を動かし私に近づいてくる。

 くわりと口が大きく開いて、生臭い息がかかる。

 ああ、短いドラゴン生だったな……。

 私は恐怖に目をつぶった。

「ルチア!」

 父親の切羽詰ったような声が聞こえて、ごおっという音と熱気が鼻先を掠めていった。

 いつまで経っても訪れない痛みに、恐る恐る目を開くと……。

 真っ黒焦げになったモンスターの残骸らしきものが、しゅうしゅうと煙を上げている。

 ま、まさか……?

 赤い巨体をひらりと目の前に着地させて、父親が私に駆け寄ってくる。

 モンスターの残骸は父親の足に踏まれてばらばらと地面のうえに散乱した。

「よかった……っ!」

 父は感極まって少し涙声になっている。

 私が無事であることを確認するように、ぺろぺろと全身を長い舌で舐めてくる。

 くすぐったいです、お父さん。

「ルチア、ごめんよ。魔物の侵入を許すなんて。俺はなんという情けない父親だろう」

 そんなことないよ。助けてくれたんだよね。ありがとう。

「ピギャッ」

 いろいろと伝えたいのに、この口はピィとかギャという音しか出ないのが、とても悔しい。

 せめて感謝の気持ちが伝わるようにと、私は父親の頬をちょびっとだけ舐めた。

「ルチアっ……!」

 どうやら感謝の気持ちは伝わったようで、父親はエメラルドのようなきれいな目を大きく瞠ったかと思うと破顔した。

 命の危機が去ったと思うと、むくむくと好奇心がわきあがる。

 顔中をぺろぺろと父親に舐められつつ、私は周囲を観察する。

 やはり先ほど父親が使ったのは、ドラゴンブレスというものだろうか。それともやはり魔法なんだろうか?

 魔物(?)だったものを中心に地面は黒く焼け焦げている。巣の小枝もこんがりと焼きあがっていて、真っ黒だ。とてもこの場所で眠れる気がしない。

「ピィ」

 ちゃんと新しい巣を作ってくださいね。お願いします。

 すりすりと頬を父親の頬にこすり付けると、目に見えて父親の顔はでれでれと崩れる。

「ああ、本当に娘ってかわいい」

「イーヴォ?」

 笑み崩れていた父親がびくりと全身を硬直させた。

 父親がぎぎっときしむ音が聞こえるようなしぐさでゆっくりと振り向くと、そこには笑顔で全身に怒りをみなぎらせている母親の姿がありました。


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