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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
二話 王都
6/26

熟れたクルカの実は美味い


   3


 久しぶりの王都へと辿り着いたセルジュがまず最初にしたことは王国軍本部へと出向いての到着報告と、正式な辞令書類を貰うことだった。

 セルジュが訓練校を卒業して王国軍に入隊してから何年か経つが、後方への異動というのは初めての体験である。幾分手間取った事実は隠せない。特に道中でセルジュが犯した失態が原因で遅れてきたことに関して、散々に説教をされてしまった。


「セルジュ二等精霊司、確認と手続きが終了しました。これであなたは、本日より中央精霊機技術工房配属となります」

「……中央工房ねえ。なんでそんなところに飛ばされたのやら」


 事務受付で妙に無表情の女性からそう告げられて軍本部をあとにした後、王都の市街の中を歩きながら小さく溜息をついた。


 セルジュには正直、不満が燻っている。

 セルジュが軍に入った目的は家族の生活を支えるためと、妹が訓練校を卒業して前線に駆り出されるまでに、少しでも戦況を良くすることである。

 王都では戦功を立てることも出来ないし、前線の改善にも貢献できない。

 セルジュは決して戦いが好きなわけではないが、家族のために躊躇うつもりもなかった。王都にいてはその目的が達せられないのだ。

 そもそもな話、精霊機技術を扱っている工房に二等精霊司である自分が行って何をするというのだろうか。まさか雑用をさせるために前線から呼び戻されたわけでもあるまい。


「一応給料は上がってるみたいだけど……」


 つい先程軍本部でさらりと告げられた事実を呟きつつ、とはいえ、前線で敵精霊機を撃破したときの報奨金と比べてしまえば砂の粒程でしかないという現実に、肩を落として項垂れた。

 そんなセルジュの気分とは反比例するように、周囲は明るい活気と喧噪に満ちている。

 王都グランテアはこの国で最も人口の多い、最大都市だ。

 太陽が真上にあるという時分も関係していて、周囲を行き交う人々の数は多い。特に今セルジュがいる通りは一般市民向けの飲食店や小物屋が建ち並んでいて、数え切れないほどの人が行き交っていた。

 買い物カゴを持った主夫達が路端で立ち話をし、幼い子供達が笑いながら人の隙間を駆け抜けていき、商人達は声を上げて呼び込みをしている。

 戦争の影も匂いも無い、平和な街並み。


 まるで別世界だと思う。

 大陸の中央部の利権を奪い合う戦いは今も続き、多くの人間が命を盾に戦っているというのに、ここにいるとそれらがまるで他人事の様に感じてきてしまう。

 それどころか、これまで自分が戦場で経験してきたことすら全て夢だったのではないかと錯覚してしまいそうになる。

 果たして、この通りの中でこの国が戦争しているという事実を肌で実感している人間がどれだけいるのだろうか。

 少し呑気過ぎではないかと、無意識のうちにそんなことを思ってしまい――、


「はぁ、これは本格的にやばいかもしれん……。自覚してる以上にストレスが溜まってるのか?」


 自分が駄目な方向の思考に陥っていると自覚して、セルジュは大きく首を振った。

 長い間国境線上の拠点に居着いていたせいか、どうにも心がささくれ立っているようだった。あまり良い兆候ではない。

 王都の住民達の豊かな生活模様は、セルジュ達兵士の働きの成果だ。

 戦いを知らぬ人々が明るく笑うこの光景を見て誇りに思うことをすれ、憤りを覚えるなどとはあってならない考え方だった。


「――……ようしっ、決めた!」


 セルジュは気を取り直すように手を打った。 

 この荒んだ心を癒やすには潤いが必要だ。間違いない。

 到着した以上は出来る限り早く中央工房に行く必要はあるが、少しくらい寄り道をしても責められはしないだろう。もう既に大幅に遅れてるのだ。今更何をしようと誤差である。いやむしろ、自身の体調管理は全ての兵士が持つ責務といっても過言ではない。不測事態に備え、常にモチベーションを高く保っておくのも立派な仕事の一つである。

 だからして、体調を整えるべく出かけた先に、以前王都にいた頃に知り合った女性が偶然いたとしてもそれは何らおかしくないのだ。それは運命のいたずら、誰もが意図せぬ邂逅。例えこの国の貴族や王であろうとも、神の采配に文句を言われる筋合いはないに決まっている。


「……ふふふ、そうと決まればどうするかなー。流石に昼間っから酒場と娼館は拙いだろうし……そうなると、アポ無しに会いに行って大丈夫そうな相手となると……ううーむ」


 セルジュの女好きは今に始まったわけではない。

 王都の訓練校にいた頃にはよく寮を抜け出して夜の市街へと繰り出して、異性の知り合いを増やしては親交を暖めていたものだ。

 だがなにぶん王都を訪れるのは久しぶりなので、以前親交があった人達でも今どうなっているか分からない者も多い。どこに向かって足を進めるべきかと足を止めて悩んでいると、ふと視界の中に透き通るような黄昏色の髪が映った。


「――――……」


 陽光を浴びて燐光を纏うその光景につい視線を奪われて、まるで目に見えぬ糸に引っ張られるようにして意識もそちらにやる。

 その髪の持ち主は、少女と女性の間くらいの年齢をした、整った顔立ちの中にも幼さを感じさせる容貌をした女だった。恐らくセルジュよりも少し年下という辺りだろう。

 そんな人物が親の敵でも見つけたようなつり上がった目つきで、露店の前で立っている。


「すっげえ美人……というよりは可愛い? いや、神秘的というべきか?」


 目に入った彼女をなんと言い表すべきかセルジュは迷う。

 すっきりとした顔立ちは美人と言えるし、だが随所に垣間見える幼さは可愛いという感想を抱かせる。光に透かされたような白い肌と、頭の両端で結わえられた長く美しい黄昏色の髪に意識を奪われれば、神秘的とも思ってしまう。 

 端的に言ってしまえば、容姿の整った魅力的な少女だった。体付きもすらりとしていて、想像の中で生み出るような理想的な均衡を保っている。

 唯一の欠点と言えば、その胸が絶望的なまでに平らなことだろうか。上等な生地に覆われたその部分は、悲しくなるほどに盛り上がっていない。

 彼女程の年齢であの状態では、将来性も絶望的だろう。

 だが女性の胸に貴賤無し。

 大きいものも小さいものもそれぞれに魅力があり、優劣など無いのである。

 そもそも彼女程のレベルになってしまえば、それは最早欠点になどではない。細く整った少女の身体は、妖精のような危うい華奢さと儚げな魅力を生み出し、その存在を際立たせる一つの要素へと昇華されていた。


 現に周囲を行き交う人々の多くは、老若男女問わずに彼女に見惚れて一瞬足を止めている。

 それでも声をかけるものが現れないのは、少女の非現実めいた存在感に気圧されているのと、その身に纏った深い黒を基調に要所に鮮烈な赤を差し込んだ制服が原因だ。

 彼女が身に纏っているのは一見すると王国騎士団の制服とも似たものだったが、色や細かいところの装飾が王国騎士団のそれとは違っている。

 おそらくはどこかの貴族領主が私設している騎士団のものか。


 貴族の中には王都と自分の領地を頻繁に行き来している者も珍しくないため、その護衛のために王国騎士団以外の人物をこうやって見かけることはままあるのである。

 そして遠出をする領主の護衛となれば、それは腕利きだと相場が決まっている。

 そんな人物がこんな場所で一体何をしているのだと、セルジュが足を止めて興味本位に観察してみると、彼女が険しく睨み付ける視線の先には露天の商品棚があった。そこには手の平に乗るくらいの赤い果実が陳列している。


 その正体がクルカの実だとセルジュにはすぐに分かる。

 直接食べるのはもちろんのこと、料理や菓子、果実酒等の材料にも使われている、王国全土に認知されている国民的果物である。特に春先の今の時期のよく熟れたクルカの実は、果実を噛むと甘みと酸味が凝縮された果汁が実全体から溢れ出てきて最高に美味い。

 田舎にあったセルジュの実家でもクルカの実は栽培していて、子供の時には食べ頃の時期が来るとこっそりと摘まみ食いしたものである。

 どうやら黄昏色の髪を持つ少女は、その品定めをしているようだった。


 身長はやや小柄か。

 黒と赤。

 その威圧的な騎士服にどことなく見覚えがあるなとセルジュが記憶の中を漁っている間に、彼女は意を決したようにしてクルカの実の一つを手に取った。

 彼女が手に取ったクルカの実は瑞々しく張りがあり、実も他と比べてやや大きめだ。

 軽く翳してその事実を確認した黄昏色の髪を持った少女は、手にした結果に満足げに口の端を釣り上げた。

 なんか蜂蜜を前にしたときのリュリュに似ているなあと思いつつ少女の様子を眺めていたセルジュは――暫くしてポリポリと頬を搔くと小さく息を一つ吐き出してから声をかけた。


「おーい、買うならそれよりもこっちにしておいた方が良いぞ、お嬢さん」

「きゃ」


 誰かに声をかけられるとは思っていなかったのか、彼女がびくりと肩を震わして一歩後ずさった。そうして警戒した猫のように目を吊り上げて、セルジュのことを睨み付けてくる。


「な、何よ、あんた……?」


 そんな彼女の反応にセルジュは「あれ?」と意外に思う。

 見た目は様々な魅力内包した彼女であったが、声や反応を直接知ってみると思った以上に幼い印象が強まった。


「名乗るほどでもない、通りすがりのお節介さんだ」

「はあ?」

「それより、あんたが今持ってるやつよりも……例えば、ほら、こっちとかの方が食べ頃だぞ」


 セルジュは露天の商品棚を一瞥するとその中からクルカの実を一つ見繕って、相手の目線の真ん前に差し出して見せる。

 人慣れしていない猫のように警戒心を剥き出しにしていた少女はそれを見て、今度はありありと不信感を顕わにした。


「あんた、馬鹿にしてるの? そんな腐りかけ、美味しいわけないじゃないの。こっちの方が艶もあって美味しいに決まってるわ」


 セルジュが差し出したクルカの実は赤を通り越して黒に近いくらいに表面の皮が変色していて、表面の皮にも薄く皺が寄っている。

 確かに見栄えという点ではセルジュが選んだものは遙かに劣っているだろう。しかし、まかりなりにもセルジュは農村の出である。ましてや実家で扱っていたものの知識を持っていないわけがない。


「あのなあ、クルカの実は身が柔らかくなるくらい熟れた辺りが食べ頃なんだよ……あ、あとナイフちょっと貸してくれる?」


 クルカの実二つ分の代金を露天の主に渡して、ついでに苦笑いを浮かべる露店の主から差し出された果物ナイフを受け取った。そうしてから、ひょいと黄昏色の髪を持つ少女が持っていた赤い果実を取り上げる。


「あ、ちょ、こら!」

「別にとりゃしねーよ…………ほれ」


 慌てる彼女を無視してセルジュは慣れた手つきで鮮やかな赤を持つクルカの実の皮を剥き終えると、彼女の手元へと戻した。黄昏色の髪を持つ少女は憮然とした表情を浮かべていたが、暫くセルジュの顔と手元の果実を交互に見比べた後に、口を小さく開いてそっと囓った。

 シャリ、という音が小さく鳴る。

 少女は良く噛んだ後にゆっくりと嚥下して、


「甘い…………けど、ちょっと苦い。あと少し固い、かも」


 食べられないわけではないのだろうが、想像していたものと口の中に広がる味には随分な差があったのだろう。彼女は整った顔立ちを僅かに歪める。

 その姿に笑いを零しつつ、次いでセルジュは熟れたほうのクルカの実を手渡した。勿論、既に皮は剥いてある。

 渡された少女はまだ少し疑わしそうな表情でセルジュを見ていたが、渋々といった様子でもう一つの果実も口に含む。

 そして、驚き信じられないかのように大きく目を見開いた。


「甘い! な、なにこれ!? さっきのとまるで別物じゃないの!?」

「だから言っただろ、こっちのほうが食べ頃だって」


 セルジュが笑いながら見やると、黄昏色の髪の持ち主は納得がいかないように唸り声を上げた。


「うーうー……、じゃ、じゃあ、なんでそんなまだ食べ頃じゃないものを店先に置いてるのよ! あ、もしかして騙すつもりだったわけ!?」

「アホ、大声で営業妨害になるようなことを口にするんじゃないよ」


 露店の主も困ったような顔を浮かべていた。

 明らかに目を引く容姿を持つ彼女が店先にいるのは注目を集める良い機会なのだろうが、デタラメの風評被害を立てられるのは困る。それでも何も言わずに様子を見ているのは、軍服を纏った相手に口を出すのは憚られるからだろうか。

 何故かセルジュが申し訳ない気持ちになりつつ、納得がいかないような顔をしている少女に溜息交じりに説明してやる。


「熟れてる方はすぐに食べたい人が買って、まだ成熟してない方は買ったあとしばらく放置して日持ちさせるんだよ」

「あ、なるほどね」


 少女は思わずといった風に納得した声を漏らした後に、


「……そ、それならそうと、そこの店主が早く教えてくれたって……」

「いやいやいや、何か言わなきゃ、お前がすぐに食べるかどうかなんて分からないからな?」


 そもそも、それくらいならば常識の範疇である。

 クルカの実などエストランジュ王国内には広く流通しているのだから、城下町の子供だって知っているようなありふれた知識だ。そんなことも知らないとなると、恐らく、彼女はそれなりの身分の人間で、自分で買い物など普段はしないのだろう。

 少女がむうと頬を僅かに膨らませる。

 知らなかったことが恥ずかしいのか、その表情が僅かに赤らめられていた。


「そ、それならあんたは何で私がすぐに食べるって思ったのよ……。もしかしたら、私は日持ちさせるために買ったのかも知れないじゃない……」

「なんでって、そりゃあ……」


 そこで言葉を濁す。

 少女の様子が腹を空かしているときのリュリュに似ていたとは、流石に言えない。

 リュリュは愛くるしい姿をしているとはいえ、動物に例えられて――正確には精霊だが――喜ぶ人間もそうはいないだろう。

 さて、しかしそうなると、なんと答えれば彼女を納得させられるのか。

 出来る限り少女の機嫌を損ねず、なおかつ後に続くようなものが好ましい。

 お節介から始まった関係ではあるが、それをこのまま終わらすのはもったいなさ過ぎる。


 ――くう。


 そのとき、丁度、腹の音が鳴った。

 控えめで大人しいその音源がどこなのかは、食べ頃のクルカの実のように顔を熟させた少女を見れば一目瞭然であった。


「ち、違うし! 今の偶然であって、というか全然私は関係ないっ……こともないかもしれないけど…………、うう……なんかもうやだ……、死にたくなってきた……」

「いやそれくらいで死ぬなよ……メンタルの弱い奴だな……」


 そう呟いた後に俯いて肩を落とす少女からは、最初に感じた神秘的な印象は全く無い。今セルジュの目に映るのは感情の浮き沈みが激しい、あまり物事を知らなそうな可愛い女の子である。

 顔を俯かせて呻き声を漏らしていた少女は、ふいに、がばっと顔を上げると爛々と瞳に炎を灯しながら声を張り上げた。


「あーもうっ、全部あんたのせいなんだからねっ! どうしてくれるのよ!?」

「おい。なんかすごい責任転嫁をされてる気がするんだが、俺の気のせいか」


 呆れるを通り越して感心すら覚えそうな対応であった。一体少女の中ではどのような論理が成されたのだろうか。


「あんた、その制服は王国軍所属ね!? 名乗りなさいよ!?」


 びしりと強気な態度を崩さないまま少女に対してセルジュはぽりぽりと頬を搔きながら、まあいいかと思いながら、


「セルジュ。王国軍属第十…………て、違うな。そう言えば、ついさっき変わったんだった」

「セルジュ……それに第十? それって、まさか……いやでも、そもそも十番以降は大陸中央の戦線に行ってるはずで……」


 セルジュのその呟きに少女は怪訝そうな表情をした後に、にやりと口の端を釣り上げた。


「ははぁん、あんた、さては何かヘマして後方に左遷されてきたのね?」

「あ?」


 少女の言葉にセルジュは顔を顰めた。

 その反応を図星と見て取ったのか、少女の表情に勝ち気が浮かぶ。


「まあ、仕方が無いわね。セルジュなんてよく聞く名前だし、それになんか惚けた顔してるし、どうせぼうっとしてる間に下らないミスでもやらかしたんでしょう?」

「ほっとけ。名前に関しては大きなお世話だ」


 地味に気にしていることを言われて、セルジュは口元を引き攣らせる。

 指摘されたとおりセルジュという名前はエストランジュ王国では極めて一般的な名前で、大通りでその名前を叫べば数人が振り返りそうな程度にはポピュラーなものだ。


「大体偉そうに人のことを言ってるけど、そういうお前はどうなんだよ? その様子だと、さぞかし立派な名前をお持ちなんだろうな」

「ふふん。私はエナーシア=クリート! 誉れ高きリゼンシュタール騎士団の二等精霊司よ! 覚えておきなさい!」

「エナーシア……確か、お伽話に出てくる湖の妖精の名前だったっけか。そりゃ大層な名前だな……いや、それよりも、リゼンシュタール? ……ああ、どうりで」


 彼女が来ている制服にも見覚えがあるはずだと納得する。

 リゼンシュタールと言えば王国の三大貴族に数えられる一門で、クラウシュト侯爵家と肩を並べる名門貴族である。統治する領地の広さは国内でも最大、多くの精霊司を輩出する名門であったはずだ。

 リュシュタール騎士団の実力は王国騎士団にも勝るとも劣らないことで精強さで有名であり、セルジュも訓練校時代や戦地で幾度となく目にする機会があった。


「ああ、私が別に精霊司だからって別に引け目に感じることはないわよ。私は立場に胡座をかいて威張り散らすなんて卑怯な真似をするつもりなんて一切無いんだから。さあ正々堂々かかってくるが良いわ!」

「……いや、引け目も何も俺も二等精霊司だからな」


 そもそも、なんでこの場で喧嘩でも始めるような雰囲気になっているのだ。

 王国軍に所属するセルジュは勿論、リゼンシュタールの騎士団員だという少女もこんな街中で問題を起こしては事である。万が一にも大事に発展して守衛に捕縛でもされれば、大目玉だ。そんな下らないことで減給などされたら堪ったものではない。

 ついでに付け加えるならば、店の前で騒ぎを起こされて露店のおっちゃんが涙目になっている。つくづく申し訳ない。


「む……なによ、あんたも精霊司だったの?」

「まあ、一応な」


 セルジュの言葉にエナは胡乱げな視線を向けてきたものの、セルジュが手の中に精霊を呼び寄せる仕草をしてみせると、そのマナの兆候を感じ取ったのかエナは納得したように頷いた。


「なるほど、どうやら嘘は言っていないみたいね」

「分かってくれて俺は嬉しいよ。更に言うなら、その怒気も納めてくれると万倍は感謝するんだがな」

「あら怖じ気づいたの。まあ、いいわよ。同じ精霊司のよしみで今回は勘弁して上げるわ。べ、別に決して、どうやって事態の収拾付けようとか悩んでいたわけじゃないんだからね!」

「おう、取りあえずエナがそんなに悪い奴では無さそうで安心したよ」

「どういう意味よ! それと、さりげなく勝手に人を愛称で呼んだわね…………まあ、別に良いけど」


 そう言ってそっぽを向く少女にセルジュは小さく苦笑する。直情的というか、短絡的というか、余り物事を考えるのに向かなそうな様子ではあるが、やはり悪い娘ではないのだろう。

 一先ず騒動が収まったと思うべきなのだろう。周囲でさりげなく様子を窺っていた民衆達も少しずつ捌けていく。あからさまに残念そうな顔をしているのは騒動を望んでいた者達か。良い御身分である。

 セルジュは誰にも気付かれない程度に肩を竦めると、改めて対面の少女のことを観察してみる。

 やはり、綺麗に整った顔立ちをしていている。

 目や口と言った各々の部品が洗練されたように形作られているし、それがあるべき場所にあるという、一種の理想的な均衡を保つ配置がされていた。眉目秀麗というべきか、これならば一流の技師が時間をかけて作りだした精緻人形といわれても納得がいく。

 最高級の絹糸も霞んで見えるその淡い黄昏色の髪も、彼女の持つ雰囲気を一層際立たせている。クルカの実に関する会話で当初よりも子供っぽい印象は強くなっていたが、それも十分に魅力的な要素である。


「な、なによ、人の顔をじろじろ見て……? あ、もしかして私の顔になんかついてるわけ? ならそう言いなさいよ」

「いや、違うけど」


 しかもどうやら彼女は自分の容姿にあまり自覚が無いらしい。

 怪訝そうな表情を浮かべる彼女にセルジュは何でも無いと小さく首を振って、


「それよりも、貴族直下の精霊司がこんなところで一体何をしてるんだ? いくら王都つっても、ここみたいな外れは観光に来るような場所でもないだろ」

「別に、仕事よ。私の所属はリゼンシュタールの騎士団だけど、今はこっちのとある場所に勤務してるの。今回はそこで頼まれた用事があって、たまたま通り道にあった露店を眺めてただけよ」

「ふーん。腹が空いたから彷徨ってたわけじゃないのか」

「人を欠食児童みたいに言うんじゃないわよ! ぶん殴るわよ!」


 フシャーと猫の如く威嚇するエナーシア。しかし直ぐに我に返ったのか「ふん」と短く息を吐き出した後に、ふと思い出したかのように声を上げた。


「ああっ! そうよ、こんなことしてる場合じゃなかったのよ、私はっ! さっさと軍本部に行ってこなきゃいけないんだった!」

「露店で売り物に目を奪われてた人間の台詞か、それは」

「う、うるさいわね! それくらいの余裕はまだあったのよ、まだあの時は!」


 そう言いつつ、エナーシアの身体の向きは既に目的地の方向へと反転している。落ち着きが無いと言うべきかなんと言うべきか、遊び盛りの子供のような雰囲気だ。最初目にしたときの神秘的な空気はまるで感じられない。……そういえば、年齢はどれくらいだろうか。見た目からして年下なのはまず間違いないと思うのだが。


「あ、そ、それとあんた!」

「ん?」


 そのまま駆け出していくかと思われたエナーシアは途中で動きを止めて、首だけを振り向かせた。


「美味しいクルカの実をご馳走して貰ったことには……、まあ、お礼を言ってあげても良いわよ! ……ありがとねっ」


 少女は頬を朱色に染めてそう言い放ったあとに、駆け足で雑踏の中へと消え去っていった。セルジュは思わずぽかんとして、勢いに揺れる黄昏色の髪を見送る。

 ……もしかしてあの逆ギレ気味の責任転嫁も全て、最後の一言を素直に言えなかっただけの照れ隠しだったのだろうか。

 もしそうだとするならば、


「不器用な奴……」


 一体どれだけ拗らせているのかという話だ。

 これまでにも色々な女性と関わってきたセルジュだったが、あそこまで難儀な人物には流石に出会ったことがない。

 流石、久しぶりの王都。

 やはり色々な人間がいるもんだと、セルジュは感嘆の息を吐き出した。


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