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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
二話 王都
5/26

王都到着

   0


 これはとある田舎の、とある家族の話。


 その家族は田舎で小さな果樹園と畑の面倒を見ながら、祖父、祖母、父、母、兄、弟、妹でみんな仲良く暮らしていました。

 朝になると祖父と父と母は仕事に出かけます。兄はその手伝いについて行きます。弟は村の友達と外に遊びに行き、妹は弟の後を小さな足で追いかけるのがいつもの光景です。祖母は家事をしながら、みんなの帰りを家で待っています。


 これはとある田舎の、とある家族の話。

 まだ平和で暖かな頃の、とある家族の話。



   1



 この世界に現存する唯一の陸、ホルスクレイ大陸。

 幾つもの命が生まれ、育まれ、そして土に還る。

 教会によって流布される古の伝承、双子神によって産み落とされた竜が創造されたとされる有限の大地。

 その東部を支配する大国の名が、エストランジュ王国である。


 王国の始まりは今から九百年以上も昔、エストランジュ王国初代国王アレクセイの手によるものとされている。

 当時の大陸東部には国という概念は無く、幾つもの多種民族が各々に勢力を築き、ありふれた理由によって日々終わることなく争っていたのだという。

 アレクセイは、そんな戦乱の世の中に強大な精霊の力を持って生まれてきた。

 彼の出自は明らかでは無い。

 無数に点在していた部族のうちの一つで生まれたとも言われているし、争いとは無縁の村落で生まれたという説もある。中には天使から遣わされ空から降ってきたという言い伝えまで存在している。

 出自も不明な初代国王アレクセイ。

 確かなのは彼が絆を結んだ仲間と共に戦い、幾多もの戦場を駆け抜け、最終的には一つの国を作り上げたということである。


 以来九百年間。

 エストランジュ王国はいくらかの分裂や廃絶、統合を繰り返しながらも、大陸東部最大の国家として常に世に在り続けている。



 エストランジュ王国王都グランテア。

 かつてエストランジュ王国初代国王アレクセイが天使へと王国誕生宣言をした地に築き上げられた、王国の中心となる大都市である。

 付近にはテティル川と呼ばれる大陸南部から続く巨大な河川が流れていて、澄んだ水と肥えた土壌、豊富な自然に恵まれた実りある土地であった。

 王国では土地の肥沃さを生かした農業が昔から盛んに行われきている。

 農夫達によって丁寧に育てられてきた王都周辺の畑は、実りの季節になると一斉に黄金の海原となって人々に豊穣の時を知らしめるのだ。


「うーん、新鮮な若葉のいい匂いだ」


 今の季節は春。

 双神教会の教義においては目覚めの季節とされており、作物の収穫には未だ早い時期だった。今のセルジュの視界に入ってくるのは黄金の穂並みではなく、青々とした葉を付ける活力ある麦の群れである。

 新たな芽吹きを告げるこの季節に麦達は強い生命力を顕わにし、麦秋に向かってその色をゆっくりと黄昏色へと変化させていく。時の流れと共に毎日少しずつ色合いを変化させていくその光景を楽しみにする者も、王都には少なくない。


 セルジュは馬車の業者席の隣で大きく深呼吸をして、周囲に満ちている青い匂いで肺を満たした。

 グランダナ樹林も緑に満ちあふれた大地ではあったのだが、やはり違う。

 鬱蒼と覆い茂ったあの森は青いと言うよりは野性的な匂いと気配が充満していて、何よりも人間が命を賭けて戦う戦地であった。そこに身を浸し続けて慣れてしまうことはあっても、親しみ深く感じたことは一度もない。

 出身が南の田舎村ということもあって、セルジュにとってはこちらの香りの方が遙かに身に馴染む。


「おっちゃん、今年の畑の出来はどうなんだ? 前線に出てるとどうもそこらへんの事情に疎くてさ」 

「ははは、野暮なこと聞かないでくれよ精霊司様。当然、最高に決まってるだろう。なんたってこの土地には双子神様の祝福があるんだからな」


 生まれつきその身に精霊を宿して生まれてきたものは精霊司と呼ばれ、その膨大なマナの恩恵によって発揮する能力により一般の人々からは敬意を払われる。

 様付けされるのがセルジュにとってはどうにもこそばゆいのだが、それはともかくとして。


 セルジュがグランダナ樹林で王都への移転命令を貰ってから、既に二週間程が経っている。セルジュは移転命令を受けた翌日には前線から移動を開始し、幾つもの馬車を乗り継ぎながらついに王都の膝元にまでやって来ていた。

 本来であれば後方への移動には精霊を使った軍用の高速移動車を使うものであるが、移動の最中セルジュが同乗していた女性達へとちょっかいを出し続けた結果、他の男衆に縛り上げられて最寄りの村へと蹴り出されてしまったのだ。口説く程度ならともかく、合意に相成ったとはいえ夜の実戦行為へと及んだのは許容範囲外だったらしい。


 現在乗っている馬車は普段には存在しない特別便で、乗り込んでいるのはセルジュとそれを動かす業者だけであった。この業者とはもうかれこれ一週間近くの道行きを共にしていることになる。

 最初はセルジュが王国軍所属の精霊司(エレメンタリスト)ということを知ってぎこちない様子だった業者の男も、セルジュの立場を感じさせない気安い態度に随分と態度を軟化させ、今ではこうして気軽に会話できる程にはなっていた。


「俺の兄貴も畑を耕してるんだがな。今年の豊穣祭も期待できるって笑いながら言ってたよ。中央山脈がまるごと消えちまったときにはどうなることかと思ったもんだが、あれ以来豊作続きだもんで、やっぱり双子神様のご加護に勝るものはないもんだなあ」


 そう言って業者は「万物の母たる双神様に感謝を」と祈りの言葉を呟く。

 馬車に乗り込み旅路を一緒にして一日で分かったことだが、この業者は熱心な双神教徒であった。別段この男のような人間は珍しくもないので、セルジュも慣れたものだ。

 宗教者を相手にこうして会話が止まったときには無理に話しかけることをせずに、適当に澄んだ空でも眺めて雲を数えているのが正解である。

 双神教は中央山脈消失以前から大陸の東西に跨がって伝導されている、最大宗教である。王国では邪教を例外として宗教の制限は基本的に行っていないがために、市井の者達にも広まっていた。

 この業者のように敬愛な信徒を見かける機会も少なくない。


「万物の母、か」


 セルジュは双神教の信仰者ではないが、そのさわりぐらいは知っている。

 双神教の信仰は国境を越えて大陸に広がっており、その教徒の数と影響の大きさは最早無視できるものではない。そのため双神教に関する基本的な知識は軍の訓練校の必須科目にも設定されていた。もちろんそれは信者を生み出すためというわけではなく、学問としての意味合いである。


 双神教はこの世界を生み出したという双子神を信仰する宗教だ。

 曰く双神は世界を創造した後、竜、精霊、天使の三つの命を生み出し、その三つの命は自分たちを生み出した双神の偉業を見習い、数多の命を生み出した。

 つまり今この世界にある全ての始祖は双神であり、双神は万物の母という考えなのである。


「おや、その様子だと精霊司様は無宗教者かい?」


 双神への祈りを捧げ終わった業者の男が、セルジュの呟きを拾って尋ねてくる。

 セルジュは業者のその瞳を暫し観察して、別に怒っているわけではないと理解して、軽く肩を竦めた。


「宗教自体を否定するつもりはないよ。信じて救われることもあると思うしな。ただその全ての母っていうのはちょっとな……」


 セルジュは宗教にはあまり興味が無い。

 神を信じたところで失われる命は無くならないし、戦争も終わらない。王国の二等精霊司として生身で戦い続けてきたセルジュはそのことをよく知っていた。


「俺を産んでくれた母親は一人だけ。もし双神が世界を生み出したんだとしても、俺の母ではないしなあ。曾々々々々々々……まあ遠いばあちゃんくらいには考えてもいいかもしれないが」


 セルジュがそう言うと業者は少し目を丸くした後に、盛大に破顔した。


「わはははっ、なるほど! 双子神様は大婆様か! 確かにそういう考え方もあるかもな! そっちのほうが親しみが持てるかもしれん」


 業者の大きな笑い声が青い稲穂畑の中に響き渡る。

 熱心な信徒ではあるが、頭が固いわけでもないらしい。

 信徒の中には頑固な考えを持ち固定的な思想しか認めない者もいるので、そこら辺の匙加減を間違えると面倒なことになる。

 かつてセルジュは教会に仕える熱心な信徒であった女性と肉体関係を持ったことがあり、その時に散々宗教の厄介さというものを味わった経験があった。あの時に得た教訓は今でも深く胸に刻み込まれている。


 なお余談ではあるが、双神教では男女の婚姻及び子を産むという行為を強く推奨している。それは双神が万物の命の母であるということに由来していて、男女の出会いの場を設けるために教会主導による男女合同の食事会などが開かれていたりもするくらいである。


「おっちゃんは結婚はしてるのか?」

「おお? もちろんだとも! これでも三人の子供の良い父親やってんだぜ? 双神教の教えの一つにもあるだろ。人の子よ、命を育め、血を愛せってな」


 そう言って「いやあ、ついこないだ、とうとう一番上の娘が十五になったんだがよぉ……」と業者の男が家族自慢に突入していくのを、セルジュは春の日向と共に暖かな気分になりながら眺めた。


 セルジュは宗教にはあまり興味が無い。

 だが双神教の、家族を尊ぶというその考え方は嫌いではなかった。

 不意に吹き抜けた春風に導かれるようにして、セルジュは馬車が進む先にある、天を刺すように聳え立つ強大な城壁を見やった。

 北方の地に降り積もる処女雪を思わせる、純白の壁。

 数多の民を守る為に生み出されたその白亜の姿は、王都誕生以来一度たりとも汚されたことが無いという、王国安泰を民衆に知らしめる象徴である。

 セルジュが最後に家族に会ったのはもう一年以上も前になる。

 戦地からでも手紙を介してのやりとりはしていたのだが、やはり直接会って話をしたいという欲求が強くあった。ましてやこうして目前に王都を見据えてしまえば、それはなおさらだった。


「上手く時間が取れればいいんだけどな」


 業者の家族自慢を背景に呟かれたセルジュの声は、王都の外に広がる雄大な大地の中に溶けて消えていった。



   2



 エストランジュ王国の王都グランテアの南部には、中央精霊機技術工房という名の研究開発機関が置かれている。

 長いその正式名称を実際に口にする者は殆どおらず、大半の者達には中央工房と縮めて呼ばれてしまっている――貴族含む――悲運の施設であるが、その雑な扱いに反して、その地位は重要な場所を占めている。

 中央工房は全部で第一から第七までが存在しており、精霊機の開発及び研究が主な活動内容だった。

 この中央工房は王国から研究資金や材料費が出資されることによって成り立っており、謂わばこの国の頂点、王族を後ろ盾にして作られた工房である。

 そこに割り当てられる予算の額は、貴族領主が私設した工房などとは比べものにならない。王国内に存在する中でも最も巨大な敷地及び施設を持つ工房であった。

 中央工房で己の敏腕を奮うことを許されるのは、王国内でも極限られた才能ある者達のみであり、ここで名を上げるのは学の探求者達にとっては一つの到達点だとすら言われている。

 さて、舞台の場面はその中の一角である、精霊機格納用のハンガーだ。


 そこにはジストロン=マルケーニという男がいた。

 ジストロンは若いうちからその頭脳を周囲から期待され、五十を過ぎた今では第二中央工房の最高責任者、つまりは工房長を任されるまでになった傑物だった。

 高伝導率鋼材の錬成、高硬質精霊鋼(オリハルコン)の加工術、精水銀の先天色固定法則の解明……果ては精霊を用いた田畑の育農法と、彼の築いてきた功績を列挙すると際限はないが――やはり、彼の偉業の中で最たる例は精霊機の開発であろう。


 現在エストランジュ王国で採用されている一等精霊司用に調整された汎用型精霊機〈エレス〉は、彼の設計による産物である。彼の知識を動員して生み出された〈エレス〉の性能は前世代機を大きく上回り、精霊機の技術水準を数十年は押し上げたと関係者達には言われている傑作だった。

 既に頭部の生え際は随分と後退してきているが、ジストロンに衰えというような陰鬱な雰囲気は一切無く、その全身からは未だ若々しい活力が溢れて出ていた。


「素晴らしい、素晴らしいぞ! この艶! 輝き! 構成密度! 純度! どれを取ってみても一級品だ! これほどの一品はそうはお目にかかれん!」


 広い格納庫の中に、そのジストロンの大音声が響き渡る。

 格納庫内には希少鉱石であるミスリルで錬成された人工筋肉や、精霊機の予備部品である装甲板などが各所に積み重なっており、非常に雑多な印象を与える状態となっている。中にはジストロンが思いつきで開発に着手して、そのまま道半ばで頓挫したような代物も混じっている。 

 そんな空間を忙しなく行き交ったり、あるいは作業をしていた工房のメンバー達はジストロンの大声に一度は足を止めたものの、すぐに「ああ、またか」という顔をして動き出す。

 この場所の主であるジストロンの奇行は今に始まったことではない。今の時期の中央工房は非常に忙しく、彼の行動にいちいち構っている暇は無かった。


 時は金なりという東の格言があるが、中央工房に在籍する者達はそのことをよく弁えているのである。

 ここでジストロンをいない者として扱うのは簡単かつ皆にとって最も精神的に優しい方法なのであるが――しかし、一つだけ問題が発生する。


「おお、これを今すぐにでも私の手で錬成してしまいたい! これだけの質、これだけの量! 私の頭脳と合わさればどれだけのものが作り上げることが出来るか!」


 それは、ジストロンが延々と一人芸を続けるということである。


「ああ、そう言えば新型の結界塔理論の証明にも高純度の精霊鋼(オリハルコン)が必要だったな。くそう、どうするべきか悩ましい……!」


 彼の声は周囲の喧噪にも負けない程に大きいし、しかも無駄に良く通る。

 彼の歳を感じさせないテノールボイスは美声と言ってもいいかもしれないが、この場にそれを望むような人物はいない。有り体に言ってしまうと鬱陶しい。

 そのためにこういう場合には、ジストロンに構って大人しくさせるための人柱が必要となる。そしてその役目は、現在一番暇している者が勤めるべきだと相場が決まっているのだった。


「どうしたんですか工房長。そんなに大声を上げて」


 自らの役割を認識した金髪の男が、やれやれと肩を竦めてからジストロンへと声をかけた。


「おお、フォルス君。いいところに来たな」


 いいところも何も、あんたが騒ぐから仕方が無く来たのだが。

 そんな呆れの混じった心中はおくびにも出さずに、フォルス=テイラーはジストロンの元までゆっくりと歩いて行く。

 明るい金色の髪に翡翠色の瞳。この組み合わせは、王国国内ならばどこでも見ることのできる普遍的な人種特徴である。

 フォルスはしっかりと鍛え上げら筋肉のついた肢体と精悍な顔立ちを持つ男であり、王国東部に領地を持つテイラー伯爵家の三男であり、王国の定めた基準によって一等の位階を与えられた精霊司であった。


「見たまえ! 君程度の浅学な知識でも、これがどれだけ凄いものかは一目瞭然だろう!」

「はいはいなんですか工房長。そんなに興奮すると血管切れますよ」


 さり気なく毒をはかれているが、もう慣れたもの。この老人に悪気はないのだ。いちいち目くじらを立てていては切りが無い。

 フォルスは指し示された箱の中身に視線をやって……、それが何なのかを理解して思わず目を丸くした。


「うわ、どうしたんですかこれ」


 そこにあったのは、ひと抱え程もある精霊鋼(オリハルコン)の塊であった。

 マナの伝導率が最も高い精霊鋼(オリハルコン)は様々な分野に利用できる可能性を持つ素材であるが、その産出量は極めて少ない。大陸東部に大きな版図を持つエストランジュ王国でも、この金属が取れる場所は限られた一部の地域のみである。


 それがこれだけの大きさ。

 もし仮にこれが市場にでも出回れば、果たしてどれだけの価値が付くだろうか。

 複雑に混じり合った虹色模様を浮かび上がらせる鉱石の表面をフォルスが愕きと共に眺めていると、その反応を目にしたジストロンの機嫌良さそうな声が耳に入ってくる。


「見事なものだろう! テンサス地方の南部鉱山から産出された最高峰精霊鋼(オリハルコン)だ」

「テンサス地方の産出っていうと、リンターク男爵が領主を務めている……確か、一年前くらいに開拓したばかりの採掘地ですよね」

「然り! 開拓して早々にこれだけのものが見つかったのだ! あそこはこれからまだまだ質の良い素材が見つかるに違いないぞ! 景気のいい話だわ!」

「……といっても、まさかこれみたいなものがゴロゴロしているわけではないんでしょう?」

「当然だろう。こんなものが大量に手に入るなら、わざわざ大陸中央部にまで戦争しに行く必要がなくなっておる。――これは思わずして宝を手に入れてしまった小心者の田舎領主が臆病風に吹かれて、少しでも周囲からの心証を良くしようと王に献上された代物だな」

「はあ…………」


 リンターク男爵の気持ちは分かる。

 男爵は貴族ではあるがその位階は決して高くはなく、クラウシュト侯爵家のような歴史ある家柄でもない。フォルクが直接面識を持ったことはないが、野心を持たない素朴な人柄だとも聞いている。用事が無ければ王都に出向くこともなく、領地に引きこもってのんびりと田舎暮らしをしているような人物だ。

 そんなリンターク男爵からしてみれば、自領から高品質な精霊鋼(オリハルコン)が採取可能な鉱脈が見つかったことは青天の霹靂だったに違いない。

 平坦な地の多い南部らしく酪農を主な財源としていた田舎領主の元に、財宝の詰まった宝箱が転がり込んできたのだ。それも物が精霊鋼(オリハルコン)となれば影響は周囲だけに収まらない。恐らく、男爵が普段声も交わすことのないような高位貴族からも何らかの接触があったはず。精霊鉱にはそれだけの価値があるのだ。

 嫉妬、羨望、打算。

 王都にも影響力を持たずに田舎領地で悠々と暮らしていた人間が周囲から晒されるには、幾分胃の痛くなる重圧だ。

 そういった視線を少しでも緩和したくて、リンターク男爵が件の鉱脈から取れた最高品質の精霊鋼(オリハルコン)を王へ献上するということはよく理解できた。私は王国に忠実な国民ですよ、だからみんな虐めないでね、というわけだ。

 ――余談である。

 あくまでフォルス個人の考えであるが、そんな対外的なアプローチをしなくとも、男爵が気にする程周囲は彼を否定的には見ていないはずである。

 無論善意無き感情が向けられているのは間違いないだろうが、彼が鉱山の情報を隠すことなく極めて迅速に王都へ持ってきたという事実は意外と大きい。

 精霊鋼(オリハルコン)の有用性とそれに伴って発生する需要は極めて高く、その存在は大きなカードとなる。欲や野心を抱いた貴族ならば、秘匿、独占、そう言った単語が脳裏を過ぎるものである。

 ところがこのリンターク男爵はそういった邪な類いはおろか、鉱脈を利用した政治ゲームすら展開せずに、誠実に――或いは愚直ともいえる――王へと情報を持って行った。あげく、採掘権を王族へ譲渡したいとすら進言したと聞いている。

 恐らくリンダーク男爵からすれば面倒ごとをさっさと放棄したかったのだろうが、見方によっては王への忠誠心の高さを示しているように受け取れる。それは王の周囲を固める高位貴族達には好ましく映ったはずだった。


 閑話休題。

 ともあれ目の前に置いてある極上の精霊鋼(オリハルコン)の由来は分かったわけだが、それならば今度は別の疑問が湧いてくる。


「で、その献上品がなんでこの工房にあるのですか?」

「うむ。王が私に見せつけてくるのでな、試しに研究に使うからくれと言ってみたら、くれた」

「うわ」


 事も成しに告げられたあんまりな経緯に、フォルスは思わず顔を顰めた。


「またそんな無茶を……。そのうち貴族達から刺されますよ」


 このジストロンという男は現国王のお気に入りであり、今回に限らず前々から結構な無茶を融通して貰っている。それは天才と呼ばれるこの男が確かな成果を積み重ねてきたからであり、結果だった。

 だがジストロン自身の身分は所詮歴史浅い地方貴族の四男坊であり、本来であれば国王に重用されるような立場でもない木っ端貴族だ。そんな彼が王に不躾な要求をすることを苦々しく思っている者は今でも少なくない。

 特にエストランジュ王国は王族の持つ強い力によって成り立っている。自らの主人と仰ぐ王を相手に敬意も無しに接するジストロンを貴族達が疎ましく思うのは当然の流れといえた。

 実際フォルクも王族に忠誠を誓った貴族の一門であり、ジストロンのこうした奔放な態度に対して思うところがないわけではない。

 だがそんな周囲の視線をものともしないのが、ジストロンがジストロンたる由縁である。


「なあにをみみっちいことを言っておるか! 格式に拘って実を取らぬ貴族なんぞ無視しておけ! 生まれでワシの才能が活かされないようなことがあれば、この国の……いや、大陸の損失だ! そんなことよりも……よし、決めたぞフォルス君!」

「あなたも僕も一応は貴族の端くれのはずなんですけどね……」


 俄然勢いづくジストロンに対して小さく小言を漏らしてから、


「それで、何を決めたんですか?」

「それは愚問! 愚かな質問、縮めて愚問というのだぞ、フォルク君! そんなもの、この精霊鋼(オリハルコン)の使い道に決まっておるだろうが!」


 そうびしりとフォルスの眉間辺りに向かって指を立ててから、唾を飛ばすような勢いで話し始める。


「これだけの純度があれば、ミスリルと併せてこれまで以上のマナプール鋼が出来るはずだ! いや、それどころか理論上だけしかなかった先天色との相乗理論も実現可能になるやもしれん! なあに、操作性に難は出るが発展に犠牲はつきものだ! 気にすることはなかろう!」

「はぁ、僕の範疇の外なんで使い道については工房長にお任せしますが……」

「うむうむ、己の才覚の限界を知るのも美徳だなフォルス君。何なら特別サービスで君の〈エレス〉も我が英知で超絶改造してやってもいいぞ。何せ君の精霊機は今は中央工房の試験機預かり。何をしても怒られないからな!」

「いや勘弁してくださいよ、うちみたいな小貴族にとっては〈エレス〉一機が一財産なんですから……」


 精霊鋼(オリハルコン)程ではなくとも、ミスリルも精霊のマナとの親和性が高い希少鉱石だ。

 ミスリルを多分に使って組成されている〈エレス〉の保持は、地方貴族にとっては無視できない負担になっている。それを好き勝手に弄られてはたまらない。


「……それはそうと精霊鋼(オリハルコン)の錬成はともかくとして、それを組み込むにしてもしばらくは後にしてくださいよ。慣れる前からそんな変な癖付けられても困るでしょうからね」


 溜息と共にフォルスがそう言うと、ジストロンは一瞬眉間に深い皺を寄せてから、首を捻った。


「む、それはなんの話だ、フォルス君?」

「なんの話って……え、覚えてないんですか? 工房長が言ったんじゃないですか。使い物になるのにどれ位かかるのか知りたいから、前線から丁度いい人材を寄越せって」

「……おおっ、その話か!」


 幸いにしてすぐに思い出してくれたらしく、ジストロンは大きく手を打って音を鳴らした。

 フォルスは深い溜息をつく。


「ボケるのは止めてくださいよ、工房長……」

「安心せい、我が英知は生涯健在だ。しかし、うむ……そう言えば、時期的にはそろそろだったか。あー……ほら新しく来るという……」

「セルジュ二等精霊司です。もうこっちに着いていてもおかしくない頃合いなんですが、どうやら何やらトラブルがあったみたいで遅れているみたいです」

「そうそれだ。……で、そいつはどんなやつだ? ちゃんと使えそうなんだろうな」

「は? いや、以前資料をお渡ししましたよね? 軍から取り寄せたものを」

「うん? はて……、記憶に無いが」

「いやいや確かにお渡ししましたよ!」 


 本気で思い当たらない様子のジストロンに、フォルスは慌てて首を振った。

 別にフォルスはジストロンの秘書でも何でも無いが、済ました仕事をなかったことにされては堪ったものではない。


「ほら、報告会でジェミ卿と揉めたといって工房長がやたら不機嫌で城から戻ってきた日ですよ」

「……おお、あの時か! あれなら最初に一行を見た時点で破り捨ててやったわ!」

「なにしてるんですか、あなた!?」

「あんなユーモアの欠片も無い文章、誰が読みたがるのだ。全く、最近の書記係は碌な事も書けんとは嘆かわしいばかり。童子向けの絵本を読んでいた方がまだマシだ」

「いやいやいや。普通、概要書にユーモアなんて必要ありませんから……」


 頭痛を感じたフォルスは思わず額を押さえて呻いた。

 こんな人間が王国技術の中枢、中央工房の最高責任者でいいのだろうか。


「で、そいつはどんなやつなのだ」

「人に聞くくらいなら捨てずに読んでおいてくださいよ……」


 がっくしと肩を落としてから、フォルスは以前に一度だけ見た資料の内容を思い出した。


「優秀ですよ。平民の出自らしいですが、訓練校でその年の卒業生の中で上位十名の精霊司にのみ与えられる銀章を授かっています。二等精霊司が銀賞を手に入れるのは彼が王国史上初ですね。卒業後は王国軍クラウシュト侯爵旗下へ編入。大陸中央部においての戦いでは小隊を率いて、生身で十以上の精霊機撃破記録を持っています」

「ほほぅ、それは中々興味深い話だな。二等精霊司程度ではマナの通った精霊機の装甲を破壊することなどできんはずだが?」


 実験中に思わぬ反応を目にしたときのように、ジストロンの双眸が刃の切れ目のように細められた。

 だがそれも無理のないことかもしれない。

 先天色黄色のマナを用いて錬成されたミスリルや精霊鋼(オリハルコン)の強度は、鉄などを遙かに凌ぐものとなる。ジストロンの言葉通り、精霊機を操るマナすら持たない二等精霊司では傷つけることすら難しいのが常識だ。


「精霊機登場以前ならば英雄になっていたかもしれませんね。彼の目立った戦功は他の二等精霊司(エレメンタリスト)達の士気高揚にも繋がっているみたいです」


 精霊司(エレメンタリスト)に於いて二等の位階を与えられたということは、戦場の花形である精霊機を動かせるだけのマナを備えていなかったということである。

 その為に多くの二等精霊司(エレメンタリスト)達は一種の卑屈さとでもいうべきか、劣等感にも似た感情を心内に抱えていることが多い。そんな者達からすれば自分たちと同じ劣等の烙印を押された人物の手柄話は、自分たちもやれるのだという心支えになるのだろう。


「うむうむ。そんな人物をわざわざ前線からこっちに寄越すというのだから、私の成果も相当に期待されているということだな」

「その点に関しては異議は挟みませんよ」


 自身への絶対的な信頼を揺らがせもしないジストロンに対して、フォルスは肩を竦めて頷く。

 発言も行動も奇天烈な中央工房の長であるが、立場に比例した能力は持っているのだ。フォルスの実家も出資している今回の研究の成否は、今後の王国の情勢にも大きく関わってくる内容となる。

 もともと広く公布されているわけではなかったが、結果も間近ということもあって知る者達――主に貴族だ――の間では関心が強まっている。

 無論、その中身は必ずしも肯定的なものだけではないが。


「歴代最強の二等精霊司(エレメンタリスト)か。……上手くやってくれると苦労が無くていいんだが」


 願望の混じったフォルスの呟きは、工房の喧噪に紛れて散り散りに消えていく。その声は誰の耳に届くこともなかった。


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