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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
一話 前線
3/26

戦線(後)

『――噂通り二等精霊司とは思えぬ実力だ。……が、詰めが甘い』


 言葉とともに樹木の間から、音を立てて精霊機が姿を現した。

 それは今まで相手にしていた黄の精霊機と比べてしまうと、余りにも優美な姿だった。


「……フィトリュエール」


 その名前を、誰かが呟く。

 すらりと伸びた肢体に、流線型の輪郭。蒼と白銀の色彩を持つ装甲は静謐な気配を帯びている。それはもはや兵器では無く、一種の芸術品めいた美しさと気品を纏っていた。背を伝って伸びていく長い尾がゆっくりと靡いて、周囲の凍てついた空気を掻き混ぜる。

 肩から下へと伸びたその両手には、何も握られていない。強大な精霊とそのマナを操るこの精霊機には、剣や斧槍などという無骨な武器など必要ないのだった。


『敵を鹵獲できればそれは最高の戦果だが、命を失ってしまえば悔やむこともできんのだからな』


 拡声器を通して降ってくる頭上からの叱責に、セルジュはエゼルファルトを消失させると恭しく頭を下げた。


「お手を煩わせて申し訳ありません、クラウシュト侯爵」

『戦場だ、礼儀は問わん』


 凛とした、一切の揺るぎを感じさせぬ声音。

 背筋に氷の柱を押しつけられられたような気配を感じて、セルジュは密かに息を呑んだ。

 クラウシュト侯爵。

 王国九百年以上の歴史で建国時より王家に仕える名門クラウシュト家の現当主であり、歴代のエストランジュ王国貴族の中でも最強の精霊司とも噂される、特級精霊司。

 そして、此度のグランダナ樹林制圧作戦において、国の王より任命された前線部隊の最高位統率者であった。


「……しかし、なぜ侯爵がこのような外れの場所に? 予定ではこちらにはエレン精霊機小隊が来るはずでしたが」


 平民出身のセルジュにとっては由緒正しきクラウシュト家は雲の上の存在と言っても過言ではない。これまでに軍においても重要な位置にいるクラウシュト侯爵の姿を式典などで見かけたことはあれども、直接言葉を交わすのはこれが初めての事だ。

 粗相が無いように慎重に言葉を選んで、疑問を唱える。

 対して、頭上から返ってきた言葉は随分と軽いものだった。


『なに。後方で座っているというのも柄ではないのでな。まあ、軽い散歩みたいなものだ』

「……」


 普通、精霊機で戦場を闊歩することを散歩とは言わないだろう。

 何考えてるんだと、喉元まで出かかった言葉をどうにか呑み込む。


「護衛は……」

『中々に面白い冗談だ。私より弱い人間を連れてきたところで邪魔なだけだとは思わないか?』

「……」


 強者の風格と自信。その揺らぎ無い物言いにセルジュは一瞬、なるほど等と納得してしまいそうなったが――いやいやんなわけねーからと、すぐに心の中で思い直す。万が一敵の罠とかに嵌まったらどうするつもりなのだ、この親分は。

 無論、貴族を相手にその胸中は言葉にも表情にも出さない、出せるわけがないが。


『それよりも。中の精霊司は生かしてある。回収しろ』

「……はっ!」


 自分達の親分の剛胆さに唖然としかけていたセルジュであったが、上から命令されれば勝手に反応してしまうのが下っ端兵隊の悲しい性だ。


「おい、精霊司を引きずり出せ!」


 命令に従って、セルジュと同じように唖然としていた部下達が途端に動き始める。身体を氷に散らした精霊機の解体作業に移っていく。

 ここまで破壊されてしまえば、もはや精霊機も媒体としての効果は発揮できない。精霊司から与えられていたマナの循環を失ってしまえば、ミスリルの装甲板の強度も大分低下し、二等精霊司の手でも解体できるようになる。

 その事実を証明するように、程なくして部下達の手によって機体が切り開かれる。それと同時に液状化したミスリル――精水銀が大量に流れ出て、地面を濡らした。精霊司が乗り込む精霊機の中は、マナを高効率で伝達するために精水銀で満たされている。そして切り開かれた装甲の中から、複数人の手によって中から引きずり出されて来たのは、一人の少女だった。

 その新緑の目にはまだ力が残っているものの身体を動かすだけの余力は無いのか、ぐったりとしていて抵抗するような素振りは見せていない。

 両脇を固められて連れてこられる少女の顔をセルジュはじっくりと観察する。

 朝日と見紛う美しい金の髪と幼葉を思わせる瞳が印象的な、美しい顔立ちの少女である。彼処にまだ幼さが残っており、セルジュと比べれば恐らく四、五は年下だろう。セルジュ達エストランジュ王国人には見られない大きく伸びた長い耳は、大陸西方の者達が持つ特徴である。

 幼い異国の少女。 

 確かに精霊機を扱えるだけの素質があれば、彼女くらいの年齢の者が戦場に出ているのも珍しくはない。


「……」


 だが、その少女の格好を見てセルジュは僅かに顔を顰めた。

 それは身体に吸い付いているような、少女の幼い肢体の輪郭をはっきりと映し出す紺色の服。――いや、服というのは正しくないだろう。何せそれは服と呼び称すには余りにも表面積が少ない。

 上は肩が剥き出しであり、白く伸びた腕がそのままに晒されている。胸の部分はさすがに覆われているが、それも最低限と言うべきか。腹部までにはその面積は至っておらず、下半身は太ももが丸出し。これでは下着だけで歩いているようなものだ。

 女性の精霊司が精霊機を効率よく操るためには、できる限り素肌を晒して液状化したミスリル水銀と直接接触させるのが良いとされている。そのため女性精霊司がそういった格好をしていることは、じつはそんなに珍しくない。

 だがそれにしても、この精霊司は些か挑戦しすぎである。


「……おい、隠すものはなかったのか?」


 何故その服装のまま連行されているのかと、セルジュは部下に問う。

 女性精霊司が操る精霊機の中には、マントのような羽織るものが大抵一枚以上はあるのが常識だ。これは何もエストランジュ王国だけに限った話ではなく、セルジュがこれまでに捕縛してきた敵国の精霊機の中にも同じような備えがしてあったことから知っている、経験に基づく事実である。

 少女の両脇を囲んでいる部下が、セルジュの言葉に対して困惑したような表情をして見せた。


「ええと、それが……、機内にはありませんでしたので」

「ふうん?」


 どうやら、自分の部下がくだらない嫌がらせをしているというわけでもないらしい。気まずそうな様子を見せる部下の顔を確認してから、捕虜となった精霊司へ視線を移す。

 まさか彼女は準備を忘れてきてしまったうっかりさんなのだろうか。

 セルジュがつい思わず見やっていると、長い金の髪をした少女と視線が合う。二度も精霊の唄を中断されておきながら、まだしっかりと意識を持っているという事態にセルジュは軽く驚く。尋常ならざる精神力だ。


「双子神の意志に逆らい大陸の平穏を乱す野蛮な侵略者どもめっ……!」


 獣のような、低い声。

 そこに込められた怨嗟の重みは、とても年端の少女が出せるものだとは思えなかった。


「うーむ」


 黙らせますか、という部下の視線を無視してセルジュはぽりぽりと頬を搔いた。

 彼女の発言は、まあ間違っていない。

 セルジュの祖国であるエストランジュ王国と西部国連合の戦争。

 その根幹に存在するのは十五年前に発生した中央山脈消失であるが、戦端を開いたのはエストランジュ王国である。それも万民が納得するような大義名分もなく、目的は希少鉱石である精霊鋼(オリハルコン)鉱脈の独占だ。そこだけ切ってみれば、山賊や盗賊とやっていることは変わらない。西部国からすれば憎き相手だろう。

 だがまあ――そんなことはセルジュにとってはどうでもいいことだった。

 今重要なことは別にある。

 そっと、彼女のむき出しの肩を抱くと少女はぴくりと身体を震わせた。暴力でも振るわれると思ったのか。だがそんなことをするはずが無い。

 セルジュは妹にでも接するように、威圧感の無い柔らかな笑みを浮かべて見せた。


「お嬢さん、そんなに怒っていては折角のかわいい顔が台無しですよ」

「な、なに!?」


 何を言われたのか分からないという風に、少女が露骨に狼狽えた。

 透き通るような見た目の美しい少女であるが、あまり感情を隠すのは得意で無いようだ。直情的な性格なのだろう。随伴兵を失った後にもこちらの囮に引っかかってしまったのも頷ける。


「落ち着いてください、レディ」


 宥めるように両手の掌を向けて、さりげなく距離を縮める。視界の隅でメメントの表情が強ばったようだが、セルジュは気にしない。


「それで美しい精霊のお嬢さん。あなたの主人はどこにいるのでしょうか?」

「な、なな、う、うつ……!? なにを訳のわからないことを言っているんだ、お前はっ!? 精霊司は私に決まっているだろう!」

「おおッ、これは失礼! 許してください。てっきりその容姿から美に連なる精霊かと勘違いしてしまいました」

「な……、なぁっ!?」


 その精霊司は思わず後ずさろうとしたようだったが、両脇を屈強な兵隊に押さえられていてそも叶わなかった。最もその両脇の部下からは呆れの混じった視線が送られてきていたが、セルジュは無視する。


「北方の新雪のような肌。生命の息吹を感じさせる新緑の瞳。あなたを前にしてしまえば、女神リシュマーも嫉妬から背を向けることでしょう」

「な……まさか、くくく、くく口説いてるのか!? 私を!? ば、馬鹿なのか貴様は!? エストランジュの人間は何を考えている!? 私は敵国の精霊司だぞ!?」

「それこそ馬鹿な話です。魅力的な女性を前にしてしまえば国家も立場も関係ありませんよ」


 その人をしてエストランジュ国民と認識されるのは甚だ不本意です、というネアンの呟きが脇から聞こえてきたが、セルジュは再び無視する。こういうとき、セルジュの部下達は揃って無粋だ。

 既に精霊司の少女の顔は熱せられた鉄のように真っ赤だった。まるで肺に酸素が足りないかのように、ぱくぱくと小さな口を開け閉めしている。照れているというよりは、混乱で状況が理解できていないのだろう。

 ここが攻め時だと獣の如き本能で察したセルジュは、呆然と言葉を失っている少女との距離を縮めていく。


「――許してくださいとは言いません。私は君の宿すその魔性に、魅惑されてしまったのです」


 そう言って、くいっと少女の顎を持ち上げて傾けさせる。

 もぎたての果実のような瑞々しい唇が視界に映り、そのままセルジュは唖然としている精霊司(エレメンタリスト)の口元へと顔を近づけて――、


「隊長! その精霊司は捕虜です! 捕虜の扱いについてはしっかりと軍規に記載されていますっっっ!」

「おごぉっ!?」


 横から飛んできた物体に身体ごと吹き飛ばされた。

 考えるまでもなく、その所業を成したのはメメントである。赤髪の少女は炎のように鮮烈な怒りを立ち上らせていた。


「やっぱり馬鹿なんですか!? 思春期の学生ですか!? フェロンケですか!? 何考えているんですか、あなたは! それは敵なんですよ!?」

「俺は仮にも隊長だぞ!? 物を投げつけるんじゃあない!」


 自分を襲ってきた諸々が詰め込まれた革袋を近くに投げ捨てると、立ち上がったセルジュは涙目になりながら怒鳴り声を上げた。

 ちなみにメメントが口にしたフェロンケというのはエストランジュ王国内で広く飼われている家畜で、食用から乳、毛皮や畑栽培のための労力にと、四方八方に大活躍の生き物である。夏から冬にかけての発情期に入ると雄は朝から晩まで腰を振り続けるたくましいやつで、中には脱水症状を起こしたり疲労死する個体まで現れたりする。

 しかも子を宿したことを確信するとすぐに別の雌のところへ行ってしまうろくでなしだ。

 エストランジュ王国ではフェロンケを広く役立つという意味と、どうしようもない馬鹿者という意味で使う二つの場合があるが、今回の発言者であるメメントがどちらの意味で使ったかは説明するまでもない。


 目を吊り上げて肩を怒らせるメメントに、セルジュは「はあ」と深くため息をついてみせる。その見ようがしな態度に少女は少し怯んだようだった。


「メメント……、お前は優秀だけどそういうところが欠点だな。視野が狭い。そうやって常識ばかりに囚われるから大事なことを見失うんだ」

「ど、どういう意味ですか?」


 セルジュが向けてきた真っ直ぐな瞳に、メメントは気圧されたように一歩下がる。


「俺と彼女の関係はなんだ? 言ってみろ」

「小隊の隊長と、それに囚われた敵国の精霊司です」

「違う」


 余りにも教科書的な返答を、セルジュは一顧だにせずに否定する。


「……敵兵とか、捕虜とか、生まれた場所だとか、そんなくだらないものに惑わされるなよ。本質を見失うな。俺と彼女は同じ人間で、そうである以上」


 瞳を揺らがせるメメントをセルジュは真っ直ぐに見据えて、


「男と女だ」

「この発情魔がああぁぁあっ!」

「おわあ!?」


 猫の如く大地を蹴って飛びかかってきたメメントから慌てて逃げ出す。


「なんだおい、嫉妬か!」

「し、しししっしし……しし、嫉妬違うわっ!」

「いいか、メメント! 敵とか味方とかで物事を計ってたら、いつか大事なことを見落とすぞ! 俺たちはもっと大切なことを知っているはずだ!」

「隊長はっ、ただ女の人を抱きたい……だけっ、でしょうっ、がっ! く、このぉ! 逃げないで、おとなしく掴まって……!」


 鬼の形相で襲いかかってくるメメントの攻撃を、セルジュは身軽にひょいひょいと躱していく。そうしながら、生真面目で可愛い部下にこの世界の真理を説いていると、深く多い茂ったグランダナ樹林の中に笑い声が響き渡った。


『くくくっ……、ふははははっ!』


 その無邪気な童のような笑い声の発信源がどこかなのかを理解して、セルジュは顔を引き攣らせた。さあっと血の気が引いていく。

 ――やばい、クラウシュト侯爵がいたことを完全に忘れてた。

 だらだらとセルジュの背筋に嫌な汗が浮かんでくる。


「……あ」


 メメントも忘れていたらしく、動きを止めて石像のように硬直した。

 目の前にいるのはこの国の上位貴族で軍の要職者。田舎村出身の平民にして平兵士でしか無いセルジュなど、如何様にでも出来てしまう存在である。

 しかも今し方のセルジュの態度を見られてしまえば、言い訳のしようも無い。

 部隊の部下達もそれを察してか、固唾を飲んで事態を見守っている。


『くくく――セルジュ二等精霊司、お前は聞いていた以上に面白いな』

「…………あれ?」


 だが何故か、飛んできたのは叱責の言葉では無かった。


『なるほどなるほど、その実力以外にも稀代の女好きとは聞いていたが、噂は事実か。戦場で敵兵を口説くとはな』


 蒼銀の精霊機から聞こえてくる、愉悦に塗れた声。そこにはセルジュを咎めようなどいう雰囲気は一切感じられない。

 いったい何が貴族の琴線に触れたのかは分からないが、どうやら首は跳ねられずにすんだらしい。そう理解したセルジュはほっと息を吐き出した。


「た、隊長、ほら、早く謝ってくださいよ……!」


 メメントが顔を寄せてきて小声で話しかけてくる。

 耳元に吐息をかけられているようでこそばゆい。


「えー、いやでも、なんか許してくれてるみたいだし別に良くないか?」

「良いわけないでしょうっ……! 相手は建国時から血筋を連ねる大貴族ですよ!?」

「いやあの感じだと済んだ話を蒸し返す方が気を損ねそうな気がするけどな。……ところで、耳舐めて良い?」

「何でですか!?」

「いやだってこんなに顔寄せられたらなあ…………ぺろり」

「きゃ……ぁっ!」


 メメントがか細い、妙に色っぽい悲鳴を漏らした。

 そして次の瞬間、まるでその機会を窺っていたかのように、


『ほう』


 遠方で、光の柱が立ち上った。

 背の高い古代樹をも上回る、莫大なマナの輝き。

 あの場に循環していた力場が開放されて、行き場を無くして吹き荒れているのだ。その勢いは遠く離れたこの場所にまで及び、強い風が吹き抜ける。

 その光景を思わず眺めていたセルジュは目を細めて静かに呟いた。


「メメントの嬌声が大地に封印されていたマナを目覚めさせた、か……」

「なにそれっぽく言ってるんですか!? そんなわけないでしょうがっ!」


 立場も状況も忘れてメメントがセルジュの頭を叩いた。

 そんな二人の様子に気がついていないわけではないだろうが、クラウシュト侯爵が操る〈フィトリュエール〉はその吹き上がる光柱を眺めて言った。


『どうやら結界塔が崩壊したようだな。予定よりもずいぶんと早い。ユーティアのやつ、今日は珍しくやる気があったらしい』


 クラウシュト侯爵が漏らした呟きは、その場にいる全員に届いていく。 

 セルジュの部下達がにわかに色めき立つ。

 敵方の結界塔が破壊されたということは、この地に展開されていた大規模護法結界が解除されたということを意味している。それはつまり、中央に展開していた王国軍主力部隊が敵の陣を突破し、見事にその目的を果たしたのだ。


「――嘘、そんな……」


 捕虜となった精霊司の少女が目に映る光景を前に小さく呟いて、糸の切れた人形の如くその膝を折った。

 セルジュ達にとっては勝利の灯火でも、彼女からすれば自軍の敗北を告げる敗戦の狼煙なのだ。絶望に囚われるのも無理はない。

 無論、その事を同情する者はこの場にはいないし、それはセルジュも同様である。

 可愛い少女が傷つく姿は決して見たいものではないが、セルジュもエストランジュ王国の精霊司である。アプローチはせれども、敵だった者にこの程度で情けをかけたりはしない。


「総員撤退準備!」


 結界塔が消えたのならば、エストランジュ王国による大規模な精霊行使が始まるということだ。セルジュ隊に与えられた命令では、結界塔の崩壊が確認できた後は速やかに後退するように言われている。

 先天色赤の二等精霊司で構成されたセルジュの隊は身軽さが信条である。一応撤退する前に侯爵の意見を疑うべきかと思案して、


『ふむ、予定とは違うがこの場所からでも充分可能か――セルジュ二等精霊司。お前はこの場に残れ』

「はっ?」


 予想外に下された命令に、セルジュは呆然と蒼銀の精霊機を見上げた。


『面白いものを見せてくれた礼だ。貴様には勝利の瞬間を特等席で見せてやろう』


 そんなことを言ってくるクラウシュト侯爵に困惑するが、天辺から命令されれば従うのが兵士たるセルジュの仕事だった。

 すぐに気を取り直したセルジュは、周囲にいる部下達に指示を出す。


「――撤収! ……俺は残るから、指揮はネアンが引き継げ」

「了解です」


 部隊の幾人かが不安げな視線を寄越してきたが――主に女性である――セルジュは敢えて気にした様子を見せずに、気軽な調子で肩を竦めて見せる。実際、危害を加えられようとしているわけではないのだから、心配されるようなことではないはずだ。


「消耗してるとはいえ一等精霊司だ。油断して捕虜を逃すんじゃないぞ」

「心得てます」


 ネアンは一つ頷くと、部隊を率いて撤収していく。

 肩にリュリュを乗せたメメントがちらりと振り返っていたが、セルジュと視線が合うとふいっと首を曲げて去って行った。

 この戦場の大勢は決まったと言ってもいい。部隊が自分の手元から離れるのは不安であったが、ネアンは優秀だ。問題が起こることもないだろう。唯一の懸念要素は捕らえた敵国の精霊司の存在であるが、茫然自失としたあの様子では気にする必要はなさそうだ。

 部隊が見えなくなったのを確認し終えて、セルジュはこの場に残った大きな影を見やる。


『乗るがいい』


 言葉とともに蒼銀の精霊機が膝を折って、手を伸ばしてくる。

 セルジュはその上に躊躇わずに足を乗せた。それを確認すると意外にも気を遣ったのか、ゆっくりとした速度で腕が持ち上げられていく。


『ふふふ、私がこの〈フィトリュエール〉で誰かを運んでやるなど、世界でお前が初めてだぞ』

「光栄です」

『ほう、貴族の扱いをわきまえているな』


 面白そうな声音でそんなことを言われながら、機体の肩の上に持って行かれる。


『機体の頭部にでも掴まっておけ。足を滑らせ落ちるなよ』


 言われたとおりに機体の肩を伝って頭部まで辿り着くと、適当な突起に指をかけて身体を安定させる。近くで見ると改めて分かるが、戦場に置かれた兵器だとは思えない程に滑らかな造詣を持つ精霊機だ。

 繋ぎ目一つ無い滑らかな表面装甲だけでも、この精霊機が高い錬成技術で製造されていることが理解出来た。


「高いな……」


 機体から目を離して周囲を見やったセルジュは、思わず呟いた。

 人間と比べれば何倍もの全高を持つ精霊機の身体の上だ。地上から見える景色とは別物と言ってもいい。天蓋のように覆い茂っていた古代樹の枝葉も、随分と近くに感じられた。

 一陣の風が吹き抜けるとともに、セルジュの耳にいくつもの音が聞こえてくる。緑葉が揺れる音に混じっている、地鳴りのような響音。結界塔が消え去ってなお、まだ各所では戦闘が続いているのだ。


「それで、いったい何を」


 セルジュが戦場の空気を全身で感じながら問うと、小馬鹿にするような声音が返ってくる。


『愚問だ。結界塔が消えたのだ、ならば私がすることなど決まり切っている。この戦場に決着をつけるのさ』


 その言葉に遅ばせながらクラウシュト侯爵が何をしようとしているのかを知って、セルジュは思わず目を見開いた。


「な……ここは何の準備もされていない戦場の端っこですよ!?」

『ふん。私をそこらの三流精霊司共と一緒にするなよ』


 そこには一縷の揺らぎもない。

 成せるべき事を成す。ただそれだけの単純明快な、それ故に存在し得る精強な力強さがあった。


『全てを凍土へ還せ、フィトリュエール』


 セルジュの足下から青い光が発せられる。精霊の力が精霊機を媒体として世界に顕現し、マナの燐光となって機体全体を発光させているのだった。


『――天白に焼かれし銀の氷雪――……』


 一級、そして上級精霊司をも上回る、特級精霊の唄が鳴り響く。

 細く高い、まるで刃の切っ先が擦り合わさるような、人のものでは無い存在の音。その声を聞いただけで、理由も無くセルジュは本能的な恐怖を覚える。傍に居るだけで生物としての格の違いを理解させられる


『――暗き海より冷たき其が生み出すは孤独の深淵絶氷――!』


 瞬間、精霊機を循環し顕現しきった精霊の力が世界へと解放された。

 その光景にセルジュは息を漏らすことも出来ない。

 パキパキと物体がひび割れるような音ともに、緑に覆われていた古代樹の森が無機質な氷の世界へと姿を変えていく。木が、土が、大気が――生けるもの全ての熱が失われていくその様は、世界の終焉を連想させた。

 セルジュも上級精霊司が能力を開放する瞬間をこれほど間近で見るのは始めてだったが、これほどなのかと、瞬きをすることすら忘れて震える。

 セルジュとクラウシュト侯爵。

 両者共に王国に認定された同じ精霊司でも、まさしく格が違う。いや――、果たしてセルジュとこのクラウシュト侯爵を、同じ精霊司という言葉の括りに納めていていいのだろうか。

 精霊機の装甲を切り裂くのと、グランダナ樹林一帯を凍てつかせるのとでは、最早比較にすらならない。


『くく、何機か足掻いているのがいるな。この手応え、敵方の上級精霊司か? 無駄な努力を』


 聞こえてきたその言葉からは、隠しようのない嗜虐心が現れていた。

 思わず身体を震わすと同時に疑問が過ぎる。今のその発言は、どう考えてもここの場所以外を認識しているとしか思えない。


「……見えているんですか?」

『無論。この氷結界は謂わば〈フィトリュエール〉そのものであり、私の領域だ。その範囲内の出来事は大体分かる』


 その発言にセルジュはもう何も言うことが出来ない。

 考えて見れば当然だった。味方識別が出来なければ、今もなお前線に残る友軍達もこの氷撃に巻き込まれて命を失うことになってしまう。


 だがそれにしても、何という規格外か。

 果たしてこの凍結世界の範囲はどれ位だ。周囲の木々を凍てつかせ、樹林を覆い込み、その先にある平野にまで届いているのだろうか。あるいはもっとだろうか。

 その範囲の全てを知覚しているなどと、余りにも馬鹿げている。その馬鹿げた内容を当たり前のように口にする人物。

 これが当代最強と唄われる、特級精霊司の力。

 何代にも渡って配合を重ね精霊の力を高め続けてきた、貴族という存在。


 吐く息が白い。

 既に目の前に移るものは全てが凍り付いている。気がつけば吹き抜ける風も、木々の潺も、遠くから響いてきていた戦場の音も、全てが消えていた。


 静寂が満ちる。

 まるでこの世の全ての生き物が消えてしまったかのようだった。

 終焉が告げられた銀世界の中心で、セルジュはその静けさに身震いした。


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