押し寄せる魔獣
その始まりを告げたのは、遠距離攻撃が可能な上級精霊司達による精霊行使だった。
中核を成すのは先天色を赤に持つ精霊司達である。赤が司るのは熱や炎。眼前を埋め尽くす害虫を無差別に焼き尽くすには都合が良い。加えて、王国の精霊司割合の中では赤の先天色を持つものが最も多い。
隊列を組むのはエストランジュ王国軍。
魔獣駆除を専門としてきた第五軍を中心として編成された一団であり、配備された精霊機の数は百を超す。そしてその後方には万を超す歩兵や騎兵の姿があった。
「なんておぞましい光景だ……」
その内の誰かが、そう呟いた。
静まり返った隊列の中でその一言は奇妙なほどに響き渡ったが、誰もその言葉を否定はしなかった。
それも当然であろう。
臨戦態勢にある王国軍、その眼前に広がるのは黒く染まった平野である。
実りの近い豊穣の季節。王国の各地で黄金色に染まる田畑が見られることを考えれば余りにも異様な光景。だがよく見れば、それらが蠢いていることが分かる。
百足型魔獣の群。
人の足下程度の大きさしかない小型が大多数であるが、その中に紛れる様にして精霊機の三分の一ほどの体躯を持つ中型、そして精霊機に匹敵——或いは凌ぐ大きさを持つ大型の姿も確認出来る。
大陸東部を制した覇者の国。その国土を荒らす憎き害虫。その数は軽く見積もっても三万以上。後方に存在する巣穴からは未だに虫の影が吐き出され続けており、その正確な数は分かりようもない。
かつて天災とまで語られたこの魔獣達には、高度な知恵や文化など存在しない。圧倒的な数を暴力とし、ただただ飲み込み、貪り尽くすのみである。彼等が動く音は地響きとなって王国軍全体にまで伝わってきていた。
すでに壊滅した村落の数は確認出来ただけでも三を超えており、このまま進撃を許せばそう遠くない間に人口が密集する巨大都市にまで到達し、数多の被害をもたらすことになるだろう。
大陸東部を平定してから長い年月が経過しているが、それを漫然と許すほどエストランジュ王国の牙は負抜けてはいなかった。
最前列に並んだ〈エレス〉が次々とその巨体からマナの燐光を発し、力を行使する。人の身とは比べ物にならないマナ許容量を持つミスリルが精霊の力を受け止め、物理現象としてこの世界に顕現させていく。一瞬で周囲の気温が上がり、その様は後方に控える歩兵達にまで伝わっていたという。
「——放てえええええッ!」
各所に配置された前線指揮官から号令が発せられる。
同時、精霊機達がマナを解放した。
そして顕現したその光景は、地獄絵図だった。
全高十メルを超す巨人達の手から巨大な炎弾が発せられ、或いは大地を焦がすように放射状に焔が広がっていく。
矢を弾き返す硬い甲冑を背中に備えた魔獣達であろうとも、数千度に達する熱を防ぐことは出来ない。関節の隙間から熱が入り込み肉を焼き、甲冑を溶かして臓腑を焦がす。かつては行商や旅人達の行く道として活用されていた街道に異臭が広がり、そこは死の蔓延する戦場となったのだった。
***
眼前に鋭い顎が迫り来る。
甲殻の隙間から覗く紫色の肉は醜悪そのものであり、否応なしに生理的な嫌悪を内側から沸き立てさせる。
セルジュは数瞬前まで相手にしていた魔獣を薙ぎ払うと同時に腕を振り上げて、咄嗟に〈アルテナ〉の手甲部分を全力で叩きつけた。
現在の〈アルテナ〉はかつてのように盾を手に持ってはいなかった。代わりに供えつけられエタのが手の甲部分から前腕部を覆うように供えつけられた巨大な手甲である。
この手甲部分は黄色の先天色を与えられた精霊鉱で形成されていおり、その尖端は鋭いスパイク状に研磨されている。手の中を埋めることなく咄嗟に扱う武器にもなるそれは二等精霊司であるセルジュの動きにもよく馴染んでいた。
人間の比率で考えればあまりにも巨大すぎるこの手甲であるが、精霊とマナプール鋼に蓄えられたマナによって圧倒的な膂力を発揮する精霊機ならば充分に扱うことが出来た。直感的に扱え即応性に優れ、機体の生存能力を上昇させる。
かつての日の晩、盾の扱いに馴染めぬセルジュが考案した一つの答えである。
「——でえいッ!」
高硬度に研磨された〈アルテナ〉の手甲の尖端が、魔獣に突き刺さる。
なんの工夫もない殴りつけだが、その威力は驚異的だ。事実、顔面への一撃に魔獣の牙はへし折れ、無数に並ぶ丸い瞳の幾つが潰れて悲鳴が上がった。
「フギィイイイイイイィッ」
ひび割れた甲板の間から大量の液体を撒き散らせながら、魔獣が吹き飛び悶え苦しむ。
それと同時、黄色のマナの燐光が魔獣の身体から湧き上がった。魔獣が魔獣と呼ばれる由縁。身に宿したマナを行使する前兆にセルジュは身構える。
次の瞬間、岩石の飛礫が百足の砕けた牙の隙間から吐き出された。
「ちッ、飛び武器か……ッ!」
思わず舌打ちを漏らしながらも、冷静にそこまで脅威度は高くないと判断する。
高速で飛来する岩石は生身であれば相当厄介であっただろうが、精霊機を相手にするには力不足だ。ひたすらに何発も喰らい続ければ話は別だろうが、そうでもなければ高硬度を有する精霊機の装甲を破壊出来る代物ではない。
「ええい、鬱陶しい!」
吐き出される岩石の飛礫を〈アルテナ〉の手甲で弾き飛ばし、一息に距離を詰める。その歩数は精々十数歩だが、ただの十数歩ではない。人が見上げるほどの巨体を持つ、精霊機の十数歩だ。
〈アルテナ〉が勢い良く大地を蹴り飛ばすと同時に砂塵が舞い上がり、なだらかな平原に地響きが鳴る。巨人がその足音と共に、精霊鉱で錬成された両刃剣を握った腕を振り上げた。
赤のマナが浸透した巨刃が鋭さを増し、魔獣の頭部を真っ二つに両断する。鋭い断末魔と共に青紫色の血飛沫が吹き上がり、セルジュの操る〈アルテナ〉の装甲に不気味な斑模様を生み出した。
「これで何匹目だ——……?」
精霊機と一体化した感覚の中で、セルジュは大きく息を吐き出した。
魔獣の掃討戦が始まってから既に二時間が経過していた。
多数の精霊機による遠距離からの先制攻撃から始まったこの戦いは、既に乱戦状態へと移行していた。
王国軍の先制攻撃は高い効果を上げたが、相手は数万を超す魔獣の群である。切り崩せたのは氷山の一角に過ぎず、攻撃という刺激を受けた魔獣の群は勢いを増して津波のように王国軍へと押し寄せた。
それを真っ向から受け止めるのが最前線に配置された精霊機達である。
地を這い、平野を覆い尽くす黒い波濤となった魔獣達に対して、遠距離から精霊の力を振るってきた精霊機達はその影が近づくと同時に、白兵戦用の装備へと切り替え近接戦へと移行する。
その剛腕が振るわれる度に数十の魔獣が青紫色の血飛沫を上げながら、身体の部品をバラバラにしながら宙を舞った。虫型魔獣の不気味な悲鳴が戦場の各地で木霊して、瞬く間にその骸が積み重なって山となっていく。
だが如何に百を超す精霊機と言えども、数万の魔獣を全て弾く防波堤となることは出来ない。水が指の隙間からこぼれ落ちるように、戦線の隙間を擦り抜けていく魔獣達に対して精霊機を扱う上級精霊司達は執着はしなかった。
敵の大部分を成す小型魔獣は精霊司ではない一般兵にも充分に対処可能なレベルであり、内漏らした小型魔獣の相手は最初から後方に控える生身の兵達の役割である。これまで王国の精霊機が小型魔獣に攻撃を加えてきたのは、所詮はついでに過ぎない。
精霊機を操る精霊司達の本命は、人の身を遙かに超える巨体を誇る中型、そして大型の魔獣である。
「ギャアアアアアア」
積み重なる屍を押し退けてまた一匹の魔獣がセルジュの操る〈アルテナ〉へと襲いかかる。
大きさは五メル程度(約五メートル)で、中型に分類される大きさである。精霊機の相手としては物足りない存在だが、生身の存在からすれば圧倒的な脅威である。二等精霊司を含む正体が束になってようやく互角に戦えるかという存在だ。
かつてであれば苦戦を免れない脅威の存在。
その魔獣をセルジュは躊躇せずに胴体半ばから一度で断ち切って、視界を周囲に向ける。
築き上げられた骸の山と、その上を蠢く小型魔獣の波。
巨大な魔獣の影の傍には王国の精霊機の姿が絶対に張り付いており、今のところ中型、大型の魔獣を後方に逃したような事態にはなっていないようだった。
「エナ! そっちは大丈夫か!?」
次いで自分の同僚へと視線をやる。
セルジュとエナーシア、二機の〈アルテナ〉はすぐ近くの隣接した位置に配備されていた。王国軍からしたら急造で編入した戦力、それも試験機体を無闇に分散して扱うわけにもいかなかったのだろうが、動きを良く知ったエナーシアと連携が取れる位置にいるのはセルジュにとってありがたかった。
振り向いたセルジュの視界に映ったのは、地面を這うように移動する魔獣の胴体に向かって刃を突き立て縫い付ける〈アルテナ〉の姿だった。
「心配されなくても、分かってる! 私は……この程度にっ、苦戦なんかしてられないのよッ……!」
「キュアアアアアアァアアアァァァッァッッ!」
胴体の半ばを剣で地面に縫い付けられた魔獣が空気を奮わせ、甲高い悲鳴を響き渡らせる。全身の筋肉が収縮し、切り口から青紫色の液体が噴水のように飛び散った。死の足音を聞き取ったのか、魔獣がより一層と激しく暴れる。
「……燃えろおぉぉっ!」
エナーシアの叫びと同時に赤のマナが〈アルテナ〉の全身を駆け巡り、やがて百足に突き刺さった剣へ収束する。そして一瞬の間の後、その傷口から紅蓮の炎が放射状に広がった。
「キュウアアアア」
精霊の焔は瞬く間に百足の全身を包み込み、戦場の一角が明るく照らされた。
命の危機に瀕して魔獣が一層激しくのたうつが、己を繋ぎ止める楔を解き放つことは出来なかった。魔獣の赤茶色の身体が黒炭色へと変幻していき、暴れていた胴体も次第に大人しくなる。
最後に口の牙をギリギリと擦らせるように鳴らし――それが、その大型魔獣の最後だった。
「エナ、大丈夫か」
『はあ……はあ……』
一区切りを入れるように魔獣にとどめを刺したまま硬直するエナーシアの〈アルテナ〉に、セルジュは声をかける。だが聞かなくとも内心で答えは察していた。
機体越しからでも感じられる荒い息遣い。
戦闘開始から二時間以上。エナーシアの疲労が限界に近くなってきている。
無理もない。
生死の掛かった戦いは精神力を凄まじい勢いで磨り減らす。摩耗した精神は精細さを欠いた動きへと繋がり、肉体への疲労を蓄積させていく。まして、やエナーシアにとっては、今回が命を賭けた初めての実戦にも等しいのである。
加えて問題となっているのが、当初の想定よりも遙かに多い魔獣の数だった。
想定では魔獣の総数三万前後、中型大型は合わせても二百前後という王国軍の事前予測であったが、今相手にしている魔獣達の総数はそれよりも遙かに多い。右翼、戦場の端に近い位置に配置されたセルジュですら既に十近い大型魔獣を討伐しているという有様である。戦場全体で見ればどれだけの数がいるのか想像もつかなかった。
偏に、その原因は後方の巣穴から際限なく吐き出され続けているからだ。
元から巣穴にも戦力が潜んでいることは予測されていたが、その数が遙かに多かった。もはや戦力予測など意味を成して折らず、戦場という盤面の一ユニットとなっているセルジュ達は、ただひたすらに眼前の敵を磨り潰すだけの作業を繰り返すのみとなっている。
終わらない戦場というのは地獄にも等しい。
例え相手が虫型の魔獣であろうとも、命を刈り取るという作業はそれだけで負担を強いる。前線にいた時間の長いセルジュはともかく、エナーシアにとっては苦痛でしかないだろう。
「——くそ、突入部隊はどうなったんだ?」
終わりの見えない戦いに焦燥感を感じながら、セルジュは戦場の中央を見つめる。
今回のセルジュ達の作戦の目的は魔獣の女王を討伐する突入部隊の露払い。巣穴入口までの経路を確保することである。だが本来であればとっくに果たされているはずのその目的も、現在はどうなっているか不明だ。
当然ながら戦場の端から見つめたところでその詳細は分からない。見えるのはセルジュ達がいる戦場以上に多くの大型魔獣の影があることだけである。
『——大丈夫よ』
不意に。
エナーシアがそう呟いた。
『私にだって戦う目的くらい持ってるわよ。その為にはこんなところでへばっているわけにはいかないもの』
そういう少女の言葉からは強い疲労が感じられたが、それとは別の部分で力を感じた。例えどのような障害にも屈しはしないという意志の強さ。
果たして一体どのような目的が彼女をそこまで駆り立てるのかとセルジュは気になったが、この状況で言葉にするのは不要だろう。未だ足下には小型魔獣が波のように押し寄せており、中型、大型魔獣の影もある。各地で精霊機達の戦いの音が地響きのように響いている。まだここは戦場なのだ。
「——まあそう気張るなって、いざとなったら俺が守ってやるさ」
『隙あれば口説くの止めなさいよ、あんたはっ!』
「性分だからな」
こうした何気ないやり取りをするのが酷く久しぶりのように感じられる。エナーシアから返ってきた勢いのある言葉はただの空元気かもしれないが、無いよりは数倍良いだろう。戦場では気力が物言う場面が間違いなくあるのだ。
『——二人とも、その分だと無事のようだね』
そんな時に聞こえてきたのは聞き慣れたフォルスの声である。
視線をやれば死骸を掻き分けてフォルスの操る〈エレス〉が姿を現す。
携える武器は彼の精霊と同じ、長い柄の両端に鋭い切っ先を持った双竜槍。明るい土色をした彼の機体には青紫色の血飛沫がこびりついており、その戦いの激しさを物語っていた。
同じ戦域に配置されながらも戦闘が始まってからは殆ど目にしなかったのだが、セルジュは大して彼の心配はしていなかった。
別にそれは男だからとか婚約者がいるからだとかそういう俗物的な理由ではなく、単純に精霊機の扱いに於いてはフォルスが一番であり、セルジュもエナーシアも模擬戦では彼に一度も勝利したことがないからである。
ここ暫くの訓練でセルジュも大分〈アルテナ〉を動かせるようになったと自負しているが、やはり幼い頃から精霊機の習熟を行ってきた純粋な貴族には及んでいないのだ。
視界にいなくとも彼が自分達以上の戦果を上げていることは、容易に予想出来ることだった。
『ここの戦域を預かる指揮官から連絡が入ったよ』
そんなフォルスから、戦場の誰もが待ち望んでいた言葉が伝えられた。
『突入部隊が巣穴への侵入に成功したそうだ』
それは戦局が大きく動いたことを意味する言葉だった。




