出撃前
圧巻という言葉の意味を、改めて理解した。
通りすがる季節は秋の頃合い、大陸東部を支配するエストランジュ王国の王都グランテア。その城壁外。
聳え立つ白亜の壁、その周囲。セルジュの眼前に映っているのは、数十を超える精霊機の姿である。全高十メル(約十メートル)を超える巨人の鎧達が立ち並ぶ様は、まさに圧巻というほかない。
視界に入る精霊機の殆どは一等精霊司用に王国で正式採用され、量産された〈エレス〉である。王都市民にとっては最も見慣れた精霊機であり、力の象徴。
高いマナとの親和性を持つミスリルを主要素材として生み出された強固な装甲を纏うその姿は、かつて戦場を席巻していたという重装騎士の姿を脳裏に思い起こさせる。
セルジュはこれまでにいくつかの戦場を経験していたが、これほどの数の精霊機が視界内に一度に立ち並ぶ姿は流石に見た覚えがない。
訓練校時代の三校合同大規模演習ですらこれほどではなかったし、大陸中央部の戦線にいた頃は遊撃戦力として精霊機が立ち並ぶ中央戦列とは離れた配置になっていたのである。見ようと思えば見れたのかもしれないが、わざわざ理由もなく見学しに行くほど興味もなかったのである。
だがいざこうしてその光景を目の当たりにしてみると、胸中から込み上げるものがある。
それは畏怖なのか、あるいは味方の頼もしさに対する感慨なのか。
「……精霊機は貴族の力の象徴、か。誰が言い始めたのかは知らないが、よく言い表したもんだよ」
世代を重ねて精霊司の血を色濃くし、力を高め、一等以上の精霊司達にのみに操る事の許された強大な力。
少なくとも今のこの光景を見て、王国に正面から力尽くで抗おうなどと考える者はいないだろう。——いや、かつてはいたのだった。シル族という獣人の一族が王国の意向に首を横に振り続け、最後には真っ向からぶつかり——そして、一族が滅びる瀬戸際までに追い込まれたのだ。
それを考えれば〈アルテナ〉を反対する勢力があるのも納得出来る話だ。
これまでの精霊機は貴族の力の象徴であり、選ばれた者による不可侵の領域だった。平民出身である二等精霊司にも扱える〈アルテナ〉は、その牙城に刃を突き立てる存在と言えるだろう。もし平民による精霊機を使った内乱やテロルが起こるとすれば、それは誰にとってもぞっとする話だった。
開発に携わっているセルジュとしても、仮に〈アルテナ〉がそんな風に扱われる日が来るのだとすれば思わず躊躇しかねない事柄である。……最も何処かの老貴族の言葉を借りれば〈アルテナ〉の出現は時代の流れであり、人が抗うには大きすぎる相手であるということだが。
どう考えようと〈アルテナ〉はこうして実機として確かに存在しており、それどころか今まさに実戦へと参加しようとしているのだ。——つまりは、何を考えたところで意味は無いということであった。
「なに、ぼうっとしてるのよ」
セルジュがそんなことを無体に考えていると、エナーシアが声をかけてきた。
今セルジュ達がいるのは、眼前の本隊から僅かに離れた地点である。
王国軍の常駐部隊ではなく、第二工房から臨時編成されるセルジュ達は未だこの地点で待機を言い渡されている。詳細は今この場にいないフォルスが聞きに言っているので、その連絡待ちだ。
セルジュ達のすぐ後ろには〈アルテナ〉が膝立ちの状態で控えており、技師達の手によってその最後の調整を受けている。ちらりと視界にユミナの姿が入ったので手を振ると、彼女は少し恥ずかしそうにはにかんで顔を引っ込めた。
その様子を見ていたエナーシアが呆れの混じった溜息を吐き出す。
「……はあ、セルジュは呑気ね。気が抜けそうになるんだけど」
「抜いとけ抜いとけ。気張りすぎても良いことなんざ全く無いぞ」
油断などは論外だが、かといって過度な緊張は自分の持つ本来の実力を発揮する上で妨げにしかならない。特に今はまだ現地へ向かう前の段階である。今から力んでいても本番になることには疲れてしまうだけだ。その為か、セルジュは戦いの前には意図的に気を抜く癖がいつの間にか身についていた。
「ふうん。……そんなものなんだ」
「?」
そこでようやく、セルジュはエナーシアの様子が何処かおかしいことに気がつく。
透き通った黄昏色の髪と視線を奪われそうになる美貌はいつも通りであるのが、表情が硬い。観察してみれば全身の筋肉も強ばっているように思える。
似たような姿をセルジュはこれまでにも幾度か見たことがあった。
それは実地研修として訓練校から送られてきた学生であり、初めて前線に配置された新人であり——つまりは、戦場に慣れていない人間の反応だった。
「……そうか、エナは実戦は初めてか」
「う……」
セルジュの言葉にエナーシアは強く唇を噛む。
そうして、悔しさと己の不甲斐なさを滲ませた声を口にした。
「これまで私が経験してきたのは領内で暴れた山賊討伐と、せいぜい小型魔獣退治くらいよ……」
決して実戦が初めてではない。
だがエナーシアが口にしていることは、暗にこれまで命を賭けた戦いを経験したことがないというものだった。
山賊と言ったところで、その実情は一般的な生活に馴染めない荒くれ者が徒党を組んだ烏合の衆が殆どだ。そんなものは精霊司にとっては脅威にはなりえない。
恐ろしい存在と知られる魔獣でさえも小型である限りはそこまでの脅威度はない。
つまりエナーシアはこれまで自分の命を天秤に乗せ、本当の意味で戦場に身を置いたことがなかったのということである。
命を賭けることへの恐怖、緊張、そういったものは誰しもが経験したことのあるものだ。
「……悔しいけど、恐いのよ! そうよ、そうですけど!? なんか文句でもあるのかしら!?」
「なんでキレてるんだよ……」
エナーシアは緊張したり恥ずかしくなると、勢いで乗り切ろうとするこの癖がある。やけくそとも言えるかもしれない。セルジュとしてはエナーシアの性質を表現しているものとして好ましく感じているが、兵士の資質として考えてみると少しばかり不安になるところだ。
さてどうするかとセルジュは少しだけ考えた後に、小さく肩を竦めた。
「安心しろ。俺だって恐いからさ」
「……セルジュも?」
信じられないことを耳にしたという風にエナーシアが見やる。
生身でありながら十を超える精霊機の撃破記録を持つ、最強の二等精霊司とも呼ばれる男とは思えぬ言葉である。生身の身体を晒して精霊機と戦う英傑の言葉とは信じがたい。
エナーシアから疑わしげな視線を向けられて、セルジュは思わず苦笑した。
「当たり前だろ。なんかあればあっという間に自分の命が消えちまうんだぞ。恐いに決まってるだろうが」
ましてや今回は万を超える敵の数、そして〈アルテナ〉の初陣である。
二等精霊司として生身での戦いには慣れているセルジュでも、今回の戦場では勝手の分からないことは幾らでもある。不測の事態に見舞われることもあるだろう。そういったことに対して不安を覚えぬはずがないのだ。
「……最強の二等精霊司なのに?」
「別に不死身ではないからな。痛いもんは痛いし、恐いもんは恐い」
「……だったらなんでそんないつも通りでいられてるのよ。やっぱり慣れてるから?」
「いや違うぞ」
「え?」
あっさりと否定されてエナーシアが驚いたように目を丸くするのが見えた。
確かに、戦場に慣れているということもある。
訓練校卒業後に自分の領地だけを守る貴族軍に入ったエナーシアと違い、王国軍に所属したセルジュはいくつかの前線を転々としてきた。かつては緊張や誰かの命を奪う罪悪感で胃の中身を吐き出していた時期がセルジュにもあった。それが今では報奨金を目当てに敵国の精霊機を率先して狙う欲が出るくらいには、戦場に慣れているのは間違いない。
だがそれだけではない。
それ以上の理由があった。
「——今は稔りの季節。もう少しで豊穣祭だな」
「……なによ唐突に?」
突然何を言い出したのかと変な顔をするエナーシアを無視して、セルジュは視線をずらす。
何十もの精霊機が聳える光景から少し目を逸らせば、そこには黄金色の穂を付けた畑がある。王国の主要穀物であり、この豊穣の時期を迎えるために多くの人達が汗水を垂らして毎日世話をしてきたものだ。
「俺の家は果樹園を経営してるからさ、作物を育てる苦労っていうのを少しは分かってるつもりなんだけどさ。本当に大変なんだよ。虫や病気に気をつけて、成長速度に気をやって、天気が崩れれば様子を見に行って。でもそうやって作られた穀物が国民の食事と食卓に並んで、みんなに笑顔を作るんだ」
食事は生物に必要不可欠なエネルギー摂取行為であるが、ただそれだけではない。
美味しく、空腹を満たしてくる食事は人を幸せにし、笑顔をもたらすのである。そのことをセルジュは良く知っていた。
「——だけど、万が一ここへ魔獣が押し寄せればそれが全部消えることになる」
それはセルジュが今までに見せたことにない低い声だった。
エナーシアはハッとしたように目を見開く。
「作物は食い荒らされれば、王国内の食料は不足して、国民は飢えて死ぬ。いや、それ以前に、魔獣の餌にされるかもしれない。——そして、その国民の中には俺が守るべき家族がいる。俺は自分の命よりも、大切な人の生活が脅かされる方が恐い」
セルジュの脳裏に蘇る、かつての記憶。
枯枝のように細くなった腕。
痛みすら通り越した飢餓。
日が経つ毎に家族が消えていき、かつての隣人達が道端で息絶え、無意識に小石を口に含んでは胃が受け付けずに吐き出し、脱水症状で苦しんだ。
あのような地獄を見るのは、一度きりで充分なのだ。
「——まあ、これは俺の理由だ。自分の戦う理由くらいは自分で探す必要があるだろうな。エナだって伊達や酔狂で遠い領地から出てきて〈アルテナ〉の開発に参加したわけじゃないだろ?」
「——私の戦う理由」
何か思い当たることがあったのか、エナーシアは僅かに目線を下げる。その表情からまだ割り切れていないらしいと理解して、セルジュはその黄昏色の髪の上に手を置いた。
「ちょ、ちょっと、いきなり何よ!?」
「いいかエナ、戦場が恐くなったら俺を見ろ」
露骨に狼狽えて見せるエナーシアを無視して言う。
「……え?」
何を言われたのか分からなかったのかのように目を瞬かせるその様子に、セルジュは意識して笑顔を作った。
セルジュはこれまでに部隊の長を務めてきた経験もある。配置されてきたばかりの新兵、訓練校からの研修生——初めてを迎える者の面倒を見るのは初めてではない。
命を賭けた初めての実戦は、まともな神経を持っていれば誰もが恐怖を覚えるものである。手が震え、筋肉が強ばり、普段ならばなんともないようなことに引っかかる。それがまた連鎖していく負の循環。
そういった際限の無い恐怖を手早く和らげる方法は、分かりやすい拠り所を用意することである。独り立ちが難しいような状況であろうとも、背中に寄りかかれる幹があると理解すれば、それは大きな支えとなるのである。
「——大丈夫、お前のことは俺が守ってやる」
ついでに言うと、セルジュの口説き文句の一つでもある。
命を賭けた初の実戦という極限の緊張に加えて、最強の二等精霊司という肩書き。この二つの相乗効果は極めて高く、セルジュの必殺技の一つでもあった。これを自然と口にしているならばまだし救いがあるが、セルジュの場合は明確に下心混じりなのが最低なところである。効果があるだけにタチが悪い。
「え、あ……え?」
それに対するエナーシアの反応は分かりやすかった。
「な、なんあなんななな……」
ばっと跳ねるように距離を取り、顔を夕焼けよりも赤く染めて唇を震わせる。その隙間から漏れ出る声は意味のあるものではなく、それが彼女の心情をより明確に表してもいた。
その姿にセルジュがつい口の端から息を漏らして笑ってしまうと、そこでようやく言葉を取り戻したかのように叫んだ。
「——な、何言ってるのよ! 時と場合を考えなさいよ! そ、それに、精霊機に関しては私の方が先輩なんだからね!?」
「どうだろうなあ。最近は模擬戦でも俺の方が勝ち越してきてるはずだった気がしたけど」
「あれは偶然なんだから! たまたま新装備が上手くはまったってだけで——」
そう叫ぶエナーシアからは既に怯えの色は感じられなくなっていた。
普段通りに戻った彼女の様子に密かに安心しながら、セルジュはしばらくの間、二人で他愛のない雑談に終始する。エナーシアとこういうやり取りをしている時間がセルジュは嫌いではない。直情型の彼女の反応を見ていると面白くもあり、愛おしくも感じる。
根本的にエナーシアという人物を気に入っているのだろう。
「へえ、これが例の二等精霊司用の機体ね?」
そんな声が二人のやり取りを中断したのは、どれくらい経ってからだろうか。
配置などの詳細を聞きに行ったフォルスは未だ戻ってきておらず、相も変わらず〈アルテナ〉は工房の技師達の手によって最終調整を受けている。恐らく底まで極端に時間は過ぎていないだろう。
セルジュとエナーシアは言葉を止めて、揃って声の持ち主を見やる。
そこにいたのは一人の女性であった。
女性としては長身のすらりとした肢体の持ち主で、肉食の獣を思わせるその身体は一目で良く鍛え込まれていることが分かる。素肌の露出が多い恰好は、彼女が精霊機を扱うことの出来る力を持った上級精霊司であることを意味していた。
「ほほう……」
男の性と言うべきか、相手が貴族だと分かっていてもセルジュはついついその白肌に視線を奪われる。
精霊機を操る際には機体内に満たされた聖水銀と生身で触れる面積を増やすために露出の多い恰好をする精霊司が多い。とはいえそのことに忌避感を抱く人間も少なからず存在はしており、そこはある程度個人の裁量に任されているのだが、どうやら目の前の人物は大して抵抗を持ってはいないようだ。
その大きく開かれた豊かな胸元にセルジュが目線を落としていると、鈍い鈍痛が鈍痛が足先に響く。
「鼻のっ、下がっ、伸びてるわよ……ッ!」
「……ッ!」
ぐりぐりと音が聞こえるほどの強さで爪先を踏みつけながら、エナーシアが目つきを鋭くする。
先程までの言葉は何だったんだこの男は、とばかりに踵に力を込めてくるのをセルジュが必死に堪えていると、その様子を見ていた目の前の女性は少し驚いたような顔をしていたが、暫くして笑いを漏らした。
「ふふ、仲が良いのね。……あなた達がこの精霊機に乗る精霊司かしら?」
「……ええ、そうですが」
痛みを堪えるセルジュに代わってエナーシアが答える。
丁寧な口調ではあったが、そこには僅かに不審の色が混じっている。セルジュがだらしない顔をしているというのもあるが、それ以上に貴族である上級精霊司が何の理由があって顔を出したのか分からないからだろう。
そのことは相手も察しっているのか、その表情を申し訳なさそうなものへ変化させる。
「お邪魔してごめんなさい。でも出撃前に一度、噂の精霊機を見ておきたかったのよ。工房に顔を出している時間が無かったから」
「あ、いえ……」
貴族があっさりと謝罪を口にするとは思っていなかったらしく、エナーシアは逆に勢いを失ったように口を濁らせた。基本的に勢いで行動する彼女は、少し自分の予想と違う事態に陥ると脆さを露呈することになる。
「お前、とりあえず敵対的に動くの止めろよ……」
「べ、別にそんなつもりはないし……?」
「なんで疑問系なんだよ……」
セルジュが思わず半眼で囁くとエナーシアは口でそれを否定したが、自身でも心当たりはあるのか逃げるように視線を彷徨わせる。
セルジュと出会った時もそうだったが、この少女はとりあえず疑って人を見る癖がある気がする。人嫌いと言うよりは、単純に照れや気恥ずかしさから——ようするに人見知りから来る癖のようなものだとは思うのだが、 どうにも損をする気質のように思えてならない。
特に相手が気難しい貴族であったりした場合、それはもう相当な面倒になる。エストランジュ王国の貴族は基本的には人格者が多いとセルジュは思っているが、それでもやはり例外はいるのである。まあ最も、かつては貴族の子息令嬢に手を出したこともあるセルジュが言っても説得力は無いのだが。
「あら、別に私は気にしていないからいいのよ? 変に気を遣われても居心地が悪いもの」
「そう言って貰えると助かりますね。美人を相手にするときには着飾らない方が楽しめますから」
「あら、もしかして口説かれているのかしら?」
「もちろん。こんな状況でもなければ食事に誘ってますよ」
二等精霊司——つまりは平民が貴族をデートに誘うなどそうそうにあるものではない。
にも関わらずあまりにもセルジュがあっさりと首肯するものなので、その女性は目を丸くして驚いたようだった。
その際に、彼女の身体からマナの燐光がふわりと漏れ出た。感情の起伏によって精霊の力が制御を離れて僅かに垣間見える、それ自体は力の強い精霊司にはありふれた現象であるが——注目すべきはその色だった。
エナーシアが身体を硬直させる。
「白桃色の、マナ……?」
赤、青、黄、緑の四つを指しての基本色。その何れの分類にも収まらない、固有の先天色を有して生まれてきた、精霊司という括りの中でも殊更に特別な存在。
精霊司の中には極希に、こういう者がいる。
その能力は基本色の精霊司を凌駕しており、また特殊な性質を秘めていることも少なくない。
「……レナ=ルテリ上級精霊司でしたか。あなたの噂は良く聞いていますよ」
個有の先天色を持つ精霊司は誰もが有名である。
その中でも彼女の名は幾つもの勇猛な戦果と共に知られている。
王国軍第五軍、副団長レナ=ルテリ。
王国軍第五軍団は王都に常駐する部隊の一つであるが、その主な任務を魔獣の討伐としている集団である。
王都周辺や公道で出現した魔獣の討伐は勿論のこと、要請があれば遠方の領地まで足を運ぶこともある。魔獣被害の対処方法は基本的には各領地を治める人物に委ねられているが、稀に収拾が付かない事態が起こる。そういった案件が発生し救援の要請が送られてきた場合、第五軍から編成された討伐対が向かうのである。
第五軍の総指揮を執るのは勿論団長であるが、遠征に向かう際には副団長である彼女が赴くことが多い。階級が上がっても現場で戦い続けるレナ=ルテリの名は『魔獣殺し』として名高く知れ渡っていた。
彼女と顔を合わせるのは初めてだが、セルジュも以前からその噂を耳にすることはあった。大型魔獣を数十と屠ってきた白桃色の精霊司。その力の強大さから退治した魔獣は骨一つ残らないという噂される英傑である。
「天が羨む美貌と魔獣も恐れをなす実力を持つとは、ますます惚れそうです」
「ふふ、ありがとう。でも私もあなたのことは知っているのよ——最強の二等精霊司さん?」
「いや光栄です。第五軍の英傑に……いや、あなたのような美人に知られているなんて夢のようですよ」
先程からだらしなく頬を緩ませるセルジュの爪先をエナーシアが力を込めて踏み続けているのだが、この短時間で慣れてしまったのか顔にはまるで出さない。無駄に適応力が高かった。
その二人の様子にレナは再び忍び笑いを零してから、セルジュ達の背後に立つ〈アルテナ〉へと視線を移した。
全高十メルを超える巨体だ、自然と仰ぎ見る形になる。
「……ふうん、同じジストロン卿の設計だと聞いていたけれど、〈エレス〉とは随分と見た目が違うのね」
「なんでも設計思想の違いだそうですよ」
レナの言葉はセルジュも思ったことがあることだった。
王国で現在量産されている〈エレス〉は装甲が分厚く、堅牢な重装騎士のような姿をしているが、それと比べると〈アルテナ〉は随分と細身に思える。これは生身で戦うことになれた二等精霊司が乗ることを想定して、体幹や重心を人により近づけた結果らしい。
結果として〈エレス〉と比べると〈アルテナ〉は装甲の堅牢さでは劣るが、瞬間的な速度などでは優位に立っているのだそうだ。
「へえ。生涯で精霊機を二つも設計、それもどちらも王国の肝いりの計画。ジストロン卿は噂に違わぬ才能のある御方なのね」
「……ええ……それは、まあ」
感心したという風に頷くレナに対して、セルジュは曖昧に言葉を濁した。
ジストロンが優秀なのは間違いないのだろうが、それはあくまで能力的な話である。
普段のあの老人は傲岸不遜、己の才能が一番だと信じて疑っていない奇天烈な言動を繰り返す奇人だ。そのことを良く知っているために、セルジュとしては素直に頷くことが出来なかった。横にいて話を聞いていたエナーシアも、似たような顔をして視線を彷徨わせている。
その様子を見て不思議そうに首を傾げるレナに対して、セルジュは咳払いを一つして流した。
「そ、それでレナ上級精霊司はいったい何の用でここに?」
「別に大した理由は無いのよ。ただ本当に、出撃前に噂の〈アルテナ〉を見ておこうかなあって足を運んだだけだから。一応私の実家も〈アルテナ〉の開発費用は出しているみたいだからね」
「へえ、そうでしたか」
どうやら、レナは〈アルテナ〉に関しては肯定的な立場にいるらしい。
まあそもそも〈アルテナ〉に反対しているような派閥の人間が、今のこの状況でわざわざ様子を見に来るはずもないのだろう。万を超す魔獣を相手にする戦の出撃前となれば、誰もが大なり小なり忙しくしている。
「それに私を守ってくれる友軍の様子も、一度くらいはちゃんと見ておかないとね」
「守る……?」
続くレナの言葉の意味が分からずにレナはセルジュは不思議そうな顔を作ったが、その様子から意味が伝わらなかったと彼女も理解したらしい。
「あれ、まだ聞いていないのかしら? 今回の魔獣の巣穴への突入部隊。私はその現場指揮を預かっているの」
「なるほど、そういうことですか」
具体的な配置位置などはフォルスが帰ってくるまで分からないが、突入部隊が敵の巣穴の侵入するための露払いが今回の自分達の仕事だということは、セルジュも既に聞いていた。
敵の巣窟に踏入って最奥にいる魔獣の女王を殲滅する突入部隊は、言うまでもなく今回の作戦の鍵であり、最も危険度の高い役回りでもある。
巣窟内は道幅にも制限があるために自然と戦力も限られる。つまりは、少数精鋭。
そうなれば『魔獣殺し』の異名を持つ第五軍のレナが選定されるのは必然だろう。王国内で彼女よりも魔獣の殺しに精通している人物はいないのだから。
意を得たとばかりに、セルジュは胸を張ってみせる。
「そういうことなら全力で援護させて貰います。見事あなたの騎士になってお見せしましょう」
「ふうん、話で聞いてたよりも面白い人なのね。この戦いが終わった後にでも、またお話ししましょうか」
「勿論、美人からのお誘いは大歓迎ですよ!」
セルジュが笑顔でそう返すと、レナは面白いものを見たように可憐な笑顔を最後に残して去って行った。
貴族の教育の賜物か、恐ろしく姿勢が良い。
その後ろ姿が見えなくなる最後まで見送ってから、セルジュは脳裏に焼き付けた先程のレナの露出度の高い恰好を思い出して、うんうんと頷く。
「魔獣討伐前に思わぬ僥倖にありつけたな……あれはいいものだ」
「へえ……言いたいことはそれだけなのかしら……? 守るとかっ、騎士になるとかっ、あんた、あれ誰にでも言ってるんじゃないのよ! いちいち顔を赤くしてた私が馬鹿みたいじゃないのー!」
「はっはっはっ、怒ってる顔も可愛いぞ、エナ」
「だからっ、そういうのをっ、やめなさいってのよー!」
二等精霊司の実力を発揮して飛びかかってくるエナーシアから必死に逃げるセルジュである。
二人のじゃれあいというには些か過激なスキンシップは、フォルスが軍本部から帰ってくるまで続いた。