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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
六話 魔獣
23/26

魔獣の群

   0


 これはとある田舎の、とある家族の話。


 勇敢な騎士達の働きにより、ついに炎の魔獣は死にました。空気は潤いを取り戻し、雨風が吹き、草木は新たに芽吹くでしょう。

 しかし、優しい祖父も、厳しい祖母も、頼もしい兄も、もういません。

 失うことを恐れるように手を伸ばしてくる妹の指を握りしめながら、弟は決心します。 


 これはとある田舎の、とあるの家族の話。

 一人の子供が自分の進む道を定めた、とある日の話。


   1

 

 エストランジュ王国によって統一が果たされた大陸東部であるが、時代を遡れば幾つもの国や勢力が割拠した戦乱の時代が存在していた。

 その名残は各地で見ることが出来る。

 それは朽ちた砦であり、歴史ある街に残る巨大な城壁であり、人の口で語られる伝承でもある。その多くは風化した過去の遺物であるが、中には戦乱の時を終えた今もなお人々の生活の中に溶け込んでいるものもあった。

 その最たる例が王国各地に伸びる道路だろう。

 エストランジュ王国の祖であるアレクセイを初めとした歴代の王達は、戦乱の絶えない時代の中で非常に道路政策を重視していた経緯がある。

 主要都市を初めてとして各地を結んだその道の路床は整備され、間にも守備隊が常駐する宿駅が設けられていた。その目的は伝達使による迅速な情報伝達と、兵站を初めとする交通の確立が目的だったとされている。

 戦乱の中で息をしていた彼等は、戦場で剣を振ること以外にも重要なことがあることを深く理解していたのだろう。歴史を紐解く者達の中には、当時決して大きな勢力ではなかったエストランジュ王国が戦乱の時を最後まで生き抜いたのは、この歴代の王達による道路政策のお陰だという者もいるほどだ。

 彼等が築きあげた新幹道路の質は非常に高く、建国から九百年が経つ今でも利用され続けている。現代でこそ宿駅や守備隊の数も減っているが、各都市や町村を繋ぐ道路は今も行商達や旅人達の手によって便利に使われているのだった。


「ふう、こんなに良い天気だと眠くなってきちまうぜ」


 そう呟いたのは軽装の鎧を纏った一人の男だった。

 男の名はロルフ。

 彼は傭兵だった。特に定住もせずに誰かからの依頼を受けて各地を転々とする人間だ。今回は街々を移動する行商人の馬車の護衛である。提示された報酬は大した額でもなかったが、前にいた街にも飽きたところだったので丁度良いかとロルフは仕事を引き受けた。

 行商と商品が積まれた馬車の周りには、ロルフと同じように雇われた傭兵の姿が合計で七人いる。整備された道路を移動するだけにしては物々しく感じるが、最近は魔獣の報告も多いと聞く。ロルフの雇い主も用心して用意したのだろう。


「……退屈なのも分かるがしっかりと仕事してくれよ。金は払っているんだ」

「そりゃ仕事はしますけどね。こう何日も歩いているだけだと暇でしょうがない」


 業者席に座る雇い主に言われてロルフは肩を竦めるが、今日で依頼を受けて二日目。 特に何か問題が起こるわけでもなく、淡々と歩き続けているだけだ。

 整備された道路は歩きやすくて良いが、面白みがないのが唯一の難点だ。時折、無人化した宿駅があるだけで見るべきものなど何もない。

 ロルフの言葉に同意しているのか、馬車を囲う何人かの傭兵達もうんうんと頷いている。その事に気がついた行商は苦笑を漏らした。


「まあ確かに用心しすぎたかもしれないな。こんなに人数は必要無かったかもしれん」

「やっぱり魔獣を警戒したんですか?」

「……ああ。同業者から魔獣襲撃の報告を聞いていたのでな。用心を重ねたわけだが……」

「無駄な出費になっちまったかもですね、旦那」


 ロルフがそう言えば、行商は困ったような笑いを浮かべた。

 今の時代、大陸東部で最大の脅威は魔獣、そして野盗化したシル族である。

 だがそれも男達が今通っているような比較的王都に近い場所で目にすることはない。王都を初めとする巨大都市付近では王国軍や領主の私設兵達が定期的に間引きを行っているし、シル族達は基本的に険しい森や山を好む傾向にあるので、現在歩いているような平地で遭遇するようなことはまず有り得ないのである。

 まあそもそも、シル族を警戒するのであれば現在の戦力ではまるで太刀打ち出来ないだろうが。獣人であるシル族達の身体能力は非常に高く、その平均水準は王国の精霊司をも凌ぐという。当初の戦力の見積もりを甘く見て、かつて王国軍がシル族に痛い打撃を与えられたのは有名な話だった。


「旦那はやっぱり収穫祭を目当てに王都に移動してるんですかい?」


 やはり暇を持て余しているのか、ロルフとは別の傭兵が会話に参加してくる。

 そのことに一同の中でも真面目な性格をした傭兵が少しばかり顔を顰めたが、口に出して咎めるつもりはないようだ。内心ではその男も暇をしているのかもしれない。

 問われた行商は「ああ」と一つ頷く。


「この馬車には各地の名産品を詰め込んである。収穫祭では空っぽにする予定だ」


 年に一度、豊穣の時に合わせて開かれる収穫祭。

 その日、王都では盛大な祭りが開かれ、各地に露店が並び開かれることになる。当然、商人達にとっては稼ぎ時だ。祭りに浮かれた者達の財布の紐を緩ませようと品々を揃え、口を働かせて客を呼び込むのである。


「ほほう、結構な自信ですな。目玉の商品はなんなんで?」

「特別目立ったものはないが、一番の売りはブルト領産の果実酒だ。クルカの実をじっくりと漬け込んだ一品だぞ。現地で私も味わったが、喉越しが素晴らしい」


 行商の言葉に横で聞いていたロルフは「へえ」と声を漏らす。クルカの実は言わずと知れた国民的果物で、男も何度と口にしたことがある。熟すに熟したクルカの実の甘みと溢れ出る汁は子供の頃からの好物だった。

 だが話題を振った傭兵にとってはそうは感じられなかったらしい。


「果実酒ですか……そりゃ普通というか、自信の割には珍しくはないですな」


 行商の口振りから何かしら奇をてらったものがあるとでも思ったのだろう。悪くは無いがありきたりな品物に、どこか不満そうである。

 行商もそれが分かったのか、小さく鼻を鳴らした。


「……商売は堅実が一番だと学んだからな。今回は遊びをしている余裕がないのだ」

「へえ。どこかで損をこいたんですか」


 そう訊ねられると、行商は苦々しい表情を浮かべた。

 何かしらの嫌な記憶が思い浮かんだのだろう。口にするのも業腹という顔をした後にこれまでよりも一段低い声で、


「……戦争で少しな」


 と言った。

 その言葉にはロルフのみならず、会話に参加しなくとも聞き耳を立てていた傭兵達の間から「ああー」という納得したような空気が広がる。

 数年前に突如として起こった中央山脈の消失。

 大陸の東西を断絶してた巨大山脈が消えたことによりエストランジュ王国は戦争状態へと突入したが、その影響は市井の者達には微々たるものだった。

 元々肥沃な大地に恵まれた大陸東部は、魔獣などの影響が無い限りは食うに困らない生活水準を基本としている。戦時徴収なども各地から行われはしたのが、それは安定した国民達の生活基盤を揺るがすほどの規模ではなかったのだ。

 一般的な生活を送る国民にとってそれは間違いなく嬉しいことであるが、そのことで損を受けた者達がいる。それは勿論、戦争の始まりによって物価の高騰を予測し、予め買い貯めしていた商人達である。

 結果として市場に大した影響が出なかったことに気がついた商人達は慌てて売り始めるわけだが、そうなれば当然のように安く買いたたかれることとなる。

 この騒動で痛い目を見た商人は結構な数になると言われていて、どうやらロルフの今回の雇い主もそのうちの一人だったらしい。


「ま、まあ、そういうこともあるだろうさ。人生ってのはそういうもんだ」

「だ、だよな。俺だって傭兵稼業が軌道に乗るまでには結構な困難が待ってたってもんだ」


 雇い主の触れてはいけないとこに触ってしまったと今更ながら気がついた傭兵達が、 次々と取り繕うような言葉を口にし始める。慰めるというのもあるが、これで雇い主の機嫌を損ねて報酬が減額でもされては堪ったものではないという打算的な意思の元に行われた行為である。こういう時、傭兵達の意思統一は極めて速い。

 そんな中で、


「——お前ら、少し静かにしろ」


 不意に。

 馬車の先頭を歩いていた、真面目な性格をした傭兵がそう口にした。

 道最中で続く雑談に堪忍の緒が切れたというわけではない。その張り詰めた糸を思わせる声音にこれまで雑談に興じていた傭兵達もすぐに口を噤んだ。

 唯一、業者席に座った行商だけが驚いたように目を瞬かせていたが、今その事に構うものはいない。傭兵の一人が馬を止めろと手で合図をして、慌てて馬車を停止させる。

 ロルフも呼吸を押さえて周囲を探る。場所は整備された道路の最中。道路の外側には足首を覆うほどの長さの草が絨毯のように敷き詰められているが、何か生き物が隠れるには心許ない代物だ。

 勘違いではないのか。

 一瞬、そんな思考がロルフの脳裏を過ぎり、


「……っ、右だ!」

「おう!」


 鋭い警告が飛んだ。馬車の右側に控えていた傭兵達が応じて、声を上げる。

 同時、草むらの中から細長い影が飛び出してきた。

 ロルフは最初、それを蛇かと思った。だが、背中を覆う甲冑のような外皮に、側面から生えた、無数の関節を持つ幾重もの脚は蛇では有り得ない。その節くれ立った姿は虫特有の異形であり——、


「百足か!」

「虫型の魔獣! 数三!」

「いや……もっといるぞ!」

 「なんだ、この数は……十、二十……もっといるぞ!」


 一体いつから潜んでいたのか、次から次へと草陰から魔獣が飛び出してくる。傭兵達の 怒号が響き渡り、静かだった道路は焦燥の入り交じる修羅場へと一瞬で変化した。


「ひ、ひいい!? 私はどうすれば——」

「旦那は馬車の中に引っ込んでろ!」


 ロルフも愛用の剣を抜き放ち、袈裟斬りに百足の胴体を叩き割る。

 硬い背中部位に引っかかるが、持ち前の腕力にものを言わせて強引に断ち切った。切断面から青紫色の液体が飛び散り辺りに不気味な斑模様を生み出すが、そんなものに一々構ってはいられなかった。切ろうが払おうが、突こうが吹き飛ばそうが、魔獣は際限なく湧いてくる。


「くそ、どうなってやがる!? こんな——」


 十年以上傭兵稼業を続けてきたロルフだったが、こんな経験は初めてだった。

 そもそもが異常なのだ。国や領主の軍によって定期的に間引かれているはずの都市と都市を結ぶ新幹道路の最中で、これだけの数の魔獣と遭遇するなど普通であればありえない。こんな大量繁殖をする前に殲滅されるのが常なのだ。


「ぎゃああああああああ————」


 どこからともなく悲鳴が上がる。

 咄嗟に見やれば、傭兵の一人が喉元にその鋭い顎を突き立てられていた。

 助けを求めるようにその手が伸ばされるが、それが見えたのも数瞬のことだった。全身を無数の百足に覆い込まれ、沈んでいく。時折隙間から飛び散る鮮血の色に、ロルフはこの魔獣が人間を食すのだと知った。

 ぞわりと生理的な嫌悪が背中を伝う。

 もしかしたら自分の未来になるかも知れないその光景に、忌避感が胸の奥底から湧き上がる。


「お……うおおおおおおおおおおおおっっ————!」


 それからどれだけ剣を振っただろうか。 

 ロルフにとっては無限に思える時間が過ぎ去っていった。

 数は暴力だ。百足の魔獣は一匹だけならば大したことがない。だが波濤の如く押し寄せてくるその影に呑み込まれて、一人また一人と周囲の人影が減っていっていた。

 雇い主であった行商はとうその姿を消している。どうなったのかは分からない。だが馬車が横倒しになっている現実を考えれば、逃げれた可能性は零に近いだろう。

 最初に魔獣の気配に気がついた生真面目な性格の傭兵は他の傭兵を庇って群に飲まれていった。

 一体どれだけの数の魔獣がいるのかは分からない。だが少なくとも百は下らないだろう。この質など一切通用させない、圧倒的な数という暴力。


「——っ! ああああああああああ、くそっ! くそっ! ふざけるな、こんな虫共に、こんなところで!」


 自分以外の傭兵が生きているのかも分からない中で、ロルフがひたすらに剣を振るい続ける。一度でも絡め取られては終わりだと、体力と気力が続く限り足を動かし続ける。

 そうしながら、一体どうやったら自分は助かるのかと考えて希望に縋る。

 運良く、偶然——いや、理由など何でも良い。

 ともかく貴族や王国の軍が来てくれれば、こんな虫もどきが何百いようともものの数ではないのだ。王国に認められた精霊司、そして彼等が操る精霊機が力を振るえば戦いは終わるのである。

 そうだ、それまで持ち堪えろ。そうすれば自分は助かるのだ。

 それがどれだけ無意味だと理解していながらも、ロルフはそう必死に己に言い聞かせ、限界を超えてもただひたすらに戦い続けて——、


「……あ」


 そして、それを目にした瞬間に、心が折れた。


 遠い。

 いまロルフがいる地点からは大分離れた場所にいる、天に伸びた巨大な影。

 遠い先にいるはずだというのに、その巨大さが見て分かる。 その全長は十メル(約十メートル)を優に超していて、ロルフは巨大な砦が動いているのかと見紛いそうになった。


 大型魔獣。

 それは精霊司でもないただの人間であるロルフが敵うはずのない、生物としての位階が違う存在である。いやそれどころか、あの巨大さ。果たして精霊機が来たところで敵うとは、とてもロルフには思えなかったのだ。


「は、ははは……」


 足が止まる。

 必死に振っていた腕が力を無くして、下がる。

 その乾いた笑いが何を意味しているのかは、ロルフ本人にも分からない。

 ただ、抵抗を止めたロルフが無数の魔獣の影に覆われるまでには、そう長い時間はかからなかった。


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