貴族の歓待
それは。熱烈な歓迎だった。
執事による入口での不意打ちから始まり、床から槍の飛び出てくる廊下、左右から押し寄せてくる壁、明らかに特殊な訓練を積んだとしか思えない黒ずくめの集団の襲撃、密林に生息する毒蛇に毒虫、通り過ぎてから動いて殴りかかってくる銅像、意味も無く倒れてくる石柱。
流石貴族。
流石伯爵家。
誉れあるノヴァリス家の屋敷はいつのまにか幾重にも罠を張り巡らせ客人を迎え撃つ、罠屋敷と化していた。それは平民にはとても真似出来ない規模の歓待、そして埒外の発想である。
その悉くをセルジュは凌ぎ、躱し、受け止め、跳ね返し、そして――、
「いい加減にしろおおおおっ!」
遂に堪忍の緒が切れた。
むしろ、よく保ったと褒めるべきだろう。
同時、突如として天井に穴が開き、そこから襲いかかってきた北の冬山のみに生息するという白毛の豹を昏倒させると、セルジュはそのまま両手で持ち上げて前を行くリーガンに向かって全力でぶん投げた。
ノヴァリス家の執事は眉根一つ動かさずにひょいと避ける。床に叩きつけられた衝撃で目を覚ました豹は、悲鳴を一つあげるとそのまま廊下の奥へ走り去っていった。「ああ、ミケが」と呟いたのは、背後にいるメリアンヌだ。
「どこがミケだ!? そんな可愛らしいもんじゃなかっただろうがあれは!? ペットか!? ペットなのか!? ちゃんと飼育許可取ってるんだろうな!?」
「むう、当家期待の新人であるミケをこうも簡単に。……しかも、故郷に夫と七匹の子供を残して王都へ出稼ぎに出てきた彼女を当然のように家畜扱いとは、流石はセルジュ様。悪魔の所業ですな」
「この国でっ、白豹に人権は認められてねえええええ!」
セルジュは今にも精霊を呼び出しそうな剣幕のまま肩で息をしながら、
「はあはあ……大体っ、なんだこの屋敷は! 昔も大概だったが、今回はそれに増して酷いぞ! なんで当たり前のように罠が設置してあるんだよ! おかしいだろうが!」
「ノヴァリス家で働く者達にはおもてなしの精神を徹底しておりますので」
「いらんわっ、んなもんっ! 下水にでも流して捨ててこいっ! だいたい、いつになったら俺を呼び出した本人は現れるんだ! まかりなりにもこっちは招待された側だぞ! 応接室とか客間に案内するもんだろうが普通!」
そう言うと、リーガンは深く息を吐き出してやれやれと首を振った。
「お客様は神様などという言葉を歪んで受け取った俗物ほど醜悪なものはありませんな」
「よーし分かった……! そっちがそのつもりなら、こっちにも考えがあるからな……! 火種はいつでも用意出来てるんだぞ?」
赤の精霊司であるセルジュにとって、建造物に火を点けることくらい大した労力ではない。これだけ大きな屋敷だ。燃え盛る炎はさぞ見応えのあるものになるだろう。
すると背後からくいっと腕の裾を引っ張られた。首だけで振り返ると、そこには困ったような表情を浮かべるメリアンヌの姿。
「セルジュ様。あまり我が侭を言われては困ります」
「なんか俺が悪いみたいになってる!?」
「まったく暴走する若者の至りですな」
「うがあああああああ! こ、い、つ、ら……!」
どうすれば良いのだと、セルジュはがりがりと両手で頭を掻き回しながら呻く。
そんなセルジュを尻目にリーガンは少し、何事か考えた素振りを見せた後に、
「申し訳がありませんセルジュ様。テルージオ様は非常に多忙であらせられ、少々スケジュールに遅れが発生しております。しかし丁度良い。こちらに姿をお見せになるまで、どうぞこちらでお待ちください」
「あん?」
興奮も冷めぬままのセルジュがいつの間にか辿り着いていたのは、屋敷の中にある庭園だった。
豊かな緑と季節の花々に囲まれた、人工の自然。その中には池までもが作られていて、その澄んだ水の中を鮮やかな鱗を持つ魚が悠々と泳いでいる。
その穏やかな光景を乱れた呼吸のまま忌々しげに一瞥したあと――無論、罠がないか警戒したのだ――セルジュはゆっくりと首を捻った。
「……昔とは少し趣味が変わったか?」
セルジュは訓練校時代にもこの屋敷の中庭に訪れたことがあった。
その時はもっと旬の花々が鮮やかに咲き乱れ、室内に入った途端にその香りが鼻腔を擽ったものだ。もちろん現在の庭園にも花々は咲いていたが、記憶の中のものと比べれば随分と控えられたものである。
訝しむセルジュの言葉にリーガンは僅かに目を伏せた。
「最近はお嬢様もお屋敷にいないことが多く、手入れはしておりますがあまり新しい品種は仕入れていませんのでな。いやはや、お恥ずかしい。一応、この老骨めも進言はしておるのですが、テルージオ様はあまり関心が無いご様子で」
こういった庭園であったり、調度品であったり――そういったものはその貴族の格を周囲に知らしめる重要な要素だ。リーガンの恥ずかしいという発言もどうやら謙遜などではなく、本当にそう考えているようだった。
控えられたと言ってもそれはかつてと比べての話である。
これだけの豪邸に手入れのされた中庭があって恥ずかしいというのは、セルジュには一生理解出来ないであろう感覚だ。
リーガンは庭園内に用意されていたテーブルへとセルジュを案内する。テーブルの上には空のカップにティーポット、そして綺麗に盛りつけられた焼き菓子がある。いったいいつの間に用意したのだろうか。
「こちらは今王都で最も流行となっている、旬の果物を使ったベルテン菓子店のクッキー菓子です。丁度昨日届いたばかりの一品でしてな、いやセルジュ殿は真に運が良い。通常であれば完全予約制の稀少な品ですよ」
「……」
ティーセットと共に皿の上に置かれている焼き菓子。
確かに言われたとおり中には何らかの果実が練り込んであるようで、精緻な細工によって見た目にも拘っていることが分かる見事な菓子である。
セルジュは胡乱げにそれらを眺めると、幾つもある焼き菓子の一つを摘まんで小さく砕き、その欠片を庭園にあった池の中に投げ入れた。
生じた波紋に呼ばれたかのように水を泳ぐ数匹の魚影が集っていき――数秒後に、ぷかーと腹を向けて魚達が浮かび上がってきた。
「……」
「……」
セルジュの視線にノヴァリス家の執事はそっと視線を逸らした後に――、ふと重大なことに気がついたようにぽんと手を打った。
「どうやら魚の口には合わなかったようで」
「それで誤魔化せるとでも思ってるのか!?」
「誤解も何も、それが真実ですので。……それとも、何かですかなっ!? まさかセルジュ様は当家でお出しになった焼き菓子の中に、数滴で身体に痺れが走り最後には全身の感覚が無くなって死に至るというエゾンド樹林のみに生息するクジラシャチ蜂の神経毒が入っているとでもお疑いしているのですか!?」
「いや、流石にそこまでとは思ってなかったんだが……」
額に汗を浮かべて「なんて危険な物を使ってやがる」と小声で毒づいてから、ふと首を傾げる。
「というか、それって確か輸入禁止物品じゃなかったか……?」
「いえ、あくまで例え話ですので」
リーガンは明後日の方向を向いて言う。
セルジュはその初老の男の横顔を半眼で眺めながら、
「……なら、残りの菓子を持って帰って軍の鑑識に回して貰ってもいいってことだよな?」
「ええ、構いませんとも。ノヴァリス家の執事に後ろ暗いことなどなに一つありませんからな……、……ああっ、こらっメリアンヌ!? そんなところで服を脱ぐなんてはしたないことを! セルジュ様に見られてしまうぞ!」
「何だと!?」
執事が指差した方向へ瞬間的に振り返るが、セルジュの視界に映るのは綺麗に手入れのされた庭園を背景に立つメリアンヌだった。当然のように彼女はメイド服を身に着けていて、裸体などどこにもいない。
――と。
「塵へ還しなさい、フォンターゲル!」
そんな声と共に庭園の温度が一気に上がった。
一瞬だけ眩くなった背後に反応してセルジュが冷や汗を流しながら振り返ると、そこには黒炭へと姿を変えたテーブルとティーセットだったものがあった。すぐそばには執事が何かを振り下ろしたような格好で止まっている。
「どうかしましたかな、セルジュ様」
「証拠隠滅のために態々精霊を……いや、あんたがそれでいいならいいんだけどさ。精霊が泣くぞ」
そう呻くが、執事は咳払いをして知らぬふりで佇まいを戻す。
「それよりも気になるのですが。セルジュ様の中では私は所構わす服を脱ぎ出すはしたない女だと思われているのでしょうか……」
傍らでメリアンヌがぼそりと何か呟いたが、セルジュは聞こえないフリをする。
先程のやり取りは、リーガンがこちらの性質を熟知したうえで仕掛けてきた高度な駆け引きの結果なのだ。決して悪気があったわけじゃない。
「それにしても……今日は他の人間は居ないのか? てっきりもっとエリナの兄貴や弟が総出で襲いかかってくるもんかと――……」
ダンッ――!
そんな音を立てて、セルジュの足下にナイフが突き立った。咄嗟に周囲を見渡すが他に人影はない。一体どこから刃が出現したのか分からなかった。
「エリナーゼ『様』です、セルジュ様。如何に武勲を立てようとも、貴族であるお嬢様を平民のあなたが呼び捨て、あまつさえは愛称で呼ぶなどと許されることではありません」
リーガンは笑みを浮かべながらそう言ってから――目は笑っていなかったが。
「実はつい先日、セルジュ様からご訪問のお伺いの手紙を戴いてから、王都にいらっしゃるノヴァリス家の方々の間でとある会議が開かれまして」
「会議?」
「議題は如何にしてセルジュ様をこの世から退場させるかという、極々ありふれたものだったのですが」
「おう……もう内容について口を挟むのは止めておくが……、そもそも会議を開くっつって簡単に集まれるほど、この家の人間は身軽だったか?」
セルジュの記憶が正しければノヴァリス家の人間達は、既に各々が立場を得ていたはずである。今日だ明日だと言ったところで、そう簡単に集まれるようなものでもないと思うのだが。
セルジュの冷静な指摘にリーガンはうう、とすすり泣きのような声を漏らしてハンカチで目元を押さえる。
「生憎と当主様と奥様方は領地へお戻りになっておりましたので、参加することが出来ず。訓練校で教鞭を振るってらっしゃる方々も合同演習で今は留守に。王都勤務であった次兄様と三男様は連絡を受けるなり騎士団の宿舎を抜け出そうとしたところを見回りに取り押さえられたと通報……いえ、連絡が今朝方、騎士団の方から屋敷に届けられました」
「それでいいのかこの伯爵家は……」
「エリナーゼ様のご両親は貴族会の方々と慰安旅行へ出てしまっていたので、こちらも不参加。クラウス様とバレット様は会議に参加しましたが、どちらがセルジュ様を討ち取るかで決闘騒動になり、激闘の果てに引き分けで決着。現在は二人揃って病院へ……ああ、お労しや」
「もう一度言うが、それでいいのか伯爵家……」
ちなみにクラウスとバレットというのはそれぞれエリナーゼの兄と弟であり、両者共に一等認定を受けた精霊司である。現在は王国軍の騎士団で精霊機を扱っていたはずだ。そしてこの伯爵家の例に漏れず、エリナーゼを溺愛しているのだった。
セルジュは「やれやれ」と、ここに来てもう何度目かになるかも分からない溜息を吐き出した。
昔からセルジュには想像もつかないことを平然とやらかすノヴァリス家であったが、それは今になっても相変わらずのようだ。エリナーゼのこともあるし訓練校時代には世話になったこともあるので足を運ばなければならないと思ってはいたが、万事がこの調子のせいで気が進まなかったのだった。
特に執事であるリーガンは本気でこっちの命を奪いに来てるとしか思えないので、気が休まる暇も無い。またメリアンヌはメリアンヌで油断ならぬところがある。
「なんで王都にいるのに戦中の心構えでいなきゃならんのだ……」
許されるならば帰ってしまいたいところだが、まだ肝心の屋敷の主に会っていない。
フォルスから聞いた話では〈アルテナ〉の計画に結構な額の増資をしているという話であったし、礼も言わずに立ち去るわけにもいかないのだ。本来であればそんなことは工房長であるジストロン、そうでなくとももっと工房内で地位の高い人間の仕事のはずなのだが、直々に指名されたのでは逃げようがない。
ほんと面倒事を押しつけてくれるよなあ……。
セルジュがげんなりとしながら益体も無くそんなことを考えていると、物が焦げた匂いが立ちこめる庭園の中に一人のメイドがやってくる。
メイドは一礼するとリーガンの元へと足を進めた。
「うーむ、さすが伯爵家、良い人選をしてる」
何事かリーガンの耳元で囁くメイドのお尻をセルジュがぼんやりと眺めていると、脇腹に針を刺したような痛みが奔った。
「――てぇッ!?」
「セルジュ様。当家のメイドにそのような色目を向けるなど、流石は流石は盛りのついたフェロンケ。ですがなにぶん、今は人手不足。もし妊娠でもされては困ります」
「尻を眺めてただけで妊娠してたまるかっ!」
「いえ、セルジュ様のことですしもしやと思いまして」
「メリー。君は俺をなんだと思ってるんだ……」
セルジュとメリアンヌがひそひそと言い合っていると、リーガンへ何かの報告をしていたらしいメイドは一礼してから立ち去っていった。
リーガンは一度小さく頷いてセルジュの方へと向き直ると――、
「仕方がありません。ではセルジュ様、そろそろ茶番も飽き………ごほんごほんッ! ……テルージオ様のもとまで案内しますので、どうぞこちらへ」
「待て待て待て! いまそろそろって言いやがったな!?」
思わず叫び声を上げたセルジュをリーガンは冷徹な眼差しで見据え、
「確かに。確かにこの場所でお待ちするように私は申し上げましたが……」
そこで執事はふっと息を吐き出し、
「その行動に意味があるとはとは一言も申しておりませんな!」
「来いエゼルファルト!」
「フォンターゲル!」
ガッという鈍い音共に、赤色の短剣と棍棒が鍔迫り合いを起こす。
お互いの精霊ががちがちと噛み合って音を鳴らした。
「はて、どうか、しましたかな、セルジュ様……! 当家のおもてなしに何かご不満がございましたでしょうか……っ?」
「不満しかないにきまってるだろうがあああーっ!」
セルジュの怒声が貴族の屋敷に木霊した。