お出迎え
4
フォルスに頼んでノヴァリス家に招待状の返事を送って貰ったのが数日前。
色好い返事が素っ気ない手紙に書かれてきたのが、昨日のことである。手紙を渡した翌日に来いとは随分と性急な話であったが、実のところセルジュはその迅速さがある程度予想出来ていたのでそこまで驚きは無い。
むしろ驚いていたのはフォルスで、こんな雑な対応をしていたら貴族達の間でどんな噂を立てられるか分からないと目を見張っていた。
貴族と一括りにしても色々と性質はあるのだろうが、やはり相手の醜聞につけ込んで何かしらをしてくる者は多い。そのため貴族の間では礼節を重んじて見せ、恥になるような行動は取らないのが常だ。
そんな当たり前のことを無視してきたノヴァリス家の対応に、一般的な貴族であるフォルスは納得がいかなかったのだろう。
しかしセルジュには相手の心境が手に取るように分かった。
恐らくセルジュが訪問するという内容に居ても立ってもいられなくなったに違いない。ノヴァリス家とセルジュの関係を考えれば、短時間とは思えないほどに盛大な歓迎会の準備をしてくれているという確信にも近い予感が、セルジュにはあった。
「本当に来たのね……」
「そりゃくるだろ」
当日の朝、出迎えに現れたのは馬車だった。
貴族のものらしく細部に精緻な装飾が彫り込まれており、それを引く三頭の栗毛の馬も大きく逞しい。戦場の前線で見かけるような戦馬とは違い、その毛並みは磨かれたように美しく、気品を纏っていた。貴族の持ち物となると馬ですら品位が求められるらしい。
「じゃあちょっと行ってくる。悪いな予定が狂っちまって」
「ノヴァリス家からは少なくない援助をして貰っているからね。くれぐれも失礼がないように頼むよ」
「いい!? 用事が済んだらすぐに帰ってくるのよ!? 分かったわね!?」
「それは相手次第だろうよ」
何せ相手は貴族様である。それもフォルスのような小貴族ではなく、大きな領地を持ち政治にも参加している立場の者だ。平民であるセルジュの意思が反映されるとは考えづらい。
「……ところで少し気になっていたんだけど、今君が手に持ってる分厚い本はいったいなんなんだい?」
「ん、これか?」
言われて、セルジュは片手に抱えていた本の表紙を見せつけるように掲げた。
「……『王国のすすめ』って、なんだってそんなものを……」
「それてあれでしょ? すっごく中身の薄い内容を違う言葉で延々と並べ続けてあるやつ……まだ続いてたのね……」
フォルスとエナーシアが揃って微妙そうな顔つきをする。
本そのものの評価もさながら、何故そんなものを持っているのかという顔だった。馬車の中での暇潰しにしても、もう少しまともな選択肢があるだろうと思っているのだろう。
だがセルジュは曖昧な表情でそれを誤魔化して、妙に不機嫌そうなエナーシアと呆れた顔をするフォルスに見送れながら馬車に乗り込んでいった。
王都内をやけに乗り心地の良い馬車で揺られながら、窓から外の街並みを眺めること少し。普段であればセルジュが絶対に足の踏み入れることのない貴族街へと辿り着くと、その中に立ち並ぶ屋敷のうちの一つの前で馬車がゆっくりと止まった。
着いたかと認識してセルジュが動くよりも早く、豪華な装飾が施された馬車の扉が開き、一人のメイドが出迎えに姿を現した。
「ようこそノヴァリス家へ。お久しぶりでございます、セルジュ様」
「……やあ、メリアンヌ。元気そうだな。相変わらず可愛くて何よりだ」
馬車から降りたって、深々と一礼するメイドにセルジュは懐かしい気持ちになりながら笑いかけた。わざと作りだした甘い声は明らかに目の前の女性を意識したものであり、もしこの場にフォルスがいたならば頭を抱えていたことだろう。エナーシアならば怒りながら叫び声を上げていたに違いない。
癖が無い亜麻色の艶髪を持ち、白と黒の服装を身に着けた侍女の姿。
セルジュがメリアンヌと呼んだメイドはゆっくりと姿勢を起こすと、小さく微笑んだ。
「嫌でございますわ、セルジュ様。昔のようにメリーと呼んでくださって結構ですのに」
「へえ、それはつまり、そういうことだって期待して良いのかな?」
彼女の横に立ってそっと小柄な体格の彼女の腰に手を回そうとすると、ひらりと風に吹かれた花弁のような仕草で躱されてしまう。
「ふふ、さあどうでしょうか。――中へご案内しますのでどうぞついてきてください」
「うーん、つれない。でもそれがいい」
揺れるスカートの端を視線で追いかけながら、花の香りに誘われるようにセルジュはメリアンヌの後へ続いた。歴史あるノヴァリス伯爵家の使用人を務めているだけあって、彼女の佇まいは凜然としていて美しい。小さな歩幅で歩数を数えながらもまるで体幹がぶれないその凛とした様は、大地に突き立つ一本の槍を思わせた。
同じメイドでも、クラウシュト侯爵についていたあの不思議メイドとは大違いだなと何気なく思う。
「しかし、王都に残っていたんだな。てっきり君のことだからエリナについて行ってるのかと思ってたよ」
エリナとはエリナーゼの愛称である。
訓練校時代、メリアンヌはエリナーゼの側付きの侍女を務めていて、この二人は多くの時間を共にしていた。エリナーゼが現在王都を離れているという話はセルジュも聞いていたので、てっきりそれに付き従いメリアンヌもここにはいないと思っていたのだ。
「私は既にお嬢様の側付きを解任され、現在は別の者が役割を全うしております。今の私はここ王都邸でゆっくりとした日々を過ごさせていただいておりますわ」
「へえ。君とエリナが別々っていうのは、ちょっと想像が難しいな」
「時間と共に人は移ろい変わりゆくものですから。……セルジュ様も戦場でご活躍のご様子。その武勇は間接的にではありますが私も聞き及んでいます。女性と見れば餌を強請る野良犬の如く近寄っていき隙あらば毒牙にかけていたあの御方がと考えると……、いち使用人の立場でありながら私も王国の未来を憂いずにはいられません」
「うん、それ、褒めてないよな? 盛大に貶してるよな?」
朗らかな表情で毒を混ぜてくるのが昔からの彼女の特徴だった。交わされる雑談に懐かしさを感じつつ、二人は屋敷の敷地内を歩いて行く。
王都の貴族街に存在するノヴァリス家の屋敷は、広い庭付きの豪邸である。恐らく専属の庭師の手によって毎日整えられているのだろう。立ち並ぶ木々や彩る花々は芸術品のように周囲との調和を保ち『見る』というただそれだけの行動を、娯楽へと昇華していた。
貴族という存在と多少の関わりはあれども、セルジュは平民。こうして貴族が生活する一端を垣間見ると、やはり格というものを感じずにはいられない。こういった場所を目にするとその技巧や心遣い、事の細やかさに心底感心すると同時に、これの維持費にどれくらいかかるのだろうかなどと考えてしまう。
王国軍所属の二等精霊司というだけでもそこそこの給金を貰っている上に、セルジュは前線での働きで得た特別功労金もある。一般的な王国軍兵士と比べれば遙かに稼いでいるのだが、その殆どを家族へ仕送りしているためにセルジュの金銭感覚は未だ一般庶民そのものであった。
石造りの歩道の上に沿って広い庭を渡り歩き、真っ白な壁を持つ豪邸の前へと到着する。
近くで見ると大きい。それに加えて威圧的な印象を受けるのは、果たしてセルジュの心持ちだけが原因なのだろうか。
ガチャリと音を立てて屋敷の両開きの正面玄関口が開き、一人の老紳士が中から姿を現した。
皺一つ無い高級繊維製の燕尾服を身に纏った、初老の男性。白いシャツに上等な黒いスーツ。そんなモノクロな色合いの中で、首元に結ばれた赤い蝶ネクタイが唯一のアクセントといえる。
「ようこそおいでくださいました、セルジュ殿」
穏やかな表情と優雅な動作を組み合わせて、男が恭しく一礼する。
セルジュはその男の名を知っていた。リーガン=テザントマン。炊事洗濯から戦闘まで何でもござれの、性格に難を抱えたノヴァリス家の万能執事である。久方ぶりにその姿を見て、セルジュは口の端を釣り上げた。
「よお爺さん。まだ生きてたか」
「ほほほ、この老骨、まだまだ常世には未練がありましてな。そう簡単にはくたばりませぬよ。――さてセルジュ殿。丁度良い機会ですので……少々急な話ではありますがその未練のうちの一つを晴らさせて貰うとしますぞ」
「は?」
そう言って人の良い笑顔を浮かべたままリーガンがどこからともなく取り出したのは、折り畳み式の携帯ボーガンだった。
それは既に展開し終えており、鏃は装填済み。あとは引き金一つ引けばすぐにでも発射出来る状態で、当然というふうに、その先端はセルジュへと向いている。
無垢に晒さされた狂気に身体が強張ったのも一瞬。
ドッ――、という重い音と共に矢が突き刺さる。
風切り音と共に飛来したそれはセルジュの土手っ腹に命中し、深く沈み込む。
襲いかかる衝撃にセルジュは身体を仰け反らせたが――それだけだ。鏃が刺さった部分からは血の一滴すら流れ出てはいない。
リーガンが小さく眉を顰めると同時、セルジュはにやりと口の端を上げて、自らの服の裾を捲り上げた。
そこには分厚い本が紐で身体にしっかりと巻き付けられていて、ボーガンの鏃はその半ばで勢いを無くして静止していたのだった。
それは出発前にセルジュが持っていた、軍の広報誌として各月で刊行されている『王国軍のすすめ』である。その無駄に多いページ数と、読んでいて時間の貴重さというものを知ることの出来る著者の文才の無さから、国民の血税の無駄遣いとして真っ先に非難される重厚な一冊だ。
「ち」
だが国民の血税は決して無駄では無い。
現にこうして今、セルジュの命を守ってくれたのだから。
ちなみに今聞こえてきた舌打ちは矢を放った執事のものではなく、ここまでセルジュを案内してきたメリアンヌのものである。セルジュは思わず半眼で隣を見やったが、彼女は微笑みを浮かべたまま眉一つ動かしはしない。
そしてリーガンは何事もなかったかのように――矢を放った張本人にも拘わらず――メイドと同様の嫋やかな表情を浮かべたまま手の中のボーガンを何処かへと仕舞い、
「改めて、ようこそノヴァリス家へいらっしゃいました、セルジュ様。お嬢様に毒牙を掛けた罪を償わせるためにも、盛大に歓迎させていただきましょう」
***
うーうーという動物の唸り声のような――或いは、獣が外敵を警戒する威嚇音のようなものがさっきから工房内に響き渡っていた。音量、それ自体は決して大きいわけではないのだが、その声には聞く者の鼓膜を直接振るわせるような妙な存在感がある。
勿論、王国技術の中枢たるここ中央工房でそのような獰猛な獣を飼っているわけもない。強いて言うならば一部の女性職員達が施設の裏側でこっそりと野良猫を餌付けしていることをフォルスは知っていたが、それも今は関係ないだろう。
「はあ」
フォルスは小さく溜息を吐き出しながら、視線を声のする方向へと移す。
冬眠明けの熊のようにさっきから同じ場所を落ち着き無く歩き回っている、一人の少女の姿。年齢的には少女というのは相応しくない気もしたが、年代よりも小柄な彼女はどうしても幼い印象を受ける。特に今などは約束をすっぽかされて拗ねる子どのような反応を見せているので、殊更だった。
落ち着いた姿で凛と澄ました顔でもしていれば出自に見合う深窓の令嬢になれると言うのに、今の彼女は子供そのものと言っても過言では無い。
工房内を徘徊する少女の姿に工房内の者達は最初はぎょっとし、次いで縋るような視線をフォルスに送ってくる。
工房に来て以来ジストロンの奇行を宥めることから始まり、決して要領の良くないエナーシアのフォロー、そしてここに来て日の浅いセルジュの面倒。そういった事ばかりをしていたせいか、こういった問題ごとが起こるとそれが全てこちらに回ってくるようになってしまった気がする。
――僕は精霊機開発の協力者として中央工房に来ているのであって、別に世話係としているわけじゃないんだけどな。
心の中でそう呟いてもう一度だけ溜息を吐き出すと、印象的な黄昏色の髪を揺らしながら彷徨う同僚へと声をかけた。
「エナ、君は一体さっきから何をしているんだい」
その声音に多少うんざりとした色が混じっていても、それは仕方が無いことだ。
フォルスはこの工房に来て以来、精神的な疲れというものを嫌と言うほどに感じているのだから。
対して声をかけられたエナーシアはびくりと毛を逆立てた猫のように反応し、首を振るようにして周囲を見やった。
「ななな、なに!? セルジュが帰ってきたの!? どこ!?」
「誰もそんなことは言っていないし、まだ昼前だよ。そんな直ぐに帰ってくるわけないだろう」
全く見当違いなことを口にするエナに呆れつつ冷静に指摘すると、少女はうぐと息が詰まったように口を閉じる。
「それに話に聞いたエリナーゼ嬢との関係を考えれば、今晩は帰ってこないという可能性も――」
「そんなありえないわ! き、貴族と平民がそういう関係になるだなんて……!」
そう言って顔を真っ赤にして首を振るエナだったが、常識的な慣例に基づいての結論と言うよりは、単純に自分が信じたくない事実を必死に否定しているように見える。
この娘も大概分かりやすいな、とフォルスは内心で呆れつつ、
「確かに考えづらくはあるけど、例のエリナーゼ嬢は本家筋からは外れた立場だからね。そう考えれば、平民とはいえ訓練校時代の成績から始まって立派な戦績を持つセルジュという物件はそう悪い物でもないと思うよ」
それに実際セルジュもそれなりに良い年齢だしねと、最後に付け足す。
平民という項目さえなければとっくに結婚なり、婚約なりが決まっていてもおかしくないだろう。本流から外れているとはいえ伯爵家所縁となると流石に位差がありすぎるとは思うが、本人同意の上で既成事実を結んだというのはそれなりに強力なカードである。
「それにわざわざ向こう側から招待してくるくらいだ。結構気に入られているんじゃないかな。聞いた話じゃエリナーゼ嬢は箱入り娘だったようだし、恋愛結婚程度の我が侭も聞いて貰えているんだろう」
「け、けけっけけっけ、ここけこけけこ!?」
フォルスの推論を耳にしてエナは養鶏の真似事のような声を漏らした後に、
「……そ、そもそも! ノヴァリス家ってどうなのよ? 大して名も売れてない伯爵のくせに、いくら精霊司とはいえ平民の血を取り込みなんてしたらどんな醜聞が立つか分からないんじゃないのかしら!?」
「どうって、別も僕も詳しくはないけど……、たしか、ノヴァリス家はもともとは何代も前の王国騎士がその武勲で貴族位を賜ったのが始まりだったかな」
フォルスが言い聞かせるほどに不利になっていく要素を吹き飛ばすかのようにエナーシアが声を上げ、なんか下町のチンピラみたいな難癖を付け始めたなと思いつつ、フォルスは記憶の中に沈んでいた知識を思い起こす。
「王国全体で見れば貴族としての格は中位よりやや上って所かな。初代が騎士だった気風からか、軍へと道を進める人間が多いみたいだ。治めている領地の大きさはそこそこで、領地経営に関しては堅実で特に悪い噂は聞かないね。大規模な鉱脈は見つかっていないようだけど、自然豊かで魔獣被害もなく経済は安定してる。特産品は葡萄ワイン。ノヴァリス領のヴィンテージともなれば、王家の食卓にも並ぶ一品だ」
フォルスが頭の中に収まっていた知識を思い出して諳んじていくと、エナは若干驚いたように瞳を瞬かせてから、胡乱げな目つきを作る。
「あんまり詳しくないって言う割にはフォルス、あなた随分と詳しいのね?」
「貧乏貴族の三男坊ともなると、将来が不安でね。色々と必死にもなるのさ」
王都から離れた辺境貴族の三男程度だと領主の立場も継げず、かといって実家の上で胡座をかいて生活出来るほど余裕があるわけでもなく、働き口に苦労する人間は多い。
フォルスは幸いにして一等精霊司としての力に恵まれたが、出来ることは多いに越したことはないと思って幼い頃から色々と知識を身に着けてきたのである。その結果、行く先々で便利屋扱いされて面倒事を押しつけられるのは、悲劇というしかないが。
「まあ、仮にセルジュと件のエリナーゼ嬢が結婚したところで、セルジュが領主候補になるわけでもなし。丁度良いと言えば丁度良い位置に納まる気もするけどね」
「うう……」
効果的な反論が思いつかないのかしょげた呻き声漏らすエナを見て小さく笑い、
「なんだい? そんなに彼と御令嬢が気になるのかい?」
「な、ちちちがうに決まってるでしょ!? 私には関係ないし!? 別にセルジュが誰と結婚したところでどうでもいいっていうか!? ただ同じ仕事に携わる者としてしっかりと同僚の状況は把握しておかないといけないと思っただけで……」
顔を真っ赤にしてそんなことを言う彼女からはもはや痛々しさすら感じられるようになってきた。その様子にフォルスが苦笑を浮かべていると、周囲でそれとなく様子を窺っていた技師の一人がフォルスに向かって小さな声で忠告してくる。
「あのう、あんまり虐めすぎない方が良いんじゃ……」
暴発されると面倒ですよという内容が暗に込められたその言葉に、しかしフォルスは肩を竦めて、
「そりゃ、僕はこんな場所で面倒事の片付けだって言うのに、片や同僚は貴族の屋敷で歓待を受けているときてるんだ。僕も色々と堪っているんだよ。これくらいは大目に見てくれ」
フォルスがうんざりとそう言うと、その技師は何故だか哀れむような視線を向けてくるのだった。