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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
五話 貴族
19/26

招待


   3


 エナーシアを含む工房の乙女達が工房裏で会話に花を咲かせている間セルジュが何をしていたかといえば、別段何かをしていたというわけでもなかった。

 日課の鍛錬を終えてしまえばしなければならないようなことはなかったし、束の間の休息か工房全体にもふんわりとした緩い雰囲気が漂っていたので、セルジュもそれに乗っかることにしたのだ。

 別に〈アルテナ〉の調整をしても良かったのだが、いつも世話になっているユミナや他の技師達の姿は格納庫には無かったので、必然セルジュ一人で出来ることなど限られてしまう。 

 姿が見えない女性技師達が件の場所に集まっていることは何となく察していたセルジュだが、そこに乗り込むような選択もしない。仮に単身で行っても馴染める自信は充分にあったが、既に出来上がっているであろう空気を壊す真似をする気も無かったのである。

 束の間の空白、同性同士でなければ話せないようなこともあるに違いない。仮にも前線で一部隊を率いていたこともあり、ここらへんの距離の取り方に関してはセルジュも慣れていた。


 なのでその日、セルジュは共用食堂で男性技師達と軽く酒などを入れながら親交を深めていた。女性とみればすぐに声を掛けに行くセルジュであるが、別段男同士の付き合いが嫌いというわけでもない。大人になりきれていない男同士で馬鹿話をするのは相手が女性では味わえない楽しさである。

 もっともフォルス達が帰ってくれば通常業務へと戻るのでそんなに羽目を外すことは出来なかったが。精々、工房に来て以来職場の女性達に声をかけ続けるセルジュに恨みを積もらせていた男達が一斉に飛びかかったことくらいである。

 数が多くともただの一般人と精霊司。その結果がどうなったかはあえて語るまでもないだろう。

 そんな風にして多くの時間を過ごし、騒ぎを起こしていた野郎達も次第に落ち着きを取り戻して解散していく。口うるさいフォルスや姿の見えない女性技師達に見られてしらけた目を向けられるのは嫌というのが共通認識だったので、片付けは極めて迅速に行われた。これが訓練校の撤収訓練だったならば相当な高得点であっただろう。

 そうしてジストロンとフォルスが王城から帰ってくるであろう時間も近づいた頃、セルジュは一人で〈アルテナ〉が格納されている倉庫にいた。別段用事があったわけでもなく、特にすることがないので偶然訪れただけだ。

 精霊鋼やミスリルを基本にして錬磨し生み出された巨大な鎧。倉庫内には作業服を着た技師達の姿が見え始めている。束の間の休息も、そろそろ終わりということだろう。

 今は沈黙を保ちながら眼前にそびえる十メルの精霊機をぼんやりと見つめていると「こんなところにいたのねセルジュ!」という叫び声が届いてきて、セルジュは思わず苦笑した。

 その声を聞けば振り向かなくとも誰かなど分かる。きっと黄昏色の髪を持つ容姿の整った少女が早足に寄ってきているに違いない。

 案の定、次に聞こえた声はすぐ近くだった。

 首を動かして見やればすぐ近くにまでエナーシアが身体を寄せてきている。


「探したわよ、こんなところで何してるのよ?」

「別に何かしてたわけじゃないよ、暇つぶしでいただけだ。……それよりも、探してたって事は俺に何か用事でもあるんじゃないのか?」

「う」


 セルジュが尋ねると何故かエナーシアは気まずそうに声を漏らした。

 そうして暫し迷う様に視線を泳がせたのだが、不意に目を細めると、すっとセルジュに向かって手を差し伸ばしてきた。


「てて手……手をっ、にに握っても良いんじゃないかしらっ!?」

「は?」


 突然何を言っているのかと、セルジュは変な顔をして目の前のエナーシアを見やった。

 目の前にある整った顔をは緊張したように強張っていて、そこから何かを察することは出来ない。いったい何を吹き込まれてきたのだろうか。ついでに言うと、左手に握られている細かく千切られた木の枝は何なのだろうか。

 セルジュとしては別段断る理由もないので、素直に差し出された小さな手を握ってみた。

 戦う者の手とは思えない綺麗な指と、肌触りの良い柔らかな手の平だった。人の温かみを感じながらついでにぶんぶんと上下に揺らして、逆の手でちょいちょいと頭も撫でてみる。

 エナーシアは驚きつつもまんざらではない顔をしていたが、ふと我に返るように瞼を瞬かせると叫び声を上げた。


「……って、これ違うっ! 私が想定してたのとちょっと違う!」

「おう、何を言ってるのか俺はさっぱりなんだが……」


 違うと言われても困るしかない。

 セルジュが怪訝な顔をすると、エナーシアは何故か焦ったような表情をしてみせた。


「ほ、ほら、もっとあるでしょう? こう……場の雰囲気というか? それに相応しいものが……ねっ?」

「……まあよく分からんが、お前がまた暴走してるんだなあって事は何となく分かった」


 気が逸ると突拍子もないことを始めるのがこのエナーシアという人物だ。

 考えが纏まっていないのに行動力が無駄にあるために、今回みたいに外側からだと何を考えているのか全く分からないことを始める。模擬戦然り、セルジュの帰宅に付いてきたこと然り、こういう彼女の姿を見るのは始めてではない。むしろ、もう慣れてきた感じすらあって、温かい目で見守る余裕があった。


「ちょっと、なんか子供を見守る親みたいな顔つきになってるんだけど!?」

「気のせいだろ。……ところでお菓子あるけど食べるか?」

「あんたは近所のお爺ちゃんお婆ちゃんか!」


 うぐぐと不機嫌そうに唸り声を出すエナーシアだが、やはりそこから迫力のようなものは感じられない。彼女の端麗な顔立ちはどんな表情でも見栄えが良く、加えてころころと山の天気のように機嫌が変わるのでずっと眺めていても飽ることがなかった。


「な、なによ人の顔じっと見て」

「いやあ、エナはかわいいなと思って」

「か、かわっ……だ、誰が……なに急に変なこと言ってるのよっ!」

「うん、照れと怒りが混じった顔もありだな」

「分かった! あんた私をからかってるわね!?」

「正解」

「あああぁぁもおおおおおおおおっ! あんたってやつはああああぁぁ!」


 真っ白な犬歯を剥き出しにして柳眉を逆立てるエナーシア。

 そんな態度が面白くてセルジュはますます弄りたくなるのだが、その本人はまるで気がついていない。周囲を行き交う技師達も、そんな二人を仲の良い兄妹を見るかのような暖かい視線で見守っていた。

 暫くそんな風にしながら、セルジュがエナーシアをからかって遊んでいると、不意に工房の入り口から声を掛けられた。


「セルジュ! こんなところにいたのか、探したよ」

「……」


 聞こえてきたのは貴族の青年の声。

 なんかついさっきも似たようなことがあったなと思いながら首を向ければ、そこにはフォルスの姿があった。どうやらいつの間にやら会議を終えて、この工房へと戻ってきていたらしい。

 どこか焦っているようなその姿に怪訝なものを覚えながら、一体どうしたと首を傾げる。


「なんだ、そんなに慌ててどうしたんだ。 まさかお前も俺と握手したいとか言い出さないだろうな?」

「……何を言ってるんだ君は?」


 意味が通じなかったのかフォルスは思いっきし変な顔をして、


「……いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。それよりも君に聞きたいことがある」


 妙に真剣な瞳の色をしたフォルスにセルジュはいったい何事だと顔を顰める。

 目の前までやって来たフォルスは懐から封蝋のされた一枚の便箋を取り出すと、セルジュの目前までその子細が分かるよう近づけてくる。

 刻まれているのは風に揺れる世界樹の紋章。

 それを見たセルジュは僅かに目を細め、その様子にフォルスは確信したようだった。


「その反応、どうやらノヴァリス家に覚えはあるみたいだね、セルジュ?」



   4



「……というわけなんだが」

「あー」


 事のあらましをフォルスから聞き終えたセルジュは、反応に困ったようにぽりぽりと頬をきながら、受け取った便箋を見やった。

 場所は引き続き中央工房にある〈アルテナ〉整備用の作業格納庫である。そこでエナーシアを一方的に弄って暇を潰していたセルジュは、王城での会議を終えて戻ってくるなり渋面を浮かべていたフォルスに便箋を突きつけられたのである。


 蜜蝋に精緻に刻まれたのは、風に揺れる世界樹の紋章。

 王国貴族の一つ、ノヴァリス伯爵家の家紋である。

 フォルスに問いただされたのはセルジュだったが、何故かエナーシアや工房にいた技師達が野次馬根性で当然のように集まって話を聞いているのだが、まあ、それは今はどうでもいいことだろう。

 セルジュはどこか馴れた様子で懐から取り出した便箋の封を切り、中身を取り出して目を通す。収まっていた手紙には貴族特有の回りくどい表現が大量に記されていたのだが、噛み砕いてしまえばその内容は至って単純なものだ。


 曰く、都合の良い日に挨拶に顔を出しなさい。出来るだけ早めにね。歓迎の準備して待ってるよ。いっぱい援助してあげるんだから、まさか断るなんて言わないよねえ、えへへ。


 ……多少の脚色はあるが、まあ大体こんな感じである。

 これでお相手が絶世の美女だったのならばセルジュのやる気も青天井となるのだが、残念ながら相手は往年の貴族だ。頭の寂しくなった老人に出迎えられたところで、やる気など出ようはずもない。

 セルジュは暫く思案するように視線を彷徨わせた後に、諦めたように小さく息を吐き出した。


「まあ、断るわけにもいかないんだろうなあ……。どのみち王都にいる間に一度は顔を見せに行かなくちゃとは思ってたから、丁度いいと考えるしかないか……。フォルス、後で返事を書くから、ノヴァリス家に遣いを出して貰っていいか?」

「それは構わないけれど……」


 貴族の礼節として、手紙の返信に書いた本人が行くということは有り得ない。

 基本的には小間使いに行かせることになるのだが、当然セルジュにはそんなものはいない。一応王都には郵便局も存在するが、貴族街への送料はかなり割高である。節約出来るならばそれに越したことはないと考えてしまうのが、平民出身であるセルジュだ。

 セルジュのお願いには特に問題も無く頷くフォルスだったが、その物問いたげな瞳の曇りが晴れることはない。過剰とも言える融資を施すノヴァリス家の前当主と、平民を出自に持つセルジュが一体どのような関係なのか。

 それが気になりはしたものの、果たしてそれを迂闊に訊ねて良いのかどうか計りかねたのだ。

 だがそんなフォルスの気遣いなど知らぬとばかりに、声を上げる人物がいた。


「ちょっと、セルジュ! あなた、一体ノヴァリス家とはどういう関係なのよ? あなたの名前を出した途端にこうなるなんて、いくらなんでも不自然すぎるわよ!?」


 エナーシアである。


「うん?」


 直情型で少々頭の足りない少女は驚いたように目を丸くするセルジュにもお構いなしに、大股で詰め寄っていく。


「大人しく白状しなさい! あ、さてはアレね!? あなた何か伯爵の弱みでも握ってるんでしょう!?」


 その様を周囲で見ていた者達は揃って、何だか浮気を問い詰める嫁のようだなと思ったが、それはどうでもいい余談であろう。


「物は何!? 裏帳簿!? それとも禁止物取り扱いの証拠!?」

「誰がするか、んなことっ!?」

「いいセルジュ!? 揺すりは立派な犯罪なのよ!?」

「ええい、人が優しくしていればつけ上がりやがって……!」


 人のことを何だと思っていやがるとセルジュが眉間に皺を寄せると、エナーシアは疑わしげな視線を緩めずに口を尖らせた。


「だって、そうでもなきゃおかしいじゃないの。なんでセルジュの名前を出したらノヴァリス家のご老人が大盤振る舞いで援助してくるのよ」

「そんなんは俺も分からないっての。確かにあの爺さんとはちょっとした知り合いではあるけど、援助については本当に分からん。こっちが聞きたいくらいだ」

「ふうん? 本当なわけ? ……だとしても、どこで伯爵家の前当主なんかと知り合ったのよ?」

「それは……あー」


 美しい黄昏色の髪を持つ少女に挑むような目つきで睨まれて、セルジュはぽりぽりと頬を搔き、ゆっくりと周囲を見やる。

 フォルスや、周囲で聞き耳を立てていた工房の作業員達。その何れもがエナーシアと似たような心境なのだと理解すると、溜息混じりにぽつりと言葉を漏らした。


「ノヴァリス家っていうのはな、代々男系家族なんだ」

「……?」


 いきなり何の話だと一同は訝しむが、だが、このタイミングでセルジュも全く関係ないことを口にはしないだろう。一先ずは静聴することに決める。


「現当主の御兄弟は全て男、本家の子息も第五子まで全部男。血筋なのか何なのかは知らんが、家系図を遡ってみて見ても、とにかく男の比率が圧倒的に高いらしい」

「ふうん」


 エナーシアは取りあえず相槌を打っておくが、特に深い意味は無い。他家の家庭事情を知ったところで、そうなんだという以上の感想は出てこなかった。ちょっとした豆知識が増えた程度の気持ちである。

 エナに限らず、フォルスやその他も似たり寄ったりの反応だ。


「ただな、ノヴァリス家現当主の弟さんの第二子が珍しく娘さんで……つまりは姪御さんなんだ」

「ふむ……、それはそれは。随分と喜ばれたのではないかな」


 フォルスがそう言うと、セルジュは頷く。


「ああ、それはもう。一族の家系図を見ても珍しい女の子だからな。両親は勿論、叔父やら祖父やら、その娘はもう親戚中から猫可愛がりされてお姫様の如く育てられてたわけ」


 本家筋でもないというのに、彼女の誕生日ともなれば盛大にパーティを開くような有様だったらしい。その力の入れようときたら、跡継ぎである長男の誕生会が慎ましく見えるほどだという。

 その長男からしたらおもしろくない事態だろうなとフォルスは思ったが、どうやらその長男もその分家の娘を可愛がっているらしく、全く問題にしていないのだとか。

 これが山あり谷ありの娯楽小説か何かだったならばこじれにこじれてお家騒動にまで発展しそうなものだが、現実は不足無い円満な交流関係を築いているようだ。何とも奇特な話だと、エナーシアとフォルスは呆れ半分感心半分に頷く。


「で、それがいったいどう関係するんだい?」

「その娘さん、名前をエリナーゼと言って、貴族の例に漏れず強い精霊の力を持って生まれててさ。力を持つ者が弱者を守るのは当然の義務と言って、過保護な一族総出の反対を押し切って訓練校に入学してきたわけだ」


 そこまで聞けばエナーシアやフォルスにもピンと来るものがあった。

 貴族と平民という身分の異なるものが知り合う機会は早々あるものではないが、訓練校は数少ない例外である。国家に精霊司と認められれば身分関係なく一つの施設に閉じ込められるのだ。否応なしに接触は生じるものである。


「なるほど。つまり、君はそのエリナーゼ嬢と通じてテルージオ前伯爵とも交流を深めて…………」


 と、そこまで口にした途中で、フォルスはとある嫌な想像をしてしまった。

 農村出身の平民と、貴族の箱入り娘。

 通常であればその前提条件だけで有り得ないのだが、生物学的には男と女である。

 そしてセルジュの女癖の悪さは最早周知の通り。息を吸うように異性へ近づき、接触を持つのがこの男の性質なのである。

 全く同じ発想に辿り着いたのか、エナーシアも酸素を求める魚のように口を開け閉めしている。


「……セルジュ、あ、あんた、まさか」


 有り得ない――と、思いはすれども口に出すことは出来なかった。 

 もし言葉にしてしまったら信じがたい返事を聞く羽目になるのではないかという、一種の予感があったからだ。

 だが結局は何も変わらない。セルジュは気まずげにそっと視線を泳がせて、今にでも誤魔化しの口笛でも吹き出しそうな様子を見せながら――、


「有り体に言うと、俺とエリナーゼは訓練校時代の同期で……まあその、あれだ。一緒に火遊びをした仲なわけなんだよなあ」


 そんなことを宣わったのだった。



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