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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
五話 貴族
18/26

女子会


   2


「暇だわ……」


 晴天下でそう呟いたのはエナーシアである。

 長く伸びた黄昏色の髪が風で揺れる姿は神秘的。造形物のように流麗な顔立ちも相まって、御伽話に出てくる妖精のような非現実的な印象を彼女に与えている。線が細く、細く均等な長さの白い手足。男性はもちろんのこと、同じ女性でもエナーシアのその姿に見惚れる者は少なくない。

 ただしその実態は落ち着きがなく、世間知らずで、妙なところでは臆病になるという、割と残念な方向に性質が偏っていたりする。これで人受けのするような性格ならば世の人間が放ってはおかなかっただろうというのは、エナーシアの同僚であるセルジュの談であった。


「いいじゃないですかー。毎日毎日、精霊機の部品弄りをしているんじゃ疲れちゃいますよー。偶にはゆっくりしましょうよー」


 そんな彼女の呟きに声を返したのは、この工房に勤めてる女性技師の一人である。

 主にエナーシアの操る〈アルテナ〉の整備、調整を受け持っていて、必然的にエナーシアと言葉を交わすことも多い人物だ。

 今のこの時間もそうだった。

 この日は王城で〈アルテナ〉開発の定期報告会が開かれている。工房長であるジストロンとその世話役――正確には違うはずなのだが、もう全員からそう認識されている――のフォルスはそちらに行っていて、工房にはいない。丁度〈アルテナ〉の調整も区切りの良いところまで来ていたということで、彼らが帰ってくるまでは休みということになっていた。

 折角の機会にゆっくりしようというその女性技士に対して、別の技師が口を挟んでくる。


「それはちょっとやる気なさすぎじゃない?」

「別にサボってるわけじゃないってば。休む時に休まないと保たないって話だよー」


 場所は資材保管庫の裏側。

 ここには白と明るい茶色の野良猫が住み着いていて、今も陽向の上でごろんと腹を向けて丸くなっている。青銅色の髪をもつ技師が腹を撫でていても逃げることはなく、むしろもっとやれと喉を鳴らす始末。

 この野生の欠片も感じられない野良猫を餌付けしている内に、自然と工房の女性職員達の足がここへ向くようになり、今となってはこの場所は休憩時の根城となってしまっていた。今この場にいるのは五人。エナーシアを除けば全員が〈アルテナ〉の整備関係の人間である。


「でも実際、ここのところ忙しすぎでしょ! セルジュさんが来てから〈アルテナ〉も二機とも全力稼働だもん! 手が幾つあっても足りない!」

「それは確かにそうかも」


 うんうんと周囲の技師達がしきりに同意する。

 実際、セルジュが第二工房にやって来てからは技師達の仕事量は倍以上に増えていて、毎日が息つく暇のない忙しさだった。夏の気温の中、汗を流しながら働くその姿を間近で見てきたエナーシアは感謝の念が絶えることはない。


「みんなには本当に感謝してる。あなたたちがいなかったら〈アルテナ〉はここまでこれなかったものね」


 そんなエナーシアの言葉に技師達はこそばゆいような顔を浮かべて、小さく笑いを零した。エナーシアは考えていることが態度や顔に出やすいので隠し事や世辞が下手だ。だからこそ、今の言葉が本当の気持ちだと分かってしまい気恥ずかしいものを感じてしまう。


「いやいやいや、そう言って貰えると私たちも報われますよー。第三工房に行った友達の話なんですけど、上位の貴族の方々は精霊機を整備して引き渡してもろくにお礼も言わないらしいですからねー」

「ええ、なによそれ? 感じ悪いわね」

「まあ上位精霊司達なんて、私達技師のことを便利な工具程度にしか思ってないんじゃないのー」

「あ、でも。個人工房に行った同期は凄い待遇良いって聞いたよ。やっぱり人によりけりなんじゃないかな。……フォルスさんとか見てると、ほんとそう思うし」

「ああー……うん、そうだよね。ごめん、わたしが間違ってた」


 必要の無い苦労を背負わされて働き続けている一等精霊司にして貴族の青年の日々を思い出して、何とも言えない表情を作る一同。やはり女性技師達の間でもフォルスはそういう印象であった。いつか失踪するのではないかと密かに思われていたりもするのだが、そのことは誰も口にはしない。したら真実になってしまいそうで恐かったからである。


「……で、でも私さ、〈アルテナ〉の整備とかしてると時々恐くなるんだよね」


 エナーシアと交流の深い技師がぽつりと、話題を変えるように声を漏らした。

 このまま今の話を続けるのは良くないと思ったのか、周囲の者達もそれにあっさりと乗っていく。


「恐いって、なにが?」

「そりゃあれじゃないの? 仕事で自分以外の命を預かる重み的な」

「あー、まあそれも分かるかなあ。だって、私たちのミスで機体に不具合が出たら中の人が代わりに死んじゃうかもしれないものね……」


 彼女たちのような技師、それも中央工房勤めの者達が前線に出ることはほぼないと言って良い。だがそれが無責任な安寧を意味するのかと言えば、それは違う。彼女たちは自分たちの仕事次第で人の命が左右されることを理解している。

 確かに実際に自分の身体を張って戦場に赴くことはないかもしれないが、それでも間違いなく誰かの命をかけて全力で戦っているのである。

 精霊機を扱う上位精霊司の中には技師という存在を軽視する者もいるらしいが、そのことを考えるとやりきれない気分になる。エナーシアは感情に突き動かされて、半ば反射的に声を上げていた。


「大丈夫! 私、あなた達の仕事は完璧だって知ってるんだから。何も不安に思うことなんてないんだから!」


 奇を衒わない実直な言葉に技師達は再度気恥ずかしげな表情を浮かべ、だがふと、一人だけが微妙に口元を引きつらせていることに気がつく。

 周りの技師達もそのことに気がついて、怪訝そうな顔を作った。


「なに、どうしたの? あんたの発言が発端なんだから、エナさんの言葉にもう少し何か反応しても良いんじゃないの?」

「あ、うん……その、なんか空気が読めないようで申し訳ないんだけど、私が恐いって言ったのはそう言う意味じゃなくてさあ……」

「はあ?」


 どこか気まずそうな表情をするその技師をその場のみんなが見つめる。

 問いただすようなその視線の群れに彼女は怯んだようだったが、この状況で逃げられるはずもなく渋々といった様子で口を開いた。


「ええと、ほら、最近は〈アルテナ〉もガンガン動かすようになったからさ、靱帯の摩耗とか凄くてばんばん交換していくじゃん?」

「ガンガンにばんばん……うんまあ、それで?」


 何を当然のことを周りの女性技師達が首を傾げる。

 精霊機は基本的に消耗品だ。機体表面を覆う装甲などは傷つかない限りは交換の必要は無いが、激しく伸縮する靱帯部品は機体を歩かせているだけでも摩耗していく。それが最近のように模擬戦を繰り返していれば、交換の頻度が上がっていくのも必然のことだ。


「そういう部品を取り外したりしてると、ふと思うんだよねえ。……この人工靱帯一束で私達の給料何ヶ月分――……」

「わーっ! 言わないでっ言わないでえぇっー! 比べると悲しくなってくるから!」


 なんと恐ろしいことを考えるんだと、技師の一人が大声で続きを遮った。他の技師達も嫌なことを考えてしまったように、顔を青白くしている。

 精霊機〈アルテナ〉の人工靱帯を錬成する際に用いられる主要鉱物は青のマナを浸透させたミスリルである。精霊鋼程ではないとはいえ、ミスリルも需要の高い希少鉱石の一種。それを用いて生み出された人工靱帯の価値は言うまでもない。そんな代物を消耗品として扱っていく精霊機の費用を考えてしまえば、大抵の人物の顔色は蒼白になるというものだ。


「そんなこと言ったら、私なんか靱帯どころか精霊機そのものを動かしてるんだけど」


 そんなに気にすることかなと、首を傾げるエナーシア。

 靱帯どころか全身希少鉱石の塊のような精霊機。もちろん一介の技師の給金で賄えるような代物ではない。それを日々扱う人物があっけらかんと発言すると、誰からともなく深い息が吐き出された。


「……精霊司とかそういうの関係なく、私だったら絶対無理です……今実感しました。もし不注意で壊したりしたらと考えると震えちゃいますよー……」

「そんなこと考えてたら動かせるわけないじゃない。本番はあれで魔獣や敵の精霊機と戦うのよ?」


 〈アルテナ〉は敵を倒すための武器であり、武器は傷つくのが前提の代物。当然と言えば当然の話ではあるのだが、それを疑問の余地もなく小柄な少女の口から言われると周囲の技師達も苦笑いするしかない。


「……やっぱり、精霊司ってよほど図太い人じゃないと大成できないと思います」

「ねー。普通の神経じゃ絶対に無理だわー」

「ねえ、それまるで褒められてる気がしないんだけど……?」


 少し憮然とした表情を見せるエナーシアだが「やだ、そんなことないですよー」と言われて「そう、なのかしら?」と小さく首を捻る。どこか納得はいかなそうな姿から逃れるように、周りの人間達はそっと視線を外していった。

 そのまま暫く言葉の無い穏やかな時間が続く。すぴすぴと野良猫の寝息だけが聞こえる空間の中で、技師の一人がふと思い出したように呟いた。


「精霊機の扱いでいえばセルジュさんも相当ですよねぇ……」


 そう誰かが漏らせば「あー」と同意するような声が皆の口から漏れ出る。


「まさか初乗りであんな簡単に動かせるとは思わなかったわー」


 誰もが無反応か転けることを予想していた中で、いとも容易く〈アルテナ〉の歩行をして見せたのはまだ記憶に新しい。後で秘訣を聞いてみたところ、乗ってみたら何となく分かったという酷く感覚的で曖昧な答えが本人の口から語られていた。


「模擬戦でも結構、身体から当たっていきますよね、セルジュさん。蹴りとか体当たりみたいなの頻繁に使いますし」

「ううん、今まで特に何とも思わずに見てた光景だけど〈アルテナ〉がミスリルと精霊鋼の塊だって認識すると、あの人がとんでもないことしてるように感じてきたわ……」

「セルジュは私と違って盾を使ってなかったからね。前線にいた頃も身体の動きで何とかしてきたことが多かったみたいだから、それが〈アルテナ〉にも反映されてるみたい」


 エナーシアが原因の一端を説明すると、精霊司による解説は技師達には新鮮な情報だったようで、周囲からはほうっと感心の息が漏れ出てくる。


「流石、最強の二等精霊司ってだけあって神経も図太いのねえ」

「いやいや、そうじゃないですよ。確かに精霊機の扱いも図太いですけど! 整備士泣かせだけど! でもそれ以上に性格が図太すぎでしょ!? どんだけ堂々と複数の女性に声かけてるんですか、あの人!?」


 その言葉を否定する人間はいなかった。その理由は明白で、誰もが心当たりがあったからである。


「あー、私、少し前に偶然ここで会って、一緒に猫弄りながら結構長話しちゃったなあ……結構セクハラ発言されたけど」

「あ、私はこないだ一緒にお昼ご飯食べましたよー。奢って貰っちゃいました」

「私、誕生日プレゼント貰いました……。以前に一回、少しだけ話に出しただけだったのに日にち覚えていてくれて」


 次々と上がる報告に、エナーシアの口の端が徐々に引き攣っていく。

 複数人の女性達にちょっかいを出しているというのも問題だが、その誰もが本気で嫌がっているわけではないことはその顔を見れば一目瞭然だった。

 実際、無理矢理なにかをしているわけではないからだろう。

 彼女たちが本気では嫌がらない境界線を見極め、巧みにアプローチをしているところから、セルジュがそういった行動に慣れていることが察せられる。それがエナーシアには非常に面白くなかった。

 そんな彼女の機微には誰も気がつかずに話題は続く。


「いや、でも事前の予想と違いすぎるというか。普通驚きますよね!? だって二等精霊司のセルジュといえば生身で精霊機を何機も倒してる英雄ですよ! 王国新聞にだって何度も載ってますし!」


 王都で唯一発行されている王国新聞。

 国営機関によって不定期に刷られる新聞であり、戦線とは縁の無い王国市民に前線の状況を伝えたり、政策の公布に用いられたりする公共機関誌である。

 平民という出自と二等精霊司でありながら精霊機を打ち倒す戦果を重ねるセルジュはこれまでに何度もその王国新聞に名前を載せており、軍の外側でも彼のファンは意外と多い。


「実物と会うまではもっと厳格な人物だと思ってましたよ、私。もう私の中の英雄セルジュが粉々ですよー……」


 その言葉にはエナーシアも内心で強く同意しておく。

 訓練校時代から積もりに積もった憧れの気持ちはエナーシアの中で美化され理想的な英雄像(セルジュ)を造り出していたのだが、それは今では欠片も残っていない。


「……その手の話題で気になるといえばさ、ユミナの部屋からセルジュさんが出てくるところ見たって話があるわけだけど、そこのところはどうなわけ?」

「え?」


 そう言われて驚いたように顔を上げたのは青銅色の髪を肩で切り揃えた、同姓であるエナーシアから見ても可愛らしいと思える人好きされる印象を持つ技師の娘である。

 まだ第二工房に来て日の浅い新人の立ち位置だが、セルジュの操る〈アルテナ〉の整備に関わることを許されていることからもその優秀さが察せられた。

 しかも、胸が結構大きい。


「……」


 自然と視線を下ろして自分の身体を見てしまい、エナーシアは密かに肩を落とす。彼我の戦力差は圧倒的であった。やはり男は胸の大きい方が好きなのだろうかと、少し落ち込む。


「そう言えば、初めてセルジュさんが〈アルテナ〉に乗った時も最後まで点検してたわよねえ。あれたしか、ユミナが進んで引き受けたんでしょ?」

「おー、積極的ー!」


 どの世界、いつの世代になろうと他人の恋愛話は淑女達の大好物である。

 やいのやいのと囃し立てられて、話の種であるユミナが顔を真っ赤に染めた。エナーシアはその中で平静を装いながらも、隠しきれず落ち着きがなくなってそわそわと身体を揺らしている。その胸中は詳細を聞きたいような聞きたくないような、複雑な気分だった。

 近くにあった枝を何となく拾って、ぱきりと折る。


「それで、それで? しっかり聞いたことなかったけど、実際セルジュさんとはどうなわけよ?」

「同じ部屋にいたんだからまさか何もなかったってわけじゃないでしょ?」

「ずばり、何があったのかっ、詳しくっ!」


 ユミナは頬を赤く染めて視線を彷徨わせたが、この場の雰囲気からは逃げ出せないと理解したのか、小さく口を開いた。

 ごくりと、その場の誰かが唾を飲み込んだ。


「……ええと、最初は〈アルテナ〉の話とか、収穫祭の話とかを普通にしてたんだけど……その、途中で私が思わず手を握っちゃってて……」


 ぱきり。


「おおー! まさかユミナから行ったん!?」

「そしたらそしたら!?」


 周囲の声音が一段高くなる。


「セルジュさんも少し驚いた顔したんだけど、すぐにぎゅっと握り返してくれて……」

「おおおおお! それでそれで!?」


 ぱきり。


「それでって……え?」


 頬を赤らめた姿から一転、ユミナはきょとんとした顔をして、


「……それだけだけど?」


 息を荒くして詰め寄っていた女性技師達は思いっきりずっこけた。


「し、思春期の子供かっ、あんたは!?」


 手を握ったくらいであんな女の顔をするのかと、技師達が呆れ半分に溜息をつく。折角のネタだったというのに、こんな内容では囃し立ても出来ないし、春の訪れを嫉妬することも出来はしない。 


「ふーん、手を握ったんだ……私は握って貰った事なんてないのに……べつに同僚だからいいんですけど。ただの同僚ですし……でもそれを言ったらユミナだって……だいたい、あいつは色々と節操がなさ過ぎて……」


 ぱきり、ぱきり、ぱきり。


 若干一名、会話の輪から外れて隅でぶつぶつと怨嗟を垂れ流しながら枝を細かく折り続けている人物がいたが、幸いにしてそのことに気がついたのは地べたの上で丸くなっている野良猫くらいのものだった。 


「ま、まあ、セルジュさんとユミナの関係については今後に期待ということで……」


 何とも締まらない話の結果になってしまったと技師の一人が締めくくろうとするが、まだ問屋がそうは卸さなかった。


「でもユミナも今年で十八でしょう? 同じ二等精霊司同士なわけだし、ちょうど良いんじゃないの?」

「え?」


 その予想外の言葉にエナーシアが反応した。

 手の中にあった粉々の木の枝を手の中から払い落として、顔を上げる。


「二等精霊司って……そうなの?」

「あれ、エナさんは知りませんでしたか? ユミナは先天色黄色の二等精霊司なんですよ」


 そう言われてユミナを見やると、本人はどこか困ったような表情を浮かべて苦笑いしていた。 


「二等精霊司って事は訓練校には行ったのよね?」 


 貴重な戦力となる二等精霊司の訓練校入学はこの国の義務である。

 そして卒業後は、一部の成績優秀者を除いてその殆どはどこかの兵役に服することになる。十八だというユミナはまだ訓練校を卒業したばかりのはず。にも関わらず精霊機関連の技師をしているということは、進路の選ぶ余地があった一握りの成績優秀者ということだろうか。こう言っては何だが、ユミナはとてもそうは思えなかった。

 エナーシアの思考を察したのか、ユミナは苦笑いをしながら首を振った。


「違いますよ。もちろん訓練校には行きましたけど、その、私、身体を動かすのはどうにも苦手でしたので……恥ずかしい話ですけど、全力で走ったりするとその速度に自分で驚いて転けちゃったりして……」

「それはまた……」


 呆れるべきなのか、慰めるべきなのか。

 精霊司である以上、単純な膂力や速力は常人の遙か上を行くだろう。だがそれを十全に扱えるかどうかは、また別の話だ。普通は訓練や日常生活を送っているうちに慣れるものだが、時々ではあるがそうでない者もいる。ユミナはそういった希有な例のようだった。


「剣とかも当然ながらダメダメで、入学して早い段階からお前は勉強に力を入れてれば良いって、ずっと先生達から言われてました。演習とかも殆ど脇で参加してるふりをしているだけで」


 指導する教官達も気づいてはいたのだろうが見逃されていたのだという。最初から期待していなかったということだろう。まあ実際、自分の足の速さや力の強さに驚いている人間をどうにかしろというのも酷な話だ。


「……人には向き不向きがあるからね。技師として立派に活躍してるんだし、あんまり気にしなくて良いと思うわよ」

「私たちはユミナが荷物運びとかしてくれてすごく助かってるよー。間違いなくユミナはこっちが天職だね」

「そうそう。大体、あんたが剣持って戦ってるとか全く想像付かないし」


 慰めとからかいの混じった周囲の言葉にユミナは照れたようにはにかんだ後、首を振った。


「あはは、別に気にしてはいないですから。今の仕事も気に入ってますし……あ、それに自分の精霊のことは好きなんですよ?」


 そう言って自らの精霊を呼び寄せる。


「おいで、クィート」


 その声と同時に現れたのは、明るい砂色の毛並みを持った猫であった。

 淡いマナの燐光と共に宙空から現れたその猫はまだ成人前程の小柄な体付きである。くるりと一回転を決めて資材保管庫の裏側に着地を決めて、それを見た技師達から「おー」と感心の声が上がる。突然現れた同類に最初からいた白茶の野良猫がびくりと反応したが、敵愾心が相手にないと分かると再び目を瞑って寝てしまった。やはり野良の称号は返却すべきだろう。


「おおー? すごいかわいい」

「猫だ! お猫様がもう一匹増えた!」


 姿を現した可愛らしい精霊の姿に周囲が騒ぎ始める。もともと野良猫の世話の延長で出来上がった井戸端会議である。この場に猫嫌いの者などいるはずもなく、途端にきゃあきゃあと姦しくなりながら手を伸ばしていく。

 クィートという名の猫精霊はそれらの可愛いたがりを嫌がるでもなく、目の前にある指に首をこすりつけて好感度を稼いでいく。その姿を寝転ぶ野良猫がどこか面白くなさそうに眺めていた。

 猫の精霊を弄る中、技師の一人がしみじみと言う。


「でも精霊って不思議よねえ。こんなちっこい猫の姿しててもすっごい力持ってるんでしょう?」


 精霊の力が強大だというのは周知の事実だが、目の前でごろごろ転がる猫がそうだと言われても中々実感の湧くようなものではない。


「そうですね。この子でもその気になれば地面に人一人がすっぽり入る穴くらい簡単に開けたり出来ますよ」

「おー流石、黄色の精霊。力持ちだ」


 目の前の小さな猫が地面に前足を叩き付けて大穴を開ける光景を想像してしまい、その珍妙な絵面にエナーシアを含む何人かが微妙な表情を作った。それを察したかユミナが小さく笑いながら訂正する。


「そんな怪力ってわけじゃありませんからね? 砂を操る感じなんです。小さい頃はそれで大きな砂の山作ったりして、同い年の友達と一緒に遊んだりしてましたよ」


 精霊を使ってやることとしては細やかなものだが、楽しい思い出なのだろう。懐かしむユミナの表情は暖かなものだ。精霊司として生まれてくると特別扱いされることも少なくないが、歳幼い子供達にとってはそんなものは関係なかったのだろう。


「はあ……、どっちにしろとんでもない話よねえ。人間が生身のまま発揮できる精霊の力なんてほんの少しだけだっていうのに、そんなことが出来るんだから」

「本来の精霊の力を百だとしたら、生身の人が発揮できるのは精々二から三って言われてますよね。貴族の方の中にはそれ以上の力を扱える人もいるらしいですけど、それでも精霊機には遠く及ばないそうですし……」


 この場にいる者は全員精霊機に携わる者達なので、もちろんそのことは知っていた。だがそれでも改めて認識してみると、精霊というのは凄まじい力を秘めた存在なのだと思い知る。


「そもそも精霊って何なんだろうねえ。姿形も色々だし、生き物なの?」

「……どうなんでしょう。クィートは時々ご飯を欲しがったしりますけど、別に上げなくても問題は無いみたいですし……」

「あーあれでしょ。この世界の始まりに神様に生み出されたって」

「それ、双神教の教えってやつ? 作り話でしょ?」

「だいたい双神教って今戦争してる国の宗教なんでしょ? そんなの信じるのぉ?」

「いやいやいや、信じてはいないけど物語としては結構面白いんだよこれ? それに最近はこっち側でも信者が増えてるって聞くじゃん」

「えー」


 ある昼下がりの時分、工房の敷地内の裏側で女子達の声が響き渡っていく。

 女集まれば姦しいとはよく言ったもので、その内容も取り留めがない。それは国を代表する工房に勤める技師や精霊司であっても違いはない。乙女達の談話はまだまだ続きそうである。

 砂色の精霊猫と白茶の毛を持つ野良猫が顔を見合わせると、くぁっと揃って欠伸をしてみせた。



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