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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
五話 貴族
17/26

招待状


   0


 これはとある田舎の、とある家族の話。

 お腹を空かした弟を見て、父が言いました。


「まったく仕方がない、ほらこのパンを食べなさい」

「いらない」


 弟は受け取りませんでした。


 喉を渇かした妹を見て母が言いました。


「かわいそうに。ほらこのお水を飲んで」

「いらない」


 妹は首を横に振りました。


 父と母は困った顔をして訊ねます。


「何故いらないんだい?」 


 弟と妹は答えました。


「それはお父さんとお母さんの分だから」

「それなら大丈夫。実はお父さんとお母さんは先に食べたんだよ」

「そう言っておじいちゃんもおばあちゃんもお兄ちゃんも、みんな動かなくなっちゃった。だからもういらない」


 その後も父と母は食べ物を弟と妹に渡そうとしましたが、二人は絶対に受け取りませんでした。暫くして父と母も説得を諦めて、残った食料をみんなで平等に分けて日々を過ごしていきました。

 これはある田舎の、ある家族の話。

 勇猛な騎士達によって炎の魔物が討伐されたのはそれから暫く後のことした。



   1



 エストランジュ王国の首都グランテア。

 一度も戦の汚れを浴びたことのない白亜の壁に囲まれた都。

 その中心に存在しているのが、建国王から続く偉大なる血筋、すなわちこの国の頂点である王族が住まう巨大な城である。局面を多用した優雅な見た目と、精霊鋼をふんだんに使って築き上げられた堅牢な壁を持つ、王国の政治機能を司る国の中枢。

 四大貴族と称される侯爵家が治める領地は独自色が強いものの、王国全体の方針は紛れもなくここで決められ、各地の領主に流布されるのである。

 またそれと同時に、幾つもの貴族が徒党を組み勢力を競い合う魔窟でもあった。


「ふう……」


 この場所に訪れるたび、フォルスは自分の寿命が縮んでいくような気持ちになる。

 これでもう何度目かになるかも定かではない〈アルテナ〉に関する報告会がようやく終わって、ジストロンと共に会議室を後にしたフォルスは深い心労と共に溜息を吐き出した。

 大陸史上初の二等精霊司にも扱える精霊機である〈アルテナ〉は、今後の国の在り方にも影響する重要案件である。王城では定期的に報告会の場が用意され、工房長であるジストロンはその都度、顔を出すことになっていた。今日でこそ違ったが、国の頂点である国王が顔を見せることも珍しくはない、田舎男爵家の三男坊でしかないフォルスには非情に心臓に悪い場だ。

 定期的に行われるこの報告会で〈アルテナ〉反対派閥の貴族からちょっかいを受けるのはいつものことであるが、今回はいつもよりも疲労が濃く感じられた。

 その理由は〈アルテナ〉の装備案に関する報告があったからである。

 セルジュの発言から始まった、既存の二等精霊司に合わせて装備を分類化し能力を底上げするこの案は、始まる前から予想していたことではあるが、新たな予算計上を求める内容ということで、大いに荒れることとなった。


「……まったく五月蠅い奴らだ。凡夫だとは思っていたが、それ以下だな。天才の足を引っ張ることしか頭にない愚才どもめ」


 未だ城内だというのに悪びれもなくそんなことを口にするジストロンを、フォルスは非難するように見やる。


「気持ちは分かりますけどね、油に火を注ぐような発言は本当に止めてほしいんですが」

「ふん、事実を言ったまでのことだわい。尻の穴の小さい奴らめ」

「誰だってあんなこと言われれば怒りますよ……」


 反省の色を一切見せない老人にフォルスは重い頭痛を覚えた。

 先の報告会の場、基本的に貴族達の声に応答していたのはフォルスである。本来ならばそんな立場ではないはずなのだが、あまりにもジストロンが動かないのでいつの間にかそう言う立ち位置に落ち着いてしまっていた損な男である。

 だが貴族の中には当然、工房長であるジストロンが対応しないことに不満を覚える者もいる。今回、そういった貴族の一人が「貴様がきちんと説明するべきではないのか」と言ってきた時の、ジストロンの返答がこれである。


『説明してやったところで我が崇高な頭脳の切れ端すらお前では理解できん。時間の浪費などせずに、貴様のような凡愚は右に倣って賢き頭脳、すなわちワシの言葉に頷いていればそれで良いのだ!』


 その時の貴族達の顔を思い出して、フォルスは再度深い溜息を吐き出した。


「勘弁してくださいよ……ギスマルク男爵なんか顔が真っ赤で今にも襲いかかってきそうだったじゃないですか」

「誰だ、そのギスなんとかとは。ワシはそんな奴知らんぞ」

「……もういいです、期待した僕が馬鹿でした」


 この人にはもう何を言っても無駄なのだろうと、フォルスは諦観とともに項垂れた。

 そんな様子で精神的な疲れで鉛のようになった肩の重みと、この世の無常さをフォルスが暫し嘆いていると、その背後から人の気配と共に静かな声がかかった。


「御両名、少々良いかね」


 反応してフォルスとジストロンが振り返る。そこには白い髭を多く蓄えた、恰幅の良い男が立っていた。


「テルージオ伯爵」


 その人物の名をフォルスが呟く。

 テルージオは王国中東部にあるノヴァリス領の先代領主を務めていた人物である。

 現在はその地位を息子に譲っており、本人はこうして王都グランテアにある屋敷に居住を移して王城に仕え、日々を国の発展に尽力している忠臣であった。

 フォルスは難事が過ぎて緩みかけていた意識を一気に引き戻した。

 ノヴァリス家は〈アルテナ〉推進の立場だ。開発計画に対しても少なくない援助を受けており、今日の会議の場でもそれとなく援護して貰っていた。フォルスからすると少々頭の上がりにくい相手だ。

 本来であれば工房長たるジストロンが率先して対応するべき状況なのだが、横にいる当の本人はテルージオ伯爵を見て面倒そうな様子を隠しもせずに眉根を顰めている。

 ほんとにこの人は貴族身分の出なのだろうかと頭痛を堪えつつ、少しでも悪印象を挽回しようとフォルスは丁寧な応対を心掛けた。


「こんにちは、テルージオ卿。本日はお忙しい中、ご苦労様でした」

「何を言うか。それは君のほうではないかね、フォルス君。嫌みったらしい物言いをする権威主義者どもを相手に御苦労なことだ」


 テルージオのその言葉に、フォルスは返答を詰まらせて冷や汗を垂らす。

 出している声は小さいとはいえ、ここはまだ王城内。どこで誰が聞いているか分かったものではない。まさか目の前の人物からジストロンのような発言が出てくるとは思わずに、フォルスは思わず硬直する。

 だがその反面で、フォルスは告げられたその言葉から素直な労いの念も感じとっていた。二等精霊司の質の上昇に伴う相対的な上級精霊司達の価値の低下を危惧する貴族達の発言の対応に、最も苦心したのは間違いなくフォルスだろう。

 本来であればその役割は工房長であるジストロンの役割であるが、厚顔さに関して王国内で彼の右に出るものはいない。そのことはこれまでの度重なる会議で貴族達も理解しているので、必然的に彼等の放つ白羽の矢はフォルスに向けられることになる。

 出来た人物ならここで庇うくらいのことをしてくれるのだろうが、そこはジストロン。面倒事が自分に来なくて良いとばかりに放置しきりである。

 結果として報告会で最も精神的に摩耗するのはいつもフォルスの役目だった。

 特に指摘されて頭が痛い点は〈アルテナ〉の開発と共に生じている莫大な費用である。精霊鉱石、ミスリルなどを筆頭に、これまでに投じられた稀少資源、資金の総量はかつて無い規模になりつつある。

 それらの資源を将来不透明な量産型機開発などに費やさずに、既存の運用ラインに上乗せするべきだという意見は〈アルテナ〉開発計画当初から存在し続けていて、実際そう否定しきれない部分もあった。

 それでも現在まで〈アルテナ〉開発が頓挫することなく不足無い予算が当てられてきたのは、理解を持つ複数の貴族が存在していてその彼等の援助を受けられたことと、何よりも二等精霊司にも扱える量産型精霊機の開発が王国の頂、エストランジュ王二十七世の支持を受けているからに他ならない。


「それで……何かご不明な点でもありましたか? 既に情報規制も緩和されていますし、大抵の事には答えられますよ。立ち話も何ですし、どこかへ場所を移しましょうか?」


 テルージオは――正確にはノヴァリス伯爵家だが――これまでに多くの援助をしてくれている計画の後援者である。彼のために時間を割くことに躊躇いは無い。

 横に立つジストロンが面倒そうな気配を発したが、気が付かないフリをした。空気を読んでくれと叫びたい気分になる。

 しかしテルージオは、ゆっくりとした動作で首を横に振った。


「いや、それには及ばない。なに、少しだけ聞きたいことがあるだけだ」


 そう言うテルージオの表情はどこか形容しがたい渋みが混じっていて、それがフォルスに違和感を覚えさせた。


「……わかりました。それでご用件はなんでしょうか?」

「うむ。先の会議の内容について再度確認したいのだがな。最近、中央工房に前線から二等精霊司を呼び寄せたという話だったのだが、それは事実なのだな?」

「はい。〈アルテナ〉が完成した際にそれを扱うのは現在前線で活動する二等精霊司達ですからね。より実践的な情報を得るためには前線の者に扱って貰うのが最も確実なので」


 それが一体何なのだろうかとフォルスは首を傾げる。

 現場での経験を持つ二等精霊司を呼び寄せ、実験を行っていることは先の会議で報告したとおりだ。わざわざ念を押すように確認し直すような内容でもないはず。実際、会議中にもそこを突いてくる貴族は特にいなかった。

 そんなフォルスの疑問を他所にテルージオは「そうか」と呻きとも唸りとも判別し難い声音で呟きを漏らし、眉間に僅かな皺を浮かべながら、


「間違いだったら訂正して欲しいのだが……その呼び寄せられた二等精霊司というのはセルジュで間違いないかね?」

「ええ、生身で十機を超す精霊機の撃破記録を持つ優秀な人材です。王国最強の二等精霊司と呼ばれることも多いですし、噂をお耳にしたこともあるのでは?」

「まあ、そうだな」

「……それで、その彼がどうかしましたか?」


 相手の意図が掴めずにフォルスは困惑する。

 先の会議では名前は出さなかったかもしれないが、セルジュが招集されたこと自体は調べればすぐに分かることである。王城に使えるものとなればそれは尚更だ。だが目の前の貴族は、何故そんなことを気にしているのだろうか。


「そうか……」


 もう一度、テルージオは熟成する前のクルカの実を噛んでしまったような表情とともに声を漏らして、


「――フォルス殿。今回の予算案のことだが、ノヴァリス家は全面的な支援を約束しようと思う」

「は?」


 ノヴァリス伯爵家は〈アルテナ〉配備の推進派だ。

 追加予算に関しては少なからず期待していた相手ではあったが、何故このタイミングでという疑問が拭えない。そんなフォルスの困惑には頓着せずにテルージオは続ける。


「具体的な内容は後で書面で通知するつもりではあるが、これまで行ってきた資金援助の増加。それと、うちの領地から取れるミスリルも優先的に回しても良い」

「それはありがたい話ですが……」


 〈アルテナ〉の新装備開発について必要なのは資金もそうだが、それ以上に重要なのがその素材となるミスリルなどのマナと親和性の高い希少鉱石の存在である。ノヴァリス領の希少鉱石の排出量は多くはないが、優先的に取引をしてくれるというのならば相当に助かる話だった。

 しかし、相手は海千山千。自分の倍以上もの歳月を重ねた往年の貴族、意味も無くそんな話を持ってくるとは思えない。


(一体何が目的だ?)


 貴族達が〈アルテナ〉開発計画の援助をしているのは何も王国への忠誠心に準じているだけというわけでもなく、彼等自身への実益も兼ねている。

 仮に〈アルテナ〉の開発が完了した場合、今後〈アルテナ〉は王国内の精霊鋼を優先的に使って量産されていくことになる。当然最初は王国軍への配給が優先されるだろうが、生産ラインが軌道に乗れば、そのうち各地の領主の手元へも届くことだろう。


(他の貴族を出し抜いて〈アルテナ〉配備の優先権が欲しいのか? だがそれにしてはタイミングが杜撰だ)


 二等精霊司にも操れる〈アルテナ〉の存在は、戦争の趨勢のみならず王国内でのパワーバランスにも大きな影響を与えかねない要素だ。特に領内に抱え込む上位精霊司が少ない中位、下位貴族にとっては、何としても手に入れたい代物である。

 勿論、王の決定が全てではあるが、エストランジュ二十七世は暴君ではない。配置の優先順を決める際には、計画に関する貢献度は確実に考慮されるだろう。

 要するに、貴族達による開発研究への援助というのは、将来的に相応の見返りがあることを期待しての投資事業なのである。

 そういう意味ではテルージオが口にする援助追加は然程おかしな話ではないように思えるが、本当に見返りを求めているならばこんな立ち話で済ませるようなことをするだろうか。


(事前の会話からして原因はセルジュか? 知り合いに対する温情? ……そんな馬鹿な。いくらセルジュが優秀な二等精霊司とはいえ、平民だ。伯爵家がそんな理由で動くはずがない)


 フォルスは考えてみるも明確な結論は出てこない。

 これまで面倒事は避けるためか言葉を挟んでこなかったジストロンも珍しく胡乱げな顔を作って、テルージオの顔を見やった。


「おぬし、何を考えておる?」

「別に警戒されても困るのだが。……だが、ふむ。何か無くては不安がぬぐえぬと言うのならば、一つ頼まれ事をして貰うとするか」

「ふん。ワシらの役目は道具を作ることだ。完成した〈アルテナ〉をどう使うかに関しては国王が決めること。こちらに口を挟む余地なんぞ無いぞ」

「誰もそんなことは頼まんよ」


 そんなことなど考えてもいないという風にテールジオは小さく肩を竦めてから、懐から一枚の便箋を取り出した。特に飾り気のない質素なものだったが、封じにはノヴァリス家の家紋が刻まれた封蝋が施されている。

 ジストロンはそれを胡散臭そうな視線のまま眺めるだけで受け取ろうともしないので、代わりにフォルスが訊ねた。


「これは?」

「なに、個人的な付き合いからくる招待状だ。これをそちらの工房にいるセルジュ二等精霊司に渡しておいてくれ」


 そう言われて、フォルスはまじまじとその便箋を見つめた。


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