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大陸の精霊司の軌跡  作者: ドアノブ
四話 家族
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血の繋がり


 それはどこにでもあるような、そんな光景なのかもしれない。

 一つの食卓を家族みんなで囲んで、言葉を交わしながら笑顔で過ごす。

 母親が料理を並べ、その息子と娘――と言って良いのかは微妙だが――が感想を言い合いながら、陽だまりのような雰囲気を形成していっている。

 セルジュはこんな家族に囲まれて育ったんだなと、エナーシアは漠然と考える。

 彼の過剰にも感じられる家族愛は、注がれてきたものをそのまま返しているだけなのだと理解できた。与えられたものを、ただ返しただけ。それだけのことが、なんと幸せで素晴らしいことなのだろう。


「エナちゃんだったかしら? どう、口に合うかしら?」

「あ、はいっ。すごく美味しいです!」


 そして、何よりも不思議なのはその暖かな空間の中に自分がいるということだ。

 エナーシアが慌てながらもそう言うと、マルナは嬉しそうに笑う。まるで春の日差しのような居心地の良さを感じさせる、人好きのされる笑顔だ。

 すごいなと、思わず見惚れそうになる。

 セルジュの中にはこの人の――いや、家族のこんな暖かな想いがいっぱい詰まっているのだ。

 それなら、私の中には何が詰められているのだろうか。

 そんなもの、考えるまでもない。


「――……空っぽだな」


 何も入っていない。

 だからこの家族団欒の場所に強く惹かれる反面で、どこか居心地の悪さを感じてしまう。蛾は篝火の灯りに引きつけらるが、近づきすぎればその身を熱で焼かれて尽きてしまう。今エナーシアが感じているのは、そういう忌避感に近いものだ。

 憧れて、恋い焦がれて、でも決して自身が手に入れることは出来ない。

 身分相応という言葉がある。迂闊に手を伸ばせば、その熱に身を焦がされてしまうのだ。だから眺めて満足する。扉一つ隔てた位置から羨望のまなざしを向け続けるのだ。


「今日はありがとうございました」


 夕餉をご馳走になったエナーシアは、お礼を言って深く頭を下げた。

 玄関の外に出ると太陽が沈み始め、空一面をエナシーアの髪の色と同じ黄昏色に染め上げていた。


「そんなかしこまらなくって良いのよ。エナちゃんならいつだってきてくれれば歓迎するわ」


 にこにこと笑うマルナを前にして、エナーシアもつい口元を綻ばせる。

 手に入らない。だから尊く、憧れる。

 果たして今日、セルジュと一緒にこの家に来たのは正解だったのだろうか。エナーシアの胸中に渦巻く複雑な色は、その答えを出しはしなかった。


「エナさん、エナさん」


 帰りの間際になって、囁くような声音で呼びかけられた。

 振り向くとそこには獣人の少女が物陰に隠れるようにして、ちょいちょいと手招ききしてきている。エナーシアは不思議そうに首を傾げた。


「なに、どうしたの?」


 そのまま庭の隅まで案内されると、獣人の少女はぴくぴくと三角耳を震わせながら、小声で尋ねた。


「あの、エナさんとお兄ちゃんは恋人同士なんですよね?」

「え? え? ……ええっ!?」


 あまりにも予想外過ぎたのその質問にエナーシアは驚愕の声を上げてしまった。その反応が思っていたものと違ったのか、ミルフェルミアはきょとんと首を傾げた。


「あれ、違うんですか? 私、てっきりそういう関係なのかと思ったんですけど……」

「ち、違うわよ。そりゃ、そうなれたらとは思うけど……でも、どうせ私なんかと……手が早そうなくせに、あいつ私には全然そういう素振り見せないし……」


 ごにょごにょと普通の人には聞き取れないぐらいの声量で声を零すエナーシアだったが、生憎と今彼女の目の前にいるのは獣人である。彼女の優れた聴力はその小さすぎる呟きを余すところなく拾い上げている。

 つまりは自分が想定していた関係の一歩手米なのだなと、ミルフェルミアは一人で納得する。


「そうなんですか。私はてっきり、今日は将来の家族の顔見せに来たのかと思ってました」

「ち、違うわ! それはその、私が勝手についてきただけで……」


 エナーシアがこの場にいるのは自分が勝手に来ただけなのだ。

 セルジュと家族との仲の良さを見てしまうと、自分の行動は間違いだったのではという引け目のようなものを感じてしまう。思い立ったらすぐ行動に移す実行力を持ち合わせているには、妙なところでは臆病なのである。

 その様子を見ていたミルフェルミアはどう感じたのか、少し考えた素振りを見せた後に、


「――ぱんぱかぱーん! エナさんにはミルフェルミアからお兄ちゃんの恋人認定準二級をあげまーす」


 と言った。


「……うん?」


 思わずぽかんと不意打ちを貰ったような顔をするエナーシアに、ミルフェルミアはずずいと顔を近づける。


「いいですか? お兄ちゃんはエナーシアさんと私たち家族を合わせても良いと思ったからここに連れてきたんですよ。多少強引だとしても、もし嫌だったらお兄ちゃんは絶対に許可なんてしません」

「そ、そうなのかな……?」


 ミルフェルミアの力強い台詞にエナーシアが戸惑うと、獣人の少女は「はい!」と力強く頷いた。

 短く切り揃えられた漆黒の髪が、吹き抜けた風によって揺らされる。黒い線が散らばったように揺れる前髪の隙間から彼女の爛々とした琥珀色の瞳が見えて、エナーシアは綺麗だなと反射的に思った。


「お兄ちゃんと仲を深めた女性の方は多くいるみたいですけど、家族の前まで連れてきた人はほんの少しだけなんですからね」


 そう言われると、エナーシアも悪い気はしなかった。

 セルジュからはからかわれてばかりだと思っていたが、少しは認めて貰えているのだろうか。もしそうならば嬉しいなと、内心で密かに思う。

 だがそれと同時にミルフェルミアの口から気逃せない言葉が出てきたのも事実で、僅かに口の端を痙攣させる。仲を深めた女性、とはどういう意味だろうか。考えるまでもないだろう。


「……ねえ、ミルとしては、その、あいつがあちこちの女の人に手を伸ばしてるのはどう感じてるわけ……?」

「はい?」

「だって付き合ってるわけでもないのに、その、に、にに、肉体関係を結ぶのって、不誠実じゃないかしら!?」


 途中で気恥ずかしくなって顔を真っ赤に染めるエナーシアとは対照的に、ちょこんと首を傾げるミルフェルミア。一体目の前の人物が何を言っているのか分からないという風だった。


「ええと、そう……ですか? 優れた者が多くの女性を囲うのは当然のことだと思うんですけど……?」

「……ああ……そういうところはやっぱり獣人なのよね、あなた……。あんまりにも自然に接してるから忘れかけてた……」


 突然顔を出した価値観の差にエナーシアは脱力する。

 エストランジュ王国の現行法律に於いて、重婚は推奨されていない。王族や貴族では子宝に恵まれずに仕方がなく複数の異性を受け入れる場合もあるが、それは血統を途絶えさせないための緊急時の非常手段という認識である。

 逆に獣人は優秀な人物が複数の異性を伴侶として抱えるというのも珍しくはない話だった。


「ちなみにお兄ちゃん恋人認定は一級までありますからね? まだエナさんは準二級なんだから、早まっちゃいけませんよ?」

「それを聞いて私はどうすればいいわけ……」

「それはうっかり子作りで――」

「わあああああー! わーわーっ! そういうことは子供が口にしないで良いからっ! というかするわけないでしょっ!?」


 要するにまだ認めたわけじゃないということだろう。兄が兄なら、その妹も妹だと肩を落とす。

 そんなエナーシアを見やってフェルミはくすりと息を吹き出した後に、その琥珀色の瞳を真っ直ぐに向けて、


「エナーシアさん、兄をどうかよろしくお願いします」


 深々と頭を下げるミルフェルミアの姿にエナーシアは一瞬たじろぐ。だがすぐに先ほども感じた温かいものが胸中に湧いてくる。


「……良い兄妹なのね」

「はいっ! 血が繋がっていなくても、本当の家族になれていると私は信じていますから!」


 そう言ってミルフェルミアは頬を僅かに上気させて微笑んだ。

 それは同姓でも見惚れそうになる程に可愛らしい仕草であり、エナーシアもつい「そうね」と言って笑ってしまう。だがその時、エナーシアの心臓にちくりと薔薇の棘のようなものが刺さった気がした。小さく瞬間的なものだが、確かに感じた鋭い痛みだ。


 血の繋がりがなくとも家族になれる。

 なる程、その通りだとエナーシアは思う。


 セルジュは彼女を妹として溺愛し、ミルフェルミアも兄として強く慕っている。セルジュの母親も何も疑問には思っていない様子だったし、きっとお互いを思い合っている仲の良い家族なのだろう。

 例え血が繋がっていなくともこの一家は本当の家族なのだと、エナーシアは確信できる。

 ――だがそれは、逆説的な証明にもなってしまっているのではないか。


「おーい、エナ? そろそろ帰るぞ」


 ミルフェルミアとの会話が一段落済んだと分かったのか、セルジュがマルナとの会話を切り上げて声をかけてくる。辺りは既に暗くなり始めている。少し、長話をしすぎたようだった。


「あ、うん。わかってるわよ。……じゃあ、ばいばいミルフェルミア。今日はありがとう」

「はい、また来てくださいね。歓迎しますから」


 幸福を感じさせる柔らかな表情を浮かべるミルフェルミアに見送られながら、エナーシアはふと己の身体を流れる血が氷水のように冷たいもののように思えた。

 確かに、血の繋がりは家族の妨げにはならないのかもしれない。


 それならば、つまり、例え血が繋がっていても――家族という関係には至らない場合もあるということなのだろうか。


 そんな考えが脳裏を過ぎって、エナーシアはそれを振り払うように首を振り払った。


前話と合わせて約一万二千文字

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