精霊機の理
5
その日から本格的なセルジュと〈アルテナ〉の習熟訓練、そして並行して二等精霊司が発揮する〈アルテナ〉のデータ計測が行われていく。
その内容はどれもが簡易的なものだ。
単純な歩行から始まり、早足、駆け足、全力疾走、長距離移動、垂直跳躍、助走跳躍、限界積載量、最大稼動時間、その他多くの項目を、今後の二等精霊司と〈アルテナ〉が発揮する能力の参考値にするために幾度にも渡って調べていく。本来であれば、セルジュが〈アルテナ〉の操作を満足に出来るようになるまではされることのなかったカリキュラムだ。
予定では二ヶ月後、エナーシアが精霊機になれるまでに要した時間と同じ期間を設定されていた。それをセルジュの想定外の適応力が縮めた形である。
そしてデータ計測の為に〈アルテナ〉を操るのはセルジュだけではなく、エナーシアも同様であった。他領からこの工房へ派遣されて来ている彼女もまた、貴重なサンプルの一人としての役割を持っているのである。
そうして王都での日々が過ぎ去っていく。
休日はなく家族に会うような暇も無い忙しさではあったが、戦場とは違い命の危険を感じることのない穏やかな日々は、訓練校卒業後前線に配置され続けてきたセルジュにとっては久しぶりの気の休まる時間となった。
噂に聞こえてくる限り、大陸中央の戦線は大きな動きは無く硬直状態に陥っているようだった。
それでいいと、セルジュは思う。時間の猶予があればあるだけ〈アルテナ〉の完成は近づき、セルジュの妹が前線に狩り出される可能性は減る。ゆっくりとした時間の流れが今はセルジュの味方だった。
無論だからといって何の問題も無かったわけではない。〈アルテナ〉という新しい技術の開発は手探りの部分も多い。回数を重ねれば幾つもの問題が立ち塞がってくる。
例えばそれは――、
「ちょっとフォルス!? 一晩経ったら〈アルテナ〉の見た目が変わってたんだけど!? どういうことなの!? ――あ、もしかして脱皮した!?」
「その発想は流石に無かったかな……。そもそも、そんなことをするのなんてこの工房じゃ一人しか――ほら」
「ふははははっ! 噎び泣いて感謝したまえ、そして敬うがいい! 我が偉大な頭脳がより効率的な形状を生み出したと囁くので、夜の内に改修しておいてやったぞ! どうだすごいだろう!」
「確かにすげえけど、それってまたデータ取り直しじゃねーのか!?」
「汗水垂らして励みたまえよ、諸君!」
またある日は――、
「ぐおおおおおお! 我が英知に等しき頭脳の素晴らしさが分からぬ凡骨共があああ! よくもあのようなふざけた言葉を口にしおったなあああ!」
「……おい、爺さんが怒り狂ってるんだが、これは一体何の騒ぎだ?」
「定例報告会で、〈アルテナ〉採用の反対派から散々に嫌味を言われてね……」
「ああ、なるほど。それであの怒髪天か」
「ふふ……、ふははは………! よかろう! あの愚物共を根刮ぎ葬り去ってくれるわあああ! エナーシア君、セルジュ二等精霊司! 〈アルテナ〉の発進準備をしたまえ! 初陣だ! 奴らの屋敷に乗り込むぞ!」
「なにトチ狂ったこと言ってるんですか!? 出来るわけないでしょうが!?」
「貴族に喧嘩売っても良いことなんて何もないしなあ」
「当然だけど私も嫌よ? 捕まりたくないもん」
「ええいっ! 根性無しどもめ! ならばワシ自ら奴らに〈アルテナ〉の素晴らしさを味合わせてやるわ!」
「ちょ、そのボケ老人を止めろ!? 本気だぞ!?」
「ボケ老人って……フォルス、あんたも結構余裕がなくなってきたわね……」
そして時には――、
「セルジュ、昨晩女性職員寮で君の姿を見たという報告が上がっていたのだけれど?」
「待て、お互い合意の上だ。後ろめたいことは何も無い」
「合意なら問題無いというわけじゃないんだけど……そもそもいつの間にそんな仲の相手を……ああでも、そう言えば君は昼食時とかはいつもいなくなっていたけれど、そういうことかい」
「何事も動かなきゃ始まらないからな。〈アルテナ〉の訓練の合間を縫って時間を捻出するのには苦労したぜ。けどその甲斐あって昨日はようやく――」
「それはご苦労様。でもその話は僕じゃなくて彼女に是非聞かせてあげるんだね」
「うん?」
「セールージューーーーッ!!!!」
――……このような一幕を醸しつつも、それでも全体で見れば〈アルテナ〉の開発は極めて順調に進んだと言っても良いだろう。問題点が浮かび上がり、それを工房の技師達が、時にセルジュ達も意見を交えながら徐々に改善されていく。誰もが〈アルテナ〉の完成度を高めるために熱を孕んで動いていた。
ここには命を狙ってくる敵はいない。奇襲を警戒して哨戒任務が回ってくることもない。だが王都に存在するこの第二中央工房は間違いなく前線なのだと、セルジュは次第に理解していた。
時間は廻る。気がつけば、セルジュが王都に来た頃は青々とした葉を風に揺らしていた麦畑も、俄にその色を茜色へと変貌させ始めていた。あと一月もしない間に収穫期が訪れ、周囲の村々では収穫祭が行われることだろう。
最初は百を超して用意されていた〈アルテナ〉の動作試験も、その頃になれば残り僅かなものとなっていた。
「――でも、精霊機ってなんで人の形をしてるんだ?」
それは、在る昼下がりの午後。〈アルテナ〉の習熟訓練の合間に挟まれた休憩中に聞こえてきた言葉だった。
「うん?」
セルジュの横で水分補給をしていたフォルスが、何を言われたのかよく分からないといった顔を作る。
夏が本格的に到来した最近は暑い日が続いている。惚けた表情でも貴族三男坊の整った顔立ちは色褪せること無く耀いていて、寧ろ汗で首筋に張り付く短い金髪が妙な色気を発していた。
そんな同僚につい妬ましさの混じった視線を向けながら、セルジュは続ける。
「だって別に人型である必要なんて無いだろ? ――例えばさ、獣の形とかにしたほうが速く走れたりするんじゃないのか?」
〈アルテナ〉を含め、これまでセルジュが目にしてきた精霊機は差異はあれども人の形からは逸脱していなかった。上半身と下半身、二本の腕と二本の脚がある。精霊機が人の形に拘っている意味をセルジュは疑問に思ったのだ。
人の形というのは道具を扱うことには長けているのだろうが、身体能力を活かすのに向いているかと言われるとそうでもない。人は馬より速くは走れないし、狼より俊敏に駆けることも出来ない。
或いはそこまで行かなくとも、腕を四本ぐらい取り付けるくらいすれば装備容量も増えて有利になるのではないだろうかと思ったのだ。
「セルジュは馬鹿ねー。そんなことも知らないわけ?」
そんなセルジュの疑問に返答をしたのはフォルスではなかった。
聞き心地の良い声のした方向へ首を向ければ、セルジュ達と同じく休憩に入ったエナーシアが近くまでやって来ていた。
拭く手間が面倒だったのか、或いはどうせまたすぐに同じ状態になると諦めているからなのか、小柄なその身体は精水銀で濡れたままである。精霊機はマナ浸透率の高い精水銀に満たされている。肌の露出の多い肢体に黄昏色の髪が纏わり、そこに精水銀独特の光沢が加わっていて――すごく艶めかしい。
小柄で母性の象徴である胸こそ小さいが、そこを除けば理想的とも呼べる容姿と肢体の均衡を持つエナーシアである。セルジュはその身体を嘗めるように眺め、上から下まで視線をゆっくりと七往復くらいさせてから、ぐっと握り拳を作った。
「――よし、相変わらずその格好はエロいな!」
「見過ぎ! そ、その平然とセクハラするの止めなさいよ、あんたはっ!」
視線から隠すように両腕で身体を抱き込んで、エナーシアの顔がさっと羞恥に染まった。
「仮に気になったとしても口にしないのがマナーってものでしょ!? 仕様上仕方がなくで、好きでこんな格好してるわけじゃないのよ!?」
「いやいや、エナ。何も恥じることはないぞ。控えめで良いおっぱいだと思う」
「ピンポイントで人の気にしてることを口にするんじゃないわよっ!」
怒鳴り声と共に鋭い蹴りが飛んできたので、セルジュは慌ててその場から跳ねて逃げた。例え見た目が小柄な美少女であろうとも、彼女も赤の二等精霊司である。まともに食らっては痛いなどで済むものではない。
うー、と恥ずかしげに唸り声を上げるエナーシアだったが、しかしいい加減もうセルジュのこういったセクハラめいた言動には慣れてしまったのか、最終的には諦めたように溜息を吐いてその場に腰を下ろした。セルジュがこの工房に赴任してきて以降、既に彼の奔放な性格は広く知れ渡っている。今更気にしても仕方がないと分かっているのだ。
「あんた訓練校を優秀成績で卒業したんでしょ? なのになんで精霊機が人型の理由を知らないのよ?」
「……いやいや、俺は二等精霊司だからな? 精霊機の設計思想なんて履修内容に含まれてねーよ」
これまでの二等精霊司は精霊機を扱うことが出来ず、戦場では自分の精霊と共に生身で活動することが前提だった。となれば当然、訓練校での学習比重はそちらに偏っていき、精霊機に関しての授業は必要最低限なものになるの道理だ。
セルジュが精霊機について訓練校で学んだその殆どのものは実践的な内容――つまりは対精霊機用の戦術であったり、対応方法、或いは前線における連携の取り方といったものばかりだった。
だがそれも今後〈アルテナ〉が普及すれば違ってくることになるのかもしれない。そう考えると改めて自分が関わっている今の仕事が大きなものだと実感する。
「だとしても、少し考えれば分かることだと思うけど……。いいセルジュ。あんたももう何度も〈アルテナ〉には乗ってるんだから分かると思うけど、精霊機の操縦って操るっていうよりも、自分の身体を動かす感じでしょ」
「おう」
セルジュは素直に頷いた。
エナーシアの言うとおり、マナを浸透させて動かす精霊機は操縦するというよりは、自分の身体を動かしているといったほうが感覚としては正しい。それ故に自分の身体との差に戸惑うことになるのだが。
「じゃそれを踏まえて訊くけど……、あんた、腕を何本も同時に動かしたり、馬の身体で走れたりすると思う?」
「あー……なるほど」
言われてみて、セルジュは納得した。
「確かにそれは無理かもなあ……」
当たり前だがセルジュは自分の身体以外のものの動かし方を知らない。もしいきなり動物の身体を与えられて扱えと言われても、ろくに動かせはしないだろう。
人間とその他の生き物では、骨格から筋肉の質や量、関節の駆動域から長さまで、何もかもが異なっているのだ。試しにセルジュは自分の身体に三本目四本目の腕が生えていることを想像してみたが、まるで実感など湧かなかった。動かし方など掠りもしない。
「そ、分かったでしょ。そもそも私達は人間の身体の動かし方以外は知らないのよ」
「あー……、でもほら、練習したりすればどうにかなったりはしないのか? 人間だって最初は立ち上がりすら出来ないで生まれてくるわけだし……」
出来ないなら努力すれば良い。そんなセルジュの真っ当な意見に答えたのは、横で話を聞いていたフォルスである。
「そう言う意見は偶に出るけど、芳しい報告を僕は一回も聞いたことが無いかな。何ヶ月と続けても、大抵は指先一つ動かせずに終わるらしいよ」
「うへぇ」
フォルスが告げるそのにべもない結果にセルジュは顔を顰める。
何ヶ月と精霊司を拘留して一切の成果無しでは、発案した技術者達も面目が立たないだろう。
それを聞いたら腕を一杯生やして武器を大量に操って戦うなんてことは実現不可能だと、すぐに理解してしまう。
そうしてからセルジュはふと、かつて目にした蒼銀の精霊機を記憶に浮かべて首を傾げた。
「あれ、でも……」
「どうかしたのかい?」
「クラウシュト侯爵の〈フィトリュエール〉……あれは確か尻尾があったよな……」
氷山の中から削り出したのかと思える程の優麗な精霊機であり、確かにその姿は人型をしていた。
だがその背後からは長い尾が生えていたはずだ。そしてセルジュの記憶違いでなければ、その尾は細波に揺蕩うように棚引いていたはずである。
人間には本来存在しない、動かせるはずのない器官を動かす精霊司。
それらから導かされる結論はつまり、
「ふう。人間離れしてるとは思ったが、まさか尻尾が生えてるとはな……」
「君は何を馬鹿なことを言ってるんだい……」
呆れた目でフォルスは見やってくるが、戦場丸ごと一つ凍てつかせてしまうあの侯爵の力は人外と言われたほうがよほど納得のいく話なのだが。
「王国最強、クラウシュト侯爵の〈フィトリュエール〉か……なるほどね」
セルジュの疑問にフォルスは多少間を置いたが、やがて得心がいったように頷いてみせた。
「さっきの話だけど、女性の精霊機は多少事情が違ってくるかな」
「どういうことだ?」
「当然、女性精霊司の精霊が生物の形を持って生まれてくるのは君も既知だろう?」
「そりゃそうだ」
男性精霊司の精霊は武器の形状を、女性精霊司の精霊は生物の形状を。
戦いや精霊司と無縁の田舎の一般人ならばともかく、二等精霊司として王都にある中央訓練校に所属していたセルジュが、その理を知らないわけがない。
男女の精霊司で一体何故そのような差が存在するのかは分かっていない。一説によると女性には新しい生命を宿し育む機能があることが関係しているらしいが――詳細は不明だ。
「女性精霊司が扱う精霊機の中には、己の精霊と同じ部位を用意してそれを精霊に動かさせているような機体もあるそうだよ」
「へえ……」
つまりあの小波のように揺れていた尻尾はクラウシュト侯爵ではなく、彼女に宿る精霊が動かしていたということだ。
「……あれ? じゃあ、馬の精霊をもつ精霊司なら、さっき話に出てたような馬型の精霊機も扱えるんじゃないのか?」
ふと思いついたその疑問にはフォルスも答えを持ち合わせていなかったらしく、彼にしては珍しくはてと首を傾げた。
「……どうなんだろうね? 僕も畑違いだからそこまで詳しくは言えないけど。ただそういった人外の部位に関しても、精霊司が自分で操ると言うよりは、精霊が勝手に動かしているって感じらしいと聞くが。意のままにっていうのは難しそうな気がするな……」
人馬一体という言葉はあるが、馬を意のままに操るのには相当な熟練が必要だ。それが精霊、しかも自分は精霊機を操りながらとなるとどれだけの難易度になるのだろうか。
「ふーん。じゃあやっぱり馬の精霊機とかは無理なのか……。もしあったら移動が凄い楽になりそうなんだけどな」
人の形を摸している現状の精霊機ですら、その移動速度は馬を遙かに超えるのだ。
もし移動に特化した形態を取れればその速度は劇的に変わるだろう。それによってもたらされる恩恵は考えるまでもない。単純な戦力だけでは無く、物資の輸送などにも大きな影響を与えられるに違いない。
「一応、人外の精霊機に関しての研究は第四中央工房で行われてるらしいって噂は聞くけど、基本的に工房同士の繋がりは希薄だからね。あまり詳しい話は流れてこないかな」
全部で七つある中央工房。何れも王国の精霊機技術をさせる重要な立ち位置にいることは変わりないが、横の関係は薄い。工房長同士による定期的な連絡会も開かれているし、必要とあれば技術や資材の融通もしたりはするらしいのだが、基本的には秘密主義のようなところがある。
その全てを把握しているのは王城にいる極一部の者達くらいのものだろう。
「さあて、雑談はこれまでにして訓練に戻ろうか。あまりのんびりとしていても仕方が無いしね。残る試験項目も僅かだ。近日中に終わらせよう」
「だな。そうすれば、その次はいよいよ」
「模擬戦ね!」
エナーシアがセルジュの言葉を言い終わる前に声を上げた。
幾つも連なっていた〈アルテナ〉の基礎動作試験の項目。それらの消化が済めば次に待っているのは、より実践的な内容を想定した段階へと進むことになる。
精霊機とは戦うための武器。
その実践的な内容とはつまり、エナーシアが言うように模擬戦ということである。
「ふふん、セルジュ。覚悟しておきなさいよね……!」
次の日を待ちきれない子供のような光を宿しながら、エナーシアが不敵な笑みを浮かべてセルジュを睨み付けていた。