表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

たとえば、こんなハッピーライフ

作者: 紅龍亨

プロローグ


 その時、世界が停まったかのように全てがゆっくりに見えた。

 白い軽ワゴンは突っ込んできた大型ダンプにあっさりと潰され、運転席の男性と助手席の女性は即死、後部座席で横になっていた子供も押し込まれた前の座席に潰されようとしていたが、その間に柔らかい体が挟まりクッションとなっていて難を逃れていた。

 子供を守ったのは、子供とほぼ同じ体格の茶色の毛並みの大型犬。

 後からも追突されたのだろう、子供は連続の衝撃にあっさりと気を失ってしまう。

 七台の車の追突事故。

 慌てて停車した者が救助に走るが、先頭で正面衝突したダンプに潰された軽ワゴンからガソリンが漏れているのに気付き、なんとか無事であったダンプの運転手や追突した車から出てきた者達も手をだす事ができずにいた。

「…声」

 自分もケガを負った女性が犬の声に気付いて近付こうとするのを、他の人達が止める。

「待って、子供」

 砕けた窓から子供が外に押し出されようとしていた。

「待ってて」

 ケガをした女性の代わりにか、すぐに一人の青年が駆け寄る。

 火花がいつガソリンを燃やすかわからないが、車の外に転がりそうな子供をなんとか抱き上げる。

「お前…」

 子供を一生懸命に外に出そうと押していたのは一匹の犬。

「クゥン…」

 犬自身はシートの間に挟まって身動きができないようだが、子供を抱き上げた青年を見つめて小さく鳴く。

「お前も」

 両親はもうダメと判断して、青年は犬に手を伸ばすが、犬の方は牙をむいて青年を遠ざけようとする。

「…わかった。大丈夫だ」

 牙を見せながらもじっと見つめる犬に青年は頷くと、子供を抱えて走りだすと、背後で彼等が離れるのを待っていたかのように爆発が起きた。

 爆風にバランスを崩すが、なんとか倒れるのをとどまった青年の足元に小さな金属が転がってくる。

 骨の形をした金属プレートにはKの一文字が刻まれていた。

 それを拾い上げると、気を失っている子供に握らせた。

 遅れてやってきた救急隊員に子供を預けて、事故現場に目を向けて写真を一枚撮った。


 忠犬、子供を助ける。


 新聞の見出しを見つめながら、子供はぽつんとベッドに座っていた。

 病院内という事で、マスコミは居ないが、窓の外を見ると何人かの姿見てとれた。

 死者は両親のみ。

 爆発のせいで七台の車はダメになったが、ケガ人も軽傷者のみであった。

 ただ一人、子供だけは一人になってしまった。

 両親の遺体もひどく、子供が眠っている間に葬儀は終わっていた。

 子供を助けた犬も忠犬として霊園に入れられたらしい。

 ただ生き残った子供には、身内が他に居なかった。

 一週間後に目が覚めた時、子供に残ったのは骨の形をしたプレートだけであった。

 訳もわからぬうちに一人になってしまった子供は、ぼんやりと一週間前の新聞や週刊誌を見ているだけであった。

「入っていいかい?」

 覚えのない声とノックが同時にし、どうぞと促す。

「目が覚めたと聞いて、元気そうだね」

 見覚えのない青年と頭に包帯を巻いた女性に小首を傾げる。

「僕は…」

 青年が名乗り、身寄りのない子供を引き取るという話をどこか他人事のように聞いていた。


 そして、十五年の月日が流れた。



1 死ぬ前に驚いた


 助けて、この子を助けて。

 ずっとずっとずっと願ってきた。

 大好きなこの子を助けて。

 その願いは叶えられたのだろうか。

 目を覚ますといつもの天井。

「ああ、仕事に行かないと」

 仕事道具を掴み部屋を飛び出す。

「カルチェ、今日も遅刻だな」

 難しい顔をした上司にいつもの台詞を口にされ、一枚の書類が差し出される。

「?」

「今日から君には彼についてもらう」

 ざっと青年のプロフィールが書かれた書類。

 写真にはやや気の弱そうな髪を一つに束ねた人の良さそうな青年が、なぜかエプロン姿で写っている。

「えっと、でも、これ、一年後になってますよ」

 死亡時刻の年数を示して訪ねる。

「そうだ。彼は一年後に死ぬ事になっているが、彼の命を狙っている者が居る。彼を必ず一年後に死ぬようにしなくてはならないのだ」

 念を押すように言う上司に、さらに頭を捻る。

「それって、回収課の仕事ですか?それ以前に、死神の仕事なんでしょうか?」

 周囲を見回す。

 役所仕事でしかない魂の回収をする課に他の者は居ない。

 すでに皆、仕事で出払っているだけである。

  残っているのは、自分と年中渋面をしているスーツ姿の男性主任。

 この回収課のトップだが、中間管理職でしかない主任。

「これは決定事項だ。君は人間界に行き、彼を一年間死なないようするように」

 話はそれまでと、別の書類に目を通す。

「えっと、もしかして、あたしはその間、ずっと人間界ですか?」

「うむ」

「えっと…行ってきます」

 取りつく島もない上司に、書類と身の丈もある鎌、仕事道具を持って出て行こうとする。

「ああ、行く前に会計に寄って、当分の経費を受け取るように」

「は、はい」

 返事をして部屋を出ると、改めて書類に目を通す。

「香坂麦さん、まだ二十歳なんですねぇ…と、人間界に行くなら人間の姿がいいですよね」

 自分の前足を見て呟く。


『疲れました。香坂麦』


 なんの捻りもなく、思い切り簡潔で、ある意味不親切な一言。

 その一文を書いた便箋を前にして青年、香坂麦は目を閉じて考え込んでいた。

 年は秋には二十歳になる大学二年生。

 百八十は背丈があるが、運動が苦手なためかひょろ長いと表現するのが正しいと自分でも思う。

 面倒くさいという理由で薄い茶色の髪は肩下まで長く、普段は一つに無造作に束ねている。

 お日様が嫌いという訳でもないが、あまり日中に出歩く事がないためにか、肌の色は病的とまではいかないが白く、昔は安定的にもやしなどと呼ばれていた。

 目の色は紺色で、目は悪くないが、人の目が苦手なので眼鏡を使用していたりする。

 完全なインドア派といった風体で、たがわずにしっかりとインドア派。

 冬はこたつでこたつむりと化すほどの筋金入りの入り用だ。

 正直、友人と呼べる友人は居ない。

 大学は国文科で常にひっそりと教室に居るタイプ。

 まあ、十人中八人は友達にしたくないと言われそうだ。

 誰に知られている訳でもなく、たぶん、居なくなっても気付かれない。そんなタイプの人間。

 そう、遺書さえも誰宛にできないほどにぼっち。

「あ、そうでもないか、おじさんとおばさんに迷惑かけるな」

 思い出したように便箋を取り、宛名を書き出す。

 両親を失い、行き場のない自分を拾い、今でも住んでいるアパートの大家である夫婦とその娘を思い出す。

「とは言え、別に大家さん達に何を残す…荷物は適当に処分をしてもらって…」

 文面を考えながら、なんとなく天井を見上げる。

 木目がはっきりとしすぎて人の顔に見えてきて、慌てて目をそらす。

 旅館の一室としてはありがちな床の間の掛け軸に染みがあった。

 まるで血が散ったような黒い染みに、頭を振って気をそらし、窓の外に視線が移る。

 すでに外は暗く、森の鬱蒼とした感じに光の都合で自分がガラスに映っているが、何か歪んで見える気がする。

「はっ」

 気付くと手紙のはずが、怪しげなホラー的文章を書いていた。

「ああ、またやってしまった。これが嫌なのに」

 紙を丸めてゴミ箱に放り投げる。

 元々、気が弱いのだ。

 ともかくホラー全般が苦手なのに、うっかりとそれらを書き留めてしまうクセがあり、想像が想像を呼び、自分が怖いのにそれらを記していくうちに、気付くとホラー作家になっていた。

 怖がりなのにホラー作家。

 そこそこに売れるとファンレターという名の恐怖話が送られ、さらに怖くて本が出る。

 それを繰り返すうちに疲れたのだ。

 改めて最初の遺書を見る。

 怖がる事に疲れて自殺ってどうよ。と、つっこみが入る。

 大家さん方には迷惑をかけるし悲しまれるだろうが、出版所の方はよろこびそうだな。などと思ってしまう。

 高校生の時にうっかりとデビューして、この一年程は怖さのあまりにまともな本を書いていない。

 担当にも嫌味とホラービデオ、心霊写真が送られてくるような日々なのだ。

 そう、もう疲れたのだ。

 自分のような平凡な者は、ひっそりと死んでしまった方がいいとさえ思う程だ。

「ひっ」

 などと考えていると、首筋を風がなでてはねあがる。

 死を決意して旅に出て、たまたま泊まった旅館だが、古いというだけあってそうゆうシチュエーションが多々ある。

 風呂に行けば誰も居ないのに水音がしていたり、単に蛇口が弛かっただけだった。

 トイレでは鏡に人の影が映ったり、はがれかけたポスターだったのだけど。

 物置から笑い声がしてみたり、やたらと喋るインコが迷い込んで警察に行ってみたりした。

 ともかく、正体がわかっても怖いのだ。

 今も、森の中に揺れる火のようなものが見えている。まあ、火の用心という声がすぐにして正体は知れたのだが。

「ん?」

 今、視界の端で赤い着物が見えた気もしたが、それも気のせいだろう。

 この世にオバケなど居ないと思い、わかっていても些細な事が怖いのだ。

「うん。もう寝よう」

 遺書をしまい、敷いてある布団に潜り込む。

 怖いので明かりは完全に消せない。

 またガラスに赤い花のような模様が見えた気もするが、きっと気のせいなのだろう。

 そう言い聞かせて眠りにつく。


「見つけた」

 何かが呟いた。


 朝食を終えてすぐに旅館を出た。

 何やら怪訝な表情をされたが、それも仕方ないだろう。

 大学生が一人でこんな場所に泊まりに来ているのだ。

 散歩と告げた時に、自然と何も持っていないのを確認したくなるだろう。

 泊まり客が自殺などすれば面倒なコトになるのだから、少なくとも今はまだ死ぬつもりはない。

「旅館の人に迷惑をかけたくないしな…とりあえず、丁度いい場所を探しておこう」

 二、三日は泊まるつもりだ。

 この付近に土地勘などないので散策しながら、人に迷惑をかけないようなトコロを探すつもりで外に出た。

「ん?」

 森の方へと続く道、その脇に見てはならないものを見つけた。

 立派な大木の枝に下げられたロープ。しかも、自分も用意したように輪になったロープが下げられている。

 慌てて辺りを見回すが、誰の姿もない。

 先客が居るのか、どちらにしろ今、ここで死なれるのは都合が悪い。

「だ、誰か居ますか?」

 こんな目立った物を残しておいて人の姿はない。

 おそるおそる近付き、ロープを見上げる。

 枝が太く、ロープは随分と高い位置で揺れている。

 思ったよりも高い位置にあって、足場がないと無理と思って探しに行っているのかも知れない。

 そこそこに背丈だけはある自分でもギリギリな高さだ。

「えっと…」

 右を見て、左を見て、ロープを見上げる。

 今、このロープを外してしまえば、このロープの持ち主は諦めるかも知れないと、ロープに手を伸ばす。

「死んではいけません」

 背後から転がるように何かが体当たりしてきて、上を見る形となっていた首が運が悪いことにロープの輪に引っ掛かった。

「ぐっ」

「いけませんって!って、あれっ ?」

 そういう誰かは、タックルでも仕掛けるように腰にしがみつき、足でも滑らせたのか、思い切りしがみついてきた。

「ぐえっ」

 まともに自分と腰にしがみついた誰かの体重にロープが喉に食い込むが、縛りかたが甘かったのか輪がほどけ、そのままの形で地面に顔面から落ちた。

「死んでないですか?大丈夫?生きてる?」

 心配してるのかはわからないが、まだ幼いような少女の声を耳に意識は暗転した。


 夢を見た。

 なんの夢かは忘れたが、やけに懐かしい夢だった。

 茶色いふさふさとした何かが、くすぐったい。そんな夢。


「お前…」

 ぱちりと目を開くと天井があった。

 顎と額が痛むが、とりあえずは生きているらしい。

 茶色いふさふさの何かが、胸の辺りに乗っているのが見えた。

「…誰?」

 それがポニーテールの女の子の頭とわかって声をかける。

 起きようにも、少女が完全に自分を枕にしているために動けない。

「ね、君、誰?」

 右手も下敷きにされているので、左手で少女の肩を揺するとむにゃむにゃ、ケーキなどという寝言とともに起き上がる。

 一見には何人という国籍のわからない外見の少女。

 茶髪は高い位置で一つに束ねてドクロの形のボンボンをしている。

 褐色の肌をしていてまだぼんやりとしている目は青。

 八重歯の見える口元、やや丸めの低い鼻。

 ふっくらと丸みをもったほっぺた。耳にもドクロのピアス。

 年はまだ中学生か、ヘタすれば小学生ぐらいだろう。

 服装も変わっていて、まるでアラビアンナイトに出てくるような格好の上に、重そうな黒いフード付きの外套という姿。

 ドクロのモチーフが好きなのか、首にはチョーカー、両腕にもブレスレットでつけている。

「えっと…日本語、わかる?」

 外国人としか思えないが、顔だけを見ると日本犬を思わせる。

「ああ、生きてました」

 がっしりと麦の手を取り、顔を近づけてくる少女に、思わず腰がひける。

「えっと…その声って、さっきの…」

 体当たりのすえに、うっかりと首吊りの状態に持ち込んだ人物の声だった。

「ダメですよ。また死んじゃ」

 少女がぷっくりとふくれた表情で言ってくる。

「いや、僕はとりあえずあのロープをはずそうとしてたんだけど…」

 そういえば、あのロープの持ち主はどうしたんだろう。思い直していてくれるといいのだけど。

「へっ?」

 きょとんと少女が麦を見回す。

「えっと…死ぬつもりじゃなかった?」

 かくんと小首を傾げる少女に、どう答えようと一瞬迷った。

 死ぬつもりはあった。が、あの時はなかったので、一応こくんと頷いて見ると、少女はみる間に青ざめる。

「あたしの間違いですか!もしかして、余計なコトでしたか?」

「あ、いや…その、し、死ぬつもりではあった」

 床にこすりつけんばかりに土下座をはじめた少女に、申し訳なさそうに声をかける。

「まだ死んじゃいけません」がばっと起き上がり、がっしりと手を取り抱き寄せて言う。

「えっと…なんで?」

 ぎゅうっと手を持っていかれて、困った表情で聞き返す。

 もっと年上の女性だったら嬉しいかも知れないが、残念ながら少女の胸はほぼ感じない。

「だって、あなたが死ぬのは一年後ですから、今死なれるのは困るんです」

「はい?」

 少女の言葉をゆっくりと考える。


 今、一年後に死ぬと言っただろうか。

 死なれると困るのは、一年後が死ぬ予定だからだろうか。

 ところで、なんで死ぬ予定をこの子が知っているのだろうか。

 それ以前に、この状況は一体なんなのだろう。


「…根本的なコトだけど、君、何?」

 ほんの一瞬で頭を駆け巡った疑問の全てを横に置いて、まずはそう訊いてみた。

「ああ、忘れていました。改めまして、あたしはカルチェといいます」

 ぺこんと頭を下げて名乗る。

「カルチェさん…ドコの国の方で?」

 疑問は別にあるが、とりあえず日常会話的に訊いてみる。

「あの世です。あ、死神やってます」

 にこやかにそう答えてきた。

 言葉が頭に届いて、その意味を考えるのに時間がかかった。

 カルチェと名乗った少女はニコニコと笑顔のままで待っている。

「死神?」

 たっぷり三十秒以上はかけて聞き返す。

「はい。死神です」

 ぽんっと手を叩いてから、響くようにすぐ返事が返ってくる。

「…死神?」

 もう一度、たっぷり時間をかけて訊いてみる。

「はい。死神です」

 再び、すぐに返事は返される。

「……し、死が…」

「はい。死神です」

 最後まで言う前に答えは返ってきた。

「これが証拠です」

 ローブの下から、どうやってか、少女の身の丈はある大きな鎌を取り出し、一枚の紙を差し出してきた。

「あの世、魂回収課、カルチェ。名刺か!」

 思わずつっこみを入れる間に、鎌の方は邪魔だったのかしまっている。

「って、日本語」

「当然ですよ。ここ、日本ですし」

 当たり前の事のように言うカルチェに、眉間にシワを寄せてうつむく。

「で、あなた香坂麦さんは、一年後に死ぬので、今、死んじゃダメなんです」

「一年後も今も変わらないんじゃ…」

「ダメです。一年後といったら一年後なんです」

 きっぱりと言うカルチェに、麦は困ったように天井を仰ぐ。

 ふと見ると、カルチェも一緒になって天井を見ている。

「…一年後に死ぬから、今の自殺を止めるために、君は来たの?」

「えっ…あ、はい」

 天井を眺め回していたカルチェが、こくこくと頷く。

「なんで?」

「上司命令ですから」

「…理由は?」

「上司命令ですから」

「つまり、知らないの?」

「じょ、上司命令ですから」

 じっと見ていると、ついっと視線を反らした。

「…今すぐ死にたいとか言うと」

「ダメです。あたしが怒られます」

 ぶんぶんと頭を振って言い切る。

 青ざめるほどに上司が怖いのか、よくわからない。

「……一年後も生きていたいと言ったら」

「それも困ります。寿命は決まってますし…」

「えっと…でも、自殺しようとする人の前に皆、死神が来るの?」

「いえ、香坂さんぐらいかと…まあ、自殺をされると回収係としますと、色々と予定が狂って困るんですけど…」

「あ、そう」

 知りたくもない裏事情ではある。

 なんで自分だけとは思ったが、絶対に知らないと思った。

 上司命令を繰り返している以上、何も知らされずにここに居るのであろうと、容易に想像がつく。

「で、一年後に君が迎えに来るの?」

「いえ、香坂さんが死なないように、見張ります」

 ハキハキと答え、ローブの下から可愛いピンク色のリボンをつけたドクロ型のサイフを差し出してくる。

「えっと…」

 何を言えばいいかわからずに、サイフとカルチェを見比べる。

「人間界で生活できるように経費も出てますから、よろしくお願いいたします」

 ぺこんと勢いよく頭を下げたため、ポニーテールがぺしっと麦を打つ。

「経費って、あの世に円があるんだぁ」

 どうでもよいことを口にしつつ、カルチェを見る。

「はい。すごいですよ。一月分で三万円です」

「えっ、それでどうやって生活するの?食費だけ?住む場所はどうするの?」

 金額を聞いて思わず訊く。

「…三万で暮らせないですか…」

 不安そうに麦を見上げる。

「僕のアパートの家賃で安くて二万五千、ましてや君みたいな女の子に部屋を貸してくれる所、あるかな…」

 どう見ても中学生にしか見えない少女、しかも外国人に貸してくれるアパートなどは知らない。

 だいたい自分のアパートだって大家と知り合いだから安く借りているぐらいだ。

「…の、野宿でも大丈夫です」

「いや、する所ないから、すぐに補導されるから、警察に捕まるとどうなるんだろ…」

 まさか身元受取人で、その死神の上司とやらを呼び出すのだろうか。

 それ以前に、死神などと信じてはもらえないだろうし、日本人には見えないのだから不法入国者扱い。

「ええっ、ど、どうすれば」

「えっと、上司って人?に連絡は?」

「そうですね」

 ローブの下から今度はドクロケースのスマフォみたいなものを取り出して、何やらピコピコと操作をする。

「あ、課長って、留守電?ああ、時間外」

 時計を見て声を上げる。

「何、時間外って」

 思わず麦も時計を見て声をあげる。

「就業時間が終わってます」

「まだ五時だよ」

「五時には窓口は終わります。緊急時用の夜間窓口ではわからない」

 スマフォを握り締めて、ふるふると震えている。

「五時三分、役所並 。っていうか、五時以降に死ぬ人はどうなるの?」

 時間を確認して呟く。

「ど、どう…」

「えっと…うん」

 うるうるとした目を向けられて、困ったように頭をかくばかりだ。

ただの人間の人間の麦にわかるものではない。

 思わずチワワが思い出されたが、それはそれである。

「そういや、この旅館の人は君をなんだと思ってるの?」

 普通に自分の部屋に居たカルチェを見る。

「妹?」

 なぜかかくんと小首を傾げて言う。

「ふうん」

 よくわからないが、頷いてみた。


 死のうと思った時、妙な同居人が一年後の死のためにできた。

 わからぬままに、一年のカウントダウンが始まったようである。


「とりあえず、夕食にしようか」

「はい」

 元気に返事をする少女を横目に、旅館の人に準備を頼みに出た。



2 赤の花嫁


 突如増えた客、しかも見た目は外国人の少女なのに、その存在は、ごく当たり前に受け入れられていた。

 元から自分の連れとして存在していたという感じだ。

「まあ、兄妹のように扱われていても、こればかりは、ね」

 並べられた布団を離して部屋を隔てる。

 シーズン外で広い部屋が取れていて良かったと内心思う。

「wええ、なんでですか」

 隣の部屋に追いやられたカルチェが声をあげる。

「当たり前だろ。子供でも女の子と一緒って、ない」

 ぴしゃりと言い切り、ふすまを閉じようとするのを押さえる。

「あたしは、香坂さんを見張るために…」

「寝てる間には死なないよ。大人しく寝る」

 死神といっても力は見た目通りらしく、あっさりとふすまは閉じる。

「本当ですよ。死なないでくださいよ」

「わかってるよ」

 引き離された子犬のように、ふすまをカリカリとしているらしきカルチェに言い切って、布団に腰をおろす。

「ふう」

 ため息一つついた時、視界の隅で何かが動いた。

 カルチェかと思って顔を上げるが、室内には誰も居ない。

 肩越しに閉じたふすまを見ると、寝息らしきものが聞こえてきた。

 なんだかんだと言いつつ、寝付きがすごくいいらしい。

「一年後か…」

 手帳を開いてみる。

 これといって予定は入ってないが、〆切の文字は目に入った。

「…少しは書かなきゃダメか…」

 重いため息を漏らし、それでも持ってきていた原稿用紙を取り出して、机に向かう。

「えっと、どこまで書いたっけ…そうそう」

 読み返したくはないが、読まなくては話が続かない。

 今回は担当がどこからか仕入れてきた昔話が元になっている。

 戦国時代だか、そのぐらいの頃に、嫁入りする姫様が戦に巻き込まれて亡くなったのが始まり。

 姫様は自分の血で染まった赤い花嫁衣装で、自分の嫁入りするはずだった城主を探し歩いているという事らしい。

 その城主が戦に見せて自分を殺し、彼女の城を落としたのだと知った姫様の幽霊が、城主に恨みを晴らすという内容だ。

「えっと…血に染まって赤くなった花嫁衣装…って、この頃の衣装って、今と同じなのかな…」

 口にだして文章を綴るのはクセというよりも、黙々と書いていると怖いためだ。

 音楽でもあればいいが、携帯は忘れてきたというか、置いてきた。

 夜にテレビをつけるのも悪いと思ったが、口に出していれば同じな気もする。

「資料はなかったっけ、今の白無垢と同じなら…でも姫っていうなら十二単みたいな重ね着?」

 豪華な花嫁衣装というものを思い浮かべてみるが、今時はほとんどドレスなために白無垢自体を思い出せない。

 ましてや現代の結婚式というのもわからない。

「…そこまでリアリティはいいか」

 着物の描写を諦め、次にいこうとした時、また何かが視界を横切った。


 赤い布だった気がする。

 それも、ひらひらというよりも引き摺る感じの布。

 そう、よく時代劇の大奥とかで女性が着ている着物の裾のような感じの。

「いやいやいやいや」

 そこまで想像してから自分につっこみを入れる。

 バタバタと頭の上で手を振り、想像を追い払うが、顔が上げられない。

 机の向こうは窓で、その向こうは庭だ。

 人は通れるが、目の前を赤い布が通るのはまず見れないはずだ。

 人が歩けば音が鳴る。

「ないないない」

 机を凝視しつつ、ゴクリと息を呑む。

 明かりは背中からだ。

 庭の向こうは森で、一層暗い。

 今、ガラスは鏡となって自分が映っていて、外の景色などが映る事はまずないだろう。

 では、目の前を通った布はなんなのだ。

 もう一度息を呑み、壊れた人形のように固まったまま首だけを巡らせて、自分の後の方に視線を落とす。

 部屋に居るのは自分、もしくはカルチェ。

 褐色の爪先でも見えれば良かったが、背後には赤い布が広がっていた。

 ただ、花嫁衣装ではないのか、赤い花柄の布だ。

 はっきりと見えるその布を追うように、視線がゆっくりと上げられる。

 着物らしく袖が見え、白い手が組まれている。

 さらに上に視線を向けていくと、恐らくは十五歳かそこら少女の顔があった。

 時代劇で見るような髪型で、大きな金や銀の簪を飾った古風な顔立ちではあるが、気の強そうな美少女。

 栗色の双眼、白い肌、下唇だけに紅をさしたそんな少女。

 やや重そうな赤い花柄の着物はいかにも姫様といった感じだ。

 金や銀の入った帯には、懐刀の包みが見られた。

 その少女の姿を確認した瞬間、麦の意識は落ちた。


「お姫様の幽霊は、自分の懐刀で相手をこうぐさっと」

 担当が身振り付きで説明してくれる。

 イメージは二十歳ぐらいの豪華な美女といったところか、いかにもな女幽霊を思い浮かべたものだ。

 でも、当時で二十歳だと行き遅れだ。


「夢か…」

 目を開けると、自分を覗きに込んでいる少女に気付いた。

 褐色の肌の外国人のような少女ではなく、重そうな頭を傾げた和風の美少女。

 また意識が遠くなりそうになったところを、がしっと襟首を掴みあげた手が止める。

「えっ」

 一瞬、何事と思った時には平手打ちがきた。

「起きぬか。失礼な」

 ぺしぺしと容赦ない平手打ちに、完全に目が覚めた。

「ちょっ、タンマ。いや、待って」

 タンマでは通じなかったのか、言い直すと平手打ちは止まる。

 ぐいっと襟首を掴まれておきあがると、気絶する前の顔があった。

「ええっと…どちらさま…」

「わらわに先に名乗れと、無礼な」

「えっと…香坂麦といいます」

 正座をして名乗ると、襟首から手が離れた。

「うむ」

 何やら気に入ったらしく、小さな体をそって大きく頷く。

「して、あなた様はどなた様でしょう」

 色んな意味でテンパっているのか、日本語まで怪しくなった。

「わらわか、わらわは…」

 ふんぞり返っていた少女が、じぃっと麦を見る。

「そなた、が誰だかわからぬのか」

「えっと…申し訳ないですが、わかりません…」

 格好だけでいうのならお姫様だろう。

 顔立ちは現代でも通じるほど整っているが、化粧の仕方なのか違和感がある。わかりやすく言うと古い。

 時代劇であろうと、本当に昔のような化粧をしている訳ではないだろうし、男である自分がわかる訳はないが、まず古いと思う。

 元々、白いのだろが、それよりも白い粉をぬっている白粉というやつだろうか。

 アイシャドウやチークなどは入れてはいないが、下唇にだけ赤い紅を入れているが、全体的になぞっているのではなく、半分ぐらい書いているという感じだ。

 着物は大きく変化がある訳ではないからわからないが、赤い布地に金糸や銀糸を使っているのわかる。

 帯に上に羽織っている着物も同様だ。

 何よりも簪だ。

 結い上げた髪を飾る簪の数、金色は多分本物。

 花の細工もかなりの腕前。

 本物のお姫様だ。

「…お姫様、ですよね」

「うむ。そうじゃ」

 深く頷く。

「えっと、この付近でお姫様…って、よく考えたら調べてないな」

 旅をする時はそこそこに歴史を調べているが、今回は適当にたどり着いた所なので知らない。

「それでも、この辺りで有名なのは上杉家か、でも、お姫様なんて一杯居るよな…」

 ちらりと見ると、何か期待する眼差し。


「お姫様…もしかして、名前を忘れたとか…」

 おそるおそる訊ねると、ぎらりと目が輝く。

「わらわが忘れる訳がなかろう。主のような下々の者でも知っておるか気になったのじゃ」

 ぷいっと顔を背ける。

「はあっ…それでお姫様は、僕に何用でしょうか?」

 もう気絶するタイミングも、逃げ出すタイミングも失い、ともかく用件を訊いてみる。

 これで命を寄越せなどと言われれば、カルチェを呼ぶしかない。というか、この状況でカルチェが居ない事もどうしたものかと思う。

「下々の者に用などない」

「えっと…では、なぜ僕は起こされたので…」

 用がないのならば、気絶させたままにしてほしかった。

 夢でしたというオチがほしかった。

「用などはない。ないぞ。ないのだぞ」

「…ないんですか…えっと…」

 やけに念を押す態度に考える。

 用というより何か頼みたいのか、でもそれを彼女より身分の低い下々の者に言うのが嫌なようだ。

 ここで用がないのならこれでとでも言えば解放してくれるのか、それともとり憑かれるのか。

 どう考えても後者だ。

 では、こちらから彼女の頼み事を受けるという用件を訊くと、何かすこぶる面倒な事になりそうだ。

 どっちにしろ、話を訊くまでは憑かれそうである。

「ないのだぞ。何も、そう何もないのだ」

 言外に訊けと言ってくる。

「何してるんですかぁ」

 第三者の声は、なぜかすぐ近くでした。


 カルチェは冷蔵庫から取り出したばかりのジュースを置き、その現場に割り込んだ。

 麦が何か書き物をしているのが見えていたので、こっそりとジュースを取り、戻ろうとした時に見たのだ。

 赤い着物の幽霊が麦を捕まえているのを。

「何してるんですかぁ」

 寿命まで守らなくてはならないために、二人の間に割り込む。

「カルチェ」

「大丈夫です。香坂さんはあたしが守ります」

 ローブの裏にしまってある鎌あれば亡霊など敵ではない。

 だか、手はスカッと空をきった。

「…カルチェ?」

 背後に庇った麦が不思議そうに名を呼んでくる。

「あなたは何者ですか?」

 寝る前にローブを脱いでいたので、鎌は手元になかった。

「お主こそ何者じゃあ」

 古い霊魂はそれだけで力がある。

「あ、あたしはカルチェ。死神です」

 胸を張って名乗ると、少女の幽霊は何かを見比べている。

 具体的には自分の胸と相手の胸、そして、口元に袖を持ってゆき、ぷっと小さく笑う。

 思わず改めて見比べる。

「そ、そんなに変わらないじゃないですかぁ」

「わらわは着物で押さえられておる。主のようなはしたない布一枚と一緒にするでない」

 唐突に女の戦いを始めた二人を、麦は視線を外して外を見ていたりする。

 五十歩百歩的な。などと思ったが、口に出したらそこで終わりそうなので無表情を保っているかどうか、確かめてみたが、残念ながら洩れ出ていたようだ。

「今、失礼な事を考えておったな。下郎」

「酷いです。香坂さん」

 二人の少女が詰め寄ってくる。

「あ、いや、その…カルチェも姫様も落ち着いて、あの…何か困り事でもありますか?」

 誤魔化すために、姫様に話をふってみる。

「ん、うむ」

 射殺しそうな視線を伏せて、姫様が身を正す。

「ちょっ、香坂さん、相手は幽霊ですよ」

 カルチェが仕事を思い出したように、麦の前に立つ。

「あ~、うん。でもカルチェ、彼女は今、何か困ってるなら、話ぐらい訊いてあげても、もしかして、すぐ成仏してくれるかも」

 麦がそう言うと、ちらりと隣の部屋に目を向けてから、麦の隣に座って話を訊く態度をしてみる。

 古い幽霊は強いのである。

 鎌があれば狩れるが、残念な事に手元にはない。

「自業自得…」

 ぽつりと麦が呟いたが聞こえないフリをしてみた。

「わらわは何一つ用はないが、訊きたいというのならば、話してやろう」

 目の前で姫様がふんぞり返って話を始める。


 お姫様の話。

 要約すると、お姫様は戦国時代のお姫様で、小さな領土ではあるが、攻めにくい城に住んでいた。

 領民は素朴だか、お殿様、ようはお姫様の父親をしたって平和に暮らしていた。

 だか、姫様も年頃になり、一人娘なので婿を取る事となったが、その婿が実は裏切り者で、結婚式の日に敵を城に入れてお殿様は殺されてしまった。が、結婚に乗り気ではなかったお姫様はこっそりと城を抜け出していた。

 城を追われ味方もないが、領民に匿われはしたものの、気がついた時には彼女は幽霊になっていたらしい。

 いつ自分は死んだのか、なぜ死んだのか、そして、彼女が持っていたはずの城の宝はドコへ行ってしまったのか。


「という事で、自分の死亡原因と宝が気がかりと」

 話を聞き終わる頃には、すでに夜は明けていた。

 姫様が出てきた時はまだ日付が変わってなかったので、五時間かけて聞いた事になる。

「うむ」

 すっきりという表情で頷く。

 五時間の間に、色々と脱線しまくったので、要約部分だけならば三十分ほどで終わった話だ。

 カルチェはいつからか眠っているので、後で話すべきだろう。

「で、その宝ってのはどんなものです」

「思いだせん。だか、わらわの城の宝、きっと素晴らしきものだぞ」

 疲労が二倍になった気分で、それでも顔には出さず姫様を見上げる。

「そうですね。調べてみればわかるとは思います」

 眠い目をこすりつつ、麦はメモ帳に書き込む。

「うむ」

 満足そうに頷く姫様は朝陽の中でも消えてくれない。

「えっと、調べたら、どこに報告しに行けばいいですか。今日にはここをチェック…出るので」

 持ち合わせが少ないので、この旅館は出なくてはならない。

 多分、帰ってからでも調べるだけならできると思った。

「ん。お主について行くに決まっておろう」

「そうですか…はい?」

 真面目な表情をつくっていたが、うっかりと素の表情が出た。

 でかでかと迷惑と書かれた顔に、お姫様は懐刀に手を伸ばす。

「いや、ついてくるって、僕に?」

「うむ。わらわが見えるとは大義じゃ」

 どうやら長い間、会話どころか見てくれる人も居なかったようである。

「案ずるな。主をわらわの一の下男としてくれようぞ」

「いや…いえ、ありがとうございます…」

 ギラリと睨まれて、泣きそうな心持ちで応える。

「下男では呼び方はかわいそうではあるな。主、名はなんであったかな?」

「香坂麦です」

「うむ。では、麦よ。よきにはからえ」

「はあ…」

 生返事を返しつつ、ふと原稿に目を止める。

「少し内容は違うけど、似てるな…ここから調べてみるか」

 ため息混じりに呟いた。


「なんで、この幽霊も一緒に居るんですかぁ」

 カルチェが声をあげる。

 思わず口を押さえて辺りを見るが、幸いにも人目はなかった。

「な、成り行き」

 すっかりと憑かれた表情で答える。

「むぅ~。大丈夫です。こんな幽霊、あたしが狩ります」

 バサッとローブをひるがえして、鎌を振りかぶる

「ふん。妖の小娘が」

 姫様も懐刀を手にした。

「大丈夫だよ。姫様だって自分の事がわかれば、あの世に行ってくれるんだろ」

「うむ。その通りだ。麦」

「えっ、なんで、この幽霊が麦で、あたしが香坂さんなんですかぁ」

「へっ、あ、別に呼び方は好きにしていいけど」

 カルチェの物言いに、麦はあっさりと答える。

「そうですか、では麦さん」

「うん。まあ、とりあえず、この街に史跡があるなら探して、夕方の列車で帰るよ…姫様は人には見えてないのかな」

 ずっと自分には見えてはいるので、ふと気になって訊いてみる。

 カルチェは普通に旅館の人と接していたので、まあ普通に子供料金でいけそうだが、姫様が人に見えているとなると、どうなるのか知れない。

 カルチェは外国人に見えるので黒ローブ姿でも多少変わった子供と見られているようだが、姫様はお姫様である。

 しかも、ちょっと宙に浮いていたりする。

 ついて来てはいるが、歩いてはいないのだ。

 宙を滑っているといった感じだ。

「ん、見えてないのではないのか。ずっとそうであったし」

 事投げに答える。

「ん~、ともかく試してみるか」

 目についたコンビニに立ち寄る。

 店員は自分とカルチェは確認したようだが、すぐ隣の姫様を気にした様子はない。

 レジ前にあったコーヒーとチョコを買って、コンビニを出る。

「カルチェは食べるだろ。姫様は?」

 一応、二つ買ったチョコを差し出すが、姫様の手はチョコも麦の手も通り抜けた。

「食べないなら食べる」

 チョコが気にいったのか、カルチェが麦の手からチョコを奪い取った。

「カルチェ…でも、見えて聞こえているだけなんだ…」

 普段はそれだけで怖いが、姫様は別というより、ここまではっきりと見えて会話ができているためか、幽霊という気がしないだけなのかも知れない。

「生者と死者の区別がつかないってコトもあるらしいな」

 昔、霊能力者という人物から訊いた話だ。

 幽霊も日常的に幽霊らしい訳ではなく、大半は生前と変わらない姿でいるために、生前と区別がつかないらしい。

 常時、血塗れだとか、手足がないとかではなく、彼等も普通に生活をしているつもりであるらしい。

 そう考えると、姫様が姫様らしくある事も普通なのだろう。

「…帰ろう」

 チョコの事で言い合いを始めた二人の間に割り込み、駅の方へと歩き出した。



3 天使と悪魔の都合


 三階建てのマンションの二階角部屋が香坂麦の家である。

 小さい頃は隣にある大家たる三好家に世話になっていたが、一人娘が中学生になる頃には、他人である自分が同居というのも都合が悪いと思って借りたのである。

 元々はファミリー向けなので、二LDKは少し広いと思っていたが、二人というか一死神と幽霊が増えた事でそう思えなくなってきた気もする。

「カルチェと姫様は、こっちの部屋を使ってよ」

 開き部屋を片付けて、二人を振り返る。

「ええっ」

 不満そうに声をあげる二人に、麦は仕方なさそうに首を振る。

「一応、女性を寝室に入れたくないし、正直、片付けられない」

 ふるふると諦めた表情で言い切る。

 隣は寝室兼仕事部屋としているためか、半分本で埋もれている。

 服も散乱していて、他人を入れるのはためらう。

 リビングはそこそこに片付けてはいるが、差し入れと称した嫌な本と自分の話の載った本が置いてあったりする。

 開き部屋にも本はあるが、片付ければすぐに空になる。

「布団…姫様は必要?」

 カルチェは布団で寝ていたが、姫様は物には触れられないので使えるかどうかはわからなかった。

「わらわは眠らないから要らぬぞ」

「そう。カルチェの分は客用があるし、大丈夫か」

 押し入れにしまいっぱなしの客用布団を干すために、窓を開けた。

「後は買い物と、おじさん方に挨拶してこないと」

 駅で買ったお土産の袋を手に取る。

「買い物?」

「夕飯の材料、死ぬつもりだったから、冷蔵庫は空にしてたし」

 調味料以外は全て処分してから家を出た。

 家の中の物は処分はしやすい物が多いので、それは大家に任せるつもりだったのだ。

「おじさん?」

 姫様が興味深そうに言う。

「ああ、隣の大家さん。僕は血の繋がった身内は居ないから」

「なんでじゃ?」

「両親が孤児同士でね。事故で亡くなった時、僕を助けてくれたお兄さんにそのまま引き取られたんだ」

「じゃあ、麦さんが死んでも、悲しむ人は少ないのですか?」

 懐から黒い手帳を取り出し、カルチェが何かを書き込む。

「そうだな。まあ、身内も居ないし、墓は父さん達のがあるからいいけどさ」

 よくわからないが、両親は結婚した時に墓を買っていたらしい。

 墓まで一緒に居よう。などというプロポーズをした父親が実際に墓を用意していたとか、残されていた母の日記にはあった。

「カルチェも行く?やっぱ、ウチに住むんだし、でもどうしようかな…おじさんは僕に親戚が居ない事を知ってるし」

 たとえ親戚でも、唐突に外国人というのも不自然だろう 。

「星華園から預かった事にしようかな…」

「せいかえん?」

 メモった後で訊いてくる。

「星の華の園ね。父さん達が居た孤児院。三好家に引き取りが決まる前はそこに入る予定で、小さい頃から世話になってるよ」

 少し遠いので年に何回かしか行かないが、今でも両親の話を聞きに行ったりしている。

「あそこ、外国人も引き受けてたし、うんそうしよう。この前もフィリピンの子が居たしな」

 一人納得し、荷物から財布とエコバッグを取り、土産物を持って外に出る。

 カルチェは玄関から出るが、姫様はドアが閉まってから通り抜けてきたため、思い切り階段まで後ずさった。

「む、どうしたのじゃ?」

 怪訝そうに見てくる姫様に、身を正してなんでもないと首を振っておいた。

「麦ちゃん」

 三好家の門を抜ける前にかかった声に麦のみならず、カルチェと姫様も主を見た。

 シンプルなセーラー服姿の少女だ。

 黒髪は肩の辺りで揃え、やや丸みのある顔立ちは日本人形を思わせるか、タヌキのぬいぐるみを思い出させる。

 茶色い丸い瞳が三角形につり上がったと思うと、力強く麦に歩み寄ってくる。

「こよみちゃん、お久しぶり」

 なんとなく腰の引けた態勢の麦を、少女は下から見上げてくる。

 高校の制服姿でなければ、まず小学生と間違われるほどに小柄なこの少女が、三好家の一人娘だ。

 もっと小さな頃は、兄妹のように育ったものだ。

 尤も、初めて家に来た麦に対し、幼児用手押し車のオモチャを叩きつけて泣かしたぐらい気が強いので、今でも、頭が上がらなかったりする。

「今までドコ行ってたんですか!アパートに帰ってないし」

「ちょっと旅行だよ。えっと、お土産」

 吼えかかる犬をかわすように身をちぢめつつ、土産を差し出す。

 土産物と、麦の後に立つ少女を交互に見つめて、さらに眉が跳ね上がる。

「あ、この子はカルチェ。訳あって僕が預かる事になって…ほら、星華園も人手がなくってさ…」

 麦の言い訳に背後に隠れるようにしてカルチェも頷く。

「麦ちゃんが、女の子と暮らすの…」

 不満そうに麦とカルチェを見比べる。

「えっと、お父さん居るかな…」

「父さんは仕事と思うけど…母さんは居るんじゃないかしら」

 こよみは玄関に向かう。

 夫婦で不動産を営み、訳有りな麦のような若者には手持ちのアパートなど紹介している。

 麦ももっと安い遠いアパートに入る気だったが、家族と暮らしてきたからと、隣のこのアパートに入れられただけの事である。

「母さん、麦ちゃんが帰ってきたわよ」

 声をかけると、同じように小柄ではあるが、落ち着いた感じの女性が出てくる。

「あらあら、麦ちゃん。お帰りなさい」

「ただいま。おばさん。これ旅先のお土産です」

 素直に頭を下げる麦をならってか、カルチェと姫様も頭を下げていた。

「あら、可愛いお嬢さんね」

「カルチェです」

 ぺこんと改めて名乗って頭を下げる。

「はい。三好ひよりです」

「えっと、星華園の方にも寄ったんですか、訳があってこの子を預かる事になったので…」

 決めていた作り話を口にすると、一瞬、ひよりが鋭く見てきた気がするが、すぐに穏やかな笑みに戻る。

「そう。大変ね。麦ちゃんもカルチェちゃんも、そうだ。お夕飯は食べていきなさいね」

 エコバッグを下げた麦にそう言い出す。

「え、でも悪いですし…」

「食べていきなさい、ね」

「はい」

 念押しするひよりに逆らわないようにしておいた。

「でも買い物には行きますから、えっと…何か用はありますか?」

「お醤油買ってきてくれると助かるわ」

「わかりました。カルチェ、行こう」

 案内もするので、カルチェを呼ぶ。

「あたしも行くわよ」

 素早く着替えてきたこよみが声を張り上げた。

「スーパーまでの道のりは覚えた?」

 物珍しそうに店内を見回すカルチェに声をかける。

「あ、はい。大丈夫です」

「姫様、あまり自由にされますと迷いますよ」

 こよみを気にしつつ、自由にフラフラとする姫様にも声をかける。

 少なくとも朝食分の食料と、頼まれた醤油をカゴに入れる。

「ちょっと、店内で商品開けないでよ」

 チョコを食べようとしていたカルチェをこよみが止める。

「カルチェ、買ってからね。後、姫様、ポルターガイストはちょっと…」

 チョコもカゴに入れ、なぜか持っていたらしい姫様の手からもチョコを受け取っておく。

「あ、牛乳安いな」

「あ、あのぅ」

 不意にした声に視線を巡らせる。

 カルチェはお菓子売り場を見ているし、こよみはそのカルチェの行動を見張り、姫様はその辺りを興味深そうに見てまわっている。

「誰?」

 明らかに自分を呼んだらしき少女を見る。

 高校生ぐらいの黒髪の少女。

 こよみが日本人形ならこちらは外国のお人形だ。

 長い黒髪は緩やかにウェーブがかかり、色白の肌、大きめの双眼は青く、小さめの唇は桃色。

 少々、顔色が悪く見えるほどの白さだが、変に気にならない。

 俗にいうロリータファッションというやつだ。

 ただ色は黒で、ポイントのように裾などには白いフリルが飾られている。

 ややゴツく見える編み上げブーツも黒。白いフリル付きの日傘も黒。ただ店内でもさしているのはどうなのだろう。

 変わっているのは、頭飾りは花と赤い角。背にはコウモリのような小さな羽根。スカートの下からは細い尻尾のようなものが出ていたりする。

「えっと…僕に何か用?」

 格好に反して、小さく身構えてオドオドとしている少女に話を切り出してみる。

「あ、あの…私は、そのぉ」

 アチコチに視線をさ迷わせて、落ち着きなく身をよじったりしている。

「えっと…その前に、僕に用なのかな?人違いとかはない?」

 訊くとふるふるとわからないぐらいに小さく首を振る。

「こ、香坂麦さん…ですよね。私はシーズといいます」

 ぺこんと頭を下げて名乗る。

「うん。僕の名前だね。間違いない」

 苗字だけならともかく、麦などという名前は普通にはないだろう。

「で、シーズーさん?」

「シーズです。シーズーだと犬です」

 はっきりと言い切る。

 よほど言われてきているのか、この時ばかりは無表情なまでに真顔である。

「あ、ごめん。で、シーズさん。僕になんの用かな?」

 素直に詫びいれてから聞き返す。

「麦、なんじゃ、その者は!」

 姫様が少女に気付いて、麦と少女の間に割り込む。

 普通の人間には見えない姫様をはっきりと見て、シーズと名乗った少女が身を引く。

「どうしたん…って、悪魔ぁ!」

 カルチェが気付いて歩み寄ってくるさい、シーズを見てそう声をあげ、鎌を手に取る。

「ちょっと、何してるのよ!」

 こよみがカルチェとシーズを見比べる。

 どうやら鎌は人間には見えないらしい。

「…悪魔?」

 ぽつりと麦が呟くと、カルチェとシーズが頷く。

「あ、あの…香坂麦さんの…私にください」

 カルチェと姫様に深く頭を下げてそう言う。

「な、何を言ってんのよぉ!」

 一番に声をあげたのはこよみだ。

「…今、聞き取りづらかったけど、魂って言ってたよね」

「うむ。麦の生命を狙っておるようじゃな」

「麦さんは、あたしが守るんです」

 カルチェが吠えると、シーズを見据える。

「えっと…とりあえず、落ち着こうか、人目につきまくってるし」

 なぜかカルチェとこよみが言い合いをはじめ、プルプルとシーズが二人を見比べていたりする。

 姫様は元々カヤの外なので、麦が三人を静めつつ、なんとか買い物を済ませる。

 スーパーの帰り道も、カルチェとこよみが言い合いを続け、小さくなってシーズが後を付いて来る。


「じゃあ、こよみちゃん、これをお願いするね」

 醤油を渡して、こよみを家へと帰す。

 アパートのドアの前で暫くごねていたが、なんとか家へと帰した。

「えっと、シーズさん、悪魔なの?」

 落ち着いてドアを閉めてから、部屋の中で鎌を構えるカルチェから隠れるようにカーテンにくるまっているシーズに、声をかける。

「それよりまず、靴を脱がぬか。主等」

 姫様が示すように、二人とも靴をはいたままなので、素直に玄関に置いてから、また同じ所に戻った。

「とりあえず、皆、お茶でいいかな」

 こたつ布団をはずしたこたつテーブルに座るように促して台所へと向かう。

「安い緑茶だけど、どうぞ」

 一つ、二つ、三つ、四つの湯呑みを各自の前に置き、自分用のコップを手に取りお茶を淹れると、姫様以外はお茶を口にする。

「安物まっずいわね」

「ん?」

 聞いた事のない声に、麦は室内を見回した。

 カルチェにシーズ、姫様に自分と四人のはずが、五つ目の湯呑みを手にしている人物に目を止めた。

 リアルフランス人形のような少女が膝をたて、テーブルに肘をつくような形で座っていた。

 長い金髪は高い位置でツインテールにし、色白の肌だが頬はバラ色、透明な青い瞳は不機嫌な猫を思わせる美少女。

 白いボディスーツのような体のラインがわかるような衣装で、大きく開いた背には白鳥のような羽根がばたついている。

 腰には太いベルト、そこに飾り気のない剣が下げられている。

 腕と足を守るためかプロテクターのようなものを身につけている。

「…君、誰?」

「あなたはセラフィーナさん!あぁ、天界までも…なんですね」

 シーズが少女を見て声をあげる。

「天使まで」

 カルチェがそっと湯呑みを置いて立ち上がる。

「…天使?」

 思わず上から下まで改めて見てから呟く。

「どこをどう見ても天使じゃない。邪魔だから輪は外してるけど」

 首の十字架を飾ったチョーカーと羽根を示して言い切る。

「あ、外せるんだ。輪…天使って、神の戦士だから、まあ…いいのかな…」

 なんとなく天使というイメージと大きく離れている少女を見て、麦はすっと視線を外すと、ピタリと首筋に銀色の刃が当てられた。

「あ、あの…」

 わずかに身を退きながら、セラフィーナという天使を見る。

「よくわからないけど、アンタの魂を持ってこいって言うのよ。で、ちゃっちゃと死んで」

「いけません!麦さんが死ぬのは一年後です」

「こ、困ります。麦さんの魂は、その…」

 カルチェが鎌で剣を跳ね上げ、シーズもオドオドと口論に加わる。

「ふむ。モテモテじゃの」

「いや。モテモテとは違うんじゃないかな…」

 唯一、魂を狙っている訳ではない姫様の方に避けつつ、麦が呟く。

「にしても、お主は一体なんなのじゃ?」

 姫様が死神・悪魔・天使を見比べて麦を見る。

「…さあ?」

 麦自身がわからないと首を傾げるのみだ。


「えっと、人数が増えまして」

 三好家の食卓に麦に、三人の少女を紹介する。

 姫様も一緒だが、三好家の面々には見えていないようである。

「あらあら、大変ね」

 暢気な母、ひよりとは違い、こよみは三人を順に睨みつけていた。

「こよみちゃん、この子達は日本の常識少し怪しいから、仲良くしてくれるかな?」

 実年齢はともかく、見た目は近いのでそう言って見ると、こよみは何か言いたそうではあるが、こくんと頷く。

 カルチェの格好はギリギリで、シーズはまあまあ有だが、セラフィーナの格好な完全にアウトだが、どうやら彼女達には違うように見えているのか服装にはなんのツッコミもなかった。

 夕飯をなんとか終わらせて、麦と四人の少女がアパートに戻る。

 帰るさいに増えたために足りなくなった布団を借りてきたために、麦は疲れたようにリビングのソファーに沈んでいた。

「さてと…」

 微妙に諦めたように、こたつテーブルに座る四人を見る。

「えっと…姫様以外は、僕の命というか、魂を狙っていると」

 ソファー側に座っているカルチェ、その右側にシーズ、左側にセラフィーナ、一番奥に姫様の順に見る。

「違います。麦さんの寿命は一年後なので、そこまで守るんです」

 鎌を抱えたカルチェそう訂正してくる。

「そうなるのかしら、あたしは言われたから来ただけだし」

 テーブルに肘を立てて頬杖をついたセラフィーナが、投げ遣りな感じで手を振っている。

「そ、そうなります…」

 体をできるだけ縮め、家の中でも日傘をさして隠れるようにしてシーズが答える。

「なんでって、訊いていいのかな?」

 麦の言葉に、三人は思いきり首を傾げる。

「誰もわからぬようだのう」

 一人、のんびりとしている姫様が言う。

「上司からの命令ですし、元々魂回収は仕事なんですよぉ」

「一年後の死亡予定日でか」

「…えっ、えっと、こうゆう方々が狙っているからですよう」

 姫様に言われて、カルチェはシーズとセラフィーナを指す。

「だいたい魂の回収は死神の仕事なんです」

「そ、そうですけど…人間と契約して魂を得るのが悪魔ですし…」

「ふむ。麦と契約しておらぬよな」

 姫様の言葉に、完全に日傘で顔を隠してしまう。

「一応、神が言う魂を召し上げるのは天使の仕事よ」

「しかし、こやつはバテレンの宗教ではなかろう」

「知らないわよ。あたしが決めてんじゃないもの」

 ぷいっと顔を背ける。

「えっと…僕としては、もう死ぬ気はないし、キリスト教徒でもないんだけどね」

 麦が言うと、シーズとセラフィーナ目を向ける。

「とりあえず、姫様の頼まれ事もやらないとならないし」

「当然じゃ」

 姫様が大きく頷く。

「君達もはいそうですかでは帰れないんだろうから、暫くは様子を見てくれないかなぁ」

「…そうね。上の仕事なんて、どうでもいいし、暫くは地上で遊ぶのもいいわね」

 セラフィーナがあっさりと言うと、カルチェと姫様とともにシーズに目を向ける。

「わ、わかりました…」

 四人に見つめられて、消えいりそうな声で頷く。

「悪魔は言った事は絶対よね。抜け駆けしないでよ」

 セラフィーナに見据えられて、日傘の陰でこくこくと頷く。

「じゃあ、とりあえず、全員、武器はやめてくれないかな。この部屋は完全中立で、大家さんに迷惑かけたくないし、アパートを出て行く事になって野宿したくないでしょう」

 麦の言葉に四人は大きく頷く。

 カルチェの鎌とセラフィーナの剣はとりあえず麦が預かる事となった。

「あの日傘、邪魔なんだけど」

「まあ、なんか取り上げると、かわいそうだし…」

 必死に日傘で隠れているシーズを見て呟く。


 室内は中立である。

 自分の物は自分で管理する事。

 食事時間は麦に合わせる。

 掃除は当番制。(姫様は除く)

 大家さんに正体はバレないように気をつける。

 麦の仕事の邪魔はしない。


 べたりと壁に紙を張りだして、麦は室内の四人を見回す。

「僕が大学に行っている間は、特に気をつけてね」

 大家に正体をの部分の文章を示して念を押す。

「なんでその女はいいのよ」

 窓際でくつろいでいる姫様を示す。

「姫様は基本見えないす、物も持てないからね」

 物置の隅にあった安楽椅子に座っている姫様は、よく見れば自分で浮いているとわかる。

 汚す事はないし、掃除も必要ないのだ。

「食事の仕度は僕がするから、時間は僕に合わせてもらう」

 これは誰も何も言わない。

「夜は主に仕事するけど、邪魔はしないでね」

「何?仕事って?」

「い、一応、小説家…〆切も近いから、本当、邪魔しないで下さいね。姫様は特に」

「わらわか」

 心外そうに姫様が見据える。

「他の三人は壁抜けとかしないけど、わかってても怖いんです」

 一日中はっきりと見えていて会話をして、なごんで馴染んでいても、夜に視界の端に居たりされると怖いのだ。

「よくわかんないヤツね」

「テレビは見てていいですよ。そうゆう音は気にならないんで」

 言うと、セラフィーナは早速、リビングへと移動する。

「大丈夫です。あたしがしっかり見張ってます」

 力強く言い切ったカルチェに任せて、自室へ戻る。

 三十分もすると、リビングから大笑いをするカルチェとセラフィーナの声が始まった。

 何か、全てを諦めたような表情で、自分の文章にびくびくとしながらパソコンに向かう麦なのであった。



4 黒猫の祭囃子


 朝から始まった音楽に気付いたのはシーズだった。

 窓を開けた時、やけに軽快な笛の音が聞こえてきた。

「ああ、そういや今日から祭だったか」

 カレンダーを見て、麦が卵を割り焼く。

「お祭りですか…」

 冷蔵庫の陰でシーズが訊く。

「うん。近くにある神社の祭。正確には明後日だけど、今日から夜店とかでるよ」

 手早く四人分の朝食を用意した家主は、もう慣れたのか隅に隅にと居たがる悪魔の少女とは、目を合わさぬようにリビングへと料理を運ぶ。

「夜店って、何よ」

 ニュース番組を変えながら、すっかりテレビっ子の天使が自分の分のおかずを確保しながら訊いてくる。

「お祭りの時だけ出るお店でいいのかな。主に食べ物か金魚すくいとか」

 何年も行ってないので、今はどんな夜店があるかわからない。

「食べ物ですか?」

「金魚すくいって、何よ」

「んと…ワタアメとかチョコバナナ、かき氷とかは今でもあるかな。金魚すくいってのは和紙みたいのですくうんだよ」

 麦の説明がわからなかったのか、全員が首を傾げる。

 食事を必要としない幽霊の姫様は呑気に浮いている。

「ふむ。和紙か」

「多分、姫様の想像とは違うかと…まあ、〆切も終わったし、行ってみる?」

「はい。ワタアメ、楽しみです」

 カルチェが一番に頷き、姫様も頷いているようだ。

「神社ってアレよね。異教の神殿」

「ああ、セラは天使だからダメか…」

「行くわよ。異教徒の行動はしっかり監視しなきゃ」

 言いつつも楽しそうである。

「シーズはどうする?人は多いけど、大丈夫?」

 ともかく対人恐怖症っぽい悪魔に訊いてみる。

 ともに生活を始めて一週間経っても、常に日傘に隠れようとするし、時折、抜き打ちチェックとやってくるこよみに対しては押し入れにこもってしまうほどだ。

「別に、留守番でもさせてきゃいいじゃない」

「そんなのかわいそうですよ」

 セラフィーナとカルチェの言い合いをオロオロと日傘越しに見る。

「無理しなくてもいいけど、やっぱり、皆でってのが楽しいとは思うからさ」

 ごはんをよそいながら言う麦に、こくんと頷く。


「で、なんでこの女まで居るのよ」

「誰がこの女よ」

 セラフィーナとこよみの険悪な雰囲気に割り込みながら、麦は全員を見回す。

 祭という事で、一応のように全員に浴衣をひよりに借りた時に、こよみも一緒についてきたのである。

「というか、姫様も着替えられたんだ」

 いつもの赤い着物ではなく、水仙柄の浴衣姿の姫様と見上げる。

 カルチェがひまわり柄でセラフィーナは花火、こよみは金魚柄でシーズは猫柄である。

「日傘は危ないから置いていった方がいいよ」

 夜でも日傘を手にしているシーズに声をかける。

「先に言っとくけど、一人、千円までにしてね」

「あたしは自分で出すから平気よ。麦ちゃん」

 こよみが小さな金魚鉢ポシェットを示す。

「まあ、初日で人は多くないといいなと思うから、行こう」

 シーズに手を差し出すと、ぎゅっと握ってくる。

「むっ」

 一瞬、視線が鋭くなるこよみだが、夜目でもぶるぶると震えているとわかるシーズに黙りこむ。

「ワタアメって、どんなのですか?」

「ん~、雲みたいな砂糖菓子」

「雲みたい…ふわふわですか?」

 キラキラとした目で見てくるカルチェに首を振る。

「残念ながらそこまでふわふわじゃない…か…な」

 今一つ記憶にないのか、こよみに話を振る。

「えっ、ええ。そうね。ふわふわは見た目だけよ」

「む~では、チョコバナナとはチョコですか?」

「そうよ。バナナをチョコでコーティングしてあるのよ」

「金魚ってのはどんなんだ?」

「あたしの浴衣の柄の魚よ」

 カルチェとセラフィーナの相手はもうこよみに任せてしまう。

「ふむ。何やら賑やかで明るくなってきたのう」

「神社の境内は狭いから、そこの公園でやってんだよ」

「…あの、自然公園…」

 ぽそりと訊いてくる。

「シーズは朝に散歩しているんだっけ。そうだよ」

 ジーンズのポケットのサイフを確かめて頷く。

 女の子の浴衣は色々とあったが、男物の浴衣はないので麦はいつも通りの格好である。

「うわぁ」

 一番に声をあげたのはカルチェだ。

 入口からワタアメ屋台や焼きそば、フランクフルトと食べ物屋台が並んでいるのが見えたからだ。

「やっぱ、少し多いかな」

 初日とはいえども結構な人数が居るのがわかる。

 時間的に小学生は少ないが、テンションの高そうな中高生が多い。

「うっ、さすがに浴衣は少ないわ」

 ぽそっとこよみが呟く。

「麦さん、ワタアメ欲しいです。後、チョコバナナとりんごアメってなんですか、あのカステラってのも」

「いやいや、金額オーバーするから、絞って」

 カルチェがあっちの屋台、こっちの屋台と覗き歩くのを見て手招く。

「金魚すくい、ドコよ」

「もっと奥ではないのか」

「じゃあ、行くわよ」

「そんなに急がなくても…もう、小遣いとして渡しておくよ」

 千円札を渡すと、セラフィーナは食べ物系屋台には目もくれずに奥へと向かい、姫様もそれについて行く。

 カルチェはかき氷の屋台に釘付けで、こよみが恥ずかしそうに引き剥がそうとしている。

「夕飯食べたのに、どれだけ食べる気だろう」

 カルチェにはお金を渡せないなと思っていると、ぎゅっと手にしがみつかれた。

「大丈夫?何か飲む?」

 生フルーツジュースの屋台を示す。

 元々顔色が悪いが、今はもう蒼白というぐらい白い。

「ワタアメが欲しいです」

「えっ、ああって、高っ」

 値段を見て思わず声をあげたため、笑われてしまった。

「今、五百円なの?昔、もっと安かったような…」

 ぶつぶつと口にしながらも、女の子向けのキャラの袋を買う。

「はう。本当に、雲みたいです」

「外人さんには珍しいかい」

 ワタアメを楽しそうに見るカルチェに店主が声をかける。

「はい。ふわふわです。砂糖なんですか?」

「そう。ザラメ…これをね」

 店主に作り方を教えられている。

 シーズも気になるのか、麦の後から覗き見ている。

「最近は外国でもワタアメが人気だろうに」

 店主がカルチェに訊くが、カルチェは首を傾げている。

「りんごアメって、りんごをアメで包んでるのですか?これなんですか?はうぅ、チョコバナナ。焼き鳥ですよ。カステラ一つ貰いました」

 カルチェが全ての屋台に引っかかるので、その都度、足を止めて待つ。

「まったく、意地汚いわね」

「そうゆう。こよみさんが持ってるのはなんですか?」

「イカ焼きよ。お祭りの時はこれなの」

「イカ焼き…でも、あのチェロスも気になりますし、あんずアメも…困りました。チョコバナナは外せないです」

 チョコバナナだけは必須のようで、お小遣いを手にウロウロと迷っている。

「シーズは何もいらないの…僕も何か食べようかな…」

 夕飯を食べたが、やはり屋台を見てると欲しくなる。

「あ…あれっ」

 ちょんちょんと服を引かれて見ると、アメ細工の屋台があった。

「珍しいアメ細工か、見てく?」

「いらっしゃい。何か、作りますか?」

「へえ、ずいぶんと若い人ですね」

 屋台店主を見て思わず声にでた。

 アメ細工という渋い職人かと思えば、麦とそう年の変わらない青年だったからだ。

「まあ、まだ未熟なんですが、この程度なら」

 話ながら白鳥を作り上げる。

「へえ…よくある鶴とか龍とかは?」

「鶴はなんとか、龍は修行してます」

「ね…猫は…」

 気軽に話す麦と店主の間で食い入るように見ていたシーズが訊く。

「猫。ん、できるよ。お嬢ちゃんの浴衣柄みたいのでいいかな」

 コクコクと頷くシーズに見やすいようにか、道にまで出てきてしゃがんで作ってくれる。

「はい。三毛猫」

 ちょんちょんと目を描いてシーズに差し出す。

「あ、ありがとう」

「えっと三百円か」

「まいど」

 シーズの頭上でお金のやり取りがされた。

「アメは溶けないけど、早めに食べるんだよ」

 猫アメを見つめているシーズに声をかける。

「ブルーハワイって、どんな味ですか?」

 残り少ないお小遣いのために、何を食べるかを迷っているらしきカルチェがこよみを質問責めにしている。

「麦、見ろ」

 やけに大きな豚だかウサギだかわからないピンクのぬいぐるみをかかげたセラフィーナが、意気揚々と戻ってくる。

「あれ、金魚すくいに行ったんじゃ」

「射的の方が気にいったようじゃぞ」

 付いていた姫様が言う。

「あ、ああ…」

 なんとなく納得して頷く。

「して、麦よ。わらわにあれを献上するが良いぞ」

「へっ?」

 姫様の示す方に目を向けると、光る星やハートのカチューシャを付けた少女が居た。

「いや、姫様。あれはすぐに光を失いますよ。後はもうつまらない髪飾りですよ」

 買ってもいいが、物質をつけられない姫様だ。

 大学生の男が、祭のテンションで買える代物ではないし、ヘタすれば自分でつけるはめになりそうだ。

「むう。ではあれを」

 そう言って示したのは、ふわふわと地面を這うように浮く犬型の風船であった。

「一時間後は単なるゴミです」

「ならば、あれはどうじゃ」

 そう言って示したのはアイドルの写真屋台だ。

「あんな所の非公式が多いって、誰かのファンですか」

 男でもJ系は買うのかも知れないが、テンションマックスの女子の中に突入はしたくなかった。

「って、姫様…」

 単にからかっただけらしく、姫様は扇子で口元を隠して笑っている。

「猫…」

 アメを両手で持っていたので、麦から離れていたシーズは暗闇で動いた猫の目を見て足を向けた。

「姫様、僕をからかったって…あれっ、シーズ」

 思わず上げた右手を見て、繋いでいたはずの手を忘れていた。

「どうしたの?麦ちゃん」

 カルチェの質問責めから逃れるために走ってきたこよみが麦を見上げてくる。

「シーズは?いつの間にか居ないんだけど…」

「えっ…」

 こよみも道を左右、前後と見る。

「ま、迷子…」

「やばいよね…」

 屋台の間をふらふらしているカルチェと、いつの間にかカタヌキ屋台に居るセラフィーナはともかく、迷子が人見知りのシーズだ。

「あの猫柄の子なら、向こうへ行ったぜ」

 アメ細工の青年が声をかけてくる。

「こよみちゃんはカルチェとセラを見てて、僕は探してくる」

 店主の示した方向へと向かうと、姫様もついてきた。

「後でオバケ屋敷とやらに入りたいのだが」

「今時あるんですか?幽霊がんなものに興味示さないでください」

 言いながら茂みをかき分けて、公園の奥の森の方へと向かう。


「にゃー」

 池の近くで腰をおろした黒猫に向かって声をあげたシーズを、ふいっと顔をそむけて無視する黒猫。

「にゃーさん、猫…」

 持っていたアメ細工を差し出すと、黒猫はチラリとシーズを見て、邪魔そうにアメ細工をハタキ落とす。

「あっ」

 しっかりと持ってなかったためか、アメ細工は池の中へと落ちた。

「あっ、危ないよ」

 池へと身を乗り出したシーズを麦が支える。

 池の上にふわりと姫様が立ち、浮かんでいる竹串を示した。

「アメだから水に溶けるか…もうダメだよ」

 立たせると、シーズは申し訳なさそうに麦を見上げ、姫様に目を向ける。

「道案内ありがとう。姫様」

 草木など問題ない姫様が先に見付けてから、麦を連れてきたようである。

「あ…ありがとう」

 二人を見比べて小さく言う。

「ぷっ」

 突然に吹き出すような声に麦が辺りを見る。

「…黒猫?」

 池のふちの石の上に居る猫に目を止める。

 闇の中でもわかる艶やかな黒い毛並みの猫が、月のような青白い瞳で麦を見ている。

「おかしな人間だね。幽霊とつるんで悪魔を助けるなんて」

 普通に話しかけてきた猫に、瞬間、意識が飛んだ。

「麦」

 姫様とシーズが声をかけるが、倒れた麦を支えられる訳もなかったが、ピタリと空中で麦の体が止まる。

「あらあら、失礼な子だね。悪魔は平気なのにワタシを見て気を失うなんて」

 クスクスと猫が笑う。

「なんじゃ、妖怪変化か何かか?」

 姫様が猫の前に降り立ち、シーズも腰がひけながらも猫を見据えて身構える。

「ね…猫は、喋らないでしょう…」

 怯えつつも、なんとか気を取り繕い、膝をついて猫を見る。

「ああ、そうかもね。でも、魔女は喋るだろう」

 猫の輪郭が歪んだと思うと、月明かりの下に一人の女性が立った。

 多分、麦と並んでも変わらぬぐらいの背の高い女性だ。

 ゆったりとした黒いドレス姿で、夜目では眩しいほどに白い肌の長い手足。

 腰まで流れる夜の闇に近い色合いの長い髪、猫の時と同じ色合いの切れ長の瞳。

 北欧系の美女。

「ま、魔女…」

「そう。ワタシはソルティア。ドルイドの流れを持つ魔女さ」

「ケルトの方ですか…でも、ドルイドって、自然系統の魔術で変身なんて使えましたっけ」

 思わず職業柄に身についた知識を口にしてしまう。

「おや。詳しいね。坊や。生まれはドルイドでも、長い間、ヨーロッパを渡り歩いて知識を身に付けたんでね」

「見かけ通りの年ではないのじゃな」

 ぽそりと呟く姫様をギロリと見据える。

「ま、魔女…」

 シーズが怯えるように見つめる。

「本物の魔女さんか…悪魔なのに魔女が怖いの…」

 言いつつも、麦も十分に腰が退けている。

「まあ。魔女は悪魔のせいで酷い目にあってきているから、弱い悪魔は奴隷として使われるものね」

 ニタリと唇を上げて笑みを形づくる魔女ソルティアに、シーズは身を縮めて隠れようとする。

「ああ、魔女狩りですか」

「魔女狩り?」

「中世に、魔女は悪魔と契約した悪女として、かなり酷い目にあわされて殺されたんだよ」

「違うのか?」

 姫様はソルティアを見て訊く。

「魔女の語源は英知を持つ女性って意味。本来の魔女はどちらかというと医師みたいなもんだよ。悪魔はまったく関係ない。というより、キリスト教を広めるさい邪魔な土着宗教にしたりしてたんだよね。魔女や吸血鬼もそうゆう事情から作られたんだよ」

 一通りに学んだ知識を口にする。

「バテレン宗教って、タチが悪いからのう」

「姫様の時代にもキリスト教は入ってきてたんだ」

「へえ、若いのにわかっているんじゃない。あなたも魔女?」

「いえ。一般人です」

 大きく頭を振る。

「でも、その悪魔はあなたのでしょう」

「いや、訳あって一緒に居るだけで、違います」

「…悪魔を使う訳でもなく、一緒に居るだけとか言うの?」

 意外そうに麦を覗き込む。

 息がかかりそうなほどに近付かれて、シーズを背に庇いつつも、思い切り腰が退けている。

「生まれたての小鹿のようじゃの」

「こっちの幽霊も変わってるし、魔女がわからないような悪魔を使役している訳でもなく、天使に死神まで一緒」

「えっ」

 麦が聞き返すよりも早く、背後で何か力強く踏み込むような音がしたと思うと、カルチェとセラフィーナが鎌と剣でソルティアに斬りかかっていた。

「カルチェ、セラ、いつの間に武器を」

「気にするトコ、ソコ!」

 麦とソルティアの間に立ったセラフィーナが声をあげる。

 どうやら不意打ちに近い初撃はかわされたようである。

「魔女ですか。魔女ですね。しかも、悪魔系ではない古典魔女。不死者ですか」

 カルチェが鎌を向けて訊く。

「不死者?」

「寿命消滅させた。不死の法を得た者」

 ぽそりとシーズが答えた。

「生粋の魔女なんて珍しいわね。とっくに絶滅してると思ってたわ」

「絶滅危惧種であるのう。お主等、自称神のおかげで」

 両手を広げて肩を大袈裟に竦めてみせる。

「自称神。は言えてるわぁ」

「いや、君が認めてどうするの?」

「えー、だって、本当の事じゃない。人間の言うような事なんて全然できないのよ。上司どもも、それをわかってて適当に人間の尊敬の尻馬に乗って偉そうにしているだけだし」

「お主、力天使階級だろうに、よいのか」

 あっさりと天上をコケおろすセラフィーナに、ソルティアの方が不思議そうに言う。

「好きで天使に生まれた訳じゃないし、だいたいやり方が強引なクセして腰抜けなマーケティングしてて、人間に好き放題に解釈されて、面倒だからって放っておいてんのよ」

「よく堕天しておらんのう。お主」

「堕天なんて、人間が好きすぎて上司の命令を聞かない奴がなるのよ。天使も悪魔も、基本は神の下請けよ」

「下請けって…まあ、言いたい事はなんとなくわかるけど…ミもフタもないんじゃないのかな…」

 麦が困ったようにシーズに目を向ける。

「まあ、自分達に従わぬ者を悪魔だ魔女だ吸血鬼だと貶めて、実際に悪魔なった土地神など居らぬしな」

「そうなのよね。それで仕方なく他の悪魔や天使が代役やって、呆れ果てた土地神に見逃されたり、気遣って貰っちゃったり」

「そうそう」

 ソルティアの言葉に気軽に同意する。

「内容的に、人間に聞かれていいの?」

 妙に気があったらしき天使と魔女を横目に、シーズに訊く。

「えっと…多分、ダメだと思います。魔界は天界から独立したいから、逆にいいのかな…」

 少し考えるように麦を見上げる。

「…何かな…」

「よいのではないか。今更にお主がバテレンの事を言っても信じぬだろうしな。人間など、自分の信じたい事だけを信じる生物じゃ」

「それを姫様が言うのもどうかな…」

 今は幽霊でも、この中では唯一、普通の人間だった方だ。

「長年、人間を見てるとよくわかるぞ」

 姫様は扇子で口元を隠して笑う。

「麦、この魔女、行く所がないからウチで暮らすわよ」

 唐突にセラフィーナがそう声をかけてくる。

「はっ?なんのコト?」

「んと…よくわかんないけど、お酒の話で盛り上がってた」

 もう鎌は消したカルチェがかくんと首を傾げて言ってくる。

「元々、天使と魔女も敵対者同士なのに、いいのかな…」

「セラフィーナさん。力天使だけど生まれは悪魔です…先祖返りで天使に生まれたって…」

 シーズがぽつりぽつりと言いだす。

「知り合いだったよね」

 初めて会った時に、お互い知っていた。

「いいでしょう」

「いや、ウチもそこまで人は住めないよ。今の部屋も三人で一杯でしょうに」

「大丈夫よ。この姿で居るから」

 黒猫の姿になると、シーズがぱあっと表情を明るくする。

「いや…ペットはいいけど…なんでって、訊いていいですか?」

「まあ、不死者になって魔術を極めようとこんな東の島国にまで来てはみたけど、ほら、今の時代、魔女じゃなくても便利じゃない。時間はいくらでもあるし、君みたいなのも珍しいじゃない」

「僕を観察したい…と」

「ああ、うん。それでいいわ」

 前足をちょいちょいと動かしながら、適当な感じで言う。

「麦さんの寿命は一年です。邪魔はさせません」

 カルチェがずいっと猫の鼻先に指を突き付ける。

「あら、別にいいわよ。一年は退屈しなくてよよさそうね」

 コロコロと猫の姿で笑う。

「ええと…僕の意思はどうでもよさそうだね」

 全員を見回して呟く。

 カルチェは仕事を邪魔されないのでいいらしい。

 姫様は元々、興味がなさそうだ。

 シーズは魔女は怖いようだが、猫はいいようで、セラフィーナは気分はマブダチとなっている。

「わかりました。ですが、人前では猫でいてください」

 すっかりと諦める事になれて念を押す。


「麦ちゃん、皆もドコ行ってたのよ!」

 いつの間にか、一人残されていたこよみが、戻ってきたメンバーを見つけて声をあげる。

「こよみちゃん…シーズが猫を拾ってね。飼って大丈夫かな?」

「猫?」

 シーズの腕の中でゴロゴロと丸くなっている猫に目を止める。

「綺麗な猫ですね。毛並みもいいし、飼い猫とかじゃないの?」

「ん~、じゃあ、保護ってコトで」

「大丈夫ですよ。ペットはOKですから」

 こよみがあっさりと頷くと、少し残念な気もした。

 まあ、ダメと言われても居着く事は決定だろうが。

「シーズが飼うの?名前はどうするの?」

 見た目が幼いシーズには優しい。

「ソルティア」

 小さく答える。

「猫グッズとかは用意してくださいね。壁とかで爪は研がないようにしてくださいよ」

「そんなコト、しないわよ」

 ソルティアが答えると、麦からソルティアへと目を移す。

「今、誰が言いましたか?猫が話したような」

「気のせいだよ。猫が喋る訳ないだろ。あ、何か食べようか」

 頭を捻るこよみを手近な屋台へと連れて行く。

「麦さん、あのアメリカンドッグがいいです」

 何か食べるという言葉にカルチェが反応する。

「ソ…ソルティアさん、話しちゃダメです」

 シーズがこっそりと声をかけると、猫はやけに人間くさく笑う。


「み、見つけました」

 屋台の陰から麦達を見つめる人影があった。

 こそこそと動きつつも、ろくに周囲を見てなかったためか、思い切り屋台のロープに引っかかって顔面から地面に突っ込む。

 屋台の裏側に接着されているというか、置かれている段ボールのゴミ捨て場に倒れ込む。

 バケツをひっくり返しては怒られ、コンロにぶつかりかけて注意され、犬に吠えられたりもしていた。

「なんじゃ?」

「嫌ね。落ち着きのない客って」

「…外国人っぽいね」

 麦達のみならず、道行く人々の注目を集めつつも、本人的にはまだこっそりとしているつもりらしい。

「困るよ。あんた」

 バケツが足にはまって抜けなくなったところの屋台の女性に怒鳴られている間に、麦達は帰路についていた。



5 不死者の娘とやって来た上司


「食べにくいなら人間になったらどうですか」

 テーブルに前足をかけて茶碗を持とうとする黒猫に声をかける。

「ふむ。では、そうしよう」

 黒猫から黒いドレス姿の美女の姿になったソルティアに、箸を差し出す。

「と、箸は大丈夫ですか?」

 渡してから気付いたように訊いた。

 他のメンツが存外すぐに箸に慣れたので、何も考えずに渡してしまった。

「大丈夫よ」

「ごはん」

 朝食の匂いにようやく起き出してきたカルチェとセラフィーナの前に、シーズがお茶碗などを置く。

「お早う。人数が増えたから、少し詰めてね」

「あれ、猫メシじゃないの?」

 からかうように言うセラフィーナに、ソルティアは薄く笑うのみである。

「いくらなんでもそれはないよ。カルチェ、味噌汁こぼさないでよ」

 ごはんをよそいながら注意する。

「すっかりと、お母さんだのう」

 食事を必要としない姫様だけはソファの上でくつろいでいる。

「そこはせめてお父さんで、性別まで変えないでください」

 全員分を用意してから食事を始める。

 三好家を出て一人になった食卓が随分と賑やかになった。

「麦さん、あたしのウインナーがないです」

「えっ?」

 突然に言い出したカルチェに、全員が箸を止める。

「自分で食べたんじゃ…あれ、目玉焼きが消えた」

 セラフィーナが全員の皿を見回す。

「消えたって…ん?」

ぽとりと麦の皿に、卵のしろみらしきカケラが落ちてきた。

 全員がそれの出本を探すように視線を上に移動すると、目玉焼きをがっつくコウモリが居た。

「…コウモリ?」

 誰かの呟きに我に返ったように、セラフィーナが立ち上がる。

「獣ふぜいが、天使の食事を盗るとは、いい度胸だ」

「もしかして、あたしのウインナーもですか」

 カルチェも立ち上がって、コウモリを見上げる。

「キッ」

 目を丸くしたコウモリが、慌てて飛んで逃げようとするが、セラフィーナがいち早く飛びかかり捕まえる。

「キィキィ」

「大きなコウモリだな。というか、コウモリが目玉焼きやウインナーを食べるって…」

 じたばたと暴れるが、がっちりと捕まれていて逃げられないようで、うるうると潤んだ目で見つめてくる。

「獣が、どうしてくれようか」

「キィキィ」

 羽根を引きちぎらんばかりに引っ張るセラフィーナに、命乞いをするかのように鳴く。

「なんか、かわいそう」

 シーズがちょんちょんと麦を見上げる。

「セラ、目玉焼きは僕のをあげるし、逃がしてあげない?」

「目玉焼きの問題じゃない。あたしのごはんを盗ったのが問題だ」

「でも、かわいそう」

 シーズが声をあげる。

「天使さんが簡単に殺しをしちゃいけないのでは」

 カルチェもかわいそうになってきたのか、コウモリを見て言う。

「珍しいコウモリだし、逃がしてあげよう」

「そやつは、コウモリではないぞ」

 一人、のんびりと食事を続けていたソルティアがコウモリを示す。

「はい?」

 全員がソルティアに目を向けると、コウモリは力が弛んだ隙にセラフィーナの手を抜けて、ソルティアの前に着地して、土下座するように地に伏した。

「キィキィキィ」

「うむ。久しいな」

「キィキィキィ」

「さて、知らぬなぁ」

「キィキィ」

「いや、ごめん。なんだか、わからない」

 麦が割って入ると、地に伏したままのコウモリが見上げてくる。

「こやつは、吸血鬼じゃよ。まあ、昼間はコウモリじゃがな」

「…きゅーけつき」

 全員の声が揃った。

 魔女にひれ伏す大型コウモリが吸血鬼と言われても、納得がいかなかったらしい。

「百年ほど前か、私に逆らうような小生意気なガキだったので、昼間はコウモリの姿でいるという呪いをな」

「キィー」

 軽く言うソルティアに、コウモリがすがりつく。

「えっと…もしかしなくても、その呪いを解いてほしくてソルティアさんを探してて、おなかが空いて目玉焼きを…」

 麦のセリフにこくこくと涙目で頷く。

「なっさけな」

 セラフィーナの言葉に、べったりと床に突っ伏した。

「名前は確か…クラム・ヴラドーだったわね」

「ヴラド?って、あのヴラド?」

「いや。ヴラドーよ」

 ソルティアにコウモリが頷いている。

「そ、そう…まあ、ごはん食べる?」

 訊くとこくこくと頷いた。

「麦さんはもう食べないんですか?」

 自分の分を差し出す麦に、カルチェが訊く。

「うん。なんか、もう…大学に行ってくるよ」

 疲れた表情でエプロンを外し、ガバンを取って立ち上がる。

「洗い物は台所にね。後、シーズ、晩ごはん用にお米を準備しておいてくれると助かる」

「わかりました」

 こくこくと頷くシーズに、麦は笑いかけると出て行く。

「…なんか、増えそう…」

 ドアを閉めると、ぽつりと呟いた。

「麦ちゃん、今から大学?駅まで一緒に行こう」

 家を出てきたらしきこよみに声をかけられ、歩きだす。


 短い髪は赤、肌は白くやや丸い目は同じく赤。

 背はそれほど高くなく、カルチェといい勝負だが、スタイルは良く胸元を強調するようなゴシック系の黒い衣装。スカートは短くて動くと下着が見えそうなほどだ。

 膝上までのブーツは即効で脱がされたようで、現在、なぜか吊るされていた。

「えっと…」

 ドアを開けたとたんに入ってきた光景に、麦は沈痛な面持ちでドアを閉めて、少し考える。

「何、今の…」

 見慣れない女の子が居るのは、まあなんとなく誰だかわかったが、何故、吊るされているかは不明だ。

「お、おかえりなさい…」

 ドアが小さく開けられ、シーズが声をかけてくる。

「…ただいま…で、何してるの?」

「えっと…クラムさんが人間になって、セラフィーナさんの上に落ちて…カルチェさんが靴は脱いでと…」

「あ、うん。わかった」

 他の部屋に迷惑かけてんなと思いつつ、部屋に入ると、とりあえずクラムは降ろされていた。

「は、はじめまして。クラム・ヴラドーです」

 す巻き状態で、ぺこりと頭を下げてくる。

「香坂麦といいます。ごはんの準備するから、他の部屋に迷惑をかけないように静かにね」

 現実の直視をやめて、カバンを置いて台所へと向かう。

 居場所がなかったのか、シーズも一緒になって台所に来た。

「む、麦さん…」

「うん。もういいや。どうせ居着きそうだし、茶碗、あったかなぁ」

 すっかりと諦めた調子で戸棚へと向かう。

「で、でも吸血鬼さんです。大丈夫でしょうか…」「ん~、でも、すでに死神やら悪魔やら天使も居るし、それにあの子に人間は襲えそうにないし」

 なんとなくだかそう思った。

 まあ、立場が弱いのは一目瞭然ではあったが。

「それに、一年だしな…」

 なんとなく遠い眼差しで呟くと、シーズは困ったようにオロオロとしだす。

「あ、気にしなくてもいいよ。僕の寿命はシーズが悪い訳じゃないし、なんか…死ぬのも悪くないかなぁ…って、少なくとも、一人じゃないみたいだし」

 まだす巻きのままでセラフィーナに転がされているクラムと、それを笑って見ているカルチェにソルティア、我関せずでソファでくつろぐ姫様を見る。

「まあ、死後、どこに行くかは僕の知るところじゃないようだけど」

「ご、ごめんなさい」

 シーズが謝るのを、ポンポンと軽く頭を叩いて話を終わらせる。

「人数が人数だし、食費が問題かな…」

「えっと…上には掛け合ってみます…」

 視線をそらしつつ、そう言ってみた。


「…まあ、食費以外もだけど…ね」

 湯が半分ほどしかない風呂を見て呟く。

 時間短縮のために何人かで入ってもらっているが、随分と遊んだ後がある。

 すっかりと湯も冷えているので、シャワーで済ませようかと髪をほどくと、鏡に自分以外が映った。

「ソルティアさん」

 素早くタオルを腰に巻き、背後に立った魔女を見る。

「随分と物わかりのいい家主の背でも、流してやろうかと思ってのう」

「結構ですので、出て行ってください」

「まあ、そう言うでないよ。若い男が情けないぞ」

「情けなくていいので、そこから入らないでください」

 風呂場のドアを示す。

「ふむ。変わっておるのう。せっかくのハーレムなのじゃぞ」

「随分とバラエティーにかっとんでますけどね…って、別にハーレムじゃないでしょう。皆、目的は僕じゃないし」

「主の魂か、さて、なぜかのう」

 麦の頭の上から爪先までゆっくりと眺める。

「さあ、僕にもわかりませんが」

「ふむ。少し興味があるのう」

 滑るように風呂場に入ってくるソルティアから逃れる場はない。

「麦さんに手を出さないでください」

 フルーツ牛乳のパックを片手にカルチェが声をあげる。

「カルチェ」

「麦さんが死ぬまでは、あたしが守るんです」

 小さな体からか、ソルティアの横をするりと抜けて麦との間に立って、睨みつける。

「抜けがけは良くないわね。そいつの魂は、ウチのモンだよ」

「ダ、ダメなんです」

 セラフィーナとシーズも入口でソルティアを睨みつける。

「わらわの下僕を、許可なく使おうとするでない」

 カルチェの横に姫様が現す。

 状況はわからないが、全員が集まったので、クラムも風呂場を覗き込んでいた。

「あら、番犬ちゃんだけじゃないのね」

 くるんと黒猫の姿になると、全員の足元をすり抜けて出て行く。

「油断大敵だのう」

 当たりはしないが、扇でぺしぺしと叩くそぶりをする。

「大丈夫です。麦さんはあたしが守ります」

 カルチェが向き直ると、そう力説する。

「あ…うん。ありがとうかな…それでとりあえず、全員 、出て行ってくれる」

 タオルをしっかりと縛り直して、廊下を示すと、その場に居る者が麦を上から下まで見回す。

「ご、ごめんなさい」

 シーズが真っ赤になって出て行く。

「髪切れば、あんた」

 クラムを引きずりながら、セラフィーナも出て行き、カルチェもぺこぺこと頭を下げてから出て行った。

「主は、少し鍛えた方が良いぞ」

「それはいいですから、出て行ってください」

 びしっと扇で示してくる姫様をあおぐようなしぐさで追い出そうとすると、ふわりと姿を消した。

「…ハーレムって、人間が居ないじゃん。すっごく年上か見た目子供しか居ないし」

 ため息混じりに、シャワーを浴びる。


 現在、居候は六人。

 一人は一切の食事などは必要ないのでいいとして、食べ盛りな子供が増えた。

 尤も、見た目がそうでも実年齢は不明である。

 それでも、食べる物にこだわらない質より量な死神と天使はいい。

 文句を言わない悪魔と吸血鬼はもっといい。

 問題はともかく長生きな魔女であった。

「買えませんよ」

 何度目か知れぬ言葉を見えない誰かに呟きつつ、いつの間にか買い物カゴに入っている高級和牛を売場に戻す。

 数メートル歩くと、再びカゴにメロンが入っていたり、レジ直前で本マグロのパックに気付いて列から逃れるという事を繰り返す。

 商品を戻すたび、耳元で舌打ちらしきものがするが、知らん顔をしておいた。

「麦さん、これがいいです」

 一緒に来ていたカルチェが安いチョコ菓子をカゴに入れる。

 三十分以上悩んで、金額に負けたらしい。

「ビールもダメです。僕、まだ十九ですから」

 成人式は終えてるし、普段は二十歳の方が言い易いのでそうしているが、後三ヶ月は十九歳である。

 免許証も学生証も酒は買えない。

「なんじゃ、お主、まだ子供なのか」

「姫様、意外に現代的ですね」

 近くでふわふわとしている姫様を見上げる。

「姫様の生きていた時代じゃ、十分に成人ですよね」

「うむ。いい年じゃな。だが、現代の二十歳など、昔の成人よりも子供ぞ」

「まあ、そうかも知れませんね。戦国時代と同じにされても困るけど」

「麦さん、これオマケしてくれました」

 魚の包みを持ったシーズが少し誇らしげに言ってくるので、頭をなぜてみる。

 ちなみにセラフィーナとクラムは留守番である。

 昼間コウモリのクラムは外に出れないし、セラフィーナはそんなクラムがすっかりとオモチャにしている。

「カルチェ、これ戻してきてくれる」

 気付くと入っているマンゴーを渡す。

「んと…足りるかな」

 カゴの中の量と金額を確認する。

「なんじゃ、カードとかは持ってないのか」

 耳元でソルティアの声がした。

「保証人も居ない学生ですから」

 そう言うと、しっかりとカゴの中を確かめてレジに並ぶ。

「にしても、お金、おろさないとなんないな」

「こ、これで足りますか」

 ぽつりと呟いた麦に、シーズが猫柄のサイフを差し出す。

「あ、いや。お小遣いは貰えない。必要経費はだしてほしいけど」

「必要経費なら出すが」

 不意の声に後を見ると、三十代半ばといったスーツ姿の男性が、麦のカゴの中を確認していた。

「えっと…どちらさま?」

 麦がかくんと首を傾げる横で、シーズと姫様も首を傾げている。

 ソルティアの姿は見えないが、何も言わないのは彼を知らないからだろう。

 ただ日本人ではないのはわかる。

 妙に気難しそうな白人男性。

「私は…」

「げっ、課長」

 スキップでレジにやってきたカルチェが男性を見て声をあげた。

「課長?」

 全員が声を揃え、男性の方はカルチェの元へと歩み寄ると、思い切り紙の束で叩き伏せていた。


「当面の生活費だ」

 テーブルに置かれた封筒と、目の前の男性、そしてその横でひたすらに小さくなっているカルチェとに視線を移す。

「えっと…」

「失礼、こうゆう者だ。部下が迷惑をかけている」

 一枚の紙を差し出す。

「あの世、魂回収課課長、鬼頭さん。ですか」

 名刺も二度目なのでつっこむ事はなかった。

「キドウではなく、キトウという。やはりフリガナをつけるべきか」

「そうですね」

 なんとなくで同意してしまう。

どう見ても白人男性の名前が鬼頭なのはスルーしておいた。

「な、なんで課長が…現世に」

 おそるおそるという感じでカルチェが訊く。

「仕事のできない部下が居てな」

 表情一つ変えず、正面を向いたまま言いだす。

「し、仕事のできない部下…」

「そう。当分の経費を受け取って行けと言ったのに、忘れるような部下でな」

「あ、あたし、ちゃんと経理で…その…受け取りました…けど…」

 自分を見ない冷たい視線に、どんどん言葉が小さくなっていく。

「ちゃんと?」

 先程、カルチェをはたき倒した紙の束を示す。

「あ、あの…書類もちゃんと書いて…」

「どの書類だ?」

 変わらぬ氷点下の物言いに、カルチェは紙の束を取る。

「えっと…これ」

「全部、必要な書類だが」

 見つけたとばかりに差し出した一枚以外を示して、無表情に言い捨てた。

「えっと…その…こ、これだけじゃ…」

「全然、足りなかったな。不足だ。無能だ」

 無表情に言い捨てる。

「あ…あの…」

 麦がどんどん沈んでいくカルチェを見て、口をはさむ。

「何かね」

「つまり、カルチェが書類不備で出なかった必要経費を、わざわざ持ってきてくださったと…」

「遅くなって申し訳ない。本当に使えない部下で、経理部からの連絡がこなければ気付かなかったところだ」

 淡々と語る鬼頭に、麦はあいまいな返事をするばかりだ。

「うう…ごめんなさい」

 テーブルにつっぷして、カルチェが誰となく詫びる。

「あ、あの…質問していいですか?」

「答えられる事ならな」

「なんで、カルチェなんですか?」

 麦の質問にカルチェが固まり、鬼頭も少し考えるようにカルチェに視線を向けた。

「使えない部下で申し訳ない」

「あ、いや、そうゆう意味じゃなくて、なんでカルチェが僕の寿命まで付き合うのか、一年って、普通なんですか?」

「それは、異例であるとしか答えられない。ちなみに、君にこの使えない部下が付く事になったのは、手が空いていたのがこの者だけであっただけだ」

「本当、久々に現世での仕事です」

「普段、何をしておるのだ?お主」

「お掃除とかお茶汲みとか、コピー取りとか」

「それも大半は失敗しているがな。本来は別の者を付ける予定というか、見守らせる予定だったのだが、君の行動が早く、他の者を呼び戻す時間がなくてな」

「ふむ。麦の自殺の時期が悪かったのだな」

 姫様の言葉に、カルチェが沈む。

「先程、異例と言いましたが、僕の寿命ですか?自殺ですか?」

 麦の問いに、鬼頭はわずかに眉根を寄せて考えた。

「答えられない」

「自殺なんて、普通は止めませんよね。予定外の死にはなりますけど、わざわz死神を派遣してまでは止めませんよね」

  麦の横で大人しくしていたシーズがそう問いかける。

「そうねえ。死神の役目は宗教に関係なく、寿命の管理よね。人間の前に姿を現すなんて、ないわよね」

 セラフィーナも話に加わって、鬼頭を見る。

「正直、上がなんで人間の魂を必要としているかなんてわからない」

「麦さんの魂、何かあるんですか?」

 二人も真っ向から鬼頭を見据えた。

「知ってどうするのかね?君達も上の命令は絶対ではないのかね」

「天使だからね。でも、言いなりは嫌なのよね」

「麦さんは、死ななくてはならないのですか」

「答えられない。私の権限では知らない事だ」

「課長…」

「あら、嘘がお上手」

 麦の背後にソルティアが現れると、わずかに視線が鋭くなる。

「不死者の魔女…」

「吸血鬼も居るわよ。あたし達みたく、この子の寿命を奪ったらどうするのかしら」

「待ってください。課長」

 動きかけた鬼頭をカルチェが止める。

「なんだ?」

「ソルティアさんは死ななくなったから、あたし達は干渉できないんですよね。姫様みたいな古い霊は強制回収の対象ですけど…」

「うむ」

「えっと…ソルティアさんを狩るのは違反では…」

「例外はある。仕事の邪魔な場合は処分対象だ。不死者を増すなど、あってはならない」

「えっと…僕の部屋で血生臭い事は止めてもらえます」

 頭の上で睨み合うソルティアと鬼頭をとりあえず止める。

「あたしは元々、殺り合う気はないわよ」

 ひらひらと手を振り離れるソルティアと、襟首を離されて慌ててソファーの陰に隠れるクラム。

「寿命はまあ仕方ないとして、僕が死ぬ時はカルチェが連れて行くと」

「いや、別の者を派遣しよう。天使や悪魔相手に、カルチェでは君を守れない」

「あ、あの…」

「それは、お断りします」

 カルチェが何か言う前に、麦がきっぱりと言い切る。

「なぜだね」

「セラもシーズもまあ、無茶しなさそうだし、今更、カルチェが居なくなって新しい子だと、大家さんに説明がつかない」

「雑務はこちらで処理しよう。どうせカルチェは何もしなかったので迷惑をかけただろうが」

「うぐっ」

 胸元を押さえてカルチェが呻く。

「ええ、まあ…でも、必要ないです」

「麦さん…」

「なぜかね?もっと有能な部下なら、このような者達を近付かせないだろう」

 ざっと室内のメンバーを見回す。

「ですから、必要ないです。後一年でしょう。彼女達はもう家族なんです。一緒に食事して、暮らしる家族なんです。一年なんだから、もう一人で居たくはないんです」

「家族…人間でもないものが…」

「家族です」

 麦はしっかりと鬼頭を見据える。

「何を言って…」

「一年、僕を守るとカルチェは言いました。僕が死にたくなったのは、一人だったからです。死にたくなりますよ」

「いや、しかし…君を守るには…」

「家族を失ったら自暴自棄になりますよ」

「ならば、魔女と契約をしてみるか?主が望むのなら、生も死も自由だ」

 黒猫の姿のまま、ソルティアが言うのを、鬼頭は冷たく見下す。

「今の僕には家族です。今更、別の人を家族とは思えません」

「む、麦さん…」

「そうね。上の命令がくるまで家族ごっこも悪くないわね」

 セラフィーナの言葉に、シーズも頷いている。

 姫様はふわふわと浮いているだけだが、扇で口元を隠している。

「…君の協力なしには、大人しく死んではくれないのだろうな」

 全員を見回して鬼頭が深くため息をつく。

「全力で逃げるかも、目を盗んで不死者にでもなってやります」

 麦が黒猫を膝に乗せて言い切る。

「仕方あるまい。カルチェを引き続き置いていこう。これは受け取るのだろう。受け取って貰わなくては困るのだが」

 テーブルに置きっぱなしの封筒を示す。

「まあ、生活費は貰っておきます。全員で餓死とかシャレにならないですしね」

「うむ。では、私はこれで失礼する」

 時計に目を向けて、さっさと帰路についた。

「あら、随分とあっさりね。あんたの上司」

「まあ、終業時間ですし…」

「役所仕事なんだ…必要経費か」

 封筒を開けると、新札が束で入っていた。

「こんなに、えっ、いいの?」

「えっ、あ…はい。大丈夫です」

 書類を確認して、カルチェが頷く。

「当分と言ってたけど…」

「えっと…三ヶ月ですね」

「あら、いいわね。もっといいお肉、買って来なさいよ」

 膝の上で黒猫が札束に手を伸ばす。

「待ってください。一応、必要経費なので、家計簿をつけます」

 カルチェがノートを取り出す。

「…えっと…つまりは…」

「えっと、麦さんが必要とする物のみで、不必要な物…ぜーたく品はダメですね。これは一応三ヶ月分としてですけど、今までの麦さんの生活に照らし合わせて、不明金は返却です」

 書類を読み上げる。

「えっと…あるからって、好き放題に使えないと…返却って、どうやってするんだろう…」

「多分、死んでからの借金って事になるんじゃないでしょうか…あたしの給料も減るでしょうし」

「死後の世界に借金っていうか、お金あるの?」

「お金はないですけど、まあ、わかりやすい感じで言ってみました。でも、借金返済する人は居ますよ」

「…いいお肉はダメです」

 想像はつかなかったが、借金というものはなんとなく嫌な予感しかない。

「でも、それは麦さんとカルチェさんの生活費ですよね」

 シーズが言う。

「えっと…麦さんが必要とする分には、皆さんの食費も大丈夫みたいです。ここに家族可とありますし」

「そうね。家族よね」

 セラフィーナがバンバンと麦の背を叩く。

「えっと…じゃあ、早速、使わせてもらおうかな」

「何にじゃ?」

 姫様はたいして興味なさげに、聞き返す。

「うん。どこかに食べに行こうかなって、人数も増えたから切り詰めなきゃと思ってたけど、ソルティアさんとクラムの歓迎会を兼ねて、ファミレスとかになるけどね」

「あたし達の時は大家さんがしてくれましたしね」

「ふむ。良いぞ。その心掛けは良い」

 人の姿になったソルティアが大きく頷く。

「わ、私も、ですか…」

 人間の姿になったクラムが訊いてくる。

「うん。まあ、行く所もないのなら、家族でいいんじゃないかな」

 麦が言うと、だばっと涙を流しだす。

「えっ、あの」

「嬉しいです。えっと、こうゆう場合は、ふつつか者ですが、よろしくお願いたします」

 深々と頭を下げるクラムを、やや困ったように見る。

「ま、いっか。行こうか、皆」

 そう言うと、全員が頷いた。



 6 はぐれ魔族の歌


「うううううっ」

 呻き声に手を止める。

 こちらが気付いたからか、ぴたりと声は止まった。

 気のせいと思い、再びペンを紙に走らせると、再び低い女の呻き声がした。

 手を止めて振り返るが、誰も居ない。

 ごくりと息を飲み、手にしたペンを再び紙に置くと呻き声。

「…姫様!大学のレポートですから、止めてもらえませんか」

 虚空に声をかけると、呻き声はぴたりと止まり、ふわりと赤い着物姿が現れる。

「なんじゃ。仕事ではないのか」

「いや、〆切は終わりましたから、本当、止めてもらえます」

 辞書に隠れるように机に突っ伏す。

「ふむ。ほらぁとやらに協力してやろうとゆうのに」

「いや、ちょっと助かってますけど…本当、このレポート、朝までに仕上げたいんです」

 ため息混じりに教科書をめくる。

「あ、あの…コーヒー」

 ドアをノックすると同時に声がかかる。

「あ、ありがとう。シーズ」

 ドアを開けてコーヒーを受け取る。

 リビングではテレビを見てるカルチェ、セラフィーナ、クラムが何やら笑いたいのを我慢しているようだ。

「あ、ご近所迷惑にならない程度になら普通にしてていいよ。僕はうるさくされても平気だから」

 声をかけると、三人は顔を見合わせてから、爆笑を始めた。

 その声に、ソファーでくつろいでいた黒猫がひょいと場所を移していた。

「シーズ、後片付け頼んでいいかな。レポート、夜通しでなら終わるだろうから」

 言うと、シーズはこくこくと頷く。

「じゃあ、後はよろしく」

 ドアを閉めると姫様が机の上を覗き込んでいた。

「姫様も、皆と一緒に居たらどうですか?」

「邪魔かのう」

「いえ、姫様は気配ないですし、視界の隅にさえ居なければ」

 わかっていても怖いのである。

「うむ。ならば、眠らないように、見張っていてやろう」

「はあ…ありがとうございます」

 なんとなくで礼をのべると、机に戻る。


「麦さんはああ言ってましたが、やはり静かにしましょう」

 笑い転げていたカルチェが真面目な顔に戻って二人に言う。

「そうですね。にしても、日本の番組は面白いです」

「だろ。これ、これがいいんだよ」

 セラフィーナは寝室の方に移動して、クッションの中で丸くなる。

 シーズは台所で片付けを始めていた。

 平凡とは少々違うかも知れないが、平和な日常であった。

「えっと、朝ご飯の準備もしておかないと」

 洗い物を終えて、シーズが米びつに目を止める。

「シーズ」

 呼び声に顔を上げるが、近くには誰も居ない。

 気のせいかと思うと再び呼び声がした。

「…誰ですか?」

 よくよく耳を澄ますと、それが男性の声とわかる。

 声が小さいというより、別の場所からの声なのだろう。

 同じ悪魔か、それに近い者の呼び声だ。

「シーズさん、出かけますか?」

 玄関に向かうシーズにクラムが声をかける。

「はい。少し、出てきます」

 夜でも黒い日傘を手に、シーズは外に出ると声を感じる方へと歩きだす。

 アパートより少し離れた空き地、売り地の看板の下にそれは居た。

「あのう、私を呼んだのは、あなたですか?」

 しゃがみこんでそれに声をかける。

 大きさは猫よりも小さく、闇が固まっているようにしか見えない。

 形は丸というよりも少し潰れたまんじゅうにも見える。

「シーズ」

 見かけに反して、やけに渋い壮年の男性のような声でシーズの名を呼ぶ。尤も、どこにも口はないし目もない。

 闇の塊みたいなまんじゅうが、ぷるぷるとしながらシーズを呼んでいるだけである。

「私がシーズですけど…」

 声をかけるが、耳のないそれは音も聞こえてないのか、ぷるぷると震えているだけである。

「悪魔じゃないですよね…」

 様々な姿形の悪魔は居るが、このような姿は見た事も聞いた事もない。

 近いものをあげろと言うと、ゲームに出てくるスライムのようだ。

「でも、私を呼ぶなら、魔界の何かでしょうか」

 とりあえず持ち上げようとするが、重くはないのだが弾力性がないために、べちゃりと手をすり抜けて地面に落ちる。

 地面にべちゃりと広がるが、すぐにまんじゅう型に戻る。

 つつくとずぶりと沈み込み、つまもうとするがほぼつまめない。

「…水でしょうか…」

 ぷるぷるするそれを困ったように見回し、日傘に目が止まる。

「これならどうでしょうか?」

 返事はないとわかってはいるが、なんとか広げた傘の中にそれを入れると、ぷるんとまんじゅう型に落ち着く。

「でも、どうしましょう。麦さんに迷惑になるでしょうか」

 それでも放ってはおけず、アパートへ戻った。


「何、このゼリー?」

 朝起きるとボールにコーヒーゼリーみたいなものが入っていた。

 いや、コーヒーゼリーより黒くて、なぜか触れてもいないのにぷるぷるとしている。

 間違っても食べ物とは思えない。

「お早うございます。麦さん」

「お早う、シーズ。これ…」

 とりあえず、自分以外に台所に立つのはシーズである。よってこのゼリーのような物体については彼女に訊くべきだ。

「あ、あの…それは…」

「魔族のようじゃな」

 シーズではなく、冷蔵庫の上で丸くなっていた黒猫が言う。

「まぞく…えっと、スライム?」

 今一つ知識がないのか、知っているそれらしき名を口にしてみる。

「えっと、よくわからないんですけど、私の名前を呼んでいたので…ごめんなさい」

「いや、別に害がないならいいけど、さすがにこれは人目には…」

 黒猫のソルティアや日中はコウモリのクラムはともかく、意志疎通もできなさそうな物体はペットには見えない。

 それ以前に生物でもない。

「今日中に魔界の方に引き取ってもらいますので」

「うん。できれば、早めにしてほしいかな…朝ご飯作るから、別のトコに持って行ってくれる?」

 邪魔というほどの量ではないが、なんとなく見てると不安になる。

「人間の本能に、魔族は訴えるからのう」

「そうゆうものなんですか」

 ソルティアを見上げて、麦は軽く小首を傾げる。

「魔族は悪魔と違い、自然発生だから、アレは人間の本能的な畏怖からできるモノだ」

「そうなんですか…」

 よくわからないという感じで、人数分の卵を取る。

「ああ、私は目玉焼きはいやよ」

「今日はスクランブル・エッグです」

 ボールを取ろうとして、一つしかない事を思いだし、小さめの鍋に卵を割り入れた。


「あの不気味な生物、何?」

 不機嫌そうに玄関に置かれたボールを示す。

「魔族の方みたいです」

 シーズもよくわかってないという表情で答える。

「なんで魔族が家にあんのよ」

 セラフィーナは全開で気に入らないらしく、ジロリとシーズを見ている。

「えっと…昨夜、呼ばれたものですから」

「まあまあ、少しは我慢しようか、朝ご飯だよ」

 つかみかかりそうなセラフィーナを止めて、朝食を並べ始める。

「クラムさんは、ここでいいですか?」

 朝になるとコウモリになってしまうクラムを、クッションの上に置き、小さな台にご飯を置く。

 スクランブル・エッグ以外はほぼ生野菜か果物だけである。

「キィ」

 言葉も喋れなくなるがよいらしい。

「まあ、魔族など人間ぐらいしか影響せぬよ」

「えっ、処分しますか」

 すちゃっと鎌を手にしたカルチェを止める。

「ご飯、食べちゃってね」

「はぁい。麦さんの分は?」

 一人分少ない朝食を見て訊く。

「僕はすぐに出るから、食器は片付けておいてね」

 言うなりカバンを取り出て行く。

 一度、ボールの中身に怯んだが、ほとんど逃げるように出て行くのを見送る。

「レポート、完成しなかったのかしら?」

「ほぼできておる。ただ、少し資料が足りなかったようじゃな」

 ふわりと降りてきた姫様が答えた。

「だ…大丈夫かな。体、壊さないでしょうか」

「人間、一晩ぐらいでは死なぬぞ」

 姫様に言われて、カルチェはとりあえずのようにご飯を食べる。


「あ、あった」

 資料を見つけて、レポートを完成させると、すぐ目の前の席に居た人物に目を点にした。

 大学の図書館というよりも、大学に隣接している図書館という感じなので、一般の人も居る事がある。

 朝早くは学生自体が少ないので、人が居る事に驚いたのだが、その人物が知っていた顔であり、誰なのかに気付いて一瞬、目が点になったのである。

「えっと…鬼頭さん…ですよね」

 一応、確認を取ってみる。

「うむ」

 こちらがレポートを完成させるのを待っていたのか、鬼頭は持ち込んできたらしき書類を置いて、麦に目を向ける。

 どう見ても白人男性だが、あまり違和感を感じない。

 自分以外も司書などが居るが、鬼頭に関しては気にしていないようだ。

 その外見に反して、意外と存在感がない。

「あ…あの、何か用ですか?」

「用がなければ、現世には来ないが」

 死神の上司なのだから、本人も死神なのだろうが、彼は普通にスーツ姿である。

 黒スーツや黒ネクタイなどではなく、紺のスーツに同色のネクタイ、間違ってもドクロのモチーフなどの品は身につけていない。

 中間管理職的ビジネスマンだ。

「どのような、ご用件で…」

 レポートとペンケースをカバンにしまう。

 逃げる準備完了。

「少々、困った事案が起きてね」

 ごく自然な口調で話しかけてくる。

「こ、困った事案…僕に関係しているとか…」

「いや。君には関係していない」

 なぜか書類に目を落としながら答えてくる。

「じゃあ、なぜここに?」

 なんじゃあ、そりゃぁというつっこみを飲み込み、腰を浮かせたまま問う。

「君ではなく、君の元に派遣されている悪魔が関係している」

 目当ての書類が見つかったのか、一枚、麦の前に差し出してきた。

「シーズ?」

 文字はわからないが、写真というか絵がシーズだ。

 椅子に座り直し、鬼頭の説明を待つ。

「……あの、シーズに何が」

 二分ほど沈黙を守ったが、黙々と処理をしている鬼頭に声をかける。

「ん、ああ。この悪魔が処分対象として、検討されているようだ」

 サインをした書類を見せてくる。

「すみません。何語ですか?これ」

 見てもわからないので、素直に訊いてみた。

「ああ、人間には読めないか」

 何かを探している素振りに、なんとなくノートを差し出すと、日本語を書き始めた。

「本来、人間には見せる物ではないが、家族に何かあれば、なのだろう。私がドコで仕事するかは、決められていないしな」

「…ありがとうございます」

 ざっと文字を頭に叩き込み、すぐに破り捨てると、鬼頭の姿は消えていた。

 ただ、シーズの絵がある書類だけは手元に残った。

 図書館を後にすると、早くに来ていた友人にレポートを頼み、そのまま家へと戻る。


「あれ、麦ちゃん、忘れ物?」

 アパートへ急ぐ麦に、すれ違ったこよみが話しかけてくる。

「あ、お早う。こよみちゃん」

「今日は皆、早いのね」

「皆?」

「シーズだっけ、あのゴスロリ子も出掛けたわよ」

 こよみが示した方角に目を向けると、走り出す。

「麦ちゃん!」

 後でこよみの声がしたが、答える余裕はなかった。


 死神は全ての魂を扱うらしく、部署によっては天使や悪魔も例外なく扱っているようである。

 人間の魂を回収する鬼頭の部署は関わらないが、一応のように麦が家族と言った者達の情報を集めたようだ。

 それでも、他部署の仕事で、部外者には見せてはならないものだろうが、鬼頭は気分転換に仕事場を変えて仕事をしていただけであったようである。

 カルチェを通じて報せなかったのは、下っぱのカルチェが見ては処分されかねない事案であった事と、人づてでは遅い事、カルチェが今一つ仕事ができない事があったのだろう。

「あ、麦さん」

「カルチェ」

 走り寄ってきたカルチェは、正直、頼りになる方ではない。

「シーズは?」

「シーズさんなら、あの魔族を魔界に送り帰すとかで、出掛けましたよ」

 呑気に答えてくるカルチェに、麦は微妙な表情になる。

「魔界って、どうやって行くの?」

「さあ、魔界の場所も知らないですし」

 かくんと小首を傾げる。

「あ、そう。えっと…」

「魔界に行くだけならドコでもよ」

 ふわりと目の前に降りてきたのはセラフィーナだ。

「別にドコかに道がある訳じゃなく、ココにドアを開けるみたいな感じよ」

 ノブを回すような仕草で説明する。

「便利なんですね。あたし達は回収車なのに、乗り遅れると置いていかれるんですよ」

「っていうと、ドコからでも帰れるのか…」

「ん~、でも、魔界となると人目にはつきたくないんじゃないかしら、天界だってそうだからわざわざ上でドア開けるし」

「…シーズって、飛べるの?」

 セラフィーナの翼も人間サイズが飛ぶに小さいが、実際には飛べるが、シーズの羽根は飾りのように小さく、飛ぶのを見た事がない。

「ん~、飛んでるのは見た事ないから無理なんじゃない。あの子は先祖返りでもあるし」

 昔から知っているセラフィーナでも見た事がない。

「じゃあ、人目につかないトコかな」

「にしても、大学へ行ったのではないのか」

 姫様が話しかけてくる。

「あの娘に何かあったのかのう」

 近くの塀の上に黒猫とコウモリが居た。

「あの魔族、シーズを狙ってるんだよ。あの子を狙ってきたんだ」

「なんで、麦がそんな事知ってんのよ」

「情報ソースは内緒で」

 明かしてもいいのだろうが、なんとなくで黙っておくことにした。

 彼が何か処罰させるかもというより、なんとなくカルチェには報せない方がいい気がしたのだ。

 単に、連帯責任になる気がした。

「意外と気の良いいい人というより、単に状況判断的にかしら」

「まあ、いざって時は、だろうのう」

 セラフィーナと姫様がちらりとカルチェを見るが、カルチェ自身はわかってないようである。

 隠そうとしても、他に魔界に対する情報を入手できる場所などないのだからバレバレなのであろう。

  カルチェは本気でわかってないようだが、クラムもこくこくと頷いているぐらいだ。

「ともかく、シーズを助けたい」

「具体的に、どう狙ってるっていうの?」

 セラフィーナが剣を手に取る。

 戦いに関しては、彼女が一番なのだろう。

「処分対象の悪魔を喰らう」

 読んだ事柄をそのまま口にする。

「処分って、シーズさんがですかぁ!なんで、処分なんて」

「麦を回収してないからかしら」

 ちらりと麦とカルチェを見る。

 麦をそれぞれの陣営に連れ帰るのがシーズとセラフィーナの役目。

 麦を守るというカルチェに押されてか、現在は一緒に暮らしているような状態だ。

「まあ、天界はそう急いでないみたいだし、本当に必要なら死神の方にゴリ押しするだろうから、意外と呑気だけど」

「魔界はそうもいかぬのかもな。あやつ等は、天界から独立したくて仕方ないだろうから、天界が主を必要としているから、横取りを考えて送ったのが、アレじゃなぁ」

 ソルティアが猫の姿のままで、器用に肩をすくめてみせる。

「天界から独立…」

「当たり前よ。なんだかんだといって、悪魔なんて神にとっての必要悪だもの」

 セラフィーナが軽く頭を横に振る。

「そんな事はどうでもいい。今のシーズは僕の家族だ。彼女が居なくなったら、誰が食器を片付けたりしてくれる訳だ」

 麦の言葉に、姫様以外の全員がそっぽを向く。

 家の手伝いをしていたのはシーズだけだ。

「シーズさん、助けにいかないとなりません。家族ですし」

「そうだな。処分して別のが使える悪魔とは限らない。家族として」

「魔界の者には少しわからせなくてはなるまい。家族は守らねばな」

「家族でいいんですね」

「主等、そこまで家事が嫌かのう」

 家事は一切できない姫様は気楽なものである。

「でも、シーズさんはドコに」

「シーズさんの匂いはわかります。大丈夫、こっちです」

 バサッと大きく羽根を広げてコウモリが飛び立ち、数メートル先でぽてちんと落ちた。

「クラム!」

「ひ…日射しがきついです」

「まあ、太陽では死なぬがのう」

 ぴくぴくとしているコウモリをくわえ、麦へと投げる。

「案内だけせい」

「あ、あっちです…」

 小さな手で飛ぼうとした方向を示す。

「匂いって…どんなんだ?」

「シーズさん、甘い匂いがします。砂糖ぽい匂いです」

 コウモリが力一杯に言い切る。

 そのコウモリを小脇に抱えて、麦は微妙な表情になる。

 カルチェとセラフィーナは自分で追うが、ソルティアは麦の肩にちょこんと乗っかっている。

 姫様も一応のように後について来ていた。

「家族を、今度こそ家族を守らなきゃ」

 骨の形をしたペンダントを握り締めて呟く。



 7 始まりの日


「この辺りでよいでしょう」ボールを抱え直して、シーズが辺りを見回す。

 人の気配も姿もない。扉を開くには丁度良さそうな場だ。

 ぷるぷるとボールの中でコーヒーゼリーのような魔族が揺れていた。

「今、魔界に戻しますね」

 漆黒のロリータ衣装には似合わない木の根のな物を取り出す。

「シーズ」

「はい?」

 呼ばれてボールの中へと視線を向けると、ぷるぷるとしていた魔族が突然に広がってシーズを包み込もうとする。

「な、なんですか?」

 手にした木の根を思わず投げつけると、それをがぱっと飲み込んで地面にベタんと広がる。

「あ…あの…」

 黒い水溜まりのような状態の魔族を覗き込もうとした時、ポコリと泡立ちはじめ、顔のようなものが持ち上がり、目らしき部分がシーズに向けられる。

「シーズ、処分」

 はっきりとそう言うと、がばりと大きく広がりシーズを飲み込もうとする。

「なんか、キモイ!」

 声と同時に、剣が魔族を斬り裂く。

「セラフィーナさん?」

 白い翼がバサリと閉じ、剣をかついだセラフィーナがシーズを見回す。

「ん、無事みたいね。今のは魔族でいいのよね」

「は、はい」

 ろくに確かめずに斬りかかったので改めて左右に視線を移すが、斬られた黒い膜のようなものは、にじにじと近付きたぷんとスライム状に戻ってくっついた。

「なんか、不気味です」

 さっくらとスライムに鎌を突き刺すが、ぐにょんと刃を飲み込みながら這い上がってくる。

「あっ、きゃ、きゃ」

 思わず手を放すと、鎌を全て飲み込んだスライムは再びまんじゅうのような形になった。

「あ、あたしの鎌、仕事道具を返してください」

 空の手を見て、声を上げる。

「スライムって、斬れないのか…」

 コウモリと猫を抱えた麦が、困ったように呟く。

「麦さん」

 シーズが全員を見回して、不思議そうにスライムを見つめる。

「ふむ。スライムは尤も厄介な魔族だからね」

 麦の手を離れて、元の姿に戻ったソルティアが呟く。

「あ、あの、これ、は?」

 状況がまだわからないのか、認めたくないのか、シーズが訊いてくる。

「処分対象になってるのだよ」

 ふわりと姫様が舞い降りてくる。

「私が…処分…」

 全員とスライムを見比べる。

「邪魔も処分!」

 スライムがガバッと広がり、カルチェを狙うが、剣が再び斬りつけるが、途中でぐるんと剣に巻き付いた、

「ちょっ、放しなさいよ!気色悪いわね」

 鎌のように飲み込めないようだが、うごうごと蠢いて剣を包み込もうとする。

「気色悪いって、言ってんのよ!」

 剣が光ったと思うと、スライムは大きく間を取った。

「さすがは天使だのう。しかし、あまり効いてはおらぬようだぞ」

 ソルティアの言う通り、怯みはするものの、ダメージを受けているようには見えない。

「あーもう、面倒ね」

 セラフィーナがバサバサと翼動かす。

 どうやら苛立っている時のクセらしい。

「鎌、返してください」

 手近な石を拾って投げるが、次々と飲み込まれていくだけだ。

「麦、もうシーズ連れて隠れててよ」

「で、ですが」

 ようやく状況が飲み込めたのか、シーズが前に出ようとするのを麦が止める。

「ダメだよ。君は、僕の家族なんだから」

「で、ですが、私が…」

「主が居なくなると、麦の方が大変そうじゃよ」

 姫様が扇で叩くふりをする。

「大丈夫ですよ。はぐれ魔族の一体ぐらい。天使は強いですよ」

 コウモリなので何もできないクラムが、シーズの肩に止まる。

「まあ、いいんじゃないの。悪魔は逆らうのが本能。アンタは麦の家族になるっていう契約でしょう」

 ソルティアがくすくすと笑いながら、シーズを見る。

「えっと…」

「契約でもなんでもいいよ。僕は家族を失いたくない」

「は、はい」

 こくこくと頷き、麦の手を取る。

「鎌、返してください!」

 カルチェは変わらず鎌を取り戻そうとしているのか、さらに大きな岩を投げつけている。

「カルチェ、ヘタに鎌に当たると折れない?」

 本気で言っている訳ではないが、セラフィーナの言葉にブロックを持ち上げたまま固まった。

 多分、すでに鎌は存在しないだろうが、カルチェは飲まれたのなら取り出せると思っている節がある。

「場所を変えようぞ」

 ソルティアが猫の姿で麦の肩に乗る。

「えっ?」

「契約をするのじゃ。魔界の者もその娘の魂を得られる契約をすれば、処分は見送るだろう」

「それ、困ります」

 まだブロックとスライムを見比べていたカルチェが声をあげる。

「そうよ。抜け駆けもはなはだしいわ」

 スライムを牽制しているセラフィーナも文句を口にする。

「あら、悪魔を騙すのも、一流の魔女よ」

 自信たっぷりに言うソルティアに、二人は瞬間に頷いた。

「こっちが良いぞ」

 道の先で姫様が手招きするので、麦はシーズの手を引いて走り出した。


「まずは、契約書だのう」

 人気のない路地裏、塀の上で猫がシーズに言う。

「は、はい」

 何もない空間から紙を取りだした。

「いや、羊皮紙って、やつか?」

 紙にしては分厚く、手触りが悪い鞣し皮だ。

「まずは契約書の内容をじゃな」

「このインクをどうぞ」

 コウモリが赤いインク瓶を取り出し、羽根ペンをシーズに渡す。

「お借りします」

 赤インクで羊皮紙にソルティアの言う通りに文字を綴る。

「…英語じゃないよね…」

 覗き込んだ麦が眉根を寄せる。

「ラテン語じゃな。古い文法故、人間にはわかりづらいか」

「ごめん。まったくわかんない」

「おっと、そこで一端、区切って」

 羊皮紙は書きづらいのか、一文字一文字を確かめるように書く。

「さて、後は主がサインをするのじゃ」

「これで」

 クラムが黒インクのボールペンを差し出してきた。

「えっと…これで……なんていうか、イメージが…」

 悪魔との契約。

 赤インクで綴られた古い羊皮紙の契約書。

 なのに自分は普通にボールペンである。

「しかも、これ消えるボールペンだろ。アリなの?」

「魔界の者は知らんよ。人間界の技術など」

「でも、こうゆうのって、血とかでするんじゃないの?」

 詳しくは調べた事はないが、イメージ的にそう思っただけだ。

「血の拇印でもしておけば良いよ」

 ぽんぽんと打って響くようにクラムが朱肉を差し出す。

「あ、でも、ラテン語なんて書けないよ」

「漢字でもいいですよ。本人がサインしたとわかればいいので」

「…なんかだね…」

 イメージ的にはかなりズレてるが、名前を書いて朱肉で拇印を押して、シーズに渡す。

「契約、完了です」

 確かめて、羊皮紙を丸めると、それは青白い炎で燃えあがった。

「へっ?何?今のって」

「魔界へ送ったんです」

 シーズが言うと猫とコウモリも頷いている。

「これで、あのスライム…魔族は止まるのか?」

「はて、どうじゃろ」

 塀の上で丸くなった猫がヒゲをいじりながら言う。

「アレははぐれ魔族、すぐに命令が届くか」

「のう。少々ヤバいようだぞ」

 戦いの方を見ていた姫様が飛んでくる。

「シーズ、ここで待ってて」

 シーズと猫とコウモリを置いて、空地へと足を向けた。


「ちょっと、なんなのよ!こいつ」

 翼を大きく広げて空に逃れたセラフィーナが文句を口にしまくる。

 天使が魔族に後追いさせられたのだから、苛立ちが最高潮らしい。

「カルチェ!」

 姫様と一緒に空地に着いた時、空地をおおいつくすスライムが居た。

 空に逃れたセラフィーナはいいが、地に居るカルチェはスライムの下でウロウロするばかりだ。

 テントのように広がったスライムが、中に居るカルチェを徐々に飲み込もうとしているのがわかる。

 薄くなりすぎて透けて見えているようだ。

「もう、いい加減に消えなさいよ」

 剣を突き刺してもすぐに穴はふさがり、カルチェを逃そうとはしない。

 石を投げても意味はないと悟ったのか、逃げ道を作ろうとでもしているのか、穴を掘っている姿が見える。

「あれっ…カルチェ?」

 だんだん見えなくなっていくので目を凝らしていると、カルチェの姿が人から犬へと変わっていくのが見えた。

 茶色い長毛種の大型雑種。

 遠い昔に亡くなった飼い犬に似た姿。

「カ…カルチェ…カルチェがあのカルチェ」

 ペンダントにしている唯一の形見の骨型のプレートにかるちぇと、子供らしい字が刻まれているのを見る。

 幼い頃に拾った子犬につけた名前。

 というか、当事覚えた文字を並べただけが、そのまま名前になってしまったという話。

「カルチェ」

 ほぼ中央で浅い穴の中に丸くなっている犬を抱き上げる。

 記憶の中の犬と同じ姿。

 命の恩人である飼い犬がぐったりと倒れている。

「な、なんで?」

「死神は、強い想いを残した魂」

 唐突な声に辺りを見回すと、事務机に座った鬼頭が居た。

「き…鬼頭さん…」

「どこで仕事をしようと私の自由。多少の世間話もアリだ」

 机の上に積み重なっていく書類に目を通し、サインをしていくと、やはりどこかに消えていく。

「そうですか…それで…」

 カルチェを見ながら、麦は鬼頭に話かける。

「カルチェは、僕のペットのかるちぇなんですが…」

「さあ。私は部下の出自は知らないが、彼女が子供を守って亡くなった犬だとは知っている」

「子供を守って…」

「よほど、その子供が大切だったのか、死神になってしまった。まあ、意外と人間に関わりすぎて死神になった者は多いな」

「あなたも…」

「いや、私は自分で死を選んだ愚かな人間だった。まあ、死神になると生前の事など覚えてないので、そうだったらしい。としか覚えてないがな」

 書類を片付けながら、淡々と答える。

「自殺者も死神に…僕も…」

 麦が鬼頭を見る。

「自殺者も強い想いを抱えて死ぬ。永遠に人間界で苦しんで、死神となって役所仕事だ。割に合わないと思わないかね」

 麦の視線を気にせずに、ぴたりとペン先をこちらに向ける。

「僕も死神になっていたとか…」

「いや。君はならない。わかっているのだろう。天界に魔界が君の魂を必要とする理由を」

 鬼頭が一枚、差し出してくる書類を手に取る。

 そこに書かれているのは多分ラテン語、だが内容はわかる。

「些細なミスだよ。ある事故で死ぬはずだった子供が生き延びた代わりに、頑張った犬は亡くなった」

 内容を説明するように語りながら、書類仕事に戻る。

「それ自体はよくある事だ。魂の数が合えばたいして気にはしない。つじつま合わせで浮遊霊を連れ帰る輩まで居るしな。処理が面倒なのにだ」

 多分、彼が全て処理してのだろう。

「ただ、その時に運悪く、上でも事故っていてな。創成の卵が地上に落ちたのだよ。それが、たまたま生き残った子供の魂に潜り込んでしまった。上も探して、探して、探して…見つかったのが人間の中だ」

「創成の卵…」

「文字通りの代物だ。次の世界を創る卵だな」

 事投げに言ってみる。

「無くした物が物だから、十年以上秘匿されていたが、さすがにバレない訳もなく、探索されてようやく見つけた」

 ペン先をぴたりと麦の心臓に当てる。

「動物や植物なら問題なかったのだが、宿主が人間となると、次の世界も人間が支配する事になりかねない。それは困る上は判断して回収する事にしたんだよ」

「…一年後に?今すぐじゃなくて」

 不思議そうに聞き返す。

「何事にもタイミングがある。自殺して卵に影響が出るのは困るから止めた。寿命を一年後にしたのは、単にキリが良いからではないかな。後、死ぬまでは自由に思いを残さぬように亡くなってくれると、卵が回収しやすい」

「えっと…天界と魔界は…」

「どっちも自分達に有利な世界が欲しいからな。あくまでも我々は役所的なもので、世界はこのままでいいとさえ思っているし」

「えっと…」

「生きていても死んでいても、食べて寝て、仕事があれば、存外満足するのが人間だろう。神のように無駄に敬われて気分良くなってもそのうち面倒になる。悪魔のように悪行を行い、怖がられても、次第に苦しくなる。ほどほどが一番ではないかね」

 ふっと徐々に狭くなる空間を見回し、書類の束を確認していく。

「ようは、生きるだけなら神も悪魔もいらない。だから、我々としては君には人間らしくあってほしい。だから、カルチェにこの仕事を任せたのだが」

「えっ、僕のペットだったから…」

「いや、単に仕事ができないからかな。君にとっていい家族になると思ったんだよ。天界も魔界もそれぞれに使者を送ってくるだろうが、尤も手がかかる者の面倒を見たくなるものだろう」

「えっと…」

 どう言っていいかわからずに言葉を濁す。

「君に自覚されると困るし、だからといって使者に全てを明かす事もできず、いわゆる問題児達を送ってきたのだろうが、ね」

「…死神としては、魂さえ回収できれば、僕が自覚してもいいと」

「人間が人間である世界なら、我々は失業もないしな」

 目当ての書類を見つけたのか、先にサインを済ませる。

「君は天界に行こうと、魔界に落ちようと、家族を大切にしたい人間らしい人間であれば、世界は世界のままだろうしね。まあ、今、この会話は忘れてもらうけど」

 言い終わる前に、手にしていた書類が音をたてて煙となって消えた。

「カルチェは、君を守るという想いが強いから、きっと天界にも魔界にも君の魂を渡さない。が、今回は少々、無理そうなので手伝う事にしよう」

 サインをした書類をかかげて、魔族を見据える。

「契約はなされた。悪魔シーズの処分は保留、魔族の地上での行動を禁じる」

 遠退く意識で、鬼頭がかかげている書類が、先程サインをした羊皮紙の内容だとわかった。

 自分の拇印があるのを確認した時には、意識は落ちていた。


「まあ、次の世界の始まりは、いつもと変わらぬ日常だと面倒がなくていい」

 そんな言葉がかけられた。


「麦さん、大丈夫ですか?麦さん」

 カルチェに揺り起こされて、麦は目を開ける。

「あれっ?」

 空と全員の顔が見えた。

 全員で自分を覗き込んでいるのがわかった。

「…僕?」

「まったく、魔族に体当たりした時は驚いたわよ」

 剣を鞘におさめたセラフィーナが、鼻先に指を突き付けてくる。

「何が…」

「上司が助けてくれました」

 しゅーんとしているカルチェが答える。

「鬼頭さん…そういや、会ったような…」

 思いだそうとするが、何かモヤがかかっているような感じだ。

「魔界で契約書が受理されて、魔族を追い返してくれました」

 シーズがぎゅっと麦の手を握る。

「まあ、地上に尤も近いからのう。仕事は早いようだな」

 膝の上で丸くなっている猫が笑う。

「そうか…でも、カルチェはなんで落ち込んでるの?」

「ああ、鎌を失いましたから」

 クラムが同情するように肩に乗る。

「始末書に減給です…」

 紙の束は、どうやら始末書らしい。

「まあ、誰もケガがなくて良いのではないのか」

 姫様がふわりと舞い降りる。

「そうだね。全員、無事で良かったよ。帰ろうか」

 ソルティアを抱き上げて立ち上がる。

「後一年、このまま、皆で平和に暮らしていけるといいな」

「少し、無理かもよ」

 猫がくくっと笑い、ひょいと麦から離れる。

「へっ?」

「麦ちゃん、こんなトコで何してるのよ!」

 突然した怒鳴り声に全員が声の主のこよみを見る。

「こ、こよみちゃん」

「何、こんな空地で、一体、何してんのよ」

 魔族の事など何一つ知らないので、怒っているこよみをどうしようかと全員を見回すが、カルチェは落ち込み、シーズはオロオロとしているだけ。

 セラフィーナは面白がって遠退いているし、ソルティアとクラムもとうに遠い所で見学している。

 姫様は問題外だ。

「ちょっと、訊いてるの?麦ちゃん」

 感情的に怒鳴ってくる妹のような子をなんとか宥める。

 帰り道に着くまで一時間以上、かかった。


「それじゃあ。行ってくる。今日は出版所に寄るから遅くなるね」

「はい。行ってらっしゃい」

 玄関まで見送ってくれるのはシーズぐらいだ。

「夜の準備をよろしく」

「わかりました」

 にっこりと微笑むシーズをなぜて、外に出ると、こよみが居た。

「麦ちゃん、お早う。一緒に行こう」

 いつものように並んで駅へと向かう。

 変わらぬ日常と、変わった住人。

 それでも、まあ、存外幸せな日常だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ