思い内あれば
約束の日まで、あと二日。気持ちが落ち着かない。
――当日は、自宅の近くまで迎えに来る。
国道沿いの本屋の駐車場。そう、指定したのは私だった。
岡村さんと沢山、話しをしたい。本音はそうだとしても、いざ、となれば。
想像が止まらない。岡村さんは、絶対に私なんて、目に入れてる筈はない。
顔を繋ぐ為にと、ひたすら自分に言い聞かせる。
いつものように慌ただしく、一日があっという間に過ぎて、また、次の日が来て、そして――。
出勤する時刻と変わらない起床。前もって着ると決めていた水色のドット柄のワンピースのファスナーを閉める。レースをあしらった白いソックスを両足に被せて鏡台の椅子に腰掛けて慣れない化粧の最後にローズピンクの口紅を塗る。そして、靴箱から蒼いパンプスを出して履くと、深呼吸をして玄関の扉を開いた。
見事な快晴。朝日は眩しくて、眩しくて。
「お待ちしておりましたよ。お嬢様」
停める真っ赤な車体の運転席側の開くウインドウから微笑顔を出してる岡村さんの服装に息を呑む。
緑のジャケット、桃色のカッターシャツ。締めるネクタイは紺の色調に桜の花びらが強調されていて、スラックスは大地に根付く樹を彷彿させていた。
春を彩る花。
岡村さんにそんな幻想を被せていく。
「おじゃまします」
私は助手席側のドアを開いて、恐る恐る席に着く。
「シートベルト!」
その声にはっと、なり、慌ててシートベルトに手を伸ばして、かしゃりと、締める。
「朝飯は?」
「食べました」
カチカチと、ウインカーの音を響かせ乗用車は国道の車線に入り込むと、ハンドルを握る岡村さんの横顔をちらりと、横目で見て、フロントガラス越しから前方のピンク色の乗用車を見つめる。
「早めに出てきたから、渋滞無しだった」
「ご自宅は何処なのですか?」
岡村さんは、空に浮かぶアドバルーンを指差していく。
呆気。
私はひたすら口をぽかりと、開くしか術がなかった。それに気付くかのように、岡村さんから笑みが溢れていく。
「浅田は免許は持ってるのか?」
「ペーパードライバーです」
よし! 今日は運転の練習。
駄目です、駄目です!
私は必死で首を横に振りながら、その申し出を拒否し続けた。
「勿体ない」と、ぽつりと呟く岡村さん。
申し訳ない。でも、免許を取って運転は愚か、自分用の乗用車を持つのでさえ、余裕がないのは、確かだった。
折角、こうして誘ってくれたのに、まるで台無しにさせてしまった。自己嫌悪と、していると――。
「あのな、フロントガラスにくっついてる飾り、運転下手だと鳴るのだぞ!」
その言葉に私はとっさにこう、言った。
岡村さーん、鳴ってますよーっ!
ちゃりちゃりと、それから音が響く度に連発していく。
「あー、言うんじゃなかった」
くすくすと、笑う私に岡村さんが後悔を含めた顔をさせる。
すいすいと、車は走り続け、単線の線路側の道を更に進んでいくと、ある風景が目に飛び込んでいく。
「海だ……」
思わず感嘆する私。
岡村さんの顔も、穏やかになっていくのが見えた。
そして――。
「どうだ! 天気がいいからなおさらよかっただろう?」
柏港――。かつては、其処より、此より先の島に船が行き交いしていた。今は、地元の漁師さんの漁船と、遊覧船の船乗り場と、なっているそうだ。
岡村さんの乗用車は、その駐車場に停まる。
ドアを開けると同時に、海の薫りが鼻をひくつかせる。
「こういう場所、好きだろう?」
「はい……」
海風が、セットしたヘアスタイルをあっという間に崩していく。焦って整えていると――。
「まずはこの景色を見ろ」
手櫛する私の手を岡村さんは止めてきゅっと、握りしめると、堤防へと引き寄せていく。
「あの?」
と、私は動揺する。
「ん?」岡村さんは気に止めないような、眼差しをしていた。
ぽうっと、汽笛を鳴らしながら遊覧船が接岸していく。家族連れ、恋人同士が桟橋を歩く姿が映る。
「どれ、行くとするか」
岡村さんは私の手を繋いだまま駐車場に引き返していく。
乗車するとまた、岡村さんの手が乗っていく。
そっと離れてハンドルを握りしめ、車は再び道路を走り出す。
それは更に続いていた。
赤信号、ちょっと見晴らしがいいパーキングエリア、その度、岡村さんはふんわりと目尻が下がっていく。
見透かされてる? それともただの社交辞令?
私は岡村さんが好きになったばかり。岡村さんだって〈会社〉がある。
飛び出しそうな言葉を一度深呼吸をしながら呑み込んで、こう、言った。
「麻奈ちゃん、正社員にさせること出来ないのですか?」
岡村さんの顔が険しくなっていく。
「仕事の話はするな」
「いつも仕事速いし、今の部署でもサブしてるのですよ?」
「あいつは、あの配置以外は無理だ!」
「何故ですか?」
「頭使うより、身体を動かしてるのが合ってる」
その時、岡村さんの言葉が理解する事が出来ない上にがっかりしてしまった。
目からじわりと、涙が滲みそうになるので必死で掌で押さえる。
「ふうっ」と、岡村さんのため息が聞こえてきた。
また、怒られる? と、身を構えてると――。
「おまえみたいな奴が、友達になってくれた事に麻奈は感謝するべきだよ」
〈参った〉と、いうような顔の岡村さんが映る。
島に架かる橋を3つ渡ってすぐの飲食店で、お昼ご飯をご馳走になり、岡村さんは其処のレジに陳列されている品物を一緒に会計する。
「付き合わせた礼だよ」
包装されたそれを、私の手の中に押し込める。
「この前も、今日もお世話になりっぱなしなのは私です」
帰りの車の中で、私は袋を握りしめたままだった。
――浅田。
岡村さんは、続けて何かを言いたそうな顔をしていた。
「あ、此処ですよ!」
今朝待ち合わせていた本屋の駐車場が近くなり、岡村さんは左にウインカーを出して入っていく。
サイドブレーキを引き、エンジンを止めると――。
また、岡村さんの手が乗っていく。
今度は、指先が這っていく感触を覚える。
するり、するり、するり、するり……。
身動きは出来なくて、されるがまま。
瞼を綴じて、息もどう吐けば良いか戸惑うくらいに、身体が震える。
「ほう」
岡村さんから、いつもと違う声色がした。
「ごめん、今日は俺が我慢する」
「私、そんな〈目〉をしていたのですか?」
「お嬢様が、そんな大胆なことを口にするな」
――明日、会社でまたな!
――はい、今日はありがとうございます。
私達は一度、握手をしてお互いの目を合わせる。
ーー麻奈の件は、一応検討しとく。
乗用車はまた、国道の車線に入っていく。
遠くに走り去ったのを確認すると、アスファルトに靴を鳴らしながら家路に向かっていった。




