魚と水
そよそよ風、薫る。香りは甘い果実を思わせて鼻をひくつかせる。
私達はふかふかとしたベッドの上で肌を重ねて合って温もりを確め、指先と唇を絡めさせていた。
「欲しかったは?」
「岡村さんが、でしょ?」
「聞きたいのだよ」
お互い微睡む息を吹き込ませ、甘い言葉を掛け合う。
「あ、みっけ!」
「やっ! 何をされ……」
「はっはっはっ! いいな、いいな、いいな」
岡村さん、こんな岡村さん……。
私も、自分ではない。震えて悶えて心地好い感覚が迸る。肌に密着する岡村さんの指先の感触が媚薬として塗り込まれていく。
素敵に大胆。この人に相応しい言葉をどう表して良いのだろう。
息が止まりそうで心が何処かに行きそう。選ぶ暇はなくて、私はか細くこう言う。
「あなたが連れていきたい処はどこかしら?」
「今すぐ、行きたいさ」
私は全身を岡村さんに委ねて、その時を待つ。
目の前がぱっと、茜色に染まりながら押し寄せる波を受け止める。引いては満ちてを繰り返し、吐息は満天の星を思わせる天井に届くように、放たれーー。
黄金色の世界。岡村さんは、私を其処へと誘っていった。
「何処でそんなことを覚えた?」
「たった今、岡村さんが教えてくれました」
「どれ、そいつを貸してくれ」
岡村さんが私の胸元に頭を乗せようとする。それを、即、阻止して、形勢逆転にさせた。
「ケチッ!」と、少し哀しそうに岡村さんは言う。
「あ、そう、おっしゃるなら」
私はぷいっと、顔を逸らして更にその側を離れていく。
「ごめんなさい、胸だけ置いていって。いえ、あなたそのものも行かないでください」
岡村さんは慌てて私を腕と脚で絡ませると、子供の頃観ていたアニメーションの主題歌節で唄い始める。
「あやさないでください! 岡村さん、何故私なのですか?」
「それは、この前も言った」
岡村さんは腰にバスタオルを巻き付けて、バスルームに向かって行く。
私はベッドに横たわったまま、シャワーの飛沫の音に耳を澄ませる。
びっしりと、会社での姿に戻る岡村さん。
肌を剥き出したままの私。
「時間がない、急いでくれ」
催促されて私もシャワーを浴びに行き、着替えを済ませる。
「今日は此処で降りてくれ」
其処は私が通勤時に乗り継ぎする為のバスセンター前。
「ひとつ、訊いても良いですか?」
「麻奈のことだったら、何も話す事はない」
「答えてください! 岡村さんはお付き合いしている方がいると、誰かが言っていたのです。噂が本当ならば、私は貴方に迷惑を掛けているのではないのかと思うとーー」
唇を噛みしめる私は言葉を強く解き放す。
「俺に相手がいるかなど知る必要はないっ! さっさと降りろ」
凄い剣幕の岡村さんに私は身震いがした。
私が降りると、急発進をさせていく岡村さんの乗用車。
頭の中が一気に空っぽになっていく。
溢れそうな涙を堪えるように夜空を仰ぐ。じわりと星がぼやけて、雫がぽたぽたと頬を伝わってこぼれ落ちていった。




