episode07-街と宿屋
竜王の背に乗って、バラン荒野を抜け出した俺たちは一途、ラグナ王国の東端に属する街の少し離れた場所に降り立った。
それはいい、確かに竜王に乗せて来て貰ったことは有難かったよ、うん。でもね……
「なあ……」
『……なんだ』
「お前さあ、俺がこのスキルを持ってなかったらどうするつもりだったの?」
『知らぬ』
「てめえ!」
「あんなに……あんなに、キョウヤが近くに……」
こいつが飛んでる時の風圧とかを考えてないとは思わなかったよ!
竜王の背に乗せて貰って荒野を発ってからすぐ、徐々にスピードを上げ始めたのに嫌な予感がした俺は、風圧耐性を発動しながら傍にいた女神を力任せに抱き寄せ、彼女を抱え込んだまま前方から襲い来る風圧とGに耐えた。
このバカ竜は、乗っている人間に対する配慮など微塵も持ち合わせていなかったらしく、俺は過酷な環境下、女神に負担を与えないように竜王の背に必死に掴まり続けた。
そのため、俺は腹ペコの上、多大な負担を強いられ、女神は俺に抱き寄せられたのがショックだったのか、先ほどからぼんやりしてうわ言を呟いている。
このままバカ竜に当たっても仕方ないので、憤りを腹の中に収め、理性的な会話に戻す。
「まあ……乗せて貰ったことについては感謝する。それで、お前はここで帰るんだな」
『うむ。我もこの矮小な姿ではあるといえ、竜の端くれなのでな。我が人里に近づけば騒ぎが起きてしまう。故に、汝らはここから人里まで歩いていくとよかろう』
「わかった」
俺らの事は慮らないくせに、普通の人間の事はちゃんと考えてるのか。俺も一応、分類的には一般人のつもりなんだけどなあ……
竜王が帰るらしいので、ハートを撒き散らしながらフリーズしている女神に声をかける。
「おい、女神」
「なっ、何かしら!?……あなた」
「違う。お前の中ではあれだけの出来事で、どんだけあるべき過程をすっ飛ばしたんだ。それよりも、竜王が帰るってよ」
「えっ!?……そう」
悲しそうに寂寥感を吐き出す女神。やはり、よく見知る知己と別れるのは淋しいのだろう。
『ふむ。そのような顔をするなフォルティナよ。汝には、汝を常しえの牢獄から救い出してくれた伴侶が居るだろう。何を悩むことがある。それに、今生の別れと言う訳でもなかろう。我に会いたくば、いつでも竜の渓谷を訪れるが良い。我と母は、汝を嘗ての様に歓迎することを誓おうぞ』
「うっ、うん!そうね!絶対に二人に会いに行くわ。首を長くして待っていてちょうだい!」
『フハハ。それだけ元気があれば重畳であるな。では、フォルティナ、キョウヤよ。息災でな』
「ああ」
「じゃあね!」
そう言い残すと、また来た方角に悠然と飛び去って行く竜王。その姿は銀色の軌跡を描きながら、彼方へと消えて行った。
竜王の姿が完全に見えなくなるまで、力いっぱい腕を振って別れを惜しんでいた女神を連れ、俺は初めての異世界の文化と交流すべく、街に向けて歩き出す。
「じゃあ、行くか」
「うん!」
女神は、綺麗な笑みで元気いっぱい返事をした。
◆
俺らは竜王と別れてからしばらく歩き、馬鹿デカい幅5㎞ぐらいの外壁で囲まれた街の関所に来ていた。商人らしき人たちの荷馬車が並んだ列に並んでいたため、結構待たされている。早く街に入って、なんでもいいから食事を摂りたいものだ。
「おい、次」
まんま西洋鎧らしき、頭だけを出した金属鎧を身に纏った衛兵っぽい人の声が、俺たちの番が回って来たことを告げる。
「んん、男女の二人連れだな。男の方は、見たことのないなりだが新婚旅行か?こんな東の最果ての街に物好きなもんだ」
そう言って軽い口調でジョークを流す衛兵。嘲るような感じでもなく、親しみやすい雰囲気を放つ短髪の好青年だ。
「まあ、旅行みたいなものですけどね。それと、私たちはちょっと目的があって旅を共にしているだけで、夫婦って訳ではないですよ」
「そうなのか?こんなに別嬪さんなのにもったいない。それにしても、彼女の靴はどうしたんだ?」
「ああ、私たちは東の森で採れる薬草を採ろうと森に入っていたんですけど、その時に狼に襲われましてね。二人とも怪我は無かったんですけど、逃げてる時に彼女の靴が両足とも脱げてしまったんですよ」
「そうか、それは災難だったな」
「ええ」
―――――「詐術」を得た。
日本人特有の丁寧な口調が出てしまった。年上っぽいから仕方ないね。女神と竜王に敬語?ははっ、ご冗談を。
青年は俺の話をちゃんと信じたらしく、軽いながらも気遣わしげな表情をしている。嘘をついて彼を騙すのは忍びないが、正直に、異世界から来ました!なんて言う訳にはいかない。
「じゃあ、ちょっとお前たちのステータスを確認するからな。まあ、大丈夫だとは思うが犯罪とかは犯してないだろ?」
「はい、お願いします」
そう行って「鑑定」で俺たちのステータスを確認する青年。ステータスまで詐称して申し訳ないが、俺のステータスは「偽装の仮面」で隠してある。
ちなみに、俺と女神のステータスはこうしてある。
Name :キョウヤ
Lv :32
HP :216
MP :162
SKILL:「鑑定」「採取」「疾走」
Name :ティナ
Lv :14
HP :85
MP :137
SKILL:「疾走」「採取」「アイテムボックス」
先ほどの待ち時間に商人たちのレベルを見てみたが、平均レベルは大体40前後だった。年齢層がバラけていたのできちんとした統計は取れなかったが、一応は俺を平均近く、女神は多少レベルを低くしておく結論に収まった。「疾走」は狼の群れから逃げて来た話に信憑性を持たせ、「採取」は森林の採取作業の話の補強、「アイテムボックス」は俺たちが手ぶらなのに不信感を持たせないために入れた。それと、レベルの割にHPとかが低いのは、この世界の一般人は勇者の俺より上がり幅がゆっくりに感じられたからだ。これは、商人のおっさんたちのレベルから予想して計算した。女神の名前は、あの神殿から出て来なかったとは言うものの、先代の勇者関連で名前が広まっててもおかしくない。なので、愛称みたく後ろの三字を残してみた。俺の方は、この世界はどうしてか家名持ちが見つからないので、不自然にならないように名前だけを表示してある。
「ほう、お嬢ちゃんの方はアイテムボックス持ちか。お前さんも、若そうに見えるのにそのレベルとは中々苦労して来たんじゃないか?」
「いえ、旅の途中で自然と上がって行っただけですよ。衛兵さんみたいな高レベルの方に比べれば、俺なんてまだまだですから」
「はっはっは!これでも街を守る兵士の端くれなんでな。市民の安全を守るには、多少の魔物なんてさっくり倒せるようになっとかんといかんのよ」
「素晴らしいお考えですね」
本当にそう思う。この青年は、まだ20代前半に見えるのにレベル72だ。本人の言葉通り、地道に厳しい鍛錬をこなしてきたのだろう。才能もあるのかもしれないが、何より賞賛すべきは青年の心持ちだ。俺の勝手な先入観では、こういう街の衛兵は余所者に冷たく、多少傲慢な輩が多いのかと想像していたが、彼は人柄もレベルも、そしてその信念も非の打ちどころがないと言っていい。本当に自分の偏見を恥じ入りたい気持ちだよ、反省。
ステータスチェックを終えた青年が、俺の世辞が嬉しかったのか上機嫌で話を続ける。
「よし、二人とも問題なしだ!それで、街に入るには銅貨三枚だが払えるか?」
「はい」
そう言って、女神にアイテムボックスを出してもらい、その中から硬貨を取り出す。
「おいおい、これは金貨じゃねえか。釣りが面倒臭いから、銅貨か銀貨を出して欲しいんだが」
「すみません、今はそれしか持ち合わせが無いのです」
「金貨は持ってて、その下は無いとか……お前ら、実はどっかの貴族の庶子とかか?まあ、どうでもいいんだがな」
そう言って両替のために詰所の奥へ引っ込んで行く青年。彼には悪いが、俺たちが金貨しか持っていないのは本当だ。これは女神が昔、ドラゴン達から貰った物らしい。荷物の受取の時に大量に渡されたのだが、持って来たのがドラゴンだけあって光りモノが好きだったらしく、銅貨みたいな鈍い光沢しかない物の類はあまり入っていなかった。
ちなみに、この国の貨幣は秤量貨幣で、名前はそのまんまラグナ硬貨だ。金貨を賢者の眼で確認して分かったことだが、この国では光沢のある白色の白金貨を頂点として、金貨、銀貨、銅貨という位置づけになっている。価値対比は、白金貨1枚=金貨10枚=銀貨100枚=銅貨1000枚だ。なんとも単純だが、俺としては楽でいい。
「ほれ、これが釣りだ」
いつのまにか、青年が奥から戻ってきている。右手にはジャラジャラと音のする革袋を引っ提げているが、これがお釣りの銀貨なのだろう。流石に、日本の紙幣を知っている俺としてはどうしても重そうに感じてしまう。兌換紙幣の有難味が分かる貴重な場面だね。
俺は革袋を受け取って青年に礼を言い、それを女神に渡すと、中身を確認せずにアイテムボックスにしまって貰う。
「おい、中身を見なくていいのか?俺が枚数をごまかしてるかもしれんぞ」
「本当に後ろ暗いことがある人は自分からそんなこと言いませんよ。それに、俺はあなたを信用していますから」
「はっはっは!そいつは光栄だな。だが、これから街に入るならそんな楽観的なことではいかんぞ。自分の街の汚点だから言いたくはないが、特に治安の悪い南区とかでは、甘い考えは命取りだからな。不心得な奴に足元をすくわれないよう注意しとけ」
「はい、ご心配痛み入ります」
俺は青年に礼を言って、関所を抜け、いよいよ街へ入った。
◆
「キョウヤキョウヤキョウヤ!人が、人がいっぱいだわ!あっちからいい匂いがする!あっ!あっちにはキラキラした物がいっぱい並んでる!凄い凄い凄い!そう、凄いのよ!」
「落ち着け」
俺らは、関所から街に入ったばかりの所にある広場にいる。広場には野菜や揚げ物、アクセサリー類など種々雑多な出店が軒を連ねていた。日本人視点としては、どうしても夏祭りの屋台を連想してしまうが、どうもそんな感じではなくヨーロッパの青果市場みたいな様相だ。
なぜ日本ではなくヨーロッパかと言うと、視界に並び立つ家屋が近代的な鉄筋コンクリートではなく、文化遺産寄りのレンガ造りの建物だし、街を闊歩している人たちも西洋風の彫りの深い顔立ちが大半だからだ。
俺の同行者であるナチュラルボーン引き籠りさんは、初めて見る人間の文化圏に目を輝かせ、先ほどから声を張り上げてはしゃぎ回るので、あっちこっちから生暖かくも微笑ましい視線を向けられる上、おのぼりさん感全開で恥ずかしいことこの上ない。やめて、服をそんなに引っ張らないで、俺まで同類なのかと思われちゃうじゃない……
「おい、お前が嬉しいのは分かったからいったん落ち着け。お前がそんなテンションMAXだと、どこの店にも入れん。俺も腹が減ってるのは同じなんだから、今日はもう日も陰ってきそうだし、どっか飯の食える宿を探して入ろう」
「そっ、そうね!私もお腹ペコペコだわ。それに、空を飛ぶなんて体験をして疲れちゃったし……あっ」
なぜかそこまで言って硬直する女神。なんか手を顔に当ててポワポワしてるので、俺に抱え込まれたことでも思い出しているんだろう。そういう反応は、やられた方がなんとなく座りが悪くなるのでご遠慮願いたい。……揚げ物屋のおっちゃん、そんな若いねえみたいな目で俺たちを見ないでおくれ。
女神を再起動させて広場の奥から大通り沿いに歩いて行こうとすると、ニカッという笑顔がよく似合う12歳くらいの少年が話しかけてきた。
「へっへー、お兄さん!この街は初めてじゃないかい?」
「そうだけど、何で俺たちが余所者って分かったんだ?」
「えー、そっちの姉ちゃん見てて分かんないやつなんていないよ。お兄さんたちスッゲー目立ってたぜ」
自覚してたが、そうか。面と向かって第三者に言われると異様に恥ずかしい。
「で、俺たちに何の用だ?商品の売り込みとかなら間に合ってるから結構だ」
「そうじゃないよ。俺は、お兄さんたちみたいな人にこの街の紹介をして小遣い稼ぎしてんだよ。銅貨一枚だけどどうだい?」
「ほう、そういう事なら頼もうか」
「へっへー、まいど!」
俺が銅貨を少年に手渡すと、少年は街の事を語るだけ語って去って行った。自分で紹介するだけあって、なかなか詳しい情報まで話してくれた。彼を観光ガイドに抜擢したいくらいだね。
少年によると、この街はホルペン伯爵の領地であるエアストと言う街らしい。人口は約5万人、そのうち、人族が90%、獣人が9%、蜥蜴族が1%の構成となっている。街の特徴としては、俺たちのいる東区が平民が住まう居住&観光区、北区には富裕層が、西区は職人たちの住む商業区、そして南区がアウトローや娼館、奴隷館が立ち並ぶならず者の集まりらしい。しかし、奴隷と娼館か。元の世界では全く縁の無かった単語だな。
俺は少年に教えられた、この大通り沿いにあるメルザの宿に泊まることにした。少々普通の宿より値段は張るものの、宿の主人が作るシチューが絶品らしい。流石に2日も何も食べてないので、費用より食欲をとったのだ。女神にも、初めての人間の食事には美味しいものを食べて欲しい。
一通り情報の整理が終わったので、俺が話を聞いている間露店を眺めて楽しそうにしていた女神に声をかける。
「それじゃ、行こうか」
「うん!」
しばらく、夕暮れで帰宅する人が多いのかたくさんの人が行き交う大通りを歩くと、少年の言っていた黄色の看板が見えてきたのでそれを頼りに中に入る。
「いらっしゃーい!」
中から元気な声で俺たちを迎え入れてくれたのは、赤毛のロングヘアを肩口まで伸ばした快活そうな少女だった。背は女神と同じくらい、歳は15,6かと思われる。容姿は比較的美人だが胸は……これ以上は、彼女の名誉のために黙秘させていただこう。この店の看板娘のようだ。うん、元気でよろしい。
「お客さんは2名様ですね、お食事ですか?それとも宿泊でしょうか?」
「泊まりだ。食事も込みで頼む」
「は~い、了解しました!では、宿帳を付けますのでこちらへどうぞ」
そう促されて番台の方へ歩いていく俺たち。店内はちょうど食事時なのか、いい匂いが店内に立ち込め、俺の本能的な欲求をこれでもかと掻き立てる。一階は食事スペースで、二階が宿泊スペースに区分けされているようだ。女神さん、すぐに食事にしますから、そのよだれを拭いてくださいね。
「では、お名前をお願いしますね」
「俺はキョウヤ、こっちの娘はティナだ」
「はい、キョウヤさんと、ティナさんですね。あっ、私はここの主人の娘のリリーって言います。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ」
うむ。なかなか礼儀正しい娘のようだ。しかし、この世界では客に名乗るのが普通なのか?日本人の俺としては違和感を否めない。まあ、それほど拘ることでもないか。
「うちは、朝夜二食付きで宿泊だと一晩銀貨二枚です。何泊お泊りになりますか?」
「とりあえず10日分まとめて頼む。しばらくは、ここを拠点に街を回ってみようと思っててな」
「へー、余所から来た人でしたか!お客さん、ちょっとここら辺では見たことない格好でしたから、そうかな~と思ってたんですよ」
やはり俺の服はこの世界だと変なのか。確かにカッターシャツにブレザーの下では、仕方ないのかもしれない。明日、この世界基準の服を買いに行こう。女神も、いつまでも素足のまま歩かせておくのは可哀そうだからね。
「では、金貨二枚ですね。お部屋は一部屋でいいですよね」
「ん?違うぞ。二部―――」
「一部屋で!」
急に食い気味に、俺の言葉を遮ってくる女神。俺の言葉はリリーに聞こえているようだったが、彼女は俺の言葉をキレイさっぱり無かったことにし、小声で「わかってますよ~お盛んですもんね~」などと漏らしながら宿帳をつけている。リリーさん、あなたは何も分かっていませんよ?
緊張しながら意気込んでいる女神には申し訳ないが、俺はその期待に応える訳にはいかない。
「ああ、一部屋でいい。でもベッドは二つにしてくれ」
「へっ!?……むうー……」
不満そうにむくれるハムスター。だから、俺にはお前をそういう対象で見れないんだって、第一、俺が本当に野獣になったらどうするんだ。お前はもっと自分を大切にしなさい。接客嬢、このヘタレが!みたいな目でこちらを見ないでいただきたい。オッサンか君は。
「分かりました。ではお部屋は202号室になります」
その言葉のままに金貨を払って部屋のカギを受け取る。早く食事の摂りたかった俺は、女神を連れて隣接したテーブルの一つに座る。
注文を取りに来たフロント嬢にメニューを告げてしばらくすると、店の奥から料理を運んで来た大柄な禿頭のオッサンが見えてきた。
「あんたたちが、リリーの言ってた変な格好をしたって言う客だな。俺はこの宿の主人兼料理人のメルザだ。おっと、気を悪くしたなら悪かったな。俺は回りくどい話し方は苦手なもんでな。思ったことをすぐに口に出しちまうのさ」
「いえ、大丈夫ですよ。わざわざ挨拶をしていただき、ありがとうございます」
「ほう、まだ若いのに客商売でもなしに、上品な話し方をする兄ちゃんだな。格好も見たことないし、どっか遠方のいいとこの坊ちゃんか?」
「違いますよ。俺はあちらこちらの国を転々としている、ただの旅人ですよ。それよりも、何か御用でしたでしょうか?」
「おう、まあそうなんだが。とりあえず料理を食べながらでいいから話を聞いてくれ」
そう言って、俺たちの前に料理の皿が次々と置かれる。やはり西洋テイストを裏切らないベーグルみたいなパン、食べ応えのありそうなぶつ切りの肉に、極めつけは、少年にも紹介された食欲をそそる湯気を立ち上らせた野菜一杯のシチューだ。俺も女神も二日ぶりのまともな食事に、体裁も忘れて本能の赴くままがっつく。うまい!
「おう……俺の料理をそんな美味そうに食ってくれるのは嬉しいんだが、そろそろ俺の話を聞いちゃくれねえか?」
「ふぁい、もちゅろんでしゅ」
「はあ……口の中を物をなくしてから話せ」
おっと、俺としたことが。
俺は口の中の物を一噛み一噛みきっちり咀嚼し、ちゃんと味わってから口内を空にする。
「はい、失礼しました」
「まあ、いいんだがな。それで、だ。俺がお前さんたちに聞きたかったのは、他の街の様子だ」
「何かあるのですか?」
「ああ、最近この街の貴族の中に、ちょっときな臭いことをしてる奴がいるって噂があるんだよ。この街では割と有名な噂なんだが、他の街ではどんな風に言われてるのかと思ってな。余所から見たら、俺らとは違うものが見えてるかもしれないだろ?」
ほう。このオッチャンは粗雑な言葉に反して、なかなか思慮深い考えを持っているようだ。確かに当事者と第三者では、事象に対する見え方が違う。俺も高校時代、友人に別れ話の相談をされたことがあるが、関係の無い俺としては特に何に悩んでいるのかが分からなかった。やはり、物事には多面的な見え方があるのだろう。
「申し訳ありませんが、そのような噂は聞いたことはありませんね。何分、自分の興味のあることにしか食指が向かないもので、幾分か世情に疎いのです」
「そうか、悪かったな変なこと聞いちまって。それ以外はいい街だから、是非この街を楽しんで行ってくれ」
「はい。しばらくお世話になりますが、どうかよろしくお願いいたします」
「おうよ!じゃ、引き続き俺自慢の料理を楽しんでくれ。俺は基本的に厨房に引っ込んでるから、何か用があったら娘の方によろしくな」
そう言い残すと、馴染みの客に適当に声を掛けながら奥に入っていくオッチャン。しかし、厨房を空にしていてよかったのか?ファミレスとかだったらマジ切れされてるかもしれない。異世界の人たちは、大らかだな。
「美味いか?」
「うん!」
俺の問いに、本当に美味そうに至高の笑顔で答える女神。料理を口いっぱいに詰め込むその嬉しそうな表情に、彼女を救い出して良かったと改めて実感できる。
その様子をしばらく愛でていたが、こういう無邪気なところが俺が彼女を気に入りつつも、出来の悪い妹止まりになっている原因なのだろう。この娘からは、女特有の打算とかドロドロした感情をまるで感じない。俺としては、彼女には無垢なままの価値観を持ち続けて欲しい。
しかし、その口元についたシチューはちゃんと拭きなさい。レディーとしての振る舞いも追々覚えて行ってほしいものだ。
やがて俺と女神は食事を終え、番台にいたリリーに挨拶をしてその場を後にすると、カギに彫ってある202号室に入る。
部屋の中には俺の注文通り、二つのベッドが運び込まれている。それなりに大きいものの、身長180の俺にはギリギリの縦幅だ。
この世界はそれほど入浴文化が一般的でないのか、平民はお湯で体を拭くか行水するのが普通なんだそうな。生粋の日本人の俺としてはきついが、こればっかりは文句を言っても仕方ない。
事前にお湯と体を拭く布は貰って来たので、それを女神に渡す。
「おい、このお湯に布を浸して体を拭けよ。俺は部屋の外に出てるから手早くな」
「えっ、なんでそんなことするの?身体って別に汚れないでしょう?」
「いや、お前神殿を出てから腹が減るようになったって言ってたじゃないか。多分だけど、身体も同じように汚れるようになってると思うぞ」
「それもそうね。じゃ、失礼して……」
そう言うと俺からお湯の入った桶と布を受け取る女神。そして、まだ俺がいるにも関わらず、即座にワンピースの裾に手をかける。
オイオイオイオイ!
「ちょっと待て!俺が外に出てからって言ってるだろうが!」
「えっ!?……私、キョウヤになら見られても……いいよ」
止めなさい。そのちょっと恥ずかしそうに上目使いするのを止めなさい。うっかりツボに嵌っちゃうかもしれないじゃないか。
「お前が良くても俺は良くないから。じゃ、早くしてくれよ」
そう言い残して、さっさと部屋から逃げ出す俺。ふう、危なかった。義理の妹ルートに入るのは時期尚早だと思う今日この頃。
しばらくしてからノックして、女神が服を着終えたことを確認すると、今度は俺が入れ替わり身体を拭こうとしたのだが、何故か女神が強硬に部屋から出ることを拒否し、結局女神の視線が気になる中、俺は体を拭くことになった。さすがに、俺が下を拭く時は後ろを向いて貰うことを承諾させたが、こっそり俺の方を向こうとする目線をベッドの陰に隠れてやり過ごすのが大変だった。
ねえ、男女が逆じゃない?
やがて俺が身体を拭き終わり、二人とも寝る支度を整えると、俺は今まで何故聞いておかなかったと、自分を問い詰めたくなるような疑問を思い出した。
「なあ、お前さあ―――」
「ねえ」
「なんだ?」
「そのお前とか、女神って呼び方いい加減変えてくれない?私にはフォルティナって言う名前がちゃんとあるんだけど」
「そうか嫌だったか、悪かったな」
あらら、あんまりにも俺の中の呼称が女神とかで定着していたものだから、このままでもいいのかと思ってたよ。本人が嫌なら直さないとな。
「それなら何て呼べばいい?」
「う~ん。じゃあ、ステータスにも書いてあるしティナで」
「分かった……ティナ」
「うん……キョウヤ」
頬を染めてしおらしく返事をする女神。一瞬にして俺たちの間に流れる雰囲気が、またあの謎の初々しいものに一新される。このフィールド内では俺のHPがガリガリ削られていく錯覚がするので、早々と本来の用向きに戻す。
「で、だ。……ティナ、お前はこの世界の事をほとんど知らないんだよな。」
「ええ」
「てことは、邪神がどこでどうやって、正確に何時復活するのかも知らないってことだよな」
「うん……ごめんなさい」
「いや、責めてる訳じゃない。ティナの事情は俺も理解してるつもりだからな。そうじゃなくて、邪神の復活する条件が分からない以上、現状すべきことはこの世界を旅しながら、邪神の情報を集めていくってことでいいな?」
「ええ、いいと思うわ。私もこの世界を色々見て回ってみたいと思っていたことだし」
「じゃ、そういうことで。明日は、ティナの靴や俺の服なんかも買いに行くからな。さっさと寝て疲れを癒せよ」
「分かったわ。おやすみなさい、キョウヤ」
そう言って話を切り上げると、部屋に備え付けられていたランプの灯を消し、床に就く俺。しばらくティナと違う方向を向いて目を瞑っていると、背後に柔らかい感触が。
なんだと思ってそちらに向けると、幸せそうに俺に抱きついて眠るティナ。少々二人で眠るには手狭なので、俺は彼女が起きないようにその身体を抱え上げ、彼女のベッドに転がして薄い掛布団をかけた。
おやすみ、ティナ。