厄介な訪問者
「さすがは、SF的テクノロジーだね。一つ一つ学習した自分が馬鹿らしくなってくるよ」
日本語を中間言語としてあっという間にイル=レアナ共通語の基礎部分を登録したアンナたちの翻訳機にアラタはやや憮然とした表情で呟いた。
「いや、君がいてくれたから助かったよ。基礎部分は君からの指導のおかげだからね」
アンナが微笑みながら、その愚痴に答えた。砕けた膝の治療は治癒魔法も併用しているおかげで順調に進んでいる。高位治癒魔法ならば骨折なども一気に治癒できるのだが、そういった術は術者にも被術者にも負担が大きいため、緊急に治療の必要がある場合以外用いられることはない。
「あとは、会話の経験値を積むことかな。単語の収集は出来るだけ多くの人と会話しないと出来ないからね。まあしばらくは入院生活だけどね」
「怪我なくても、あたしらは要監視対象らしいから勝手に出回れないだろ」
どうしても彼女らの戦闘能力はその装備を込みで考えると人の域を超えているため、監視対象となっていた。勇者や神格者が神の力を借りたり宿したりすることで人の限界を超えるように、強力な魔剣や漂着物によって人の限界を超えるケースがあり、彼女たちは後者とみなされている。
「ま、現地語が話せるだけでも大分マシだがな。今日、監視付きでクルーのお見舞いに行ってきたんだがリハビリも順調らしいぜ。とはいっても、大元を叩かなきゃ完全にアレの影響を除去したことにはならないって話だから、あいつらを解放できるのは相当先だな」
今回の騒動の解決のために、様々な勢力がこの迷宮都市に集まりつつあるのは、街の雰囲気から見て取れた。事前に預言を受け軍を派遣してきた東のオルストバルト帝国。その勇者も迷宮都市入りしたとの噂もある。西方の魔道国家連合もまた、大導師の称号を持つラージア神の勇者を派遣したとの声明をだしているし、南方の聖王国はこの時点で勇者を囲ってはいなかったものの、傷ついた者たちを癒すために、蘇生術式を扱えるという聖女とその護衛の神官戦士団の準備をしているとされている。
事件が起こった時点で、迷宮都市に滞在していた勇者たちもまた、既に偵察のために迷宮へ足を運んでいた。
迷宮の異変に於いては、すべての国・すべての種族・すべての組織が対処に当たるのが【イル=レアナ】の暗黙の了解である。なぜなら、このちっぽけな箱庭世界は、既に飽和を迎えており、これ以上の強力な存在を抱えることが出来ないから。
一当てした時点で、《神殺し》は今回漂着したモノは、神かそれに近いものだとの判断を下している。神が漂着した場合、大きく選択肢が三つに分けられる。一つは、漂着した神に役割をあてがい、現在存在する【イル=レアナ】の神話に組み込むこと。神話に組み込むことで世界を支える力の礎として安定させること。二つ目は、この世界から自発的に退去してもらうこと。そして、三つ目が実力行使によってこの世界から追放すること。
どれも拒否された場合、大罪である神殺しが行われる。神殺しは如何なる理由があろうと決して許される事のない大罪である。そのため、既にその罪を負った《神殺し》がその罪を背負うことになる。
今回は如何なるケースになるのかはわからないが、迷宮のかなり深い層に漂着していると予測されることから、かなりの力を持つ神だろうと推測されていた。
「すっげぇぇ!なんだこれ!ロボット?なんでこんなのがここにあんの?」
素っ頓狂な日本語が表から響いてきた。既に日が落ちてから時間もかなり経っていて、良識のある者たちは既に眠りについている時間ではある。アラタたちもまた、就寝しようかと明かりを消した直後だった。
「おい、表においてあるの、なんだよあれは!なあ、いるんだろ!教えろよ!」
ドアが激しくノックされる。というか既にノックとは言い難く扉を殴っていると言った方が近いかもしれない。
「くそ、近所迷惑だな」
アラタは頭を抱えながら起き上った。カーテンで女性部屋と仕切ってあるのだが、そこからマリアも顔を出す。
「ぶん殴ってきていいか?さすがにこの時間帯にアレはキレるぞ」
不機嫌そうなマリアの声。
「まあ、マリアさんの言いたいことはわかりますが、日本語を話しているのが気になります。僕が対応しますので、一応マリアさんついてきてくれますか」
「ああ、あんたがそうしたいならあたしは従うさ。あんたは命の恩人なんだから」
そういうと、蝋燭に火をともして灯りを確保し、まだアイマスクを取ることを許されていないアラタの手を取った。
「な、なんか照れるなこれ。あたしら、あんまり男と接することがないからさ」
「そうなんですか?マリアさん、モテそうな感じするんだけど」
アラタは意外そうに尋ねる。
「ま、その辺はいつか話してやるよ。じゃあ扉まで誘導するぞ」
そういうとマリアは握ったアラタの手を軽く引っ張る。アラタはその誘導に従ってベッドから降りた。
「おい!開けるぞ、ぶち破ってでも開けちまうぞ!」
外の声はますます大きくなる。少しだけ舌が回っていないところを見ると、酒でも入っているのだろうか。ならば気を付けないといけない。そうアラタとマリアは考えた。酒が入っているのなら、話が通じないかもしれないと二人は頷きあう。
「ちょっと待ってくれ。今開けるからすこしだけ扉から離れてくれないか」
「お、おう。わかった」
案外素直に応じる声。警戒は解かずに、閂を外し、扉を押し開ける。
そこには黒髪の少年が立っていた。目が座っているのは酒のせいか。
少年は無遠慮にアラタとマリアを見回した後、マリアをじっと見つめた。もっとはっきり言うなら、マリアの胸や腰を凝視していた。
「あん?なんだこいつ」
言語モードは【イル=レアナ】語であるため、その少年には通じないようだった。だが、少年のだらしない顔を見て、マリアは身震いする。
「おねえさん、一晩俺と遊びませんか!」
半ば叫ぶように、少年はマリアに詰め寄った。
「なっ早いっ!」
一瞬で間合いを詰められる。マリアは生身ではそこまで強い戦士ではない。彼女の強さは騎兵の搭乗者としての強さであり、機体を降りての白兵戦は一般兵と変わらないレベルだ。だが、騎兵の高速戦闘を熟すために、動体視力と即応力は高い。
「そんな恰好してるんだから、おっけーなんでしょ」
そう、マリアは下着姿であった。マリアやアンナたちの戦闘グループは殆どが女性で構成されていたためか、羞恥心に欠けるところがあるのだった。アラタがまだアイマスクを外すことを許されていないこともそれに拍車をかけている。
「ちょ、まて、またんかこら」
お互いに言葉が通じないためか、少年は全くひるまない。それどころか、部屋の奥にベッドが……アラタの使用しているものだが……あるのを見つけてますます調子に乗り始めた。
「こいつ、酒くせぇ」
強引にキスを迫る少年を押し返しながらマリアが叫ぶ。
アラタは、その間何をしていたかというと、声と争いあう音から彼らの間合いを計っていた。
「ここかな?」
ほぼ直感ではあるが、無造作に手を伸ばすと、誰かの腕に当たったのでそれを掴む。それは少年の腕か、それともマリアの腕か。
「これ、マリアさんの腕?」
【イル=レアナ】語で尋ねる。マリアは、それはエロガキの左腕だ、と答えた。
「そっか、じゃあ遠慮しないでいいね」
腕をつかみ、それがどの腕かという事がわかれば、ある程度相手と自分との位置関係はわかる。
「せぇの、どっせい!」
低い姿勢から素早く相手の懐に飛び込み、一本背負いの要領で少年を投げ飛ばす。一応手加減はしたが、板張りの床の上へ背中から叩きつけられた少年はあっけなく意識を飛ばした。
「トドメ、さしとくかい?」
右足をゆっくり上げて仰向けに倒れて気を失っている少年に向けるマリア。マリアの狙っている場所は……男性の急所だった。
「それはやめてあげて。僕の方が寒くなってくる」
「うん、そうしてあげて。そのバカはこっちで引き取らせてもらうから」
いきなりの気配に、アラタはあわてて振り返る。もっとも見ることはできないのだがそれでも、全く気配がしなかったのだ。
「ああ、すまないな。そのエロバカはそれでも勇者なんだよ。バカだけど。で、あんたは勇者の言葉がわかってたような感じだったけど、そのへん詳しく聞きたいな」
小柄だが、全く隙のない女性がそこにいた。
「あなたは?」
「私はシャルロッテ。ま、勇者の仲間ってやつをやらせてもらってるしがない盗賊上がりさ。……ちょっと冷えるな。中、入れてもらえるかい?」
シャルロッテと名乗った女性はごく自然に施療院の中に入り込んで扉を閉めた。
「おい、勝手に入るな」
マリアが前に出る。が、シャルロッテが一瞬で間合いを詰めてマリアの腕を取った。
「っとこうかな?」
するりとマリアの懐に入り込み、きれいな一本背負いをきめる。
「くあっ、いてぇ」
マリアもパイロットとはいえ、訓練を受けた兵士でもある。ぎりぎりで受け身を取ったためダメージはそれほどでもない。それでも板張りの上に叩きつけられたのだから、痛みに顔をゆがめる。
「すまないね。でもこっちは争う気はないんだ。そのバカを回収させてもらえればそれで」
言葉は丁寧だが、その目は獰猛さを見せているし殺気も放っている。
「てめぇ……」
マリアが呻くように声を漏らす。が、アラタは落ち着いた声で告げた。
「こっちも、そのエロバカ勇者?を投げてしまったので、手打ちという事にしませんか?」
とりあえず勇者を空いているベッドに運ぶと、アラタはシャルロッテに椅子をすすめた。
「どちらにせよ、勇者どのが目を覚まさないと帰れないでしょう。って、何してるんですか」
すすめられた椅子に座ることなく、ベッドでいびきをかいている勇者を持っていたロープで拘束を始めるシャルロッテを見てアラタが尋ねる。
「ああ、こいつ本当に女に見境ないからね」
容赦なく答えるシャルロッテ。
「身内は大抵手つきだからいいんだが、よそ様に手を出して問題になっても困るからな。まあ酒が抜ければ多少は自制が効くから、それまでの間は縛っておいた方がいい」
手馴れていることからいつものことなのだろうと勝手に判断するアラタたち。
「まずは、自己紹介しておこう。私はシャルロッテ、シャルロッテ・エルテール。さっきも言った通り、勇者のパーティメンバーってやつだ。で、そこのエロガキが勇者ヒロト・ヤマナシ。まあエロガキでいい」
容赦なく斬り捨てるシャルロッテにアラタは苦笑した。
「日本人かな、やっぱり。ああ、僕はアラタ。事情があって、姓はない。親の名前も知らないから父名もない。たぶんその勇者と同郷なんだろうね。この街で鑑定士をやっている。今は見ての通り、休業中だけどね」
アラタは肩をすくめながら名を告げる。殺気を抑えれば、シャルロッテは非常に気さくで話しやすい雰囲気を持っていた。
「で、彼女らがアンナとマリア。素性は聞かないでおいてほしい」
「こちらも詮索するつもりはないよ。ただ、アラタ。君には頼みができるかもしれない。明日私の雇い主に今日の件を報告するが、おそらく主は君に興味を持つだろう。というか、このバカはいつまでたっても言葉を覚えないで困っているんだよ。主は多少は勇者の言葉……ニホン語っていったか?……まあそれを扱えるんだが、最低限の意思伝達しかできないのでな」
アラタとマリア、アンナの視線が……アラタはアイマスク越しだが……いびきをかいて眠っている少年へと向けられた。
「さもありなんってかんじかな。まあ、今日はここで休んでいって。言っとくけど、ここは探索者組合の関係施設だからここで問題を起こすと、迷宮攻略に支障をきたすことになるとおもうよ」
警告をするアラタ。だが、シャルロッテはその警告が二重の意味で問題にならないことを知っていた。
(まあ、今言っても仕方のないことだし、あたしが謝るのもおかしな話だしね)
「ああ、お言葉に甘えることにするよ。バカの回収があたしの仕事だからね。か弱いこの細腕でそのバカを担いで帰るのもめんどくさいし」
内心を隠しながら、シャルロッテは返事をする。
それで、この話は終わり、そう考えて、シャルロッテが奥の女性専用に区切ってあるエリアの壁際に座り込んだ。
「おやすみ、明日の朝一でバカ連れ帰るから、その時まで縛っておいていいよ」
「余ってるベッドを使ってもいいんですよ」
アラタが気配からシャルロッテがベッドを使わないことを感じ取って言う。
「あんた、ほんとに目隠ししてるのかね。まあ気にしないで。まだこの街に来たばかりで多少埃っぽいからね。床で十分さ」
そういうと目を閉じる。すぐに、寝息を立て始めた。
「優れた冒険者は、睡眠もコントロールできるっていうけど本当なんだな……」
アラタがつぶやく。
「ま、気にしても仕方ないさ。アラタ、あたしらも休むとするよ。おやすみ」
「おやすみなさい、マリアさん」
それぞれの寝床にもどり、休むことにした彼らではあったが、得てしてこういう日は珍客が多いものである。深夜、静寂を破る怒声が、彼らの安眠を妨げることになった。
「急患だ!部屋を開けろ!重傷者1名、ベッドも空けておけ!はやくしろ!」
アラタは飛び起きた。また、なにか迷宮内で異変があったのかもしれない。アラタはなぜかそう思った。そして、それはまさしく予感であった。
「今開けます!マリアさんは、医師を起こして連れてきてください」
「早くしろ!治癒術士は組合から派遣してもらえるよう手配している!」
閂をおろし、扉を開ける。つんと鼻をつく鉄のにおい。いや、それは血の匂い。そして、肉が焼け焦げた匂い……死のにおいだった。