勇者の到着
「あははは、投擲された剣が縦向きでよかったっす。横向きだったら今頃上半身だけってちょっと楽しくない状況だったっすからねぇ」
マナの軽口が逆に場を凍らせる。彼女を貫通したのはただの剣ではない。全高10メートルの巨兵の剣である。幅も厚みも通常の剣の6倍ほどの一物なのだ。
「ほんとうにすまなかった。このつぐないはいかようにも」
翻訳機を通して、マリアは謝罪する。
「いいってことっすよー。謝罪は受け取りました。だから気にすることはないっす。あんまり卑屈になるなら、エロいこと要求しちゃうっすよ」
声だけは元気だが、施療院のベッドにくくりつけられたマナの姿は妙にシュールだ。
「マナさま、あまり軽口を叩いていますと傷口が開きますよ。《神殺し》の使徒たるあなたがそれで死ぬことはないでしょうが、傷が癒えないうちは食事はさせられませんからね」
「ごはん抜きは勘弁っすーっ!きちんと養生しますから、最速でごはん食べれるようにしてほしいっす」
あまりに真剣な叫びに、思わずマリアとアンナがふきだした。
「やっと笑いましたね。マナさんも体張って受けを取る必要はないんですよ」
少し離れたベッドの上から、アラタが声をかけた。その両目は包帯で完全に覆われている。一時期は両目からの流血が止まらなかったのだが、それもようやく落ち着いてきたため、イルウィナ神殿から組合の施療院へと移されたのがほんの二日前である。
あの海洋エリアでの戦闘から既に十日が経っていた。その間にアーティナルでは色々と大変な事件が起こってはいたのだが、アラタたちはほぼそれらから隔離されていた。唯一知っているのは、土地神であるフェリシアが失脚したことである。とはいえ、本人(本神?)は意外とさばさばしたもので、よい機会だとフェノメナたちのパーティを護衛に、漫遊の旅へと出ていってしまった。もともとがこの地に根付いた神であったが、迷宮都市が建設されてからは都市と迷宮の管理のために身動きが取れなかったのだ。よい機会だと嬉々として出かける神に一同唖然としたものである。
とはいえ、アラタと繋げた回廊は維持しているため、何かあった時にはすぐにアーティナルへ帰還できるらしい。
土地と迷宮の守護を代行するのが、光輝神オルミネアスに従属する太陽神ラムサスである。本来の神の権能からは外れるものの、太陽神の意向は、太陽が照らすすべての地域に及ぶ。
だがそれは、光輝神のおひざ元であり、太陽神の神官を多く抱えるオルストバルト帝国が実質迷宮都市の支配権を握ることと直結した。
「そういえば、今度の異変に対応するために各神殿から勇者が派遣されるそうですよ。《神殺し》殿と諍いを起こさなければいいのですけど」
そう言ったのは、ナージア神官のリリーナ。
「やっぱり問題になりそうですか?」
アラタが尋ねる。
「そうですね。今回の勇者集結に関してはフェリシア様の庇護がありませんから、可能性はあるんじゃないかしら。それを案じてか、《神殺し》殿は偵察と称して迷宮に入られたようですわ」
施療院の中にいても、外の剣呑とした雰囲気は伝わってくる。外部の情報は半ば意図的に遮断されてはいたが、《神殺し》の邸宅の接収から始まる一連の流れは、迷宮都市全体に不穏な空気を醸し出している。
アラタたちの生活にも大きな転換期が来ていると言えた。
帝国の勇者、ヒロト・ヤマナシは2年前に召喚された勇者である。
異世界からの訪問者はほぼ確実に迷宮内に漂着するのだが、いくつか例外がある。その一つが、召喚儀式によるものだ。この場合、意図的に異世界への門を開くため、迷宮の結界に捉えられることはない。召喚条件は、光輝神の力の継承率が高いこと、邪悪な意図がないこと、そして、数年後に起こるであろう大惨事に対抗できることの三点を基準として選ばれた。
ヒロトはその能力に於いては十分勇者としての資質を垣間見せた。
【イル=レアナ】に於いて、勇者とはいわば超人である。というより、神の加護を得て人の限界を超越したものを勇者と呼ぶのだ。そして、ヒロトはまさしく人の限界を超えていた。もとより、この世界に於いての最高の神格を持つ五大神の一柱である光を司るオルミネアス神の加護を最大限に受けた存在であり、ある意味約束された力である。その剣の一振りは岩をも砕き、加護によって守られた肉体はなまじっかな刃も通さない。技術的なものは稚拙であり、ただ剣を振り回すだけの様な戦い方であったが、その状態で帝国屈指の騎士であるヴォルドレイク・アル・ファンダール伯爵と互角に切り結んだ。その後、ヴォルドレイクに師事し、最低限の剣技を身に着けたヒロトは、それだけで尚武の国オルストバルトで最強の戦力となった。
とはいえ、ヒロトの勇者としての力には一つの制限が課せられている。アラタの異能が己に関する記憶の消去と引き換えにされているように、ヒロトの強大な力は勇者としての責務によって保障されているといえる。つまりは、彼に与えられた使命である世界の危機への対応を怠れば、勇者の力を失うことになるとされている。
最初ヒロトは激しく抵抗した。彼自身は本来はごく普通の少年であり、極々普通の善良な高校生であったからだ。言葉もろくにわからない。守護神であるオルミネアスとは言葉を交わすことが出来たが、【イル=レアナ】に召喚された後は全くと言っていいほどコンタクトが取れなくなった。
彼がこの地に降り立ったとき、ある意味非常に浮かれていた。異世界へ召喚され、神の力を分け与えられて勇者として世界を救うという、彼が慣れ親しんだライトノベルの主人公のような境遇にわくわくしていたのだ。だが現実は違った。
少なくとも召喚を実行した帝国の重鎮たちはヒロトに好意的だった。それはわかっている。だが、いきなり剣を渡され、厳つい強そうなおっさんと戦わされた。力を試されたのだとわかってはいたが、言葉が通じないという事実と、生まれて初めて彼に向けられた本物の殺気はヒロトを恐慌させた。
人の限界を超えて強化された肉体は、最高の剣士の剣技にも対応できた。目が追いつくようになると、剣士の動きもはっきり見えるようになった。
圧倒的万能感が彼を増長させた。善良ではあったが彼の精神は幼すぎた。
幼い言動に傲慢さが混じり始めた時、対策として皇帝は娘の一人を呼び寄せた。娘とは言っても、正室・側室に生ませた皇女ではない。戯れに手を付けた侍女との間に生まれた娘である。だが、正式に認知して、第六皇女として皇位継承権の末席を与えられている。
ゾフィアと名付けられた皇女は、その母に似て絶世の美姫に成長した。皇帝は彼女をたいそう可愛がったが、同時に彼女を政治利用のために育成していたことも事実である。
ゾフィアが身に着けた技術は、徹底して男を籠絡するための技術である。容姿や話術だけでなく、男を快楽で絡め取る技術まで彼女は習得している。男が望むままに、慈愛にあふれた聖母にも、理知的で政務までこなす才女にも、そしてありとあらゆる快楽を与えてくれる娼婦にもなれるよう作り上げられた。
「勇者に嫁げ」
「御意のままに」
ためらいもなく王命を拝領した彼女は、増長が激しくなり攻撃的な面が出始めていたヒロトをあっさりと籠絡した。幼稚な攻撃性は、少年が今まであった事のない美女への獣欲に程よく転換され、鳴りを潜めた。
そもそもが、普通の少年であるヒロトに手練手管に長けたゾフィアに抗うすべなどなかったであろう。言葉が通じずともすぐにヒロトはゾフィアに夢中になった。
ひとつゾフィアが失敗したとすれば、頑張りすぎたことであろうか。あるいは、もともとヒロトにそういう性癖があったのか。
勇者はどっぷりと色欲にはまってしまったのだった。もっとも、それは帝国にとって勇者をコントロールしやすくなったといううれしい誤算であり、帝国はゾフィアに勇者が次々に作る愛人の管理を命じた。もちろん、愛人の中に帝国の意を受けて勇者をコントロールする者も紛れ込ませることを忘れてはいない。
と、ここまで言えば帝国が勇者を私物化しているようにも取れるのだが、光輝神の勇者であるヒロトは、その神の啓示に従って世界の危機に対応しなければならない。それに反すること……たとえば戦争の人間兵器として勇者を狩りだしたりすれば、たちどころにその力を失うことになるだろう。
帝国としては現状暴走しがちな勇者の手綱を握れればよいと考えていた。勇者が活躍するうえで、必ず政治的に帝国が優位に立つときがくる。その時勇者を支配しているかどうかで大きく流れが変わると帝国の首脳陣は考えていた。
事実、帝国辺境を回り出没する魔物を退治して回った勇者の知名度と好意度は非常に高く、同時にそれは彼に嫁いだゾフィアもまた高く評価された。それは帝室の名声にも直結する。勇者の悪癖も、なかなか新しい血が入らない辺境の地ではむしろ歓迎された。
そして、辺境での魔物討伐という実戦修業を経て、勇者ヒロトは迷宮都市へと向かうこととなる。
同行するのは、4人のパーティメンバーとゾフィア、身の回りの世話をする侍女3人である。
「ここが迷宮都市か。わくわくしてくるな」
勇者は自分の母国語である日本語でつぶやく。この地に召喚されてから2年たつのに、彼はまだ現地語を操ることができなかった。原因は主として彼自身にあり、やはりどうしても彼自身が召喚者の勝手な都合で呼ばれたのに、どうして自分が合わせてやる必要があるのだという半ば強迫観念にも似た依怙地さが言語習得を遅れさせていた。
意思疎通に関しては、ゾフィアがある程度の日本語を扱えるようになっており最低限のコミュニケーションはとることが出来るようになっていたし、侍女たちは主人たちの要求を言葉にせずとも察することが出来る者たちが集められていたので、なんとかなってはいた。
「ヒロト様、ヴォルドレイク卿がこの町での邸宅を用意しているとのことです。今後の相談もありますので、行きましょう」
「うーん、ゾフィアたちだけで行ってくれない?街を見て回りたいんだよね」
新しい街に到着すると、ヒロトは大抵観光と称して街を回る。観光と言えば聞こえがいいが、実際には色町廻りである。ゾフィアはあきれたようにヒロトを見た。
「そんな目すんなって。俺が好きなのはゾフィーだから」
そういって素早く人ごみの中へと飛び込んでいった。
「あのバカ……」
ゾフィアは額を押さえてその後ろ姿を眺めていた。どちらにせよ、ヒロトをどうこう出来る者はこの街には伝説の《神殺し》ぐらいだし、その《神殺し》も滅多なことでは人に害をなすことはないと聞く。
そもそもゾフィアは常々、ヒロトは多少痛い目に会うべきだとも思っていた。別段、好色多淫なことは気にしていない。彼女も末席とはいえ皇族である以上、彼女の夫となる人物が彼女以外の女性を妻に迎えること、さらにはその愛情が別の妻に向かうような事態も覚悟していたし納得も出来ると思っていた。特定多数の女性ならむしろその女性たちを管理する自信がある。問題は、彼が行く先々で女性に手を出すことであった。
「まあいいわ、どうせ彼がいたところで置物にしかならないんだし。言葉が通じない以上、変な素人娘に引っ掛かることもないだろうしね。でも迷子になるかもしれないからシャルロッテ、お願いね」
「相変わらず便利使いしてくれるわね。ま、いいわよ。どうせ色宿だろうからね」
シャルロッテと呼ばれた女性が手をひらひらと振りながらヒロトが消えていった雑踏の中へ紛れ込んでいく。街の中で彼女を撒ける者はそうそういない。任せておいて大丈夫だろう。そう判断したゾフィアはヴォルドレイクが用意した邸宅へ向かった。
ヒロトは、この街の娼婦たちに大変満足していた。帝国のそれとは違い、この街ではまれに言葉が通じない客を相手取ることがあるからだろう。言葉が通じずとも客を喜ばせる手管に長けていた。結果、財布の紐も緩みっぱなしで、高価なプレゼントを贈ったり(それも、お相手してくれた女性だけでなく、彼女が可愛がっている見習いの少女のぶんまで)彼女が勧めるまま、おしゃれな店でのアフターデートを楽しんだりしてしまった。
彼にとって救いだったのは、彼が相手にした女性が良心的な娼婦であったことだろう。とはいえ、財布の中身をきっちり見抜かれて貢がさせたのはさすがの一言であるが。
この街では、娼婦は基本的に一つの職業として認知されている。事実上、奴隷的階級者が並ぶ帝国の娼館とは全く異なっていた。
「あれ、まるで雲の上を歩いているような足取りね」
距離を置いて彼の後を追うシャルロッテがつぶやく。のぼせ上がったヒロトはふらふらと色街を出て歓楽街を歩く。この街は本当に治安がいいのだろう、帝国内なら帝都ですらあんな獲物は逃がしたりしないだろう。まあ、懐の財布はほぼ空なのだが。それでも、彼が佩いている剣は帝国でも有数の名剣で、あれ一振りで館が買える代物だ。冒険者や探索者が集まるこの街ならあの剣が内包する魔力を感知出来る者もいるだろう。
なんどか人にぶつかり掛けたが、それで財布が掏られた様子もない。並のスリなら、20歩ほど離れたところから尾行しているシャルロッテの目を盗むことなど出来ない。逆に、シャルロッテの目を盗んで仕事が出来るようなら、こんなところでケチなスリなどはやってないだろう。
やがて、彼は歓楽街を出て街の東部を目指す……という事はなく、完全に道に迷ってしまっていた。
「交番とかないのかな」
シャルロッテにはわからない言葉で呟く勇者。
「まあいいや、多分こっちだろう」
勇者は、街の南地区へ向けて、歩き出した。大分酔いも醒めてきているのか、足取りもしっかりしてきている。だが、結局は迷子になるようだった。
「どうしたもんかねぇ。ちょっとくらい困らせてみてもいいかもしれないなー」
シャルロッテは勇者を追いながら、ちょっとだけ様子を見ようと意地の悪い笑みを浮かべていた。
南地区は探索者が利用する施設が多いエリア。特に、この街特有の漂着物の販売などが行われている市もそこにあるので、多少は足を延ばしておこうとシャルロッテは闇の溶け込んでいく。
そして、勇者があるモノを見つけてちょっとした騒動を起こすことになって後悔する羽目になるのである。