奪還
「結論は出たようだな」
《神殺し》がアラタに確認をする。《神殺し》とその従者であるマナは今回のケースに関しては発言をしていない。彼らにとってはどちらでもいいことだからである。とはいえ、盟友である神狼フェリシアからの依頼はアラタの護衛。アラタの決めた方針に従うつもりである。
アンナとマリアは当然強行派であり、フェノメナもまた同意見だった。アラタとしては危険は避けたいところであったが、彼女たちの必死な訴えに首を横に振るのは躊躇われた。だが、結局は折れたことになる。
折れた理由は、実際にはとても子供っぽいものだった。彼女らの母艦に突入する際、移動手段がマリアの対魔騎兵(彼女たちはナイトタイプと呼称している)の手に抱えてもらっての移動になることであったからだ。巨大ロボットの手に乗れる機会など二度とないかもしれないと考えると、天秤は賛成の方へ一気に傾いた。
「マナさんたちはどうやって移動するんですか?」
アラタの護衛である以上、彼女と彼女の主人はアラタと行動を共にするだろうし、アンナたちはその表情には出さないものの二人の協力を期待しているのがありありとわかる。アラタへの同行要請の理由の大部分をそれが占めていると言ってもよいだろう。
「問題ない。この案件はおそらくは俺に解決依頼が来る気がするからな。今ジョセフに神狼の下へ制限解除の要請をするよう走らせている。神狼の許可が下りれば、自力で飛べるからな」
あっさりと言う《神殺し》にアラタは半ばあきれたようにぼやく。
「何でもアリですね、あなたは」
「千年は生きているらしいからな、俺は。昔のことは覚えてないが」
さらっととんでもないことを言う《神殺し》をアラタはジト目で見つめる。
「そもそもご主人は昔のことは覚えておけないですからねー。そんなことより方針が決まったなら実行っすよ」
アラタはアンナたちに協力する旨を告げ、具体的な攻略方法を立てるための話し合いを始めることを提案した。二人の顔がぱっと明るくなったのを見て、一瞬見とれてしまいあわてて目を逸らしてしまったが、逸らしたその先でマナの意地の悪そうな笑みにぶつかり赤面するアラタであった。
「ひゃっほーい、まさかのお姫さま抱っこっすー。なんたる役得!」
マナがはしゃいで叫ぶ。
確かに、今《神殺し》がマナを抱えているやり方は一般的には「お姫さま抱っこ」と呼ばれるものであろう。だが、客観的に見るとそんなロマンティックなものには見えない。なぜならマナが巨大な盾を抱えているからである。
その《神殺し》の背中には巨大な翼が生えている。それが《神殺し》が用意した移動手段である。
マリアはその乗機、その巨大な手の中でガタガタと震えながらしがみつくアラタ。
アンナは、マナが持つ盾に勝るとも劣らぬ大きさの盾をサーフボードの代わりにする水面移動を行っている。彼女はいわゆるパワードスーツを身にまとっている。肩に装着されたフレームで支えられた推進装置と盾自体に実装されているスラスターで水面を高速移動が可能になっている。
「おおおおとさないでくださいねええええ」
対魔騎兵の掌は意外に小さい。大きく開いた状態で差し渡し120センチほどである。両手で落ちないように支えてくれているが、かなりのスピードで飛んでいるため振り落とされないようにしがみつくので手一杯なのだ。
「おとさねーよ。乗るときはあんなにはしゃいでた癖によ」
マリアの騎兵とアンナの歩兵(彼女たちはそのパワードスーツをポーンと呼称している)には、母艦であるアマテラスを感知できるようになっている。アマテラスからの位置情報のシグナルをキャッチするシステムなので母艦側からシグナルをカットも出来るが、二人のレーダーは母艦を感知している。
「まだつかないのですか、窮屈です」
騎兵の操縦席の中にはぎりぎり一人分の空きスペースがあり、そこに押し込められたフェリシアがぼやく。だが、通訳のアラタが外にいるため、そのぼやきをマリアが理解することはない。
言葉が通じないことは作戦立案時に問題となった。それ故に作戦は非常に単純なものになってしまう。簡単に言えば、このままアマテラスへ肉薄、機動性の高いアンナのポーンを囮にして迎撃をかいくぐりアマテラスの上部甲板をマナと《神殺し》で制圧・安全を確保する。甲板の安全確保がなさ荒れた時点でマリアのナイトがアラタとフェノメナをおろし、制空権を確保する。その後、アンナはブリッジを制圧しその他のメンバーはアンナがブリッジへ到達するための囮となるのだ。
「見えてきたわ。マリアは上空に待機して」
マリアが通信機を通して告げる。そして、《神殺し》とマナに事前に決めていたハンドサインを送った。
「さあ、狩りの時間だ!」
「狩るな、バカアンナ!」
この作戦で注意しなくてはならないのが、アマテラスのクルーや探索者たちを殺してはならないことである。彼らが何らかの影響下にあることは予想できた。だからこそその影響を排除すれば正気に戻る可能性が高いというのが《神殺し》の読みであるし、アラタたちも異論はなかった。難易度は上がるが、助けられる者は助けたいというのは共通の想いでもある。
アンナは速度を上げる。その先には、どこかスペースシャトルを彷彿とさせる流線型の巨大な浮遊物がある。その側面からアンナは一直線に突進した。
轟音が響き、アンナのすぐ横で水柱が上がる。すぐさま向きを変え挑発するようにアマテラスの側面から正面へと弧を描く。水柱は絶えず上がるが、ランダムに軌道を変え的を絞らせない。総ての砲門がアンナを追うのを確認した《神殺し》は水面ぎりぎりを飛翔し甲板へたどり着く。
「いくっすよーっ」
大盾に魔力を流し込み、一時的にその強度を上げる。その盾を前面にかざし甲板に取りつかれた時に作動する機銃へ突進した。
「のわわっ」
その激しい掃射に一瞬盾を弾かれそうになるが、さらに魔力を上乗せすることで踏みとどまる。
その一瞬の間に盾を構えるマナの背後から《神殺し》が飛び出し、瞬きする間もなく機銃に肉薄するとあっさりとそれを無力化する。そして、神速とも言うべき速さで次々と砲台を破壊する。
「制圧完了だ、次の段階へ移行しろ」
《神殺し》が告げる。砲台が沈黙したことで、アンナとマリアが甲板へと降り立つ。と同時に、騎兵のハッチが開きフェノメナが飛び降りる。
「なにかおかしい!この船、憑りつかれている!」
アラタが叫ぶ。その瞳が赤く変色していた。船に降りる段階で、異能を解放したためである。普段、組合で使っている能力とは違い、持てる力を振り絞ったことによる瞳の色彩の変化であった。
その声に反応して、マナは盾をかざし《神殺し》は剣を払う。アンナは飛び退り、マリアは空中へと機体を跳躍させた。反応が遅れたのはフェノメナ。
《神殺し》が破壊した砲台跡からどす黒い触手の様なものが伸びる。それらは的確にアラタたちを襲った。
マナは盾でそれを弾く。《神殺し》は剣を一閃し彼とアラタを襲う触手を消滅させる。アンナは小刻みな機動で襲い来る触手を回避する。
捕らえられたのはフェノメナと、巨体故に細かな回避が追いつかなかったマリア。
「こ……れは……精神侵食かっ」
フェノメナは、己が仕える神である神狼の加護を願う。それによって侵食を防げるのはほんの数秒ではあったが、そのわずかな時間に《神殺し》の剣が触手を払った。
だが、そのわずかな時間の接触ですら、フェノメナの意識を刈り取るには十分だった。
一方、空中で触手に囚われたマリアの騎兵はその動きを完全に停止していた。触手が《神殺し》によって消滅させられた後も空中に漂っている。
「何が起こってるの?マリア!返事をしなさい!」
アンナが叫ぶが、返事はない。
「マリア!」
もう一度叫ぶ。すると今度はゆっくりと機体が動いた。妙に生物めいた動きでアンナを見つめる。
「それはだめっす!!」
それは一瞬の出来事だった。騎兵が投擲した大剣は、アンナの前に割って入ったマナの盾を貫く、鮮血がアンナに降りかかった。剣は、かろうじてアンナの手前で止まっていた。大盾とマナの胸を貫通して。
「大丈夫……使徒は……この程度では……」
そのまま、どさりと倒れた。
「マナさん!」
アラタが駆け寄る。騎兵の剣はその巨体同様、人が使うものの5~6倍の大きさがある。その直剣の半ばまでがマナの胸部を貫通し大量の血がそこから溢れている。開いたままの双眼は既になにも移しておらず、あの陽気な少女の面影はない。
「マリア、何をやっている!」
そう叫ぶアンナの声は届かず、空中にとどまる騎兵はまるで吠えるように両手を大きく広げ、天を仰ぐ。その機体をの各部から黒い瘴気が漏れ出し変貌を始めた。
両手の指が伸び装甲がまるで爪のようにとがる。関節は瘴気がまるで筋肉のように張りつめ装甲の隙間を埋めてゆく。頭部の装甲の隙間から除くセンサーがまるで意志あるモノのような光を放ち、背中のバインダーが被膜のある翼となり大きく開いた。
操縦席の中では、マリアが悲鳴を上げていた。侵入してきた瘴気の触手は既にマリアの全身を絡め取り接触面から侵食を始めている。助けを求めて叫ぶが、まともに言葉にならない。
それは、おぞましさしか感じなかった。敢えて言葉にするなら、魂の凌辱となるだろう。存在そのものが犯される恐怖。価値観の反転。湧き上がる嫌悪と憎悪は、大切なものを壊し、穢し、凌辱せよとマリアに命じる。抵抗は無意味だと、おぞましい何かが告げる。その声がなぜか愛おしく感じてくる恐怖。
無限に続くように感じられた一瞬が過ぎ去ったあと、マリアは淫靡な微笑みを浮かべアンナを見下ろした。
何が起こっているのか、アラタにはわからなかった。だから、変貌を遂げた機体を見上げることしかできなかった。
なぜ?なぜ?なぜ?
ただ疑問符だけが頭の中を駆け巡る。何かの糸口になるのではと、悪魔的な変貌を遂げたマリアの対魔騎兵に対して異能を解き放つ。
その状態が文字となってアラタの脳に叩きつけられる。
『神格*****の分体に取り込まれた状態』
その瞬間、脳をシェイクされるような衝撃が襲った。
どこかずれていた歯車がピタリと合った。そんなイメージ。
(僕の異能は【鑑定】などではない……それはあくまで付随的なもので、本質は……)
瞳の色は赤から金へと変化を遂げている。
(そう、僕の力は、存在を、状態を、書き換える……力)
アラタはそう理解した。そして、異能を解放する。
『神格*****の分体を取り込んだ状態』
支配者と被支配者を入れ替える。アラタはそう書き換えた。とたん、視界が真っ赤に染まり、激しい頭痛と嘔吐感に堪え切れず意識を失った。
その金色の光に包まれたときマリアは、変貌した自分から解き放たれていることに気付いた。それどころか、機体から感じられる強力な力に酔いしれた。機体を覆っていた黒い瘴気は払われ、だがしかし、機体そのものの変貌は残っている。操縦席を侵食した瘴気の触手はコード状に変化し、機体と搭乗者をダイレクトにつなぐシステムを形成している
「何が……起こったの?」
機体からダイレクトに伝わってくる感覚に戸惑いながらも、今は作戦を続行するべきなのだと判断する。だが、見下ろすと、既に三人が倒れている。
「マリア!正気に戻ったんなら、戦線に復帰しなさい!」
アンナの怒鳴り声。
「この船はもうおかしくなってんだ、アンナ!憑りつかれてわかった。一回全機能を停止させねぇと何もできねぇよ」
一度取り込まれたマリアは本能的に、この異質な存在が憑りつき活動するための核が必要なことを理解していた。
「やむを得ないということ?アマテラスはわたしたちの未来のために必要な船よ!」
アンナは思い悩む。がそれはほんの数秒だった。
「そうね、どちらにせよこのままでは帰れないのは確定事項なのだから、責任はわたしが負うわ。船を……停止させる」
苦渋の選択。
「ならば、任せてくれ。この機体ならできる気がするんだ」
マリアは船体のデータを呼び出し、主動力室の位置を正確に把握する。そして、機体の右手に力を込めるようにイメージを固め、全力で船体の装甲に叩きつけた。
「バカ!次元衝角船の外殻がそんなので……ってウソ……」
その拳は、あっさりと外部装甲を打ち抜いていた。不自然なことに、拳の大きさよりもより大きな穴が。
「アンナ!」
その声にやるべきことを思い出す。強化歩兵の外装をパージするとマリアが開けた大穴から船内へ飛び込んだ。
ものすごい振動が船体を揺らしたとき、オルナたちを閉じ込めていた部屋のロックが自動で外れた。
「罠、じゃないわよね」
アリアが扉から顔をのぞかせながら言った。手にはシャツに縫い込んで隠していた細い金属糸の先に分銅を結わえた即席の武器を構えている・
「どうやら何かあったようですね。罠かどうか私にはわかりませんが、手をこまねいていても仕方ないと思います。オルナの傷も気になりますし」
格闘家として鍛え上げたオルナの体は非常にがっしりとしていて女性としてはかなり重い部類に入るが、重戦士であるカーラにとってはさほどのものでもない。軽々と背負うと、アリアを促した。
「前衛はあたしが、しんがりをエリザベスが務めて。一気に駆け抜けるよ!」
そこは、異様な光景だった。
船の心臓部である主動力室。そこには転移炉と呼ばれる特異機関が存在する。そもそも、次元衝角船は発掘兵器であり、アンナたちの地球の文明が崩壊する以前の兵器であった。故に、その仕組みを理解しているものはいなかった。かろうじてわかることは、この動力が〈魔術〉を応用していることだけだろう。
だが、その動力源を中心に奇怪な触手が這い回っていた。恐ろしくグロテスクでありながら、どこか畏敬を感じさせることが異様な雰囲気を倍増させる。
「私たちの任務は失敗した。この世界は私たちを受け入れてくれるのだろうか」
呟きながらアンナは動力の非常停止コードを入力する。一度停止させてしまえば、再起動に莫大なエネルギーを必要とする転移炉。だが、これを止めることでこの世界の秩序を破壊する現状を打破できるのならば、と心を決めた。
さいごのコードを入力した直後、転移炉にあふれていたエネルギーが瞬時に消滅する。と同時に、システムに取りついていた触手が断末魔の悲鳴をあげながらのたうつ。激しい動きを回避しきれず、アンナは弾き飛ばされた。打ち所が悪かったのか、右足の膝が砕け激痛が走る。もう一撃食らうとやばいかと他人事のように思いながら、のたうつ触手をただ見つめていた。
だが、幸運なことに二撃目はこなかった。触手はアンナの目の前で急速に萎びて最後には黒い消し炭のようになって朽ちてしまったからだ。それを見届けた後、危機は去ったのだと本能的に理解したアンナは、意識を手放した。
『やれやれ、これは我の失策じゃろうな』
アラタとの間に繋いでいた回廊を通って現場に現れた巨狼が呟く。
「どうやら、あの娘が船の動力を止めたようだ。だが、汚染自体は浄化できないようだな」
《神殺し》が近寄って言葉をかけた。
『少年にも負担をかけてしまったな。まさか、こやつに与えられた力が神力に匹敵するモノとは考えておらなんだ。繋いでおった回廊からの神力供給が追い付かずすまないことをしたの』
「俺は生存者の救出に向かおう。船員のほうも回収しておいたほうがいいか?」
『そうじゃの、頼めるか。ただし、船員は拘束しておけ。おそらくはかなりの深度の精神汚染を受けておろう。生きている者を回収したら、この船は我が浄化の氷棺に封じよう』
「ああ……わたしらの船が……」
船内の生存者……アマテラスの乗員、行方不明だった探索者、救出に向かった探索者たちを救出した一向はいったん浜辺に待機している。沖合に浮かぶアマテラスがゆっくりと氷に閉ざされていくのをマリアは悲痛な表情で見守っていた。言葉が通じず説明を受けることが出来なかったため何が起こっているのかはわからない。だが、仲間を救出してもらった恩があるので、その凍結を受け入れるしかなかった。次元衝角船の主動力である転移炉の起動に必要なエネルギーは、おそらくこの世界では得られない。可能性があるとすれば変貌した彼女の愛機のジェネレーターであろうが、これは全く未知の動力に置き換わっていた。これを繋ぐのは最終手段であろう。
マリアの視点から見れば、いつの間にか現れた巨大な狼が、なにやら現地の言葉で告げる。言葉はわからなかったが、この世界の魔術にかかわる〈力ある言葉〉なのだろう。拘束され虚ろな瞳で虚空を眺めていたアマテラスのクルーたちがゆっくりと巨狼の後を追う。付いてこいという意味だったのだろう。そのあとを、捉えられていた女性たちが怪我人たちを乗せた即席の橇を引きながら追う。マリアも、騎兵を搭乗者であるマリアを追うようにオートモードを設定し、彼らの後を追った。
現地の法で裁かれるのだろうか。だが、甘んじて受けるしかないだろう。おかしくなっていたとはいえ、マリアは協力者である盾持ちの少女を殺した。
そう思っていた。と、自分の罪を刻もうと少女の亡骸に目を向けた。
「……って生きてんの?何であの傷で!」
その視線の先では、彼女が殺したはずの少女が痛みに涙を流しながらも、彼女の主からの褒め言葉(だとマリアは判断した)にどこか満足げな姿があった。
きっと、最悪のケースにはならないだろうと、不思議な確信がマリアを包んだ。その直感を信じていいのかは判断できないが、それでも今は信じようと担架で運ばれている意識のない相棒に目をやりながらマリアは一行の最後尾を歩く。
そう、今は信じよう。きっと何とかなる、何とかできるに違いない。なぜなら、彼女たちは生きているから。あのアラタという少年が目を覚ましたら、説明してくれることを願いながらマリアたちは異世界の都市へと足を踏み入れることになる。