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《神殺し》

 アラタの朝は早い。というのも、迷宮の受付は日の出の時間からだからだ。

 拘束時間だけで言えば、ブラックと言えなくもない。特にこのところ報告書の作成などで時間がとられているせいでよけいにそう感じてしまう。

 先日のコボルド転移事件が何かの前兆かもしれないと、探索者への聞き取り調査や漂流物の傾向を分析したりと組合もかなりバタバタとしていたが、結局はなるようになるさといういつものパターンに落ち着いている。【イル=レアナ】の人々はあまり記録の整理には頓着しない傾向がある。というより、そういったことは専門家がやるものだというのが彼らの考え方のようだった。

 とはいえあれ以降なにか変わったことがあるわけでもなく、迷宮は平常運転に戻っている。

 そんな中、「彼」が帰還した。


 彼が迷宮から戻った瞬間、いつもは賑やかな組合の中が静寂に包まれた。かれは、アラタが作ったボードから、無銘の名札を外す。その階層は、87階層。現在知られている最深部である。無銘なのは、彼の名前は禁忌とされているためだ。

 中には、嫌悪を通り越して憎悪としか思えないような視線を向ける者もいる。

 無言で探索者カードを差し出す「彼」に、アラタはいつもの営業スマイルを向けるべきかどうか迷った。

 アラタにとって「彼」は恩人でもある。「彼」がいなければ、アラタは漂着した時点で命を失っていたはずだからだ。


《神殺し》


 それが、彼を表すすべてである。何時、どのようにして彼が《神殺し》を成したのかは既に失伝している。少なくとも、《迷宮》が生まれる前なのは確かだ。神話的闘争によらない神殺しは大罪であり、故にすべての神々によって呪われている。漂着した邪神を討ったのだろうといわれているが、一切の記録は残っていない。

 彼が存在することを許されているのは、このアーティナルのみである。それは、神々による妥協の産物ともいえる。そう、迷宮に漂着する神格への切り札として。そして、【イル=レアナ】から去ることを選ばなかった神を、邪神として処理するのが《神殺し》の存在価値とされている。そして、新たな罪と呪いを受けるのだ。

 虚ろな《神殺し》の瞳は、総てのものに何の価値も見出していないのがわかる。見下しているのではない。その魂が摩耗しきっていることが感じ取れるのだ。


 差し出されたカードを、【鑑定】の異能を使って確かめる。

 彼のカードに記載されている情報は極度に少ない。名前は、神によって呪われているため知ることが出来ないし、到達ポイントの記載もない。何故なら、彼は聖句を切ることを禁じられているからだ。唯一の例外として、総てに慈悲を説く治癒神イルウィナの守護領域のみ《神殺し》は拠点とすることが出来るのだ。だが、独立した下級神であるイルウィナは迷宮内にほとんど領域を作ることが出来ないため、《神殺し》が迷宮から出ることはあまりない。

 迷宮内の諸神の守護領域は転移ポイントとして登録できるわけだが、現在判明しているイルウィナの領域は20階層が最も深い位置である。故に《神殺し》は一度迷宮から出ると、20層からしか再探索できないことになるためだ。


「旦那様、お帰りなさいませ」


 いつの間に現れたのか、初老の執事が《神殺し》に深々とお辞儀をする。その背後に控えていた二人のメイドが《神殺し》の鎧を清め、マントを取り換える。《神殺し》の邸宅はアーティナルの東側にあり、その規模は豪邸といって差し支えはないだろう。個人の邸宅としては最も大きいものと言われている。

 そんな大きな邸宅に、身の回りの世話を受け持つ数人のメイドと執事とともに暮らしている。とは言え、《神殺し》はその身に受けた呪いにより、自らの存在を維持するために他者の精気を食らわねばならない。故に彼は迷宮に入り、魔物を討滅してその精気を奪っている。あまりアーティナルの都市部にいることは少ないし、その館はいつも主人不在の状態である。


「よくない気配を感じた。館に戻る」


 虚ろで抑揚のない声で、《神殺し》は告げる。《神殺し》はその神格に於いて、中級神相当の格を備えていると言われている。その器となっている身体は元は人間のものであるため限定的にしか神威を扱えないが、漠然とした未来予測は可能という。あくまで、精度の高い予感程度のものではあるが。


「畏まりました。それでは、馬車を回しますか?」

 筆頭執事であるジョセフが尋ねる。が、彼の主人は首を横に振る。


「いや、歩こう。その方が早いだろう」

 そういうと、マントのフードを深くかぶり顔を隠す。彼はほぼすべての人に嫌悪と恐怖を与えてしまうため、そういった処置が必要であった。不思議なことだが、直接彼を認識しなければ、そういった不快感を受けることはない。フードの男が《神殺し》であることに気付いたとしても、その奥を覗きこまない限り大丈夫なのだ。それは、彼が受けた呪いのためなのだろう。

《神殺し》も執事も二人のメイドも非常に健脚で、一時間も歩けば屋敷にたどり着くことになる。街の東側はどちらかというと治安の悪い一画であり、道も入り組んでいる。アーティナルはウィルトラント大陸の都市の中では非常に治安の行き届いた街として知られているが、それでもやはり後ろ暗い連中が闊歩するエリアは存在する。

 《神殺し》の邸宅はそんなエリアの外れにある。手入れも行き届かないごみごみとした通りを抜けたところに突然に、管理の行き届いた貴族の館と言われても信じるほどの大邸宅が現れるのだ。場違いな感はあるが、普段はその館に近づくものはいない。この街に住んでいて、そこが《神殺し》の邸宅であることを知らないものはいないからだ。

 だが、この日は違ったようだった。


「何度も申し上げておりますように、旦那様のお許しなしに部外者を館に入れるわけには参りません」

 長身のメイドが門の前に立ちふさがり、騎士鎧を身にまとった男と口論をしている。騎士は激昂しているのか、大仰な身振りでメイドに怒鳴りつけているようだ。


「何をしているのです、エルザ」

 ジョセフの問い掛けにメイドは深々とお辞儀をする。もちろん、ジョゼフに対してではなく彼女の主である《神殺し》に対してである。


「お帰りなさいませ、旦那様、ジョセフ様」

 エルザと呼ばれたメイドは主たちを迎えるために、一歩下がった。


「貴公がこの館の主か。私はオルストバルト帝国銀狼騎士団団長ヴォルドレイク・アル・ファンダールである」

 尊大な態度で向き直った男の甲冑の左胸には、狼を模った紋章が刻まれている。大陸東部を占める一大軍事国家であるオルストバルト帝国の七大騎士団の中でも屈強と名高い銀狼騎士団の紋章である。銀狼騎士団は辺境制圧を主任務とするため、実戦経験も豊富な大陸最強の軍隊と言われている。


「貴公も名乗られよ」

 帝国貴族の伯爵位を表すアルの称号を持つヴォルドレイクはフードをかぶったままの男に不快感を隠すことなく言い捨てる。


「名などない。忘れてしまった。何の用かは知らんが、俺には関係ない。帰るがいい」

 抑揚のない声。戦士の家系として名高いファンダール伯爵家の当主であるヴォルドレイクに対して、全くの無関心が感じられる声だった。エルザの対応に興奮していたヴォルドレイクの怒りが頂点に達するのに充分な言葉だった。


「貴様!」

 腰の長剣に手をかけて抜き払おうとする。帝国の法では、このフードの男の態度は侮辱罪が成立するだろう。が、しかし剣を抜くことは出来なかった。

 男のそばに控えていた執事がいつの間にか目の前に迫っていて、ヴォルドレイクの長剣の柄頭を左手で押さえつけていたのだ。


「お引き取りくださいませ、ヴォルドレイク卿。主人は迷宮から帰ったばかりでお疲れなのです」

 柔和な容貌ながら、その瞳には力がありヴォルドレイクは無意識に半歩下がっていた。


「そうはいかぬ。先日、我が帝国の守護神である光輝神オルミネアスより神託が下ったのだ。近い将来、この迷宮に災厄が降り掛かると。そして、オルミネアスの勇者が何処より現れ、狼を率いて災厄を鎮めるとな」


「興味がない。帰れと言っている」

 そう告げると、完全に興味を失ったのかヴォルドレイクに背を向けて開門を命じる。


「待て。貴公にはいずれ現れる勇者の為にこの館を提供して頂く。貴公に拒否権はないと思いたまえ」

 ヴォルドレイクはジョセフの手を乱暴に払いながら宣言する。ジョセフは一瞬何を言われているのかわからない様子で払われた手を見つめた。


「帝国法は独立都市であるアーティナルでは適用されない筈だが?」

 フードの男……《神殺し》は流石に無法な物言いに振り返った。


「ふん。貴公は知らぬようだが、この都市が独立都市として成立するとき、特例が設定されているのだ。迷宮の結界に異変が生じかねない場合、その異変に対応する者に対し最大限の便宜を図ることが記されているはずだ」


「そうなのか?」

 《神殺し》がジョセフに尋ねる。


「左様でございますな。確かにそういう特例はあったと記憶しております。きわめて古い初期の法律とも呼べぬ約束事として存在していたかと」


「だが、現行の都市法でそれを撤廃していない以上有効なのだよ。なにしろ、神の前で成立した決まり事なのだからな」


 確かに迷宮都市が独立する際に掛けられた保険のような決まりである。莫大な富を生み出す迷宮を特定の国が管理することに当時の大国は挙って反対した。その利権を求めての大戦も起こった歴史がある。その結果、妥協案として独立不可侵の迷宮都市アーティナルは生まれたのだ。だが、同時にそれはいざ迷宮の結界を破るような危険が迫った時、小さな都市国家だけで対応は困難であることが予測されたため、迷宮に危険な存在が漂着した場合、その鎮圧を諸大国の援護が必要だった。そのために、各種便宜を図ることが決められたのだ。

 もっともその決まりも、迷宮都市が発展し世界中から猛者が集まり探索者として活躍する今、形骸化し実質無効化しているといって過言ではない。もちろん竜や異界の魔王といった脅威が漂着し迷宮に居座った場合、勇者が神や教団によって指名され迷宮都市を訪れる。その際には「古の盟約に従い」勇者とその仲間たちに最大限の便宜を図るのは、アーティナルの伝統でもある。だがそれは、義務からくるものではなく、純粋に勇者への敬意からくるものだ。


「一度お引き取りを。そのような大事を前触れもせずに持ち込むほど、帝国貴族は無粋ではありますまい」


「ふん、今日の所は引き下がろう。よい返事を期待している」

 ヴォルドレイクはその精悍な顔に尊大な笑みを載せて、その場を立ち去った。


「状況はよくないか。ジョセフ、館は守れるか?」


「守れと命じられればこのジョセフ、一命を賭けても守り抜く所存ですが」

 右手の拳を左の掌に合わせてジョセフは告げる。ジョセフがその気になれば帝国の上級騎士程度なら軽くあしらえるだろう。かつて、勇者の仲間として迷宮に挑み、強大な竜を討滅した竜殺しの一人にして、《神殺し》の使徒として200年の研鑽を積んだ格闘士なのだから。


「この街でことは荒立てたくないな。ここの土地神は俺の存在を黙認してくれる稀有な存在だ。彼女の顔はたててやりたい」


「いろいろ無茶振りをされる女神でもありますが。でしたら、館は明け渡す前提でことを運ぶということでよろしいのですか」


「そうだ。使用人たちはしばらく町長の屋敷で預かってもらう。そのくらいの貸しはあったはずだ」


「旦那様は如何されるおつもりで?」


「〈深淵の入り口〉亭の世話になる」

 〈深淵の入り口〉亭は探索者御用達の宿として知られている。どちらかというと高級宿に分類されるので定宿として使う探索者は限られているのだが。そしてもっとも高価な部屋は、一泊で武具が新調できるほどの値段になる。そのため、使用者はほとんどいないのが現状であるのだが、それには訳があった。

 事実上の《神殺し》専用なのだ。事実彼が邸宅を構える30年ほど前まで使用していた記録が残っている。今では、迷宮を訪れる勇者たちを接待するとき以外使われることのない部屋となっている。


「わかりました。それでは手配致します」


「まかせる。俺は宝物庫に結界を張っておく。金銭的なものはどうでもいいが、あそこには世に出してはならない危険なものが多いからな」

 《神殺し》の館が、呪われた館と呼ばれる所以でもある。彼が迷宮で手に入れた危険な品はその多くは神殿などで処理されているが、それを差し引いても大量の品が宝物庫に眠っている。ジョセフが彼に仕えるようになってからは目録も整理されてはいるが、それ以前のものになると誰も把握していないのが現実だった。


「《神殺し》殿!戻っておいででしたか」

 凛とした女性の声が響く。その声は生命力に満ちていて《神殺し》とは正反対のイメージを抱かせる。


「エミリア殿。如何なされましたかな」

 ジョセフが対応する。


「これはジョセフ殿。先ほど神狼様からお告げがありまして、《神殺し》殿を神託の間へ案内せよと」

 神狼とは、アーティナルを守護する土地神である。


「どうやら、厄介ごとが始まるらしい」

 そう漏らした《神殺し》の声は、ほんのわずか、長年仕えてきたジョセフですら見落としてしまいそうなほどの感情のゆらぎがのせられていた。

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