終幕
アマテラスを見送ったアラタたちは、管理者を名乗る少年と向き合った。対峙した、といってもいいだろう。
「さて、審判の時間だ」
少年が右手をかざすと、《神殺し》の手からあの禍々しい長剣がするりと抜け出した。
少年がその剣を手にすると、その禍々しい剣身を象徴する毒々しいオーラが消え、本来の澄んだ銀色の刀身が現れた。
少年はしばらくその剣を眺めていたが、大きく息を吐くと、残念そうに首を横に振った。
「あと、少しなんだけれどね。残念ながら今回もやり直しだ」
そういうと、少年は剣を《神殺し》へ投げ返した。
「さて、何から説明したらいいのだろうな。聞きたいことが多すぎて困っている、そんな顔をしているね」
アラタは、二、三度頭を振って思考を整理する。
「何故、僕だったんだ?」
なんとか振り絞った声。
「そうだな、こういっては何だが、君は保険だ。そして、今回の試行もまた失敗に終わり、君には多大な迷惑をかけてしまうことになる。謝って済む問題ではないが、それでもすまないと言わせてもらう」
「答えになっていない! 保険? 何を言っている」
声を荒げる。
「順を追って話そうか。僕の世界、君の世界、この世界について」
「さっきも言った通り、僕らの世界は終わりを迎えようとしている。いや、それは言い過ぎか。僕らの文明は、というべきだな。どちらにせよ、僕たちが終わりを迎えるのは間違いないのだけれどね」
そう前置きして、彼は語り始めた。
長い、長い歴史の中、僕たち人類は進化を続け、その袋小路へと陥った。
文明は緩やかに衰退していき、人類の出生率は下がり続け、多くの人々は心を病んだ。
今の僕たちには、君たちのような創造力はない。今あるものを発展させることは出来ても、新しいものを生み出す力は既に失われて久しい。そして、殆どの事象が考え得る発展性を網羅しつくしたとき、僕らの文明は終わる。
先ほども語ったように、僕らはこの緩慢な破滅を回避する手段を求めて、あまたの世界をシミュレートした。僕はまだ若く、多少なりとも人らしい感情をまだ失っていなかったので、このプロジェクトに参加するのを楽しみにしていた。初めて研究室へ入った時胸が躍ったよ。
だけど、僕の理想は裏切られた。
確かにそこでは、無数の世界があった。だが、そこに希望はなかった。
多くの研究員たちは、下位世界を眺めることに夢中で、僕が求めた人類救済を目指すことをあきらめていた。
創造する力を失った僕たちにとって、若く力強い君たちの世界は、麻薬にも等しい快楽を生み出すんだ。僕がこの仕事に就いて初めて見たものが、管理する世界の知的生命体に自らの分体を憑依させ、刹那の快楽に身を任せる先輩方の姿だった。
もちろん、僕たち自身の精神は高度に情報化されているから、そんな状態でも仕事は出来るし、実際彼らもしっかりと仕事はしていたさ。だけど、下位世界の人物の感情に同化して悦楽を貪る彼らはとても醜く感じた。
わかるだろう?
そんな麻薬にも等しい快楽を、諸先輩方は一つたりとも新人の若造に渡す気はなかったのさ。
かれらはシミュレーターの容量が許す限りの下位世界を作り上げ、その世界に溺れていた。
シミュレーターの容量が許す限り、ということは同時に冗長性を失うことを意味した。だからこそ、この世界が生み出されたんだよ。
放っておくと、彼らの管理する世界はデータ過多で崩壊してしまうからね。
だから、彼らはこのデータの廃棄場所の管理を新人の僕に放り投げた。
まあ、僕だって最初は弁えていたさ。最初から責任のある仕事はさせてもらえないかもしれない。これは、いわば研修のようなものなんだって。
だけど、いつまでたっても僕に正規の世界の管理は回ってこなかった。
この世界はね、他の世界と違って、冗長性が異様に高く設定されているのさ。そうだね……。アラタ、君は君の世界がどれだけの大きさがあるか知っているかい?
そうだ、よくわかってるじゃないか。君の世界が光速を基準にしている以上、観測限界が存在しているからね。君の「無限に近しい」という観点はある意味真理を突いている。
だけどね、この【イル=レアナ】は、その広さに明確な物理限界があるのさ。そうだね、君にわかりやすく言えば、君の世界における、ユーラシア大陸程度の広さしか存在しない。
そして、その世界の外側に、本来矛盾となる質量やエネルギーを拡張することで、この世界はバランスをとっているのさ。
そう、そのまさかだよ。この迷宮は、正確には、【イル=レアナ】の外側に泡のように張り付いた拡張エリアに存在するのさ。だからこそ、この迷宮は、転移以外の方法で、各階層やエリアを移動することが出来ない。
だけど、それは同時に、管理者が細心の注意を払って世界を管理しなければならないことを示している。
そんな泡のような世界は簡単に弾けてしまうからね。
そんな世界の管理を、僕はずっと続けてきた。いつか、人類を救う世界を任されることを夢見ながらね。
だけど、そんな日が来ることはなかった。そして、永遠に来ないことも知った。
僕はね、その時に狂ってしまったんだ。
僕は、死を望むようになった。ただひたすらに流れ込むゴミの整理に明け暮れる日々。ぼくの心はあっという間に磨り減って失われた。
前にも言ったと思うけど、僕は僕なりにこの世界に愛着もあるんだよ。少なくとも、僕の死によってこの世界が崩壊するのは防ごうと思うくらいには。
《神殺し》が使っていたこの剣なんだけど、これは僕の世界の物質が織り込まれている。本来、下位世界に上位世界の物質は持ち込めないのだけれど、いくつか裏技があってね、それを使ってこの世界へと持ち込んだのさ。代わりに、物質が持つエネルギーはゼロになって使い物にならなくなったのだけれど。
次に、この剣にエネルギーを満たすために、多くの存在力を狩るよう仕向けた。
とは言え、通常の存在を狩ったところで、世界と管理者と切り離すだけのエネルギーを貯めることは事実上不可能だ。だから――――――
「だから、貴様は時間に干渉した。いや、干渉できる存在を引き込んだ」
少年の語りを《神殺し》が遮った。
「だが、何故だ。貴様の力ならば、自前でこの剣を過去に飛ばすこともできるはずだ」
《神殺し》の問いに少年は肩をすくめた。
「はじめは、そうしていたさ。だけれど、千年以上の時間転移は、この僕という端末のエネルギーを消費しすぎる。僕が消えてしまっては、そこでこの計画が終わってしまうのさ」
「そうか、いっそ消えてくれた方が清々しい気分になれるのだがな」
「その場合、僕と一緒にこの世界も消える。世界はなかったことになる。読みかけの本を火にくべてしまったように、その内容の過去も未来も現在も、消える。それでいいなら僕を消してくれてもかまわないよ」
《神殺し》は忌々しげに少年をにらみつけた。
「くそ、解ってはいたさ。俺は結局貴様の思う通りに行動せざるを得ないってことはな」
記憶を取り戻した今、《神殺し》はその最後の役目を理解してしまっていた。その役目を放棄することは出来る。だが、それは世界の消滅への道となる。
「では、はじめようか。次の試行を」
少年が、感情のない声で宣言した。
「アラタ、この剣を持て」
《神殺し》がアラタに向けて、彼の剣を、この因縁に深くかかわる剣を放り投げた。その剣はまるであつらえたかのようにアラタの手になじんだ。
《神殺し》はアラタがその剣を手にしたのを見届けると、その右手を自らの胸へと当てた。そして、そこから何かを引きずり出していく。
神核。
神を神足らしめているコア。
「な、なにをしている!」
アラタは思わず叫んで駆け寄った。神から神核を抜くことは、その神の死を意味する。
拳大の淡く光る宝玉のようなものが《神殺し》から完全に引きはがされると、彼はがっくりと膝をついた。駆け寄ったアラタがその体を支える。
「受け取れ、そして、生きろ。生き続けろ」
そういうと、彼は……既に彼は、《神殺し》ではなかった……その神核をアラタの胸へと押し付けた。それはなんの抵抗もなくずぶずぶとアラタの胸の中へと沈んでいった。
「なんてことをしたんだ、それじゃあんたが!」
そういって、つい先ほどまで《神殺し》だった男の顔を覗き込んで、アラタは驚愕にその身をこわばらせた。
《神殺し》の姿は、変わっていた。
その姿を、アラタはよく知っていた。
最も身近な、顔。
彼自身の、顔。
そして、赤く……さらに金色に光る、双眸。
「すまんな、過去の、俺。願わくば、お前が、最後の俺であらんことを……」
《神殺し》だった男は、その神核を排除したことで、本来の姿を取り戻した。
そして、新たに《神殺し》となった男に、彼自身が持つ能力を解き放つ。
「今から、お前の存在する時間軸を書き換える。お前は俺となって、千年の時の果てに、もう一度ここに立つだろう」
世界から引きはがされる感覚が、アラタだった男を襲った。
世界を書き換える力に対抗できるのは、世界を書き換える力のみ。それは上位世界の力だから。
そして、《神殺し》となったアラタに、それに抗うすべはなかった。
「つらい仕事をさせてしまったね」
少年がアラタの姿を取り戻した男に声をかけた。
「貴様のためじゃねぇよ」
それが、彼の最後の言葉だった。
《神殺し》だった男は、その手足の末端から、砂と化して消滅しようとしていた。
「礼なんてほしくないかもしれないけれど、ありがとう。それが、僕の本心だ」
砂となり、崩れ落ち、そして、その砂も霞のように消えていった。
いつの間にか、リリーナも姿を消していた。
「彼女も、還ったのかい?」
その場には既に少年とフェリシアしかいない。
「ああ、彼女もまたあなたの犠牲者ゆえな。見届け人としての我もまた、ここより去るとしよう。我は確かに神であるが、時に縛られるという一点に於いては人と何ら変わらぬ。ゆえ、此度のことが何の意味があるのか、我にはようわからぬ」
フェリシアは少年に背を向けた。
「だが、あなたの野心のために消えた二人は、我のかけがえのない友であったのじゃ。あなたは我らがどれだけ呪おうと歯牙にもかけぬであろうが、それでも我は、あなたを呪わずにはおれぬ。じゃが、彼らはそれを望むまいな。だから、我もまた彼らに習おう」
天を仰ぐ。
「我が千年の友にようやく訪れた平穏に。我がしもべに訪れるであろう苦難に。我は願おう、汝らの魂に救済があらんことを」
「僕は……誰だ?」
その男は、白銀の剣を握りしめたまま、呟いた。
記憶が混乱している。自分の名前すら思い出せない。
ただ、生きねばならぬ。それだけがはっきりとしていた。
その美しい刀身を持つ長剣は、確かに彼のものなのだろう。何年も使い込んだように手になじむ。
やらねばならぬことがあった。剣がそれを教えてくれる。
「やめて! 我が主を傷つけさせはしない!」
若い女性が両手を広げて彼の前に立っている。その目は怒りに燃え、男を突き刺した。
『良い、そやつは我が我である内に、我を滅するためにやってきたのだ。大いなるモノと接触する禁忌を犯した我を救うにはそれしか道はない』
小さめの丘に腰を下ろした巨大な人影がその女を制した。
「いやです、私は主に仕える神官です。主を害しようとする存在を見逃すことは出来ません」
長い金髪を左右に振りながら女は叫んだ。
『よいと言った、我がしもべ、神官リリーナよ。さあ、退きなさい』
雨が、降り始めた。瞬く間にそれは激しくなり雷雲よ呼んだ。
「いやです、いや! 私は、私は!」
男が無造作に近づいてくる。リリーナと呼ばれた神官は、手に持ったメイスを振りかぶり、男に叩きつけようとした。
だが、一瞬で体を入れ替えられると彼女は宙を舞っていた。慣れ親しんだ重力から解放され、次の瞬間、地面に叩きつけられた。
「あなたは……神、か」
剣を持ち上げる。男の意思とは無関係に、体が動いた。
『そうだ、もはや名すらもなき、忘れ去られた存在ではあるが、な』
ずぶりと男の剣が巨神の胸に突き立った。剣は、確実にその神核を貫き、喰らう。
神の血は呪いとなって男に降り注ぎ、それは烙印となった。
『貴様は、その呪いを背負ってゆくことになろう。善き神々は、貴様を《神殺し》と呼び、滅しようとするだろう。悪しき神々は、貴様を《神殺し》としてその権限を奪おうと画策するやもしれぬ。だが、忘れるな。貴様には役目があるということを』
どうと、巨神が倒れる。駆け寄ったリリーナに神はそっとつぶやく。
『汝にも役目を授けよう。我の神としての最後の仕事だ。《神殺し》を支えてやってくれ。我の死を、無駄にするな。我の死もまた我の役目でもあるのだ。つらい役目を押し付けてしまう、不甲斐ない主を許せ』
リリーナと呼ばれた女性は縋りつき、涙を流す。
「いやと申しました。何ゆえ主が贄とならねばならぬのです。私にはできません」
ゆっくりと、神の形が崩れてゆく。崩れた端から、光の粒子となって宙へ舞い、消えてゆく。
残されたのは、主を失い絶望に暮れる女と、罪人のみ。
「ああ……あ」
うめくような、喘ぐような声が、罪人の口から洩れた。
罪人は、虚空を見つめたまま、意味のないうめき声をあげるだけであった。
「あなたは……」
恨みは、怒りは飲み込んだ。主の最後の意思だから。
「ああ……ああ……」
ゆっくりと、リリーナは歩み寄った。
いっそ、一思いにこの男を殺してしまいたい。その思いをぐっとこらえる。
男は呻き、喘ぎながら意味をなさない何かを吐きながら、胸を、喉を、頭を掻き毟る。
彼女の神が与えた、彼女の役目。神が見た、狂気に染まった世界とその記憶が押し寄せる。
そのほとんどは、断片となり意味をなさない欠片となったが、ただ一つ、使命のみがはっきりと示されていた。
来るべき時まで、《神殺し》を導くことを。それが託されたただ一つのもの。
この男もまた、大いなるものの狂気に踊らされた哀れな人形に過ぎないということもまた知った。
「あなた……名前は?」
男は答えない。答えることが出来ない。
「そう、答えられないの?」
男はゆっくりと振り向いた。リリーナと目が合う。虚ろで、何も移していない光彩のない瞳。
「あああ……ああ、あ……」
僅かに伸ばした手が、リリーナの手を取ろうとする。だが、その手はすぐに相手を見失い、だらりとおちた。
リリーナは、その手を取り、立ち上がらせた。男はまるで意思がないかのようにそれに従った。
「さあ、いきましょう」
この男は、《神殺し》を成した。それが己が意志によってであるかは問題ではない。この男は、ただ、世界の敵となった。
男は、ただリリーナに引かれるまま、歩みだした。
そして、定められた運命に従い、罪を重ねていくことになる。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
そして、いつか、その旅が終わる日まで。
そして、無限に繰り返されるかとも思われた旅路も、いつかは……




