予兆
鋲の入った長靴が石畳を叩く音が響く。
アーティナル迷宮第一階層表層区。探索者になった者が最初に潜るエリアを、四人の新米探索者たちの足音が響く。
第一階層の特徴は石造りの迷路である。迷路とは言え分岐はそれほど多くはなく、そのかわりに曲がり角が多い印象がある。最初は警戒を続けていた一行も次第に行動が最適化したためか、緩急の付け方を学び始めている。この階層に流れ着く魔物はほとんどが動物系のものである。そのため、高度な待ち伏せなどはほとんど起こり得ないし、逆に探索者側から不意打ちも困難である。それ故に、出合い頭の遭遇戦にさえ気を付けておけば致命的な事故は起こり得ないことも事実である。
「本当に動物ばっかりだな」
少年剣士ヨハンはつぶやいた。ここまでで遭遇した敵は全て野生の動物か、それが多少変異したものだった。動物から採れる素材は肉や皮などであるが、これらを持ち帰るには解体しなければならない。それらの技術はあるものの、時間がかかりすぎてしまうこともあり今回は討伐部位のみを切り取ってあとは放置している。実際、この階層の素材に関しては専属ともいえるハンターたちがいるため、供給過多ともいえる。
「仕方ないさ。ほとんどの探索者はこの層は駆け抜けるだけだという話だし」
両手剣を肩に担いだ戦士アーネストが答えた。重量で叩き斬る、というより叩き割るというのにふさわしい武器ではあるが、この層の動物系の魔物に対してはあまり有用とは言えない武器である。小柄で素早い相手には重量武器の命中率はあまり高くないためであるが、何度も戦闘を繰り返すうちに連携がしっかりしてきたため、その破壊力を生かし始めている。
警戒を続けながらも、軽口を叩きあう余裕が出てきた一行であったが、斥候職の少女マリアの静止の合図にその足を止める。
「何かありましたか、マリアさん」
長身の戦神の神官であるフェルナンドが尋ねた。彼ら四人は幼馴染であり、そのためマリアの勘の鋭さはみな承知していた。
「なにか見られていた気がしたんだけど……気のせいだったみたい。それより、少し先に扉が見えるわ」
マリアは夜目が効くため、たいまつの明かりが届かない先にある扉を見つけていた。生きた迷宮の中では、扉などに区切られた場所には、その階層に漂着するモノのなかでも比較的高い存在力を持つモノが流れ着くケースが多い。そのため、扉を開ける際には注意が必要となってくる。
「どうする?開けるかい?」
マリアの問いに、ヨハンはしばらく考えた後首を縦に振った。ここまでの動物系の魔物はほぼ安定して倒せるようになっている。もともとそれだけの力があるからこそ探索者になったのだから。
「扉の先に何があるとしても、この階層の難度を大きく上回ることはないと思う。用心はするが、ここで引くようならより深層へ向かうことなど出来ないんじゃないか?」
ヨハンの一声で一行の方針が決まった。マリアは慎重に扉に近づき聞き耳を立てる。無防備になるマリアをかばう様にヨハンたちは周りに目を配る。トラップの確認とロックの有無を調べる。
「罠はなし……カギは……初歩的なピンタンブラー錠か……」
ベルトに挟んだツールボックスから数本の細い針金を取り出すと鍵穴を探り始める。上級者になると、針金を挿した段階でピンの数と適正な高さがわかるというが、まだマリアの力量はそこまでではない。手探りで当たりをつけるしかない。もっとも、ここにある錠のピンの数は少なかったため、当たりが付くのは早かったのだが。
「防御力の高い俺が前衛に立つ。マリアは扉の中に身をさらさないよう気を付けながら開けてくれ」
探索者となって初めての探索らしい探索である。四人とも自然と胸が高鳴っていた。いずれこの感覚にも慣れていくのだろうが、今日この時の感覚を覚えておこうとヨハンは思った。それは、きっと探索者としての冒険を続けるうえで失くしてはならない初心なのだろうから。
ふと、体の中を突き抜ける風のようなものを感じて、アラタは目を上げた。不快な感覚はなかったが、無性に不安を掻き立てられる。
「今の感じ、知っている気がする」
アラタは、彼自身がこの【イル=レアナ】に漂着した2年前のことを思い出す。
アラタには漂着前の自分自身の記憶がない。記憶喪失というわけではなく、自分と直接に係わらない記憶に関してはしっかりと残っている。
そして、アラタが漂着して最初に見た光景は、地獄だった。
累々と横たわる戦士たちの屍。それを見下ろす異形の巨神。相対する数人の勇者。
巨神もまた多くの傷を受け、その神力を失っている。アラタはそれを【鑑定】の異能で眺めていた。
「異界の神よ、去りたまえ。ここは汝が住む世界に非ず!」
巨神は追放者だった。彼の神の住む世界にて神話的闘争に敗れ、世界を追われた存在であった。
居場所を求め、流れ着いた【イル=レアナ】だが、迷宮の結界に捉えられた。彼は、【イル=レアナ】にその居場所を求めた。だが、異界の神を受け入れるには、【イル=レアナ】は狭すぎる。故に勇者が派遣されたのだった。
その光景をアラタはただ見つめていた。
(我は、去れぬ・この地にて新たなる神話を構築する!)
その思念は、吹き付ける嵐のように、勇者たちと傍観者であるアラタに叩きつけられた。思念にはもっとたくさんの概念が込められていたが、アラタには理解できなかったし、おそらくはしてはいけなかったのだろう。
「もういいだろう。去らねば殺すしかない。そのために……俺がいる」
禍々しい気配をまとった男が勇者たちを押しのけて巨神と向き合ったところまでは、覚えている。
直後に放たれた憎悪の思念が、物理的な衝撃を以てアラタを打ちのめした。
次に覚えているのは、アーティナルの治癒神イルウィナの神殿の一室だった。
そうだ、あの時に感じた感覚に近い。
なにか、自分たちと次元の異なる何かが突き抜けていく感じ。違うのは、彼の巨神の思念とは異なり負の感情は感じられなかったことだろうか。
「おそらくどこかで神託がおりたのですよ、アラタさん」
背後からいきなり声を掛けられて思わずアラタは飛び上がった。
「あれを感知できるのなら、きっとアラタさんは神職に向いているのですよ。どうです?今からでも知識神ナージアにお仕えしてみませんか?」
あわてて振り向くと、そこには小柄な美女が立っていた。
「脅かさないで下さい、リリーナさん。心臓止まるかと思いましたよ」
リリーナはアラタの身元引受人であり、この世界についての教師でもある。知識神ナージアの司祭にしてアーティナルの大図書館の館長も務めている才女として、迷宮都市で知らないものはいないと言ってもよいだろう。見た目は二十代前半の美女ではあるが、彼女がこの都市に現れた二十年前からほとんどその容貌が変化していないと言われている。
「アラタさんが流れ着いた時にも、事前に神託が下されていたのですよ」
リリーナの見立てではアラタの記憶が失われたのは、異能【鑑定】の代償だという。漂着者には稀に異能を得る代わりに何かを失うという現象が起こるらしい。そして漂着者が異能を得る場合、それは何れかの神が世界の安定のためにその異能を求めているからだと言われている。
実際、これまでに異能を得た者が勇者としての神託を受けたり、さらには神の力の一部を受け神格者となり神に仕えることとなったケースがあるらしい。
もっとも、アラタの【鑑定】が世界の安定に寄与するほど大きな力だとは思えなかったが。
アラタは探索者組合の受付から離れ、建物の外に出た。陽は大分傾いており、日没まであとわずからしいことをその影の長さから感じる。
今日、初めて探索に入ったヨハンたち一行は無事に戻ってくるだろうかと考える。彼らは迷宮都市の出身だからおそらくは大丈夫だろうと思っているが、初めての探索に夢中になって帰還を忘れることは決して少ない事例ではない。
そう考えながら再び受付に戻り、受付の隅に作られたボードを見る。現在迷宮の中にいる探索者のパーティリーダーの名前が書かれたプレートが掛けられている。迷宮に入ったパーティの名札を掛け、帰還したら外す、ただそれだけのボードだ。アラタの発案で作られたものだが、一目で現在迷宮にいる探索者がわかるので好評だった。アラタからすればアイデアとも言えないようなものだったので、なぜこれまでこうしたシステムを作らなかったのか尋ねてみたことがあった。すると、組合員たちは不思議そうな顔をして、必要性を感じなかったからだ、と答えた。力のある奴は何日も潜り続けても無事帰還するし、力のない者は淘汰される。ただそれだけのことだと。
その時、転移陣が発動したことを知らせる鈴の音が聞こえてきた。誰かが帰還したらしい。
「無事戻ったよ、受付さん」
そう言って転移陣のある部屋から顔を出したのはヨハンら四人の探索者だった。彼らの身に着けている皮製の防具は激戦を連想させるほど傷んでいる。だが、彼らは非常に上機嫌だった。
「よい収穫がありましたか?」
アラタの問いかけに、ヨハンらは顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。そして、腰に吊るした袋をぱんと叩いた。
「仕事だぜ、【鑑定】士さん」
アラタは、分厚い資料集を金庫から取り出すと、鑑定の準備を始める。
ヨハンらが背嚢から次々に出す戦利品を分類し、整理していく。異能を使えばあっという間に済むのだが、出来るだけ通常の鑑定技術を用いて作業しなければならない。異能の力は、基本的にはすべて別のものであるというのが通説である。比較的よく確認される【鑑定】の異能も、所有者毎に違いがある。中には回数が有限の場合も過去に事例があり、その回数も一定期間で回復するケースもあれば完全に失われたケースもある。故に、【鑑定】の異能を持つ者は、同時に鑑定のスキルを学ぶことになる。
そしてリリーナはその指導教官でもあるため、探索者が帰還を始める時間帯にはどこからともなくふらりと現れるのである。
「まずは、カードの確認から行います」
ヨハンらのカードを確認をする。いくつかの神力が追加されているのを確認する。一日で数か所の固定エリアの発見をしたようだった。初日としてはかなり優秀な方だ。多くの初探索者は一か所も廻れずに帰還することが多いのだが。
それより驚いたのは、持ち帰った戦利品の数だった。第一層の戦利品としては破格の量である。
「この量はすごいですね。初探索としてはレコードものではないでしょうか」
もちろん、ベテラン探索者が持ち帰る戦利品とは質も量も違うだろう。が、第一層探索者としては少なくともアラタが組合に入ってからの記録である。そう、質も量も、だ。
幸いなことに、特に鑑定が難しいものは含まれていない。魔法のかかった品も、付加価値が付くほどの細工物もない。だから鑑定はスムーズに進む。
「で、こっちが討伐部位さ。ちょっとしたもんだぜ」
そういって、袋を逆さにして中のものをばら撒いた。どうやら牙のようなものらしい。
一見すると狼の牙のようだ。が、微妙に大きさが違う。
「これは……コボルドの牙ですか」
コボルドは、犬や狼の頭を持つ亜人種である。単体ではそれほどの脅威ではないが、基本的に集団で行動し、冒険者組合では討伐ランク2に相当する。
「カードの記載からするとまだ次の階層には到達していないようですが、コボルドと遭遇されたのですか?」
アラタの問いかけに、ヨハンは胸を張り、そうだと答える。
「迷宮内の扉の先に大部屋があってね、そこに結構な数がいたのよ。数が多くて苦労したけど、何とか無事に倒せたってわけ」
マリアが補足の説明をする。アラタはそれを聞くと、一瞬リリーナと目を合わせる。彼女はその視線の意味を悟って頷いた。
「わかりました。では、鑑定の結果を出しますね。まずは、コボルド討伐に関してですが、ここにある牙21本、すべてコボルドのもので間違いありません。冒険者組合にはこちらから報告させていただきます。おそらくはランク2への昇進が認められると思いますので、後程そちらにも顔を出してください」
四人の探索者たちはそれぞれの方法で喜びを表している。ランク2になれば、ゴブリンやコボルドなどの討伐依頼を受けることが出来るようになる。
そんな駆け出し探索者を一通り祝福してから、彼らの持ち帰ってきた戦利品を有用なもの、役に立たないもの、各種素材に分類して一つずつその内容を伝えていく。リリーナはそれを眺めながら、間違いがないか厳しくチェックをしていた。
「以上で鑑定を終わります。探索の成功と全員無事の帰還、おめでとうございます」
ヨハンたちが帰った後、リリーナとアラタは組合長の執務室にいた。きわめて重要な案件が浮上したためである。
「第一層にコボルドが漂着していたのだね」
初老の男性が腕組みをしたまま、二人に問いかける。
「はい、それも最低でも21体。偶然ではありえない数です」
第一層に、多少なりとも文化を持つ種族が漂着することはほぼありえない。文化を持つという事はそれだけで存在の力が高まるからである。
「情報としては不確定ですが、いずれかの神が神託を下した気配もありました。悪いことの予兆でなければよいのですが」
リリーナの言葉に老人は頷き、高位の探索者にそれとなく伝えようと答えた。
老人の視線は、執務室の片隅のケースに大切に収められたガラクタに注がれている。それらは、迷宮を……いや、この【イル=レアナ】を守るために殉死した探索者たちの遺品であった。
「儂の代ではもう増えないと思っていたのだがな」
「まだ、そうと決まったわけではありません。ですが、選定は必要でしょう」
リリーナの毅然とした声に、アラタは不安を隠せなかった。よくないモノが漂着する。そういう事なのだろうか。
アラタは無意識に爪を噛んでいた。そして、この不安と心配が杞憂に終わることを祈った。それが何の力にもならないことを知ってはいたが、それでも祈らずにはいられなかった。
なかなかうまく話をまとめることができません。
頭の中にあるイメージを活字化するのは難しいですね。