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発現

「なるほど、大分柔らかそうになったじゃないか。切り裂いてやる、啜ってやる。さあ、第二ラウンドといこうじゃないか」

 己を鼓舞するために、勇ましい言葉をかける。だが、その内心では恐怖が心を満たし始めていた。

 戦士の本能が最期の一瞬まであがくことを強要する。真紅の双眸が魂まで汚染するかの如くまとわりつく。ただ叫びながら魔剣をふるい、かつて竜であったものを切り裂こうとする。

 がむしゃらに剣をふるい、触手を切り裂き、ゾンビ化した竜の肉体に剣を突き立てる。だが、切り裂いたその場から修復が始まり、次の太刀をふるう前に回復してしまう。

 そこには、絶望しかなかった。

 竜殺しの栄誉。なんとむなしいことか。

 生きてこその栄誉なのだと、ヴォルドレイクは初めて知った。

 やがて、わずかな隙をつかれ、左目を触手の先が抉る。不思議と痛みはなかった。

 どうやればこの場を切り抜けられる? 何をすれば生き残れるのだ?

 巨大な尾が、ヴォルドレイクを打った。数メートル弾き飛ばされバウンドし、崩れ落ちる。

 どうにか身を起こし、辺りを見回した。この大きな広場に、動くものは、竜もどきと彼自身だけだった。

 張りつめた気がぷつりと切れる。


 絶望に身を任せてしまうともはや気力を振り絞ることすらできなくなった。

 せめてもの救いは、彼の無様な泣き顔を部下に見られることがないことだろう。そうおもうと悪くない気がした。皮肉なことに、絶望に身を任せたことで、冷静さを取り戻すことが出来たヴォルドレイクは、武人として生きて初めて心の底から部下たちの無事を願った。

 生還をあきらめたことで、戦士としての本能より貴族としての矜持が勝ったのかもしれない。

 敗北は恥ではあるが、騎士としての誇りは守られたであろうか。

 迫りくる恐怖に、ヴォルドレイクは目を閉じることで抗った。この恐るべき死の使いから逃れるすべはないが、受け入れてしまえばそう悪いものではない。そう自らの心を偽った。

 だが、死はなかなか訪れなかった。



 イキタイカ。

 唐突にその声はヴォルドレイクの頭の中に響き渡った。

 セイカシカ、エラバセテヤロウ。


 ヴォルドレイクはゆっくりと目を開けた。すぐ近くに竜の咢が迫っている。かるく咬むだけでヴォルドレイクなどただの肉塊となり奴の胃袋の中へと落ちていくことだろう。


 サア、エラベ。


「何故だ、何を言っている」


 コノニクタイハ、スデニクチタ。アラタナヨリシロガヒツヨウダ。


「俺の体を乗っ取るというのか!」


 ソウデハナイ、ソウデハナイヨ、テイコクノキシヨ。

 どこか、蠱惑的な響き。少しずつその声ははっきりとし始める。


 貴様ハ、貴様ノママダヨ。タダ、我ヲソノ身ニ宿ラセルダケダヨ。

 ソモソモ、貴様ニ選択ノ余地ガアルト思ウノカ。ココデ我ニ喰ワレルカ、傀儡トシテ生を繋ノカ。

 サア、選ベ。


 竜が口を大きく開け、舌を伸ばしてくる。

 ここで喰われて終わるのか。

 絶望の中、覚悟した死。だが生きるすべがあるのならすがってもよいのではないか。


「俺は、何をすればよいのだ」


 開いた口から出たのはその言葉だった。発するつもりはなかった。だが、言葉にしてしまったとき、覚悟が決まった。


 そうか、そうか。ならば覚悟を示せ。


 明瞭になる、頭の中の声。と同時に金属音がしてヴォルドレイクの前に一振りの剣が転がっていた。その剣を手に取るが、竜の求めることが分からなかった。


 くくくっ、貴様は我を単独で倒すのだぞ。この『片羽』をな。まさか五体満足で倒せると思っているのか?


 ヴォルドレイクはその剣を手に自らの左腕を見た。手甲が砕け、その左手首は奇妙にねじれている。恐怖で麻痺した感覚が蘇り、痛みを初めて自覚した。


 どうした? さあ、覚悟を見せよ。


 ヴォルドレイクは一度深呼吸すると、右手の剣をその左腕に叩きつけた。激痛が身を焦がすが、痛みは戦士にとっては耐えられないものはない。


 見事見事。さあ、我を受け入れよ。


 伸びてくる舌の先に小さな種があることにヴォルドレイクは気が付いた。

 なぜか、どうすればよいのか分かった。

 ヴォルドレイクは剣を捨て、その種を取りゆっくりと口へ運び、飲み込んだ。


 契約は成った! 我は汝、汝は我。さあ、ともに我らが母を解放しよう。


 ああ、そうだ。迷宮のどこかに囚われている我らが母を迎えよう。

 我らが偉大なる母、異郷の女神を。

 そして、いずれは古き神々を喰らい母に力をささげ、母の世界へとともに帰還しよう。


 そして、ヴォルドレイクは異界の邪神の使徒となった。




 それは、まさに必殺の一撃だった。

 そのタイミングで《神殺し》を排除することを予測できたものはいまい。

 邪剣は《神殺し》を貫き、その核を抉りだす。そして、使徒としての能力を使い、失った左腕を修復し、剣を取り愛弟子である勇者の首を刎ねた。

 なんの呵責もなかった。むしろ、そうすることで彼の女神の祝福が二人に注がれることを疑ってもいなかった。

 そして、ゆっくりと振り向く。

 鑑定士の若造を含め、後は雑魚ばかりだ。

 もちろん、鑑定士の連れの二人や魔法使いどもをヴォルドレイク一人で排除することは不可能だろう。しかし、既に女神を傷つけることが出来るものはいない。そして、《神殺し》を殺したことで、女神はその力を奪い存在力を回復するだろう。女神の力を借りれば、残りの者の排除も難しいことではないだろう。

 狂気の笑みを浮かべ、ヴォルドレイクはアラタに向き直り、無造作に剣を構え……







 ザザ――――――――ザ――――――――

 耳障りな音がした。






 それは、まさに必殺の一撃だった。

 そのタイミングで《神殺し》を排除することを予測できたものはいない……そのはずだった。

 だが……


 何故、俺は地に伏しているのだ??

 何が起こったのだ??


 ヴォルドレイクは仰向けに倒れていた。

 生暖かいものが顔にかかる。嗅ぎ慣れた血の匂い。だがヴォルドレイクのそれではない。

 思考が追い付かなかった。彼を邪魔することが出来るものはいなかった。そのタイミングで仕掛けたはずだったのだ。

 なぜ? なぜ? 何が起こった?

「戦士」として生きていたころのヴォルドレイクならば、理解できないことはいったん頭の中から排除し、即座に立ち上がって身を守ったかもしれない。

 だが、今の彼はその実、邪神の傀儡に過ぎない。彼自身は自らの意思で行動しているつもりでも、思考を誘導され都合よくコントロールされた人形に過ぎなかった。

 だから、その喉を踏み抜く踵をよけることが出来なかった。

「がっは……」

 既に人ではないものに変容を始めていたヴォルドレイクにとって喉を潰されること致命傷と同義ではない。だが、人の形をしたものが喉を踏み抜かれてなお自在に動けるわけではない。

 ヴォルドレイクはなんとか抜け出そうともがく。その顔にさらに鮮血が降り注いだ。どうやら、彼の喉を踏み抜いた者が血を流しているようだ。

 なんとか眼だけを動かしてその男を見る。

 それは、彼がこの討伐隊の中で最も軽視していた男だった。名前すらまともに思い出せない。勇者ヒロトの同郷の……

 その時、辺りをすさまじい絶叫が埋め尽くした。

 《神殺し》の剣が邪神の核を貫いたのだ。

 周辺に満ちる怨嗟と呪詛が物理的な圧力を伴ってすべてをなぎ倒す。いや、すべてではない。ただ一人、《神殺し》のみがその呪詛を受け止めていた。

 呪詛がおさまるまで、実際には10秒もなかったはずである。だが、それは当事者たちにとって永遠にも感じられるほどの暴力をまき散らした。


 アラタは激しく壁に叩きつけられ血を吐いて倒れていた。

 勇者ヒロトは数メートル弾き飛ばされていたものの、剣を地に突き立て辛うじて膝立ちの姿勢でやり過ごしている。

 マナもまた盾を地面に突き立てることで何とか臨戦態勢を保っている。


「おお……何ということだ」

 ヴォルドレイクはそう呟いた。もっとも、それは言葉として発することは出来なかったが。

 急速に力が抜けていく。力を失った部位から砂となって崩れていく。

「ヴォルドレイク……卿?」

 事態がよくわかっていないのか、ヒロトはヴォルドレイクに駆け寄った。だが、その前に彼の体は崩れ落ちた。

「なん……で……?何が、あったんだ」

 混乱した様子でヒロトは周りを見渡した。そこは惨状としか言えない状況であった。

 だから、辛うじて立っている《神殺し》に説明を求めた。だが、彼は何も答えない。

 既にすべての落とし子たちは砂となって崩れてしまっている。邪神サイドで形を保っているのは、マリアと激戦を繰り広げていた騎兵のみであったが、既にその活動は停止している。


「アラタ!」

 その叫びが、ヒロトを現実に引き戻した。

 声の主は、機体から転げ落ちるような勢いで飛び降りると、全く動かなくなっているアラタに駆け寄った。

「あ……ああ……」

 駆け寄ったマリアが真っ青な顔で振り返る。

「ど……どうしよう、いき、してない……」

 その言葉に、《神殺し》を除いた動けるものが駆け寄ってくる。誰もが満身創痍と言える状態であったが、誰もそんなことに構うものはいなかった。

「パニクってるんじゃないわよ、マリア! まだ死んだわけじゃない、蘇生処置を早く!」

 アンナ呆けているマリアの頬を張り、言葉を叩きつけた。

「あ……す、すまない。だが……」

 救命処置の機器は今彼女たちの手にはない。

「どいてくれ、俺がやる」

 そう言ったのは、ヒロトであった。

「治癒術師は蘇生魔法などはできないのか?」

 アンナの問いに、リリーナは首を横に振った。蘇生魔法には莫大な魔力が必要であり、消耗した現状では無理であることを告げる。

 その間にヒロトが心臓マッサージを始めていた。

「見て覚えてくれ、途中で代わってもらうことになるから」

「わ、わかった」

 マリアが真剣な目でヒロトの動きを追いながらこたえる。

「くそ、こんなことになるなら保健の授業をもっとまじめに受けとくんだった」

 心臓マッサージは見た目よりもはるかに消耗する。ただでさえ激戦を繰り広げていたヒロトの体力は激しく消耗していく。

「よし、覚えた。いつでも代われるぞ」

「まだだ、人工呼吸をするからな」

 そういってヒロトがアラタの鼻をつまみ、顎を浮かせて気道を確保したことを確かめる。一瞬ためらったが、思い切って人工呼吸を始めた。大きくゆっくりと息を吹き込み、胸が膨らむのを確認する。

「よし、心臓マッサージを30秒やってくれ」

「あ、ああ、任せろ」

 マリアが先ほどのヒロトの動きをトレースするように動く。

「なんとか息を吹き返させてください。呼吸さえあれば、私の体力付与とイリーナさまの治癒魔法を併用することでもたせることができます」


 どの位の時間が経ったのだろう。

 実際には10分も経っていないのかもしれない。だが、何度目かの人工呼吸の直後、ヒロトが右手を力強く挙げたことがすべてを物語っていた。

 即座にリリーナとイリーナが魔法による治癒を行ったことで、アラタの生命の危機は去ったのだった。

 途中から心臓マッサージに参加していたアンナとマナも安堵のためか、その場で倒れこんでしまっていた。

 マリアは、「よかった、よかった」と何度もつぶやきながら、戻ってきたアラタの鼓動を確かめるようにその胸に耳を当てたまま涙を流していた。



「先生、なんであんたが……」

 喜びの輪から抜け出して、身に着けていた鎧兜が空虚に転がる、かつてヴォルドレイクであったものの前に立ってヒロトは呟いた。

「彼の真意は誰にもわからないわ。でも、彼は邪神と……というより、その眷属と契約をしたことは間違いないのでしょう。おそらくは、『片羽』にとりついていた存在と」

 リリーナがその横に並ぶ。

「かつて、マリアさんが取り込まれかけた時、全ての倫理観が逆転するような恐怖を味わったそうです。彼もそうだったのでしょうね」

 ヒロトは膝をつき、ヴォルドレイクの鎧の胸に刻まれたファンダール家の紋章を撫でる。

「先生は偏屈なところもあったけど、戦士であることに誇りを持った人でもあったんです。ど素人の俺に剣の持ち方から指導してくれました。ものすごく殴られましたけどね」

「ファンダール伯爵のことは多少は存じていますよ。領主としてはあまりよい噂は聞きませんが、戦士としては帝国でも五指に入るとか」

「はい。だから……これは、俺の我が儘だと思ってくれて結構です。せめて……先生の名誉だけでも守ってあげられないでしょうか」

 本気の頼みなのだろう。この女好きの若者の表情は極めて真剣で、その口調もまたいつもの彼とは全く異なっている。


「別に構わんだろう。幸いなことに今回は誰も死んでいない。ここにいる者が口裏を合わせればよいことだ」

 そう言ったのは意外なことに《神殺し》だった。

「だが、言い出した貴様が泥をかぶらねばならんぞ」

 《神殺し》の目は優しかった。彼がそんな表情をするのは極めて珍しい。

「と、いうと?」

「その男は、貴様をかばって死んだ。そういうことにしておけ、ということだ。貴様が通す我が儘の代償だ」

 その程度の覚悟はあるだろう、と目で訴えかけていた。

 騎士の死に方にはランクがある。その中でも、最も名誉なものが、主君の命を守る代償の死であり、また勇者を守っての死であった。

 ヴォルドレイクの名誉を守る代償として、彼を死なせた責を負う。

「わかりました。先生は、未熟な俺を守るために死んだ。俺は……俺は、先生に報いなければならない」

 顔を上げたヒロトの目には力が戻ってきていた。皮肉なことに、ヒロトが名実ともに勇者と呼ばれるようになったのはこの時からだった。

「勇者らしい顔になったな。だが忘れるな、此度の討伐隊には各国の勇者が集っている。貴様は、彼らに大きな借りができるのだからな」





 あの時、アラタはやり直しを願った。

 数秒前に戻って、ヴォルドレイクの凶行を止めたいと思った。

 それは、実現した。

 ヴォルドレイクが《神殺し》とヒロトを殺害した現実を否定した。


 過去を、書き換えた。


 どこか遠くで、誰かが……何かが笑った。

 待ち望んでいたチカラが目覚めたのだ、と

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