プロローグ
アーティナル。
ウィルトラント大陸北部の雪に閉ざされた辺境に位置する都市である。アーティナルの名を知らずとも、《迷宮都市》と言えばそれなりの知名度を誇るだろう。
迷宮と言ってもただの迷宮ではなく、大陸唯一の『生きた』迷宮なのだ。
いくつもの世界が衝突して生まれたといわれるこの世界【イル=レアナ】は、異世界とつながりやすいため、時折異世界よりいろいろなものが漂着する。時に危険なモノが漂着することもあり、惨事を引き起こすことも少なくなかった。異界の魔王の漂着により多くの国が滅んだケースも過去に存在しており、その再来を憂えた数柱の神が世界の歪みをアーティナルに集め、幾重もの封印を掛けたと言われている。そして封印を守るために神殿が建立され、神の祝福を受けた神官たちが封印を管理することになった。
やがて封印内部に多くの漂着物が流れ着くようになり、それを目当てにする者たちが迷宮を中心に住み着くようになった。それが《迷宮都市》アーティナルの誕生だと記されている。
迷宮化した封印の中に入れるのは特定の印を与えられたものだけであり、それらを管理するのが『探索者組合』である。迷宮の入り口は物理的なものではなく、転移装置によって出入りすることになる。その鍵となるのが探索者カードと呼ばれる物であり、迷宮内での到達度や戦績が記載されている。
迷宮入口に建てられた組合の事務所には多くの組合員が常に常駐しており、様々な便宜をはかっている。
そして、今日もまた探索者たちは封印迷宮へと挑んでいくのである。
「おや、新人の方ですか?」
探索者組合員であるアラタは、まっさらの探索者カードが提出されたのを見て尋ねた。探索者カードは、一般的に魔法鉱であるミスリルでできた名刺ほどの大きさのカードである。表面には、所持者の名前と所属するパーティ名が書かれているくらいで、詳しい内容を読み取ることはできない。【鑑定】という異能を持つ者だけがカードを読み取り、また記載できる。そしてアラタは【鑑定】持ちであった。
「それでは、規則ですので迷宮探索に於いてのいくつかの決まりごとを説明いたします。よろしいですか?」
新人探索者、と言っても素性はさまざまである。アーティナルの外で活躍している冒険者もいれば、名だたる武芸者が修業の場を求めて現れることもある。騎士としての戦歴に箔をつけるために迷宮に挑む者もいるし、スラムから一旗揚げるために一念発起して挑む者もいる。
今回の新人は、おそらくはアーティナル出身の若者たちなのだろう。十代の半ばから二十歳前後で構成された4人組のパーティだった。
「まず迷宮に関してですが、封印を施した神の一柱である〈空間の神〉アルティールの力により、内部構造が一定期間ごとに変化します。これは迷宮が固定化した状態だと、歪みが集中しやすい場所がうまれる為です。大きな歪みは、時に強大な力を持つ異界の存在を招くことがありますので、これらを回避するためにアルティールが可能な限り歪みを分散させています」
これが、アーティナル封印迷宮の特色の一つである。
「迷宮構造の組み換えは、例外を除けば、深夜に行われますので、可能な限り深夜までに迷宮を離脱してください。もし離脱が間に合わないようでしたら、固定エリアで深夜をやり過ごしてください。固定エリアはいずれかの神によって管理されるエリアですので、いずれかの神のシンボルが彫られた石碑などがありますのでそれを目印にしてください」
新人たちは頷きながら聞いている。彼らはアーティナル出身であるために既知の事柄であったが、同時に迷宮の恐ろしさも知っている。
「また、固定エリアは同時に転送の基点となるよう調整もされていますので、略式で構いませんのでエリアの管理する神の聖句を唱えてください。それによって、次回探索時にはその基点に転送できるようになります」
何故そのようなシステムが存在するのか。それは、封印を施した神々が封印内部に漂着した様々なモノ(特に異世界からの漂着物)を信徒に回収させることで内部の飽和を防ぐことが目的だと言われている。そして、回収する者の力量に合わせてより深度の高いエリアへ行けるようにするための機構だとされている。
もっとも、迷宮はその漂着物に合わせるように肥大化を続けていると言われ、その深奥に到達した人族はいないとされている。かつて、戦神の勇者に率いられた強大な力を持つ一行が最深部を目指したが、未踏破エリアにおいて、異界の邪神と遭遇し全滅している。
「迷宮内での私闘は厳禁となっています。探索者同士の私闘により死者が発生した場合、探索者権限を永久に失うこともあり得ますので注意してください。ですが、迷宮の中には漂着した者たちが盗賊化していることもありますので、他の人族とであっても油断はされないようお願いします」
「盗賊と探索者をどう見分けたらよいのですか?」
パーティ内でも年長の戦神の神官が尋ねる。
「それは経験を積むしかないですね。一応正規の探索者にはカードが用意されていますが、場合によっては盗賊に奪われていることもありますので。そういうこともあって、多くの探索者は互いに不干渉を貫くことが多いようです。組合でも迷宮内の盗賊などの情報を集めていますので、それらを参考にしていただきたいと思います。探索者同士で情報を交換し合うのも優れた探索者への近道ですよ」
アラタはそういいながら、隅に立てかけられているボードを指さした。現在判明している盗賊の容貌が
描かれていて、その下に賞金と捕縛条件(死体でも可かどうか)が記されている。目撃された場所はどれも10階層より深い位置になっており、新人たちにとっては現状あまり関係がない様でもあった。
「迷宮内での仕事は、原則として漂着物の回収になります。これは漂着物が飽和してしまうと封印がゆらぎ、下層の存在がより上層へ上がってくる可能性があるためです。アイテムの回収だけでなく、漂着したモンスターの討伐も重要な仕事となります」
続いて、手配書の横に立ててあるボードを指し示す。こちらはいわゆる依頼書というやつであった。
「漂着物はさまざまな素材となるため、生産者系組合が依頼を出していることがあります。金属素材や薬品の素材などは常時でていますね。あるいは好事家が異界からの漂着物を蒐集していることもありますので、以外と変なものが高値がついたりもしますよ。また、探索者組合は、みなさんが別途所属しておられる冒険者組合とも提携をしておりますので、モンスターの討伐部位を提示していただければ、討伐実績として冒険者組合の方へ報告させていただきます」
冒険者組合はその名の通り、冒険者をまとめ様々な仕事を斡旋したりする組合である。だが、冒険者組合から斡旋される仕事は基本的に達成に問題ないと判断された案件になるため、斡旋された仕事を熟しているだけではなかなかランクを上げることが出来ない。迷宮探索は、ランクアップにはもってこいなのだ。ランクが上がれば当然実入りの良い仕事を受けることが出来るようになるので、ランクアップ目当てに迷宮に入る冒険者も多い。
「続いて、保険制度について説明いたします。保険制度は、一定の金額を探索者組合に預けることで任意の時間までに帰還がなされない場合、組合に所属する高ランク探索者による救援が行われます。設定した時間までに帰還された場合は全額お返しいたしますが、救援隊が出た場合彼らへの報酬となりますので、返金はできません。新しい階層にチャレンジするときなどにご利用される方が多いですね」
「それは、必須なのですか?」
剣士職の少年が尋ねる。
「もちろん、必須ではありません。預けるだけとはいえ決して安い金額ではありませんしね。探索者は生還することが第一ですので、こういった制度があるわけですが、自力で帰ることこそ重要とされる方も多いですから」
そういいながらアラタは値段表を見せる。確かにその金額は安いものではない。低階層の保険でも冒険者の報酬が吹っ飛ぶレベルの値段なのだ。深部に至っては、それこそどこの貴族が払うのだという金額である。実際利用者は、戦績に箔を付けるために迷宮に入る貴族や騎士が多いのも事実である。
「安全マージンを確保しながらの攻略ならばあまり必要なものではないかもしれませんね。一度の利用で財産が飛ぶこともありますからね」
アラタは笑いながら言う。冒険者を兼業する探索者は殆ど利用することがない制度でもある。
「ですが、生きて帰ることが最優先ですよ。私もここに勤め始めてまだ半年にもなりませんが、それでもかなりの未帰還探索者を見てきています。その中には高名な冒険者の方もおられました。生きて帰りさえすれば、また挑戦はできるのですから、無理は禁物ですよ」
特に迷宮のランダム性から、深層への転移ポイントがあっさり見つかることもあり、欲をかいて実力に見合わぬ層へ突入した結果、未帰還となるケースはよく知られている。
「なにかご質問などがありましたら今のうちにどうぞ。応えられる範囲で回答させていただきます」
アラタの問いかけに探索者たちは互いに顔を見合わせたが、咄嗟には質問も浮かばなかったのかリーダー格の剣士が大丈夫だと答えた。
「まあ、入ってみなければわからないことも多いですからね。第一層はに出現するモンスターは動物系が殆どです。特殊能力を持つものもほとんどいませんから、囲まれたりしない限りは大丈夫ですよ」
そう言いながらアラタは彼らの探索者カードを返還する。カードには突入可能エリアとして、第一層入り口のデータが刻まれている。当面の目的は、突入可能エリアを増やしていくことになるだろう。
「探索者としての登録が終了いたしました。皆様は今日この時より探索者として迷宮に挑戦していただくことになります。皆様に幸運の神の祝福のあらんことを」
アラタは幸運神ライオスの聖句を唱える。彼自身は神官ではないのでその聖句に力が籠ることはない。しかしそれでも、アラタはその聖句を唱えるし、新たな探索者たちもその聖句を復唱する。そして、別の係員の誘導に従って転移装置のある部屋へと通される。その背を見送りながら、アラタは彼らの無事の帰還を祈るのだった。
のんびりマイペースでやっていくつもりです。
才能など欠片もありませんので生暖かい目でよろしくお願いします。