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奇し世に戯る

在りし日に恋う

作者: こなゆき

この作品は、あんみつさんhttp://mypage.syosetu.com/408218/の和風ファンタジー「あやしよにふる」と、拙宅の日本神話創作「あめのざれこと」のコラボレーション作品です。

日の国の中央。山々と湖、豊かな原始の森に囲まれた地、諏訪。

そこに座す御社を訪ねたのは、日の国とはまた異なる奇しき世の諏訪の神。


これは、彼等が過ごしたとある一夜のお話。


+ + +


すっかり酔いが回った男衆ーー紀多(かなた)虹臥(こうが)お開きとなった傍で、彼らの妻である紗彌(さや)とかなめが洗い物や残飯の片付けなど厨房の作業に精を出していた。

そしてその傍らで、紀多の神仕である絃生(つるぎ)が、頼んでいないにも関わらず、てきぱきと卓や座布団の片付けをしていた。

彼の手際の良さもあり、先ほどまで酒席の名残の濃かった客間は程なくして元の整然とした様相に戻るのだった。


「ありがとうございます。絃生さん。

それから、手を煩わせてしまってすみません」

かなめが言うと、絃生は

「……かなめさんは、謝らないでください。あの、お客様の手を、煩わせるわけには行きませんから」

遠慮がちながらも、はっきりと口にした。


「立ち話じゃあなんだし、お疲れ様会も兼ねてお茶にしましょう」

紗彌が後ろから、ふたりに声をかける。

あの人たちには内緒よ、と菓子を後ろ手から差し出すと、それを見た かなめは

「わぁ、是非に!」

と気持ち嬉しそうな調子で答え、ぱあっと赤らんだ笑顔を見せた。

紗彌はその様子に、丁寧な言葉遣いと毅然とした態度を常に纏い、小柄な体躯に似合わず大人びた物腰を崩さぬかなめの素顔を垣間見たような気がした。


対して絃生はと言うと、

「……ぼ、僕は結構です。

えっと、その……甘いものは、苦手なので。

し、失礼します。おやすみなさい!」

いやに慌ただしげな様子でふたりに挨拶を交わすと、そそくさとその場を後にした。

かなめはそんな絃生の様子を、呆気にとられて見つめる。

紗彌は寝室へと去る絃生の後ろ姿を、すこし苦笑気味に見つめていた。


絃生が本当は甘味が苦手では無いことを、紗彌はよく知っている。

気遣いに長けた彼のことだし、女同士の方が積もる話もし易いだろうから自分は身を引いた、といった所だろうか。


そしてそれをはっきり口にするのも野暮だし、かと言って身を引く為にしても、客人の前で眠いとか疲れたと言っては失礼にあたる。

粗方そんなところを思いつつ、無理があると思いながらも選んだ結果があの方便だろう、と紗彌は絃生の真意を慮った。


(そういうところは、気が利き過ぎなくらいなのよね)

紗彌がそう思う傍で、

「絃生さん、本当に宜し……あぁ、行ってしまわれましたね。どうしましょう……」

戸惑いがちに、かなめが佇んでいた。

「まぁ、いいわ。私たちでゆっくりしましょ、かなめちゃん」

絃生の分の菓子をさりげなく隅に寄せつつ、紗彌は茶を淹れる。


かくして、紗彌とかなめ、女同士の四方山話に花を咲かせる運びとなるのだった。


 + + +


食べ物の話に、召し物や装身具の話。お気に入りの場合や景色の話、それから、夫である建御名方神……紗彌は紀多の、かなめは虹臥の。

好きな所から、これはちょっと、と思う所まで。他愛も無い話が暫し続くうち、自然と流れは互いの夫の話へと進んでいた。


紗彌はかなめに促されるがままに、紀多との馴れ初めから、彼に惹かれた理由までを口にした。

湖の畔で介抱したこと、幾度となく死を望む彼を必死で留めたこと。そうしていくうちに、彼に惹かれていったこと。


「これは、今にして思えばの話だけど……」

静かに耳を傾けるかなめに語りかけるうちに紗彌が思い返すのは、在りし日の紀多の姿と、自分自身の胸の内。

「あの人はね、傷が癒えていくうちに目つきが変わっていったの」


死なせてくれ、とばかり口に居た頃の昏い瞳が、徐々に光を取り戻していく。

そして、我が身のことばかりでなく、 今居る諏訪の地に対して、徐々に心を開いていく。


「元気になるにつれて、諏訪の地をもっと知りたい、この地の空気を味わいたい、って気持ちが湧いて来て居るのが、私にも伝わって来てね……」


縁側から外を眺め、湖や森を眺める姿。鳥の囀りに耳を傾ける、静かな横顔。

それから彼が「外に出たい」と行った日のこと。


「私は、彼のその姿に惹かれたのかも知れないわ。

私の故郷であり、私の在るべき地である諏訪を愛してくれる……そう確信した時、私もあの人と共に在りたいと思ったの」


「そう、だったんですね」

静かに頷いていたかなめが、小さく口にした。

「そうやって惹かれるのって、とても素敵です」

「ふふふ、ありがとう」

かなめに返された紗彌の微笑みは、はにかみつつも色めいた、恋をする少女のそれだった。つられるように、かなめも少し笑った。


「……それに、羨ましい、です」

その笑顔は愛らしくも、どこか寂しげだった。

「……羨ましい?」

「はい」

その笑顔と言葉に引っかかりを覚え、紗彌は思わず繰り返す。

返事をしたかなめは、幾らかの逡巡の末、ぽつりと言葉を繋いだ。


「私には、故郷が解らないから」

あくまで微笑みは崩さず、しかしどこか寂しそうに、かなめは言葉を繋いだ。


「私、諏訪の者と言い切れないんです。

産まれは諏訪だけど、小さい頃に養子に出されて」

「……そう、なの」


同じ八坂刀売神の肩書を持つ者でも、背負うものは異なる。

紗彌は、絞り出す ように話すかなめを、ただ静かに見つめながら頷いた。

「色々あって、諏訪に戻ることになって。

その際に、贄としてあの方に奉じられる身になって」

「……虹臥さんに?」

「はい」

夫とな馴れ初めもまた、自身と紀多のそれとは異なる。

ーー彼等の出会いは、恋の悦びや、幸福とは程遠いものだったのだろうか。


「そう、だったのね」

「……はい。あの方は、出雲を追われた末に、諏訪に封じられた身で。

その頃は、本当に手のつけられない荒ぶりようで」

神域を荒らした挙句、土地神の力をその身に取り込んで。

でも結局、その力を卸すことが出来ずに持て余し、諏訪の地に祟りを撒き散らした。

祭祀一族が散々手を焼いた末、荒ぶる神である虹臥を抑える役割を与えた……つまり、贄として捧げたのが、かなめだったという訳だ。

あどけなさを残したその身に余る程の使命が、彼女の大人びた印象の正体なのだろうか。


紗彌が悩んだ末、かなめに掛けた言葉は、

「でも、かなめちゃん、虹臥さんのことを見る目が優しいわ」

慰めやお為ごかしでなく、感じたままのことを、そのまま告げる言葉。


「私には解るわ。かなめちゃんが本当に虹臥さんのことを想っていることを」

「……そう、なんですね」

かなめの白い頬に、じんわりと赤みがさす。大きな赤い瞳が、更に大きく見開かれる。

あらやだ、流石にあけすけに言い過ぎたかしら、と紗彌が思った矢先のこと。


「時々ね、思うんです。

私があの方に惹かれたのは、あの方を……虹臥様を救いたかったからなんかじゃ無い、って」

かなめの見開かれた瞳が揺らぎ、震える。


「あの方は、私なんです」

そして、絞り出すような声で零した。


「……どういう事?」

「私には、諏訪にはお母さんも、お爺ちゃんもいて。安曇にはお父様も穂高兄様もいて。みんな私のこと大切にしてくれて。

でも私、どこに行ってもあの子はよそ者だから、って言われたことがあって。お母さんとも、お父様とも髪の色が違うから、一目でわかっちゃうから」

潤みを帯びた目、少し震えがちな声。

いつもの整然とした口調とは程遠い、まとまりの無い言葉。


「本当は、不安だったんです。私はここに居ていいのか……どこに在るべきなのか、解らなくて。

諏訪では、天津の子だろ、高天原に帰れ、って言われたこともあって。

でも、高天原からの使いの者からは、よりにもよって諏訪なんかの、まつろわぬ民の子なんて、って言われたこともあって」


かなめは、生粋の諏訪の地祇である紗彌とは異なる。

諏訪に根差す神で在りながら、天津神の血を引く者。

諏訪の神でありながら、諏訪の民にとっては異端となりうる存在。

そして、天津神の子でありながら、高天原にまつろわぬ諏訪の民の子でもある。


「それで……あの方を鎮める為に接するうちに、思ったんです。

彼もまた、もといた地を追われて、自分が何処に居れば良いのか解らなくて、怖くて仕方が無いんだ、って」

「……そうだったのね」


自分の在るべき地が解らないという不安。それは、生まれた地に誇りを持ち、そこが居場所であると疑うことの無かった紗彌には感じ得ぬもの。

あの頃の紀多様も、そんな気持ちで幾度となく死を望んだのかしら――そんな思いが、紗彌の脳裏を過る。


「だから私、あの方の居場所になりたい、あの方の悲しみを受け止めたいって、思ったんです。

お母さんにお爺ちゃん、それから父様に、穂高兄様が、私にそうしてくれたように」


それでも彼女は、前向きさを失わなかった。

かつて自分がそうされたように、居場所を求め足掻く者を、受け入れんとした。

そして今、かなめは虹臥を受け容れ、彼の「居場所」として在り続けている。


「かなめちゃんは……」

凄いね、偉いね、立派ね。紗彌はなんと口にするのが相応しいか考える。

でも、言葉にしてしまうと、酷く陳腐にも思えてしまう気もして。


「本当に、素敵よ」


落ちついた物腰と、その奥に秘められた虹臥への想い。それらへの賞賛を、畏敬の念を、全て込めた言葉。 それが、紗彌がかなめに手向けた言葉だった。


「そう、でしょうか……?」

どことなく不安げに零すかなめの手に、紗彌はそっと自分の手を重ねた。

「そうよ。だって、かなめちゃんは自分の決意をしっかり叶えてるんだもの。

それに……虹臥さんだって、かなめちゃんのことを本当に大切に想っているのが駄々漏れじゃない」


紗彌は悪戯っぽく笑い、片目を閉じる。それにつられて、少し強張ったかなめの顔も緩み、やがてくつくつと小さな笑みが零れた。


「……最初は自分の為であっても、誰かを想う気持ちに嘘偽りが無くて、それで救える者が居て。

そして、その想いを受け止めてくれる人がいたら、それは本当の愛になり得る。

私は、そう思うわ」


かなめの笑顔に安堵しながら、紗彌は言葉を繋ぐ。在りし日の、紀多を一心に介抱し続けた自分自身の姿を思い浮かべながら。


 諏訪の土地神の一柱として、紗彌の諏訪の地への想いは、並々ならぬものがある。

紗彌は静かに思い出す。天津神と国津神が日の国の統治権を奪いあっていたーー後に、国譲りと呼ばれる時代のことを。


その頃は、諏訪にも高天原の使者が訪れることが暫しあった。

その中には、口さがない者も少なからず居た。諏訪の地を「こんなところ」呼ばわりされて、悔しい思いをしたことも少なくはなかった。

言わせておけ、と紗彌を諌める土地神達に、どうして平気でいられるの、と涙ながらに訴えたこともあった。


ーー 湖の傍に倒れる紀多を見つけたのは、そんな折のことだった。


(そういえば、あの方は「この美しい地で死ねるならば本望だ」って言っていたわね。

そう言ってくれたのが、私は嬉しくて……だからこそ、死なせたくない、この地で生きて欲しい、って思ったのかしら)


+ + +


「……ありがとうございます。紗彌様」


返事をするかなめは、憑き物が取れたかのように穏やかな顔をしていた。


「そうですね。わたくしは、霊験あらたかなる諏訪明神・建御名方神の妃……八坂刀売神の名を賜ったことを、誇らなくてはなりませんね。

弱気はもうお終いにして、もっと胸を張っていかなくては」

「うん、その心意気よ、かなめちゃん。

でも、無理は程々にね」

いつもの毅然とした振る舞いに戻ったかなめに、紗彌は安堵の笑みを浮かべた。


夜も更けてきたし、お茶もお菓子も堪能したし、と卓を片付けると、ふたりは就寝の準備に入る。

うちにも良い温泉があるのよ、と紗彌が言うと、かなめは再び嬉しそうな顔を見せた。


喜ぶ点が年頃の娘としてどうなのだろうかという点はさておいて……矢張り、こういう所で見た目相応のあどけなさを見せるのが紗彌には微笑ましく思えるのだった。


 + + +


さて、二柱の八坂刀売神――紗彌とかなめが恋について語り明かし、更けていった夜の傍。

 二柱の建御名方神――絃生と虹臥は、縁側で月明かりと夜風を肴に、強さについて語り明かしていたとか。


 でもそれは、また別のお話。

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