eight
そんなことを、恥ずかしげもなく……っ!
だけどそんなアルーシャも、すごく格好よく見えてしまう。
すでに重症。
手の施しようがないと、思い知らされた。
意味もなく顔を両手で隠す。
あえて理由を述べるなら、恥ずかしいからだ。
だけど、いきなりそんなことをするので、当然アルーシャに不思議がられる。
しかも、いきなり顔を覗きこまれたのだ。
ミラーヌは必死で逃げようとするが、手首を掴まれ肩を押さえ込まれる。
そして、唇に触れるか触れないかのギリギリの距離まで、アルーシャの綺麗な顔が近づいてきた。
顔中に、熱が集まる。
アルーシャに触れられたところが、すごく熱くて。
体が震えるのを、悟られないようにして。
なんとかこの場を耐えて、必死にやり過ごそうとして、自然と呼吸が荒くなった。
「ミラ……?」
「いやっ……!」
「どうした?」
「っ……声、今……かけないでっ……!!」
声も震えて、上手く言葉に出来ない。
明らかに様子がおかしいミラーヌに、なんとなく理由を察したアルーシャは、ニヤニヤ笑いながら言った。
「なんだ?俺があまりにも格好良すぎて、思わず見惚れてたとか?」
「そ、そんな訳ないでしょう!?近いわよ!手を離して!!」
「いやー……ミラがすっげー可愛いから。もっと、ずっと近くで見ていたい」
逃げても逃げても、追い続ける。
決して距離を空けず、顔をミラーヌに近づけた。
触れるでも、近づくでもなくただずっと見つめて。
心拍数は激しく上昇中。
それでも悪態をつけるだけ、まだ冷静さを失ってはいなかった。
「嘘つき!わ、私が可愛いわけないわ!!可愛いのは、あなたが用意したこの服でしょう?!騙されないわよ!」
「なら、試してみようか?今から表を歩いて、一体どれだけの男がミラに見惚れるか。賭けてもいいが、絶対!みんなお前に見惚れる」
あまりにも自信満々に言う彼に、思わずしり込みしてしまう。
だが、そこまで言うからにはこちらも引き下がる訳には、いかなかった。
「……もし、そうならなかったら?」
「俺の美意識がおかしいのだと潔く認め、軽はずみな言葉を口に出さないようにする」
「あなたの言う通りになった場合は?」
急に人差し指を掲げ、お茶目にも片目をつぶる。
ただ格好つけているだけなのか、それとも他に意図があるのか。
訳がわからず困惑していると、アルーシャはゆっくり口を開いた。
「俺の願いを、一つだけ叶えてもらう」
「願いを叶える精霊の願いを叶えろと言うの!?」
アルーシャに対して、息継ぎ無しでそう言い切った。
その直後は呼吸がままならず、激しく息を吸ったり吐いたりしていたが、それもようやく落ちつきをみせる。
ミラーヌが話を聞ける状態になるまで、大人しく待っていた。
声をかければ、今度はとても優しい微笑みを浮かべ一言尋ねた。
「ダメか?」
「ダメ、というか……」
「なら、嫌か?」
ずるい、言い方だと思った。
そんな風に言われたら、断れない。
断りづらい。
ただでさえ、アルーシャに対して強気に出られない弱味に、つけこまれているような気がするのに。
これではどちらが、主人かわかったものではないと、ミラーヌはため息混じりに返答した。
「嫌、では……ないわ」
「なら、決まりだな!俺は犬になって、ミラの側を歩くからそのつもりで」
「えっ、せっかくオシャレしたのに?」
「俺がこの姿で一緒にいたら、どっちを見てるのかわかんねーだろ?」
つまりは、自分に見惚れる者が絶対にいるから、本当にミラーヌに見惚れているのか、判断出来ないと言いたい訳だ。
「……この、ナルシスト!」
「俺の顔が整っているのは、周知の事実でございま〜す!」
「確かにそうだけど、自分で言う!?」
「俺自身が言わなくても、周りが褒め称えてくれたさもちろん!」
ドヤ顔で過去の栄光を話すアルーシャに、軽く苛立ちながら少しだけイジワルなことを言った。
「なら、私は言わなくてもいいわよね?そんなに大勢の人に、見た目のことで大げさ過ぎるほど褒めてもらったのだから」
「いや?……いくら大勢の人間が、俺のことを神のように崇め奉ろうとも。たった一人の魅力的な女性からの賛辞の方が、すごく嬉しい」
微笑みを絶やさない彼に、悔しそうな顔を見せるのは癪だった。
だけど、隠しようがなかったからまざまざと見られてしまう。
唇をとがらせながら、そっぽを向いた。
「……あなたって、重度のナルシストなのか極端なロマンチストなのか。本当によくわからないわ」
「ミラが決めればいいさ」
「絶対無理よ」
「そのうち決めればいい。さあ!出かけよう」
犬の姿に変わり、先んじて外に出てキラキラの瞳で見上げミラーヌを外へと誘う。
仕方ないと、諦めて建物の外に出た。
――――――主要都市アグナルは、全部で6つのストリートで構成されている。
左側から順に1番街・二番街と続き、三番街と四番街の間に、国の出入口に続く大きなメインストリートがある。
そのメインストリート沿いには、きらびやかな店が軒を列ねているが。
国の外に向かえば向かうほど、庶民に優しい店が数多く存在する。
アルーシャとの賭けにより、多くの人間が集まるメインストリートをまたいで、四番街まで行くことに決まってしまった。
そこまでしなくても、というミラーヌの意見は通らない。
なぜなら、こうと決めた彼の考えを覆せるほど、ミラーヌは気力もなければ納得させられる理由も、思いつかないのだ。
カバンを持って、石畳の上を軽快に歩いていく。
側には真っ白な毛皮の犬が寄り添い、艶めく黒髪をなびかせて道を進んだ。
……内心では、心臓が悲鳴を上げていた。
いきなりこんな格好をして、もし知り合いに会いでもしたら……なんて言えばいいのだろう、と。
いつもとはまったく違う服装で、何かしら言われないだろうか。
変に、思われないだろうか。
「は、早く……お店に行って、さっさと帰ればいいのよ。そうすれば……」
「失礼、お嬢さん」
ふいに上から、優しい響きの声が耳の奥にまで届いた。
若い男の声で、それはミラーヌのすぐ側で止まっている馬車の中から、聞こえてきたのだとしばらくしてから気づく。
アルーシャがやけに脚にからんでくるので、ようやく意識を浮上させ男の声に気づくことが出来た。
「ねぇ……聞こえている?」
「は、はいっ!聞こえています!!」
「良かった、歩きながら眠れる才能がある子なのかと思ったよ。あからさまに無視しているのなら、――――どうしてくれようかと考えていた」
恐い発言をする男に、口元がひくついてしまう。
馬車を利用しているということは、身分が高い人物だということ。
こちらは王族だが、だからと言って権力をひけらかしてどうこうしては、何か違う気がする。
それに、家族に迷惑はかけられない。ここは庶民の娘を演じ、馬車の中の男を適当にやり過ごそう。
「……何か、ご用でしょうか?」
「用があったから呼び止めたんだけど?」
「気づかず申し訳ありませんでした。それで、身分のあるお方のようですが。どうかなさったのでしょうか?」
「道を、尋ねたいんだよ」
馬車の中にしつらえられたカーテンのせいで、男の顔は見えない。
だけど、時折見える節くれ立った指や甘く低い声に、背筋に何かが走る心地だった。
思わずうつむきながら、男にどこへ行きたいのか聞いた。
「城」
「は?」
「この国の王族が住まう城だよ。この道を進んで行けば、たどり着けるのかな?」
たどり着けるも何も、城は大きいので国の外れからでもよく見える。
ましてや、街の中心に近いこの場所から位置を確認出来ないはずがなかった。
いくらここからまだ遠くても、迷うはずがない。
からかっているのか?
ミラーヌは正直なもので、疑っていると顔に書いているのがすぐに相手にも伝わった。
「迷うはずがない」
「!?」
「君の考えている通りだよ、この場所から迷うはずがない。君に声をかけたのは……いい趣味してると思ってね」
「?何が……」
「そんなに可愛い格好した、綺麗なお嬢さんに声をかけないのは、男として失礼だと思ったから」
「っ!!?」
思いがけない誉め言葉に、一気に顔が真っ赤になる。
言葉が言葉にならず、固まってしまう。
そこをみかねて、男はさらに続けた。
「気づかない?」
「ふぇっ?!何、を……?」
「この通りを歩く人間、全員。君に見惚れてる」
「う、そ……」
「釘付けだよ、……わからない?」
そう言われて、周りにゆっくりと視線を巡らせてみる。
すると……まだ午前中で、人もそんなに多くは歩いていない中で、歩いている人々が皆ミラーヌを見ていた。
最初は豪華な造りの馬車に、目を奪われているのかと思ったのだが。
それはどうやら、違うらしい。
明らかに、色を帯びている。
頬を赤く染め口を半開きにし、まさしく釘付けになっていた。
綺麗に着飾ったミラーヌに、誰もが見惚れていたのだ。
「あまりにも気づいていない上に、しかめっ面で歩いていたから……もったいないと思ってね。感謝してほしいくらいだよ?」
「ありがとう?ございます…?」
「疑問系なんだ?」
「いえ、まだ……実感がわかなくて」
頭が混乱したまま、元に戻ってくれない。
なんとか落ち着こうと、その場で深呼吸してみたが心臓の鼓動は速いままだ。
……それに、馬車の男もまだこの場から去らないことも、早鐘の鼓動の原因の1つだった。
道を行き交う人々の視線も、心臓に悪いが。
馬車から見下ろす男からの視線も、落ち着かないものがあった。
誰より熱い視線を向けてくるのに、見下すことを止めないその冷徹さ。
早くここから去りたいのに、それを許してくれない空気を作り出している、その傲慢さ。
堪らなく、耐えられなかった。
「ねぇ、名前は?」
「誰の……?」
「この流れで、よくそんなふざけたことが言えるものだ。――――君の名前は?」