seven
尻尾をフリフリさせながら、そんなときめくことを言うアルーシャに、ミラーヌは不覚にも心臓を撃ち抜かれてしまう。
すぐに顔を逸らしたが、熱くなった頬は簡単には冷めず、真っ赤なままだ。
昨日から、赤くなったり怒ったり泣いたり、良く言えば表情豊か。
悪く言えば、感情の起伏が激しい。
こんなに感情が忙しくなる自分は、自分じゃないと頭ではわかってはいるのだ。
だけど、どうにも心がわかってはくれない。
だからせめて、心の平穏を取り戻そうと大きく深呼吸して、落ち着こうとした。
だが、そんなミラーヌを不思議に思ったのか、顔をグイッと近づけ、鼻と鼻がくっつく距離にまで達した時。
小さな赤い舌で、ペロン、とアルーシャはミラーヌの唇を舐めた。
生暖かいものが突然鼻に触れて、ミラーヌは大げさに驚く。
「ちょっ……、ちょっと?!」
「なんだ?」
コテン、首を傾げるアルーシャ。
正直、死ぬほど可愛かった。
しかし、可愛らしさに悩殺されている場合ではない。
急いでアルーシャの胴体に手を回し、自分から離れさせた。
「何をするのよ!?」
「んー?なんかミラの様子がおかしかったから、犬なりの励まし?慰め?みたいな」
「あなたは元は人型でしょうが!」
「それを言うなら、本来の姿は無機物の鏡なんだぜ?鏡にキスしたり抱きついたりしたら、ミラはいちいち反応するのか?」
そう言われてしまえば、どうしても言葉に詰まってしまう。
出てくる言葉といえば、アルーシャが望む肯定の返事だけだ。
実際、ミラーヌが他の言葉を口にする頭脳や冷静さは備わってはいたが、今の混乱した状態では、無いものと同じであった。
「……しない、けど」
「ならなんの問題もない!さぁ、いざスキンシップ!!」
「やっぱり違うわよ馬鹿ぁ!!」
クッションをアルーシャに押しつけて、その隙にベットの上から逃げ出した。
そしてそのまま台所に向かう。
ぷりぷりと怒りを露にしながら、朝ごはんになりそうな材料があるかどうか、確認するのだが……生憎と、材料になりそうな物は何もなかった。
そういえば、休日に買い出しに行こうと決めていたのである。
まだ早朝なので、買い物に出かけてもイリスとの約束の時間までには、充分帰ってこられるはずだ。
善は急げと、先程のことを忘れたかのように、ミラーヌは慌ててアルーシャを呼んだ。
「アルーシャ!ねぇ、アルーシャ!!」
「はいはーい!お呼びですか?ご主人様」
「わざとらしいわね……。今から買い出しに行こうと思うの、だからあなたは――――」
「俺も一緒に行く!!」
「そう言うと思った」
留守番を頼みたかったのだが、やはりアルーシャはついていくと断言する。
荷物持ちも欲しいと思っていたし、仕方ないと出かける準備を始めた。
「なぁなぁ!出かけるってことは、オシャレするのか?なぁ!」
「オシャレって……外出着に着替えるだけだけど?」
「それは可愛い服か?それとも綺麗な服か!?」
「清潔感のある服よ。機能を優先させた、動きやすい服装を心がけているの。……何か問題がある?」
ミラーヌがそう言い切ると、アルーシャは分かりやすく、ショボーンと落ち込んだ。
顔は俯き、尻尾は垂れ下がり、悲しげな鳴き声が聞こえそうな勢いである。
その姿を見て、何も間違っていないつもりなのに、自分が間違っていて悪いことをしているのだと、妙に罪悪感に駆られてしまう。
今のアルーシャの姿は、妙にあざとい。
人型に戻れと願い事で言ってしまいたかったが、彼は聞き入れないだろう。
変なところで頑固、かつ偏屈な精霊だとミラーヌは染々思った。
自室に戻り、豪華過ぎるアンティーク調のタンスの中から、適当な外出着を出していく。
似たような色合いの服を見比べながら、化粧台の前で合わせてみた。
「……ミラが、可愛い服着たところが見たい」
「え?」
「ミラが可愛い格好して、髪型も綺麗に整えた姿を見たい!!見ーたーいー!!!」
「子供か!」
ひっくり返ってお腹を見せ、ジタバタ暴れる犬……もとい、いい歳をした大人。
見苦しい……。
犬化して、なんだか性格が幼くなっている気がするのは、気のせいだろうか?
小さな子供が、道端でひっくり返って駄々をこねている様が、鮮やか過ぎるほど目に浮かぶ。
微笑ましい、というよりは果てしなく『面倒』、の一言に尽きた。
あぁ、どうしてくれようか。
頭を抱えずにはいられない問題だった。
「見たいと言われても、そんなオシャレ着なんて私は持っていないのよ?王女としてのドレスや衣服類は、城の自室に置いてきたし……」
「だから!こういう時こそ俺の出番だろう?」
「え、オシャレ着が着たい……なんてどうでもよさそうな願いを言ってもいいの?」
他にも、精霊に叶えてもらうに相応しい願い事が、きっとあるはずだ。
それを、たかが朝食の買い出しの為にオシャレ着を出してほしいなど……何か、違う気がする。
こんなことの為に、願い事を叶えてほしくない、と言ってしまえば簡単だが。
そもそも自分は、他に有意義な願い事があっただろうか?
本当に思いつかなくて困っていたのに、これ以上先のばしにして、アルーシャに願い事を言えるのか……。
現に今だって、他に適当な願い事が思いつかない。
「3つ……も、叶えてもらうのだし。1つくらい……」
「おっ?願い事を言う気になったか!?」
「そうね、他に無難な願い事もないし」
『さぁ、ご主人様!1つ目の願い事をどうぞ』
瞬時に犬の姿から、最初に現れた時の姿に戻る。
精霊の威厳をそこそこ感じさせる演出の仕様に、色々思うところはあるのだがやはりアルーシャは、精霊なのだと思わせる瞬間であった。
「1つ目のお願いは、『傍目から見ても私にとって不自然じゃない、そこそこオシャレな外出着を着せて』」
『喜んでーっ!!』
軽快に指を鳴らせば、ミラーヌの周りに煙が立ち込め姿を見えなくさせる。
やがて煙が消えてなくなれば――――!
「アルーシャ……!!煙は止めて……ひっ?!」
今まで以上に、ずいっと顔を近づける。
その目は星のように、キラキラと激しく瞬いて……それは、直視出来ないほどだった。
「ミラ、すっげー可愛い!!可愛い!可愛すぎる〜!!やっぱり俺はセンスが良いな、ミラが元々可愛いってのもあるが……そのワンピース、すっげー似合う!」
「あ、ありがとう……?」
忙しなくまくし立てられてしまい、これでは言いたかった文句も二の句を告げず、これ以上口を開けない。
先程までミラーヌが着ていた服は、白を基調とした飾りも何もない、シンプルなワンピースだ。
しかしデザインが悪かったのか、やけに野暮ったいものだった。
これではいくら美人でも、ダサいの称号を授与することだろう。
そうはさせないと、アルーシャは見事力を奮う。
シンプルはシンプルでも、さりげない箇所に細やかな細工が施されている、洋服を用意した。
裾が広がるタイプの、白の袖無しワンピースの下に明るいスカイブルー色の、長袖で細身の服を着させる。
この服の特徴は、腰で結ばれている大きなリボンだ。
ヒラヒラと揺れるそれは、可愛らしくて乙女らしいデザイン。
髪にも、白とスカイブルーのグラデーション模様の細いリボンが、編み込みした髪に結ばれている。
靴にも、同じ色のリボンが大きなアクセントになっており、アルーシャが行った全身コーディネートは、完璧な仕上がりだった。
「やっぱり、俺の見る目に間違いはなかった!ミラは俺にとって、最高のご主人様だ!!」
「そこまで言うほど?……あなたのセンスが悪いと言っている訳ではなくて、『私』にそこまで似合うとは、思えないという話で……確かに、すごく可愛い服だけれど」
「なっ?ミラは可愛いんだ、その服が似合わないはずがない!むしろミラの為に、その服は存在していると言っても過言じゃないっ」
「大げさに言わないで!……それにしても、ただの買い出しでこんな格好をしなくても良かったんじゃない?なんか、ちょっと……恥ずかしい、かも」
スカートの裾を押さえながら、モジモジし始めるミラーヌを前にして、アルーシャは必死に抱きつきたいのを我慢した。
今ここで我慢しなければ、せっかく用意した服にシワが出来てしまう。
綺麗に仕上げたミラーヌが、不完全になってしまう!
それはダメだ、いけないと拳を握り、なんとか耐えてみせた。
「ミラ、早く買い出しに行こう!その姿を街中に披露したい!!」
「え?……あぁ、そうね。披露はともかく、早く行って帰らないと、イリスとの待ち合わせ時間に間に合わないわ」
「それでは、お手をどうぞ?」
かしこまった態度で手を差し出し、それにミラーヌは手を乗せる。
やはり街中で暮らしていても、さすがは王女というべきか。
礼儀作法は完璧で、その仕草は優雅そのもの。
そしていつの間にかアルーシャも、ミラーヌの服装に合わせて変化していた。
濃い青のシャツに、黒のベストを羽織り黒のズボンを履いた。
青と黒のチェック模様のネクタイを首に締め、オシャレな黒の帽子を被っている。
最後に黒ぶち眼鏡を装着すれば、かなりの男前がミラーヌの隣に立っていた。
「なにげにミラと、対になるよう意識したんだ。どうだ?似合うか?」
「素敵よ。……その、すごくカッコイイと思う」
「本当か!?」
「嘘を言ってどうするのよ」
真正面から、ミラーヌが正直にアルーシャを褒めるものだから。
恥ずかし過ぎて、堪えきれなくなりその場で悶絶してしまう。
反応が大げさ過ぎると、呆れしまいアルーシャを置いて、さっさと買い物に出かけようとする。
そんなミラーヌを、アルーシャは慌てて追いかけた。
「せっかくだから、恋人同士っぽく腕組まないか?」
「なぜよ」
「こんなにオシャレに着飾ってんだぜ?雰囲気は大事だと思うんだ、うん」
「どういう雰囲気よ!」
「お似合いの、恋人同士」