five
正しいと言うが、これでミラーヌが主人であることを放棄したらどうする気だったのだろう?
また主人捜しの旅に出て、本体の鏡を買い叩かれて苦労して……っ!!
ミラーヌの目に、汚い箱に入れられて捨てられている鏡の姿が映る。
そこで人形の姿で映らないところがミラーヌらしい。
きゅーん、きゅーんと効果音まで付いて、アルーシャに対する同情が一気に沸き起こった。
「そんなのはダメ!!」
「何が?」
ミラーヌは意を決っしたように凛々しい表情になり、アルーシャの手を握った。
危うく飲みかけだったお茶をこぼしそうになるも、尋常じゃないミラーヌの雰囲気におそるおそるテーブルの上にカップを置く。
「ちゃんと考えるわ。私が、あなたに願いを言うから!だから……絶望しちゃダメよ?」
「いやー……うん?」
「辛かったでしょうね……精霊というのは、かなり長い時を生きてたくさんの人に会って、願いを叶えてきたのでしょう?……きっと、口には出せない辛いことや苦しいこともあったはずだわ」
「……あのさ、別に慣れてるし嫌な相手の願い叶えてきた訳じゃないし。むしろいい奴らの願いだけ叶えてきて、結構楽しんでいたというか……」
なにか誤解があるようだ。
冷静に説明しようとするのだが、暴走気味のミラーヌにアルーシャの声は届かない。
むしろ、燃料を大量に補充された列車のごとく暴走はさらにヒートアップした。
「私、あなたのことを誤解していたわ。スケベでロクデナシの不審者にしか見えなかったのだけれど、あなたって実は誠意があって心優しい人なのね!」
「誰のことだ?」
「アルーシャのことよ」
「……後半はすんなり耳の奥に入ってきたが、前半は聞こえなかったフリをしたいな」
嘘偽りの無いまっすぐな言葉に、少なからずげんなりする。
今までの過去を振り返っても、そうそう悲しいことや絶望するような思い出はない。
しかし、ミラーヌの言った言葉ですでに絶望しかけていた。
彼女にここまで言わしめることを、自分はしただろうか?
1、キスをした
2、抱きしめた
3、一緒のベットで寝た
……最後までしていないし、特別きわどいことはしていない。
これだけのことでスケベのロクデナシは勘弁してほしい。
だが後から誠意のある心優しい人と言われたので、聞き流してそれだけを受け止めるべきか。
本気で悩んでいると、握られたままの手を今度はミラーヌの方へと引き寄せられる。
「私が、あなたを故郷に帰してあげる」
「あぁ、………………あ?」
「約束するわ。何度だって言う。私はあなたに願いを叶えてもらう、そして心置きなく故郷へ帰ってもらうの。それが、私の願いよ」
「ミラ……」
どうしよう、物凄く良い子だ。
アルーシャは、次から次へと嫌な汗が顔中から流れ出した。
自分は悪人ではないが、そんなに善人でもない。
そんなに持ち上げられても困るだけなのだが……。
キラキラと光る、澄みきった瞳がアルーシャの心を容赦なく抉る。
本当にマズイ。
この目を、純粋無垢なミラーヌをまともに見られない。
顔をさりげなく背けたまま、今度はアルーシャの方から後ろへと下がっていく。
そうすると不思議に思うのはミラーヌだ。
あれほどスキンシップを好んでいた人が、いきなり距離を取った。
おそるおそる手を伸ばすも、軽く避けられてしまう。
「どうしたの……?」
「いや、お茶のお代わりを用意しようかと?」
「まだたっぷり入っているじゃない、しかもなぜ疑問系なの?」
「いやー……、やはり年頃の男女が近すぎるのはいかがなものかと思われるわけでして」
「なぜいきなり敬語!?」
最初こそ、かなり上がっていたテンションで今まで過ごしてきたわけなのだが。
ようやく冷静さを取り戻し、我に返ってみればどうだ。
健気で心優しく、だが弱すぎるということもないしなやかな強さを持つ少女が、目の前にいるという事実がそこにはあった。
「アルーシャ?」
……アルーシャは、あまり関わってはいけない者を主人に選んでしまったと本気で後悔した。
マズイ、ヤバイ。
「すごく好みだ」
「は?」
祝福の鐘が鳴る。
キューピッドがハートを射抜く。
真っ赤に染まった顔を手で隠し、天井を仰いだ。
「大丈夫?アルーシャ……?」
「いや、参った!まさか最後の最後でこうなるとは……」
出会ってまだ2日目で、アルーシャは恋に落ちた。
もちろん、良い主人に巡りあったという意味で、だ。
「ミラをご主人様に選んで、正解だったみたいだな。相性は最高みたいだ」
「そうなの?」
「そうなの!よーし、そうなるとやっぱりミラの願いを叶えないとだな。最高のご主人様に出会ったことを祝って、必ず叶えてやる!さぁ、願いを言ってみろ!!」
ミラーヌから逃げていた態度を改めて、再び顔を近づける。
だいぶ馴れてきたとはいえ、アルーシャの綺麗な顔がアップで映し出されるのは心臓に悪い。
胸を押さえながらあからさまに顔を背けると、不思議そうに見つめながらも今度は追求してくることもなく、笑顔を浮かべたままミラーヌの返答を待った。
「3つの願い……よね?考えるとは言ったけれど、実際のところどうしたらいいのか本気で悩むものね」
「そういうもんだって。今までのご主人様たちも、悩みに悩み抜いて願いを言っていたからな〜」
「何か、叶えられない願いとかはないの?これだけはダメ!というような」
先に聞いておかなければ、願いを言っても無駄に終わるかもしれないからだ。
ミラーヌは本当に賢いと、拍手しながら心からの賛辞を贈る。
そしてうっかりいい忘れていた、精霊が叶えられない『願いの条件』について説明し始めた。
「まずその1、生きている者の命を奪うことは出来ない」
「そんなことは願わないわ!」
「そう言ってくれて助かる。俺も願ってほしくない。その2、死んだ者を甦らせることは出来ない」
「願う人なんているのかしら……?」
「死んだ最愛の人に会いたい一心で、願う奴もいるにはいた。……その3、願いを叶えてもらう精霊と恋愛は出来ない」
………………………………は?
「は?」
その一言しか出てこなかった。
叶えられない願い事のあまりの意外さに、もしかしたら息をするのも忘れていたかもしれない。
気づいた時には、またアルーシャの顔が近づいていて慌ててのけ反っていた。
「えーっと……それはあなたの渾身の冗談なの?笑った方が良かったのかしら……?」
「……うん、言いたいことはよくわかる。あえてわざわざ明確な規約にまで盛り込む必要があるのかと、俺も是非とも問いたいところだ。しかし事実は事実だ、受け入れる他はない」
「やはりそれは、あなたのような綺麗な顔をした精霊を好きになる人が多いから、規約を用いて恋愛に発展するのを防ごうという目的が?」
「ある意味……そうだな。10数年前、位の高い精霊が人間と恋に落ちて、故郷を捨ててその人間と結ばれたという話があるんだ。そのせいで、さすらっている途中だった俺のところにも、規約改訂の知らせが届いたんだ」
「その精霊も、願い事を叶えていたの?」
「願いを叶えた結果がこれだ。……それ以来、ずっとこの規約の通りに願いを叶えてる。といっても、改訂されてからはミラしかご主人様になっていないけどな!」
アルーシャは笑っているが、決まり事を変えてしまうほどのことなのだ。
かなりの大スキャンダルだったに違いない。
どこの世界でも、似たような話はあるものなのだとミラーヌはなんとなくグッと親近感が沸いた。
……そうこうしていると、パンケーキがすっかり冷めてしまっていたので、急いで食べようとする。
すると、アルーシャはもう1本のフォークを持ってきていきなりパンケーキに切り込みを入れた。
「?あなたも食べたいの?」
「俺は腹は空いてないから食べない。ほら、口開けろよ」
小さく切ったパンケーキを、ミラーヌの口元に持っていく。
ちゃんとジャムも付けているあたり、気がきいていると言えるのだろうが…………だがしかし!
これは言わずと知れた『ほら、口を開けて?あーん』というやつではないのだろうか?!
信じられないものを見るかのように、カタカタと震えながら顔を真っ赤に染めて、口をパクパクとさせていた。
「ほら!」
「んぐっ!?」
無理やりパンケーキを口の中にねじ込まれ、『美味いか?』なんて聞かれれば素直に頷くしかない。
顔の火照りを手で風を送って冷ましながら、モグモグと噛んでいると――――
「ミラ、口の端にジャムが付いてるぜ?」
「え?」
ねじ込まれた時に付いたものだろう。
アルーシャに指摘され、指でそれを取ろうとしたのだがなかなかジャムが付いている場所に指が向かない。
四苦八苦していると、見かねたアルーシャがいきなり顔を寄せてきた。
「もうっ!いきなり顔を近づけてくるのは止めて、驚くでしょう?」
「悪い悪い。……ジャム、取ってやるから……動くなよ」
そう、言って。
ミラーヌの頭を手でしっかりと固定すると、強引に唇を寄せた。
舌先で口の端に付いた赤いジャムを舐め取り、ついでと言わんばかりにミラーヌの唇を堪能する。
恋愛はご法度なんじゃないのか、それともキスだけならそれに含まれないとでも言うのか。
……どちらにしても、両手も体もしっかりと固定されてしまっているので、逃げられない。
息苦しくなって声も漏れてしまうが、なにやら余計にアルーシャを煽る結果になったようだ。
最初の方こそ触れられなかった、ミラーヌの胸元に魔の手が迫る。
今度はしっかりと、胸をわし掴みにされ大きく体が揺れた。
「んっ……やぁっ!何を……っ!!」
「俺を煽ったミラが悪い」
「何を、言って……んんっ」
服の下に手がもぐり込み、直に胸に触れる。
ミラーヌは着痩せするタイプのようで、細すぎると思われた体も中に触れればかなりのモノを持っていた。
羞恥のあまり涙をポロポロと溢すが、それすらも舐めとられ止める気配はみられない。
どうしよう、どうすればいいと押し寄せる快感に、抗いながら考えていると……今度は、視界の端にごつめの花瓶が映る。
肩に顔を埋めるアルーシャに気づかれないように、花瓶に手を伸ばし――――そして。
「てぃやあああぁぁぁぁ!!!!!」
渾身の一撃。
力の全てを振り絞り、花瓶は見事アルーシャの頭に命中した。