one
いらぬお世話と突っ返せれば、どんなに良いか。
……だが仮にも、『父親』名義で買われた物。
たとえ父親本人が、知らぬところで購入された物とはいえ、せっかくの父親からの贈り物なのだ。
ヴィヴィアンヌは、物の価値を深く理解してはおらず……雑に扱い、すぐに壊してしまう。
だからこのまま、置いて帰ってくれた方がどれだけ、気持ちが楽なことか……。
こんな大きな鏡は、邪魔でしかないがそれでも壊されるよりかは、よっぽどいい。
鏡は引き取ると、ヴィヴィアンヌに告げようとしたのだが。
こちらとしては、筋違いの怒りで顔を真っ赤に染め上げたまま、鏡を置いてさっさと城に帰ってしまった。
……残された大きな鏡を、このまま店先に置いたままにはしておけない。
すると、みかねたご近所の力自慢の男たちが、鏡を家の中に快く運んでくれた。
ミラーヌは日頃から、なにかとご近所の人たちと交流を欠かさないでいたので、かなり面倒な荷物運びも、勇んで手伝ってくれるいい人たちだった。
後でなにか、お礼を持って行こう。
何がいいかと考えていると……ふと、例の鏡が目の端に映り、そこから視線が外せなくなってしまった。
「……こうして見ると、立派な作りの鏡ね。ヴィヴィアンヌも、魔法の鏡うんぬんを抜きにして使えば良かったのに」
ミラーヌは鏡を観察してみることにする。
なんだかとても、この鏡に惹かれている自分がいたからだ。
手を伸ばしてみたり、自分の顔を映してみたり。
何がどう変わるわけではなく、ただの鏡としては充分に機能していることだけはわかった。
「なんだか不思議な鏡ね。やけに輝いているように見える。……この神秘性が、魔法の鏡と呼ばれる所以なのかしら?」
この鏡の存在が、気になって仕方ないのだ。
なぜかはわからない。
目が離せない、引き寄せられてしまうのだ。
「輝きが、増しているような気がするわ……キラキラと、まるで星のよう……」
そんな時、ふいにヴィヴィアンヌが言ったあの呪文が、頭を掠めた。
“鏡よ鏡……おしえておくれ。この世で最も美しいのは、誰?”
「この世で最も美しい……あの人らしい質問よね」
くだらない質問。
だけど女なら、一度は聞いてみたいこと。
鏡は真実の姿を映し出す。
美しい姿も、醜い姿も―――今の『私』も。
ローズの問いに答えなかった鏡、だが……それが、真実なのかもしれない。
「鏡よ鏡……おしえておくれ」
真実をおしえておくれ、魔法の鏡。
「最も美しいのは、あの人なんかじゃ……ないわよね?そうだと言って……」
この鏡を前にすると、心に秘めていた思いを、なんでも口にしてしまう。
別に、ひがむつもりはない。
いつも目立ち、場を明るくし、皆から愛される容姿を持つヴィヴィアンヌ。
国の自慢の、理想の姫君で……だからこそ、我が儘が許されて。
「同じ日に産まれて、同じ姫なのに……どうしてこうも違うのかしらね?」
同じになりたいと思ったことは、一度もない。
だが、同じ日に産まれ同じ姫として育てば、嫌でも比べられてしまう。
眩い金の髪、闇夜の黒髪。
綺麗な空の瞳、黒曜石の瞳。
薔薇の頬、青白の肌。
どちらが姫にふさわしいか、物心つく前から耳にしていたその言葉が、心と体を支配する。
「ダメ、心を……落ち着かせないと―――嫌な気持ちに、支配される……」
そんな思いを、素直に口に出したからだろうか?
『いやいや……これはまた、面白いご主人様に巡り会えた』
―――――声が、聞こえた。
男の人の声だった。
手伝ってくれたご近所の人たちは、すでにそれぞれの家に帰ったので、この部屋にはミラーヌ以外に人はいない。
では、この声は一体……?
『これでようやく最後だ、長かったぜ』
「誰なのよ!訳のわからないことを言うのは……っ」
『おいおい。せっかくお前に決まったのに、全部台無しにするつもりか?』
また、どこからともなく聞こえてきたその声に、今度は意を決して声のした方へ向いてみる。
……すると、なんと鏡から大量の煙が出てきて、あっという間に部屋全体に広がった。
もしや火事かと、慌てて部屋の外へ逃げようとしたのだが……。
「みっ、水ーーーっ!!」
急いで、井戸のある中庭に走って向かおうとした時、さらに煙が吹き出し視界の悪さが増して、走るどころではなくなってしまった。
身動きが取れなくなっていると、また同じ男の声が耳に届く。
『だーかーら!そう慌てるなって!!これは火事じゃないし、俺もお前に危害を加える奴じゃない』
「……だったら、姿を現したらどうなの?姿を見せない奴が、危険じゃないかどうかなんてわからないじゃない!!」
『へー、意外に度胸があるんだな。気に入った!!』
勢いよく噴き出していた煙が、ミラーヌの顔に噴き出した。
そのせいで、むせてしまったミラーヌはせめて窓を開けて、換気をしようと向かうのだが……。
手を、いきなり誰かに掴まれ後ろへと引き寄せられた。
後ろから腕が回り、抱きしめられたと思えば、相手の指がミラーヌの頬に触れる。
突然のことに、ミラーヌは恐怖を感じたが――――
「いやっ……!!」
身をよじり、逃げようとするが相手の方が力が強く、簡単に押さえ込まれてしまう。
不思議なお香の薫りがして、不安が一瞬和らぐがそれも束の間のことで。
男の人のささやく声が、ミラーヌの鼓膜を刺激した。
「おーっと、騒ぐなよ……大人しくしていれば、すぐに済む」
先ほどの声の主が、ミラーヌの口をふさぎ後ろから抱きしめる形で、体を拘束する。
こんな状態、怖くて仕方ないミラーヌは、体が震えてしまう。
それでも、相手の男がどんな奴か目だけを動かし、顔を見ようとした。
だが、そうする前に近くにあった椅子に座らせられ、手と口の拘束もその時解かれる。
「はじめまして、ご主人様!」
軽快な話し方、耳に残る心地よい声。
目の前で、飄々としている見知らぬ男は深々と頭を下げて、ミラーヌに笑いかけた。
「っ……あなた、何者なの……!?」
ようやく姿を見れた男の正体は、太陽の光とみまごう金の髪に、鮮やかな海の色の瞳の端正な顔立ちの青年だった。
どこか異国めいた身形を着用していて、銀で作られたアクセサリーを全身にたくさん身につけていた。
人懐っこい笑顔に、明るく通りの良い声。
そしてなにより、とても澄んだ瞳をしていたのだ。
吸い込まれる、海の青。
それを見たら、不思議と心が落ちついていった。
「ここは店なんだな、花屋か?」
キョロキョロと室内を見渡しながら、ミラーヌに尋ねる姿は、普通の人間の反応そのもの。
だがしかし、怪しさ満点の不法侵入者。
そんな男に、一瞬でも見惚れてしまった自分を恥じて、すぐさま体制を立て直す。
顔つきも変わった。
誇りと威厳をあわせ持った、王族の姫としての顔だ。
そのミラーヌを間近で見て、男は嬉しそうにニヤリと笑う。
「質問に答えなさい」
「そう急ぐこともないだろう?俺たちはまだ、出会ったばかりなんだ。まずは友好を深める為に、お茶でも飲もうぜ?」
「ふざけないで!あなたは誰なの?!どこから入ってきたの!!」
「別に、どこからだっていいだろ?」
この部屋には窓が2つあり、出入口も2つ。
部屋の真ん中にいたミラーヌは、その全ての窓と出入口を見渡せたので、侵入すれば気づかないはずがない。
それなのに、この男はここにいる。
ミラーヌの目の前に。
「特製のブレンドティーを淹れてやるよ。心が静まるハーブが入ってる」
「…………どこから出したの?」
最初、男は何も持ってはいなかった。
両手をミラーヌの、拘束に使ったくらいなのだ。
ましてやティーセット一式を、今この場に用意出来るはずがない。
この部屋にも、完備はしているが……ミラーヌ所有の、陶器の茶器一式ではなかった。
銀で出来た、細かい模様の入ったティーセット。
形も変わっていて、この国近隣ではあまり見られない茶器だった。
「あっ、菓子も食べたいか?やっぱり最初はクッキーか……?それとも他の焼き菓子でも――――」
男が口にした名のお菓子が、次々と目の前に出現した。
それはまるで魔法のように、男の手の中からいきなり現れる。
どこの誰とも知らない、名前もわからない男が、自分の目の前でお茶にお菓子を用意する。
きちんとテーブルまで出して、花まで飾って。
トポトポと、香りの良いお茶を銀のコップに注ぎ、ミラーヌの前に置いた。
「どうぞ?」
「待って、頭がついていけない……何がどうなっているの!?」
ミラーヌは、頭が混乱しているようだ。
頭を押さえながら、今起こっている状況を整理しようと、必死で考えている。
そんなミラーヌを心配して、男が顔を覗きこんできた。
「大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫よありがとう。………って、顔が近いわ!!あなた、まだ不法侵入の経緯がはっきりしていないのに……っ!」
「そう言うなって。これから当分、一緒にいることになるんだし……仲良くしといた方がいいだろ?」
そう切り出された言葉に、ミラーヌは目を剥いた。
聞いていない、なんだそれは。
叫びたい言葉は、言葉にならないまま男は尚も続けた。
「おめでとう!今日からお前が、俺のご主人様だ!!」
眩しすぎる笑顔で、男はそう告げた。
当然、ミラーヌは訳がわからない。
「………………あなた何を言っているの?」
普通の人の反応ならば、当然こうなる。
会って間もない、しかも身元もはっきりしない男に、突然そんなことを言われたのだから。
瞬時に理解出来る者は、そう多くない。
だが男は、実に堂々とした態度で話を続けた。
「お前がヴィヴィアンヌって女からもらったあの鏡は、俺の本体なんだ。あの鏡の持ち主になり、なおかつ俺に認められた者だけが俺のご主人様となれ……願いが叶えられる権利を得られる」
まるで、おとぎ話のようだ。
小さかった頃、母親に読んでもらった絵本の中に、願い事を叶えてくれる精霊のお話があった。
子供の時こそ、願い事を叶えてもらえるということに憧れたものだったが、今ではもうただの懐かしい昔話にしか過ぎない。
そんな夢のような話で、不法侵入の件をなかったことにしてもらいたいのだろうか?
不審気に男を見ていると、そんなミラーヌの心情に気づいたのか、いきなり指を軽快に鳴らし始めた。