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アルーシャは、不安がゆっくりと我が身に押し寄せてくる気配を感じた。
どこにでもある、ただの骨董品だ。
古いだけの装飾品、不安に思う必要はない。
……だがそうは言っても、古くて宝石が付いている装飾品、ここまで出揃っていれば当てはめるしかなさそうで。
しかも着々と、ミラーヌは汚れを落とし綺麗にしている。
マズイ。
早く止めないと、せっかくの2人きりの生活(しかも始まったばかり)が壊されてしまう。
急いで手を伸ばしたが――――存外、ミラーヌの仕事は早かった。
『『久方ぶりの、ご主人様だ(ね)』』
「ゲッ……!」
「嘘……まさか!?」
煙の中から現れたのは、2人の男女。
やがて煙がはれていくと、その姿が明らかになった。
「あなたたちは……」
「初めまして、ご主人様。私は『ルビーの指輪』の精霊で、ヴィルフリートと申します。本日よりあなた様にお仕えいたします、なんなりとお申しつけください」
礼節を重んじた、騎士を思わせる礼儀正しい挨拶の仕方に。
ミラーヌは、泣きそうになった。
どこかの誰かと違い、すぐに襲うこともなければ。
滅茶苦茶なことも言いそうにないからだ。
会ったばかりだというのに、彼にはとても感激した。
立ち上がるよう伝えると、スックと立ち上がり改めてその背の高さが伺える。
アルーシャも背が高いが、ヴィルフリートはさらに頭一つ分高い。
とても高身長なのだ。
見上げて首が痛くなりそうだったので、近くにあった椅子に座るようにお願いした。
「いけません!そんなことくらいで願いを言っては……!!私はあなたを幸せに導く為に、願いを叶える者なのだから」
「いいじゃない、さっさと叶えちゃえば〜。それで早く国に帰れるなら、安いものじゃない」
テーブルの上に座って脚を組み、露出の多い服から伸ばす、しなやかな足をミラーヌに向けた。
「あたしはエメラ、『エメラルドの腕輪』の精霊よ。とりあえずよろしく?」
踊り子のような衣装に、装飾品をジャラジャラ着けて流し目を送る彼女は、なかなか色っぽい。
特に、たゆんたゆんに揺れる胸にくぎ付けになった。
……見比べてはいけない、死にたくなるからだ!!
「相っ変わらずみたいだな、お前ら!」
「ん?」
「やだ、……アルーシャ?」
「なんで俺が、お前らと一つ屋根の下で再会しなきゃならねぇんだよ……っ!!」
「アルーシャ〜〜ん!!会いたかったーーーっっ!!!」
隙をついて、アルーシャを思いきり抱きしめると同時に、その豊満な胸を押しつける。
逃げる暇がなかったので、なんなくエメラの胸の谷間に埋もれた。
「ふぐっ!!?んーっ!!んんんーーっっ!!!」
「んもうっ!何百年もずーーーーっと会えなくてぇ、寂しかったんだからぁ!!」
「………………恋人同士、なの?」
「いえ、私の記憶によれば違ったはずです」
「ぷはっ!エメラが勝手に引っ付いてくるだけだ!!こら、離れろ!!!」
「つれないアルーシャ……せっかく久しぶりに会えたんだからぁ、これを機に親密を深めましょうよぅ」
うりうり頬擦りして、しまいにはアルーシャの口を狙うので。
無理やり引き剥がして、あからさまに距離をとった。
「あン、そんな照れなくてもいいのにぃ」
「照れてない。本気で嫌がってんだ!」
「昔からアルーシャって、あたしみたいな女は相手にしなかったわよねぇ?何、意外と純愛主義者なわけ?」
「エメラ」
アルーシャとエメラの間に入れず、若干取り残されている気分でいると。
ヴィルフリートが声をかけ、意識をこちらに向けた。
「アルーシャ、主が困惑しておられる」
「あっ、悪いミラ!ついこいつを引き剥がすのに時間がかかって」
「何よぅ、スキンシップを図ってただけじゃない」
「……あなたたちの国の住人は、みんなスキンシップが激しい人ばかりなの?」
目が死んでいる状態で、一番信用出来るヴィルフリートに話を聞く。
アルーシャが、なぜ俺に聞かないかと言いそうになったが。
今まで決して、品行方正な態度を取っていたとは確実には言えなかったので。
口出しは出来ないでいた。
「少なくとも、ああいった行動を取る者は多いと思われますが。私は分をわきまえておりますので――――――いきなりキスをしたり抱きしめたり、あまつさえ自分から誘発して主人に願い事を言わせるなどという常識はずれな行為は、一切致しません」
「よく回る口だなオイ!!?」
「見てきたかのような口ぶりですが、やはりお国柄そういう方が多いのは事実なのですね……悲しいことです」
「ちょっとミラ!?」
「アルーシャ〜!あんなのほっといて、あたしと遊びましょうよぅ〜!」
「お前は黙ってろ!!今はミラの信用を回復させることが先決だっ」
「信用なんて最初からありませんけど?」
アルーシャは、二度と立ち上がれない痛恨の一撃を喰らった。
「ミラっ……!!誤解なんだって!こいつらは幼なじみのようなもので、特に親しかった訳じゃ……っ」
「別に言い訳しなくてもいいのよ?」
「言い訳じゃなくて!!」
「アルーシャ〜誰?このチンクシャ」
これみよがしに、胸を強調させて牽制してくるエメラに。
さすがのミラーヌも、ムッと顔をしかめた。
「アルーシャ!あなたの幼なじみは、初対面の相手に対してまともな挨拶が出来ないの!?」
「ごめん!ほんとごめん!!」
「あなたが代わりに謝ることじゃないでしょう?!」
「そうよそうよ!!こんなチンクシャに謝ることなんてないわよ!」
「お前はもう黙ってろ!!頼むから!!!」
今度は、ヴィルフリートの方に向かってエメラを突き飛ばす。
そのまま捕まえてろと告げると、今度はミラーヌを引っ張ってきた。
その目は冷めきっていて、顔は無表情のままだった。
「どうせ私はチンクシャだもの。あなたはあのタユンタユンの女の人と、仲良くしていればいいじゃない」
「だから!あいつはただの幼なじみ!!しかもっ……」
ヴィルフリートに視線を送ると、コクンと頷きエメラに手をかざした。
「ちょっ!?」
「嘘は良くない」
風船が割れたような音がして、ビックリしていると。
アルーシャに指で肩をつつかれ、指された方向を見てみれば――――
「はぁ!!!??」
「見ないでよバカ!!!」
破裂した音の正体は、エメラの胸だった。
はち切れそうなほど豊満だった胸が、無くなっていた。
まっ平ら。
上を見ても、下を見ても何も無い。
恥ずかしそうに、胸元を隠してはいるが。
何も無いので、あまり意味がないように思える。
口をパクパクさせて、驚いた様子を隠しきれていないでいると。
アルーシャが、ミラーヌの心情をくみ取り説明してくれた。
「つまり、エメラは男なんだ」
「アルーシャ!!人の秘密を平気でバラさないでよ!!!」
「何が秘密だよ!お前が女のフリしてたせいで、俺の周りの女たちが誤解して寄りつかなくなるし。お前が男だと知ってる連中からは、俺がそっち系の趣味のやつだと勘違いされるし……っ!!」
「あたしは純粋に、アルーシャが好きなだけよ!!だから周りにたかってくる女たちを、追い払ってただけじゃないっ」
「俺の迷惑を考えろーーーっっ!!!」
なんだか少しだけ、アルーシャが哀れに思えてきた。
なんのことはない。
男に好かれてしまった男が、好きな女に引かれまくっているという話だ。
総合的に考えて、確かに哀れ。
迷惑と言うのも泣きたくなるというのも、非常に理解出来た。
「愛の前で性別という名の壁を作るなんて馬鹿げていると思うのよ!」
「息継ぎなしで愛を語るお前は凄いと思うが語る相手は選べと俺は言いたい」
「アルーシャがいいの!」
「俺は嫌だ!!」
「……あの二人は、昔からああなの?」
「私の記憶が正しければ、エメラがまだ幼かった頃にアルーシャと出会い。なぜか一目惚れしてからは、ずっと告白を続けております」
「アルーシャは折れないのね」
「奴の女好きは、昔から変わりませんので。たとえ世界が滅びようとも、男の手を取ることはないと思われます」
ヴィルフリートが、爆弾を落としていることにも気づかず。
アルーシャはまだ、エメラと口喧嘩を続けている。
だんだんと、室内の温度が下がっていることを。
ようやくアルーシャは知った。
「そう……昔から、女が好きなの……ふぅぅぅぅん?」
どんなに小さな声でも、ミラーヌの声なら聞き逃さない。
なぜか、ミラーヌが怒っているのだということは。
アルーシャは、なんとなく悟った。
「どうした!?まさか、エメラが男でも口をきいてほしくないとか?俺もそうしたいんだが、エメラが勝手にあることないことを人に話すから、仕方なく……」
「女好きのどうしようもない奴とは、口をききたくないわ」
「ヴィルてめぇ!ミラに何吹き込みやがった?!」
ヴィルフリートにつかみかかり、ガクガク揺らしながら問いただす。
平然としたまま、アルーシャに話した。
「ありのまま、真実を話しただけだが?」
「それがなんで、俺が女好きのどうしようもない奴になるんだよ!?」
「事実ではないか。男か女かといえば、お前は女が好きだっただろう」
「そういうことはちゃんと説明しろよ!!ミラが誤解してるだろうがっ」
「きちんと信用されていれば、誤解もされないのでは?」
容赦ない一言に、ヴィルフリートとミラーヌは通じるものがあると痛感した。
とてもよく似ている。
脆い造りなガラス細工のハートを、抉り砕く。
泣けるに泣けない、この敵だらけの室内で。
立っているだけが、精一杯のアルーシャだった。
「それにしても……まさか精霊が、一気に三人になるだなんて。思ってもみなかったわ」
「あたしもまさか、アルーシャと同じ主人に仕えることになるなんてね!何か、特殊な磁場でも発生してるんじゃない?」
「ありえることだ。特殊な状況が成立しなければ、こんなことはありえない。………アルーシャ?」
キノコが生える勢いにまで追い落とした本人が、アルーシャを呼ぶ。
アルーシャの意見も聞きたいのだろうが、今はまだ無理そうだ。
何やら囁きのように歌を歌い、その目は遠くを見つめている。
アルーシャは、もうどうにでもなれと言いたげに、一人たそがれていた。