始まりの鏡
――――――衝撃的な出会いは、鏡と共に訪れた。
「さっさと願い事を言え!……でないと、お前にイタズラするぞ?」
なぜかいきなり目の前に現れた金髪の男は、いやらしい手の動きを見せながらジリジリと『私』に迫ってきた。
後ろは壁、逃げられないと悟りとっさに目をつぶれば――――唇に、温かいモノが突然触れる。
……目を開けて確認すれば、間近に迫る男の綺麗過ぎる顔。
私のファーストキスは、こうして奪われた。
花が咲き乱れるアルナドル王国の主要都市、アグナルの中心地の三番街に建っている花屋の前にて。
時間をさかのぼること、ちょうど三時のおやつ時。
人通り多く賑わいをみせる街中で、ひときわ賑わっている通りがあった。
「あのー……こんな大きな物持ってこられても、困るわ」
彼女、ミラーヌ・アプスグリフは唖然とした。
それというのも、人の通行を妨げるほどの団体が店の前に鎮座していたからだ。
「お願いだから、帰ってちょうだい!」
人の視線を多く浴びながら、意地悪そうに笑う義姉に向かって、ミラーヌはそう叫んだ。
昔話を聞かせよう。
昔々、とても栄えている国がありました。
その国の国王には、二人のお妃がおりました。
気位の高い浪費家の王妃様と、賢く倹約家な側室の方です。
お妃たちには、それぞれ一人ずつ娘がおりました。
王妃様の娘ヴィヴィアンヌは、母親に似て自信家でワガママで、母親に負けず劣らずの浪費家で。
この親子は、国王の悩みの種でした。
側室の方の娘ミラーヌは、自分のせいで王妃様親子の嫌がらせが、母親に及ばないようにと自ら街中で店を構え、一人暮らしをしています。
ミラーヌの母親は、国王の側で仕事の手伝いをしている上に、領民の為になる制度を次々と執り行ったので、周りからの評判はすこぶる良い。
なので、その娘であるミラーヌが王位を継ぐのではないかと、王妃様は危惧しているのです。
ミラーヌが、街中で暮らし始めたことをもっけの幸いとして、日々周りの者たちに対して根回しという名の、パーティーやお茶会、贈り物などを欠かさないようにしておりました。
そして、ミラーヌが街中で暮らし始めて、しばらく経ってからのこと。
姉のヴィヴィアンヌが、大勢の付き人や侍女を引き連れて、ミラーヌの店に押しかけるようになったのです。
さすがに狭い一軒家なので、中に入るまではしませんが、賑わいを見せる大通り沿いに店があるものですから、王女一行は悪目立ちし過ぎて、営業妨害も甚だしい状況でした。
しかも、ミラーヌを訪れる理由というのが、父親に買ってもらった物をただ自慢しに来るだけというものです。
大きな物から小さな物まで、日にちや時間などお構い無しに、ミラーヌに自慢しにやってきます。
ふんぞり返り、意地悪そうに口の端を上げて、ヴィヴィアンヌは挨拶しました。
「ご機嫌よう、ミラーヌ。相変わらず貧乏くさい店構えだこと!」
眩い金の巻き毛、澄んだ青い瞳。
白磁の肌、桃色の頬に薔薇の唇。
お姫様らしいお姫様、美少女の中の美少女の外見をした、第一王女ヴィヴィアンヌ。
ミラーヌが城を出てからというもの、月に二・三度は街中に現れ、行列を成すと噂されるほど妹に会いに行っていた。
今日もまた、昼過ぎの人通りが多い時間帯にはた迷惑な行列を作り、店の前に着いたところで自らが乗っている輿を降ろさせる。
「ヴィヴィアンヌ!もう来ないでとあれほど言ったのに……っ」
姉とはまた違った印象の王女、周りからはそう評されているミラーヌ。
艶やかな黒髪を、地味な色のリボンで一つにまとめて。
装飾品は一つも身につけず、服も地味で大人しめ。
前髪を伸ばしっぱなしにしているので、揺れる黒曜石の瞳を見られた者は少ないと、ある意味有名な話であった。
店の前で、花の補充作業中だったミラーヌは、また仰々しい一団を引き連れてやってきた姉に、抗議の言葉を投げた。
だが右から左へと聞き流し、持っていた羽根つきの扇を広げ、わざとらしく口元を隠す。
「なぜわたくしが、あなたの言うことを素直に聞いてあげなければならないのよ。側室の娘のくせに、少しばかり態度が横柄ではなくて?」
第一王女が妹の店を訪れることは、すでに恒例になりつつあることなので、大した騒ぎにはなっていない。
周りの人々は、大人しく成り行きを見守っていた。
しかし、明らかにヴィヴィアンヌがミラーヌに対して、暴言を吐いているのは明確な事実である。
ヒソヒソと囁きあいながらも、ミラーヌへの同情が募る。
だが相手は仮にも、第一王女なのでどうすることも出来ないのであった。
「そんなつもりは……」
「いやぁね、これだから卑しい庶民の出身は困るのよ。礼儀を知らなくてわたくしが困ってしまうわ」
「そんな言い方は止めて!」
「ほら、すぐに大声を張り上げて。これで第二王女だというのだから、世も末だと陰口を叩かれて、お母様もわたくしも恥ずかしい思いをしているのよ?いい加減、王族の地位を捨てればいいのよ!」
ひとしきり陰口を叩いた後は、決まって言う捨て台詞。
‘王族の地位を捨てればいい’
自分一人では決められないことだし、そう簡単に言わないでほしいと思うのだが……。
ミラーヌが『捨てる』と、一言そう言えば簡単に追い出せると考えているのだから、世間知らずの浅知恵というものだ。
何度吐き出したかもわからない、ため息をこぼしながら話を変える為に、ヴィヴィアンヌの後ろを陣取る、大きな物体に目を向けた。
「……それは何?」
「目ざといわね、貧乏暮らしをしているからすぐに高級な物に目が向くのかしら?」
「そ・れ・は・な・に!?」
「っ、お父様に買ってもらった品物よ!すごく希少な物で、世界でたった一つしかないんだから!!」
「なんですって!?」
目眩がするような思いだった。
希少品を手に入れるということは、お金をたくさん払わなければいけない。
どこから支払われたのか。
国王の私財にも限りがあるので、そう何度も娘の為に、プレゼントを買ってあげられるはずがない。
つまりは、国王名義で勝手に買い物をして国からお金が、支払われたということだ。
しかも、特別な品好きなヴィヴィアンヌのことだ。
相当、高い買い物をしたに違いない。
今頃は城中が、上へ下への大騒ぎになっていることだろう。
特に、日夜倹約に励んでいる母なんかは、静かに怒りにうち震えているにちがいない。
それを考えると、自分だけでも街中で暮らして本当に良かったと、心の底から安堵した。
「これは、真実を告げる魔法の鏡なのよ!教えてほしい質問に対して、本当のことを教えてくれる。本当のことしか言えない、魔法の鏡。素晴らしいでしょう!!」
「魔法の鏡?…………もう試したの?」
不良品なら、すぐに返せばお金が返ってくるかもしれない。
まだ間に合うかも、などと考えているミラーヌの心の内を、ヴィヴィアンヌは知らない。
子供のようなキラキラした瞳で、えらく自慢げに続けた。
「まだよ、あなたの前で試してあげようと思って。珍しい品だから、見られるだけでもありがたいと思いなさい?」
「いえ、別に見たくないから持ってかえって」
「つっ!?見たくないと言うの?!わたくしがわざわざこんなところにまで訪れてあげたのだから、感謝すればこそ追い返そうだなんて……っ!!」
「……わかったわ。一緒に見るから、その後はすぐに帰ってね?お願いだから、ここに長居しないで」
凄味のある目付きに、さすがのヴィヴィアンヌもたじろいでしまう。
だがすぐに、強気な態度を取り戻した。
「わかったわよ!……お前たち、布を取りなさい」
ヴィヴィアンヌの命を受け、布を数人がかりで取り去り、群衆の前でその姿が現れる。
縁に美しい装飾が施され、てっぺんにひときわ大きな青い宝石が、はめ込まれている鏡。
ヴィヴィアンヌはもちろんのこと、ミラーヌの姿もその鏡に、綺麗に映し出されていた。
「ふふん、美しいでしょう?」
それは鏡に対して言っている台詞と思われるだろうが、ヴィヴィアンヌの視線は完全に、鏡に映る自分に固定されている。
浪費家で自惚れが強い、ナルシストな王女なんて。
救いようがない気がするのは、ミラーヌだけではないはずだ。
あえて返答は避け、自然な流れに任せることにした。
「さぁて、せっかくだから本物の魔法の鏡なのかどうか、確かめてみようかしら」
「えっ、ここで試すの?」
「別に構わないでしょう?」
もし偽物だったら、大勢の民衆の前で恥をかくのはお前なんだぞー…………と、言ってしまいたかったが。
そうなったらそうなったで、しばらく街中には現れなくなるだろうと思い、進言するのを止めた。
ヴィヴィアンヌは、優雅にドレスの裾を持ち、鏡の前で高らかに質問した。
「鏡よ鏡、教えておくれ?」
真実を教える為の、魔法の言葉。
「この世で最も美しいのは、誰?」
定番過ぎる質問に、ミラーヌをはじめとする民衆全員の、開いた口が塞がらなかった。
皆一様に、ポカーンとしてしまい、辺りは静まり返ってしまう。
……それだけ静かになったにも関わらず、件の鏡は質問に答えるどころか、何一つ言葉を話すことはなかった。
「(やっぱり……偽物、か)」
購入したヴィヴィアンヌ以上に、見せられただけのミラーヌの方が、ダメージが大きかった。
「〜〜〜っっ!!何よコレ!?偽物じゃない!こんなものいらないわ!!!」
なぜなら、自分が欲しいから購入したくせに、高い安いに関わらずすぐに所有権を放棄するからだ。
まだ自分で持っていて、使われる方が浮かばれるのに、たった一度しか使用せずにいらないと言う。
こんな眉唾物の鏡、他で売ったとしても、買いたたかれるのが落ちである。
どれだけの付加価値をつけようとも、元値と同じか近い値段で売却するのは、非常に難しい。
しかもこの分では、買った商人に返すことも出来ないだろう。
今起こったことが、たちまち噂になって仮に商人に返品を要求すれば、ヴィヴィアンヌのことを持ち出され、非常に取引が行いづらくなる。
王族の恥を持ち出されるのは、とても痛い。
馬鹿馬鹿しいことではあるが、なけなしの王族の誇りをこれ以上、傷つけてはならないのだ。
仮にもミラーヌは、両親思いの優しい子であった。
「いらないって……まさか捨てる気?買ったばかりなんでしょう!?」
「あなたに差し上げるわ!どうせ、鏡の一つも持っていないでしょうから!!」
ミラーヌの名誉の為にあえて言おう。
着ている物が地味なだけであって、不潔だとか身だしなみが整っていないだとか、決してそんなことはない。
毎日ちゃんと自前の鏡を見て、身仕度を整えている。
清潔感があり、人から好まれやすい。
なのに、誤解を招くような言い方は、非常に困る。
それ以上に、とても腹が立った。