§9 困惑
何か、見えた。
誰か分からないが、夫婦だった。出産直後だろうか、女性はベッドに寝て、上体だけを起こしている。男性はそんな女性を支えながら、女性の腕の中を覗き込んでいる。
腕の中には産まれたばかりの子供がいて、柔らかそうな布にくるまれていた。部屋にはオルヴァーナ、アルガスのどちらにも広く知られている安産祈願の人形が至るところに置かれていた。数も多く、人形の意匠も凝らされている。この家は随分と豊かなようだ。
窓の外を見れば、二本の杖が交差した旗が翻っている。その旗はさっきも見た、アルガスの国旗。もうひとつ、黒地の杖剣旗。武器と一体化された杖を取り囲むように葉が広がった意匠の旗だ。どこかで見たようだが、すぐに思いつけなかった。それらの旗が高々とあがり風に翻った様は、戦争の雰囲気を僅かとも感じさせなかった。
これは夢か、それとも死んだからか。
「……っ!」
目が覚めた。周りが礼拝所から変わったのを確認したのがはやいか、俺は周りを確認した。いや、しようとして出来なかった。
身体を動かそうとするだけで激痛が走る。あのあと死んだ訳ではない、という証明にはなったが、動けないことの証明にもなった。仮に今敵が来たとして、なすがままにされるしかないようだ。
しかしこのまま何も出来ないことは変わらない。俺は息を吐いて身体の力を抜き、周囲の状況に気が付いた。さっきから包みこまれると思っていたが、かなり上質な寝床で俺は寝かされているらしい。処置も施された上で、俺はここにいた。つまりここは、騎士団の医療所? だが、騎士団の医療所にこの様な部屋はなかったはず。
そこまで意識が飛んだところで、俺の顔を覗き込んだ奴が何人かいた。小人だ。
「おきたっぽい?」
「おきましたね」
「ほうこくじゃー!」
「「「ひゃっはー!!」」」
その声を合図にしたのか、至るところから小人が現れた。調度品の陰から、カーテンから、花瓶の中から、ベッドのシーツから。そいつらのうち1人が「おきた! おきた! みんなうごけ!」とか言いながらラッパを吹き鳴らしていた。さっきとは違って何を言っているか分かったが、言いたい放題に言っているので何が何だか分からない。
「ほうこくじゃー!」
「みんなでやるぞー!」
「えんじんじゃー!」
「くみたいそうだ!」
「みんなぺあをつくれー!」
「「「やめろ!」」」
「えー」
10人? 程が集まって円を描くように踊り出した。それと同時に術式発動を示す陣が浮かび上がる。
すぐに鏡が形成された。どうやら通信手段の様で、鏡を見て小人の1人、メイによくにた小人が話始めた。
「えみりあ! すぐくる! おきた!」
「ちょっと待ちなさいよ……」
これはマズいことになった。今の俺では下位の魔術師や魔獣が1人だけでも負ける。裸に近い格好で魔術を食らって無傷である自信がない。
いや、それならどうして俺はこの状態だ? この小人はさっきも見たが、教会の近くであることは間違いないはずだ。傷には丁寧な処置が施されている。手足には何も、拘束すらされていない。今まで俺は抵抗の結果捕縛した魔術師は全て監獄に連行した。俺がここの組織に所属する魔術師と戦闘したのは事実なのだから、敗北の時点である程度予想はしていたが、状況に全く付いていけない。
「一体どうなってんだ……」
「それは私が聞きたいところね」
声の方向に首を向けると、ついさっき戦ったばかりの女性、いや女子が壁に背を預けて立っていた。顔の造りも相まって、子どもが背伸びしているようにしか見えない。
「殺すんなら殺せ」
「私は別にそれでもいいのだけれど」
一旦そいつは話を区切り、意味ありげな視線を俺の近くに向けた。小人の集団が俺を庇うように手を広げて壁を作っていた。
「ころすわけにはいかないのです」
「なかま、そろそろもどる」
「エルフがこんな感じだからね、殺せないわ。それに、私達も貴方には少し用があるのよ」
「……」
そんなにエルフとやらに懐かれるようなことをしたのだろうか。それに、用とは?
「もどったです?」
「あったっぽい?」
「「「はこべー!」」」
ちょうど図鑑と同じサイズの本をエルフが下から上へ運んでいく。
「このぺーじをつかうです?」
女子がそれを手にとって、適当にページをめくる。目的のページを見付けたのか俺にその本を向けてきた。いや、これは向けると言うよりも、押し付ける、と表現した方がいいだろう。
が、そのページを押し付けられた瞬間、青く発光した。
同時に何かが俺に流れ込む。誰かの記憶? 所々色が抜け落ちてはいたが、すぐに鮮明になった。
交差した杖、焼け落ちる館、崩れ落ちる男に倒れた女、それとは別の男が此方にシリンダーを突き刺す……。
「……っは!」
息が荒い。だがそれよりも、今のは何だ? 誰の記憶だ? 答える者は誰もいないのだが。
女子は相変わらずこちらに本を向けている。いや、中身を見せたいのかさっきと違い押し付けるような仕草はない。
青白く光っているアルガスの文字で書かれてはいたが、日常生活で使える程度のアルガス語なら理解出来る俺でも読める程度の難しさだった。そこに書かれていたのは1人の人間のプロフィール。名前は俺と同名のジャックという男で四公家の一つの今は没落しているアーンガルスの人間だった。死亡はしていないのか、死亡、とだけ書かれた欄には何も書かれていなかった。
「……見えた?」
主語をわざと外した言葉なのか、少女が問う。
「何を意図しているかは分からんが、少なくとも本に書いてある文字なら」
その言葉を聞いた途端、少女はその開いたページを読み始めた。ものの数秒で目が見開き、読み終えるのには時間がかかった。その少女は深呼吸してから、唐突に語り始めた。
「この本はね、いくつか特徴があるの。その中には、さっきみたいに誰かに押し付けると効果を出すものだってある。でもそれには前提条件があるの」
「……それがどうした」
「その効果はね、魔力に反応して発動するの。対象の魔力を媒介にして、この本は予め仕組まれた魔術を行使する。私達はそうやって、同胞とそれ以外を分けてきた。つまり貴方には私達の祖国、アルガスの血が流れている」
「そして光にも意味があるわ。光の色彩によって、区別することが出来るの。白く光るのはほんの僅かだけアルガスの血が混じっているだけの魔術師として出来損ない。でも、青白く光る人間には全員特徴があるの」
その言葉を言うと同時に、少女は光が消えたページを自分に押し付けた。俺と全く同じで、青白く光る文字で、エミリア・U=リースフェルトと書かれている。恐らくこの少女の名前だろうか。
いや待て、さっきは何と書かれていた? ジャック・A=アーンガルスと書かれていなかったか? だがまだ早計という可能性も……!
「この色はね、最初の魔術師と謳われる魔術師の魔力の波動をモチーフにしたと言われているの。四公家の先祖は、彼が直々に魔術を指導したと弟子達だと言われているわ。私もそんなに信じてるわけじゃないけど、今はそれがありがたいわ」
少女は一旦区切って、俺の目を覗き込んでから告げた。
「あなたも魔術師よ。それも四公家、アーンガルスの人間のね」
「……バカを言うな。証拠が何処にあるという?」
そこで、それまで無言だったエルフらが再度術式を行使し始める。が、術式を組み上げるエルフらを中心に光り始めた。この魔術は双方にとって予想外だったようで、俺も少女も慌てふためいた。
光はすぐに収束し、エルフが持っていた木の枝に緑色の球状となって固まる。エルフはそいつをおもむろに俺に向かって振りかざした。
「なっ!?」
動けない俺に魔術が直撃する。攻撃の意図どころか治癒魔術らしく、黒みを帯びた青い光が俺を包み動けなかった身体が動くようになった。
「しょうめいおわり」
「やっぱりあーんがるす」
「……認めざるを、得ないようね」
女子は頭を抱えながらため息を付くように言った。
「……どういうことだ」
「確かに今のは治癒魔術のバリエーションの1つよ。だけどそれは魔術師の血にしか反応しないの。さっきのエルフの魔術は、魔術師が先天的に持つ身体魔術を活性化させるだけよ。それも今の光、血に反応しているわ」
「つまり、俺がアーンガルスの人間だと?」
「そうなるわね」
「じゃっくはいたよ!」
「17ねんまえのとうしゅのひとりむすこ!」
「待って。それが事実なら……」
「随分とエルフを信用しているな」
「……あんたらには言われたくないわね。オルヴァーナとの戦争で、大量の魔術書を喪失したからエルフを頼らざるを得なかったのよ」
「……仮に俺がエルフを殺したとしたら?」
「無理ね。過去に何度かエルフ殺しの実験があったらしいけど」
「つぶれてもすぐなおるー」
「もやされてもこげるだけー」
「たべてられてもくちからでればよいのだ!」
「そもそもぼくらおいしくないのよ」
「因みにエルフを始めとする、私達が精霊と呼ぶものたちは魔力の無い生物には見えないわ」
……つまり、殺せない、と。だが、今頭やら肩やらに乗って髪の毛や睫毛にぶら下がっているこいつらをそのまま連れ帰ったらどうなるだろうか。それについては言及されていないし、試してみる価値はあるのか?
そのタイミングで唐突に扉が開く。
「ごはんなのですー」
「はらがへってはいくさはできぬ?」
二食分の食事を持ってエルフ達が入ってきた。どうでもいいが、今に至るまでこの部屋に入ってきたエルフは数多くいるが、出て行ったエルフはいない。そのほとんどが俺の上に乗っているわけで。単体では軽いエルフだが、ここまで乗られると重い。いい加減少しは離れてくれないだろうか。
「えみりあのぶんももっていってやれっていわれたー!」
「じゃっくのはりゅうどうしょくー! まじゅつつかったけどまだかんちしてない!」
そう言われて、猛烈な空腹感を覚える。作戦前に軽く食事はとったはずなのだが……。
再度来訪者が。次は老人だ。片手に魔術の媒体とは別の、ただの杖を持っている。飾りというわけでもないらしく、顔には相当な皺が刻まれていた。それとは別に、皺とは別の……傷跡も。何かの資料で見たことのある風貌だが、あいにく覚えがなかった。
「ジャック、お前の捕縛から既に一週間が経過している。騎士団も教会に捜索隊を出したという話だが、はたして証拠が見つかっているのやら」
「あら、ジェラルド。動いてていいの?」
ジェラルド。ジェラルド=グスター。当代最強の魔術師と言われていたが、前大戦で死んだはずの魔術師が、何故ここにいる!
「ちなみに君の動きは既に掌握させて貰ったよ。何をしたものか、たまったものじゃないからね」
「……っ!」
首から下が全く動かない。魔術発動の前兆なら見逃すはずがないのに、何時の間にかけた!
「何、驚くことはない。魔術に要求されるだけの魔力しか放出しなければ、周りに感知される可能性は少なくなる。それにここは私達の隠れ家だ。戦闘も考えている以上、対策もするさ」
老人は俺の考えを読んでいるかの様に語り続ける。
「1週間と言えば、あと3日で死亡判定だったか?」
騎士団の規則にも精通しているらしく、老人は再度告げる。
確かに、特別な事情なしに10日間報告が無ければ死亡し、作戦が失敗したと判断される。
「エミリア。ジャックに考える時間を与えなさい。彼は騎士団以外での生き方はほとんど分からないからね」
知ったようなことを言う。
「そうね。でも、これだけは言わせて欲しいの」
そう言って女子は俺の目を見た。
「私達には戦力が足りないの。オルヴァーナの勢力をアルガス国内から追い出す。それだけでいい。私達に、協力してくれないかしら」
「断る」
「しかし、今の君で騎士団にいられるかな?もう君は潜在していた魔術を使える。当然、騎士団の網に引っ掛かるようになる。果たして。今のままでいられるかな?」
そうだった。確かに騎士団やオルヴァーナ各市内にも生活している魔術師はいる。だがそれはほとんどが何らかの労働義務を負っていた。魔術適性によって分別され、適性の低い者は肉体労働を課せられる、という話だ。
場合によってはモルモットにされるなど、様々な憶測だって聞いている。
言われるまでもなく、今のままで騎士団にいることが出来ない事位分かっていた。だが早急に決める訳にもいかない。何か手立てだって……。
「……考える時間をくれ」
やっとの思いで口に出す。
「私達と手を取るのなら、いつでも来なさい。君の魔力はもうわかっているからね、いつでも連絡が取れるよ」
そして老人は俺の手に何か腕輪のようなものを握らせた。細かい意匠が施されたもので、製作者の丁寧さが感じられた。
「おまけだ。これを付けておくといい。これがあれば、騎士団の探知もごまかせるだろう」
その言葉を最後に視界が暗転した。気が付くと、部屋ではなく教会だった。女子……エミリアとの戦いであちこちが崩れたのだが、それらももう直っていた。
重い足取りで教会を出る。朝の早い時間なのか、人の声も聞こえなかった。それに加えて、いつのまにか降り積もった雪が足元を狂わせる。外套を着込むべきだったと、本当に今更ながら後悔した。
捜索隊の誰かが俺の生存を期待したのか、教会近くに留めていた俺の馬はのんびりと積まれた草を頬張っていた。雪が降っていたのに呑気なものだ。馬具の一部に足を引っ掛けて馬に飛び乗る。
「行くぞ」
横腹を軽く蹴ると馬はそれに答える様に嘶く。そのいつもと同じ反応に、どこか安心感を覚えた。