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◎その三

 急な斜面をようやく登り終えると、そこにはなだらかな丘陵が広がっていた。

 その丘陵のずっと向こうに、なにやら明かりのようなものが見える。

「にゃぁ、にゃあにゃにゃ!」

 小さな子猫の鳴き声を聞いて、今まで暗かったヒナノの顔にようやく明るさが戻ってきた。

「あれが、大婆さまの家らしいにゃ」

「あと少しだね。頑張ろう、ヒナノちゃん」

 明かりはまだまだ遠いが、もう目に見える場所まで来ている。

 その事実が、疲れ切った体に最後の力を与えてくれる。

 持ち上がらない足を動かして、ひたすら前へと進む。

 これまでの道と比べたら、こんなの楽勝だ。

 ぬかるんではいるが、行く手を遮るような丸太も、大きな崖崩れもない。

 二人は子猫達と顔を見合わせ、明かりを目指してまっすぐに。

 しかし、

「……ッ!?」

 ヒナノの鋭敏な聴覚が、何かを捉えた。

 複数の足音、それもけっこうな数が、ものすごい速さで近付いてくる。

 そして最後に、まるで自分達の存在をアピールするかのように、甲高い遠吠えが聞こえてきた。

「この声、もしかして!?」

「オオカミにゃ!」

 ヒナノとタマミドリ、そして子猫達は、明かりに向かって一目散に走り始めた。

 もう、体力がどうこうと言ってられる余裕はない。

 助かる道は、早く大婆さまの家まで行くこと。

 それ以外に、選択肢はなかった。

 だが、疲れ切った体で、オオカミを振り切れるわけもない。

 こっちは山を一つ越え、獣道すらほとんどないキツい斜面を、今までひたすら登り続けてきたのだ。

 何もかもが、ヒナノ達に不利すぎた。

 ヒナノの耳は、だんだん近付いてくる足音をしっかり捉えている。

 もうしばらくすれば、オオカミは確実に自分達に追い付くだろう。

 二人は前方に見える明かりを、再確認する。

 これだけ必死になって走っているのに、全然近付けている気がしない。

「きゃッ!?」

 ふらつきながらも懸命に走っていたタマミドリであるが、ついに足が言うことをきかなくなった。

 太ももの辺りの筋肉が釣り、顔から地面にすっ転ぶ。

「タマ、早く立つにゃ!」

 ヒナノは、なかなか起き上がれないタマミドリに手を伸ばした。

 だが、タマミドリは首を横に振って、それを断った。

「オオカミ達は私が引きつけるから、ヒナノちゃん達は先に行って」

 怖いはずなのに、精一杯の笑顔を作って。

「でも、相手はオオカミにゃ! 襲われたら、タマがどうなるか……」

「私は大丈夫。ほら、いざとなったら消えたりできるし」

 タマミドリの本体は、あくまで袂にしまっている湯呑の方。

 確かに、そう言われれば大丈夫なような気もするが……。

「でも、もし湯呑が割れちゃったら」

 その時は、タマミドリが消えてしまう。

「やっぱりダメにゃ! タマがいなくなっちゃうなんて、絶対に!」

「助けるんでしょ。子猫達のお母さん。私たちは、そのためにここまで来たんだから」

「でも……」

「私なら、大丈夫。絶対に、いなくなったりなんかしないから」

 ヒナノは迷った。

 ここでタマミドリを置いていって、もしものことがあったら、シャオになんて顔をして会えばいいのだろう。

 でも、それは母猫を大婆さまの所に連れていけなくても同じこと。

 そのために、シャオは必死になって川に氷の橋を渡してくれたのだから。

 どちらかを選ぶなんて、そんなことはできない。

 だが、今はそれをしなければならないのだ。

「もしいなくなったりしたら、化けて出てやるのにゃ」

「えへへ。それじゃ、化けて出られないように、頑張らないとね」

 ヒナノは選んだ。

 タマミドリを信じて、自分は母猫を大婆さまの所に連れて行く。

 タマミドリはヒナノの背中を笑顔で見送りながら、よろよろと立ち上がった。

 袂から取り出した湯呑には、熱々を通り越して沸騰した緑茶が現れた、準備を整える。

「もう、君たちは行けばよかったのに」

 タマミドリは、自分のそばを離れない子猫達を見ながら、ちょっとだけ嬉しい気持ちになった。

 自分の身を案じて、この子達は残ってくれたのだ。

 なんとしても、オオカミ達を母猫の所に向かわせてはいけない。

 ――――アォォオオオオオオォォォォン。

 タマミドリの耳にもはっきり聞こえるほど、オオカミが近くまで迫ってきた。

 重い体を立ち上がらせ、タマミドリは沸騰した緑茶の入った湯呑を構える。

 沸騰しきった緑茶をかぶれば、火傷は免れない。

 膠着状態に持ち込めば、時間は稼げるはずである。

「きた!」

 タマミドリの視界に、ゆっくりと近付いてくるオオカミの姿が映った。

 大きい。体長は一メートル以上もあり、タマミドリ達とほとんど変わらない。

 数は六、七匹ていど。タマミドリと子猫達を取り囲むように、円形に広がっていく。

 タマミドリは近付いてきた一匹に向かって、沸騰した緑茶を振りかけた。

 しかし、余裕をもって後ろに跳んでかわされてしまう。

「く、来るなら来ればいいよ! でも、火傷しても知らないから!」

 再び湯呑をふつふつと煮えたぎる緑茶で一杯にし、かすれた声で叫んだ。

 オオカミ達はそれ以上近寄るようなことはせず、一定の距離を保ったままぐるぐるとタマミドリ達の周囲を回り始める。

 いつ跳びかかられてもいいように、タマミドリは湯呑を構え周囲へ注意を払う。

 すると、そこへ更に二匹のオオカミが合流してきた。

 現状でも既にいっぱいいっぱいだというのに、まだ増えるのか。

 生唾をごくりと飲み込んで、警戒を更に引き上げるタマミドリ。

 しかし次の瞬間、タマミドリの目に驚くべき光景が飛び込んできた。


     ☆


 シャオは川に橋を渡すために、タマミドリはオオカミ達を食い止めるために、ヒナノと分かれた。

 今のヒナノは、たった一人だ。

 道案内の小さな猫と、残り数匹の猫達は一緒であるが、シャオもタマミドリもいないのは、大きな不安となってのしかかってくる。

 シャオは今、こっちに向かっているのだろうか。

 オオカミの足止めをしているタマミドリは、本当に無事なのだろうか。

 それらの不安に押し潰されそうになりながら、ヒナノは必死に地面を駆けた。

 不安をはねのけるように、押し潰されないように。

 体力はとうに底を突いているが、ヒナノの足が止まる気配はない。

 だんだんと近付いてくる明かりに向かって、一心不乱に走り続ける。

 シャオとタマミドリから託された、母猫を助けるという思いを支えにして。

「はぁぁ、はぁぁ、もう少しにゃ。しっかりするにゃ!」

 腕の中でぐったりする母猫に向かって、ヒナノは強く語りかけた。

 相変わらず動く気配はないが、頭を少しだけヒナノにすり付けてきた。

「……絶対、助けるにゃ」

 重たい足に目一杯の力を込め、ひたすらに走った。

 そしてついに、

「お、お願いなのにゃ!」

 大婆さまの住んでいる、小さな山小屋までたどり着いた。

「この、この猫、助けて欲しいのにゃ!」

 扉を開けると、中には長い白髪をうなじの辺りでしばったおばあさんが、目を大きく見開いている姿がヒナノの瞳に映る。

 この人がきっと、大婆さまに違いない。

 ヒナノはついに母猫を大婆さまの所に届けた安心から、ぱたりと意識を失った。


     ☆


 次にヒナノが目を開けた時、最初に飛び込んできたのは木の天井だった。

 冷え切っていた体は、ぽかぽかと温かい。

 湿った着物の感触もなく、さっぱりと乾いていて着心地も最高だ。

「あ、ヒナノちゃん!」

 少し視線を動かすと、タマミドリの姿が目に入った。

 よかった、どうやら無事オオカミから逃げられたらしい。

 だが、更に視線を動かすと、信じられないものがそこにいた。

「なっ、なんで……」

「オオカミがここにいるんだにゃ!?」

 タマミドリは片手でひっくり返った子猫の腹をさすりながら、反対の手ではなんとオオカミの首の辺りをこちょこちょしてじゃれ合っていたのだ。

「お、やっと気付いたな、ヒナノ」

 そして途中で別れたはずのシャオまで、まるで何事もなかったかのようにそこにいたのである。

「シャオまで、どうして?」

「あぁ、そこのオオカミ達に連れてきてもらったんだ」

 未だポカンとしているヒナノに、シャオはにししぃからかうように笑った。

「オオカミ達に?」

 状況が理解できないヒナノは、再びタマミドリとじゃれ合うオオカミ達を見る。

 確かに、自分達や子猫達に危害を加えるような様子はない。

「ヒナノ、オオカミとは話せないのか?」

「犬神じゃないんだから、そんなの無理にゃ。ヒナノが話せるのは、猫だけにゃ」

 シャオのしょうもない質問に答えながら、状況の確認を始める。

 泥だらけの着物は着替えさせられていて、子猫達も全員いる。

 防寒の意味も込めて、熊の毛皮でできた毛布をかけられている。

 心配だったシャオもタマミドリも元気そうで、ヒナノは安心から大きく深呼吸した。

「このオオカミさん達、大婆さまがお世話してるんだって。私達を連れてきたのも、見かけない妖怪と猫が、ものすごく慌ててたから、大婆さまが連れてこさせたって」

「じゃ、じゃぁ……。別にあの時逃げる必要なんて、なかったのかにゃ?」

「うん、そうなるねぇ」

 気の抜けたヒナノは、ぐで~んと後ろにひっくり返った。

 じゃあ、あそこからの頑張りは全部無駄だったということか。

 だったらそうと、最初から言ってくれればよかったのに。

 って、オオカミとは話せないんだったと、ヒナノはさっきシャオに言ったばかりのことを思い返した。

「そ、そういえば。こいつらの母ちゃんはどうなってるんだにゃ?」

 はっとなって起き上がったヒナノは、シャオとタマミドリに問いかけた。

 大婆さまらしき人に会った所までは、記憶にある。

 長い白髪をうなじの辺りでまとめていた、いかにも大婆さまといった感じのおばあちゃんだ。

 小屋の中にはそれ以外の人影はなかったし、間違いないとは思うのだが。

「今、奥の部屋で大婆さまが診てくれてるところ」

 そう言ったタマミドリの視線の先には、二枚の(ふすま)があった。

 きっとあの向こう側に、自分達の連れてきた母猫と、大婆さまがいるのだろう。

「大丈夫かにゃ……」

「きっと大丈夫だって。あたしら、あんなにがんばったんだから」

 弱気なヒナノを、シャオは変わらず元気に慰めてくれる。

 その自信の根拠は、いったいどこからきているのやら。

 でも、そうであって欲しい。

 自分達が頑張ったからとかではなく、ここまで一緒に付いて来てくれた子猫達のためにも。

 かしゃっ、と、不意に襖が開いた。

 中からはヒナノも見覚えのある、白髪のおばあちゃんが現れる。

「おぉ、目が覚めたか。よかったよかった」

 元気そうなヒナノの姿を見たおばあちゃんは、柔和な笑顔を浮かべながら、よかったよかったと繰り返す。

「あ、あの! ヒナノ達が連れてきた、こいつらの母ちゃん、どうなったんだにゃ!?」

 だが、ヒナノにとってそんなのは二の次だ。

「大丈夫、なんですよね?」

「どうなったんだ!」

 それは、タマミドリとシャオも同じ。

 自分達は母猫を助けるために、隣山の大婆さまの所までやって来たのだ。

 三人はまっすぐで、真剣で、心の底から心配そうな目で、おばあちゃんにつめよった。

「……………………」

 だが、おばあちゃんは何も答えなかった。

 その代わり、竹籤(たけひご)で編んだ籠を、そっと三人の前に差し出す。

 柔らかそうな布が敷き詰められた籠の中には、三人の連れてきた母猫が寝そべっていた。

 連れてきた時とは違う安らかな寝顔に、三人は安堵を覚える。

 しかしそんな中、ヒナノはどこかに違和感を覚えた。

 連れてくる時も全く動かなかったが、なにか違う。

 もう少し注視してみると、その違和感がなんなのか明らかになった。

 そして喜びから一転して、何か重たいものに――ぎゅぅぅっと胸が締め付けられたような気がした。

「ヒナノちゃん?」

「どうしたんだ? なんでそんな暗い顔してんだ?」

 異常を察知したタマミドリとシャオは、ヒナノの方を振り向く。

「……てない」

 ヒナノは震える声で、その事実を二人に伝えた。

「息、してないにゃ」

「えぇ……!?」

「なっ!?」

 タマミドリは袖で口元をおおい、シャオは大きく口を開いて驚く。

 ヒナノの感じとった違和感の正体、それは母猫の呼吸音だったのだ。

 連れてくる時は、弱いながらも息を吸ったり吐いたりする音がしていたのに、今はそれがない。

 そして、上下していなければならないはずの胸も、一切動いていなかった。

「そ、そんなぁ……」

「せっかく、せっかくここまで来たのに」

 タマミドリもシャオも、悔しさから奥歯を噛みしめた。

 自分達は、母猫を助けられなかった。

 その事実が、涙となって潤んだ目からこぼれ落ちる。

「お前さん達は、よくやったさ」

 三人の頭を撫でながら、優しく、しかし諭すように小さく語りかけた。

「この猫は、寿命だったんだよ。“大婆さま”とか言われて頼りにされとるワシにも、どうにもならなんだ」

 (せき)を切ったように、三人の目からぽろぽろと涙がこぼれ出す。

 大声で泣き叫ぶ気力すら、三人には残されていなかったのだ。

「だから、お前さんらが気に病む必要は、これっぽっちもありゃせんのじゃよ。ようここまで頑張った。あの母猫も、きっと嬉しかったじゃろうて」

 ただ事実を受け入れ、こくこくと小さく頷く。

 子猫達は母親の死を悼むように、籠のそばまでよって鳴いた。

 悲しそうな、寂しそうな声で。

「そんな頑張ったお前さん達じゃから、見せたいものがある」

 三人の頭を撫でていたおばあちゃんは立ち上がると、先ほどでてきた襖の方に向かった。

 目を赤くして泣く三人を手招きし、部屋の奥へと入っていく。

 ヒナノとシャオとタマミドリは、その場から立ち上がると、袖で涙をぬぐいながらそれに続いた。




 部屋の広さは先ほどよりかなり狭いが、その代わりにとても温かい部屋だ。

 柔らかそうな布の巻物を手に取ると、おばあちゃんはそれを三人に見せた。

 布の中にいたものの姿に、三人は言葉を失う。

「にぃぃ」

 まだ毛も薄く、両手に乗ってしまいそうなほど小さいが、布に巻かれているのは、確かに赤ん坊の猫であった。

「この子を生んで気が抜けたのか、母親はそのまま死んじまった」

 三人は食い入るように、猫の赤ん坊を見つめる。

 まるでありがとうとでも言うように、赤ん坊の猫は力いっぱい小さな声で鳴いた。

「生き物にはみな、寿命がある。寿命がくれば、みんな死んじまう」

 小さな命が、必死に生きようとしている。

 力強い、命の輝き。

 小さくとも、決して消えない灯火が。

 三人の胸の奥から、感情が濁流のようになって溢れ出した。

「じゃが、同時にこうして新しい命も(はぐく)んでゆく。お前さんらは確かに、この子の命を救ったんじゃ」

 渡された赤ん坊の猫を、三人はしっかりと受け止めた。

 とっても軽いのに、とっても重い。

 母猫は、自分達は、この子のために頑張った。

 だから母猫は、あんなに安らかな顔をしていたのだろう。

 自分の赤ん坊を、助けてくれてありがとうと。

「名前、付けなきゃな」

「それも、うんと可愛いやつをね。ね、ヒナノちゃん」

「……そうだにゃ。可愛い名前、つけてやるのにゃ」

 おばあちゃんはその光景を、柔らかな笑顔で見つめていた。

 はい、前回の反省を生かして、こんかいは短めです。具体的に言うと、半分近くまで次数が減りました。そしてホントいうと違う話書こうと思ったんですが、ネタが思い浮かばなかったので、結局同じ話ということで。

 今回の学祭で私の書いた小説です。構成やら展開やら、誤字脱字探しやらして、だいたい五日ほどかかりました。良い話とのご要望があったので、ちょっと悲しめで、でもちょっと感動もありで、そんな話を書いてみました。こういう話書くの初めてなんで色々締めに迷いましたが、まあ良かったんではないかなぁと。三人の頑張りぶりを見ていただけたら幸いです。

 きっと来年は、もっと成長した三人を見ることができるでしょう。たぶん。

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