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◎その二

 いったい、どれくらい走っただろうか。

 あっという間に村を出たヒナノは、猫に導かれるまま山の獣道をどんどんとかき分けていく。

 連日連夜の雨と雪のせいで、足場は非常に悪い。

 ヒナノは時々それらに足をとられてすっ転ぶが、着物が汚れるのにも構わず走り続けた。

 ここまでくればさすがに息も切れてくるが、それでも休む事なく歩き続ける。

 その後方には、完全にばてて肩で息をしているシャオとタマミドリがいた。

 転びこそしていないが、ヒナノに比べたら体力の少ない二人に、山道はかなりキツい。

 シャオの方は多少の余裕はあるが、タマミドリの方はもはや限界寸前だ。

「にゃ。にゃにゃにゃーにゃ!」

「はぁ、はぁ、ここかにゃ?」

「んにゃー!」

 ヒナノは猫と何度か言葉を交わしながら、近くの洞穴(ほらあな)に目をやった。

 猫に先導されるまま、ヒナノは洞穴へと入っていく。

「タマ、もうすぐだ。はぁぁ、頑張れ」

「はうぅ、はぅぅ、……っうん」

 茂みの向こうに洞穴へと入っていくヒナノを見ながら、シャオとタマミドリも急いだ。




 洞穴の中は、思っていた以上に真っ暗であった。

 明かりの類は一切なく、シャオとタマミドリは壁に手を当てながら、ゆっくりと奥へ奥へと進んでいく。

 足下には(わら)のような草が敷き詰められているせいもあってか、外よりもかなり温かい。

 と、シャオの耳がヒナノの声を捉えた。

「ヒナノー! どこにいるんだー!」

 シャオは少しボリュームをしぼって、ヒナノの名前を呼んだ。

 洞穴はあまり大きなものではないらしく、すぐに奥から自分の声が返ってくる。

 それに加えて、

「ちょっと待ってるのにゃ」

 ヒナノの声も一緒に聞こえてきた。

 とりあえず安心したシャオとタマミドリがその場で待っていると、不意に奥の方で光が灯る。

 ヒナノの足下に、ちょうど握り拳二つ分くらいの橙色の火が輝いていた。

 シャオとタマミドリはその明かりを頼りに、足下を確認しながら洞穴の奥まで進んだ。




「ヒナノ、その火どうしたんだ?」

「やっとこの前、できるようになったのにゃ。燐火(りんか)って、この前父ちゃんに教えてもらったんだにゃ」

「それよりも、どうしてこんな山奥まで? 私たち、全然理由がわからなくて」

 シャオの質問でほんのわずかに明るくなったヒナノの顔に、またしても影が差す。

 ヒナノはタマミドリの問いかけには答えず、代わりに下の方へ目をやった。

 シャオとタマミドリもヒナノに倣い、足下へと視線を落とす。




 やわらかな枯れ草のベッドの上に、ぐったりとした灰色の猫の姿があった。




「こいつらの母ちゃんらしいんだけど、だいぶ弱ってるって、こいつが」

 ヒナノは、自分の足下にすり寄ってくる猫の頭を撫でた。

 すると仲間の声に反応したのか、ヒナノを連れて来た猫の兄弟らしき集団が、続々と洞穴に入ってくる。

 全員がにゃあにゃあと、悲痛な鳴き声を三人にかけてきた。

「ヒナノ。こいつら、何て言ってるんだ?」

 シャオはかがんで子猫達の首をさすりながら、ヒナノに問いかけた。

「自分たちの母ちゃんを、助けてくれって。そう言ってるのにゃ」

 ヒナノは母猫の背中をそっとさすってやるが、全く反応がない。

 時折低い声で、苦しそうに泣くだけだ。

「助けて欲しいって言われても、どうすればいいんだよ?」

 シャオはヒナノとタマミドリに訴えるが、二人とも首を横に振る。

 どうすればいいのか、ヒナノにもタマミドリにもわからない。

 シャオは悔しそうに唇を噛みしめ、だんだんと地団駄を踏んだ。

 すると、

「にゃにゃ。にゃにゃにゃーにゃ」

 ヒナノを呼んだのとはまた別の猫が、ヒナノの足下にすり寄ってきて、語りかけてきた。

 それを聞いたヒナノは、目を大きくぱっと見開く。

「今度は、なんて言ってるの?」

「ちょっと離れた所に、やまんばの大婆さまがいるって。そこに行けば、なんとかなるかもしれないって。そう言ってるにゃ」

 タマミドリの問いかけに、ヒナノは一言一言、言葉を噛み締めながら答える。

 それを聞いたタマミドリは頭をフル回転させ、大婆さまに関連する情報を引っ張り出す。

「それってたぶん、隣山に住んでる山姥(やまうば)の大婆さまのことかも」

「タマ、もしかして、そのやまなんとかって大婆さまがどこにいるか、知ってるのか?」

 期待に満ちた目でタマミドリを見つめるシャオであるが、タマミドリはふるふると首を横に振る。

 がっくりと肩を落とすシャオであるが、希望を捨てるのはまだ早い。

「そこは大丈夫にゃ。大婆さまの家までの道は、知ってるヤツがいるって」

 ヒナノは足下を照らす点し火を動かし、一匹の猫を照らし出した。

 この中では、一番身体が小さい。

 おおかた、末っ子といった所だろう。

「にゃにゃ。にゃーにゃ」

「任せてくれって。シャオ、タマ」

 ヒナノは友達の二人をキッと見つめ、シャオとタマミドリはうんと頷く。

「あたしらは、いつでも一緒だぜ」

「私達にも手伝わせて。ヒナノちゃん」

 シャオもタマミドリも、ヒナノと同じ思いだ。

 この母猫を、なんとしても助けてやりたい。

「ありがとにゃ、二人とも」

 ヒナノは泣きそうになるのをぐっと堪え、母猫を丁寧に抱き上げる。

 見た目にも危ない状態だというのがわかるくらい、母猫は弱り切っていた。

 もはや、一刻の猶予もない。

「道案内、頼むのにゃ」

「にゃおーんっ!」

 小さな猫は甲高い声で一声鳴くと、きびすを返して走り出す。

 その後ろ姿を追って、ヒナノとシャオとタマミドリと、母猫の子猫達は走り出した。


     ☆


 連日の雨と雪のせいで、山道はどろどろな状態になっていた。

 かと思えば、膝まで埋まるほど雪の降り積もった場所があったり、山の一部が暴落して道をふさいでいるような場所まである。

 三人と子猫達は互いに協力しあい、それらの障害物を一つ一つ乗り越えていく。

 足下や着物のが汚れるのなんて気にならないくらい必死に道を駆け、雪ん子のシャオが降り積もった雪をかきわけ、道をふさぐ土砂は手を取り合って上に登る。

「ヒナノ!」

「ヒナノちゃん!」

 横たわる巨大な丸太に乗るシャオとタマミドリが、ヒナノに手を伸ばした。

 ヒナノは母猫をタマミドリに渡し、シャオの手をつかんで丸太の上まで這い上がる。

 それから子猫達を一匹ずつ、上へと引き上げた。

「もうだいぶ走った気がするけど、今どのへんなんだ?」

「たぶん、もうすぐ隣山の入り口くらい」

「はぁぁ、まだ隣山にすら入ってないのか。まだ全然じゃねぇか」

「頑張ろう、シャオちゃん。私も頑張るから」

 互いを励ますように、シャオとタマミドリは声をかけあう。

 妖怪とはいっても、所詮は子供の足。

 走れども走れども、なかなか前に進むことができない。

 ヒナノはそんなことに苛立ちを覚えながら、腕の中の母猫の様子を確認した。

 外に連れ出したせいか、洞穴の中にいた時より、弱っているような気がする。

 早く大婆さまの所に連れて行かなければならない。

 ヒナノははやる気持ちを抑え、全員に先を急ぐよう促す。

 しかしそこへ、まるで追い討ちをかけるように雨が降り始めた。

 ただでさえ今日の気温は低いというのに、雨は三人の体力をがりがりと削っていく。

「急ぐにゃ!」

「うん、わかってる!」

「ちっくしょう、雪ならよかったのに。雨じゃあ溶けちまう!」

 小さな猫に先導され、三人と他の猫達は斜面を一気に下っていった。

 もう少しすれば、隣山に入る。

 ようやく半分まで来たと気持ちを持ち直そうとした三人でたるが、その前に広がっていたのは絶望の二文字だった。

「……そ、そんにゃ」

 ヒナノ達が下ってきた山と隣山の間には、小さな川が流れている。

 荷物を楽に運べるように橋もかけられているが、普段の水位は膝ほどまでしかない。

 だがそんな穏やかな川も、最近の悪天候のせいで姿を一変させていたのだ。

 水位は普段の倍以上まで上昇し、大量の土砂や岩巻き込みながら流れている。

 そしてなにより、頼りにしていた橋は、激しい川の流れによってかんぷなきまでに破壊されていたのだ。

 上流や下流にも橋はあるが、ここと同じように壊されているかもしれないし、そんな回り道をしている時間も、三人には残されていなかった。

「そんな、あと半分なのに……」

 タマミドリはがっくりとくず折れ、力なく膝を地面につける。

 ヒナノも奥歯を噛みしめ、自分の非力さを責めた。

 しかし、

「ヒナノ、タマ」

 シャオだけは違った。

「走る準備をしてろ。ここは、このあたしが何とかしてやるぜ」

 川の前まで歩み寄り、ヒナノとタマミドリを振り返る。

「シャオ、いったいどうするつもりにゃ?」

「そうだよ。何とかするって、いったいどうやって……」

 シャオの思惑がわからず、二人は問いかける。

 その質問に、シャオは実に簡単に答えた。

「あたしは雪ん子だぜ。このくらいの川、一瞬で凍らせてやる!」

 シャオは両手を川に向かって伸ばし、力を集中させた。

 団子屋で大きな雪の結晶を作った時より、ずっとずっと大きな力を。

「無理だにゃ。こんな急な流れの川を、凍らせるなんて」

「そうだよ。他に何か、方法があるかもしれないし」

 一瞬だけ川の表面が凍るも、激しい流れによって一蹴されてしまう。

 ヒナノもタマミドリも他の方法を考えるようシャオに言うが、シャオは決して受け入れなかった。

「考えてる時間なんてねぇだろ。大丈夫、あたしがここで踏ん張れば、二人を向こう側に渡すことなんて、わけないぜぇ!」

 シャオは気合いを入れ直し、冷気を一気に解き放つ。

「団子パワー、全っ開!」

 叫ぶように、大声を張り上げるシャオ。

 すると、激しく流れる川に変化が生じた。

 シャオの足下から向こう岸まで、泥を含んだ茶色い氷の橋ができあがったのだ。

 川の流れにも負けない、頑丈な氷の橋が。

「二人とも、早く!」

 目を固く閉じて、シャオは力を振り絞る。

 雨で溶け始めた身体で、力を使うこともきつい中、母猫を助けたい一心で。

「ありがとにゃ、シャオ」

「ありがとう、シャオちゃん」

 ヒナノとタマミドリ、そして母猫の子猫達は、一気に氷の橋を渡りきった。

「シャオ! シャオも早くくるにゃ!」

 ヒナノは振り返りながら向こう岸のシャオに向かって叫ぶが、その目の前で氷の橋はあっけなく瓦解した。

 力を使い切ったシャオはその場で尻餅をつきながら、ヒナノの叫びに答える。

「早く行け! 早く行って、そいつらの母ちゃん助けるんだ! あとで絶対、追い付くから!」

 シャオはお腹に最後の力を入れ、精一杯大きな声を出した。

「……タマ、行くのにゃ」

「……ぅん」

 二人はシャオに背中を向け、子猫達と一緒に隣山を登り始める。

 シャオを置いていくのは胸が痛むが、今の自分達にはどうしようもない。

 そのせいで大婆さまの所に行くのが遅れて、母猫を助けられなかったら、それこそ本末転倒である。

 シャオが絶対に追い付くことを祈りながら、二人は懸命に足を動かした。


     ☆


 シャオと別れてから、一時間以上の時間が過ぎた。

 雨はだいぶ弱まってきたが、すでにヒナノとタマミドリから十分すぎる体力を奪い去っている。

 もはや気力だけで、なんとか身体を動かしているような状態であった。

「タマ、大丈夫かにゃ?」

「ぅん。ちょっと寒いけど、あったかいお茶飲んでるし。ヒナノちゃんも飲む? 少しは体、温めないと」

「あ、ありがとにゃ」

 タマミドリは(たもと)から本体でもある湯呑みを取り出すと、強く念じる。

 空っぽだった湯呑は、たちまちの内に温かい緑茶で満たされた。

 温かい緑茶を出すのは、タマミドリの数少ない特技の一つなのだ。

 ヒナノは母猫を器用に片手で抱きながら、タマミドリから湯呑を受け取る。

 ちろっと表面を舐めてみるが、それほど熱くない。

 恐らくは、タマミドリの体力も影響しているのだろう。

 だが、今だけはありがたい。

 ヒナノは湯呑をあおり、ぬるめの緑茶を一気に飲み干した。

「ありがと、にゃ。タマ」

 ヒナノは空っぽになった湯呑を、タマミドリに返す。

 少しだけ、体が温かくなったような気がする。

 タマミドリは湯呑を再び袂にしまうと、ぬかるんだ斜面を一歩ずつ登っていった。

 ここまで先導してくれた小さな猫も、だいぶ体力を消耗してぐったりしているが、ヒナノとタマミドリを振り返りながら先を進む。

 ヒナノもそれに応えようと、両足に力を込めた。

「にゃあっ!?」

 つるんと、ヒナノが足を滑らせる。

 まるで時間がゆっくりと流れるような感覚が訪れ、上下の感覚が逆になっていく。

 だが、そのまま斜面を転げ落ちることはなかった。

「ヒナノちゃん、しっかり……!」

 間一髪、タマミドリがヒナノの腕をつかんだのだ。

 力が抜けた二人は、そのまま泥だらけの斜面にべちゃりと座り込む。

 もはや、汚れてない場所がないくらい、二人の着物は泥まみれになっている。

 これ以上汚れようが、なんてことはない。

「少し、休んだ方がいいかも」

「そ、そうだにゃ」

 二人は木の下まで移動すると、そのまま地面に座り込んだ。

 子猫達もヒナノ達によりそうように、ぐっと体を近付けてくる。

 冷え切った体には、温かくて気持ちがいい。

「ヒナノちゃん、大婆さまの所まで、はぁ、はぁ、あとどれだけあるか、聞いてみて」

「って、タマが言ってるけど、どうなんだにゃ?」

「にゃにゃ、にゃー」

「この坂を越えたら、あと一息だって、言ってるにゃ」

「そう、なんだ」

 ヒナノは、タマミドリの方をちらりと盗み見る。

 自分でも限界をとうに超えているのだから、タマミドリはもっと辛いだろう。

 三人の中で一番体力があるのはヒナノで、タマミドリは一番少ない。

 それでも必死になって付いてきているのは、それだけ母猫を助けたいという思いが強いからだ。

 それでも、もう無理そうである。

 息が荒いのはもちろん、足も時々ぴくぴくと痙攣(けいれん)している。

 と、ヒナノの視線に気付いたタマミドリは、にっこりと笑って見せた。

 自分はまだ大丈夫だから、一緒に頑張ろうという意味なのだろう。

 だったら、自分もそれに応えなければ。

「行くかにゃ?」

「うん!」

 二人は立ち上がると、小さな子猫を先頭に斜面を登り始めた。

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