未成年
その庭を見つけたのは、逆上せてめまいがするほど熱い夏の日だった。
いつも通学路の往復だけで気がつかなかったみたい。学校をサボって気の向くまま歩いていたら、その白い家はあって、赤、朱、青、黄、緑、紅、全ての色を凝縮したような鮮やかな世界が、庭に広がってた。風に吹かれて、ゆらりゆらりと怪しくおどる、見たこともない花々。一体何種類あるんだろう。僕は図鑑を見るのが大好きだけど、その中には載ってない花ばかりだった。
ゆらり、ゆらり、花たちはまるで催眠術にかけてくるみたいに、僕をいざなう。うとうとする。
少し変な気分になって、僕は軽く頭を振って、回りを見回した。家と同じ色をした玄関先の白い門にまで、花はからみついてる。それは門につるを張った花というより、門をしっかりと縛りつけた花といった感じだ。
一輪の紅の花が、少しはげた白い木に栄えて、こっちを観ている――
僕は目をそむけるように表札を見た。一体この家の主はどんな人間なのか。表札には「弥生」とだけあった。女性の名前だろうか。僕はそこを離れるのがどうにも惜しまれて、ぼうっとその庭を門越しに眺めてた。均整のとれてるその花々は、よく手をかけてもらってるみたい。雑草なんかほとんどないし、培養液がざくりと土に刺さってる。本当に水と培養液だけで、こんなに妖美な花が育つんだろうか。
そういえばいつだったか、母さんに聞いたことがある。
『桜の下には人間が埋まっている。だからあんなに怪しく、美しく、咲くんだよ』
子供心に妙に納得した。この庭の下にも、人間が居るのかもしれない。そう考えていた時だった。
「何のようだい?」
我に、同時に妙に現実に返って声のほうに振り向くと、そこには真っ赤なワンピースを着た初老の女性が、まっすぐ立っていた。
「あ、その、花が、とてもキレイだったから」
初老の女性はチラッと僕のランドセルを見た。子供は学校に居る時間だ。何だか所在ない気持になった。何か言われるかとチラッと女性のほうを見る。老婆は口の端で笑って、門を開いた。
「庭を見せてあげるよ。おはいり」
一瞬躊躇したけど、好奇心が先に動いた。老婆は僕が入るのを確認もせず、ぐんぐん先に進んでいく。後ろでは紅の花が、僕を見ていた。
まるで万華鏡のように冴え冴えしいその庭は、外から覗いた時より広かった。もう風は吹いていないはずなのに、先刻とかわらず花は揺れている。一番隅のほうにケシがあった。僕にわかるのはそれだけだった。
「この花々はね。私の子供みたいなもんだよ」
老婆は僕を見ずに言うと、白い花に手を触れた。朝顔に似ている。でも、それとは比べ物にならないように、どこか力強い。
「それって、なんて花ですか?」
老婆はにこりと笑い、僕を見ながら言った。
「朝鮮朝顔さ。ここにある花達はね。みんな毒花なんだよ」
聞きなれない言葉に、僕は一瞬理解できなかった。ドクバナ?
「根や花や葉にね、毒があるんだよ。特にこの花は、猛毒さ」
ああ、なるほど。妙に得心がいった。この妖しさ、美しさ。そういうことか。
老婆は僕を縁側に招くと、冷えた麦茶を差し出してくれた。
「それには毒なんて入ってないよ」
冗談めかしく老婆は口角をにじり上げて、自分の麦茶を一気に飲み干した。僕もなんだか緊張がほぐれ、一口飲んだ。のどが涼やかになる。
「どうして、ですか?」
率直に聞いてみた。昔はすごく美人だったんだろう。その名残のある笑顔で、老婆はそっけなく答えた。
「なぁに。これ呑んで死のうと思ってねぇ」
一瞬耳を疑った。冗談だろうと思って老婆を見たけど、そうでもなさそうだった。
「長く生きてると色々あってね。五年前に植えたのさ。友人の勧めでね。育ててるうちにいいなぁって。私に良く似合うだろ」
老婆はまるで自分に語りかけるように呟いた。僕はまた妙に納得した。美しく妖しいこの花々に囲まれて、横たわる美しい初老の女性。なんだかしっくりくる。
ゆらり、ゆらり、ゆれて、ゆれる。
花を見ている時間は、なんとも心地よかった。まるでなにかの術にかかったみたいに。
だいぶ日が暮れたので、そろそろ帰ろうと立ち上がると、老婆はちょっと待てと僕を止めた。
「これ、持っていきなさい」
ガラスの小瓶には、少し干からびた葉のようなものが入っていた。
「ほら、あそこの青紫の花さ。トリカブト。猛毒だ。いつか役に立つよ。あんたにあげる。持ってきな」
その花なら聞いたことがあった。よく推理ドラマなんかで使われている、あれだ。
僕は不思議と抵抗なく、それを受け取った。
「またおいで」
老婆に一礼して僕はその小瓶を胸ポケットに入れ、来た道を確認しながら家に帰った。胸のあたりがりん‥と鳴った。
それからしばらく、僕はランドセルを背負ってちゃんと学校へ行った。胸ポケットにあの小瓶をいれて。何回か先生に「それなあに?」と聞かれたけど、答えなかった。
その日、学校の帰りになんとなく老婆の家に行きたくなった。授業を終え、友達の誘いを断ると、なぜか周りを気にして通学路を横にそれた。一度行った道は結構覚えてる。僕は老婆の家が50メートル先に見えるところまで来た。すると、なにか様子がおかしい。人がたかっていた。
ランドセルを放り投げると、僕は駆け出した。大人たちは動揺しており、僕になんか気がつかないみたいだった。するりするりと玄関を抜けた。
頭の先がちくっとした。そこにはかわらず、ゆらりゆられる万華鏡の花々があり、確か朝鮮朝顔と言われてた花の根もとに、老婆はいた。鬼のような形相で。
大人たちの一人が、僕にようやく気づいて腕を掴んだ。僕は離れたくなかった。だって、違う。違う。こんなんじゃない。だって老婆はすごく醜かった。よほど苦しんで死んだんだ。
大きく開いた口からは、色とりどりの花やら葉が見え隠れしていた。
『――私に良く似合う』
『いつか、役に立つよ』
老婆の声が頭にリンリンと響いた。
その後のことは定かじゃない。たぶん大人が無理やり僕を抱きかかえて、遠くに離したと思う。まだ踏み入れてはいけない世界が、あそこにはあった。僕は帰り道の途中で小瓶を取り出し、川に捨てた。そうしなきゃいけない、そんな気がしたから。
つい読みにくい語彙を使用してしまう癖があるため、あえて子供目線で書いてみました。一人称は久しぶりなので読みにくかったら、ごめんさいです(汗)
エンターテイメント作ではありませんが、作品を読んでなにか心に感じて頂けましたら幸いです。