第一章 第二話 プロローグ 〈目覚め〉
灼熱熊の頸から噴水の様に吹き出した血流に濡れ、銀色に輝く不思議な楕円状の物体から出現した人間らしき存在は、暫くの間悠然と立ち尽くしていたが、やがて自身を濡らす血腥い血臭に飽きたらしく、其の場から動き出して銀色に輝く不思議な楕円状の物体から、出た時に纏わりつかせていた金属製の部品の残骸とジェル状の物質を、手で少しづつ取り払って行き、森林の中に分け入って行った。
暫く森林の中を進むと、やがて清水を湛えた泉が姿を表したので、その人間らしき存在は何の躊躇もなく泉に近付き、己の両手で泉から清水を掬ってみた。
透き通って見える清水が両手に掬われて、其処に映った己を見て、始めてその人間らしき存在は自意識を取り戻した。
「お、俺は!?」
人間らしき存在は落雷に因る衝撃を受けた様に立ち尽くし、懊悩するように自身の頭を両手で挟み、暫く葛藤するかの様に自身の頭を揺さぶっていたが、やがて落ち着いて来た様にゆっくりと地面に腰を下ろして考え始める。
しかし、現状では色々と判断する材料が少ないと判断し、先ずは自身から漂う血腥い血臭を拭い去る為に、泉に近付き其処に湛えられた清水を使用して、己の穢れを洗い落とす事にした。
近くに生えていた木の枝を折り、枝にあった葉っぱの裏ッ皮を上手く処理して、即席の手拭いを作り上げて、身体に纏わりついていた様々な穢れを全て拭い去ると、自身の身体の状況が全て判明した。
体表面には一切の衣服らしき存在は無く、上半身の胸部にはX字型の引っかき傷が灼熱熊の大きな爪で刻まれている以外は、特に変わった様子は無い。
其れに比べて下半身には、何やら黒い被膜の様な物が素肌に張り付いていて、其れが約5ミリ程の厚みを持って短パン状に下半身を覆っていた。
其れが清水を浴びせたというのに濡れもせず、清水が弾かれて行き、かと言って特に不快感も無く下半身を守っている。
その不思議さを今は一旦棚上げして、先程懊悩していた自身の状況を考える事にした。
(一体俺は誰で、此処は何処なのか? そして何故俺はマスクをしているのか?)
そう、此の人間らしき存在は、出現した当初から、何故かその頭上部に金属製のマスクが存在していたのだ。
その金属製のマスクは、かなりしっかりと彼の頭上部を覆っていて、どう弄くったり力を込めても、ビクとも剥がせそうに無いほど頭に被さっている。
どうしても其れ等の疑問が思考の大部分を占める中、人間としての根源的欲求である食欲が彼に襲い掛かってきた。
徐ろに彼は周囲を見渡し、泉に垂れ下がる様に果実が生えている木に近付き、枝を手繰り寄せて幾つかの果実をもぎ取り、クンクンと匂いを嗅いだ上で、指で果物らしき果実を毟りとって口に放り込んだ。
口内に放り込まれた果実は、果肉が柔らかく歯に当たると潰れて非常にジューシーな果汁が口内一杯に広がった。
此の段階で彼には、膨大な情報が己に流れ込み、幾つかの疑問点も解消されたが、更に大きな疑問点も湧き上がって来ていた。
先ず、生物の本能である【四大欲求】の内「食欲」が己の内に内在し、本能の命じるまま己が自分に適した食材を嗅ぎ分ける事が出来て、いざ果物を口にして、美味しいという感覚が口内に広がる事で満足感まで生じる。
そして幾つもの感想が己の中から自然に湧き上がり、本能とは別の【生きる知恵】と呼ぶべき行動が自然に身についている事実が判明した。
(とすると生物としての基本行動と本能に基づく欲求には一切の齟齬が無く、己が生きる為の基礎は特に意識せずとも自然にこなせる・・・。
だが、そうなると新たな疑問が湧いてくる。 こういった論理思考すら特に問題も無く出来るというのに、自我存立の基礎と呼ぶべき己の存在を第一に唱える自分の名前と、自身が生まれた故郷や所属した筈の組織や国等の基本情報が、己の記憶の中に一切存在しないのは何故だ? 更にはそもそもどういった経緯で俺は、此の森林に出現したのだ?)
次々と湧いてくる疑問点に、周囲に誰も答える者が居ない状況ではどうにも回答を得られる筈もなく、彼は己が落ち着いて沈思する為にも、諸々の状況を整えるべく行動を開始した。
葡萄らしき果実を幾房か食べた事で食欲がある程度満たされ、更には清水を飲んだ事で水分補給も暫くは大丈夫だ。
それよりも何の寄る辺もない状況で、服等の最低限の防御を出来ない身体では、段々と日が暮れていく現状で森林を過ごすのは危険であるだけで無く、寒さにも耐えられない可能性がある。
なので取り敢えず、己が出現した場所である銀色に輝く不思議な楕円状の物体が存在する場所に向かう。
すると当然かも知れないが、先程争った灼熱熊の死骸を貪っている【死肉喰らい(スカベンジャー)】の一群が居た。
四足獣である【グリーンハイエナ】が十頭程と、黒い羽根が見事な【黒烏】が凡そ20羽程、争うように灼熱熊の死骸に喰らいついていたが、特に彼にとっては灼熱熊の死骸など興味が無いので、奴等の事など無視して銀色に輝く不思議な楕円状の物体の残骸を調査する。
しかし、銀色に輝く不思議な楕円状の物体は、精々な処、彼の身長を僅かに越える程度の大きさしか無く、最低限彼を保護していただけで、金属製の部品も僅かの量しか存在せず、何らかの手掛かりになる程の代物では無かった。
結局、自身の出身や己の役に立つ物を見つけられなかった彼は、諦めて立ち去ろうとしたのだが、どうやら灼熱熊の死骸を粗方食い尽くした【死肉喰らい(スカベンジャー)】共が、新たな獲物として彼に目を付けたらしく、唸り声を上げて彼の周囲を囲んでいる。
其れに気付いた彼は、何の武器も持たない状況であるにも関わらず、少しも萎縮する事無く、【死肉喰らい(スカベンジャー)】共に向かって無造作に歩を進めるのだった。
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