”愛”とは
奉仕の僕になり、僕はさらに忙しくなった。
開拓者としての伝道活動はもちろん、伝道活動の予定決め、その司会、それから集まりの準備などを行うことになった。さらに週中の集まりで15分まで話しをするようになった。しかし、それらの苦労は楽しかった。早く長老になって神様に恩返しをするんだ、と思うと常に寝不足だったが力が湧いてくるのだ。
思い起こせばこの宗教に入って数年で父の暴力は減っていった。さらに父はそれまで挑戦しては何度も失敗した禁煙を成功させ、タバコを完全にやめることができた。それは、僕の家族にとっては、この宗教が本物の宗教と信じるには十分な証拠だった。でも父が模範的な信者になったかというと、そうではない。集まりではニコニコしているが集まりから帰ってくると多少不機嫌な父に戻った。それで僕にとっては相変わらず家は居心地が良い場所ではなかった。僕は学校から帰ってくると、ほとんど外に遊びに行った。週中の集まりに出席するために学校の部活動に入ることは禁じられていたため、結構早い時間に家に戻っていた。お小遣いも少なかったため、中学生の時はただ時間だけがあった。それで友だちと一緒に片道6km離れた隣町の模型店に行っては、ただおもちゃを眺めて時間がくると急いで帰るという生活を送った。門限をすぎるとベルトでお尻を叩かれた。それをこの宗教では”懲らしめのムチ”という。そんな危険を冒してまで外にいたかった。それだけ家は居心地が悪かった。
そんな時、集会の中で一人の兄弟が声をかけてくれた。その兄弟の名は高橋といった。高橋兄弟は父より少し年上で、僕より少し年下の娘さんと息子さんがいた。高橋兄弟は僕たち家族を食事に招待してくださった。それから家族ぐるみのお付き合いが始まった。僕は集まりのない土曜日になるとよく高橋兄弟のお家にお邪魔して対局を申し込んだ。高橋兄弟は将棋が強かった。僕も学年では将棋は強いほうだったが、高橋兄弟は僕よりはるかに強かった。高橋兄弟によると高橋兄弟の棋力はアマチュア2段らしい。なんでも職場の将棋大会で2位になったこともあるという。最初はずっと負けっぱなしだったが、1年、2年と経つうちに勝ったり負けたりするようになった。高橋兄弟と将棋をするのは楽しかった。本当に僕は高橋兄弟のお家にお邪魔し、高橋兄弟に将棋の相手をしていただいた。
高橋兄弟はとても優しい兄弟でみんなから慕われていた。利他的な愛にあふれ、夫婦でよく人をもてなすことで知られていた。あるとき高橋兄弟からザリガニ釣りを企画したので手伝ってほしい、と言われた。僕は喜んでお手伝いした。集まりに来た5歳から小学5年生くらいの子どもたちに危険がないか確認し、餌をつけてあげて最後まで楽しめるか見てあげるのだ。それから集会の子どもたちと遊んであげることが増えた。夏が来れば集会でキャンプが企画された。その時も高橋兄弟と僕は率先し、テントを設営し、薪を割り、火をおこし、みんなのために肉を焼いた。この頃はほぼ毎週、高橋兄弟が企画する何かのイベントを手伝っていた気がする。楽しかった。人のために親切にすることがこんなにも楽しいということを、僕は高橋兄弟から学んだ。
僕は高校に進学した。そしてそのころ高橋兄弟は長老に任命された。それから少しして隣の集会に籍を移すことになった。それで集会の若者で高橋兄弟のお家でお別れ会を開くことにした。高橋兄弟は喜んで下さり、みんなのために写真に聖句を印字した”聖句カード”を作ってくださった。それぞれの若者の性格を念頭に置いて高橋兄弟がその人に合う聖句を選んでくださったのだ。ちなみに僕のカードに書いてあった聖句は、マタイ伝にある”天に宝を蓄えるように”というイエス・キリストの言葉だった。この聖句は普通、物質主義を注意するときに使う聖句なので少し違和感があったが、高橋兄弟のことだ、親切を続けていくようにというメッセージなのだろう。高橋兄弟が隣の集会に移られて寂しくなったが、お住まいは変わらなかったので時々遊びに行った。高橋兄弟がいなくなってからも僕は高橋兄弟から学んだことを自分がいる集会で続けた。
それでも、”愛”というものを実感したことはなかった。ただ使徒行伝にある”受けるより与えるほうが幸い”という聖句を実践した高橋兄弟の模範から、与えることを続けていけば、いつか高橋兄弟のように愛情深い人になれる、と希望を持っていた。
実際に”愛”を実感したのはそれから7年後である。開拓者になりたてて心労と疲労から体を壊したのだが、その時兄弟姉妹が本当に助けてくれた。僕はすでに一人暮らしをしており、その時はほぼ寝たきりになってしまったのだが、兄弟姉妹が食事や部屋を掃除してくれたりして、本当に助かった。病院から帰ってくるとドアノブに手作りのお弁当がかかっていることもしばしばだった。僕は兄弟姉妹のおかげで半年くらいで全快し、こうして今も開拓者でいることができる。
僕の生い立ちを考えればできすぎた話だと思う。それで神様に感謝せずにはいられないのだ。15分の話しにも慣れ、僕は何回か長老から話しの訓練を受けた。そして週末の集まりで45分間の公開講演以外の話しはすべて行うようになった。