ある一騎士の手記 2ページ 帝国歴402年11月16日・夜
帝国歴四〇二年十一月十六日・夜
名も知れぬ農村にて記す
コルドゥラ、私は生き残った。
かすり傷一つなく、五体満足で生き残っている。
部下にも傷を負った者は一人もいない。
小隊の構成員は、騎士は小隊長の私一人、副長のバルトルト軍曹、従卒のティモ、槍兵が十二人、弓兵が四人、魔法師一人と、合計で二十人いる。
戦場に足を踏み入れながら、二十人全員が無事なのだ。
普通なら喜ぶべきかもしれないが、私はとてもそんな気分にはなれない。
先に、私は生き残ったと書いた。
だがしかし、どうにも不適当な言葉に思える。
私達は敵の都合で生かされたに過ぎないのではないかと、そう思えてならないのだ。
明確な証拠はない。
ただ、疑いを深めるに足るだけの出来事はあった。
話を今日の昼に戻そう。
渡河と大休止を終えて進軍を再開した我が軍は、程無くしてミノの入口と思われる場所へ差し掛かった。
なぜ入口と分かったかって?
簡単だ。
丸太で組まれた柵と、木製の簡易な門があったのだ。
敵が潜んではいないかと、誰もが緊張した。
しかし、その緊張は長く続かなかった。
柵の内側には人っ子一人いなかったのだ。
柵の周囲は森で囲まれていたが、そこにも人の気配はしなかった。
幸か不幸か、我が小隊が柵への先鋒を命ぜられた。
覚悟の決まっていた私は思い切って柵へ近接した。
部下達に柵へ縄を掛けさせ、全員で力を合わせて引き倒した。
思いの他、簡単に事は済んだ。
固唾を飲んで見守っていた味方は、柵が倒れるや否や大歓声を上げた。
上官達は、敵は逃げ出したか、我が軍の動きに気付いていないかのどちらかだ、今こそ一気に攻め込むべしと、兵を鼓舞した。
高級指揮官の一人、アロイス・フォン・ブルームハルト騎士爵が真っ先に柵の向こう側へ突入した。
コルドゥラ、君も知っているだろう?
兵らが「騎士の皮を被った農夫」と揶揄するほど、戦下手で統率力皆無のあいつだ。
奴が活躍する場と言ったら、敵のいない野山を駆け回る事くらいだろう。
今回は早速活躍の場を得た訳だ。
敵の反撃はなく、味方の部隊は次々と柵の向こう側へ攻め入った。
先鋒だったはずの私の小隊が割り込む隙間も無いほど、凄まじい勢いだった。
きっと、あの勢いは恐怖の裏返しだったに違いない。
恐れていたはずの敵がいないと分かり、抑圧されていた心が解き放たれたのだ。
しかし、勢いは長く続かなかった。
我が軍の勢いは急速に削がれていった。
敵が現れたからじゃない。
その逆だ。
むしろ、敵の姿は全くなかった。
徹底的な程に皆無だったのだ。
柵を越えてしばらく進んだ場所に五十戸ばかりの村があった。
先に突入したはずの部隊は、どれもその農村で足を止めていた。
村には人っ子一人なく、馬や牛、犬や鶏の姿もない。
我が軍の襲来に慌てて逃げたのかと思ったが、それも違う。
どの家屋も丁寧に戸や窓が閉じられており、留守宅を雨風から守ろうとする意図が明らかだった。
屋内は整然としており、慌てて出掛けて行った様子はない。
畑の作物はそのままだったが、住人の服一枚、農具一本すら見つからない。
まるで村ごと引っ越しでもしたかのようだった。
我々は訝しく思いながらも、こんな事も無い訳ではない……と言い聞かせて進軍を続けた。
ところが、その次の村でも、そのまた次の村でも様子は全く同じだった。
最初の村では訝しく思い、次の村では不気味さを感じ、そのまた次の村では不安が心を支配した。
間違いない。
敵は我が軍の動きを確実に掴んでいる。
だからこそ、いち早く住人を避難させたのだ。間違いない。
やがて、誰言うともなく敵の意図について秘かに議論が交わされ始めた。
騎士だけでなく、末端の兵らの間でも。
議論の長短はあれど、私達が得た結論は同じだった。
敵はどうして住人を避難させたのか?
答えは「ここが戦場となるべき地であるから」だ。
他の答えも有り得たかもしれないが、こんなに不気味で不安を煽る光景を見せつけられては、別の答えに思い至る事は不可能だった。
明らかに低下する士気を前に、上官達は家屋への放火を命じた。
敵を挑発し、誘き出す魂胆だったのだろう。
幸いな事に、この気の進まない命令は我が小隊に下される事は無かった。
柵で我々を追い抜いていった部隊はいくらでもあったのだからな。
火を点けた者達は、言いようのない恐怖に苛まれたに違いない。
あの恐るべきサイトーの軍勢に、放火の復讐をされる――――。
想像しなかった者は一人もいないだろう。
待ち受ける運命は、壮絶な報復。
きっと嬲殺しだ。
今晩は眠る事も出来ないに違いない。
重い足取りとなった我が軍は、それでも進軍を続けた。
四つ目の村へ差し掛かった頃、太陽が傾く中、北方に城と思われる構造物を遠望した。
サイトーの城に違いないと、あちこちで声が上がった。
確かにそれは、城に違いなかった。
ただ、我々が知る城の姿とは大いに異なっている。
まず、その城は山の上にあったが、木々の姿をほとんど見て取る事が出来なかった。
だからと言って、単なる禿山とも言い難い。
山の斜面は石と土の壁で覆われ、夕日に照らされて眩しく輝いている。
どう考えても、山全体に手が加えられ、要塞化されている事は明らかだった。
しかも一つの山だけではない。
いくつもの峰々に要塞が連なり、各所に大小の尖塔からしき建物が並んでいる。
尖塔以上に目を引いたのは遠目にも分かる異常なまでに背の高い巨木だ。
徹底的に木が伐り取られている中で、たった一本残された巨木の醸し出す雰囲気は異様としか言えなかった。
誰かが唾を飲む音が聞こえた。
私自身の発した音だったかもしれない。
あれを…………落とすと言うのか?
あんな大規模な要塞を?
上官達は「敵の本拠地は目前!」とか、「空城だ! 恐れる事は無い!」と息巻いたが、そんな言葉で自信を取り戻す兵は一人もいなかった。
さすがの上官達も兵らの雰囲気を察したのか、この日の進軍はこれで打ち止めとなった。
二、三の小隊が偵察に放たれた以外は、全軍この村で夜営準備となった。
そもそも、もう夕方なのだ。
夜営の用意をするなら、もっと日の高い内から始めなければならない。
既に遅過ぎる時間だ。
私を含め、敵の城を目にして足を止めるまで、誰一人そんな事にすら気付いていなかった。
冷静な判断力は、とうの昔に失われていた。
その事実に、私は身震いするしかなかった。
やがて村の家屋が宿所として割り当てられたが、二千の軍勢を収容するには全く足りなかった。
私の小隊は五、六人が生活していたと思われる家屋に泊まる事となったが、これは柵を引き倒した戦功によるものだ。
八割方の部隊はテントを張っての野営だ。
こんな気味の悪い土地で野営など、正気の沙汰ではない。
私は己が身に訪れたささやかな幸運に感謝した。
自分の幸運を自覚すると、今度は自身の疲労も自覚した。
ひどく疲労していた。
一度も戦っていないのに、戦った時以上に疲労している。
部下達も私と同じだったのだろう。
見張り以外の者は、直ちに眠りに落ちてしまった。
私もまた強烈な睡魔に襲われ、ペンを動かしつつもふとした瞬間に眠ってしまいそうになる。
これは……緊張の糸が…………切れたのかも、しれない……………………
(以下、文字がミミズのようにのたくっており判読不能)
(次のページは赤黒い染みがベッタリとこびりついている)
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