第75話 「クリストフ殿は立派な男子になったでしょう?」新九郎の母は胸を張った
「どうです? クリストフ殿は立派な男子になったでしょう?」
母上が「どうだ!?」と言わんばかりに胸を張る。
一方、クリス違いのクリスティーネは、辺境伯の奥方やハンナ、ヨハン達に慰められつつも「ぶつぶつ……」と何事か呟き続けていた。
『やみおち』とか『はいらいと』がどうとかこうとか申しておったが、一体何の事であろうかの?
異界の言葉はまだまだ奥が深そうだ。
「クリスの奴は何やら元気をなくしてしまったようだが、母上も九州衆も、たった十日でよくぞ鍛えてくれたものだ」
「私がお預かりしたのは十日の内三日だけですよ。残りの七日は長井殿にお願いして九州衆の里で過ごしていただきました」
「三日で仕上げたか。さすがは母上」
「ちょっと待てシンクロー」
母上と和やかに話していると、ミナが険しい顔で口を開いた。
「どうした? お主も『やみおち』がどうたらと申すつもりか?」
「クリスの言う『ヤミオチ』は私もよく分からない。そうではなくて、何をすればたった十日で人格が変貌すると言うんだ? クリストフ殿の言動……異世界の狂戦士そのものだったじゃないか!」
「おほほほ……簡単な事ですよ」
「ミドリ様?」
「三日三晩に渡って新五郎やお松達をけしかけたのです」
「シ、シンクローの弟と妹達を三日三晩!?」
弟妹共の毒牙に掛かった経験のあるミナは「ひっ……!」と怯えた声を出す。
あ奴らは母上の側にいるせいか、そこいらの侍よりも余程手強い。
あと数年経てば俺も歯が立たなくなるかもしれん。
ミナが怖がる様を見て、母上は余程可笑しかったのか笑顔で続けた。
「逃げ出そうとすれば、私が手ずから捕まえて引きずり戻しました。自分より年下の幼子に負け続けるのはお辛かったでしょうね」
ミナが「怖い、の間違いでは?」と小声で呟くが、母上は気付いた様子もなく続ける。
「男子を鍛え直すには、心から余計な色を落として真っ新な無垢に仕立て直す事が肝要です。九州衆にお任せする前に要らぬ矜持は完膚なきまでに叩き折ったのです」
「無垢に仕立て直せば、あとはどうとでもなる。日ノ本の流儀で思いのままに染め上げればよい」
「な、なんてむごい……」
「早道を選んだだけだ」
「見解の相違だ!」
「左様に申すな。荒療治とは思うがクリストフにとって悪い事ばかりではない。九州衆はいずれも島津と真正面から渡り合った者共だ。あの中で揉まれて過ごせば、もはや恐れるものなど何もない」
「またシマヅ……。本当に人間か? 魔物の類じゃないだろうな?」
「まあ! 魔物だなんて! ミナ様は面白い事を申されますね!」
「言い得て妙よな。九州に棲むは悪鬼か羅刹か、はたまた夜叉か修羅と申すではないか」
「それもそうね」
「アッキ? シュラ? な、何なんだ? その如何にも凶暴そうな名前は……」
「その辺りは己の目で見て確かめるのが最良よ。ほれ河原を見てみよ」
指を差して河原を見るように促す。
辺境伯の奥方やヨハンも、クリスの相手をハンナに任せて前に出て来た。
眼下では、東西両軍が内習の開始に備えて陣形を組みつつある。
ミナやヨハンが驚きを口にした。
「すごい……! 見事なまでに秩序立った動きだ! ネッカーの戦いではほとんど町の中にいたから軍勢の動きは分からなかったが……」
「驚くべきは軍勢が静かな事です。誰一人無駄口を利く者はおらず、指揮官が大声を張り上げずとも命令が良く通っています。そして兵の動きには迷いがなく、それ故に足取りの乱れもありません。凄まじい統率です。十人程度の小さな隊ならともかく五百人近くの隊でこれを……」
「左馬助が弟妹共に申していたであろう? 陣中で濫りに高声を上げる者や命に従わぬ者は厳しく処する事となっておる」
「いや、それにしても……」
「当家など、まだまだよ。越後の上杉は実に見事なものと聞く。徳川内府が感心しきりだったらしい」
「不識庵様以来の軍法ですね。さすがは軍神と称されるお方が築いた御家です」
「サイトー家を超える……」
「ウエスギ……」
「驚くことは無い。上には上がいるものよ」
「それはそうと新九郎。皆様に備の説明をしてあげなさい」
「ソナエ?」
「順を追って話してやろう。東軍を見てみよ」
東軍は美濃、信濃、甲斐、関東出身の者達で立てた備。
文字通り東国の軍よな。
斎藤家の備は、先頭から徒歩衆、鉄砲衆、弓衆、長柄衆、本陣馬廻衆、馬上衆と並ぶ。
備全体は侍大将が指揮し、各々の衆は奉行が指揮する。
此度の東軍は藤佐を大将、山県を副将とした。
主だった奉行衆は、徒歩奉行に浅利を、鉄砲奉行に雑賀を、馬上奉行に小幡を任じてある。
そして、各奉行の下には二、三十人で一組の組が複数付いている。
鉄砲衆は鉄砲組を三組九十人で立てる、といった具合にだ。
戦況に合わせて組の数を増減させれば、自在に戦うことが出来る。
実際の戦ではこの後さらに小荷駄や後備の衆も続くが、内習故、此度は省略だ。
ミナが再び書付を取り出して、何やら書き留めつつ尋ねた。
「テッポー、弓、ナガエは分かる。武器の違いだな。ウママワリは指揮官の護衛で……馬上はそのまま騎士だな?」
「左様。流石によく分かっておるな」
「カチ衆と言うのがよく分からない。ただの歩兵とは違うのか?」
「徒歩衆は戦況に合わせて自在に動く者共でな。置楯を持ち運んで味方を守り、悪口雑言で敵を挑発し、時には石合戦にも及ぶし、槍一本を片手に横槍を入れる事もある」
「それはすごい! 冒険者で言えば盾役が槍士を兼ねるに等しい!ついでに飛び道具も使える……。冒険者パーティーに入れば絶対に重宝されるぞ!」
「ほう? そんなものか?」
「ああ。ハンナに尋ねてみるといい」
「ふむ。そうしてみるか」
「ところでサイトー様。置楯と仰いましたが、片手で持つ盾はお使いにならないのですか?」
今度はヨハンが興味深そうに尋ねる。
「そう言えば異界の騎士や兵は右手に得物を、左手に手楯を持って戦う者が多いな」
「弓や長槍を使わぬ限りは剣と楯の両方を持つ事が基本です。冒険者は身軽に動き回ることが身上ですから、その限りではありませんが」
「手楯は城攻めの時くらいしか使わぬ。弓、槍、鉄砲、太刀に打刀、いずれも両の手で扱う武器だからな」
「防御が弱くはなりませんか?」
「甲冑で身を固めておれば簡単にやられはせん。片手を楯で塞がれるより、両の手を自在に使える方が、より良く得物を使いこなせよう。余計な荷物を持たぬ分、身のこなしも軽い。楯を持たぬ方が存分に働けると思うがのう」
「武器を使いこなし、身のこなしも軽く……ですか。我らはどちらかと申せば、防御を硬く固める方向に考えてしまいますね。敵の攻撃を跳ね返してしまえるようにと」
「ふむ。それも考えの一つであろう。兎角難しく考える事はあるまい。要は己が戦いやすいように戦えば良いのだ――――」
「――――あっ! 見てみろ! 一人飛び出したぞ!」
ミナが声を上げて河原を指差す。
九州衆の陣から単騎で飛び出した者が出たのだ。
その者は小柄で、見覚えのある赤備えの甲冑を身に付けていた。
敵将の首級をあげてみせると豪語した、クリストフに相違ない。
さて、見事首を取れるかのう?
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