第7話 「寝付くまで一緒にいてやろうか?」新九郎は何気なく言った
「ぶふっ!」
庭木に繋がれた黒金が嬉しそうに鼻を鳴らす。
首筋を撫でてやると、気持ち良さそうに大人しくしている。
今は地震の翌朝、まだ夜が明け切らない刻限だ。屋敷の周囲には朝靄が掛かっている。
その朝靄の中、黒金以外にも十頭程度の馬が庭木に繋がれていた。
再度の地震から馬達を守るため、厩から出されているのだ
「おや? お早いですね、お客人」
やって来たのは両手に桶を持った中年の男――馬丁の頭だ。
「お主も精が出るな。す……しゅ……シュテファン」
「ちゃんと呼べるようになりましたね、お客人」
シュテファンは両手の桶を地面に置くと、俺と同じように黒金の首筋を撫でた。
「こいつは大した馬ですよ。他の馬達は地震でビビり散らかしていたって言うのに、一頭だけ平気な顔をしてゴロゴロと寝転んでいましたからね。規格外ですよ」
「生まれたときから肝の座った奴でな。俺もよく驚かされている」
「お嬢様たちに伺いましたよ? こいつ、ゴブリンを蹴り飛ばしたんですって? そんな馬、聞いた事がありませんよ。どんなに鍛えた軍馬でも、馬は魔物を怖がるものなんです」
「主人の真似をしたのかもしれんな。俺も『ごぶりん』を蹴って退治した」
「……普通は武器なしには魔物に近付きたくないものですよ? あんな気色の悪い連中、触れたくもありませんや」
「あの場面ではそうするのが手っ取り早かったのでな」
「お客人も十分に規格外ですね……」
「褒め言葉と受け取っておこう。ところで、黒金の蹄に付けられたものだが……」
「こいつが蹄鉄です。何が起こるか分かりませんから、昨晩急いで付けておきました」
「手間をかけたな。礼を言う。しかし、斯様なもので蹄を守るとは思いもしなかったぞ」
「そいつはこっちも同じですよ。馬草鞋……でしたっけ? 馬がワラで編んだスリッパを履いているとはね……」
「馬一つをとっても違うところばかりだな。ミナが言っていたように、他の馬とは大きさも馬体の造りもまるで違う」
「一つだけ確かなことがありますよ。こいつは度胸もあれば、良い身体にも恵まれてます。他の馬と比べて小柄だが、馬力は負けませんや。それに蹄も硬くて丈夫だ。蹄鉄を付けりゃあ、より力強く走れますよ」
「ぶふっ!」
「なんだ? お前、喜んでいるのか?」
「ぶふふっ!」
「言葉を理解してるみたいですね?」
「そうかもしれん」
「度胸と馬力があって、頭も良い馬か……。手前もこんな馬が欲しいもんです」
馬談義に花を咲かせていると、屋敷の玄関からミナが出て来た。
目の下に隈を作り、疲れ切った表情をしている。
「ここにいたのか。きさ…………シンクロー……」
貴様と言いかけて新九郎と言い直した。
地震が起こって以来、ミナは俺の名を呼ぶようになった。
まあ、新九郎と貴様が入り混じって半々くらいだがな。
軽く尋ねてみたところ、顔を赤くして無言で殴りかかって来たので返り討ちにしておいた。
いちいち殴られては面倒なので放っておくことにしたが、どんな心境の変化があったのやら……。
俺の心中を察した訳ではあるまいが、ミナはげんなりと口を開いた。
「どうしてそんなに元気なのだ? 昨日の地震はこれまでで最も大きかったのだぞ……?」
シュテファンと顔を見合わせる。
「手前は馬達を守るのに必死で恐いも何もありませんでしたよ」
「地震は地震かもしれんが、日ノ本の地震に比べれば子どものようなものだな」
「シュテファンはともかくシンクローは……。やはり異世界は狂戦士の……サムライとは狂戦士を意味する言葉だったのだな……」
狂戦士とは、神懸かりして狂乱状態で戦い続ける戦士のことらしい。
腕や足を切り落とされようと、心の臓を貫かれようと、己の身に何があろうと死ぬまで戦い続けるそうだ。
はっきり言って侍とは別物。
そんな化け物と一緒にしてくれるなと言っても、ミナは疑いの目で俺を見るばかりで話を聞こうとしない。
シュテファンが「他の馬の世話がありますんで」とその場を離れたところで、話題を変えた。
「屋敷や町の被害は如何であった? 俺が見て回った範囲では目立った被害はなかったが」
地震の直後、被害を確認して回る役を買って出た俺は、辺境伯の家臣と手分けして屋敷や町の様子を見て回った。
民は騒然とし、夜の闇の中、灯りを片手に右往左往していたが、倒れた建物はやはりない。
怪我人も、揺れに驚いて転んだ者が数人いただけだ。もちろん死人も出ていなかった。
「昨日から変わりない。少なくとも、ネッカーの町から被害報告が出ることはなさそうだ。あとは町の外の村々だが……」
「被害の報告がないなら少し眠ってはどうだ?」
「……また揺れはしないだろうか?」
「眠っている最中に揺れることが不安か?」
「…………少し」
とても『少し』とは思えない表情で答えるミナ。
シュテファンは気にも留めていなかったが、地震に対するこの地の者達の反応は大なり小なりミナと同じだ。
地震を『大異変』と言いたくなる気持ちも分かる。
「お主らが如何に地震を不安に思っているかは分かったつもりだ。だが、眠らずにいれば体力がもたん」
「…………うむ」
「なんなら寝付くまで一緒にいてやろうか?」
「ふ、ふざけたことを言うな! もういい! 寝るっ!」
小走りに屋敷へ戻っていく。
しまったな。
言葉をしくじってしまった。
他意はなかったのだが、あれは完全によろしくない意味で解釈されてしまったな……。
女子の扱いは難しい……。
屋敷に戻るとまた何を誤解されるか分かない。
そのまましばらく、シュテファンや他の馬丁達の様子を眺めながら庭で過ごす。
やがて、日は完全に昇り、朝靄も晴れた。
聞こえ始めた町の喧騒を子守歌代わりに眠気を覚えた時、穏やかな時間は突然破られた。
「伝令――――伝令――――!」
屋敷の正門から響く声。
刀を掴んで駆け付けると、伝令と思しき兵士が馬から転げ落ちるように下りたところだった。
その兵士の顔には見覚えがあった。
森からネッカーの町へ向かう途上に立ち寄った石造りの小さな砦。そこで顔を合せた兵士の一人だ。
既に辺境伯家の家臣達も集まっており、ベンノ殿が兵士に歩み寄った。
「何が起こったのです? 落ち着いて話しなさい」
「き、き、き、霧が! 霧が晴れました!」
ベンノをはじめ、知らせを耳にした者達は「おおっ!」と喜びをあらわにする。
一方、伝令の顔色は冴えない。
回らぬ舌でさらに続ける。
「て、て、敵です! 敵襲です! 霧が晴れるや否や、見たことのない赤い鎧を身に付けた軍勢が現れました! 数百人はおります!」
「敵? 荒れ地の方から現れたと言うのですか!? 確かですか!?」
「確かです! 東から……日が昇った方角から間違いなく現れました!」
「信じられない……。荒れ地は魔物の巣窟ですよ……」
「わ、私にも何がなんだか……。見張りの者は全員我が目を疑い、何度も目をこすっては確かめて――――」
と、そこで、俺と伝令と目が合った。
合った目線を外そうとせず、凍り付いたように動かなくなってしまう。
「俺がどうかしたか?」
尋ねると、伝令は俺を指差して叫んだ!
「やっぱりだ! その服! その服です!」
「?」
「敵の中にお客人と同じ服装の者がいたんです! 間違いありません!」
絶叫するように伝令は叫んだ。
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