第64話 「お願いしたき儀がござります!」近習達が新九郎に迫った
「それでは行って参ります」
評定の翌日――――まだ日も登り切らいない早朝、馬に跨ったヨハンが出立を告げる。
見送りに並ぶのは俺とミナ、左馬助、八千代の四人だ。
「任せたぞ。なるべく急いでな」
「はっ! お任せください!」
ヨハンは力強く返事をすると、襷掛けにした物入れを軽く叩く。
物入れは少し膨らんでいた。
手分けして用意した村宛ての書状が詰め込まれている。
屋敷の中では今もまだヨハンの同輩達が書状を書き記す作業を続けておるが、用意が出来たものから早速配って回るのだ。
早いに越した事はないのでな。
書状を届ける使者として出立するのはヨハン以外にも十人ばかり。
ハンナら冒険者の姿もあれば、竹腰ら斎藤家家臣の姿もある。
ヨハンを正使とすれば、ハンナら冒険者は護衛役と道案内役。
竹腰ら斎藤家家臣は正使の御目付役と助言役を兼ねている。
正使が正しく務めを果たすよう監督し、必要があれば助言する。
俺の意思が、正確に民へと伝わるようにする為には欠かせぬ役割だ。
そして、もう一つ欠かせぬ役割を負っている。
後日の戦に備え、辺境伯領内の様子を隈なく見聞しておくのだ。
ヨハンやハンナがおれば道案内には困らぬであろうし、忍び衆がおれば領内の様子を知る事は出来るであろう。
だがしかし、己の目と耳で見聞した事に勝るものではない。
戦を覚悟するならば、一人でも多くの家臣達に見聞を広めさせ、辺境伯領に慣れさせておかねばならん。
ヨハンに付けた者達は、軍目付の竹腰を筆頭に、物見や使番の役目を任せている者達だ。
必ずや役立とう。
ヨハンが馬の腹を軽く蹴った。
これに続いて、使者の一行は次々と馬を進ませていく。
その背はやがて道の向こうへと消えた。
「さて、それでは私達も出立の準備をしようか」
俺達はこの後、ネッカー川の河口にある港町ビーナウへ向かう事になっている。
ネッカーの近隣にある大きな町は確実に押さえておきたい。
町の中核をなすと聞く商人達には、俺自身で話をするつもりだ。
佐藤の爺から頼まれておる塩も調達せねばならんしな。
「早くクリスを起こさないと。放っておくといつまでも寝ているんだからな!」
ビーナウではクリスの両親が店を開いているらしい。
塩を調達するためにも、ビーナウの商人達に渡りを付けるためにも、またとない人材と言えよう。
それはさておき、どうも今朝のミナは楽し気な感じがするのう……。
「ミナ、声が弾んでおるぞ?」
「えっ!? そ、そうか?」
「港へ行くのが嬉しいか?」
「あっ……いや……その……」
「左様に言い淀んでは答えておる様なものだぞ?」
「うっ…………はい……」
恥ずかしそうに下を向いてしまう。
「若? 左様に虐めてはミナ様がお可哀想ですよ?」
「おい八千代、人聞きの悪い事を申すでない。不思議に思うたから尋ねただけではないか」
「八千代の言にも一理ござりますな」
「左馬助……。お主まで俺が虐めたと申すか?」
「小さいと聞き及びますが、ビーナウも港町。ネッカーよりも賑やなのでござりましょうし、ネッカーよりも手に入る品は多いでしょう。女子が心躍らぬはずはござりませぬ」
「兄上の申す通りです。殊にミナ様はネッカー以外の町へと赴く機会も少なかったのでは? 心躍るなと申す方が無理と言うもの」
「お役目は大事。然り乍らミナ様の息抜きもまた大事。何と申しましてもミナ様は辺境伯家の姫にござりますぞ。辺境伯家は斎藤家にとって主家も同じ。主家の姫君をあちこちに連れ回した挙句に息抜きの一つもさせぬとあっては斎藤家の恥にござる」
「男子は女子の息抜きにとやかく口を出さず、笑って許すものでござりますよ? ねえ? ミナ様?」
二人が口々に申すと、ミナは「ヤチヨ殿……モチヅキ殿……」と感じ入った様子。
しかし、それも長くは続かなかった。
「ここしばらくは九郎判官の書物に接しておられぬご様子。ミナ様の忍耐にも限りがござりますからな」
「ミナ様が前々からお探しの御本が入っておるやもしれません。楽しみですわね?」
「最近は九郎判官の恋物語を描いた御本に目がないと聞き及びますな」
「ミナ様も年頃の女子ですもの。お堅い史書だけではご満足出来ませんわ」
「中でも悲恋を描いた物語がお好みらしい」
「まあ……悲恋、でござりますか? 夜はお一人で枕を濡らしておられるのかしら?」
「え……? え? えっ? ど、どうしてその事を? 私はサイトー家の方々にはそんな話は……。も、もしかしてお母様やベンノから?」
「「…………」」
「ど、どうして黙っているんだ!?」
「日ノ本では壁に耳あり障子に目あり、と申しましてな」
「うふふふふふふふふふふ……」
こ奴らは忍び衆を使って一体何を調べておるのか。
ミナを脅かして遊んでおるではないか。
まあ、こ奴らはこ奴らでミナの事を気に入っておる…………のか? これは?
もう面倒だからそう言う事にしておくか……。
三人のやり取りを背後に屋敷へ入り――――、
「――――若っ!」
玄関をくぐると、六人の若者が旅支度を整え、膝を突いて控えていた。
俺の側近くに仕える近習の者達だ。
近習筆頭の春日源五郎利綱をはじめ、主だった者は全員が揃っておる。
他は――――、
秋山源三郎利繁、
山県源四郎利国、
安宅甚太郎利康、
十河孫六郎利存、
根来杉之介利算、
――――以上の五人だ。
思わぬ場所、思わぬ者達の出現に足が止まる。
ミナ達も何事かと話を止めた。
「お主らこんな場所でどうした?」
「若にお願いしたき儀がござります!」
近習筆頭の春日源五郎が妙に深刻そうな様子で顔を上げた。
この者達から願い出られることなど覚えはないが……一体何であろうか?
聞いてみぬ事には分からんな。
「許す。申してみよ」
「よ、よろしいのですか?」
「構わんと申しておるではないか」
「然らば……」
この後、俺は心底後悔する事になった。
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