第62話 「今なら首は選り取り見取り」八千代の赤い舌が苦無を舐めた
「いっその事、ヴィルヘルミナ様が陣代となられては?」
オットーめの提案に、ミナは卓を「ダンッ!」と叩いて立ち上がった。
「何を言うんだ! サイトー殿の歳が若い、考えが甘いと口にしたのは貴公自身だぞっ!?」
「はい。申しました」
「貴公が口にした言葉は私にも当てはまる! どうして私なら良いと言えるのだ!?」
「辺境伯家の正統たるヴィルヘルミナ様が陣代であれば我らも安心。お歳は若いかもしれませんが、何処の何方とも知れないお方などとは比べるべくもありません」
「だがっ!」
「民が大事とお考えなのでしょう? ならば民の事をお考え下さい。出自の分からぬお方に支配されるとあっては、民は安心して生業に励むことなど出来なくなりますぞ? 他領に逃げ去る民も出ましょうな」
「何と! それは一大事!」
「税収が減ってしまうではないか!」
「辺境伯領は隅々まで荒廃しましょうぞ!」
賛同の声を得たオットーは、俺の顔を睨め付けながら続ける。
「ヴィルヘルミナ様の経験不足は我々がお支えすれば何の問題もありません。女性の陣代など前代未聞ではありますが、現状の辺境伯家においては最良の選択ではないでしょうか? ご列席の皆様は如何でしょう?」
オットーめが話を振ると、寄騎貴族を中心に嬉々として口を開く者が続いた。
「さすがは筆頭内政官であるモーザー殿! 素晴らしいご提案だ!」
「アルテンブルクを知らぬ者よりも、ヴィルヘルミナ様こそが陣代に相応しい!」
「ありがとうございます。ではもう一つ提案を。ゲルト殿の財物は民に使うのではなく、寄騎貴族の皆様と家臣に分配すべきかと。さすれば寄騎貴族の皆様は辺境伯家に対する信頼の念を新たにし、家臣は忠誠の度を高めるでしょう」
大きな拍手が湧き上がる。
気勢を上げる者もいる。
この流れに、あろうことかアロイスめが乗っかりおった。
「私からも一つご提案を! 辺境伯領の安定の為、ヴィルヘルミナ様には一刻も早く身を固めていただくべきです!」
「おお……。さすがはブルームハルト家に連なるお方。目の付け所が素晴らしい。しかし、御身を固めていただくと申しましても、お相手は如何なさいます?」
「適任者がおられます! ブルームハルト子爵の御令息クリストフ殿です! ヴィルヘルミナ様とお歳は近く、のみならず、人格、見識共に申し分なきお方!」
「クリストフ殿ですか……。ええ、ええ。確かに適任でいらっしゃる。身分と言い、能力と言い、実に申し分ありません」
「クリストフ殿が辺境伯家に婿入りすれば辺境伯家は安泰! クリストフ殿こそ未来の辺境伯に相応しい!」
「アロイスっ! 未来の辺境伯とは言葉が過ぎるぞっ!」
ディートリヒが暴走気味のアロイスを窘めるが、言葉とは裏腹に満更でもなさそうな顔で顎を撫でておる。
列席した者共は、早くも「おめでとうございます!」などと申しておるわ。
当のミナを置き去りにしてな。
……………………良し。
何はともあれ、馬脚を現しおったわ。
どうせ斯様な事を口にするとは思っていたが、絵に描いたように、そっくりそのまま想像通りの事を言い出しおった。
あまりに思った通りの言葉ばかりを口にする故、憐憫の情すら湧いて来た。
勝手に縁組の相手まで決められてしまったミナでさえ、驚きや戸惑いではなく、呆れ返った様な、白けた様な目で俺を見た。
…………さて。
連中の茶番に付き合うのは終いだ。
今度はこちらの番だ。
合図を出さねばな。
評定の最中、ずっと膝の上に置いていた左手を卓の上に出した――――。
ダンッ!
何か硬いものを打ち付けたような大きな音が響き渡る。
私利私欲にまみれた話を続けておった者共は、肩を窄めて音が鳴った方へと振り向いた。
大太刀を預かった左馬助が、鞘の小尻を床に打ち付けたのだ。
その瞳には、隠しようの無い殺意が宿っていた。
「若、もはや問答は無用にござります」
底冷えのする声音で口を開く。
「辺境伯より陣代のお役目を賜った若を差し置き、勝手気ままな妄言を並び立てるとは無礼千万。斯様な侮辱、もはや忍耐能いませぬ」
唐突な介入に、しばしの間は呆けた顔をしていた寄騎貴族や家臣達も、左馬助の申した事の意味を理解するにつれ、顔を怒りに染めた。
「も、妄言とは何だ!? 聞き捨てならんぞ!」
「陪臣の分際で口を出すな!」
「忍耐能わぬならどうするつもりだ!? 言ってみろ!」
「然らば申し上げる。斯くなる上は一戦に及ぶべし」
一切の迷いなく放たれた一言に、寄騎貴族や家臣達は「正気か?」と言いたげな表情を浮かべた。
それはそうだろう。
主君の俺を差し置いて、家臣が勝手に戦で雌雄を決すると申しているのだ。
一方差し置かれたはずの俺は、平気な顔で身じろぎもせずに座ったまま。
さらに藤佐や弾正も続く。
「急いで戦支度を整えましょうぞ! 陣触れにござる!」
「やれやれ……。またぞろ銭が掛かって困る――事もござりませんな。ゲルトの財物、惜しみなくばら撒くと致しましょうか」
「ならば冒険者を雇い入れよう。何人雇える?」
「三千……いや、五千は雇えましょうな」
弾正が漏らした「五千」と言う数字に、寄騎貴族や家臣達が目を剥いた。
ブルームハルト子爵――ディートリヒめも言葉に詰まる。
当然だ。
五千もおれば、連中の兵の数に匹敵するか――あるいは上回っておるやもしれんからな。
奴らが言葉を失っている間にも、左馬助、藤佐、弾正は勝手に話を進めていく。
「冒険者を如何に使う? ここはやはり乱取りか?」
「左様。連中は集団で使うより、個々別々、気ままに戦わせた方が役に立つ」
「では、乱取り勝手次第の許しを出すとしましょう」
「人取りも許そう。東の荒れ地を開墾するのに人手がいる。斎藤家が買い取ると申せば大いに励もう」
「人を取るなら食い物が欠かせん。苅田もさせて作物を根こそぎ奪っては?」
「良い考えですな。ついでに、里心が付かぬよう町も村も全て燃やすとしましょう」
「付け火も命じるとするか」
「田畑には塩を撒き、井戸には糞尿を投げ込もう」
「逃げる気力もへし折れましょうな」
「「「はっはっは!」」」
妙に朗らかな声で笑う三人。
う~む……。
思い切ってやれ……とは申したが、ここまで事細かにやれとは命じておらん。
寄騎貴族や家臣達の言動に、左馬助たちも相当に鬱憤が溜まっておるらしい。
あらかじめ段取りを伝えておいたはずのミナが口元を引き攣らせておるわ。
寄騎貴族や家臣達は、口々に「野蛮なっ!」とか、「止めぬかサイトー殿!」などと申しておるが――――。
「――――ほっほっほ。お若い方々は、気の逸る事甚だしゅうござりますな」
「丹波様!」
「何を仰います!」
「我らは努めて冷静にござりますぞ?」
「簡単に、戦、戦と申すものではござりません。戦となれば数多の人が死に、銭を失うこととなりましょう。気を静め、より良き方策に考えを巡らすのでござります」
丹波にこう申されては、さしもの三人も黙るしかない。
寄騎貴族や家臣達は「ようやくまともな奴が出て来たか」と、あからさまに安堵した。
本当に安堵して良いのか?
茶を種に道化を演じた、あの丹波が申しておるのだぞ?
それが証拠に、ミナの顔は晴れていない。
くっくっく……。ミナも分かって来たではないか。
そうだ。あの丹波が止めたのだ。
三人に輪をかけて碌でもないことを申すに違いないのだからな――――。
「では、丹波様は此度の儀、如何にして納めるおつもりで?」
「簡単じゃ。撫で斬りにすればよろしい」
時が止まった。
誰もが耳を疑った。斎藤家の者以外はな。
「この場に首魁共が雁首揃えておるのでござりますぞ? 悉く撫で斬りとすれば、後腐れなく事は納まりましょうぞ」
左馬助たちが「その手がありましたな!」と笑顔で手を打つ一方、寄騎貴族や家臣達は騒然となり、ありとあらゆる罵詈雑言を――――。
「――――まあ、楽しそう」
唐突に割り込む若い女の声。
俺達が囲んでいる卓の上に、音も無く一人の若い娘が降り立った。
八千代だ。
いつもの小袖姿だが、両手には鋭く尖った苦無を握っている。
黒光りする鉄の色、身幅の分厚さ、そして切っ先の鋭利さは、抜き身の刃物より余程恐ろしく、見る者の心胆を寒からしめる。
「若への侮辱はわたくしも許せません。ええ、許せませんとも」
「ほっほっほ。丁度良い所においでになりましたな、八千代殿。今なら首は選り取り見取りでござりますぞ」
「まあ、嬉しい。では、若を一番侮辱なさったのは何方でしょう? 若の素晴らしさが分からないなんて……こんな愚劣な話は世に二つとしてござりませんわ。どんな頭をなさっているのかしら? 脳天に苦無を突き立てて、脳髄を引きずり出し、拝見してみるとしましょうか」
八千代の赤い舌が、ペロリと苦無を舐める。
ディートリヒとオットーの二人は、流石に無様を晒すことは無かったが、何人かは腰を抜かして倒れ込んだ。
お? アロイスの奴も倒れとるな。
八千代と目が合いおった。
獲物を見付けた八千代はアロイスの目の前に降り立ち、苦無をゆっくりと振り上げていく。
アロイスめがついに命乞いを始めおったわ。これは傑作だ。
これは傑作だが――――。
「待て、八千代」
「若?」
「辺境伯はこの者達をお許しになっておる。ゲルトの謀反の責めは、ゲルト一人に帰すとお決めになられたのだ。お許しになられた途端に俺達が斬っては、騙し討ちに等しい。これでは辺境伯の名に傷が付こう。俺に不忠を働けと申すのか?」
「……ずるい言い方。でも、そんな若も素敵だわ」
左様に呟くや、現れた時と同様に、八千代は音も無く姿を消した。
口を利ける者は、誰一人としていない。
「……さて、皆の衆」
寄騎貴族や家臣達がゆっくりと俺の方を向く。
その顔は恐怖に彩られていた。
「我が家臣が失礼した。日ノ本の侍にとって名誉は命より重い。受けた汚名は相手を斬ってでも晴らす――だがまあ、辺境伯の手前、此度限りは堪えるとしよう。辺境伯の御恩情に感謝なされよ」
どこからも声は上がらない。
「では、陣代として命を下す。よろしいな?」
逆らう者は、ただの一人もいなかった。
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