第6.5話 ヴィルヘルミナの独白 その壱
「――――怪我はないか?」
恐怖のあまり閉じていた瞳を開くと、すぐそばにあいつの顔があった。
私の顔を覗き込み、冷静な表情で問い掛けている。
「あ、ああ……」
詰まる声で絞り出すように答えた。
そこでようやく、自分が誰かを抱き締めていることに気が付いた。
お母様だ。
地震が起こった直後、咄嗟に庇い、そのまま抱き締め続けていたのだ。
お母様はまだ震えていた。
無理もない。
これまでで一番激しい揺れだ。
剣や魔法の稽古で心身ともに鍛えていたつもりの私でさえ、恐怖のあまり目を閉じて揺れが過ぎ去るのを待つ事しか出来なかったのだ。
狭い視界の端では、ベンノが呆然と天井を――――いや、ちょっと待て。
狭い視界?
どうして視界が狭いんだ?
そう言えば、さっきから邪魔なこれは――――。
「どうして貴様が私を抱き締めている!?」
事態に気付いた私は大声を上げてしまった。
自分は地震が収まるまで母上を抱き締め続けた――そう思っていた。
しかし、それだけではなかった。
私もまた、抱き締められていたのだ。
他ならぬあいつに!
「どうしても何も、危ないからに決まっておろうが」
あいつは事も無げにそう言った。
「奥方を守りたいならば最後まで目を閉じてはならん。恐ろしかろうと何であろうと、他人を守るつもりなら、しっかと目を開けておけ。自分の周りを見てみよ」
そう言われて初めて気が付いた。
私達の周りには、壁に掛けてあった絵画や棚に置かれていた燭台と、様々なものが散乱していたからだ。
当たっていれば怪我をしていたかもしれない……。
背筋が凍ると同時に、恥ずかしさで顔が熱くなった。
「どうして貴様は平気な顔をしているんだ?」
思わず口を突いたのはそんな疑問だった。
悔しくて尋ねずにはいられなかった。
この問いに、あいつは顔色一つ変えることなく事も無げに答えた。
「侍たる者、この程度で心を乱してはおれん」
「またサムライか……」
「大した揺れでもなかったしな」
「大したことがない、だと? あんな激しい揺れが?」
「揺れはしたが耐えられぬほどではない。京の都で地震があったと話しただろう? あの時の地震は今回の揺れなど比べ物にならない酷さだった。京では何百、何千という町屋が倒れ、城すらも崩れ落ち、死んだ者は千人を下らぬという」
「異世界ではそんな恐ろしい地震が起こるのか!? 貴様がやって来たのは世界が滅んだからではっ!?」
「俺が物心ついてからというもの地震は何度も起こっておる。大地震で山崩れが起き、城も町も飲み込まれ、一夜にして土の下に消え去った領主もいる。それでも日ノ本は滅んでおらぬ」
「魔境だ……きっと異世界は魔境なのだ……憧れの異世界が魔境……もしや、ヒノモトとは伝説に聞く狂戦士の住まう国!?」
「『ばあさあかあ』? また知らぬ言葉が飛び出したな……」
そう言ってあいつは立ち上がった。
「外の様子を見て来る。お主は奥方に付いてやれ」
ベンノを促し、部屋から出て行ってしまう。
間もなくメイド達が部屋にやって来た。
あやつに言われて駆け付けてきたらしい。
メイド達に手伝ってもらいながらお母様をソファに座らせた。
「し、心臓が飛び出るかと思いましたね……」
「お加減は?」
「ええ……心配を掛けてすみません。それよりもヴィルヘルミナ、あなたに言っておきたいことがあります」
「私に?」
「あなた、サイトー殿を『貴様』と呼びましたね?」
「はい? 確かに呼びましたが、それが何か?」
「この子はもう! あんな無礼で不愛想で物言いがありますか! サイトー殿はあなたの行いをお許しくださり、異世界の事を何なりと話してもよいと仰せなのですよ!? ご好意を足蹴にするつもりですか!?」
「は? え?」
「どのような立場であっても払うべき礼儀というものがあります! きちんとお名前でお呼びしなさい!」
「いや……その……」
「何なのですか? ハッキリおっしゃい!」
「ま、負けた腹立ちまぎれに『貴様』と口にしてしまい、今更正すのも……は、恥ずかしくて……」
「変なところで意地を張ってどうします! 仕方がありません。こうなっては荒療治です!」
母上は私の肩を掴み、逃げられない体勢を作った。
「いいですかヴィルヘルミナ? あなたはこれから、サイトー殿を『シンクロー』と呼びなさい」
「な、何を仰います! 未婚の男女が名前で呼び合うなど……貴族の作法に反します!」
「良いではないですか。サイトー殿もあなたを『ミナ』と呼んでいることですし」
「私はあ奴の無作法なところも気に入らないのです!」
「異世界からいらしたばかりの方にこちらの作法を強いてどうします? そんなことよりも、これは好機です。またとない好機なのです。頑固で意地っ張りで融通がきかなくて不器用で、そして異性に奥手過ぎるあなたの性格を矯正するね」
「母上は私の性格をそのようにお考えだったのですか!?」
「違いますか?」
「……ち、違いません」
「でしたら、サイトー殿にはあなたの性格を治す手助けをしていただきましょう。このままだと婿の成り手も見つかりません。辺境伯家の存続も危ぶまれますからね」
「ですが――――」
「言い付けを守らない場合、ホーガン様のご本は今後一切禁じます。蔵書も全て売却することにしましょう。いくらになるか楽しみだわ」
「やります……」
蔵書の処分など、私にとっては片腕をもがれるも同じ……。
狡猾な策謀の前に、私は早々と白旗を揚げた。
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