第115話 「始めっ!」ミナとドロテアの勝負が始まった
「はあ……」
明るくなった辺境伯邸の庭で、ミナは力なく溜息をついた。
ううむ……。これはイカン。元気付けてやらねばな……。
「……睾丸破壊者――――」
「シンクロー!」
「はっはっは! 元気が出たではないか!」
「怒っているんだ!」
「膨れるでない。勇壮な二つ名ではないか?」
「不名誉なあだ名だ! せっかく叔父様に頼んで秘密にしてもらったのに……。三年も経てば忘れられていると思っていたのに……! お父様やお母様にまで知られてしまうなんて……!」
「『次は貴様の粗末な物を踏み潰してやる!』」
「い、言わないでくれっ!」
「其方、元々悪口雑言の才があったのだな? 言葉戦に引っ張り出した俺の人を見る目は正しかった訳だ」
「全然嬉しくない! 私にとっては封印してしまいたい暗い過去――言うなれば黒歴史そのものなんだ! 騎士たる者があんな下品な言葉を……! あれ以来ずっと、気品ある振舞を心掛けていたのに……今更掘り返されるなんて……!」
「気品? 其方が女子に似合わぬ堅苦しい話し方をするのはこれが理由であったか。だが、気品を云々申す割には、俺と初めて会った時は有無を言わせず襲って来たな?」
「いや、あれは――」
「まるで野盗の如き所業であったぞ? あれが気品ある振舞だと?」
「だからあの時も言っただろう!? 大きな異変が起こった場所で見慣れない姿形の者と出くわしたんだぞ!? ただでさえ、普段から魔物が徘徊している場所なのに……! 誰何する隙に襲われるかもしれないじゃないか!」
「道理であるな。だがのう……『次は貴様の粗末な物を踏み潰してやる!』」
「だから……もうっ!」
「くっくっく……。まあ、其方を弄るのはさて置いて――――」
「あっ! 今何て言った!?」
「――――見事な手並みであったな。阿呆とは申せ、大の男を五人まとめて相手するとは」
「え?」
「阿呆を野放しにしては道理も廃れよう。其方の働きは褒められるべきもの。二つ名は其方を称えるものと心得よ。そしてなにより、受けた恥辱をその場で晴らすとは見事。天晴なり」
「あ……うん……。あ、ありがとう……」
「しかし其方は慈悲深いな?」
「そ、そうか? 大勢の目の前であれだけのことをしたんだ。相手の騎士生命を絶つも同然で……」
「俺なら本物の命をいただくぞ? その場で首を落としてやるわ」
「……はあ。そこまでするのはお前達だけだ……」
「あの~……すみません……」
ミナとじゃれ合っていると、ヘスラッハ殿が呼び掛けて来た。
「私は準備出来ました。ヴィルヘルミナ様は……?」
「ああ、すまない。こちらも準備完了だ」
ミナとヘスラッハ殿が木剣を手に前に出る。
これから二人が剣で立ち合うのだ。
「ヴィルヘルミナ様。もし私が勝ったら、やっぱり姫様にお仕えしてくれませんか?」
「熱心に誘ってくれてとても嬉しい。だが私は、アルテンブルクの地でお父様とお母様のお力になりたいんだ」
シャルロッテ皇女から、側付き騎士になることを「是非に」と請われたが、ミナは即座に断った。
もちろん「出仕の儀は遠慮致します」と丁重な態度で断った訳だが、思い悩む時間は一切なく、請われた次の瞬間には答えを出していた。
何と肝が据わっておるのか。
それとも、どこまでも真っ直ぐな性分のせいか。
たとえ『コボルト皇女』と揶揄されていようと、己より遥かに高貴な身分にある貴人からの申し出だぞ?
懇請ではなく、命令に近きものと考えるべきだ。
悩む振りの一つでもした方がよろしいのではないかと思ったが、左様な素振りは塵芥ほども無かった。
元々、ミナが騎士になったのも辺境伯や奥方の助けとなるため。
意思は固く、これを翻すことなど思いもよらないのだろう。
シャルロッテ皇女は辺境伯や奥方の説得も試みたが、こちらも答えは同じだった。
帝都へ出仕させるつもりはないと、穏やかな口調ながらも、断固としてお断りになられた。
ミナの意思を尊重されたのやもしれぬが、それにしてもキッパリした断り方であった。
御二方ならば、皇族に対して礼を失しないよう、日を改めて答えを出すかと思うたのだが……。
こうして、辺境伯家は一家挙って出仕を断わった訳だが、もちろんシャルロッテ皇女も、お側付き達も簡単には諦めない。
次々と好条件の待遇を並べ立て、ミナの説得を続けた。
ゲルトが死んだ今となっては急ぐこともないのだが、皇室の面子にかけて縁組の仲立ちをするとまで申した。
だが、辺境伯家の者は誰一人首を縦に振らない。
挙句の果てには、ミナとお側付き騎士とで手合わせし、お側付き騎士が勝てば出仕してくれとまで言い出した。
もちろん左様な条件、辺境伯家が受けるはずはない。
ただ、ミナも騎士だ。
皇族のお側付き騎士との手合わせには興味があったらしく、とりあえず勝負は致すことになったのだ。
あちらはこれを好機と思ったのであろう。
隙あらば「こちらが勝てば出仕しないか」と誘いを掛けて来るのだ。
先程の誘いも、もう何度目になるか分からぬ。
ヘスラッハ殿は残念そうに肩を落とした。
「う~ん……。どうしても、ですか?」
「どうしても、だ」
「ヴィルヘルミナ様が同僚だとすっごく心強いんですけどね……。だってあの『ホーデン・ツェシュトゥーア』なんですから!」
「そ、その名は止めてくれ……。恥ずかしいから……」
「ええっ! 全然格好良いじゃないですか!」
ミナの思いとは裏腹に、ヘスラッハ殿は「格好良い!」と何度も口にする。
その背後では、同僚の女性騎士や皇女付きの侍女達がヘスラッハ殿を後押しする声援を送っていた。
「ドロテア! 勝てっ! 勝ちなさい!」
「相討ちでも構わないから勝つのよ!」
と、「勝て! 勝て!」と連呼するのは、ヘスラッハ殿の同輩であるお側付き騎士、ハイディ・フォン・ロール殿とイルメラ・フォン・フルプ殿。
ヘスラッハ殿も含め、いずれも二十歳前の若い娘。
言葉は少し軽いが、歩く姿から立ち姿まで、所作は武人のものであり、中々に隙がない。
お側付き騎士と名も、看板倒れではないようだ。
そして――――。
「せーのっ!」
「「「「「ドロテア様~! 頑張って~!」」」」」
声を合わせて応援するのは、揃いの黒い服の上から白い前掛けをした侍女達。
こちらも年若い娘ばかりだ。
黄色い声援と申すのは斯様なものを申すのか、ヘスラッハ殿が手を挙げて応える度、「きゃ~!」と嬉しそうな悲鳴が上がった。
なんとなく「女色」の一語が頭に過ぎる。考え過ぎか?
しかし、こうして見るとシャルロッテ皇女の周囲は若い者しかおらぬ。
一番年嵩の者は女官長のミュンスター殿だが、それでも二十六なのだという。
本来ならば、道理を弁え、経験を積み重ねた老臣を配すべきであろうが……。
当代の皇帝には、皇子が十一人に、皇女が二十七人もおるらしい。
さらに母親の胎の中におる者も数人……。
これだけおれば、人の手当てが追い付かぬ。
シャルロッテ皇女は十八女。
良き老臣は如何にしても年長の皇子皇女に流れてしまう。
力の劣る者を無理に側付きにするよりも、若年でも能があり、忠義の心有る者を側付きにしたということかもしれんな。
ひとしきり続いた声援が止むと、行司役を務めるクリストフが進み出た。
辺境伯家の寄騎たるブルームハルト子爵を継ぐ者だが、この中ではまだしも中立の立場だとシャルロッテ皇女によって引っ張り出されたのだ。
クリストフ自身は立合に至る経緯を聞かされ、実にやりにくそうな顔をしておるが、ここは堪えてやってもらうしかない。
ちなみに、クリストフを引っ張り出したシャルロッテ皇女はいない。
今頃は、辺境伯邸の二階にある一室で、ミュンスター殿と二人きりで『折檻』を受けておるはずだからのう……。
「……それではこれより、ヴィルヘルミナ・フォン・アルテンブルク卿とドロテア・フォン・ヘスラッハ卿の試合を始めます。両者前へ!」
クリストフの合図で二人が向かい合う。
「条件の確認です。試合に使用する武器は木剣のみ。防具は自由です」
「了解した」
「問題ありません!」
「なお、魔法や魔道具の使用は認めません。よろしいですね?」
「少し残念だが……承知した」
「よかった~。私は魔法が使えませんから」
「では、両者剣を構えて下さい……」
クリストフが右手を上げ、静かに振り下ろした。
「始めっ!」
二人は同時に、相手に向かって駆け出した。
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